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<title>万葉集アーティースト小林範子が贈る「初心者のための万葉集」紹介ブログ</title>
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<description>万葉集入門者のために、日本一やさしく紹介します。万葉集には恋や愛の言葉がたくさん散りばめられています。</description>
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<title>十五夜、十三夜、十日夜（とうかんや）</title>
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<![CDATA[ <blockquote cite="http://www.kobayashinoriko.com/archives/1160">　昨日は、十三夜だったのですね。今日はちょっと曇りがちの月の写真です。<br>十三夜とは、十五夜の「のちの月」の十三日目の月のことで、十五夜の次に<br>美しい月とされています。それで別名が「のちの月」。<br>　ちなみに十五夜は、中秋の名月といわれる旧暦８月十五日の満月のことです。<br><br>　旧暦では、１月から１２月まで。初春、仲春、晩春、初夏、仲夏、晩夏、<br>初秋、仲秋、晩秋、初冬、仲冬、晩冬と季節を分けておりました。今の暦で<br>１ヶ月半位ずれるので、「十五夜」、中秋の名月は９月から１０月になります。<br>この頃収穫されるおいもをお供えすることから「芋名月」とも言うそうです。<br>　<br>　そして、その次に美しいとされる、翌月の「十三夜」とセットでお月見を<br>すると縁起が良いとされています。片方だけ見る「片見月」はよくないとされました。<br>この時期のお供えから「栗名月」とか「豆名月」ともいわれます。<br><br>　家によっては、おまんじゅうだったり、お団子だっだり様々ですよね。<br><br>　さらに翌月の十日夜（とうかんや）には、東日本を中心に収穫祭が行なわれ、<br>稲の収穫を祝ってお餅をついたり、様々な行事が行なわれていました。<br><br>　この十五夜、十三夜、十日夜の３つのお月見をすると大変縁起が良いそうです。<br><br><strong>月読（つくよみ）の　 光に来ませ　あしひきの　山きへなりて　遠からなくに</strong>670（お月さまの光でいらっしゃいませ。山が隔てて遠いというわけでもありませんに）<br><br><br><br><br>引用元：<a href="http://www.kobayashinoriko.com/archives/1160">十五夜、十三夜、十日夜（とうかんや）</a></blockquote>
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<link>https://ameblo.jp/the-manyo/entry-12088612017.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Oct 2015 20:25:39 +0900</pubDate>
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<title>家持先生、浮気男をいましめる</title>
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<![CDATA[ <blockquote cite="http://www.kobayashinoriko.com/archives/1146"><strong>紅は　うつろふものぞ　橡（つるばみ）の　なれにし衣に　なほ及めやも</strong><br>4109 くれなゐは　うつろふものぞ　つるばみの　なれにしきぬに　なほしかめやも<br>「紅は美しいが色が褪せてしまうものだ。橡色で染めた衣は地味であっても<br>、慣れ親しんだ衣に、およぶことがあろうか。」（大伴家持）<br><br>　大伴家持が部下の書記官である史生尾張少咋（ししやうをばりのをくひ）<br>が遊行女婦（＝遊女）の左夫流児（さぶるこ）に浮気したことを、<br>やんわりと、しかも、なかなか厳しくいましめる歌です。この和歌の前にはこういう歌が二首。<br><br><strong>あをによし　奈良にある妹が　高々に　待つらむ心　しかにはあらじか</strong><br>4107あおによし　ならにあるいもが　たかだかに　まつらむこころ　しかにはあらじか<br>「青丹も美しい奈良にいて、ひたすら待ちわびている妻の心は、<br>まったくもっともなことではないか。」<br><br><strong>里人の　見る目恥はづかし　左夫流児（さぶるこ）に　さどはす君が　宮出後姿（みやでしりぶり</strong>）<br>4108さとびとの　みるめはずかし　さぶるこに　さどはすきみが　みあでしりぶり<br>「里人の見る目が恥ずかしいではないか。左夫流児（さぶるこ）と<br>いう女に迷っている君が出勤する後ろ姿は。」