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<title>家族の話〜短かった闘病生活〜</title>
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<description>癌になった兄と、兄の看病をした家族の話。</description>
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<title>四十九日</title>
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<![CDATA[ お通夜の日。<div>我が家との交流が深かった従姉妹一家（伯母の妹の家庭）と我が家、そして伯母の彼氏だけでの家族葬にしました。</div><div>しばらく入浴出来てなかった兄は、ひとしきり綺麗にしてもらった際とても気持ちよさそうな顔をしていました。</div><div>斎場の方も、ご病気で亡くなった方が、ここまで安らかな顔をしているのは珍しいですよと言ってました。</div><div>兄の思い出話をしながら、泣きながらも賑やかなお通夜、お葬式になりました。</div><div>伯母も思う存分泣いたおかげか、最後には付き物が取れたような、スッキリとした表情をしていました。</div><div>「寂しいし悲しいけど、辛いまま生きていくよりは良かったのかもしれないね。」</div><div><br></div><div><br></div><div>兄の四十九日法要までは目まぐるしかったです。<div>死亡届の提出、各種手続き、遺品整理。</div><div>私も初めて知ったのですが、戸籍謄本は出生地に行かないと駄目なんですね。伯母と共にそれを取りに行ったり、親戚やご近所へ報告へ行ったり…。</div></div><div>兄の部屋はそのまま残す事になりました。</div><div><br></div><div>あっという間に四十九日法要を迎え、やっとここで一区切りだとホッとしました。</div><div><br></div><div>私は今、夜勤をメインに仕事をしているのですが、四十九日が過ぎたあと、そこで初めて寂しいと感じるようになりました。</div><div>喧嘩仲間や嫌いな人の方が居なくなると寂しく感じるものだと何かの漫画で読んだ事があります。まさにそのとおりだなと痛感しました。</div><div>夜勤は一人作業なので、余計にそう感じたのかもしれません。</div><div>そんな私を気遣って、配属店舗の違う後輩が遊びに来てくれたりしました。そのおかげで私はその寂しく感じる期間を乗り越えました。</div><div><br></div><div>兄が亡くなって三ヶ月が経とうとしています。</div><div>今はやっともとの生活に戻り、家族と笑顔で毎日を過ごしています。</div><div>兄は決して良い人ではなかったけれど、大事な家族の一員だったと思えるようになりました。</div><div><br></div><div>以上で終わります。</div><div>今後は何かあった時に本当の日記感覚で書こうと思います。</div>
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<pubDate>Sun, 16 Jun 2019 02:52:03 +0900</pubDate>
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<title>兄の最期の言葉</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div>兄は息を引き取っていました。</div><div>私が最後に兄が生きていることを確認できたのは九時だったので、たった二時間の間に、兄は逝ってしまったのです。</div><div>祖母は痛む膝をついて兄にすがりついて居ました。</div><div>私は急いで伯母と、身近な親戚、兄の親友、そして母に知らせました。</div><div>伯母に会えない母には辛かったでしょうが、しばらくは家に来ないで欲しいと頼みました。</div><div><br></div><div>なるべく早くとタクシーで返ってきた伯母は荷物を放り投げ、眠る兄のもとへ。</div><div>そこで死亡診断の出来る医師が到着し、正式に臨終を告げられました。</div><div>兄の33歳の誕生日から、丁度一ヶ月。</div><div>癌が発覚してからは、たったの八ヶ月でした。</div><div><br></div><div>伯母の話だと、兄の最期の言葉は</div><div>薬を飲ませて、何気なく言った伯母の「頑張ろうな」という言葉に対する返事だったそうです。</div><div>「もう何を頑張ればいいの」</div><div>そう言ったそうです。</div><div>そうです、表には出してなかったけど、兄は精一杯頑張っていたんです。</div><div>あの日泣き喚いた兄はきっと、自分の死期を悟ったのでしょう。</div><div>まだまだ生きたかったはずです。やりたい事も山ほどあったと思います。</div><div><br></div><div><br></div><div>通夜と葬式を済ませ、燃えていく兄を見ながら、私は遺品となってしまった兄のスマホを見ていました。</div><div>彼女へも連絡しました。</div><div><br></div><div>兄のスマホには、驚くほど何も入ってはいませんでした。</div><div>画像も、連絡先も、メールの履歴からラインのトーク画面、何も無かったんです。</div><div>あったのは最後に家族で撮った写真と愛犬の写真、彼女の連絡先と兄の親友の連絡先のみでした。</div><div>死ぬ事を悟って消していたのだと思います。</div><div>涙が止まりませんでした。あんなに嫌いな兄でも、血の繋がった家族でした。</div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/tesotesota24/entry-12480510785.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Jun 2019 06:08:31 +0900</pubDate>
