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<title>telecopainの解析ラボ</title>
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<description>日々思ったことをテーマ別に解析していきます。（自分の意見を言いたいだけです。）</description>
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<title>地元の農業から社会を考える　～①農業との再会～</title>
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<![CDATA[ だいぶ久しぶりのブログの更新になります。<br>始めた頃は少し意気込んでいましたが、<br>まぁ、細々と続けていければと思います。<br><br>■■■<br><br>先日、地元の農家さんと実家、両方の田植えの手伝いを<br>させていただきました。<br><br>地元の農家さんは親戚なのですが、<br>かなり久振り（10年ぶり位？）に会ったこともあり、<br>最近の農業事情から政治・経済、哲学まで、<br>いろいろな話ができて楽しかったです。<br>（大半は「農家あるある」的なたわいもない話でしたが…）<br><br>今回はその農家さんを見たり、また、話していて、<br>昔と今で「農業も変わったなぁ」と思ったことを書きたいと思います。<br><br>■■■<br><br>①直播って何？<br>　昔ながらの田植えの場合、<br>　種もみを発芽（３月下旬）<br>　　　⇒スジ（※１）播き（３月下旬～４月上旬）<br>　　　　　⇒田植え（５月）<br>　という流れで、<br>　種を発芽させて、それを土（苗箱）に播き、育った苗を田んぼに植えます。<br><br>　では、『直播』はというと、<br>　種もみをコーティング（※２）し、それを田んぼに播きます。<br>　これだと、＜苗を育てる＞という工程が短縮されるされため、<br>　手間が省けると同時に、田んぼに播くときも苗を植えるより<br>　だいぶ労力が少なくてすみます。<br><br>　※１：種もみのことを工程ごとにモミとかスジとか言います。<br>　　　　理由はよくわかりません（すみません）<br>　※２：コーティングにも種類があるらしいですが、<br>　　　　私が手伝いをした場合は、<br>　　　　カルパーコーティング呼ばれ、もみに酸素を供給して発芽を促す効果があるそうです。<br>　　<br>　ここ何年かでは『直播』に移行しつつある傾向だそうです。<br>　<br><br><br>②ラジコンヘリ<br>　「今後の専業農業にラジコンヘリは必須になる」<br>　とは前述の親戚の言葉ですが、その方は地元では最初に<br>　ラジコンヘリの取り入れた人の一人だそうです。<br>　ではラジコンヘリで何をするかというと、<br><br>　・主に農薬の散布<br>　<br>　今から20程前まで、私の暮らす地域では<br>　夏に本物のヘリコプターによる農薬散布を行っていました。<br>　農薬は当然体にいいものではないので、<br>　時代の流れとともに、行われなくなりました。<br>　そもそも、上空12m以上から狙い通りのところに農薬を撒くのは至難の業だそうです。<br>　しかし、その需要はなくなりません。<br><br>　昔は田んぼの中に入って農薬を散布することが多かったのですが、それは相当な労力。<br>　それこそ高齢化のした農家さんにとっては骨の折れる作業だそうです。<br>　<br>　そこで登場したのがラジコンヘリ。<br>　ラジコンヘリなら稲のすぐ上から撒くことができます。<br><br>　実施にはまだ見たことはないのですが、<br>　ラジコンヘリでは20kgまで積載できるそうで、<br>　ある地域では直播もラジコンヘリで行っているそうです。<br>　さらいに、そのスピードも田植え機より断然速いとのこと。<br><br>　これからはラジコンヘリが農業の主役になっていくのでしょうか。<br><br><br><br>③農地（田んぼ）の区画整備<br>　前述のように、作業の効率化や新技術によって、<br>　以前より少ない労力でたくさんの土地の田植えを行うことが<br>　できるようになっているようです。<br><br>　大規模になれば、それに伴った大きな機械（農機）を入れて、<br>　さらに効率よく作業をしていくことができる。<br><br>　ということで、今度は機械に見合った農地の整備が不可欠になるようです。<br>　親戚の農家さんは「ターンのいらない耕地」ということを言っていました。<br><br>　曲がったり、Uターンしたりしていたら、その分時間がかかってしまう。<br>　大きな田んぼにすればその分ロスが減っていくという考えです。<br><br>　住宅地や工業団地の合間には１反（=10ａ）や２反で<br>　１区画の田んぼも多いですが、５反や６反やで１区画の田んぼも<br>　増えてきているよう感じました。<br>　北海道などでは１町（=10反）の田んぼもあるそうです。<br><br><br>■■■<br><br>　今回は「変ってるんだなぁ」感じたところを書いてみました。<br>　この『変化』部分がさらに進めば、<br>　ロボットで農地を耕して、ラジコンで種まき。<br>　すべて電子制御の農業の近い将来あるかもしれないですね。<br><br>　しかしながら、現状では「その方向になるのはまだまださきだなぁ」<br>　と感じることもありました。<br><br>　次回は農家さんの悩み・課題について考えてみたいと思います。<br><br>　では<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/telecopain/entry-11530227955.html</link>
