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<title>中学受験を終えた母親のブログ。</title>
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<description>低学歴で無知な母が、2018年7月から始めた息子の中学受験を振り返る記録用のブログ。</description>
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<title>共通テストの日</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>1月17日土曜日。</p><p>共通テスト一日目。</p><p>私立文系三科目受験のロビンは、この一日目のみを受験した。</p><p>&nbsp;</p><p>志望校を決め始めた当初は、共通テストは利用せず全て個別入試を受ける予定だった。</p><p>まず国公立を受験しないのと、共通テスト利用枠は募集人数が少ない上に、全国からの受験者も多いので篩にかけられて落とされる人数も多くなる。</p><p>&nbsp;</p><p>なので、個別入試対策に力を入れて志望校の過去問をこなすために共通テスト対策はほとんどしておらず、国公立至上主義の学校側から強制的に受けさせられる共通テスト模試は、ロビンにとって煩わしいだけだったようだ。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし徐々に志望校と学部が絞り、入試要項が発表されると、一科目のみ共通テスト利用をしなければいけない学部があった。</p><p>ということは嫌でも共通テストを受験せねばならなくなる。</p><p>&nbsp;</p><p>そして月日が経ちじわじわと願書提出の時期が近づいてくると、「大学受験」という現実味を帯びてきたのか、滑り止めを真剣に考えるようになり、どちらにしろ共通テストを受けるのなら滑り止めの大学は二校ほど利用しようという考えに至った。</p><p>&nbsp;</p><p>浪人は回避したい。</p><p>滑り止めしか合格しなかった場合、浪人もしくは仮面浪人するかも知れない。</p><p>もう受験勉強生活は懲りたので、受かればどこでもいい。</p><p>いや、自分は志望校へ合格するのだから大丈夫。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな言葉が毎日コロコロと変化をしながら繰り返される。</p><p>&nbsp;</p><p>当日、我が地は快晴だった。</p><p>ふと2020年1月10日の中学入試の朝も、こんなに美しい澄み渡るような青空だったと思い出す。</p><p>あれから六年が経ったのかと想いを馳せながら、ロビンを自宅の最寄り駅まで車で送っていった。</p><p>&nbsp;</p><p>天候や人身事故、車両不具合、信号の故障などに見舞われず、無事に会場まで辿り着いてくれれば、あとは本人次第だ。</p><p>&nbsp;</p><p>早めに会場の最寄り駅へ到着し、受験時刻までファストフード店で復習をしながら時間を潰すという計画だった。</p><p>一緒に会場へ行くわけでもないし、正直自宅から駅まで徒歩6分ほどなので送迎だって必要ないが、いざという時のためにと仕事を休んだ私は、ロビンを駅で見送った。</p><p>&nbsp;</p><p>車中で「全然緊張してない」とあっけらかんとしていたロビンと対照的に、私の方がドキドキしていた。</p><p>そして車を降りて「行ってくるね」と手を振るロビンを見て、涙が滲んだ。</p><p>まるで戦場へ息子を送り出すような気持ちだった。</p><p>&nbsp;</p><p>自宅に戻った私は、時間割と時計とスマホを順に見ながら、時折「どうかどうか」と祈った。</p><p>無事に到着して欲しい、努力して身に付けたことを十分に発揮して欲しい、清々しい顔で帰ってきて欲しい。</p><p>そう思いながら、長い一日を送った。</p><p>&nbsp;</p><p>試験を終えたロビンは、友達とそのまま夕飯を食べに行き、帰宅したのは22時近くだっただろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>「始まるまでは平気だったけど、試験が開始したら背中を針で刺されるようなチクチクした痛みが走った」</p><p>&nbsp;</p><p>やはり問題用紙を眼前にしたら緊張したのだろう。</p><p>個別入試の前に練習として共通テストを受けて良かった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>共通テスト利用をした二校の合否はまだ先である。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/thatslife2020113/entry-12955431776.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Feb 2026 13:42:13 +0900</pubDate>
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<title>おバカ生徒だった私の話。</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>幼い頃から絵を描くことに時間を捧げてきた私。</p><p>&nbsp;</p><p>両親は共働きで、自宅から車で30分ほどの場所でスナックを経営しており（あの時代は恐ろしいことに飲酒運転が横行していた）、父が18時頃に車で出勤し、母は子供たちに夕飯を食べさせ20時頃に電車で出勤していた。</p><p>帰宅時間はその日の客足によるので、夜中の２時くらいの日もあれば朝方６時くらいの日もあり、もちろんその間は子供たちだけで夜を過ごし、昼間は両親が寝ているので休日の行楽などとは無縁だった。</p><p>&nbsp;</p><p>（余談だけど、合鍵を持たせてもらえなかったので、学校から帰宅した時にどれだけチャイムを鳴らしてもドアを叩いても壊れそうなほど蹴飛ばしても、爆睡している両親が鍵を開けてくれなかったのが一番しんどかった。</p><p>何がって、いつもトイレを我慢していたのよね）</p><p>&nbsp;</p><p>物心がついた時にはそんな家庭環境だったので、独りで過ごす時間が多く、かと言って現代のようにゲームやインターネットが普及しているわけではないので、専ら新聞の折り込みチラシの裏に絵を描いて時間を潰していた。</p><p>&nbsp;</p><p>（休日に友達の家へ電話して誘っても、みんなに家族で出掛けるからと断られ、幼いながらになんでこんな家に生まれちまったんだ！　と寂しさと怒りで定規を折ったのを憶えているが、今では笑い話だ）</p><p>&nbsp;</p><p>年の離れた姉兄がおり、絵の描き方を教えてくれたのは兄だった。</p><p>当時の兄は中学生だったので、漫画のキャラクターを模倣しそれを私に見せてくれただけだが、私は兄の真似をしてひたすら描いた。