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<title>その時が訪れた</title>
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<![CDATA[ それから兄はみるみるうちに衰弱していきました。<div>吐き気で固形物は無理と言うので買い込んだゼリーも、兄が好きで毎日飲んでいたジュースも。</div><div>痛みのせいで寝返りが出来ず、褥瘡まで出来ました。</div><div><br></div><div>急遽訪問看護の先生から、点滴と、モルヒネの処方を提案され受ける事になりました。</div><div>モルヒネを飲んだ兄の意識は朦朧として、幻覚が見えるのか時折何かを探すような、そんな手の動きをしていました。</div><div><br></div><div>ある日の事です。</div><div>夜3時頃でした、突然兄の部屋から嗚咽が聞こえ始めたのです。寝ていた私達が目を覚ますほどのものでした。</div><div>私と伯母が兄の部屋へ行くと、兄は膝をついて号泣していました。</div><div>どうしたの、そんな伯母の言葉に何も答えず、ただただ泣いていました。</div><div>兄の泣いている姿を、私は初めて見ました。</div><div><br></div><div>その後2日にわたり、伯母は仕事を休み兄の看病をしました。</div><div><br></div><div>あれから三日目。</div><div>朝に伯母が兄の部屋に入ると、兄はベッドから落ちたのか、床に寝ていたそうです。</div><div>大丈夫か？ベッド戻ろう。と声をかけたら、うん、とだけ返ってきて、抱えようとすると痛がるので、とりあえず床に布団を敷き、そこに寝かせてあげたそうです。</div><div>薬は飲ませたから、看護師さんが来たら一緒に移動させてあげて、と休みだった私に言い残し仕事へと向かいました。</div><div><br></div><div>私は看護師の到着を待ちました。</div><div><br></div><div>11時。看護師が訪れました。</div><div>私は事情を話し、看護師と共に兄の部屋へ。</div><div>いつものように兄に声をかける看護師。しかし返事はありませんでした。</div><div>私は、熟睡だなぁ、くらいにしか思ってませんでした。</div><div>しかし看護師が慌てたように兄の肩を叩き始めたんです。</div><div>それで、それがどういう状況なのか察しました。</div><div>「ばーちゃん、ばーちゃん早く来て！」</div><div>一階に居る祖母を大声で呼びました。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/tesotesota24/entry-12480500790.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Jun 2019 05:17:18 +0900</pubDate>
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<title>自宅療養</title>
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<![CDATA[ 兄には余命の事は話しませんでした。<div>と言うのも、余命を知ってそのショックで早まるのを伯母が恐れたからです。</div><div>しかし治療が出来ないと言うことは兄は知ってましたので、今後ホスピスに入るか自宅に帰るかを訪ねました。</div><div><br></div><div>兄は自宅を希望しました。</div><div><br></div><div>もしかしたら兄も何となく、悟っていたのかもしれません。</div><div><br></div><div>自宅に帰った兄は、最初は食べたい物を食べ、居間にもよく顔を出し、友人と会ったりもしていて、楽しそうに過ごしていました。</div><div>だから私達も安心していたのです。</div><div><br></div><div>しかし、治療をしていないのですから当然なのですが、状況は悪化していく一方。</div><div>痛み止めの副作用で、兄は常に吐き気を訴えるようになりました。</div><div>また、臀部に出てきていた腫瘍も広大化し、陰茎部にまで広がっていたせいで尿意や便意の感覚がなくなっていきました。</div><div>一応、訪問看護は受けていたのですが、それも週に4回のみなので、家族がその面倒を見ることに。</div><div>私は介護の資格を持っていたのですが、やはり妹というのに抵抗があったのか、兄は私には下の世話はさせたくないと言いました。</div><div>なのでそこは伯母に任せ、その他の事を私が担っていました。</div><div><br></div><div>尿や便の世話をされていることで兄は意気消沈し、ほとんど寝たきりになりました。</div><div><br></div><div>「臭いがひどくて眠れないから、布団を新調して欲しい。」</div><div><br></div><div>これが兄の最期の我儘でした。</div>
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<pubDate>Sat, 15 Jun 2019 04:54:12 +0900</pubDate>
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<title>余命宣告</title>