<pubDate>Thu, 16 May 2013 16:30:28 +0900</pubDate>
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<title>理想と現実の狭間</title>
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<![CDATA[ こんばんは。<br>そろそろ、秋の気配を感じてもいい頃ですが、<br>まだまだ暑いですね。<br><br>書きたいことがないわけではないですが、<br>結局、月１回くらいの投稿となってしまっているブログです。<br><br>■■■<br><br>しばらく前から国会などでも<br>「大津のいじめ事件」が話題となっています。<br>私は話題に完全に乗り遅れてしまい、<br>問題の本質がなんなのか、掴み損ねてしまっていますが、<br>いわゆる『いじめ」というより刑事事件の要素が色濃いようですね。<br><br>さて、今日は『いじめ』について、ではなく、そこから、<br>思ったことについて書きたいと思います。<br><br>■■■<br><br>まず、この『いじめ』についてですが、<br>よく以下のような意見を聞きます。<br>・いじめはよくない。<br>・いじめを許してはいけない。<br>・いじめがない学校にしなければならない。<br><br>理想としてはその通りかもしれませんが、<br>現実には、いじめは今まで起きてきたし、<br>これからも起こり続けると思います。<br><br>こんなことを言うと、<br>「それを克服するために知恵を出し合うのが人の営み、人間の歴史」<br>などと反対されてしまいそうです。<br><br>いじめが起きないようにする努力はもちろん大切だと思いますが、<br><br>個人的に、もっと大切なことは、<br>いじめを解決できる人間性なり、社会を養うこと<br>ではないかと思います。<br><br>いじめが起きてる現場で、<br>「いじめをなくしましょう」<br>という主張は、的はずれだし、<br>いじめられてる当事者にしてみれば、<br>『理想の世界』は異国の地であり、<br>現実に対する絶望のを強めるだけではなのでしょうか。<br><br>■■■<br><br>『いじめ』に限ったことではないですが、<br>私が知っていることは、<br>不合理なこと、悲惨なことは<br>起こってきたし、これからも起こるということです。<br><br>社会問題や大災害などは、<br>時として予想をはるかに超えるかたちで発生します。<br>どんなに知恵を絞っていても、何かの対策を行っていても、<br>知恵や対策の隙間、違う角度から、予期せぬ事態が発生してしまいます。<br>そして、それはこれから先も同様でしょう。<br><br>■■■<br><br>きれいな世界、<br>きれいな言葉、<br>それらはとても魅力的です。<br><br>私もそういう世界になったらと思うこともあります。<br>しかし、現実には、うまくいくことばかりではないし、<br>嫌な出来事、不合理なことがあるということも事実だと思います。<br><br>理念を持ちそれを追うことは大切だと思いますが、<br>それと同時に現実に目を向けることも忘れてはいけないのだと思います。<br><br>最近の社会問題でのヒステリックさ、抗体のなさは、<br>無菌室で育つことによって、免疫力を低下させてしまっているような、<br>不気味さを感じます。<br><br>理想を求めるあまり、不都合なことに対して、<br>それから目を背ける、場合によってはそれを抹殺するような傾向<br>そこまでいくと、思考停止ですね。<br><br>人間のダイナミズム、人生の面白さは、<br>不合理の中にこそ生まれると思うのですが…<br><br>予期しない出来事にも対処できる、「しなやかさ」は持っていたいものです。<br><br><br>では
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<link>https://ameblo.jp/telecopain/entry-11315469409.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Aug 2012 23:54:27 +0900</pubDate>
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<title>科学という宗教</title>
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<![CDATA[ こんにちは。<br><br>今日は社会での「科学」の捉え方について、<br>少し意見を述べたいと思います。<br><br>まず、質問を一つ。<br><br>「地球って丸い（球形）んですか？」<br><br>こんな質問をすると、頭がおかしくなったのかと思われてしまうかも知れませんが、<br>「地球は丸い（球形）」とする根拠って何なんですか？<br><br>⇒①教科書で習ったから（天動説から地動説への転換。地平線・水平線。など）<br>　②宇宙の人口衛星からの写真で丸く写っているから<br><br>どちらももっともな根拠なんですが、<br>では、<br>「地球は本当は楕円形なんです！」<br>と発表されたらどうなるのでしょうか。<br><br>②は見た目の感覚の話なので、「（丸く見えるけど）楕円かもしれない」となりそうです。