</p><p>描いているうちにオリジナルのキャラクターを作り出し、漫画を描くようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>内容は、本当にバカみたいなくだらない話なんだが、小学校3、4年生の頃はクラスの男子が面白がって「お金を払うから漫画をコピーして欲しい」と言ってくれた。</p><p>母と近所のスーパーへコピーをしに行ったのを憶えているが、それが私が漫画家を志すきっかけの一つだったのかも知れない。</p><p>&nbsp;</p><p>それからも漫画を描いてはクラスメイトに読ませ、勉強なんぞするはずもなく、授業中はノートに描き、テスト期間中は答案の裏に描き、それでも描き足らず教室の自分の机やクロスが剥がれた掲示板の下地にまで描きまくった。</p><p>&nbsp;</p><p>クラス会議で問題にされ平然と無視していたこともあったが、さすがに中学生になってからは弁えるようになったし、残念なことに私の漫画を楽しみにしていた男子が急によそよそしくなり、強烈に記憶しているのが「描けたよ！」とノートを持って行ったら「カバンに入れといて」と目も合わさずボソッと呟いたことで、私の漫画は思春期に負けたことを知った。</p><p>&nbsp;</p><p>結局、中学時代は友達と合同で漫画を描いて個人的に楽しむ形となったわけだが、ある現実に打ちのめされる日が訪れた。</p><p>隣の学区から来た女子生徒がべらぼうに絵が上手くて、今更かよって話だが、初めて自分の画力の低さに気付いたのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>彼女もまた兄から絵を教わったそうで、四頭身のコミック画ではなく七頭身の劇画だった。</p><p>劣等感を植え付けられたものの、彼女とは部活も一緒で仲良くしていたので対抗心を燃やすことはなかったが、自分が井の中の蛙であったことに落胆したのである。</p><p>&nbsp;</p><p>だがしかし、能天気で楽観主義の私は、その瞬間は衝撃を受けたものの、「でも話の構成は私の方が断然面白いし、描いてりゃそのうちもっと上手くなる」と、めげずに描き続けたのであった。</p><p>&nbsp;</p><p>相変わらず勉強もしない、お気に入りの漫画ばかり読んでいる、テストの点数は一桁という私にも高校受験という脅威が迫っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>（他にも部活や恋やロックバンドにハマって大忙し）</p><p>&nbsp;</p><p>内申点によって受験校を決めるわけだが、技術と美術が得意だったので工業高校か工芸高校を受験しようかと考えた。</p><p>工業高校へは一度見学へ行ったが遠かったのと、工芸高校は内申点が足りず受かる自信もなかったので、結局は定員割れしていた公立の普通科へ通うことになった。</p><p>&nbsp;</p><p>高校でも、前述に挙げた友達と合同で漫画を描いて楽しんでいたが、またもや猛者が現れた。</p><p>中学時代の彼女よりも、遥かにプロの漫画家並みの上手さを持つ女子生徒だ。</p><p>この女子生徒は漫画は描いていなかったので、イラストレーター向きだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>この頃になると、私の夢は漫画家ではなくバンドマンになっていた。</p><p>ピアノは習っているにしても凡庸だし、中古で買ったベースすらほとんど弾けないのに、よくも音楽で食っていくなんて考えたものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>高校三年間はロックに夢中で、漫画を描きながら恋をしながら部活もこなし、帰宅したら制服のまま布団に倒れ込んで親が出勤するまで寝るという日々だった。</p><p>&nbsp;</p><p>進路を決める時期に突入すると、私なりに本気で思案したもので、漫画家になるにしろミュージシャンになるにしろ、取り敢えずそういう専門学校に入学するか、働きながら活動をするかと母親に話したところ、「そういう人たちは世の中に一握りなんだから、あなたなんて無理に決まってるでしょ」と、ピシャリと夢を叩き潰された。</p><p>&nbsp;</p><p>なんてひどいことを言うんだ、この人は……この人はこれまでの人生に於いて夢を抱いたことはないのか……と、当時、私は母の神経を疑ったものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>実際に私の母は完全なる現実主義者で、将来の夢など持ったこともなかったし、高校を卒業したら就職して結婚するのが当たり前くらいにしか思っていなかったと認めていた。</p><p>真逆に父は絵も上手いし、若き日はアコギ一本でライブハウスを回りオーディションも受けていた夢追い人だったので、私は父の血を受け継いでいたのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>卒業が近づくにつれ進路はますますぼんやりしてしまい、動物が好きだから動物園の飼育員になるか、盲導犬や警察犬の訓練士を目指すかなど、突然脱線してあらぬ方向へ進もうとしていた。</p><p>&nbsp;</p><p>合同で漫画を描き、一緒にライブへ行ったり音楽で食って行こうなんて話していた友達と、将来を語り合って行きついた先が、音楽係の専門学校だった。</p><p>高校一年生の時に、初めて大きなホール会場でライブを見た私が感動したのはステージの照明だったので、裏方の仕事を生業にできたら楽しいかも知れないと思ったのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>（実はこの友達から、バンドマンになって食っていこうなんて冗談で話していたに決まってるじゃんと告白されて、結構ショックだったこともあり、それなら裏方もありだなと思った。</p><p>いったい私はどこまで夢見る夢子さんだったのやら）</p><p>&nbsp;</p><p>こうして地元の専門学校へ通うことになり、実技を少々、座学を大いに受講し、毎日一番後ろの席でトランプをやって一年で中退した。</p><p>&nbsp;</p><p>その後は完全なる自由人として社会に貢献し、バイト先では鑑とまで言われ、四年間ほど花盛りを堪能したのちに、地元を離れて再び音楽関係に進んだ。</p><p>&nbsp;</p><p>ここまで長々と書き連ねてきて何が言いたかったかというと、いくら可能性がゼロに近かろうと、我が子が必死に取り組んでいることや目指しているものを決して闇雲に否定してはいけないということ。</p><p>今現在、私はロビンの状況を見て何度も「無理」という言葉が口を突きそうになっているが、自分の過去を思い出し、自分は自分の母にはなるまいとその言葉を飲み込んでいる。</p><p>&nbsp;</p><p>不毛なことに時間を費やしているように思えてならない、説得すれば目を覚まして可能性のある方に全振りできるかも知れない、親なんだから子供を諭すべきである、誘導してやるのが親の役目である、などなど一部は私が母からロビンの子育てについて言われた台詞だが（もちろん突っ撥ねた）、私も一応ロビンの母親なので心配もするしできれば徒に傷ついて欲しくないので、考えなかったことはない。</p><p>&nbsp;</p><p>けれど子は子の人生なので、他人の言葉で、特に親の言葉で諦めたり投げ出したりして欲しくない。</p><p>親である私が可能性を奪うことは絶対にしてはならない。</p><p>&nbsp;</p><p>ケセラセラ。</p><p>最近ずっとロビンに言っている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>（漫画家になりたかったくせに美術系の専門学校へ行かなかった理由に、絵は習うもんじゃない、自分の感覚で描くものなんだ！　と、偉そうに、ポリシーがあったんだよなあ）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/thatslife2020113/entry-12951444136.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Dec 2025 17:43:52 +0900</pubDate>