<br><br>　ところが、その２日後、なんと！！くだんの妻が馬に乗って都から<br>乗り込んできたのです。つまり、越中にいる夫が都の本妻を呼び迎えるため<br>の使いを出したのに、その使いも待たずにみずからやってきてしまったのです。<br><br>　そこで家持先生、大いにうろたえ、大仰に誇張をまじえ、これはこれは<br>大騒動出来（しゅったい）とばかりに、次の和歌を詠んだのです。<br><br><strong>左夫流児が　斎きし殿に　　鈴懸けぬ　　駅馬下れり　里もとどろに</strong><br>さぶるこが　いつしきとのに　すずかけぬ　はゆまくだれり　さともとどろに<br>4110 「左夫流児殿が大切にお使え申す書記官殿のお屋敷に、駅鈴もつけず<br>に早馬（本妻）がやってきた。里中鳴り響くばかりに息せききって。」<br><br>　本来、官道の駅家に備えた官人利用の馬は、駅馬利用の資格を証明する<br>鈴をつけているはずなのに、それもつけずに、本妻が勝手に尾張少咋の館に<br>やってきたのである。尾張少咋と左夫流児は<br>同棲していたのですね。<br>　こういうふうに描かれた、嫉妬に狂った本妻の姿は、中世にしきり<br>に行なわれたという「後妻（うわなり）打ち」の風習の起源を見ているよう<br>です。後妻に対して、前妻方が日程を予告、<br>相当数の人数で竹刀を持って襲うというもの、やがて仲裁が入るのですが、<br>死者が出たともいわれるオソロシイ風習です。<br><br><br><br><br>引用元：<a href="http://www.kobayashinoriko.com/archives/1146">家持先生、浮気男をいましめる</a></blockquote>
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<link>https://ameblo.jp/the-manyo/entry-12084638797.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Oct 2015 23:27:18 +0900</pubDate>
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<title>天の川が渡れなかった彦星</title>
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<![CDATA[ <blockquote cite="http://www.kobayashinoriko.com/archives/1126"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151015/22/the-manyo/12/39/j/o0400028313455361587.jpg"><br><br>第十巻秋の雑歌は七夕歌を中心に、植物、動物、天象地象などを歌った和歌集です。<br>七夕の夜、天の川を渡って織女のもとに彦星がやってくるのですが…。<br>天の川を渡る方法は、橋を渡るか、または徒歩で川を歩くのですが、こんなはずれた歌もあります。<br><br>七夕（なぬかのよ）<br><strong>天の川　去年の渡りで　うつろへば　川瀬を踏むに　夜そ更けにける2018　</strong><br>あまのがわ　こぞのわたりで　うつろへば　かはせをふむに　よぞふけにける<br>柿本人麻呂歌集より<br>「天の川は、去年の渡りで瀬が移ってしまったので、それを探して川瀬を<br>瀬踏みしているうちに、夜が更けてしまったことだ。」<br><br>　瀬踏みに時間をとられてしまって、逢うべき時を失ってしまい、<br>地団駄踏んで残念がるかわいそうな彦星のようです。男性が女性のもとに通うのは、<br>午後８時くらいから夜中までとされていたので、夜更けには通ってはいけないのです。<br><br><strong>天の川　瀬を速みかも　ぬばたまの　夜は更けにつつ　逢はぬ彦星  2076　</strong><br>あまのがわ　せをはやみかも　ぬばたまの　よはふけにつつ　あはぬひこぼし<br>2076　<br>「天の川の流れが速いからなのかなあ。夜は更けて行こうとするのに、織女に<br>逢わない彦星よ。」<br>　流れの緩やかな渡り瀬を探すうちに、見つからずに夜が更けてしまって、<br>逢うのをあきらめた気の弱い彦星です。<br><br><strong>天の川　棚橋渡せ　織女の　い渡らさむに　棚橋渡せ　2081　</strong><br>あまのがわ　たなはしわたせ　たなばた　のいわたらさむに　たなはしわたせ<br>作者不詳<br>「天の川に橋を渡せ。織女が渡って行かれるだろうために、橋を渡せ。」<br>　日本の七夕伝説では、彦星が天の川を渡ってくるのを織女が待つパターンです。<br>ところが、この歌では、じっと待っていられず、自分が天の川を渡ろうという<br>織女の歌です。棚橋とは、板をつけずに渡しただけの簡単な構造の橋のことで、<br>中国の七夕伝説では渡るのは鵲（かささぎ）橋だったのですが、日本では棚橋に<br>なりました。織女は「一枚の板でいいから、橋を渡せ」と叫んでいます。<br>凄まじい恋のエネルギーを感じる和歌ですね。<br><br><br><br><br>引用元：<a href="http://www.kobayashinoriko.com/archives/1126">天の川が渡れなかった彦星</a></blockquote>
