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<title>人間関係活性法</title>
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<description>　親子、教師と生徒、友人同士、夫婦間などのどこにも「関係不全」が目立ちます。　関係不全をキーワードに、その活性法を紹介します。</description>
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<title>対話の活性化</title>
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<![CDATA[ <font color="#00BFFF">人の行為を分析すると、その質の濃淡があります。高い質の行為から質の低い行為まであり、その質の向上を目指す必要があります。<br>その行為の質を　AQ　（Activity   Quality）と言います。これは知能指数（IQ）や感性指数（EQ)と同じように考えられます。<br>人の行為にはさまざまな側面がありますが、今日は対話の質→対話の活性化を感上げましょう。<br>会社での深刻な会議から井戸端会議まであります。<br>その対話によって、どれだけの合意ができ、次なる課題が検証されたかがAQを決めます。<br>そのAQは、主席者の意識の高さと比例してきます。また、発言者が暗黙知をどれだけ紹介するかによっても会議のAQは変わってくるでしょう。<br><br>子どもとの何気ない話し合いにも、じつはAQがあります。<br><br>忙しい現在は「勉強しなさい」「○○をしなさい」などの命令調が増える傾向にありますが、これは対話ではありません。話し合うことによって相互が理解度を深めることが肝要です。そのために心がこもっていれば対話のAQは高まります。<br><br>よく、「今の子どもたちとは話が合わない」と言うのを聞きますが、それはそれまでの親子の対話のAQの低さが原因していることが多いのです。<br><br>親が子どもに伝えたいことを、しっかりと伝えておくこと。子どもの言い分をしっかり聞くこと。そして、是々非々をお互いに納得し合っていることが不可欠です。<br><br>「ゲーム機を買って」という子どもに「ダメ」と言っても、それまでに対話の積み重ねがないと「みんなが持っている」という殺し文句で親は言うことばを失ってしまいます。次には、悪いと知りつつゲーム機を買って与えることになります。<br><br>AQの低い対話は、このような悲劇をもたらします。</font>
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<link>https://ameblo.jp/tetras/entry-10071658275.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Feb 2008 17:23:37 +0900</pubDate>
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<title>拝金主義から人間性の社会へ</title>
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<![CDATA[ <font color="blue">近ごろ、日本の伝統文化が見直される傾向にあります。<br>　工芸部門では手作りが重んじられてきましたが、生活雑貨は大量生産品に制覇されていました。しかし、どういういたずらか原油高の中での石油の高騰で暖房費が高くついています。<br>　そこで「湯たんぽ」が大もてなのだそうです。これなど「ウォームビズ」の代表格ではないでしょうか。ブリキの湯たんぽを作る工場は大忙しのようです。このような話を聞くと先人の知恵が少し見直されているようでうれしくなります。<br>　高度成長期の日本は消費社会であり、使い捨て文化が主流を占めています。だが、環境の保護という新しい課題が出てきて、日本ばかりでなく使い捨てには反省の声が高くなっているようです。<br>　お金至上主義と言われたホリエモン氏が、司直の手で裁かれる段になって、お金で買えないものについての認識は高くなっていると思われます。<br>　働く女性が多くなって少子化には拍車がかかっていますが、経済と生活文化のバランスについてもっと考える機会が多くなると、お金という微視的なものから、人間としての生き方という巨視的な考え方がされるようになるはずだと思っています。<br>　お金という概念は刹那的な生き方にとっては最重要なものですが、「人の一生」がお金で縛られていることは嘆かわしいことのように思います。<br><br>　動物は人間ばかりでなく親の庇護のもとで育つことが当然になっているものが大部分です。しかし、現在でも小学校が放課になっても家に親がいないから帰宅できないでいる子どもは多いのです。そのために学童保育などの施設が作られていますが、その子どもたちは果たして幸せなのかは論じられません。それはむしろ禁句なのかも知れません。<br>　はっきりと言えることは保育施設に向かう子どもたちの心は決して晴れていないと言うことなのです。まっすぐ帰宅できる子を、本当にうらやましそうに見ています。このような気持ちをもって過ごしているわが子について、働いているお母さんはそれを十分に分かってあげているでしょうか？<br>　それはお母さんが働かなければならない環境の家庭も必ずあることは事実です。しかし、どんなに経済的に貧していようと子育てをしている間は、親の義務として子どもが健全な精神を持って持って成長するように最大の注意を払うべきだと思うのです。