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<title>心のひとつも解りあえない大人たち。</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>附属の高校は、正直なところ方針がブレブレで、何を目指してどうしたいのかよくわからなかった。</p><p>文武両道を謳いたいのだろうが、そのどちらも軌道に乗せられていない感じがした。</p><p>&nbsp;</p><p>それに校則が令和の時代にそぐわず、男子の前髪は眉毛の上とか、耳にかかってはいけないとか、靴は白とか、毎月生徒を一列に並ばせて頭髪検査があったりと、昭和ですか？　と問いたくなる。</p><p>&nbsp;</p><p>それに猛反発しまくったロビンと担任や生活指導とのいざこざが頻発して、一時期は聞いているこちらも嫌になるほどだった。</p><p>&nbsp;</p><p>校則が気に入らないなら入学しなきゃよかっただろうとか、退学すればいいとか、それを言ったらお終いなんだけど、尾崎豊じゃないが、心のひとつも解りあえない大人たちを睨むぅぅ～である。</p><p>&nbsp;</p><p>その時代錯誤の校則についてロビンは教師に理由を尋ねたが、みんな口を揃えて「校則だからだ」としか答えないのでそりゃあ15歳の子供は納得いかないわな。</p><p>&nbsp;</p><p>実は中学時代もそこそこ頭髪検査について異議を唱えていたロビンは、髪に自由を！　靴に彩りを！　と、厳しい校則の廃止を目論んで生徒会に潜入した。</p><p>&nbsp;</p><p>私の職場も数年前から髪色のカラーレベルが撤廃され「常識の範囲内で」と規定されたわけだが、鬼滅の刃カラーのおばさんが圧倒的に増えた。</p><p>さすがにブルーのモヒカンとか、真っ赤なドレッドとかはいないけど、それと同じでロビンも金髪OKにしろとかウエスタンブーツを許可しろとか言うわけではなく、学生として常識の範囲内で……を求めただけだった。</p><p>&nbsp;</p><p>生徒会と部活と勉強と恋愛と、目まぐるしい高校生活が2年半ほど続いたわけだが、結局、三年に進級したタイミングで生活指導の教師が交代し、オンザ眉毛と白い靴限定の校則は呆気なく廃止された。</p><p>ロビン曰く、始業式で壇上に上がった新生活指導の教師が「私は、生徒の自主性を重んじて、頭髪検査を辞めて靴も自由にします」と宣言したらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>え？　じゃあ今までの時代遅れの校則って、前任者の個人的な規則だったの？　と思わずにはいられない。</p><p>ちなみに前任者は、つるつるのスキンヘッドだ。</p><p>おや？　そういうこと？</p><p>&nbsp;</p><p>実際に校則が緩くなった（というよりまともになった）ところで、ロン毛や茶髪が爆誕したのかというと、皆無である。</p><p>では、今までの厳しい校則に意味はあったのだろうか？　と疑問しかない。</p><p>&nbsp;</p><p>校則を巡って勃発したロビンと担任の確執は長期に亘ったのだが、それ以外のところでも関係は悪化して、私もわずかだが心労を抱えたし、担任の息のかかった他の教員たちは当てにならないので、最悪、校内カウンセラーに相談しようかとも考えた。</p><p>その旨をロビンに伝えると、「まだ大丈夫。自分でどうにかできなくなったら、そうしてもらうね」と言うので、経過観察に至った。</p><p>&nbsp;</p><p>最終的に、ロビンは自分の主張は取り下げなかったものの、言葉遣いや態度に関して自分に非があったことを認めて担任に謝罪をしに行ったわけだが、歩み寄ろうとする生徒に対し、あろうことか大ベテランの担任はかぶせて話すわハイハイと聞き流すわ、大人としても教員としても論外の対応だった。</p><p>ここで、教員を目指していたロビンはプツリと糸が切れ、教員への道を絶ったそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>その間に海外への修学旅行があり、故意に現地に置き去りにされるんじゃないかなんて冗談を言っていたら、以前、本当に現地に取り残された生徒がいたというのでマジで気を付けて！　と注意した。</p><p>&nbsp;</p><p>と、まあ色々と難問はあったが、これも人生の勉強だと私たち親子は捉えている。</p><p>世の中にはもっと嫌な奴とか、非常識な奴とか、想像を絶することを平気でやる奴がいるんだよと、この経験が何重もの鎧となって我々は強くなり相手を思いやれる人間になっていくのだと、自身の経験も踏まえて話し合った。</p><p>&nbsp;</p><p>三年に上がってからはロビンと担任を隔てていた厚い氷は少しずつ溶けていき、現在は他の生徒と変わりなく接しているようだ。</p><p>&nbsp;</p><p>教師も血の通った人間だからね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>だが、ここからまた、進路について物議を醸すのであった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/thatslife2020113/entry-12949404588.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Dec 2025 14:38:09 +0900</pubDate>
