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<title>鉄製仁語</title>
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<description>人類におけるニュートラル思想論</description>
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<title>ニュートラル思想 その1</title>
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<![CDATA[ 今はどうなってるのか、さほど知りもしないのだが、<br>一昔前のコギャル言葉というのは、ある意味で的を得ている表現方法だと感じる。<br><br>「○○じゃね？」<br>「○○っしょ？」<br>「超いけてない？」<br><br>ポイントは語尾だ。<br><br>疑問で終わるということは、この言いたい事柄をこうだと<br>決め付けているわけではないし、相手に意見を求めているようである。<br><br><br>諸行無常の響きあり。<br><br>万物は、常に変化する中で、ある1点の状況だけを捉えて<br>１００％に近い肯定をする大多数の大人や子供に比べても<br>ずいぶんとまともな表現方法である。<br><br>「○○だよ。」<br><br>と言われたところで、自分からすれば「△△」である。<br><br>大多数の大人とは、決まって軽い対立が起きる。<br><br>「いやいや、これがこうこうだから、○○だって」<br><br>自分も○○だと同意することもあるが、<br>現状が○○だとしても、明日か、1ヵ月後か、10年後かは、<br>「△△」どころか<br>「□ □ 」の可能性すらある。<br><br>そんな強い断定をどうしてできようものか。<br><br>さらにひとつのポイントだけでどちらか一方だと<br>決めれるものは、ほとんどない。<br><br>こっちの面では、○○だけど、あっちの観点からすると<br>△△である。<br><br>というようなことがほとんどなのだ。<br><br>完全に価値観の相違であり、そもそも価値観というものが<br>個人的価値の大きさの違いなのだとしたら、<br>譲歩することや、人の意見を取り入れてみる、聞く耳を持つなどの<br>姿勢がないと、つき合わせてもまったく意味のないことになる。<br><br><br>ただし、その点、コギャルだと、そのあとは<br><br>「マジで？」<br><br>で終わる。<br><br>「自分は同意できないが、あなたはそう思うんだ。なるほどね。」　で<br>終わっているのである。<br><br>すばらしい姿勢だと感じる。<br><br><br><br>ニュートンの「物体は形を変えれど、質量は常に一定である」という法則がある。<br><br>これは、人の心にも適用されると考える。<br><br>人と人（時に企業と企業でもよいが）というのは、<br>相対するシーソーのような物に乗っているのである。<br><br><br>あくまで例えであるが<br>中央部分を　０　とすると　左右に　１００づつメモリが振られているようなもの。<br><br>この数字は、心への影響度とでも言おうか。<br>Ｍental Point = MPとでもしよう。<br><br>どのような理由であれ、一方が、影響を与えれば、他方は影響を受ける。<br><br>振り幅が大きければ大きいほど、両者は対立しているということになろう。<br><br>常に容量は、１００と仮定する。<br><br>いじめによる自殺や、仕返し殺人や、精神病などは、<br>一方のＭＰが１００を振り切った状態にて起こりうるといえる。<br><br>周りに話す人がいたり、親が助言してくれたりすれば、<br>1度ＭＰ100を振り切ったとしても、またＭＰ７０くらいに戻してくれるかもしれない。<br><br>周りの支援ががまったくない状況だと、何をしでかすかわからない状態に突入する。<br><br>これは、家族間であっても同じ法則が適用される。<br>もちろん安定しやすく、影響度も小さい。<br>ただし、これすら、１００を振り切ると、何が起きるかはわからない。<br><br>戦争状態なんかは、無理やり国が一般国民のＭＰ１００を振り切らせ<br>相手もＭＰ１００を振り切っている状態。<br><br>シーソーの両端が、交互にガンガン地面に、アタックしているような状況であろう。<br><br>そして一人の人間というものは、生きていく中で<br>常に、おそらく何百という他対象に対して<br>このシーソーゲームを行っている。<br>そして本体が持つＭＰはただのひとつなので、何百すべての＋－の影響が<br>一つの心に影響する。<br>毎日毎日というか、毎秒毎秒であろう。<br><br>他対象だけでなく、自分自身の心に対してですら、1個の他対象になっているだろう。<br><br><br>お互いＭＰ０であるか、<br>また波があれど、平均値が　ＭＰ０　に程なく近い状態が一番良い状態だ。<br><br>つまるところ、ニュートラル状態である。<br><br><br>この思想論は、ＭＰ９０相手に与えているから、優しくしなさいだとか、<br>ＭＰ０でいることを心がけなさいだとか、いう事を説くものではない。<br><br>世の悩みを解決するような代物では、決してない。<br><br>この増えすぎた人類が、時に殺しあう（ビジネスもある意味殺し合いである。）<br>現代においてそんなのどだい無理な話である。<br><br>ＭＰなんて、空想の単位である。<br><br>ただ、こうしたから、相手がこうなっているとか、<br>ああしたから、状況がこうなっているなどを理解することはおそらく大切であり、<br>この比喩法は、生きていく上で、目に見えない心の闇を<br>感覚的空想数値化することにより、現実把握をし、<br>心を落ち着かせたり、打開策を見出すためのきっかけとも<br>なりうるのではないか、と考えるのである。<br><br><br><br>そして、シーソーを題材に用いたのは、決して<br>思想と掛けたものではないことをここに宣言する。
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<link>https://ameblo.jp/tefasan/entry-10525564996.html</link>
<pubDate>Tue, 04 May 2010 15:55:01 +0900</pubDate>
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