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<link>https://ameblo.jp/the-manyo/entry-12084623557.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Oct 2015 22:50:41 +0900</pubDate>
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<title>恋のいろいろ⑥： 万葉人の恋のジンクス</title>
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<![CDATA[ <blockquote cite="http://www.kobayashinoriko.com/archives/483"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151015/23/the-manyo/80/8f/j/o0400025013455387154.jpg"><br><br>万葉人の恋のジンクス<br>　<br>　まず、万葉人が信じていた、ユニークな恋のジンクスをご紹介しましょう。<br>  何だか眉がむずがゆい、くしゃみがでそうなのは、現代人なら風邪や<br>花粉症のせいだと思ってしまうでしょうが、万葉人は恋人に逢える兆候だと<br>思っていました。衣服の紐が自然にほどけるのも、また相手が自分を<br>思ってくれている印だったのです。唐の伝奇小説『遊仙窟』に由来する、<br>こんなジンクスも恋の問答に使われているのです。<br><br>（男の歌）<br><strong>眉根痒き　鼻ひ紐解け　待てりやも　いつも見むかと　恋ひ来し我を2808　</strong><br>「眉を掻いて、くしゃみをして紐をほどいて待っていてくれたんですか。<br>あなたのことのことばかり思っている僕のことを」<br>（女の歌）<br><strong>今日なれば　鼻ひ鼻ひし　眉痒み　思ひしことは　君にしありけり2809</strong><br>「たしかに今日はクシャミも出るし、眉も痒くてたまらなかったわ、<br>それはあなたのせいだったのね。」<br><br>　この２首の男女の恋のやりとりは、柿本人麻呂歌集として<br>2408番に載る類歌を用いたものです。<br>　<br><strong>眉根掻き　鼻ひ紐解け　待つらむか　何時かも見むと　思へる吾を</strong>　2408<br>「眉をかき、くしゃみをし、下紐がとけて待っているであろうか。<br>いつになったら遭えようかと思っているこの私を。」<br><br>くしゃみをするのは人が自分を思う兆し、というジンクスに基づき歌った<br>和歌をもう一首。<br><strong><br>うちはなひ　鼻をぞひつる　剣大刀　身に添う妹し　思ひけらしも　2637</strong><br>「くしゃんと、くしゃみをした。腰に帯びる剣の太刀のように、いつも我が身に<br>寄り添う妻が、今僕のことを思っているらしいよ。」<br><br>　相手が自分のことを思ってくれているか、今夜はきてくれるのか、恋は不安で、<br>つらくて、切なくて。そんな気持ちは今も昔も変わらないですね。<br><br><br><br><br>引用元：<a href="http://www.kobayashinoriko.com/archives/483">恋のいろいろ⑥： 万葉人の恋のジンクス</a></blockquote>
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<link>https://ameblo.jp/the-manyo/entry-12064183049.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Oct 2015 14:44:24 +0900</pubDate>
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<title>旅とことば　日本人の自然との向き合い方</title>