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<title>中学を卒業。</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>私立中学を受験をして良かったことは、たくさんある。</p><p>&nbsp;</p><p>小中高と全て公立に通っていた私から見て、まず施設がきれいだ。</p><p>私の職場ですら未だにトイレは和式の方が多い（洋式に先客がいると断念することもある）というのに、学校のトイレはほぼ洋式である。</p><p>教室の椅子はお尻が痛くなる硬い木製ではないし、黒板よりもプロジェクターを使用した授業がメインだ。</p><p>F中学には独自の設備があり、私が中学生だったらこの学校に通いたいと思えるくらいだ。</p><p>部活に関しても、内部進学テストはあるが高校受験がないので、引退した後も気楽に参加して体を動かしに行くことができた。</p><p>&nbsp;</p><p>そして何よりも修学旅行が三年次にあり、我が家の経済事情では家族旅行としてはとても行けない場所へと行かせることができたという点だ。</p><p>現地でも、附属の大学によって貴重な体験ができて、本当に楽しそうだった。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、通学に毎日一時間近くかかったのが、大変だっただろう。</p><p>地元の中学なら徒歩ニ十分くらいのものを、その三倍近くの時間をかけて通ったのだから、真冬の朝などはしんどかったと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>一年生だったロビンが部活に疲れ果てて電車内で眠ってしまい、終点まで乗ってしまった夜は、スマホの充電も切れており連絡がつかず、心配した私が学校や野球部の保護者に連絡をしまくってひとり大騒ぎになったこともあった。</p><p>よくドラマで子供がいなくなった！と名前を呼びながら公園などを探し回るシーンがあるが、まさに今にも声に出して名前を呼ばずにはいられない心境で、いても立ってもいられずとにかく自転車に跨りパジャマのまま駅へと走ったものだ。</p><p>ちょうど駅から出てきたロビンと遭遇して安堵したが、あの時は本当に肝を冷やした。</p><p>&nbsp;</p><p>三年も通えば、楽しいことや辛かったと、嬉しかったことや悔しかったことなど山ほどあったわけだが、私はロビンをF中学へ通わせて良かったと自信を持って言える。</p><p>実は、後にわかったことだが、地元の中学ではある事件が起きていて、もし受験をせずに地元の中学へ通っていたら確実に我が家にも被害が及んでいた。</p><p>一年次は学費を満額を支払い、二年次からは特待生と言えど施設費など公立校よりも高い学費を支払ってきたが、その被害を回避できたことや、ロビンも私もあのF中学ならではの経験ができたことを思えば、決して裕福な家庭ではないが安いものである。</p><p>&nbsp;</p><p>三月の卒業式は両親揃っての参列が許可され、大々的に体育館で行われた。</p><p>実に、ロビンの小学校入学式以来の式典だった。</p><p>&nbsp;</p><p>その卒業式で、ロビンは学業関係とスポーツ関係で表彰され、三度舞台に上がった。</p><p>正直、学生時代は万年落ちこぼれで運動も苦手だった私は、とても鼻が高いと同時になぜ私から生まれたのかと不思議でならなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>その晩、自宅で夕食を囲み卒業祝いをしたわけだが、ロビンが「パパ、ママ、三年間ありがとうね、あとまだ七年（高校と大学を含め）あるけど、よろしくお願いします」と言い、私は自分の中学時代に親に感謝の言葉など述べたこともなかったし、寧ろ親なんだから当たり前とか、義務教育なんだから当然くらいにしか考えていなかったので、ロビンの精神年齢の高さに脱帽した。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そして、ロビンは新たな高校生活を迎えることとなる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/thatslife2020113/entry-12948097583.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Dec 2025 17:51:36 +0900</pubDate>
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<title>大きく振り返る。</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>最後にブログを書いたのが三年も前だったのかと驚いている。</p><p>しかも野球部の話だったとは。</p><p>&nbsp;</p><p>実はこの時に入部してきた一年生の後輩たちのお陰で、中学時代のみで終えたロビンの野球人生も、</p><p>野球部員の息子を持った私の人生にも、生涯忘れられない記憶を残してくれることになる。</p><p>&nbsp;</p><p>二年生が二名、一年生が五名、計七名となった我が野球部と、隣町の公立中学校K中学の野球部が合同チームを結成することになった。</p><p>K中学の野球部員はなんと二年生が二名のみ！</p><p>我が野球部に負けない少なさであり、ジャスト九名ということは全員がレギュラー確定である。</p><p>反面、誰か一人でも欠けてしまったら試合には出られない。</p><p>&nbsp;</p><p>（これも某野球漫画と境遇が同じすぎて笑うしかなかった）</p><p>&nbsp;</p><p>我が校は何面ものグラウンドがあるにもかかわらず、高校生が使用するため中学生はグラウンドの端でキャッチボールをしたり、土手を走ったり、昇降口前のロータリー広場で活動したりと、満足に練習ができる状況ではなかった。</p><p>月に何度か徒歩十分ほどの市営球場を顧問が借りて練習できれば良い方だったが、ナイター設備が無いので冬は早くに切り上げなくてはならないし、雨が降ったら一巻の終わりだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな我が野球部に、K中学は休日にグラウンドを解放してくれることになった。</p><p>もちろん親の送迎が不可欠なので、仕事も休みを取ってロビンを送迎した。</p><p>&nbsp;</p><p>ありがたいことに、一年生の保護者の中に野球経験者のお父さまが何人かいて、ゲーム形式での練習相手になってくれたのだ。</p><p>野球部員VS我が野球部の顧問、副顧問、K中学の顧問、外部コーチ二名、保護者たち。</p><p>もちろん私もその中に入って一緒に練習をしたわけだが、普段まったく運動をしない素人なので、そりゃあ筋肉痛にもなるし足の親指の爪は剥がれるし、なかなかいい経験になった。</p><p>&nbsp;</p><p>野球部の練習が終わった後も、熱心なお父さまが別の市営グラウンドを借りて居残り練習を開催してくれて、やっと本当に野球ができるようになったんじゃないかと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>一年生は辞めた子もいたが、中途入部してくれた子もいたりで、何とか人数は保てたが、大会の時に病欠などでどうしても人数が足りない時は、よその中学の部員が助っ人で入ってくれた。</p><p>&nbsp;</p><p>この時期は新型コロナのワクチン接種時期で、みんな副反応で苦しんでいた。</p><p>ロビンも例外ではなかったが、接種翌々日の試合は腕と脇の痛みを堪えながらの出場となったのを憶えている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>三年生になり、ありがたいことに一年生がまずは二名入部した。