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<title>哲学する武道家のブログ</title>
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<description>哲学と武道</description>
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<title>矛盾 私の考え</title>
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<![CDATA[ ここまで、読んだ方は矛盾を感じるかもしれません。<br><br>人生で大切なことは、命の次に愛情(ここでは仁の思想)だと述べながら、他人を思いやるのはバカげたことだと述べている。<br><br>確実な人格破綻者ですが、私は私自身の性格や信条を異常だと考えているので、つまり、問題はないのです。<br><br>しかし、誤解してほしくないのは、それほど他人を思いやり、愛情を持つことは容易なことではないということです。<br><br>ですので、僕はアンパンマンが嫌いです。小学校のときから何かしゃくに触ると考えていたのですが、そこには完全な姿があるから嫌いなのです。<br><br>自分の顔を、言わば命を相手に与えるのであれば、もっと与える前に悩んでもいいはずです。<br><br>苦しんで苦しんで、悩みに悩んだあげく、自分の顔を相手に与える。<br>逆に、与えなくてよい。<br><br>困った人を見て見ぬふりしてよい。バイキンマンと戦うときに、一目散に逃げ出してよいのです。<br><br>そして、アンパンマンを見ているとアンパンマンと同じように行動、思考しなければならないように思えてくる。<br><br>彼こそが、絶対的な正義に思えてくる。<br>また、正義という字ももとの意味を考えると、とても寒気がする(詳しくは白川静さんの著書にて)。<br><br>勘違いしてほしくないですが、私は作者のやなせたかしさんは尊敬していますし、本当に素晴らしい人間であると考えています。<br><br>そう考えると、私は一種の自然主義的な人間なのではないかと思うのですが、そんなことはどうでもよく、結論から言うに、他人を思いやる、または愛情をもつということは至難の技ということです。<br><br>ですので、「他人を思いやりましょう」や「差別はいけない」などの小学生のポスターや、スローガンにはとても嫌な気持ちになるし、そんなことを子供にさせるなと思うのです。<br><br>ちなみに、私は教師を目指していますが、教壇では「本当のこと」しか話をしなないでしょうし、今現在、部活の指導で学校を訪れますが生徒には「本当のこと」を話すようにしています。<br><br>私が大学で哲学をして本当に良かったと思えるのは(本当に変なやつがほとんどだった)、偽装や嘘の言葉が多い現代で「本当のこと、本物」を求める力がついたということだと思います。<br><br>ですので、この思考を大切にし、思いやりや愛情を持ちながら生きるにはどうしたらよいか考えていきたいと思います。<br>
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<link>https://ameblo.jp/tetugaku0404/entry-11951736091.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Nov 2014 08:14:59 +0900</pubDate>
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<title>バカな奴</title>
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<![CDATA[ <br>世界三大聖人とよばれるイエス・キリスト、釈迦、孔子の説いたことはある所で一致しています。<br><br><br>イエス・キリストは隣人愛を説き<br><br><br>釈迦は慈悲を説き<br><br><br>孔子は仁を説きました。<br><br><br>つまり、キリスト教も仏教も儒教も他人を思いやる重要性を説いたのです。<br><br>ただ、3つはそれぞれ違いがあります。<br><br>キリスト教は広く誰に対しても平等に愛するという神の愛を説いていますが、孔子の仁はまず、親を愛し、兄弟姉妹を愛し、家族を愛したあと、友人など近くの人を愛するというふうに、愛する相手を広げていくという愛しかたを説きました。<br><br>釈迦の慈悲は広義的に「楽を与え」「苦しみを抜き取る」ことを意味します。<br>また、仏教での愛は執着心を表すため、良い言葉ではありません。<br><br><br>他人の幸せを願い、利他的に生きる<br><br><br>これほど、素晴らしい生き方はないでしょう。他人に幸せを配れる分、自分も幸せを受けとることが出来、他人だけでなく自分も幸せになることでしょう。<br><br><br>しかし、現実的に、他人の幸せを願う善き人を良いように利用し、騙し、おとしいれ、つぶしてやろうと企む人間がいることも確かです。 <br>私は何人かそういう不仁な人間と会ってきました。 <br>汚い卑しい、腐った人間とはこのような人間であるのかと、真に思いました。<br><br>そういうことを体験し、他人を思いやることはバカを見ることになる。<br>この世は弱肉強食であり、隣人愛や仁などの言葉は甘ったれた幻想だと思われる方も多いかと思います。<br><br><br>現実を見たらそんな甘いものではない。<br><br><br>特に私も隣人愛は不可能だと思います。<br>利己的に生きることが目的となったこの社会で、利他的に生きれば自分の首を絞めることになるのは明らかです。<br><br><br>そんなことはない！！<br><br><br>そう考える方がいれば、なぜ隣人愛を説くキリスト教が広く布教されている欧米などで犯罪や裁判がとても多いのでしょうか、実際に私は欧米に行き嫌な思いをしたこともあります。<br><br>では、やはりこの世は弱肉強食で利他的に生きる人間はただ搾取されるだけなのでしょうか。<br><br>他人を思いやるのはバカげたことなのでしょうか。<br><br>結論から言いましょう。<br><br><br>バカです。<br><br><br>ただし、救いはあります。それはまた次回。
