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<title>織田義輝のブログ</title>
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<description>自伝</description>
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<title>社員で有る僕が初心者であることで、</title>
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<![CDATA[ <p>この焼肉屋がオープンするにあたって経営コンサルタントも入ってました。</p><p>店の基本的な骨格の部分はコンサルタントが決めて、そしてアルバイトを入れた状態でのホール教育、厨房にも同じようにコンサルタントが入って教育をしていました。</p><p>新しいレジを入れるのですが、このレジは当時としては最新のレジである程度パソコンの教養がないと使えないものでした。</p><p><br></p><p>今では当たり前になってますがサービスをする人がオーダーを取る時に個人個人がオーダー機を持っていて、そのオーダー機に注文を入力し、無線で厨房にある受信機に送信してオーダーを通すレジを当時としては最新のレジを使ってました。</p><p><br></p><p>そして実践を想定した配置を決めるわけですが、</p><p>案内</p><p>サービス</p><p>フォロー</p><p>ドリンカー</p><p><br></p><p>　はウェーティングボードを見ながら来客を席へ誘導し、サービスにテーブル番号を伝えてメニューを取りに行くように伝える係なので、やはりホール全体の動きを把握して適切に指示を出せる事を求められる。</p><p><br></p><p>サービスは案内が通した来客が席に着いてから、おしぼり、お冷、などを持って行き、1人ずつにおしぼりを渡してオーダーを通す係、常に笑顔で社交的に来客と話が出来る人材を登用していました。</p><p><br></p><p>フォローは主に料理提供、客が帰った後のバッシング、座席の清掃、補充などです。</p><p>料理提供には順番があり、さ、し、す。せ、その順番で料理提供をする事をしていました。</p><p>ちなみに、さは砂糖、しは塩、すは酢、せは醤油、そは味噌です。</p><p><br></p><p>ドリンカーは料理より先にドリンクを提供する事をこだわっていました。</p><p>ドリンカーはホールの中でも厨房に近い業務になります。</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/tigermusc-2021/entry-12698294016.html</link>
<pubDate>Thu, 16 Sep 2021 15:08:46 +0900</pubDate>
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<title>焼肉屋オープン</title>
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<![CDATA[ <p>この会社にとって当時は初めての焼き肉屋出店。</p><p>経営コンサルを入れての研修となりました。</p><p><br></p><p>初めは社員5人当時の次長と現在の社長と3人の社員、</p><p><br></p><p>この3人の中で飛び抜けて経験値が高かった社員がいました。</p><p><br></p><p>肉のブロックの筋切りや肉の切り方などを3人でやる訳ですが、経験値が高い社員はすぐに厨房に決まりもう1人の社員の人も飲食店経験値で僕は勝てなくその人も厨房、</p><p><br></p><p>そして僕はホールの仕事に落ち着きました。</p><p><br></p><p>そして募集していたアルバイトも決定しコンサルタントを入れた研修が始まりました。</p><p><br></p><p>そのアルバイトもかなり経験値の高い大学在学中の学生を積極的に採用していたので、当時の僕より仕事が出来る連中ばかりでした。</p><p><br></p><p>全く何も段取りが決まってない状態でのスタートだったので、まず最初にスタッフの配置から始めました。</p><p><br></p><p>この頃は連日朝9時から深夜帰りだったのですごくしんどかったのを覚えています。</p><p><br></p><p>役割分担として案内係、サービス、フォロー、ドリンカー、と四つの役割を作り各自に専用の役割を作り、人数が足らないときは他の役割をフォローすると言う決まり事を決めました。</p><p><br></p><p>案内係は来客が有れば座席まで案内するだけで無く、ウェーティングが掛かった状態になれば案内した座席にオーダーを取るサービス係に伝達する。</p><p>もう一つは厨房に料理が溜まった状態になればフォローに料理を配膳する指示をしたりする役割も有りました。</p><p><br></p><p>サービス係は直接お客さんにオーダーを取る役割なので愛想が良い。笑顔が有る。愛嬌も有る、焼肉屋の顔になる人なのでその点はとても重要でした。</p><p><br></p><p>フォローは主に料理提供とバッシングと座席の拭き掃除が主な仕事になります。新規でアルバイトに入ったら1番最初に始める仕事です。</p><p><br></p><p>ドリンカーはその名の通りドリンクを作る人。カクテルやワイン、焼酎、生ビール、ソフトドリンク全てを1人で全てを賄う場所で、料理提供では1番最初に提供しなきゃならないところなので、スピード勝負の現場でした。</p><p><br></p><p>集まったメンバーで役割を決めて行くことになります。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tigermusc-2021/entry-12696046048.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Sep 2021 17:24:50 +0900</pubDate>
