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<title>カブーラのブログ</title>
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<description>政治経済のことなど最近考えたことをつらつらと書いていきます。コメント大募集です！さまざまな人のコメントお待ちしております</description>
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<title>歴史観が変わったお話</title>
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<![CDATA[ <h2><span style="font-size:1.96em;">近況報告</span></h2><p>絶賛ニートです。</p><p>とにかく暇なので本読んだり、ブログ書いたり、とにかくやれることをやっているような日々でございます。</p><p>7月には解放される…予定。</p><p>それまでは日々ブログを更新しつつ、つらつらと思ったことを書いていこうかな、と思っとります。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、あまりにも暇なので、Kindle unlimitedを使って、読みたい本がないかを探しております。</p><p>※Kindle unlimitedは月額1000円ほどで、一部の本が読み放題になる機能だよ！ぜひ使ってね！</p><p>ニートになってから読んでいるのは、ビジネス本、歴史本、漫画とかです。</p><p>こらそこ、漫画がメインだろとかいわない。笑</p><p>&nbsp;</p><h3><span style="font-size:1.96em;">・明治時代の価値観が変わった話</span></h3><p>最近、明治時代のことを扱った本を読みました。</p><p>（自分の下記の解釈だと、勘違いされるの嫌なんで、題名伏せてます。興味あればリクエストください）</p><p>これ、少し前に話題になったみたいなのだけど、改めて読んでみました。</p><p>すごいね、自分の中での歴史観が大きく転換される一冊でした。</p><p>&nbsp;</p><p>・明治維新が、テロリストによって行われた</p><p>・幕府は、諸外国と対等以上にわたっていた</p><p>・吉田松陰はテロリストを育てた</p><p>とか。</p><p>&nbsp;</p><p>初めて読んだとき、衝撃を覚えましたね。</p><p>だって、明治維新は幕末志士の志によって近代化して、それで植民地政策から逃れた</p><p>みたいな観念をもっていたから、はっきり衝撃だよね。</p><p>でも、なるほどそうだ、と思わされる内容が非常に多く歴史観が根底から覆されました。</p><p>&nbsp;</p><h3><span style="font-size:1.96em;">・関ケ原は実は短時間で決着がついていた？！</span></h3><p>最近、Youtubeで動画とかみることが多いのだけど、</p><p>関ケ原の戦いって、実は創作の部分が多いらしいね。</p><p>例えば、西軍から東軍に裏切った小早川秀秋に対して、徳川家康が放った鉄砲とか。</p><p>実は、これ後世の作り話らしいです。</p><p>しかも、実際の関ケ原の戦いは午前中に終わって、戦ったのは小規模な軍勢だったとか。</p><p>気になる人は、新説　関ケ原の戦いで調べてみて！</p><p>&nbsp;</p><p>いつの時代も勝者が歴史をつくるんだな～と改めて思いました。</p><p>ちなみにあまりにも暇だったので、直近で関ケ原に遊びに行きましたよ～～～（写真ないけど。）</p><p>&nbsp;</p><p>こうやって書いていく中で文章力とかついていけばいいよね。そんなことを思ったり。</p><p>こんな感じで徒然と思ったことを書いていければなあと思っとります。</p><p>あ～仕事早くしたい（社畜なみの感想）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tentizinn/entry-12383962753.html</link>
<pubDate>Fri, 15 Jun 2018 20:25:12 +0900</pubDate>
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<title>政治参加は必要か？</title>