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<link>https://ameblo.jp/tetugaku0404/entry-11939698378.html</link>
<pubDate>Thu, 16 Oct 2014 08:47:00 +0900</pubDate>
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<title>どのようにして生きる</title>
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<![CDATA[ <br>人はどう生きていけば良いのでしょうか？？<br><br><br>昔から哲学がその答えを求め続けてきました。<br><br><br>ギリシャの哲学者であるソクラテスは<br><br><br>「一番大切なことはただ生きることではなく善く生きることだ」<br><br><br>と説き、幸福主義的道徳観を示しました。<br>つまり、道徳的に生きることが幸せにつながると言うことです。<br><br><br>論語で有名な孔子も善く生きることを説いており、私が好きな言葉で<br><br><br>「子曰く、己に克ちて礼に復するを、仁と為す。一日己に克ちて礼に復すれば天下仁に帰す。仁を為すは己に由る。人に由らんや」<br><br>利己を抑え人間社会の規範に立つことが仁である。ひとたび利己を抑え、規範を実行するならば、世の人は皆それを見習って仁の人の道を実践することになるだろう。人の道を実践するのは己の覚悟であり、人に頼るものではない<font color="#000000">。</font><br><br><br>仁とは<font color="#ff2a1a">人(他人)を愛する</font><font color="#000000">と</font>言う意味です。<br><br><br>現代社会で利己的な人間が増えている中、この孔子の言葉は考えさせられます。<br><br><br><font color="#000000">ソクラテスや孔子の考えは素晴らしいです。私も人生で大切なものは命の次に愛情、つまり仁の心だと考えています。</font><br><br><br><font color="#000000">しかし、</font>現在は人の価値観が多様化し、人はそれぞれ自分の価値観で行動や考えを決め、幸福を感じるため、「このように生きろ！！」とは言えないと思います。<br><br><br><br>「世の中お金が一番大切や」と考え、そこに価値や幸福を感じる人は、自分の現預金を増やすことが人生で一番大切であると考えています。<br><br><br><br>「世の中出世が一番大切や」と考え、そこに価値や幸福を感じる人は、他人を騙したり、おとしいれたりしてでも、高い役職につき、出世することが人生で一番大切であると考えています。<br><br><br><br>「世の中家族が一番大切や」と考え、そこに価値や幸福を感じる人は、家族のため、身を粉にして働き、自分の両親や子供に対して献身的に働きかけることが人生で一番大切であると考えています。<br><br><br><font color="#000000">人生に正解がないように、生き方にも正解はありません。金持ちになりたい人、出世をしたい人はその目的を果たすため、家族や部下の精神や肉体を、たとえ死に追い込んでも何とも思ってないでしょう。</font><br><br><br><font color="#000000">しかし、そのような生き方で良いのでしょうか？？</font><br><br><br><font color="#000000">人間として生まれ、誰にも悲しまれることなく死んでいく人生。</font><br><br><br><font color="#000000">部下を切り捨て、</font><font color="#000000">自分の保身ばかりに力を入れるため、誰も部下がついてこない人生。</font><br><br><br><font color="#000000">他人</font><font color="#000000">の幸せを羨ましがり、他人の人生をめちゃくちゃにしながら生きる人生。</font><br><br><br><font color="#000000">私はそんな生き方をしたくない。</font><br><br><br><font color="#000000">皆さんはどうですか？？</font><br><br><br><font color="#000000">どのような生き方をすれば幸福を感じますか？？</font><br><br><br><font color="#000000">一度真剣に考えてみてください。</font><br>
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<link>https://ameblo.jp/tetugaku0404/entry-11902747348.html</link>
<pubDate>Thu, 31 Jul 2014 17:24:00 +0900</pubDate>
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<title>なぜ、生きるのか？？   基本的理解</title>