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<title>少しずつ仕事に慣れてきて。</title>
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<![CDATA[ <p>今度はセントラルキッチンで作った生地をお店のうどんを切る機械で作る工程。</p><p><br></p><p>ここの店のうどん生地は皆さんがよく知る店の生地より少し硬めです。</p><p><br></p><p>昔の製麺機は細かい設定などは有りません。全て職人のカンを頼りに作ってます。</p><p><br></p><p>機械の刃の幅は均一です。ただうどんを切る時の生地の厚みが違うと出来上がりの太さに違いが出ます。</p><p><br></p><p>太いうどんを茹でると時間がかかります。厚さが均一なら良いのですが、厚さが均一で無い場合湯掻きムラが出ます。</p><p><br></p><p>これではおいしいうどんにはなりません。なのでこの時期はうどんを切る時の厚さの感覚を指で覚えておくようにとよく言われてました。</p><p><br></p><p>僕はうどんを作る作業は得意だったのでこの作業はすぐに覚えました。</p><p><br></p><p>次にカツ丼です。カツ丼のカツはチルドで凍ったまま当時はあげてました。</p><p><br></p><p>天ぷらの揚げるタイミングはあがっている時の音の違いを判断します。</p><p><br></p><p>チルドの場合は一旦そこに沈んである程度火が通ってから浮かび上がります。浮かびあがった時に揚げている音がカラカラと言う音にかわります。</p><p><br></p><p>ここのうどん屋ではこれらのことを勉強しました。</p><p><br></p><p>半年が過ぎた頃焼肉店がオープンする話が有り、そこのオープニングスタッフとして働くことになります。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tigermusc-2021/entry-12695490001.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Sep 2021 17:52:59 +0900</pubDate>
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<title>うどんを作る修行。</title>
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<![CDATA[ <p>修行をしに行った会社は材料のほとんどをセントラルキッチンで製造し各店舗で盛り付け、あるいは加工する体制を取っていました。</p><p><br></p><p>そのような体制で有るので、比較的経験が浅い人や学生、主婦などでも簡単に調理することはできました。</p><p><br></p><p>うどん生地はセントラルキッチンで製造されたものを、各店舗に有る製麺機で加工して茹でて出します。</p><p><br></p><p>私も初めて製麺機に挑戦しました。ベテランの人がやると簡単そうに見えるのですが、今のうどん製麺機のように細かく設定して目安に出来るものが全く無いんですね。</p><p><br></p><p>全てがうどんを作る人のカンです。なので下手くそが作ると作るたびに太さの違ううどんになったりします。</p><p><br></p><p>大きな横に広いうどん釜を使って一度に四つの生地を湯がける釜だったので素早く動かなきゃならない。</p><p><br></p><p>忙しい時は釜から直接箸でうどんを掬って一人前の玉にしなきゃならなかったので、メガネは曇るから曇り止めをしなきゃいけない。</p><p><br></p><p>ここの場を任されてる人は正確に早く作業をしないと全体の業務に支障をきたすところなので、任された時はいつも緊張してました。</p><p><br></p><p>慣れたらそうでもないんですが、完全に湧きだってる熱湯の前に立ってうどんを箸で掬うので暑いし、急かされるし腕は火傷をするし、慣れてないから仕方ないんですね。</p><p><br></p><p>この頃は全てにおいて四苦八苦してました。</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/tigermusc-2021/entry-12692189625.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Aug 2021 18:52:22 +0900</pubDate>
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<title>飲食店経営者への道。</title>