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<![CDATA[ <p>久々の投稿ですみません！</p><br><p>今日は政治の必要性について考えたい。</p><br><p>このブログでも何回か言っているが、最近は個人化が進んできた。</p><br><p>この原因を私は豊かさにあると思っている。</p><br><p>原始時代、十分なものがなかった時代はどうしても共同体をつくって生計を立てる必要があった。</p><br><p>しかし、今はものが増えてきている。</p><br><p>そのため、私たちはわざわざ共同体に属する必要はだんだんなくなってきた。</p><br><p>個人化が進み、私たちは私達に関係のあること、興味のあることにのみ時間をさくようになってきた。</p><br><p>その結果として政治に関する私達の関心はおちてきている。</p><br><p>しかし、一般的通念として政治には参加するべきという意識がある。</p><br><p>それは本当か？</p><br><p>なぜ私達が政治に関与しないか、それは私たちの生活が政治によって大幅に左右されたり、大幅に阻害されるといったことがすくないからである。</p><br><p>それは反面個人個人がすきなことをできているということである。</p><br><p>その時間をわざわざ政治のためにつかう必要はあるのか？</p><br><p>自分の時間に使ったほうが有益ではないだろうか？</p><br><p>こういう話をすると、じゃあ誰が政治をするのか、という話になる。</p><br><p>それは興味のある人、関心がある人がやる。</p><br><p>また、社会に問題がおき、そして私達の生活に害が及べば、私たちは私達自身で政治にかかわるようになる。</p><br><p>1970代に国民が政治に関わったのはこのままでは危ない、と多くの人が感じたからである。</p><br><p>逆に言えば、今はそれがない、という事が言える。</p><br><p>どうであろうか？</p><br><br><br><p>このように一般的な通念も振り返ってみると怪しいことも多い。</p><br><p>通念に縛られすぎず、学びつつ、違和感を大事にしていくのはおもしろいことだと感じる今日このごろである。</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tentizinn/entry-11537141133.html</link>
<pubDate>Fri, 24 May 2013 19:33:43 +0900</pubDate>
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<title>続・自分の中での確信＠春休み</title>
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<![CDATA[ <p>今回もまた無駄話にお付き合いください・・・</p><br><p>前回は特に日本のような先進国においてGDP「国内総生産」の増加≠幸福度の増加ということについて論じたが、実際に幸せを測ることは無理である。</p><br><p>もちろんそれを試みようとした指標もあるにはあるが、幸福などというものは人によって違ってくるため普遍的な指標を作ろうとすること自体が無駄であるし、無理に測る必要はないと思う。</p><br><p>私の思う社会のあるべき姿とは、社会のなるたけ多くの人がその人なりの幸福をえられるような社会である。</p><br><p>昔であれば、あまりものが足りてなかったため、何かものを食べていきていくことそれ自体が重要であり、そのためにGDPの増加、つまりものの増加が必要とされた。</p><br><p>しかし、ものが足りてない状況はあまり幸せな状況でないと思われる。「ここで一部の人は高度成長時代は幸せであった、と述べるかもしれないが、それはおそらく将来への期待というものが大きかったからであると思う。このころはさらに生活がよくなるという希望があった。しかし、今はそれはあまりない。なぜならはじめからものが揃ってしまっているからである。そのため新しい何かのものに期待することはあまりできなくなっている。私達はおそらく新たな希望、幸福を持つ方法を模索しなければならないことはわかっていただけると思う。」</p><br><p>せっかくものが揃ってきたのであるから、もっとよい状態に社会をもっていくことができないか？これが私の根幹の部分の考え方である。</p><br><p>では、なるたけ多くの人がその人なりの幸福をえるにはどうすればいいのか。</p><br><p>私の考える一つの方法は個人をもっとつよくする、つまり教育する、ということである。</p><br><p>教育の中で自分のやりたいことを見つけたり、人生をどう過ごして行きたいのかを自分なりに見つけていけたりし、また教育の中で個々の力を強くすることで、それを叶える力をもたせる。</p><br><p>そうして主体的な個を創っていくのが私の理想でもある。</p><br><p>それは何しも大学までのことではない。</p><br><p>社会人になってもそういう主体的な生き方ができるようにしたい。</p><br><p>（ここでいう主体的というのは仕事に忙殺され、他のことをやる暇がなく辛い、というような状況があまりなく、仕事と自分のやりたいことを両立できている状況である。）</p><br><p>必ずしも労働第一ではないのである。</p><br><br><br><p>今日言ったことをまとめる。</p><br><p>社会のあるべき姿とはできるだけ多くの人が幸せな状況であり、それをつくるために教育の中で個々の希望を見つけ、強くすること。</p><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tentizinn/entry-11508004271.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Apr 2013 12:59:03 +0900</pubDate>