<br>①については、現在の測定の精度が上がった（もしくは基準が変わった）んだな、<br>と、これも受け入れられそうです。<br><br>『科学』を根拠にしている限り、<br>「地球は丸くない！」と言っても受け入れられそうです。<br><br>では、「宇宙の誕生」についてはどうでしょうか？<br><br>よく聞く話だと、<br>135億年前くらいに「ビックバン」という現象が起こり、宇宙が誕生し、<br>そして、膨張し続けている、とのことです。<br><br>これも、もっともらしいのですが、<br>今のところ「ビックバン」がなぜ起こったかについては解明されていないみたいです。<br><br>■■■■■<br><br>一方で宗教や神話の価値観・世界観として、<br>創造主として『神』という存在があります。<br><br>しかしながら、（日本では特に）上記の話題で、<br>「ビックバンを起こしたのは『神』だ！やはり、世界を誕生させたのは『神』だ」<br>ということを言うと、正気の沙汰ではないように思われそうです。<br><br>神話などによる、世界の創世説はなかなかダイナミックで、<br>世界を説明する優れた物語であるのに…<br><br>■■■■■<br><br>ここで指摘したいことは３つあります。<br>①『科学の知』は変わっていく<br>②そして、常に、科学では説明不可能な部分が残される。<br>③そのような『科学』を絶対ものとして捉えていないだろうか<br><br>『科学』はある基準のもとでの観測結果・実験結果です。<br>基準が変われば、当然、結果も変わります。<br>ある基準とは、およそ人間が決めたものであり、<br>それは、技術革新、その他の要因で変わっていくことが容易に想像できます。<br><br>星の観測技術の向上により、<br>天動説から地動説にパラダイム転換が行われました。<br>現在の宇宙理論はその多くを相対性理論に因っています。<br>一方で、原子レベルの運動を説明する量子力学があります。<br>相対性理論と量子力学の矛盾を超ひも理論が解消しようとしています。<br>その先にどのような理論が展開されるかは、まだ分かりませんが、<br>私は、それでも、説明されえない部分は残る（というか、その理論によって見つかる）<br>のではないかと考えています。<br><br>つまり、科学の知は長い時間をかけて変容してしてきている。<br>そのことを、受け止めることが、<br>知識のある人や賢い人の態度なのではないかと思います。<br><br>■■■■■<br><br>宗教的神話は、現在では矛盾も多いし、受け入れ難い部分もある。<br>もちろん、科学の知識を捨てろとか、信じてはいけないと言うつもりもない。<br><br>しかしながら、「科学で証明された」ということが<br>まるで「鬼の首を取った」ことのように、また、絶対的なものとして<br>扱われてしまうことには、ある種の怖さを感じます。<br>（まるで、怪しい新興宗教に肩入れするような…）<br><br>■■■■■<br><br>変化していく社会、人間、心情<br>神はどこかで、変化を拒絶している。<br><br>（「一生」という時間の中では）変化しない（変化が見えにくい）科学<br>今までの社会、これからの社会を支えていくのも科学的な知識でしょう。<br><br>どちらもバランスよく活用していければと思います。<br><br>では
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<link>https://ameblo.jp/telecopain/entry-11293135420.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Jul 2012 11:10:37 +0900</pubDate>
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<title>消費税増税に関して</title>
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<![CDATA[ 久々の更新になってしましました。<br>（↑が決まり文句になりそうで怖い）<br><br>さて、明日、消費税の増税に向けた法案が可決されそうです。<br><br>暇にかまけて、なるべく国会討論を見てるのですが、<br><br>【賛成側の主張】<br>　賛Ａ　財政改革が必要<br>　　　　社会保障費の財源を赤字国債から税収へシフト（するための第一歩）<br>　<br>【反対側の主張】<br>　反①　デフレ期の増税は景気の悪化につながる。<br>　反②　民主党の公約違反<br><br>それぞれ、主張があるみたいですが、<br>細かいことは（理解できない部分もあるので）あまり言及しません。<br>ここでは大枠での話、理解できた範囲で述べたいと思います。<br><br>ちなみに、「賛成」の方の意見に関しては納得できるものがないので、<br>（というか、意味不明。それこそ理解できないので）<br>反対の立場寄りで、自分の考えを述べたいと思います。<br><br>■■■<br>可決しそうなので、<br>賛成側の反対意見への反論。<br><br>反①⇒賛①「待ったなし」の財政再建が必要。<br><br>僕の考え①　日本の財政って、そんなに悪いんだっけ？<br><br>　「世界一破産しない」と思われているから、国債の金利が低いんでしょ？<br>　（『日本は破たんしない』って理由はまたの回のブログで）<br><br>　そもそも、税収を上げたいのだったら、消費税である必要はないでしょ？<br>　経済政策でもいいし、優良企業の法人税を上げてもいいし。