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<![CDATA[ <p>今まで介護士の仕事しかした事が無く、包丁も握った事も無い自分が飲食店経営者を志すわけですからこの先の試練も厳しかったですね。</p><p><br></p><p>親戚の会社に入社して初めに配属されたのはうどん屋さんで、カウンターが20席ぐらいで2階に座敷が有り、そこでうどんすきや、一品料理を提供している店です。</p><p><br></p><p>そこで働いているスタッフは店長と昼のパートさんは年上でしたが、学生さんも居て年下の上司にうどんの手解きをされる立場でした。</p><p><br></p><p>入社後の1週間は仕事の流れを覚える為に隅っこに立たされてひたすら声出しでしたね。一つの場所にひたすら立ち続けるのはこんなに辛いものなのか？と当時は思ってました。</p><p><br></p><p>1週間が過ぎ今度は皿洗い。営業部長さんには残飯にはその店の評価が出ていると言われました。</p><p><br></p><p>今となれば非常に重要な事なんですが、美味しい物を食べた時は舐めるように食べているんです。美味しくなかったら残して何も言わずに帰る、その違いに気づけるか？気づかないか？はとても重要な事ですね。</p><p><br></p><p>洗い場の仕事は1ヶ月程やりました。</p><p><br></p><p>そして厨房の真ん中の仕事をやり始めました。工程は湯掻き上がったうどんに具を入れて出汁を入れる。</p><p><br></p><p>うどん鉢はメニュー毎に鉢の種類が違うのでまず鉢の種類を覚えていく。すぐに覚えないとピーク時にはとてもついていけません。</p><p><br></p><p>あと大事なのは盛り付け、早い提供だけではダメで盛り付けも綺麗でなおかつ早い提供。</p><p><br></p><p>私は初めの頃はモタつく事が多く周りに迷惑をかける事が多かったです。モタつく事が多かった事が原因でなかなか次の工程にはいけなかったですね。</p><p><br></p><p>やっとその工程に慣れてきて今度は機械を使ってのうどん打ちです。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/tigermusc-2021/entry-12690711150.html</link>
<pubDate>Fri, 06 Aug 2021 18:17:33 +0900</pubDate>
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<title>リハビリ現場から介護現場へ。</title>
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<![CDATA[ <p>診療所のリハビリはほとんど患者が来なくなってきていて、ろくな事を考えなくなって来てこれは良くないと思ってました。</p><p><br></p><p>それと同時にこの診療所にはもう患者は来ることは無いと判断したためです。</p><p><br></p><p>3年目の時は僕は重介護が必要な介護室の専門担当になり、介護士になってやっと介護士らしい仕事につきました。</p><p><br></p><p>その時は気持ちも充実し非常に楽しみながら仕事をさせてもらってました。</p><p><br></p><p>主な仕事は、バイタルチェック、投薬補助、送迎</p><p>食事介助、排泄介助、などや。通院入居者の送迎、急患入居者の病院への送迎。などでした。</p><p><br></p><p>仕事そのものは楽しかったのですが、前に述べた不祥事によって入居希望者の数が少なってきているのに亡くなられる入居者が増えてきます。</p><p><br></p><p>全入居者50人に対して当時は30人辺り、どんどん会社の経営は行き詰まって行きます。</p><p><br></p><p>とある日、父にその現状を伝えると、お前は介護士を辞めて家業を継げと言われました。</p><p><br></p><p>将来について悩んでいた時期でもありました。ただ最後の1年に介護士らしい仕事をして、この仕事の良さを再確認出来る事も出来ました。</p><p><br></p><p>待遇の事、この会社の未来、当時お付き合いしていた子と事、介護士を辞めたら彼女とは別れなきゃならない事。</p><p><br></p><p>色々悩みました。今思えば介護士としてやっていても大丈夫なのでは？と思いましたが、</p><p><br></p><p>現場の介護の仲間には大反対されてかなり怒られましたが、家業を継ぐ事を決意し介護士を辞めました。</p><p><br></p><p>第二の人生。うどん屋の経営者になる為に父方の兄が経営するうどん屋に修行に行くことになります。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tigermusc-2021/entry-12686601686.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Jul 2021 18:38:14 +0900</pubDate>
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<title>この老人ホームは倒産したので。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>2年目に入り急に老人ホームに併設している診療所に行ってくれないか？と言われます。</p><p><br></p><p>急にボーナスカット、職員全員が社長室に呼ばれて事態の説明が行われました。</p><p><br></p><p>併設している診療所は当時医師が沢山在籍するグループ企業に業務委託をしていて、そのグループの医師が診察を行っていました。</p><p><br></p><p>倒産に直接繋がった理由は、このグループ企業が医療点数を水増しで不正請求を行っていた、そして監査が入って社会的信用を徐々に無くしていき経営に行き詰まり倒産しました。