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<![CDATA[ <blockquote cite="http://www.kobayashinoriko.com/?p=398"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150919/22/the-manyo/a5/5b/j/o0400025013429570828.jpg"><br><br>藤原定家によって『百人一首』にいれられたの菅原道真の名歌<br><br><strong>このたびは　幣（ぬさ）もとりあえず　手向山　もみじの錦　神のまにまに</strong><br><br>&nbsp;<br><br>私たちは、意外に古代の信仰に思わず慣れ親しんでいることに気づきます。<br>この道真の和歌の意味は、このたびは急な旅で、幣も用意していません。<br>この峠に立って、幣の変りにハラハラと散る紅葉の錦を神様に備えます。<br><br>佐々木幸綱氏によると、古代の信仰では、袋にいれて、携帯している幣を<br>まいて、土地の境、峠の神様に差し出して、旅の無事を祈りました。<br>万葉にも数多くある旅の歌は、その土地の名をいれて、歌をつくり、<br>その神を讃え、無事に通していただくよう祈るというものでした。<br><br>地名はその土地の神である国つ神の名前であり、地名を入れた歌をつくって、<br>その土地を賛美するのです。それだけでなく、旅の歌の中で故郷や妻などに<br>ついて歌いことで、故郷とつながると考えられていました。当時　峠など<br>危険な箇所を通過する際には、家にいる妻の名を口にすることでその魔除け<br>になったのです。<br><br><strong>怒（かしこ）みと　告らずありしを　み越道の　手向けにたちて 妹が名告りつ　3730</strong><br><br>おそれおおいことで口にせずにいたが、峠の拝所にたってとうとう口にしてしまった。<br>愛発山（あらちやま）の峠。中臣家守は佐野おとがみ乙女との恋で越前への流罪に<br>なっています。<br>地名や名には呪力があるので、うかつに口にしてはいけないと信じられていました。<br>名を口にすることでその魂をよびよせるのです。地名をよぶことは特別なことなの<br>です。<br><br>また有名な柿本人麻呂の和歌にあるのは<br><br><strong>近江の海　夕波千鳥　汝が鳴けば　心もしのに　古思ほゆ 266</strong><br><br>&nbsp;<br><br>菅原道真の歌の素晴らしさはもともとの歌と変わって、土地を読んでいないことで<br>太宰府への旅に普遍性を持たせているのですが、万葉においては、土地の名前を入れ<br>ることで、土地を賛美したわけです。<br><br>巻７には、月や山や様々な事物、　神の降臨する山や森のうたがあります<br><br>故郷を思える歌　<br><br><strong>清き瀬に　千鳥妻呼び　山の際に　霞たつらむ　神奈備の里　１１２５</strong><br><br>和琴を詠める<br><br><strong>琴とれば　嘆き先立つ　けだしくも　琴の下びに　妻や籠れる</strong><br><br>琴を手にとると　それだけで嘆きが先にたつ、ひょっとして琴の胴の中に<br><br>妻がかくれているのではないか。当時、琴は神の宿るよりしろのひとつと考えられていました。<br><br>高橋虫麻呂歌集にも同様の歌がたくさんあります。<br><br><strong>三諸の　神奈備山に　立ち向かふ　み垣の山に　秋萩の　妻をまかむと</strong><br><br><strong>朝月夜　明けまく惜しみ　あしひきの　山彦響め　呼び立</strong>て鳴くも<br><br>山彦とは山の精霊で、山中での音の反響は万葉人は精霊のしわざと考えました。<br><br>&nbsp;<br><br>山や木々、川など自然に神が宿ると考え、自然を崇拝する日本的・東洋的な考え方は、<br>自然と対峙し、自然をコントロールする西洋の人々には新鮮に響くようです。<br>和歌を詠む、和歌を味わうという行為は、環境を大切に地球と共存してゆく上で、<br>とても大切なものでもあります。<br><br>&nbsp;<br><br><br><br><br>引用元：<a href="http://www.kobayashinoriko.com/?p=398">旅とことば　日本人の自然との向き合い方</a></blockquote>
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<pubDate>Tue, 22 Sep 2015 17:04:44 +0900</pubDate>
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<title>高橋虫麻呂と富士山讃歌</title>
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<![CDATA[ <blockquote cite="http://www.kobayashinoriko.com/?p=785"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150919/22/the-manyo/f4/b0/j/o0640042713429574247.jpg"><br><br>　芭蕉は、あの最高の紀行文『奥の細道』の冒頭、「そぞろ神」に憑かれて旅立つと述べていますが、万葉人のなかでこうした「そぞろ神」に憑かれた旅人を探すとすれば、なんと言ってもこの高橋虫麻呂が忘れがたき存在です。官人として旅にやむをえず出るのですが、すぐにそれを超えてしまいます。<br>　彼はまるで現代の旅人のようです。