<br>　（法人税が低いことが、バブルの発生を誘導しているという考えもある）<br>　消費税を5%に引き上げてから、<br>　税収は下がり続けているという事実はどうなってるんでしょうか？<br><br>反②⇒賛②　任期中の増税ではない。そのため、法案が成立してから、<br>　　　「国民の信」を問うので責任をとれる。<br><br>僕の考え②<br>　これって、どういうこと？<br>　自民党（橋本政権）時代の5%にした増税は、<br>　その前の村山政権で大枠が決まっていたことなので、その時と同じ構造になるのでOK。<br>　っとまでは言ってないようですが、それでいいんでしょうか？<br>　それに今回は、前回と違って、減税策や、成長目標の規定がない…<br><br>（反論に対する反論を書いているので、読みにくいですね。すみません。）<br><br>■■■<br>大枠ではありますが、気になった点だけを書いてみました。<br><br>では
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<link>https://ameblo.jp/telecopain/entry-11287063014.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Jun 2012 23:39:53 +0900</pubDate>
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<title>共産主義、資本主義、その先に</title>
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<![CDATA[ 久々のブログの更新となってしまいました。<br><br>ブログを書き始めて、自分の知識のなさを痛感しつつ、<br>ちょっとでも（メモ的でも）書いていこうと改めて思います。<br><br>さて、今日は（も）ちょっとややこしい話。<br>共産主義と資本主義について書こうと思います。<br><br>簡単に言うと、個人レベルでは、<br>資本主義：収入＝利益（所得）<br>共産主義：収入＝税金⇒再分配（所得）<br><br>この時点で、共産主義は人間の欲望を満たすのに不十分です。<br>なぜかと言えば、人間には能力の差もあるし、<br>自己実現や「他人より優位に立ちたい」という欲求を否定しています。<br><br>その結果、労働意欲は低下します。<br>また、所得の再分配を行う政府などの役割も大きく、<br>政策ミスが大きな問題ともなります。<br><br>共産主義がうまくいかなくなることは歴史が証明していますね。<br><br><br>一方、資本主義は、<br>働いたら、働いた分だけ稼げる<br>能力の高い人が優位に立てる<br>労働がお金という対価によって評価されます。<br>生き物としての人間（弱肉強食）の本性に即していると思います。<br><br>ただし、こちらも歴史を見てみると分かる通り、うまくいかない部分もある。<br>システムのことだけ考えても、<br>究極的には弱者が搾取され続け、システム自体が回らなくなってしまいます。<br>労働や市場は無限ではないということを考えれば、<br>資本家の利益を支えている市場は労働者に支えられており、<br>労働者の搾取は市場の縮小になります。<br><br>最近（ここ15年くらい？）の新自由主義の流れは市場を他国に広げる考えですが、<br>これも価格競争と各国間の貧富の差から労働者の搾取に繋がります。<br><br><br>結局、現在はどの国も資本主義と共産主義の折衷案運用しているようです。<br><br><br>共産主義⇒×<br>ということを言う人に会ったことはありますが、<br>資本主義⇒×<br>ということをいう人はあまりいません。<br>（除く：共産主義の支持者）<br><br>共産主義でなければ、資本主義。<br>資本主義でなければ、共産主義。<br>こういう考え方、もうやめませんか？<br>どっちも限界があることは明らかじゃないんですか？<br><br>さて、では第３の道は何か。<br>一つは自給自足。<br>しかし、これでは現在の生活を維持してくことができないないのも明らか。<br>貨幣経済を否定して、物々交換で生きていくようなことはおそらく不可能でしょう。<br><br>現在の経済の行きつく先は国別の分業ではないかと思う。<br>日本国内でも、<br>工業製品を作るのが得意な地域、<br>もっといえば、それぞれの部品を製造する地域、<br>農業地域などなど、<br>地域よる分業、格差はできていると思う。<br><br>農業製品　⇒　アメリカ、フランス<br>工業部品　⇒　中国<br>工業組立　⇒　日本、ドイツ<br><br>など、やりたいことや職業によって国を住む国を選ぶ時代がやってくるかもしれませんね。<br><br>では
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<link>https://ameblo.jp/telecopain/entry-11232015921.html</link>
<pubDate>Tue, 24 Apr 2012 10:47:06 +0900</pubDate>
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<title>ecoとかロハスという経済</title>