</p><p><br></p><p>このような事情がありリハビリ経験の有る僕と在籍していた理学療法士、社長の知り合いの鍼灸師、でリハビリをしていました。</p><p><br></p><p>ただやはり最初のうちは患者さんも沢山いてましたが、悪い噂はすぐに広まるもので徐々に患者も少なくなり暇を持て余すようになりました。</p><p><br></p><p>その時に一緒に仕事していた鍼灸師の先生が、とある国立大学出身者で、そのような人はどんな勉強の仕方をしているのか？に興味がありました。</p><p><br></p><p>先生がいうには書いて覚えるのではなく読んで覚えた方が頭に入るということでした。</p><p><br></p><p>その時まで僕は勉強は得意では無いと思っていたんですが、書いて覚えることが大事だと教わっていました。でもその勉強方法は僕には全くあいませんでした。</p><p><br></p><p>理由は書くことに疲れるからです。書くことに集中して頭で覚えようとしないだから飽きて勉強しないに繋がるんですが、</p><p><br></p><p>トイレで漫画を読むやろ？と聞かれ、その感覚で教科書を読んでみたら？そうすれば頭に入るんじゃないか？と言われて実践するとすごく記憶する様になりました。</p><p><br></p><p>仕事事態はすごく暇でダラダラ1年間過ごしましたが、鍼灸師の先生の勉強の仕方を聞けた事がこの1年間の得られた事ですね。</p><p><br></p><p>この勉強の仕方は今ではかなり有効なアドバイスです。</p><p>調理師もこのやり方で一発合格でしたのでよかったです。</p><p><br></p><p>ただこの辺りから介護士に対する熱意が徐々に冷め始めてきます。</p><p><br></p><p>この時期は自分の将来についても悩むことは多かったです。</p><p><br></p><p>そしてこのリハビリの仕事はしたくないと社長に伝えて介護現場に帰らしてくれと頼みに行きます。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/tigermusc-2021/entry-12686570595.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Jul 2021 15:23:55 +0900</pubDate>
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<title>そして辞職して新たな目標を作る</title>
<description>
<![CDATA[ <p>新しい理学療法士が入り居場所も無くなり辞職することになります。</p><p>その後も色々あったのですが、それをここに書いてもプラスになる事は無いので省きます。</p><p><br></p><p>再就職をする間店で皿洗いをして再就職先を探しました。</p><p><br></p><p>親には介護士辞めて家に帰って来いとも言われましたが、</p><p><br></p><p>リハビリ病院での経験は介護士として活動する上でやり残した思いが有り、親に無理を言って介護の仕事を探しました。</p><p><br></p><p>今度は特別養護老人ホームか、有料老人ホームで最低3年働いてケアマネージャーを取るか？以前から興味の有った作業療法士を取るか？それとも家に帰って家業を継ぐか？3択で悩んでました。</p><p><br></p><p>そうこうしているうちに有料老人ホームに就職が決まりそこで3年間お世話になることになります。</p><p><br></p><p>介護職員は10人その中で男性は僕を含めて2人、アットホームな雰囲気で仕事をやりやすい環境でしたので、居心地は良かったです。</p><p><br></p><p>その施設で前からやりたかったレクリエーションをやっていき色んな提案をしていきました。</p><p><br></p><p>その施設で行われていたレクリエーションは週一回の童謡を歌うぐらいだったので、</p><p><br></p><p>創作活動と名をつけて折り紙や紙を使って様々なものを作ったり、作った作品を施設に飾ったりして、</p><p><br></p><p>入居者と職員とのコミュニケーションに役立っていたようです。</p><p><br></p><p>この介護士時代にやっていたレクリエーションが今現在のソーシャルメディアでの活動の原点となります。</p><p><br></p><p>もともと自分が企画立案してやるイベントが好評で楽しそうにやる姿を見ていることに充実感を得られることが多かったのですね。</p><p><br></p><p>レクリエーションをする事にやりがいは感じてましたが、介護士の本業である排泄介助や入浴介助などに対しては正直あまり好きにはなれなかったです。</p><p><br></p><p>そして一年目が過ぎ2年目に突入します。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tigermusc-2021/entry-12682710980.html</link>
<pubDate>Fri, 25 Jun 2021 15:13:21 +0900</pubDate>
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<title>理学療法士が補充され居場所が徐々になくなっていく。</title>