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<![CDATA[ <br><br><br>あなたは &nbsp;なぜ<font color="#ff2a1a">生きますか</font>？？<br><br>今 なぜ、<font color="#ff2a1a">生きていようとする</font>のですか？？<br><br><br><br>この質問に対して、逃げている人が多いと思います。<br><br><br>あなたは、この質問に答えられますか。<br><br><br>人は「なぜ、生きるのか」という疑問に関して、中学や高校あたりの多感な時期に悩み苦しんだ経験のある人が多いかと思います。 <br><br><br>または、今現在悩んでいる人もいるかもしれません。<br><br><br>この悩みは、人が生きていく上で一生を通して悩み続ける問題なのかもしれません。<br><br><br>それは仕方がないことだと思います。<br><br><br>私達は、「俺が！！　私が！！」と自己主張して、この世に生を受け生まれてきたのではありません。<br><br><br>自己の主張なく、気がついたら現世に存在していたということです。 <br><br><br>それは、両親の愛によって（望まれない形で生まれてきた人もいるかもしれませんが・・・）<br><br><br>乱暴な言葉で表すと、暴力的・強制的にこの世に生を受け、存在しているということです。<br><br><br>生まれる理由がなく生まれ存在している。<br>もしかすると、反抗期のころ、また今現在、<br><br><br><br>「なんで、俺を生んだんや！！」 <br><br>「生んでなんて頼んでない！！」<br><br><br><br>と両親に食って掛かって、両親を泣かせた人がいるかもしれません。<br><br><br>また、そのことで今現在も両親を憎んでいる人がいるかもしれません。<br><br><br>それは仕方のないことだと思います。<br><br><br>文豪である芥川龍之介もこの人生の生死に悩み、苦しんだ作家の一人です。<br><br><br>自殺する直前の作品である「或阿呆の一生」で長男の出産を、<br>「何の為にこいつも生まれてきたのだろう？　この娑婆苦の充ち満ちた世界へ」と表しています。<br><br><br>そこには、人生を無意味ともとれる悲壮感が伝わってきます。<br><br><br>また、彼の「河童」という作品には、出産について考えさせられる場面があります。<br><br><br><br>河童の国の出産では、父親が電話でもかけるように母親の生殖器に口をつけ「お前はこの世に生まれて来るかどうか、よく考えた上で返事をしろ」と大きな声で尋ねる。<br>腹の中の子が、「生まれたくない」と返事をすると産婆が生殖器に何か注射をして腹を縮ませてしまう。（芥川龍之介著　河童より）<br><br><br><br>「なぜ、生きるのか」という疑問に対し、哲学や宗教を頼りにし、生きている人もいれば、ただ単に、「死にたくないから」という理由で生きている人もいると思います。<br><br><br>しかし、全て一貫して共通の認識があるのです。<br><br><br><br>「人生　それは人々の幸福のために天から人々にふり注ぐ光がゆきわたることだ」<br>と孔子は紀元前６世紀に言っています。<br><br>「人生　それは幸福な涅槃に達するための自己否定である」<br>と仏陀は言っています。<br><br>「人生とは神と隣人への愛であり、それは人に幸福をもたらす」<br>とキリストは言っています。<br><br><br><br>つまり、そうなのです。<br><br><br><br><br>人は「<font color="#ff2a1a">幸せになるため</font>」に生まれてきたのです。 <br><br>そして、「<font color="#ff2a1a">幸せになるために生きている</font>」のです。<br><br>当たり前のことですが、当たり前のことゆえに、この部分を理解していない人があまりにも多いと思います。<br><br>一応、言っておきますが、私は宗教などには、はまっていません。<br><br>ちなみに実家は自然崇拝を地で行く神道です。<br><br><br><br>この「幸せになるために生きている」という認識をまずは確認し、<br><br><br><br>では、次回から「<font color="#ff2a1a">なぜ、生きる！！</font>」から「<font color="#0d99fc">どう、生きる！！</font><font color="#000000">」と考えをかえていきたいと思います。</font><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Mon, 07 Jul 2014 18:04:11 +0900</pubDate>
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<title>自己紹介</title>
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<![CDATA[ <br>皆様おはようございます。または、こんばんは。<br><br>私は大学時代に文学部の哲学科にて4年間哲学を学び、高校から現在まで総合格闘技の武道を13年間しています。<br><br>大学卒業後は銀行へ就職。<br><br>銀行で6年間働いた後、再度大学へ編入し、現在は日本文学を学んでいます。<br><br>このブログでは<br><br>①学生時代に考えたこと、学んだこと<br><br>②銀行員時代に考えたこと、学んだこと<br><br>③人生について考えたこと、学んだこと<br><br>などを主軸に展開していきたいと思います。<br><br>よろしくお願いします。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tetugaku0404/entry-11887969168.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Jul 2014 00:44:51 +0900</pubDate>
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