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<title>自分の中での確信＠春休み</title>
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<![CDATA[ <p>投稿が随分と久しぶりになってしまい、すみません！</p><br><p>今は春休み中なのですが、なかなか時間をとることができませんでしたorz</p><br><p>今日は春休み中に自分が思いつき、これからの指針となるであろう考えをみなさんに検討していただきたいと思っております・・・</p><br><p>また長文になると思いますが、どうぞよろしくおねがいします((+_+))</p><br><p>今の日本というものをみてみると、物質的にとても豊かになってきた。</p><br><p>確かに、生活保護を受ける人や、ホームレス等も存在はしているものの、世の中の多くの人は日々、なんとか生活できている。</p><br><p>今までの日本社会、また今でもある風潮なのだが、GDPの増加は、国民の幸福度の増加と同じものとして見られ続けてきた、つまり、GDPにより豊かさを図ろうとしてきた。</p><br><p>しかし、GDPではそれは図りきれないはずである。</p><br><br><p>※ここでGDPとは何か私なりの解釈も加えながら述べたい。</p><br><p>GDPとは、直訳すれば国内総生産、と一般に訳されるものである。</p><br><p>より正確には、付加価値の総額ともいわれるが、単純に言えば、最終生産物「それが生産のためには使われないもののこと。服とか、店で食べる料理など。そのため、糸や、小麦は除く」の総額である。</p><br><p>作ったものはもちろん売られる。「ただし売れなかったものも次期につかうもの、または失くなったものとして考える。」</p><br><p>こう考えると、最終生産物と最終支出はおなじである。</p><br><br><p>なぜGDPで図りきれないのかを私なりに解釈を述べたい。</p><br><p>例えば今、中国はGDPでは世界第二位である。</p><br><p>では、中国国民はみんな世界で二番目に幸せか？</p><br><p>答えは否である。</p><br><p>中国では急激な発達のために大気汚染がおき、またその発展のために（？）政府が国民を厳しく監視しており、また格差も激しい。</p><br><p>第一、ものが大量にあることが即幸せになるか、というとそうではない。</p><br><p>私も確かにお金を得て買いたいものもあるが、お金がかからないはずの将棋を友人としたり、こういうことを考えたりということをしているときも同じくらい幸せである。</p><br><p>このように考えるとGDPでは幸せは図れないということがわかると思う。</p><br><p>もちろんある程度のものは必要である。</p><br><p>生活必需品や最低限の食事は明らかに必要であるし、それがなければたいていの人は不幸、と感じるだろう。</p><br><p>しかし、今の日本社会でそのような事態はあまりなく、最低限のものは揃っている。</p><br><p>今必要なのはものの量をはかるためのお金によって図られるGDPではなく、その人なりの「幸福」をえられる指標がもとめられているのである。</p><br><p>ものを増やせば「つまりGDPを増やせば」幸せになるというのは今の世の中では幻想である。</p><br><br><p>今日言ったことをまとめると、GDPは今の日本社会にあまり重要視されるべきでなく、幸福という観念をもとにした指標が必要である、ということである。</p><br><br><br><p>今日はここまでにします。ここまで読んでくださってありがとうございました！！！！</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tentizinn/entry-11507823840.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Apr 2013 01:06:23 +0900</pubDate>
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<title>自由と平等</title>