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<![CDATA[ <p>社会人一年目の冬に阪神、淡路大震災を経験します。</p><p>普段1時間半で行ける距離が7時間も掛かったりと六甲山の山奥だったので大変だったことを覚えいます。</p><p><br></p><p>社会人2年目に僕の人生に置いて今までの考え方をひっくり返すぐらいの出来事が有りました。</p><p><br></p><p>2年目に4人の理学療法士が就職してきました。</p><p><br></p><p>前もって言っておますが、お互い若いしトゲトゲした時もあったので若気の至り的な出来事も有りました。</p><p><br></p><p>ただ今現在ではお互いの誤解を解いて充分に納得出来るまで話し合いをした上です仲直りはしております。</p><p><br></p><p>現在の地位を確立した事を考えてみれば、すごい子らと知り合ったんだなぁと思います。</p><p><br></p><p>2年目の保険点数が稼げない介護士と、一年目から資格を取得して保険点数を稼げて病院に貢献できる理学療法士。</p><p><br></p><p>こういう状況になってしまうと仕事の格差以外に人間関係の格差も徐々に生まれます。</p><p><br></p><p>歳の近い男と女が同じ職場に居れば恋愛も生まれます。同じ資格であってもいろんな出来事が有りますが、</p><p><br></p><p>僕の場合は異業種での恋愛のもつれもあったわけです。向こうは同じ業種で有れば行う行事も同じ。</p><p>僕は異業種ですのでそんなに関わる事も無くすれ違いが多い。</p><p><br></p><p>恋愛も不利になってくると同時に僕らの同業種の介護士達も離職したり配置転換させられたりして</p><p>別れ離れしていきます。</p><p><br></p><p>初めて就職した時にまさかこういう展開になっていくとは思わず、社会は厳しいなと思ったと同時に僕の中にあった甘えの部分が少しずつ消えていった事を思い出しました。</p><p><br></p><p>4人の介護士のうち2人は離職し残った2人で仕事を頑張っていました。</p><p><br></p><p>そしてそうこうしているうちに3年目を迎えて新たに4人の理学療法士が採用されます。</p><p><br></p><p>そして僕の居場所はどんどん無くなっていきます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tigermusc-2021/entry-12680559694.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Jun 2021 15:15:31 +0900</pubDate>
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<title>初めての就職と大きな挫折</title>
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<![CDATA[ <p>専門学校を無事卒業しリハビリテーション病院に就職します。</p><p><br></p><p>当時は理学療法科に配属されてリハビリ助手として勤務しました。</p><p><br></p><p>当時の介護福祉士は現在のように介護保険法というものが存在せず、国家資格なのに無資格の人と同じような仕事をしていました。</p><p><br></p><p>僕の同期の人は特別養護老人ホームなどに就職していったのですが、当時の僕は周りに流されるように生きていたので、</p><p><br></p><p>何も考えずに就職出来たら良いという簡単な考え方で就職を決めていました。</p><p><br></p><p>そこの病院はリハビリテーションでは有名な病院でモチベーションの高い職員も多く、</p><p><br></p><p>ほぼ無資格に近い僕たちに対して同期の理学療法士の人達は少し見下していた記憶があります。</p><p><br></p><p>仕事だけ見下すような感じだけならまだ我慢はしたのですが、２０歳そこそこで男女が居ればそれなりの軋轢は有ります。</p><p><br></p><p>当時はわからなかったですが、今僕が個人事業主で独立しようと思う最初のきっかけになった出来事がこの時ありました。</p><p><br></p><p>当時理学療法士のとある先生に好意を持ってました。まだまだ若気の至りがあったのでアタックしたりしてたのですが僕の気持ちが届かない。</p><p><br></p><p>どうしても乗り越えられない見えない壁がありました。当時はもちろん理解すらしてませんでしたが、</p><p><br></p><p>やはり給料を貰って雇われて仕事をしてるわけですその病院はリハビリテーション病院、もちろんリハビリで保険点数を取れる理学療法士。</p><p><br></p><p>それに比べて保険点数は当時は取れなかった介護福祉士、仕事の差別化と同時に恋愛格差が同時に生まれていったわけです。</p><p><br></p><p>医療と介護は密接です。リハビリも医師の処方箋がない限りは勝手に出来ません。縦の関係性が出来上がっているので、当時の介護福祉士は当然1番下で病院では立場が無かったです。</p><p><br></p><p>これはあくまでも今から27年前の話です。今現在は地位もかなり上がってます。</p><p><br></p><p>足りない理学療法士を補う形でしか存在しなかったので、翌年病院は新たに理学療法士を採用します。</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/tigermusc-2021/entry-12678208273.html</link>
<pubDate>Wed, 02 Jun 2021 16:28:27 +0900</pubDate>
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