<br><br>　話がちぐはぐに聞こえそうですが、私が言いたいのはお金がすべてではないと言うことです。また、私たちの先人が豊かではない生活の中で残していった知恵は実に膨大にあります。それに目が注がれない時代がここのところ続いていることだけは、はっきりと認識すべきだと思うのです。<br>　それは前述した工芸などだけではなく、広い範囲に渡って多くの知恵の遺産があるのです。貧しくても明るく生きた先人たちの知恵は決して貧困時代のかわいそうな話だけではないと思います。<br>　その辺の理解に「ねじれ」があるように思えます。<br>　そのいい例が、今の子どもたちはだれのために勉強していると思っているでしょうか。多くの子が「先生に、親に勉強をやらされている」と思っているのです。これでは勉強に熱が入らないのは当然でしょう。<br>　人は自ら見つけた目標があれば努力します。しかし、人から与えられた目標に対しては消極的であり、批判も多くなります。これは個人主義がわがままになり利己主義になっているためですが、人の本性を考えると「個」として独立して生きていくことは出来ないのです。<br>　そうであれば、まわりの人と手をつなぐことは当然になります。と言うことは「まわりの人の言うことにも耳を傾ける」と言うことにつながります。自己主張だけでは世の中成立しないのです。この辺から、先人に学ぶという発想も当然出てきますし、それこそ「原点に還れ」と言うことだと思うのです。<br>　自分を大事にすることは重要ですが、同時にまわりも大事にしなければならないことをもっともっと意識しなければならない時代であると考えています。分かっているようで、それを自分の生活に生かせないのが現状ではないでしょうか。<br>　拝金主義から人間性の社会へ是非とも回帰しなければならないと考えます。 </font>
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<link>https://ameblo.jp/tetras/entry-10009046990.html</link>
<pubDate>Mon, 13 Feb 2006 13:07:12 +0900</pubDate>
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<title>地域力・向こう三軒両隣は復活するか？</title>
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<![CDATA[ <font color="olive">　バブル崩壊前のマンションブームの頃都会では「近所づきあいの煩わしさがなくていい」とマンションが大もてだった。それが核家族化に拍車をかけた。<br>　人と交わらない生活は一見合理的で現代的に見えていた。しかし、それでよかったのだろうか？登下校中の子どもの災禍、友だち関係の構築が出来ない子どもの増加で学校は頭を抱えている。<br>　人付き合いはむかしから悩ましいものだった。そこから「外聞悪い」という自己規制の倫理も出来ていった。<br>　人は小金が出来て、自分で生きていけるようになると他人との強調の必要性を感じなくなる。それどころか、人付き合いが煩わしくなるらしい。<br>　こうして「利己的生活万能」の時代が出来てしまった。しかし、ここに来て度重なる地震や大雨、豪雪と天は人に試練の鉄槌を下しているかに見える。それはまさしく「人は一人では生きて行けない」という天の声に思えてくる。<br><br>　いま、学校では相変わらず成績至上主義がまかり通っている。その結果、少なくても１割の子どもは、成績競争から振り切られ、劣等感の塊になっている。<br>　若年非行、ドラック、ニートの若者たちは、その何からの競争に敗れた、負け組なのである。記憶力がいい。たった、それだけのことで勝った負けたと簡単に割り切られては、子どもたちも浮かぶ瀬がないだろう。<br>　幸い、ここに来てスポーツや芸術の分野で卓越した若者が続出し始めている。子どもの才能と可能性は計り知れないものである。その芽をつぶしてきたのは、学歴志向と金持ち志向への大人たちの盲信であろう。<br>　そう、今の親たちはマンション家族であり近所との相互扶助の習慣を覚えていない世代である。大人もまた、人間関係に疎いのである。<br>　近所のどぶさらいや空き地の除草作業に出てくる者が少ない。なんともうら寂しい時代の中で「ボランティア」なる言葉が生まれた。これはさも新しい発想のようであり、高邁な人間愛のように思われているが、私たちの祖父母はまさに相互扶助の精神のなかで生活していた。<br>　農家の「結い」という制度も、お互いの助け合いである。これが出来るには相互信頼がなくてはならない。このように信頼しあってこそ、人は安心して生活が出来る。　　　　人が助け合おうこととは？それを子どもにもっと大人は教えてゆかなければならない。その手段は、大人自身がやってみせること。実践しかないのである。<br>　世の中、勝手な論理が一人歩きしているが、向こう三軒両隣が仲良く生活できるような世の中でしか、子どもは健やかに育たないのである。</font>
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<link>https://ameblo.jp/tetras/entry-10008547453.html</link>
<pubDate>Mon, 30 Jan 2006 16:02:26 +0900</pubDate>
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<title>子どもの人間関係</title>