</p><p>途中で二年生も一人入部して、人員に余裕ができた。</p><p>六月の引退試合を迎える頃には、K中学の部員も入れて総勢十四名という、入部した時と同じ人数にまで達していた。</p><p>&nbsp;</p><p>この頃の野球部の子たちは、本当にみんな可愛くて、良い子たちに恵まれたなと心の底から思っていた。</p><p>もちろん、その保護者の方々も、顧問の先生たちにも感謝しかない。</p><p>ずっとこのメンバーで野球が続けられたら良いのになと、叶わないとわかっていながらも、何度願ったことだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>結局一度も試合に勝つことができなかったチームだったけれど、得たものはとても大きかったんじゃないかな。</p><p>&nbsp;</p><p>引退して三年が経った今でも、ロビンとは中学野球部の話になる。</p><p>顧問のモノマネや名言、他校の暴言顧問、炎天下での終りの見えない守備、上級生や下級生との思い出。</p><p>&nbsp;</p><p>そしてロビンが「子供たちと一緒になって練習してくれたお母さんって、ママくらいだったじゃん」と、嬉しそうに言ってくれると、私はとても幸せな気持ちになる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/thatslife2020113/entry-12946688823.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Nov 2025 15:54:12 +0900</pubDate>
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<title>人生のピークなら早すぎる。</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>二年次。</p><p>&nbsp;</p><p>一年次でも仲の良かった子と同じクラスになり、担任は柔軟な考えを持ち生徒の自主性を重んじるO先生。</p><p>最初は面倒くさいと言っていたロビンだったが、徐々にO先生の良さを知り慕うようになっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>野球部はというと、新入部員が入り後輩ができた。</p><p>勉強も部活も友人関係も充実していたんじゃないかと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>そして六月の三年生引退試合。</p><p>コロナの関係で無観客試合となったが、外野の先の柵の向こう側から観戦。</p><p>豆粒で誰が誰だかハッキリわからなかったが、フォルムで我が子を確認しながら応援した。</p><p>&nbsp;</p><p>４番セカンドで出場したロビン。</p><p>&nbsp;</p><p>優勝候補と言われる相手チーム（毎回副顧問のくじ運が悪いらしい）は、みんなガタイが良く、</p><p>投げる球も速いし打撃もよく飛ぶ。</p><p>比べて我がチームは細いし小さいし打てないし捕れないしの四十苦。</p><p>試合の度に、とにかく守備の時間が長い。</p><p>&nbsp;</p><p>運よく点が入った時は、相手のミスがあった時。</p><p>そんな弱小チームでも、一生懸命なのはどこの野球部とも変わらない。</p><p>&nbsp;</p><p>結局五回コールド負け。</p><p>でも、一番最初に見た時よりも遥かに野球らしくなっていたし、このメンバーで</p><p>もっと練習していったら、きっともっと上手になるだろうなあと思った。</p><p>でも、残念ながら三年生は引退してしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>最後のミーティングが始まり、三年生キャプテンのママが</p><p>「次のキャプテンはB君だと思うから、後で引き継ぎをしなきゃね」と言った。</p><p>&nbsp;</p><p>Bくんは少年野球チーム上がりで、足も速く内野手も投手もできるエースだ。</p><p>Bくんのお母さんも、少年野球時代に他の保護者たちとの連絡や配車などを経験しているので、</p><p>キャプテンの親としての仕事もできる。</p><p>他にも経験者はいたが、私もBくんがキャプテンだと思った。</p><p>&nbsp;</p><p>昨年のキャプテン決めは、顧問が「自分たちで決めろ」と部員に任せた。</p><p>大人しく特に自己主張もしないメンバーだったので、決めるのに一時間近くかかった。</p><p>しかも「仕方なく」という感じでその日に決まったキャプテンは、後日「やっぱりできない」と</p><p>言って今のキャプテンに交代したらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>今回はすんなり決まるかなと、遠目で見ていたら顧問の「キャプテンはロビンしかいないだろう」</p><p>という声が聞こえて耳を疑った。</p><p>「確かにロビンは未経験で技術もない。でも練習を一度も休まなかった。野球に対する姿勢は</p><p>誰よりも良い。上手い、下手じゃない」</p><p>&nbsp;</p><p>顧問の言葉を聞いて、ロビンがキャプテンに相応しいかどうかは別として、</p><p>「ああ、ちゃんと見てくれていたんだな」と嬉しく思うと同時に感謝の気持ちが大きかった。</p><p>&nbsp;</p><p>他の二年生たちも「ロビンでいいと思う」と言ってくれて、予想外だったけれど、</p><p>やはりここでもまた、我が子が誇らしいと骨身に染みるように感じた。</p><p>&nbsp;</p><p>帰りに寄ったファミレスで、ロビンは上機嫌だった。</p><p>決して言葉には出さないけれど、キャプテンに選ばれたことが嬉しかったんだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>（４番セカンドで下手なのにキャプテンに選ばれるって、某漫画の某キャプテンと同じじゃないか）</p><p>&nbsp;</p><p>みんなより野球が楽しくて一度も休まず参加して一生懸命になれたのは、</p><p>ロビンが未経験で野球が新鮮だったからだと思う。</p><p>多分、これが野球ではなく水泳部とかサッカー部だったら、こんなに頑張れなかったんじゃないかな。</p><p>&nbsp;</p><p>こうしてキャプテンの母が未経験の私は、他の母たちに助けられながら、</p><p>キャプテンの母を務めていくのでありました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/thatslife2020113/entry-12753371867.html</link>
<pubDate>Thu, 14 Jul 2022 13:33:51 +0900</pubDate>