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<![CDATA[ ケースワーカーの話はこうです。<div><br></div><div>やはり血小板の関係で治療を進めることが出来ず、これからは悪化していく癌の痛みを取る事に専念しましょう。</div><div>ホスピスのある病院を紹介します。</div><div>詳しい事は、そのホスピスで説明があります。</div><div><br></div><div>紹介されたホスピスはとても綺麗で環境が良いところでした。</div><div>でもそんな事を気にしてる余裕は私達にはありませんでした。</div><div>ホスピスの担当医から説明があり、入院日の希望を聞かれました。</div><div>「最終的に入院するかどうかは本人の希望を聞きましょう、濁しても残酷なだけなのではっきり言いますが、もうあとは命が尽きるのを待つだけになります。このホスピスで最後を迎えるか、自宅で最後を迎えるか、本人の意思で決めてもらった方が良いです。」</div><div>「所謂余命、ですが、正直言って一年は持ちません。例えば食事を摂らなくなれば極端に早まったりします。また、ホスピスでの治療は俗に言う麻薬、モルヒネですね、それを使用しますので、意識は朦朧としてまともな会話も出来なくなると思われます。本人にとっても、ご家族さんにとっても、最良の選択をして下さい。」</div><div><br></div><div>伯母は泣き崩れました。</div><div>私はその時はまだ、「あぁ…一年もたないのか」程度しか感じませんでした。</div>
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<pubDate>Sat, 15 Jun 2019 04:28:24 +0900</pubDate>
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<title>急悪化</title>
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<![CDATA[ 大学病院での入院生活も慣れた頃です。<div>肛門管癌の方が急激に悪化し始めました。</div><div>ボコボコと表面に瘡蓋のように表れ、異臭を発するようになりました。</div><div>膿が出たり、血が出たり、また血小板数値が低いため血が止まらず貧血で倒れたりしていました。</div><div>切ったりは出来ないのかと相談しましたが、切ったらまた血が止まらず最悪そのまま命を落とすリスクがある事、おそらく前の病院で進行し過ぎてしまったことが理由でそれは出来ないと言われました。</div><div><br></div><div>あまりに臭いが酷いので個室に移され、臭いのせいで食欲を無くし、兄はどんどんとやせ細って行きました。</div><div><br></div><div>そのまましばらくして、ケースワーカーに呼ばれました。</div><div>兄無しで、との事で、私は察しました。</div><div>あぁ、ついに…。</div><div><br></div><div>余命宣告です。</div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/tesotesota24/entry-12480479832.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Jun 2019 03:55:04 +0900</pubDate>
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<title>癌特化の大学病院へ</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div>紹介を受け、こちらでは有名な癌を得意とした大学病院への転院が決まりました。</div><div><br></div><div>まず診察をうけ、現在どのような状況かを説明し、入院の説明と治療方針の説明を聞きました。</div><div>兄はそういったものが苦手なので、全て私が聞き、伯母に報告していました。伯母は一家の大黒柱なので、伯母に無理はさせたくなかったんです。</div><div><br></div><div>担当医は、確かにとても珍しいケースなので難しいですが、やれる事は全てやりましょう、と。その言葉だけでもその時は救われた気がしました。</div><div><br></div><div>入院してしばらくし、担当医から、お兄さんがご飯を食べてくれないとの話が。</div><div>兄は度がつく偏食家で、病院食は嫌いな物ばかりで食べたくないと駄々を捏ねている様子。こんな時に我儘言うな、と誰もが思っていたと思います。</div><div>そこで担当医から、もう病院食じゃなくてもいいから、とにかくご飯は食べてくれと言われ、兄はその日からコンビニでご飯を買うように。</div><div>私達家族は各々の休みに病院へいき、ご飯代を渡す、といった感じに。</div><div>それが約四ヶ月程続きました。</div>
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<pubDate>Fri, 14 Jun 2019 04:21:22 +0900</pubDate>
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<title>限界</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div>最初に限界が訪れたのは私でした。</div><div>店長として仕事に追われ、帰りには兄のもとへ看病と着替えの回収、家に帰っても職場からの電話が多く、精神的にも肉体的にも疲れ、仕事がおざなりになってしまいました。</div><div>ある日上司から、最近仕事に身が入ってない、適当になったんじゃないかとお叱りを受け、そこで全て溢れ出てしまったのです。</div><div>今までどれだけキツイ事を言われてもへこたれなかった私が初めて上司の前で大泣きしてしまいました。</div><div><br></div><div>どうしたんだ、何かあったのなら話せ、聞いても良い内容か？と言ってくれた上司に全て話しました。</div><div>そして、このままでは店長としてやっていける自信もない、だから辞めさせて欲しい、と。</div><div>仕事は好きで、この会社も好きでした。