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<![CDATA[ <font color="blue">　子どもの年齢的区分は多様に別れますが、各年代とも友人関係は大きなウエイトを占めています。<br>　一時、〃♪♪小学生になったら、友だち百人出来るかな〃という歌がテレビから流れていたことがありますが、小学校に通うようになると友だち関係は次第に緊密になって行きます。言葉遣いなども急に乱暴になったり、思いもかけない言葉を使ったりするのも友だちからの影響です。<br>　それだけに、友だちをたいへん大事にしています。しかし、時代が自己中心へと向かっている時代が長く続いておりますから、友だちは大事ではあるが以前よりは自己犠牲を払ってまで友だちと接触する子どもは少なくなっているようです。<br>　それは、お互いに自分を譲らない場が出てくることにつながります。それが軋轢になり、友だち関係の悩みになります。<br>　私の知り合いの女子高生は、今までお弁当を一緒に食べていた仲間から無視されるようになり、勉強も手につかないほどになりました。「あの子たちは、急に私を無視し始めた。きっと、仲間はずれにしようと相談しているに違いない」と考えて悩んでいました。<br>　それは2年生の2学期のことでしたが、その後勉強が手につかなくなりトップクラスの成績はどんどん落ちてしまいました。これを見た親は当然「しっかりして、もっと勉強しなさい」と励ましました。<br>　彼女は2学期の終わり頃から、とうとう学校に行けなくなったのです。<br>　「友だちくらいのことで………」。親はあきれるし、狼狽もしていたようです。このようなことが起きると、今まで子どものことはすべて知っていると思っていたお母さんは急に自信がなくなります。<br>　朝、起きてこない娘になんと声をかけたらよいか分からなくなってしまいました。<br>  友人関係がもとで不登校になってしまったのです。<br>　このようなときに、子どもは親に本当の理由を話すかどうかは難しいところです。たいがいは自分一人で抱え込んで悩んでいるものです。そして、「私はダメだ」と自分を責めながら、同時に自分を無視した相手を憎んでもます。<br>　人が信じられなくなるアリ地獄に入ったような心理状態になっています。<br>　このようなときにあなたが親ならば、どのような言葉をかけますか？<br>　「友だちぐらいで、そんなに悩むことないわよ」という言い方はますます子どもを傷つけます。子どもの生活空間では、ものすごい大きな存在だったろうということを念頭に置きましょう。<br>　ここで、テトラＳ＋１の考え方が役に立ちます。先ずは冷静に友だちとの出会いから現在までを振り返ってみるように勧めます。出来れば、それを箇条書きにしながら一生に作業してあげることが有効だと考えます。<br>　ここで、自分は友だちのためにどれだけのことをしてきたか、友だちからどれだけのことをしてもらったかを調べさせます。いろいろな事例が出ることと思いますが、その時に自分の気持ちも合わせて書くようにします。<br>　そして、関係がまずくなった頃の様子を詳しく振り返ります。そこには、きっと自己本位な言動があるはずです。それは相手にも言えます。自己の行為は反省し、相手の言動を許すことが出来るかどうかを本人によく考えさせることが重要です。<br>　これは、今現在の友人関係を修復させるのが目的ではなく、今後の対人関係に役立っていく作業になるはずなのです。このようなきめ細かな対応を子どもと一緒に行うことは、対人関係の経験が不足している現代のこともたちには、たいへん重要な意味を持ちます。<br>　本来なら子ども遊びの中で事前に身につけていたはずの対人関係の作り方を体験してないが故に起こってくるトラブルがたくさんあることに目を向けておいてください。</font><br> <font color="deeppink">これは下の記事と合わせてお読みいただくと分かりやすいかと思います。</font>
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<link>https://ameblo.jp/tetras/entry-10008370482.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Jan 2006 10:25:56 +0900</pubDate>
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<title>友人と上手くいかなくなったとき</title>
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<![CDATA[ <font color="olive">　今、女子高生などの間で最重要視されているのが友人関係のようです。そこで、もし友だちと上手くいかなくなった場合にどのようにすればよいかを考えてみましょう。<br>　友だちとは、お互いに気の許し合える仲間のことです。その友だち関係は実に楽しく長く心に残るものでもあるのですが、今はその友だち関係を維持するのに全神経を注がなければならない友だちが多くなっているようなのです。<br>　ＡＱでは、これを論理的に分析して解決してゆきます。これをステップごとに説明してみましょう。<br><b>ステップ１</b>：自分にとっては気の許せる友だちだと信じていた相手とギクシャクし始め、相手は違う友だちと遊ぶようになり、自分は相手にされなくなった。<br><b>スッテプ２</b>：【要因と課題】<br>　先ず、要因を考えましょう。<br>要因１　友だちへの信頼感がいつの間にか甘えになり、その甘えが支配と占有欲に変わり相手の立場を忘れてはいませんか？<br>要因２　「相手のことを大事にしている」と思うことの裏側に「だから私も大事にして」という気持ちはありませんか。