彼の歌には、非日常の旅に出て、見慣れぬ自然や風物に出会えることをこの上もなく楽しんでいる歌人の姿を見ることができます。<br>　虫麻呂は実際筑波山に登山もしています。そして、筑波の嶺からの良い眺望を眺め、旅の憂いも消えてしまったと詠っています。また、鳥の眼になって、驚くまでに俯瞰した、すばらしい富士山讃歌をつくりあげています。<br><br>　なまよみの　甲斐の国　うち寄する　駿河の国と<br>　こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 富士の高嶺は<br>　天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず<br>　燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ<br>　言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも<br>　せの海と 名付けてあるも その山の 堤める海ぞ<br>　富士川と 人の渡るも その山の 水のたぎちぞ<br>　日の本の 大和の国の 鎮とも います神かも<br>　宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも<br><br>　また、この歌人は、単に空間的にそぞろ神に取り憑かれているだけではありません。<br>時間的にも、その見事な好奇心で、旅で出会う、当時もはや黄泉(よみ)の国に住まう、<br>いにしえの伝説の魅力的な娘子たちを冴え冴えと和歌のなかによみがえらせてくれています。<br>　例えば、川端康成氏がノーベル文学賞を受賞した翌年、ハワイ大学での講演<br>「美の存在と発見」のなかでも取り上げた「葛飾の真間娘子を詠める歌一首」<br>を朗読すると、たとえようもない美しい響きの流れ、まさに虫麻呂の天才的な<br>ポエジーと呼べるものに出会えます。<br><br>　鶏(とり)が鳴く　東(あづま)の国に　古(いにしえ)に　<br>　ありけることと　今までに　絶えず言ひける　<br>　勝鹿の　真間の手児奈(てごな)が　麻衣(あさぎぬ)に　<br>　青衿着(あおくびつ)け　ひたさ麻(を)を　裳(も)には織(お)り<br>　着(き)て　髪だにも　掻(か)きは梳(けず)らず　<br>　沓(くつ)をだに　はかず行けども　錦綾の<br>　中につつめる　斎(いは)ひ子(ご)も　<br>　妹(いも)に及(し)かめや　望月(もちづき)の　<br>　足(た)れる面輪(おもわ)に　花のごと　<br>　笑みて立てれば　夏虫の　火に入るがごと　<br>　港入(みなとい)りに　船漕ぐごとく<br><br><br><br><br>引用元：<a href="http://www.kobayashinoriko.com/?p=785">高橋虫麻呂と富士山讃歌</a></blockquote>
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<pubDate>Tue, 22 Sep 2015 12:49:08 +0900</pubDate>
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<title>魔法のコトバ⑤旅とことば</title>
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<![CDATA[ <blockquote cite="http://www.kobayashinoriko.com/?p=447"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150916/20/the-manyo/5b/c4/j/o0400030013426762325.jpg"><br><br>柿本人麻呂（長歌）<br><br>葦原の瑞穂の国は　神ながら　言挙げせぬ国<br><br>しかれども　言挙げぞする　言幸く　ま幸くませと<br><br>つつみなく　幸くいまさば　　荒磯浪ありても見むと<br><br>百重浪　　　千重浪にしき　　言挙げす我は　言挙げす我は<br><br>（反歌）<br><br>言霊の国は　言霊の助くる国ぞ　ま幸くありこそ<br><br>&nbsp;<br><br>万葉集にはたくさんの旅立ちの歌があります。古代の日本ではことばは力を持つと考えられていたので、想いを言葉にはしない習慣があったのですが、これからの旅立ちにあえて思いを言葉にあらわすことで、旅立つ相手の旅の無事を祈りました。良い旅になりますようにという思いをこめた、柿本人麻呂の格調高い送別の歌です。<br><br>&nbsp;<br><br>柿本人麻呂は、万葉時代の歌を専門に読むプロである、宮廷歌人として素晴らしい歌を残しています。しかし、梅原猛氏の「水底の歌」では、柿本人麻呂は左遷されて最後は石見で非業と死をとげるといわれています。梅原氏は、万葉集自体、当時の歴史を綴る壮大な叙事詩といっています。天皇の権威を確立するともに、非業の死をとげた多くの人々の魂をなぐさめ鎮魂の歌集だともいわれています。<br><br>いずれにしれも、音、色彩、映像など、和歌に五感で感じるすべてがこめられている歌は<br>神に通じる力の強い和歌と信じられていたようです。