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<![CDATA[ <p>今回は自由と平等について考えてみたいと思う。</p><br><p>現代社会の経済政策、教育政策などでは自由と平等の合間をいったりきたりしている。</p><br><p>経済でいえば福祉政策などを行う大きな政府は平等の考え方だし、規制緩和などを進める小さな政府は自由の考え方である。</p><br><p>このどちらに揺れるかは時代によって変わり、今はどちらかというと新自由主義的な空気が強い。</p><br><p>今日は自由と平等、その根本を探っていきたいと思う。</p><br><p>フランス革命以前の社会は人民は不自由であり、不平等であった。</p><br><p>フランス革命により社会の中の階級は崩され、平等な社会が実現された。</p><br><p>しかし、この自由と平等は両立することができない。</p><br><p>自由にしようとすると、どうしても競争が生まれる。</p><br><p>その競争の中でどうしても格差のようなものが生まれてしまう。</p><br><p>こうしてあっさりと平等は破られてしまう。</p><br><br><p>自由を擁護する理論の一つにダーウィンの進化論がある。</p><br><p>これによれば生物は競争し生き残ってきており、人間もその勝ち残った一種である、という理論である。</p><br><p>これに対し平等を擁護する理論はなにか？</p><br><p>私が見渡す限り、生物学上そのようなものは存在しないと思われる。</p><br><p>あくまで平等というのは人為的、倫理的なものではないか？</p><br><br><p>福沢諭吉は<span class="st">天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず、と述べたが実際はそうではない。</span></p><p><span class="st"><br></span></p><p><span class="st">生まれてきた環境によりその人の運命は決まってしまう。</span></p><p><span class="st"><br></span></p><p><span class="st">親が裕福であれば教育にお金を使ってもらえ勉強できるが、父親がたとえば暴力的であれば、その子は非行にはしってしまうかもしれない。</span></p><p><span class="st"><br></span></p><p><span class="st">これは極端な例だが、文化によって生き方が変わってくるのは事実である。</span></p><p><span class="st"><br></span></p><p><span class="st">完全な平等、というものは存在しないのである。</span></p><p><span class="st"><br></span></p><p><span class="st"><br></span></p><p><span class="st">話が行ったり来たりしてすみませんでした（汗</span></p><p><span class="st"><br></span></p><p><span class="st">またコメントなどあればよろしくお願いいたします。</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/tentizinn/entry-11451079318.html</link>
<pubDate>Thu, 17 Jan 2013 16:57:00 +0900</pubDate>
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<title>どうでもいいかもしれない構想</title>
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<![CDATA[ <p>２日間サボってすみません（汗</p><br><p>今日は最近考えていたよい社会構造について考えてみたい。</p><br><p>だいぶ歪んだところもあるのでご指摘があればぜひコメントお願いします！</p><br><p>このブログでもはじめのほうに述べたこととも少しかかわりがあるが、今の世界は国ごとに法律や経済が成り立っている。</p><br><p>かなり現実とかけ離れた理論となってしまうかもしれないが、私が理想としてみた社会は民族ごとやもっと小さい市民社会として社会がなりたっているものである。</p><br><p>なぜこの構想が生まれたかというと、まず一つに国は必要なのか、という問題がある。</p><br><p>最近でいう尖閣諸島の問題や、中国のチベット弾圧、民族国家が作れない最大民族クルド人などの様子を見たことがそう考えたことの一つの理由となった。</p><br><p>もう一つは今の衆愚政治をみて感じたことである。</p><br><p>国民一人一人が今は政治に関与しているとはいえないというのは前述べたとおりである。</p><br><p>しかし、これがもっと小さな単位になれば一人一人がもっと政治に関心が持てるのではないか、と思ったのである。