この気持ちは自分勝手な思いを相手に押しつけて、知らぬ間に相手に支配的になっていることが多いのです。<br>要因３　「自分が傷つきたくない」という自己愛が、「相手を傷つけたくない」という仮面をかぶって、友だちとして相手に必要なアドバイスを避け、見て見ぬふりをする。自己中心的な見せかけだの「思いやり」を、相手は見抜いている場合が多いのです。<br>【課題】<br>　あなたにとって「友だち」とはなんなのか、その友だちとの関係をどう築きたいのかをよく考えてみましょう。では、次の作業をしてみて下さい。<br>１　関係がおかしくなったと感じたときの様子を客観的にメモして見ましょう。このプロセスでは相手に対する友情が本当かどうか自分の心を具体的に点検してみることが重要です。<br>２　その上で、自分の相手に対する率直な思いを話してみます。相手の話も率直に冷静に聞いてください。友情は信頼が基本ですから、嘘やお世辞は無用です。<br>３　相手の立場を十分に理解し、自分とは違う個性を持つ人格を相手に認め、受け入れます。<br>【具体的な行動目標】<br>１　友だち同士、お互いに分かり合える、励まし合える自立した関係に戻ろう。<br>２　なぜその友だちと出会ったか、どうしてウマが合ったのか、原点に立ち返ろう。３　３　友だちも一つの個性を持った人格を備えた存在です。あなたと同様に悩みもあれば、苦しいこともある。都合のよいところだけを友だちとするのではなく、すべてをひっくるめて受け止められる自分になろう。<br><br>＊とにかく自分を開いて本気で相手と接触してみることは、すべての人間関係に必要です。この詳細については<a href="http://www.moku-pub.com">ＭＯＫＵ出版</a>刊<b>『ＡＱ活性の魔術』</b>に詳しく説明してあります。上記ＭＯＫＵ出版のサイトを是非ご覧下さい。(文字色の紫の部分をクリックするとＭＯＫＵ出版サイトにジャンプします）</font>
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<link>https://ameblo.jp/tetras/entry-10007968122.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Jan 2006 11:42:34 +0900</pubDate>
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<title>今の生徒は宇宙人？</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#0000ff">　</font><font color="#333333">今年の年賀状に、ある中学校教師から「子どもたちは年々変わり、まるで宇宙人と接しているようです」とありました。</font></p><br><p><font color="#333333">　宇宙人？ふと頭を抱えました。どういう意味なのか分からなかったのです。よく考えてみると、それは生徒の考えや行動があまりにも様変わりしていることを意味しているようです。</font></p><br><p><font color="#333333">　私は今、教育コンサルタントとして全国の学校で教育改革のお手伝いをさせてもらっていますが、生徒を宇宙人と見るのはちょっとかわいそうではないでしょうか。</font></p><br><p><font color="#333333">　ある先生は、「生徒に言葉が届かない」と言います。たしかに、言葉も様変わりしていますし、子どもの生活様式も変わっています。今まで通りの生徒像はなかなか成立しないかも知れません。</font></p><br><p><font color="#333333"></font></p><br><p><font color="#333333">　このような人の見方は、実は学校ばかりではなく日本全体に蔓延しているのではないでしょうか？そのことを真剣に考えていこうとするのがこのブログです。</font></p><br><p><font color="#333333">　いろんな角度から人間関係を見ていきたいと思います。</font></p><br>　このブログで取り上げる主な内容は次の図書に基づくものです。<br><b>　『ＡＱ　活性の魔術』<a href="http://www.moku-pub.com">ＭＯＫＵ出版</a>発行　著者笠井よしつぐ（投稿者本人）＋ＡＱ研究室 </b><br>★オトコとオンナが気まずく冷えた関係になったとき<br>★夫婦の倦怠期から抜け出したいとき<br>★子どもが反抗し、思い通りにならないとき<br>★気の許せる友だちとウマが合わなくなったとき<br>★気にくわない同僚と何かとぶつかるようになったとき<br>★リーダーとしての才覚のない上司に当たった<br>★自分の気持ちをまったく受け取ろうとしない部下<br>★生徒が先生の言葉に従わなくなった、崩壊寸前の学校<br>★ついに我が校も学校崩壊。職員室の協力が必至<br>★子どもの問題をきっかけに、学校と家庭が相互不信に<br>★地域の苦情を協力へと変えたい
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<link>https://ameblo.jp/tetras/entry-10007909375.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Jan 2006 16:51:03 +0900</pubDate>
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