<br><br>和歌は、その土地の神様への賛美でもあります。<br><br>５６　　川の上のつらつら椿つらつらに　見れども飽かず巨勢の春野は<br><br>５７　　引間野に　にほふ榛原入り乱れ　衣にほはせ　旅のしるしに<br><br>仁（に）ほふは霊力が周囲に浸透してゆく感覚で、美しく色づいた榛原の土地のはんの木の霊力を衣にうつして旅の安全を祈るのです。<br><br>(ひむがし)の野(の)に　かぎろひの立つ見えて<br><br>かへり見すれば　月かたぶきぬ<br><br>東の野原を見れば空を真っ赤に染めていままさに朝陽が昇ろうとしている。 振り返って西の空を見ればまだ月が沈まずに残っている。<br><br>先ほどの柿本人麻呂のあまりにも有名な和歌。過去を痛み、未来を思う曙の情景の歌です。月が沈み、朝日がのぼる朝の風景が美しく描かれています。軽皇子(後の文武天皇)が 阿騎野で狩りをした時に 宮廷歌人の人麻呂が詠んだといわれています。<br><br>天武天皇の子であった草壁皇子が亡くなってしまったことを悔やみつつ草壁皇子の子である軽皇子の未来を祝福していますが、直接の事実を言わずに映像的に示唆しています。<br><br><br><br><br>引用元：<a href="http://www.kobayashinoriko.com/?p=447">魔法のコトバ⑤旅とことば</a></blockquote>
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<link>https://ameblo.jp/the-manyo/entry-12064182968.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Sep 2015 20:19:44 +0900</pubDate>
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<title>魔法のコトバ⑥和歌で素敵なおもてなし</title>
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<![CDATA[ <blockquote cite="http://www.kobayashinoriko.com/?p=1052">こうあってほしいという理想の姿を視覚的にイメージして歌った和歌の数々ですが<br>それ自体、日本の素敵なおもてなし文化ツーリズムのコマーシャルのようです。<br><br>テーマ＝JAPAN<br><strong><br>大和（やまと）には　郡山（むらやま）あれど　<br>とりよろふ　天（あま）の香具山（かぐやま）　<br>登り立ち　国見（くにみ）をすれば　<br>国原（くにはら）は　煙（けぶり）立つ立つ　<br>海原（うなはら）は　鷗（かまめ）立つ立つ　<br>うまし国そ　蜻蛉島（あきづしま）　大和の国は　</strong><br><br>この国には多くの山があるけれど　とりわけ美しい天の香具山　<br>その頂に登って見渡せば　里にはかまどの煙が　海にはかもめが<br>ほんとうにうるわしの国　蜻蛉島　大和の国は　２<br><br>舒明天皇の作とされますが、豊作を祈る行事で集団で<br>歌われた歌かもしれません。<br>ほんとうは香具山から海はみえませんが、より豊かな暮らし、<br>家のかまどの煙、海や川の産物、田畑の豊作のシンボルを使って<br>理想的な国ができることをイメージしていますね。<br><br>テーマ＝富士山<br><br>　<strong>なまよみの　甲斐の国　うち寄する　駿河の国と<br>　こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 富士の高嶺は<br>　天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず<br>　燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ<br>　言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも<br>　せの海と 名付けてあるも その山の 堤める海ぞ<br>　富士川と 人の渡るも その山の 水のたぎちぞ<br>　日の本の 大和の国の 鎮とも います神かも<br>　宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも<br></strong><br><br>なまよみの甲斐の国と、波うち寄せる駿河の国と、<br>あちこちの国のまん中にそびえ立っている富士の高嶺は、<br>天雲も流れたゆたい、空とぶ鳥もそこまではのぼらず、<br>頂に燃える火は雪で消し、また降る雪を火によって消し、<br>いいようもなく名づけようもなく、とおとくいらっしゃる神であるよ。<br>近くに石花（せ）の海※と人々の呼んでいる湖も、この山が抱く海であるよ。<br>富士川として人々の渡っている川も、この山に発する激流であるよ。日輪の輝く、<br>わが大和の国の鎮めの神としていらっしゃるよ。宝としてでき上がった山であるよ。