</p><br><p>これらの２つのことからまとまりが作りやすい市民社会、民族社会を作るのがいいのではないかと思ったのである。</p><br><p>しかし、このままだと富の不平等が生じ、これは民族同士の対立につながってしまう。</p><br><p>またある民族でよくてもほかの民族ではだめだということもありうる。</p><br><p>そこで殺人をしないなど、最低限のルールを作るのである。</p><br><p>そして富の再分配、つまり世界の富をみんなで分け合うことを行うのである。</p><br><p>もちろん、これを現実にするのはあまりに難しい。</p><br><p>今の国々がそれを認めるとは考えにくい。</p><br><p>しかし、それも世界市民一人一人が自由と平等の思想をもてばもしかしたら可能なのではないかと思っている。</p>
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<pubDate>Tue, 15 Jan 2013 22:47:06 +0900</pubDate>
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<title>まおゆう　魔王勇者の第一話を見て…　</title>
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<![CDATA[ <p>突然ですが私はにこにこ動画をみるのが大好きですｗｗｗ</p><br><p>「おい、このブログのテーマは政治経済の雑考じゃないかｗｗｗ」、という声が聞こえてきそうですねｗｗｗ</p><br><p>先日、にこにこ動画を見ていたところ、アニメ「まおゆう　魔王勇者」の宣伝をする動画が乗っていました。</p><br><p>その動画をみていると、その動画の説明文に「政治経済の話もあって・・・」ということが書いてありました。</p><br><p>にこにこ動画では最新アニメを一週間無料でみることができるので「じゃあ、今度見てみるか」と思っていました。</p><br><p>今日は12時ごろに起きてあまりやることもなかったので朝からポケモンの動画を見ていました。</p><br><p>でも、それにだんだん飽きてきて、「そういえば昨日まおゆうのアニメが始まってたなぁ」</p><br><p>と思い、見てみることにしました。</p><br><p>これがなかなかおもしろい・・・</p><br><p>面白いうえに嬉しかったのは昨日私が考えていた、労働ともののバランスについてある一種の考えが述べられていたところです。</p><br><p>この話の上では戦争を通じてこの問題に対する一種の答えが示されていました。</p><br><p>戦争をすることで豊かな中央の国から援助が戦争地域であり、貧しい南部に行われる。</p><br><p>この援助にはいくつかの利点がある。</p><br><p>まず中央の国の産業はこの南部のほうに武器などを送れるため、その分の職が得られる。</p><br><p>これは日本の朝鮮特需など考えると、わかりやすいかもです。</p><br><p>朝鮮では第二次世界大戦後、戦争が勃発しました。</p><br><p>この時日本は多くの武器などを輸出しました。</p><br><p>これが戦後の日本の高度経済成長を支えたいったんともされています。</p><br><p>もう一つの利点は戦闘地域の南部に食料などが贈られ、南部の飢餓などが減る。</p><br><p>こんな利点があるわけです。</p><br><p>例を挙げてみるとこんな話です。</p><br><p>いま日本では物はありますが、雇用がありません。</p><br><p>しかしたとえば朝鮮で北朝鮮と韓国の間で戦争が起きたとします。</p><br><p>日本が韓国に支援することとなり、日本から韓国にいろんな物質が贈られることとなりました。</p><br><p>戦争では物を大量に消費します。</p><br><p>そのため、日本であまっているもの、たとえば米とかの需要が上がり、供給を増やしたい、ということになります。</p><br><p>すると、米が売れるようになります。</p><br><p>すると、今はそこまでお金が入ってるとは言えない農家にお金が回るようになります。</p><br><p>しかも、農家の数が足りないため、職も生まれます。</p><br><p>すると、農村に人が行くようになる…</p><br><p>これが農業以外でもこんな感じでいい循環が生まれることが予想されます。</p><br><p>こうしてみると、戦争、によってモノの流れがよくなり、また雇用が生まれることが分かってもらえると思います。</p><br><p>最後のほうはまた私の考えとなってしまいましたが、ぜひ「まおゆう」みなさんもみてみてください！</p>
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<pubDate>Sat, 12 Jan 2013 16:26:57 +0900</pubDate>