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<![CDATA[ こんにちは。<br><br>今日久しぶりにラジオを聞いていました。<br>とある番組の中に「ロハストーク」というコーナーがあります。<br><br>しばらくぶりに聞いたのですが、<br>「こんなコーナーあったなぁ」と懐かしい反面、<br>「まだやっていたのかぁ」とも思いました。<br><br>私は以前から「eco」という言葉が嫌いです。<br>もっと嫌いなのは「地球にやさしく」。<br><br>地球はそんなにやわじゃない。<br>核兵器の一発や二発、地中に打ち込んでもびくともしないし、<br>（核っていうと物々しく、特に最近では腫れもの的ですね）<br>たとえ、平均気温が10℃上がろうが下がろうが、<br>地球がなくなるわけではない。<br><br>ただし、どちらの事態が起こった場合でも、<br>人間が現在と同じように生きていくのは難しいのでしょうね。<br><br>ってことは、それは<br>「人間にやさしく」ということ<br><br>過去の長い歴史上では、<br>恐竜が闊歩していた温暖な時期も、氷河に閉ざされた時代もあった（そうです）。<br><br>人間の営みに関係なく、そういう気候変動が起こることは分かっているのに、<br>自然災害　　　　　⇒　しょうがない（やや肯定的）<br>人の営み（人災）　⇒　許せない（完全に否定的）<br>というのは何かがおかしい気がします。<br><br>大局的に見れば、人間も自然の一部であるため、<br>その生き物が引き起こしたことも自然現象なのではないか。<br><br>（かなり大きな視点です。そして、人災を容認しているわけではないです）<br>（「人類滅亡」とか、<br>　とてつもなく大きな出来事はそんな視点もありうるということです）<br><br><br>自分としては、「eco」っていうのは感覚的に馴染まないのですが、<br>それでだけではなく、<br>「eco」「ロハス」という言葉が<br>経済活動のプロパガンダでしかないことに疑問を持ちます。<br><br><br>①新しいものを買うというeco<br>　　とりあえず、CO2ということになるのかもしれないが、<br>　　水準としては30年前位にしようということ。<br>　　それだと、単純にものの生産を減らせばいいんじゃないの？<br>　　使えるものは長く使って、<br>　　新しいものは極力増やさない方法もあるんじゃないの？<br><br>②eco・ロハスという多量消費<br>　　有名人で「ロハス」唱える人がいて、<br>　　ちょっと不便なところに別荘とか持っている。<br>　　ロハスな家は建材も古木とか。<br>　　その古木、建材と使えるようにするのに、<br>　　どれくらいエネルギーが必要なんですか？<br>　　そんな、誰も住まない様な場所に建材を運び、建築するのに<br>　　どれくらいのエネルギーが必要なんですか？<br>　　そして、有名人の生活、移動には<br>　　どれくらいエネルギーを消費しているんですか？<br><br>極論ですが、声高にecoとかロハスとかを叫ぶ有名人は<br>それを訴えながら、自分の腹を掻っ切るべきだと思う。<br>大量消費を行っている人間がお亡くなりになることで、どれだけ消費が減るかを<br>訴えている当人は自覚しているのだろうか。<br><br>（このことをしばらく前に友人に話したら、<br>　「そんなことはみんな分かっているけど、言わないのが『大人』なんだよ」<br>　とたしなめられました…）<br><br>昔読んだ、「欲望と資本主義」（佐伯啓思　講談社新書）に<br>「資本主義において、欲望自体が作られ、そして消費が生まれる」<br>というようなことが言葉があった（と思う）。<br><br>eco・ロハスも現在の社会の中での新たな『欲望』にしか思えない。<br><br>③「CO2」は商品<br>　　今となっては、CO2でさえ先物取引の商品なんですね。<br>　　僕は前々から温暖化は問題だと思ってませんが、<br>　　増加によって、温暖化が引き起こされるとされるCO2。<br>　　もし、その科学的根拠が否定されたとしたら、<br>　　世界的なCO2経済活動だけが残ってしまいますね。<br>　　（9割以上の研究者が、CO2の増加が温暖化を引き起こすわけではない<br>　　という話もある。<br>　　　<a href="http://erik.atnifty.com/mystery/m08121101" target="_blank"><u><font color="#0000FF">関連動画</font></u></a>　（勝手にリンク張ってすみません…） ）<br><br>以上、考えて生きていきたいですね。<br><br>では
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<link>https://ameblo.jp/telecopain/entry-11213908705.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Apr 2012 23:42:08 +0900</pubDate>
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<title>哲学概論　1回目　哲学じゃない『哲楽』</title>