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<title>子供の可能性。</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>自慢話にしかならないから、友達には話せないことがある。</p><p>&nbsp;</p><p>だからここに書きたい。</p><p>&nbsp;</p><p>本当に私の子供なのだろうか……と思うほど、中学校に上がってからロビンの成績が伸びている。</p><p>&nbsp;</p><p>元々、小学生の時から宿題をやってからじゃないと遊びに行かない！と真面目な部分はあったけれど、</p><p>入学当初の学力テストの順位は一桁、以降の中間や期末なども上位をキープ。</p><p>そしてとうとう一位に君臨。</p><p>&nbsp;</p><p>「なんでそんなに勉強するの？」と母が問うのもおかしな話だが、ロビン曰く、</p><p>「勉強は好きじゃないけど、やっておけば自分のためになるし、やった方が良いと思う」だった。</p><p>&nbsp;</p><p>わかるよ、みんなそんなこと十分に理解しているんだけど、実行できないのが世の常。</p><p>&nbsp;</p><p>しかしガリガリ勉強しているようには見えず、逆に家ではiPadでゲームにyoutubeばかりで、</p><p>就寝時間も遅いし一体コイツはいつ勉強しているんだ？　と思うことも。</p><p>&nbsp;</p><p>学校の課題は休み時間や電車内、所謂スキマ時間でこなし、自由に遊べる家の中ではゲームや動画を見て、</p><p>就寝時間の早い私が消えてから「さあ、やるか」と勉強を始めるという。</p><p>&nbsp;</p><p>勉強も仕事も、やり方は人それぞれ。</p><p>&nbsp;</p><p>「ロビンくんはいいよね、自分で勉強するし、うちは塾に行かなきゃ勉強しない」と言われるが、</p><p>強制的でないとできない子は塾に通うのがいいし、自宅で自分のペースでやりたい子は通う必要はない。</p><p>塾に行っているから良いとか、塾に行かなくてもできるから良いとか、そういうことは関係ない気がする。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、塾代がかからないのは助かっているけれど。</p><p>&nbsp;</p><p>そして二年生に進級して、学校から手紙を貰ってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>「特待生への推薦」の手紙。</p><p>震えるほど驚いたし、ロビンすげえ！と叫んだ。</p><p>&nbsp;</p><p>受験のために通っていたジーモ塾の先生の言葉を思い出す。</p><p>「今できなくても、中学に入学してから成績が伸びる子はいるんですよ」</p><p>&nbsp;</p><p>入学時は一般生として入学した生徒が特待生となり、特待生として入学したが一般生になる子もいる。</p><p>そんなことってあるんだなあ、と子供の可能性や伸びしろに感心し、</p><p>同時に手を抜けば簡単に落ちてしまうことも痛感する。</p><p>&nbsp;</p><p>このまま学力を維持できるかは本人次第。</p><p>私は黙って見守るだけだ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/thatslife2020113/entry-12753353393.html</link>
<pubDate>Thu, 14 Jul 2022 12:11:38 +0900</pubDate>
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<title>野球までの道のり。</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>私は、物心がついた時には地元のプロ野球チームのキャップを被っていた。</p><p>多分、父に被らされていたんだと思うが、全く違和感もなく自然にそれを身に付けて</p><p>毎日遊びに出掛けていた。</p><p>&nbsp;</p><p>中学に入った頃、友達がそのチームのファンになり、一緒にテレビでナイターを見るようになってから、</p><p>好きな投手ができた。</p><p>試合を録画し、日曜日はそのチームのローカル番組を観て、オフシーズンの特番も楽しみだった。</p><p>&nbsp;</p><p>同時に、他チームも好きになった。</p><p>現地へ家族旅行に行った時はグッズを買い漁った。</p><p>&nbsp;</p><p>初めて野球観戦に行った時は、地元チームVS御贔屓チームで、</p><p>ちょうどホームとビジターの中間くらいの外野席で、野次を聞いては胸を痛めた。</p><p>&nbsp;</p><p>しかしその情熱も音楽に向いてからは薄れていき、次に興味を持って見たのは大人になってからの</p><p>高校野球だった。</p><p>職場の大型テレビに映し出される試合を見ていた時、我武者羅で、刹那で、</p><p>泥と涙で汚れる高校球児たちが尊かった。</p><p>&nbsp;</p><p>同じポピュラーな団体競技でも、サッカーは見なかった。</p><p>詳しいルールも知らないし、興味が湧かなかったのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>その時期、私のお腹にはロビンがいた。</p><p>ロビンが生まれて間もなく、私はとあることがきっかけで、再び野球が好きになった。</p><p>だから、ロビンが幼い頃から、家の前で野球を教えたものだった。</p><p>&nbsp;</p><p>ロビンは右利きだが、バットを持たせたら自然と左で打った（今は完全に右打ちだが）。</p><p>じいちゃんが「イチローと同じだ！」と喜んだのを憶えている。</p><p>&nbsp;</p><p>ロビンには、空手やテコンドー、柔道など、格闘技をやらせたかったのだが、</p><p>結果的に親の独りよがりで、ロビンはそういう気質ではなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>なので、習い事は入園に向けた母子分離を課題に始めた幼児教室と、スイミング。</p><p>&nbsp;</p><p>のちに、幼稚園に入園して集団生活を送るようになってわかったことは、ロビンは運動能力が長けているということ。</p><p>うだるような暑い夏の日も震えが止まらないほど凍える冬の日も、</p><p>朝から晩まで外遊びに付き合った甲斐あって、体力もあり足も速かった。</p><p>&nbsp;</p><p>小学校へ上がる時に、平日に活動する地元のサッカークラブへ入団した。</p><p>サッカーを上手くさせたかったのではなく、脚力の維持と体力の消耗が目的だった。</p><p>本当は野球チームに入団させたい気持ちはあったが、土日のみの活動で、当時は送迎が困難な状況だったのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>小学一年では、友達に誘われて短期間だけダンスも習った。</p><p>地元のダンス教室の先生が土日に小学校へダンスを教えに来てくれて、</p><p>最終目標は市民ホールのイベントでお披露目すること。