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<title>社会を変えるには</title>
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<![CDATA[ <p>今日、近くの本屋で「社会を変えるには」小熊英二著を買いました。</p><br><p>まだ、ほとんど読み始めなのですが、ところどころ感銘を受けるところがありました。</p><br><p>内容をまとめつつ、雑考していきたいと思います・・・</p><br><p>工業化社会とは</p><br><p>大量生産、大量雇用が行われ、労働者は巨大な労働組織に入り賃上げを図り、結果として大量生産した工業製品が高い賃金による購買力で売れ、安定した雇用を生むものである。</p><br><p>この時は女性は専業主婦になったり、上流階級では奥様とよばれるように、召使らに仕事をさせるなど自ら労働力とはならなかった。</p><br><p>またこの社会では政治も安定を見せる。</p><br><p>農民、自営業、社長は保守、労働組合は労働党、と二分され、とくに労働党は福祉政策を推し進めた。「このバッグには安定雇用と高賃金が存在する。」</p><br><p>短所としては画一された社会である、ということがあげられる。</p><br><p>逆にこの後に現れたポスト工業化社会とは、</p><br><p>情報化により、安い工場に発注が可能となったり、国内の賃金が高いため海外に行ったり、機械化により熟練工などは必要なく、非正規労働者がふえたり、情報産業、金融産業が盛んになったりした。</p><br><p>非正規が増えたことで労働組合の力は弱まったり、長期安定雇用でなくなることで税収が減り、福祉政策が進まなくなったり、安定した収入が得られず親元に長くいることになり、その環境にいたいためか晩婚化、少子化が進み、並立して起こる高齢化社会の負担も大きくなる。</p><br><p>一方、長所として自由はふえ、機会かなどの生産コストの低下などにより、いい商品を安く買えるようになった。</p><br><p>しかし、生産コストの低下はすなわち賃金の低下を意味する。</p><br><p>消費者にはいいが、労働者にとってはそこまでありがたくない。</p><br><p>しかし、このような社会では若者の幸福は高いといわれている。</p><br><p>理由は生活や仕事の厳しさがわからない、いいものが安く買える、自由がある、楽しみがおおい、などが考えられている。</p><br><p>そして今はポスト工業化社会と言われている。</p><br><p>・・・・こういわれると今は悪いことばかりですね。</p><br><p>すこし絶望してしまいました。</p><br><p>しかし、ポスト工業化社会も悪いことばかりではないはずです。</p><br><p>物は豊かになっているはずで、人がそんなに働かなくてもよい社会のはずだからです。</p><br><p>つまり、そんなに労働しなくてもよく、物が分配される世の中になればいいと思うのです。</p><br><p>解決策は税金をめっちゃあげて、それを分配して北欧社会のようにするか</p><br><p>すこし共産主義的にしていく、</p><br><p>というのが私の今思った二つの考えです。</p><br><p>しかし、まだはっきりとは言えません・・・・</p><br><p>何か意見があればぜひ教えてください。</p><br><br><p>あと、この本、いろんな角度から述べてあって面白いのでぜひ読んでみてください！</p><br>
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<pubDate>Fri, 11 Jan 2013 23:46:59 +0900</pubDate>
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<title>ナショナリズム雑考２</title>
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<![CDATA[ <p>歴史の本をよむのに相も変わらずはまっています。</p><br><p>今回もまたそこで思ったことを書いていきたいと思います。</p><br><p>今日はナショナリズムについて…</p><br><br><p>最近の日本人にあまりないナショナリズムについて分析してみる。</p><br><p>自分たちとはちがう民族に支配されるという経験があったとする。</p><br><p>この経験より、国民国家「自分たちの国家」をつくりたいと思うようになる。「↔その一方で欧米の近代化にすがりたいという気持ちもあり、この気持ちのためになかなか植民地で団結するのが難しいという意見もある。」</p><br><p>しかし、自分たちの国家を作るにはどうしても団結する、つまり仲間意識をつくらなければならない。「↔その一方でお前らとは仲良くしたくないという一派もでてき、この動きが独立後の紛争につながる。」