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<![CDATA[ こんにちは。<br><br>もうすぐ4月ですね。<br>今年も『哲学科』という隔離病棟に<br>（世捨て人のレッテルを張られながら）<br>自らの意思、あるいは、不本意にも<br>入院（入学）される学生の方々がいらっしゃるのでしょうか。<br><br>私自身も大学時代に哲学科という所に所属していましたが、<br>哲学とは何かということについて書きたいと思います。<br><br>■■■<br><br>「哲学とは何か」というとき、<br>『philosophy』⇒　philo：愛する、sophy：知 or 学　（起源はラテン語）<br>ということが引き合いにだされます。<br><br>では、それはいったい何なのか。<br>文字通り、『知』を愛することが哲学なのか<br>『知』や『学』を愛した結果、<br>　学問のジャンル（生物学とか政治学とか）を打ち立てた人が哲学者なのか。<br><br>「知を愛する」といっても、全然具体的ではないし、<br>『哲学』という言葉の現在の使われ方や<br>そこから連想されるイメージ（ギリシャ哲学、インド哲学、経営哲学（！）など）<br>からはかけ離れているように思います。<br><br>■■■<br><br>一方で、日本語で『○○学』というとき、<br>それは、ある程度体系的にまとまった学問の一つの領域だと考えられます。<br>経済学　⇒　お金に関する学問<br>法学　　⇒　法律に関する学問<br>医学　　⇒　医療に関する学問<br>しかしながら、現在ではそれらはクロスオーバーし、<br>経済を考える上では法律や社会学（統計学）など、一つの分野では完結しません。<br><br>『○○学』というのは一つの立場（視点）を表す意味になっているように思います。<br><br>では、哲学とは『哲』に関する学問なのでしょうか。<br>確かに、昔の偉人である哲人について学び、その考え方を一つの視点とすることはできそうです。<br>しかし、いわゆる「哲人」たちの研究分野は多岐に渡り、<br>また、ある人とある人は反対の意見を述べている場合もあります。<br><br>それらを一つの学問領域として捉えるのは難しいように思います。<br><br>■■■<br><br>現在、一般的に『哲学』と言った時、2つの捉え方があると思います。<br>①哲人の考えたこと<br>②単純に一つの考え方（思考様式・思考回路）を表している（○○哲学）<br><br>あえて二つに分けましたが、どちらも『思想』と言えるのではないのでしょうか。<br><br>『考え方』というものを時間軸で捉えると、<br>過去のものは思想だと思います。<br><br>私たちは過去の思想を学ぶことによって、その知識や思考過程を獲得できます。<br>先ほど『哲人』と言いましたが、それらの人々は『思想家』と言い換えることもできます。<br>哲学を学ぶこととは『思想』を学ぶことに他ならいと思います。<br><br>■■■<br><br>さて、話は変わりますが、『音楽』という言葉があります。<br>これは学問の一種なのでしょうか。<br><br>『音楽』にも歴史があり、様々なジャンルもあります。<br>しかし、音楽を学ぶことを『音学』とは（なぜか）言いません。<br><br>それは音楽が根源的に「音を奏でること」だからだと思います。<br>音楽（の歴史や奏法）を学ぶことと<br>音楽を楽しむことは、基本的にはあまり関係がありません。<br>（もちろん、知識があった方がより楽しめる場合もありますが）<br><br>ここで哲学の話に戻すと、<br>私は、「哲学を学ぶ」ことと「哲学をする」こととはあまり関係がないと考えています。<br><br>「哲学をする」こととは何か<br>それは、簡単に言えば、「思い悩むこと」<br>もう少し言うと、<br>「ある問題に対して、その答えを出すために論理的に思考すること」<br>だと思います。<br><br>「なんで生まれたんだろう」<br>「『自分』って何者だろう」<br>「人はどうして生きて行くのだろう」<br>「死んだらどうなるのだろう」<br><br>小学生・中学生の頃の素朴な疑問ですが、<br>あらゆる可能性を検討しながら論理的に考え、<br>問いに対して答えを導こうと試行錯誤する思考の営み<br><br>その営みは知識がなくてできるし、<br>思考を始めた瞬間から（小学生でも）始まります。<br><br>私は、この営みを、哲学ではなく『哲楽』と言いたい。<br><br>『哲楽』とは誰にでもできるし、考え始めた瞬間から『哲楽』が始まる。<br>（音楽が音を出した瞬間に始まるように）<br><br>すべての哲学者はかつて『哲楽者』であったと考えられる。<br>それぞれの悩みの中で、もがき、研究し、ある解答を模索した。<br>その思考過程や解答が思想であり、もちろん、そこには、<br>私たちが学ぶに十分なものがある。<br><br>思想を学ぶことは大いに必要である。<br>しかし、それはあくまでも自分の『哲楽』を発展させるためであり、<br>答えを見つけるためではない。<br><br>言い換えれば、<br>過去の知識・思考過程（汎化されている）　⇒　思想（いわゆる哲学）<br>現在の思考（私的）　　⇒　　『哲楽』<br>ともいえます。<br><br>たとえ答えが陳腐でも、その過程のダイナミズムが『哲楽』である　と思う。<br><br>■■■<br><br>最後に一言。<br><br>しかしながら、『哲楽』を続けらる人は限られています。<br><br>①一部が哲学から分離され、他の学問領域になっている。<br>（「どうして生まれたの？」の解は生物学が答えてくれかもしれない）<br>②宗教の教えに満足できるかもしれない<br>③先人の思想を学ぶことで解決が得られる場合がある<br>④疑問への衝動が薄れていく<br><br>哲学科に入院する人の大半は③④の理由から無事に退院（卒業）します。<br>（退院できない人には特別病棟（大学院）が用意されているので<br>　文字通り入院（うまい！）してください）<br><br>私は退院（卒業）していますが（したから）、<br><br>みんな『哲楽』しようよ！楽しいから！！<br><br>と言って行きたいと思います。<br><br><br>では