<br>駿河の富士の高嶺は、いつまでも見飽きないなあ。<br>（出典：中西進著「万葉集 全訳注原文付（一）」講談社文庫<br><br>富士山を歌った高橋虫麻呂の歌ですが、「なまよみの甲斐の国」と、「うち寄せる駿河の国」<br>とても素敵な表現ですね。<br>なまよみの甲斐の国というのは、現世と黄泉の国（あの世）が交差する、という説があるそうですが<br>そのくらい不思議な所が山梨ということでしょうか。<br><br>地名に枕詞がつくのは、その土地に宿る神を鎮めるためといわれています<br><br>その他には　「玉藻よし　讃岐の国」　「衣手の　常陸の国」など様々です。<br><br><strong>衣手 常陸の国の ふた並ぶ 筑波の山を見まく欲ほり 君来ませりと <br><br>暑けくに 汗かきなけ　木の根取り うそぶき登り　峰をの上を 君に見すれば<br><br>男神も 許したまひ 女神も ちはひたまひて<br><br>時となく 雲居くもゐ雨降る 筑波嶺を さやに照らして いふかりし 国のまほらを<br><br>つばらかに 示したまへば 嬉しみと 紐の緒を解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ<br><br>うち靡く 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど<br><br>今日の楽しさ</strong>　１７５３<br><br><br><br><br>引用元：<a href="http://www.kobayashinoriko.com/?p=1052">魔法のコトバ⑥和歌で素敵なおもてなし</a></blockquote>
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<pubDate>Sat, 19 Sep 2015 23:13:18 +0900</pubDate>
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<title>魔法のコトバ②願いを叶える和歌</title>
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<![CDATA[ <blockquote cite="http://www.kobayashinoriko.com/?p=384"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150919/11/the-manyo/15/51/j/o0400030013429006529.jpg"><br><br>このような不思議な言霊の力ですが、和歌の形にコトバを整えることで、思いが歌の形の中にとどまることによってその霊力は強まると考えられていました。万葉集の和歌の特徴をあげてみますと<br><br>①　５－７－５－７－７のリズム<br><br>特に、和歌の形、つまり「５－７－５－７－７」に整えることで、リズム感よく、音としてノリがよく、聞き手も聴きやすく、記憶に長く留まりやすいフォーマットが出来ます。<br><br>コトバを和歌にして発することで、意識に長く残り、より物事をひきよせやすく、神様へ願いを届けやすくできると、当時の人々は考えていたのです。<br><br>②　理想の状況を見える化する<br><br>春すぎて　夏きたるらし　白妙の　衣ほしたり　天の香具山　　　　（持統天皇）<br><br>熟田津に　船乗りせむと　月待てば　潮もかなひぬ　今はこぎいでな　（額田王）８<br><br>こうあってほしいというイメージを浮かべやすいような視覚的なコトバを連ねることでさらに言霊は威力を増すと考えられていたようです。あらまほしき姿がイメージでとらえられることで、その記憶が鮮明に長く意識づけられます。<br><br>また「こうなると良いな」でなく、「こうなる」という形で和歌を言い切っていることで、そのコトバの持つエネルギーがイメージとして固定化し、現象化しやすくなるのです。額田王も持統天皇もそうしたシャーマンのような力を持ち、理想の未来をイメージして引き寄せる力をもった女性でした。<br><br>このように政治（まつりごと）に和歌が用いられただけだけでなく。街づくりや建設の際にも歌われました。藤原宮の御井の歌などは、藤原宮の建設の際に、一般の人々がかり出されてその建設に携わったようですが、出来上がった藤原の宮を賛美し、その都の聖なる水の井戸を讃えることで、都が繁栄し、井戸の清水が永遠につきないよう言霊にした歌でもあります。その都は、東に香具山、西に畝傍山、北には耳成山、そして南にひらいた縁起の良い、中国の風水をとりいれたつくりになっています。<br><br>藤原宮の御井の歌　５２<br><br>やすみしし わご大君　高照らす　日の皇子　あらたへの　藤井が原に<br><br>大御門　始めたまひて　埴安の　堤の上に　在り立たし　見し給へば<br><br>大和の　青香具山は　日の経(タテ)の　大御門に　青山と　繁さび立てり<br><br>畝火の　この瑞山は　日の緯(ヨコ)の大御門に　瑞山と<br><br>山さびいます　耳無の 青すが山は　背面(ソトモ)の　大御門に　宣(ヨロ)しなへ<br><br>神さび立てり　名ぐはし　吉野の山は　かげともの　大御門ゆ　雲居にぞ<br><br>遠くありける　高知るや　天のみかげ　天知るや　日のみかげの　水こそは<br><br>常にあらめ　御井の清水<br><br>　短歌<br>　53　藤原の　大宮づかへ　あれつくや　処女がともは　ともしきろかも 　<br>　右の歌は、作者いまだ詳らかならず」<br><br>東に香具山、西に畝傍山、北には耳成山、そして遠くに吉野を望みます。