</p><p>私が仕事でも、友達が一緒に連れて行ってくれるというので通わせた。</p><p>費用も、最後にお揃いで着るTシャツの作成費のみ。</p><p>&nbsp;</p><p>演目は三代目 J Soul Brothers の「R.Y.U.S.E.I」</p><p>踊れない私に似て、なかなか上手く踊れないロビンだったが、無事に千秋楽を迎えてよかった。</p><p>&nbsp;</p><p>サッカーは小学三年の冬頃まで続けた。</p><p>正直、性格的にもサッカーは向いていなかったこと、チームメイトと合わなかったことも知っていたが、</p><p>良い経験になったと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>その後、そろばんを始めたが、小学校卒業まで続けるつもりがコロナ騒動で休塾になりそのまま退塾。</p><p>スイミングは四泳法習得しタイム計測のクラスまで行っていたので、小学五年の夏に受験を決めた時に、</p><p>心おきなく退会。</p><p>&nbsp;</p><p>ちょうどその頃、私の野球熱が再燃した。</p><p>同時に、ロビンも野球に目覚め、今に至る。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/thatslife2020113/entry-12677866422.html</link>
<pubDate>Mon, 31 May 2021 21:59:17 +0900</pubDate>
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<title>野球部に入部。</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>例年であれば、４月中に部活見学をして５月には正式に入部が決まる部活動。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし６月に始業式を迎え、４月に行うはずだったオリエンテーションや学力テストなどで、</p><p>学校側は部活どころではなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>ようやく部活見学と体験入部が始まったのは７月だったが、ロビンの心は一切の迷いはなく</p><p>野球部に決まっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>本来なら６月に行われる大会が三年生の引退試合になるはずだったが、</p><p>コロナ禍で中止になってしまったことで、７月の練習試合が引退試合となった。</p><p>&nbsp;</p><p>当時のロビンは、４～５人での遊びの野球しかやったことがなく、野球部に入って</p><p>練習をすることをすごく楽しみにしていたので、当日は控えにいたが、最終回に</p><p>代打で起用された時のあの緊張感と不安感は見ているこちらにもダイレクトに伝わってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>実はそれまでの間、ロビンは初心者ながらに全日練習に参加して、家ではyoutubeの</p><p>野球の動画を観て守備の動きを勉強したり、課題の未提出者は試合に出さないという顧問の言葉に、</p><p>全てに真面目に取り組んでいた。</p><p>&nbsp;</p><p>だが試合当日、最終回にロビンより先に代打起用されたのは、一緒に入部した</p><p>初心者のLくんだった。</p><p>&nbsp;</p><p>以前Lくんに、ロビンが「試合に出られなくなるから課題をやろうよ」と声を掛けたら、</p><p>「別に試合なんか出たくない」と吐き捨てられ、一時は未提出で、その後、顧問から小言を言われて</p><p>課題を提出したが、いい加減な練習をしていて顧問からよく怒鳴られていたそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>だからロビンも、話を聞いていた私も、状況によっては打順が回ってこない最終回の代打に、</p><p>Lくんが先に選ばれたことが悔しかった。</p><p>&nbsp;</p><p>実力がものを言うスポーツなのだから、努力をしたかしていないかよりも、</p><p>勝つためにはロビンよりも体格が良く、バットを振る力のあるLくんが選ばれたのは当然なのだ。</p><p>わかっていても、親バカは悔しいものである。</p><p>&nbsp;</p><p>結局Lくんは三振、打席が回ってきたロビンも三振で、何の力にもなれなかったわけだが、</p><p>お情けでも出場させてくれた顧問には感謝の気持ちでいっぱいだった。</p><p>&nbsp;</p><p>そののち、Lくんは野球部を辞めた。</p><p>顧問の指導が厳しいことで、私生活に支障が出るという理由だった。</p><p>他人のせいにして楽な方へ逃げるという卑怯な言い訳にしか聞こえなかった。</p><p>ロビンは、ただでさえ部員の少ない野球部から離脱されてしまうのは、部の存続に関わるので</p><p>辞めて欲しくなかったそうだが、心の狭い私は「やる気のない奴はやめちまえ！」だった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>９月、２度目の練習試合があった。</p><p>この日は急遽決定したこともあり、人数の関係でスタメンに選ばれていたロビン。</p><p>野球を始めて４ヶ月にも満たない超初心者がスタメンに選ばれるということは、</p><p>一体どういうチームなのか察しがつくであろう。</p><p>&nbsp;</p><p>まだ購入したユニフォームが全て揃っていない状態で、ユニフォームのズボンと学校の体操服を纏い、</p><p>夏休みにじいちゃんに買ってもらったzettのバットを持って試合に挑んだロビン。</p><p>&nbsp;</p><p>希望通りのセカンドを任され、打順は確か７、８番だったかな。</p><p>&nbsp;</p><p>観戦していた私としては、バッティングに期待はしていないから、</p><p>とにかく打たれた球がセカンドに飛ばないこと、エラーをしないことを祈った。</p><p>&nbsp;</p><p>一方的な攻撃を受けて、試合は終始劣性だった。</p><p>打たれれば誰も捕れない、球を拾ったところでどこに投げていいかわからない、</p><p>投げればあらぬ方向に飛んでいく、ランニングホームランは当たり前、盗塁されまくり、</p><p>誰も声を出さない、試合自体に何が起きているのか把握できていない。</p><p>この子たち、野球を知らないのかしら？　と疑ってしまうほどの、弱小チームだ。</p><p>&nbsp;</p><p>前回は、最終回裏で代打からそのままセカンドの守備についたロビンは、相手チームが打った球が</p><p>セカンドライナーとなり、捕れるはずもなくなんとか腹で受け止め、先輩から褒められたと言っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>今回の打撃は四球、空振り、ファウルフライなどで終わり、守備は送球ミスもあったが、</p><p>なんとか試合に参加している形にはなっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>まだたった二回の実戦だが、ロビンにとっては確実に自分が少しずつでも上手くなっていると</p><p>感じているようだった。