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<link>https://ameblo.jp/telecopain/entry-11208072813.html</link>
<pubDate>Fri, 30 Mar 2012 12:14:49 +0900</pubDate>
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<title>右翼？　＜追記＞</title>
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<![CDATA[ 昨日、「自分の考えは偏ってるかも？」<br>みたいなことを書きましたが、<br><br>昨日は奇しくも（？）、防衛大学校の卒業式だったようですね。<br><br>高校の同級生で防衛大に行った人がいましたが、<br>どうして防衛大に行きたいのか、あの時は全く理解できなかったです。<br><br>でも、それも一つの考え方だな、と今は思えます。<br><br>右翼、左翼、あるけれど、<br>感情的にならず、また、短絡的（思考停止）にならず、<br>どちらの意見も受け止めていきたいと思います。<br><br><a href="http://www.youtube.com/watch?v=rY-_kWYS6hw&amp;feature=g-u-u&amp;context=G2ec4d75FUAAAAAAALAA" target="_blank"><u><font color="#0000FF">youtube 防衛大学校卒業式</font></u></a><br><br>では～
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<link>https://ameblo.jp/telecopain/entry-11201786046.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Mar 2012 23:47:24 +0900</pubDate>
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<title>右翼？</title>
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<![CDATA[ 最近、youtubeでですが、<br>スカパーの『チャンネル桜』の番組をよく見ます。<br><br>多々ある番組の中でも、ある議題に対して専門家を集めて行う討論番組が好きす。<br><br>幾人かの人がそれぞれの意見を述べて、<br>自分が知らなかったことを教えてもらっているような側面もあり、<br>大変面白いです。<br><br>以前ブログにも書いた『TPP』や日本経済に対しても、<br>『チャンネル桜』の討論会が興味を持ったきっかけにもなっています。<br><br>■■■<br><br>この『チャンネル桜』は、右翼系の番組という評価も受けいるようです。<br><br>討論会などの番組のでは、<br>政治家にしろ、評論家いにしろ、教授・研究者にしろ、<br>『保守系』という言葉を度々使っている場面が見受けられます。<br><br>『保守』の対義語は『革新』らしいですが、<br>『革新』の方は、今日はおいておきます。<br><br>で、『保守』についてですが、政治的にこの言葉が使われると、<br><br>右翼⇒天皇バンザイ、帝国主義、軍国主義<br><br>というイメージに繋がっているように思います。<br>（少なくとも私はそんなイメージを持ってしまいます）<br><br>でも、保守系と言っている人を擁護するわけではないですが、<br>彼らが『保守系』という言葉を使うとき、その根底には、（素直に受け止めれば、）<br>「日本人として、生きていきたい」<br>という気持ちがあることを感じます。<br><br>■■■<br><br>その気持ちは、海外（欧米圏）に留学をしていた経験から、<br>私にもよくわかります。<br><br>もちろん、海外での経験はとても勉強になりました。<br>日本に帰ってきたばかりのころは（たまに今もですが）、<br>電車などに乗ると「なんで、黄色人種ばかりなんだろ」と思っていたし、<br>そんな、日本が閉鎖的に見え、なんとなく嫌な時もあります。<br><br>しかし、日本の文化の中で育った自分としては、<br>日本の「礼」をする文化がとっても好きで、ハグとかビズは馴染めなく、<br>「やっぱり育った文化で生きていきたいなぁ」と思います。<br><br><br>「日本は素晴らしい」「日本人としての誇りを持っていたい」<br>なんてことを言うつもりは全くないですが、<br><br>生まれた土地を「好き」って言ってもいいよね　という気持ちは<br>普通のことだと思います。<br><br>そこから、<br>　日本は自衛隊ではなく、国軍を持つべき（個人的には賛成）<br>　農業を壊す、TPP反対　　　（農業だけではなくて、TPP参加は反対）<br>　韓流、偏向放送反対　　　（テレビはみないのであまり関係ない）<br>　男系天皇制、絶対堅持　　（よくわからないけど、天皇制に反対ではない）<br>　日の丸、君が代　素晴らしい　（これもよくわからないけど、反対ではない）<br>となると、「あれ、偏ってる？」とは思います。<br><br>そういう（右翼的な）意見を聴いていて、思うことは<br>「今まで、（右寄りな）意見の論拠については、あまり考えたことがなかったなぁ」<br>ということです。