辞めたくはなかったんです、本当は。でも家族も捨てる事が出来ない私が出した結論でした。</div><div><br></div><div>けど上司は、辞めなくてもいい、元よりアルバイトの方が多い業界なのだから、一度アルバイトに戻るってのはどう？辛くない程度に来ればいい、お兄さんの治療費だって必要なんだからと言ってくれて、雇用形態を変えて働くことを許可してくれました。</div><div><br></div><div>それからは兄の事、家族の事を優先して生活しました。</div><div><br></div><div>入院して2ヶ月程でしょうか、兄の担当医から病院に来るようにと連絡を受けました。</div><div><br></div><div>「色々検査した結果、この二箇所の癌、転移ではなくそれぞれが別の癌細胞だと言う事がわかりました。」</div><div><br></div><div>病気に詳しくない私達は、それを聞いても何が問題なのか全くわかりませんでした。</div><div>曰く、別の癌細胞が同時に出るのは珍しい事、糖尿病と相まって治療が難しい事、このケースの癌を経験した医師が病院に居ないこと、</div><div>そしてさらに発覚した、兄の体質。</div><div>抗がん剤に滅法弱く、一度の抗がん剤治療で血小板数値が一気に下がり、しばらく治療を進めることが出来なくなる事。</div><div><br></div><div>そのため、当病院ではこれ以上の治療が出来ない、と言われました。</div><div>何故もっと早く言ってくれなかったのか、2ヶ月何をしていたのか、今となっては言いたいことが山ほど出てきますが、当時はもう何も考えられませんでした。</div>
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<pubDate>Fri, 14 Jun 2019 04:02:10 +0900</pubDate>
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<title>兄、癌になる</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div>兄がアルバイトを始めて数カ月の事です。</div><div>「お尻から血が出て止まらない」と兄が言いました。</div><div>前々から臀部にイボのような物がよく出来ていて、何度か切除もしていたので、またそれだろうと思っていました。</div><div>が、病院に行くと医者はなにやら渋い顔で、「もしかすると他に原因があるのかもしれない、検査しましょう。」と。</div><div><br></div><div>その結果は癌でした。</div><div>肛門管癌という、珍しい癌だそうです。</div><div>更に詳しく検査するために兄はペット検査を受ける事となりました。</div><div>6月の、台風の日でした。</div><div><br></div><div>ペット検査の結果は更に家族をどん底に落とすものでした。</div><div><br></div><div>肛門管と肝臓の2箇所に癌。肝臓には7つもの腫瘍があったのです。</div><div>ステージは4。</div><div>絶望でした。伯母も祖母も愕然とし、当人である兄だけがケロッとしていました。</div><div><br></div><div>すぐに入院が決まり、兄は家の近くの大きな病院へ。</div><div>そこから家族全員、慌ただしい日々が始まりました。</div>
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<pubDate>Fri, 14 Jun 2019 03:51:05 +0900</pubDate>
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<title>兄、糖尿病になる</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div>私はその年、就職した会社でパワハラを受け、それをきっかけに辞め、アルバイトをして生活していました。</div><div>元よりボーナスも無く、有給もあまり取れないような職場だったのと、給料も良いとは言えない職場だったので、アルバイトでもそこまで大差ないくらいの稼ぎは有りました。</div><div>そしてそこでの努力が報われ、正社員にしてもらえることになったのです。</div><div>正社員になり、店を一店舗任されるようになって、全てうまくいっていると思っていた時です、</div><div><br></div><div>兄が、目の違和感を訴え病院へ。</div><div>結果は糖尿病でした。</div><div><br></div><div>しかし、兄はまるで他人事のように、まだ初期やし、と生活を改める事はしませんでした。</div><div>その頃には私も兄への関心がなくなっていて、どちらかと言えば居なくなってほしいとすら思っていたので口を挟みませんでした。</div><div>兄は短気なので、あまり口煩く言うと物を壊したりと手が付けられなくなる為、伯母も祖母も何も言いませんでした。</div><div><br></div><div>その後も私は仕事に集中し、休み無く働いていました。</div><div>そうして3年ほどたった頃、なんとあの兄がやっと働き出したんです。</div><div>どうやらネットを通して彼女が出来たようで、アルバイトでしたが真面目に働いていました。</div><div><br></div><div>しかしそれも、一年ともちませんでした。</div>
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<link>https://ameblo.jp/tesotesota24/entry-12479972151.html</link>
<pubDate>Fri, 14 Jun 2019 03:40:23 +0900</pubDate>
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