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<title>照幸与の「感謝と幸せ」のブログ</title>
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<description>感謝と笑顔に満ちた世の中を創りたい、そんな私の想いを実現するために、人としてあるべき姿、世の中の喜び、感銘を受けたことなどをこのブログで発信していきたいです</description>
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<title>日本人の誇り</title>
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<![CDATA[ 先日、ある会合で、地元にあるキリスト教系の学園の、校長先生のお話をお伺いする機会がありました。校長先生からは、部活動や進路のことなどの生徒の状況や、さらには生徒たちが広島の原爆の日の平和記念式典に参加したことなどが報告されました。先生のお話される様子は終止落ち着かれており、内容はキリスト教教育を軸とする広い愛の精神に満ち、会場全体が暖かい雰囲気につつまれました。<br>その時、ふと、私の隣に座った方が、「軸がある人って言うのはいいなあ」とつぶやかれました。確かに、校長先生をはじめとし、その学園はキリスト教を主軸とした教育を展開し、のびのびとしたあたたかな校風があります。<br><br>本来日本は、論語を始めとする四書五経学び、人格形成をしてきた国であります。敗戦による国家体制の変換により、それまでの教育内容が否定され、いわゆる知識を詰め込む「勉強」の内容が強化され、人格形成に必要な教育が排除されてきました。<br>戦後の復興や高度成長という時代では、「経済成長」という目標に向かって国民が　一致団結して邁進してきました。そういう国全体の方向性が一つに纏まっていた時は、それで事足りていたでしょう。<br><br>今の日本、そしてこれからはどうでしょうか。新興国や中国の成長、欧州やアメリカの経済不安、少子高齢化や国自治体の財政悪化など、日本が置かれている状況は閉塞的であり、かつての様な経済成長は見込められず、国全体の方向性が定まらなくなってきております。<br>そうすると、「経済成長」というスローガンを見失った状況の中、教育の場で人格形成を怠ってきた弊害が目立つ様になり、軸のない国民がムードに流されて政治家を選び、国家観や将来像のない政治家が、延命措置と自らの権力欲のために、国民に目を向けず党利党略のために妥協合意の連続する政治を行うようになります。故に、政治は安定せず、そして諸外国こあら隙を突かれ、領土問題も再燃してきます。<br>また、軸のない大人が子育てをし、軸のない日本人が再生産され、人の痛みを考えないおぞましい事件を起こしたりします。<br>そして、どこに進んでよいか方向性を失った日本が、日本人が、今、瀕死の瀬戸際に立っていると言っても過言ではないでしょう。<br><br>戦前の過ちは、教育を利用して軍国主義や戦争に突き進んだ一部の指導者であり、その教育自身ではなかったはずです。<br>今の日本に必要なことは、日本がこれからどんな国を目指し、そして世界に向けて何を発信して行くか、簡単に言えば今までの「経済成長」に代わる招待の国家像を再構築することです。<br>それを実現するために必要なことは、日本人の人格形成の軸を確率することです。例えば、欧米諸国であれば聖書であり、中東ではコーランなのかもしれません。私は「宗教が必要だ」ということが言いたいのではなく、それらの地域では、実際に聖書やコーランは人々の判断基準や国家の政策のベースになっている、ということが言いたいのです。<br>日本においては、やはり日本古来のものや、長く日本で親しまれている四書五経などが、それにあたるのかもしれません。そして、軸のある日本人が形成され、その中から志ある人が、リーダーたり得るのです。<br><br>今ならまだ間に合います。しかし、今を失すれば、次のチャンスはありません。このチャンスを生かし、日本人の誇りを取り戻せば、日本は必ずや、世界からの尊敬を集める国となることができます。<br><br>平成２４年９月２日
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<link>https://ameblo.jp/teruyukiyo/entry-11344115192.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Sep 2012 11:07:30 +0900</pubDate>
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<title>震災瓦礫の受け入れについて</title>