</p><br><p>この仲間意識を作るのに一番簡単な方法は共通の敵をつくり、それを排除しようとすることである。</p><br><p>これがナショナリズムの形成ということができるのではないかと思う。</p><br><p>この考えをもとにすると、中国、韓国と日本のナショナリズムの違いを理解できる。</p><br><p>中国、韓国では日本による植民地経験が大きく、民族意識が高揚する。</p><br><p>しかし、日本にはそれがなく、高揚しない。</p><br><p>中国、韓国の政府による日本を悪いとする教育の根本には国を分裂させたくない、という一種の恐怖があるようにも思われる。</p><br><p>ただ中国、韓国のやってることはおかしいと思うのではなく、なぜそうなったのかをちゃんと私たちは理解しないといけない。「かくいう筆者も中国、韓国はあまり好きではないが・・・・」</p><br><br><br><p>昨日は更新できなくてすみませんでした（汗</p><br><p>またなにかあればコメントなどよろしくお願いします！！！</p>
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<pubDate>Fri, 11 Jan 2013 01:47:42 +0900</pubDate>
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<title>お知らせ＋南米が豊かでなかったわけ</title>
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<![CDATA[ <p>お知らせ</p><br><p>昨日までブログ管理についてあまり知らなかったので、コメントがアメーバに登録している人以外はできない設定になってたみたいです。</p><br><p>今までコメントしようとしてできなかった人には申し訳なかったです（汗</p><br><p>今日から変えましたのでどしどしコメントください！</p><br><p>それでは本編へ…</p><br><br><br><p>昨日も述べたが、最近世界史にはまっている。</p><br><p>今日はそれを読んでいて考えた、ラテンアメリカの貧富について雑考する。（かなり雑ですが、興味があれば読んでください。）</p><br><p>植民地時代の貿易は植民地の国に工業品を売りつけ、植民地から農産物を買うという構造だった。</p><br><p>しかし、この構造ではプランテーション経営と呼ばれるような一方的なものであった。</p><br><p>そのため植民地側の農民などの事情はあまり考えられず、貧富の差が広がっていった。（農民からの搾取）</p><br><p>実は戦間期に、アルゼンチンなどは世界でも有数の経済大国であった。</p><br><p>しかし、一次産業にもともと依存気味であったため、世界恐慌の大打撃を受けてしまい、今では発展途上国のひとつである。</p><br><p>その反省を生かし戦後、ラテンアメリカの国々は工業化を図る。</p><br><p>しかし、これもうまくいかない。</p><br><p>私も調べてみたが、理由はさまざまにあり、私も断定はできない。</p><br><p>ひとつには地主層の反発があげられる。</p><br><p>もうひとつはこれが輸入代替的工業化だったということがあげられる。</p><br><p>どういうことかというと今まで工業製品は輸入にたよっていた。</p><br><p>それを代替するものとして工業化したというところに問題があり、輸出をしないため、あまり経済は発展しなかった…のかもしれない。</p><br><p>その話はおいておくが、最近はレアアース、石油（とくに中東が原因のオイルショックなどの影響によって）などの需要があがり、そこをもとに最近は世界と勝負しようとしているようである。</p><br><br><p>調べた中で出てきた個人的な教訓としては貧富の差は対立を生み出す、ほかにもやはり昔の傷跡は大きく残るものだ、ということがあげられた。</p><br><p>個人的な感想として、一つの原因を探るだけでもこれほど苦労するものだとは思わなかった。</p><br><p>今では一つのことから単純に原因→結果となることばかりではないようである。</p><br><p>さまざまな事象が絡んで結果というものは起きてくるので今後気を付けたいと感じた。</p><br><br><br><br><p>今回は本当にひどい雑考となり、反省しております（泣</p><br><p>ロジカルシンキングをみにつけたいと思う今日この頃でございます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tentizinn/entry-11445575820.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Jan 2013 18:52:26 +0900</pubDate>
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