その藤原の都の聖なる水の井戸を讃えています。<br>　「日の経(タテ)・日の緯(ヨコ)」は、東西南北の方角のをあらわしています。<br><br>藤原宮の建設のために、おおぜいの人々が借り出されました。<br>都市には給水設備がが必要なので、この井戸をひいたわけですが、<br>水が枯れないように、神に祈りました。今でも地鎮祭や「地鎮祭」、「上棟祭」、「竣工祭」など、ビル工事でも住宅建設でも必ずといってよいほど行なわれてますが、他国にはこういう風習があるのでしょうか。<br><br><br><br><br>引用元：<a href="http://www.kobayashinoriko.com/?p=384">魔法のコトバ②願いを叶える和歌</a></blockquote>
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<link>https://ameblo.jp/the-manyo/entry-12074804023.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Sep 2015 20:20:41 +0900</pubDate>
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<title>万葉人と祈り③天の川と織女　</title>
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<![CDATA[ <blockquote cite="http://www.kobayashinoriko.com/?p=759"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150916/00/the-manyo/91/8f/j/o0640048013426112669.jpg"><br><br><strong>天の川　霧立ち上る　織女（たちばな）の　雲の衣の反る袖かも　2063<br>古に織りてし機を　この夕へ　衣に縫いて　君待つ我を 2064<br>足玉も　手玉もゆらに　織る機を　君がみけしに　縫いもあえむかも2065<br></strong><br><br>布を織ることは、縦糸と横糸を紡いで永遠の命をつなぐ子宝繁栄の行為とも<br>考えられており、洋の東西をかかわらず女性の大切な職業とされてきました。<br><br>万葉集第１０巻の秋の雑歌には七夕を歌った歌がたくさんおさめられています。<br>中国では七夕は牽牛と織女の秋の歌ですが、これに日本の棚機女（たなばたつめ）<br>の伝説が一緒になったようです。<br><br>棚機女とは織機を織る女性のことです。上記の歌では、雲を天女の衣に見立てて、<br>霧を袖と見たてています。袖を返すことは、思う人に逢えるというまじないでも<br>ある話は以前にしましたが、また別に、吉野の宮で天武天皇が琴を弾くと、<br>雲をともなった神女が袖を５回翻して舞ったという伝説があり、織女を天女に<br>重ねた歌であるようです。（『本朝月令』年中行事秘抄ー多田一臣氏「万葉集全解」）<br><br>棚機女は神聖な職業でもありました。足玉は、足首にまいた玉で、手玉は手首にまい<br>た玉。神を迎えるための巫女の姿です。そんな玉がゆらめきなから美しい音をならし<br>ながら機を織るという姿は、単なる労働としての機織りではなく、女性が巫女として<br>祭祀とかかわる重要な仕事に関わっていたことをしめしてもいます。今のように<br>奈良時代の女性はキャリアウーマンでもあったわけです。<br><br>また、天の川は、英語でMILKY WAY といいますが、ギリシア神話では，ヘラクレスが<br>生まれた時，女神ヘラの乳房を強く吸ったため，乳がほとばしって天の川となったと<br>説明されています。月の女神の化身である女性たちの母乳の流れが天の川となり、<br>生命が誕生を表していて、天の川は、子孫繁栄の象徴でもあります。<br><br><br><br><br>引用元：<a href="http://www.kobayashinoriko.com/?p=759">万葉人と祈り③天の川と織女　</a></blockquote>
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<link>https://ameblo.jp/the-manyo/entry-12073598966.html</link>
<pubDate>Wed, 16 Sep 2015 23:37:06 +0900</pubDate>
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