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<![CDATA[ 群馬県の「吾妻東部衛生施設組合」が、<br>東日本大震災で発生した瓦礫の本格受け入れを開始しました。<br>http://mainichi.jp/area/gunma/news/20120609ddlk10040203000c.html<br><br>他の地域でも瓦礫の受け入れが検討されており、<br>賛否両論様々な意見が出ております。<br><br>ここで、私の立場を言わせていただきます。<br>「受け入れ賛成」です。<br><br>理由その１<br><br>瓦礫の存在が、復興の妨げになっているからです。<br>私は震災後、4回ほど東北地方に行き、気仙沼市や南三陸町など、<br>津波の被害に遭われた地域を、自分の目で見てきました。<br>確かに徐々に家の形跡や放置された車などの処理が進んできたのはわかりました。<br>しかし、それらはどうやって「処理」されたかというと、<br>「脇に寄せられてまとめられている」だけなのです。<br>もちろん、その土地は「誰かの」土地なのでしょう。<br>そういった瓦礫が寄せられるだけで減らず、その土地の復興ができないのです。<br><br>理由その２<br><br>今こそ、日本人が昔から持つ、「助け合い」の精神を発揮する時だと思うのです。<br>上記の様に、困っている地域が東北地方に沢山あります。<br>そして、全国の自治体がほんの少しづつ、瓦礫の処理を受け入れてくれたのならば、<br>それが復興の一助となるのです。<br>いはば、「国難」といえる事態の中で、全国でできることを分かち合うことが必要なのではないでしょうか。<br><br>もちろん、無条件の「賛成」ではありません。<br>放射能などの安全性を確保した上でのという条件はクリアしなければなりません。<br>自治体職員の他にも、地域の方や市民の代表の方などが一緒に安全性を確認し、<br>それを書面に残し、データはインターネットなどでスピーディーに公表するなどをし、<br>誰もが納得できる方法で安全性を確認しなくてはならないのは、言うまでもありません。<br><br>震災に触れたついでに、現地を見た私の心を少し。<br>現地を見て、簡単に、「一日も早い復興をお祈りします」などと言えなくなりました。<br><br>津波により跡形もなく消え去った町。<br>瓦礫の処理が進まず、町の再建も緒に就かない。<br>一人一人の将来設計も何もかも、先が見通せない。<br><br>そいうった中で、何が復興と言えるのでしょうか？<br>町並みが戻ることなのでしょうか？<br>仮設住宅がなくなり、皆さんが新しい家に住み始めることができるのでしょうか？<br>残念ながら、私にはわかりません。<br>何が復興かわからず、まさに筆舌に尽くしがたい状況を目の当たりにし、<br>「一日も早い復興」という言葉が、私の中ではあまりにも軽く、あまりにも空虚なのです。<br><br>直接私ができることは少ないです。<br>多少の義援金<br>仕事を通じた復興<br>そして、全国で瓦礫処理を分かち合う呼びかけ<br>そんなことしか出来ません。<br>でも、一人でも多くの方が同じ想いを持って下されば、<br>その想いがつながり、大きくなっていくと信じています。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/teruyukiyo/entry-11275100031.html</link>
<pubDate>Mon, 11 Jun 2012 21:37:04 +0900</pubDate>
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<title>はじめまして</title>
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<![CDATA[ このブログをご覧になっている皆様、初めまして。「照幸与（てるゆきよ）」と申します。<br><br>私の人生には、「感謝と喜びに満ちた世の中を創る」という目標があります。<br><br>しかし、今日々流れてくるニュースはどうでしょうか？<br><br>・理由のない無差別的通り魔殺人事件<br>・人の弱みやお年寄りなどにつけこむ詐欺事件<br>・やるべき本質を忘れて政争に明け暮れる政治家<br><br>そんな、「感謝と喜び」とはほど遠いことが日々、耳に入ってきます。<br><br>そんな世の中を、私一人の力でどうやって変えていくことができるのだろうか？<br>私一人で何ができるのだろうか？<br><br>日々、そんな想いにとらわれていました。<br><br>しかし、ごく少ない人数でも良いから、同じ想いを共有していただけ、<br>そしてこのブログを見て、そんな人が一人でも増えたらよい、と想い、このブログを始めます。<br><br>幸い、世の中には、私を感動させてくれるような出来事があったり、<br>想いをもった人がまだまだいらっしゃいます。<br>そういったことや人を紹介したり、<br>また時には私が感動したり、逆に心を痛めたことなどを書き綴り、<br>そして、「あ、こんな風に考えている人がいるんだ」と思って下さる方がいらっしゃれば、幸いです。<br><br>私は、関東地方のある都市に住む男です。<br>昼間は仕事をし、夜は家でくつろいだり、時には好きな酒を飲みに出ています。<br>そして、「照幸与」という名前はペンネームで、本名ではありません。<br>なぜペンネームを使うかというと、本名を使った場合、リアルな私を知っている方が見れば、<br>私の想いとは裏腹に、私の立ち位置で物事を語っていると、誤解をされかねないことがあるかもしれないからです。<br>「匿名主義」というわけではありません。Facebookには本名と顔写真を晒しています。<br>本名を使うところでは表現しきれない私の真の想いを、あえて本名を使わないことにより、ストレートに伝えたいのです。ですから、「照幸与」は、矛盾する言い方ですが、「仮の人格を使った私の本音」なのです。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/teruyukiyo/entry-11266492115.html</link>
<pubDate>Fri, 01 Jun 2012 21:42:20 +0900</pubDate>
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