<br><br>番組に出ている人たち（先生方？）は私が見る限り、<br>理性的にものを考えて、意見を言っているように思います。<br><br>（右寄りな）意見に対して、賛同できると<br>「あれ、オレって右翼？」とか思ってしまってうのですが、<br>次の瞬間に、<br>「そう思ってしまうこと自体、左翼的な思想を持っているから？」<br>とも思います。<br><br>■■■<br><br>自分は昔から『右翼』という言葉になんとなく拒否反応があったように思います。<br>それは、教育のせいなのか、毎年『皇居カレンダー』飾る親への反発なのか<br>理由は分かりませんが、そこには、<br><br>保守　⇒　右翼　⇒　軍国主義　⇒　危険！<br><br>みたいに短絡的な思考をしてしまう部分があるように感じます。<br><br>だけど、冷静に考えると、このような考え方の方が思考停止だし、<br>全体主義に行きついてしまうような考え方だと思います。<br><br><br>自分は『右翼』でも『左翼』でもどちらでもいいんですが、<br>自分の知識と考えを元に、ものごとを判断していきたい。（なんとなくは嫌！）<br>とは思います。<br><br>最後に、『保守系』を好意的にとらえて一言。<br><br>『保守』と言うとき、<br>日本を伝統・歴史の中で捉えて、よい文化・社会を守っていこう<br>という視点があります。<br><br>その視点は、政治とか経済とか、国際社会での他国との接し方を考える上で<br>大切な視点だと思います。<br><br><br><br>なかなか長くなってしまいました。<br>では
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<link>https://ameblo.jp/telecopain/entry-11199861131.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Mar 2012 21:52:52 +0900</pubDate>
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<title>3.12</title>
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<![CDATA[ 昨日、書きたかったのですが、今日書きます。<br><br>■■■■■■■<br><br>東日本大震災が2011/3/11から一年。<br>3月11日にはいろいろな鎮魂のイベントが営まれたようですね。<br><br>都心で暮らし、幸運にも家から10キロ圏内で働く私としては、<br>3月11日は、<br>震災⇒怖い・不安⇒無事帰れてよかった。<br><br>その時は全体の情報が全然わからなくて、<br>どちらかといえば、家に帰れたという安堵感の方が大きかったです。<br><br>さて、一夜明けて、3月12日。<br>朝起きて何気なくつけてみたテレビ。<br>そこには今まで想像もしていなかったような光景が映し出されていました。<br><br>そこではじめて自分は被災者ではないことに気付き、<br>「被災地」の状況の悲惨さ、<br>安堵していた自分の小ささ、惨めさ、<br>涙があふれてきました。<br><br>時間を追うごとに増える行方不明者<br>原発での動向<br>そして、そんな過酷な状況の中でも救助される人たち<br><br>自分の想像力はなんて乏しかったのだろう。<br>そして、なんて無力なんだろう。<br><br>状況が分かれば分かるほど<br>切ない気持ちになり、そして溢れる涙。<br><br>1時間余りテレビに釘付けになってしまっていましたが、<br>このままではだめだと思い、テレビは押入れの奥にしまう。<br>（テレビはそれ以降、押入れにしまったままです）<br><br>ただ、やはり情報がないことも不安だったため、<br>ラジオを聴くことに。<br><br>そこでも繰り返される、被災状況。<br><br>近年、あの3月12日より泣いた日ない。<br><br>これからどうなるんだろう<br>漠然とした不安<br>自分には何ができるのだろう<br>何もできないかもしれない<br><br>自分も死んでいたかもしれない<br>これから死んでしまうのだろうか<br><br><br>その後、一人いるのが不安で、もう被災状況は聞きたくなく<br>知り合いがやっている喫茶店に居続けました。<br><br><br>あれから1年。<br><br>私はこの3月で仕事を辞めることに決めました。<br>理由は幾つかありますが、<br><br>あの時の漠然とした不安<br>何かやらなきゃ<br>今生きてることを感じていたい<br><br>その気持ちが現在の私の仕事とは合わないという感じが日に日に募り、<br>また、新たな可能性も模索してみたいという気持ちも混ざり始めました。<br><br>途中から自分が何が書きたいのか分からなくなっていますが、<br>この大震災が被災者ではない自分にも一つの転機となっているのは確かです。<br><br>最後に、被災された方々には心からお見舞い申し上げます。<br>
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<link>https://ameblo.jp/telecopain/entry-11191692840.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Mar 2012 19:35:31 +0900</pubDate>
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