</p><p>もちろん私も。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、この年最後の大会では、背番号をもらってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>「４」。</p><p>&nbsp;</p><p>初めてユニフォームに縫い付けた時、こんな日が来るなんてなあ……としみじみ思った。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>つづく。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/thatslife2020113/entry-12677800722.html</link>
<pubDate>Mon, 31 May 2021 21:38:43 +0900</pubDate>
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<title>一年生の間の出来事。</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>同じクラスに、趣味や話の合う仲の良い友達ができ、部活でも気の合う同級生や</p><p>気軽に話せる先輩と巡り合い、学校生活は好調だった。</p><p>&nbsp;</p><p>小学生の時でも、この先大人になっても必ず馬の合わない人間はいるもので、</p><p>やはり何人かのクラスメイトに関して愚痴を零してはいた。</p><p>&nbsp;</p><p>感染症対策のためのマスクをつけずに大声で話し、それを注意されると逆ギレする生徒。</p><p>発熱しているにもかかわらず登校する生徒。</p><p>目立ちたいがために教室で暴れる生徒。</p><p>誰に迷惑をかけたわけでもない行動を目撃しては、教師に密告する生徒。</p><p>自分の落ち度を教師のせいにして楽な道へ逃げたずるい生徒。</p><p>&nbsp;</p><p>ロビンには目につくようで、毎日のように文句を言っていた。</p><p>時には関わってしまい損をすることもあった。</p><p>&nbsp;</p><p>家で私に話すことで鬱憤は晴れるようで、聞いている私がイライラすることも……。</p><p>でも、話してくれているうちが華だと思い、今まで午前中だけだった仕事を</p><p>フルタイムに変えたことで疲れて眠くてしんどい時でも、なるべく聞いて同調した。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、ロビンが間違っていることは咎めたし、過剰に反応していることは</p><p>上手く受け流すようにアドバイスをした。</p><p>&nbsp;</p><p>ロビンは旦那に似て、意外と繊細なのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>ある休日、小学校時代の友達から野球に誘われたロビンは</p><p>久し振りに小学校の友達と会った。</p><p>一緒に野球や談話をして帰ってきたので、「楽しかった？」と尋ねたら、</p><p>「うーん、楽しかったけど、なんか話が合わない」と言っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>私には詳しくはわからないけれど、本人曰く、なんとなく会話が合わなかったそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>通っている学校が違うから、友達や先生の共通点が少なくなっちゃったからかな？</p><p>と聞いたが、そうではないらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>その後も、小学校の友達から卒業遠足で行く予定だったＤランドに誘われていて、</p><p>「どうしよう、別に行きたくないんだよね……」と呟いていたので、</p><p>「無理に行く必要ないんじゃない？」と言うと、すんなり「断る」と答えを出していた。</p><p>&nbsp;</p><p>昔だったら、大して行きたくなくても「でも行かないと、話についていけないかも」</p><p>と無理に出向いていたので、他人に合わせる必要はないと学んだのかなと思った。</p><p>&nbsp;</p><p>実はこういうところも旦那譲り。</p><p>&nbsp;</p><p>実際に今、ロビンが好きで聴いている音楽は、私が中学生の頃から好きなバンドの曲。</p><p>当然のことながらロビンの年齢で楽曲を聴いている子は周囲には皆無。</p><p>私と同じく、加えて流行のJ-POPなども聴かないし興味もないようで、</p><p>そのことに対して、ロビンも私も困ったことも肩身の狭い思いをしたこともないのだが、</p><p>旦那は「友達とカラオケに行くときに困るんじゃない？」とか「話が合わなくて困るんじゃない？」とか、</p><p>心配をしている。</p><p>&nbsp;</p><p>旦那は話や趣味を周囲に合わせるタイプ。</p><p>でも本当は興味がなかったり、うろ覚えでものを言うので、どこか話が嚙み合わなくて</p><p>「ああ、こいつ合わせてるだけだな」とすぐ見抜かれてしまう。</p><p>そこに嫌悪ではなく好感を持てる人が、「いい奴だ」と言ってくれるのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>我が子だからこそ心配しているのかも知れないが、私はロビンには無理に周囲に合わせて</p><p>好みをコロコロ変える人になって欲しいとは思っていない。</p><p>聴きたくもない音楽や、楽しいと思えないオンラインゲーム、苦痛でしかない友人関係ではなく、</p><p>自分の本当に好きなもの、好きなことを楽しんでもらいたい。</p><p>&nbsp;</p><p>言わずもがな、時と場合にもよるし、他人に迷惑をかけたり和を乱さなければの話だ。</p><p>&nbsp;</p><p>いつか「この人と仲良くなりたい」と自分の趣味を捻じ曲げてでもそう思える人が現れたり、</p><p>感性が変わったり、年を重ねていけば、自然と触れる物も変わってくるのだから。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>それまでは、周囲の言葉に、無理に自分を変えて欲しくないと、母は思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/thatslife2020113/entry-12677800562.html</link>
<pubDate>Mon, 31 May 2021 16:17:15 +0900</pubDate>
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