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<title>tizuasupeのブログ</title>
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<title>もう一つの選択肢</title>
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<![CDATA[ <p>仙台の就労移行に通うには交通費もかかるし、体力的にも相当エネルギーを使うということを思い知らされた僕は、実は仙台の就労移行に見学に行く前、最近僕のすむ町の隣町に、新しく就労移行ができたという話を聞いていました。、</p><p>&nbsp;</p><p>それで僕は福祉関係の職員に連絡して、見学したいと申し出ました。すぐに見学に行くことができましたが、何かお店をやっていた建物をリフォームして、作り変えたというような、こじんまりとしたところでした。</p><p>&nbsp;</p><p>そこではパソコンやソーシャルスキルの訓練をということでした。隣町と言っても、僕の町から電車で通おうと思うと、結局ローカル線を乗り継いでということになってしまいます。交通費、定期を買おうと思えば、仙台に行くより若干安いという程度です。</p><p>&nbsp;</p><p>車で行けば、２０分かからないのですが。僕は悩みました。このまま授産施設に通い続けるのか、でもそれは避けたかったのです。何とか別の道を切り開きたいと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>その就労移行施設は、作業所もやっていて、いわゆる就労継続支援A型の施設と一緒に経営しているところでした。そのことを家族に話したら、兄がその作業所に通いたいと言いました。</p><p>&nbsp;</p><p>僕はもしかしたら、兄の車で、僕が就労移行に通って、兄が作業所で働くということで、通えるかもしれないと期待しました。</p><p>&nbsp;</p><p>さっそく兄とその施設に話を聞きに行きました。作業所のほうはもう定員が少なくなっていて、定員１０名であと一人ということでした。</p><p>&nbsp;</p><p>兄はぜひ働きたいと言いました。就労移行と作業所は通う時間帯は同じなので、兄の車で就労移行に通えるかもしれないと期待しました。</p><p>&nbsp;</p><p>ところが向こうからに返事は、兄は仕事から離れて随分経っているし、賃金が派生する以上、確実に働ける人でないとということで、断られてしまいました。</p><p>&nbsp;</p><p>僕はがっかりしました。ところが就労移行のほうはまだ一人しか、通っておらず、まだ定員には余裕があり、兄が自分もパソコンをやってみたかったので就労移行にいっしょに通ってもいいと言い出しました。</p><p>&nbsp;</p><p>不安もあったのですが、電車を乗り継いで通うより兄と一緒に兄の車で通えるということで、そういう方向で話を進めることになりました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tizuasupe/entry-12318663146.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Oct 2017 16:14:34 +0900</pubDate>
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<title>就労移行支援</title>
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<![CDATA[ <p>授産施設に通うようになって３か月が過ぎました。僕には計画があって、何事も物事が進むには時間がかかるということを思い知らされてたので、仙台にある発達障害者向けの就労移行う支援に通うという希望を叶えるため、授産施設に通って３が月たったら、就労移行に通う行動に移すというものです。</p><p>&nbsp;</p><p>さっそく障害者生活サポートセンターに話を持ちかけました。そうしたら返事があって、前にも一度見学に行ったけど、時間がたっているしもう一度実際に来てほしいということでした。生活支援センターの職員の方も同行してくれるということでした。</p><p>&nbsp;</p><p>実際に見学に行ったのは年が明けて、１月中旬だったと思います。いろいろ話を伺い、実際に体験入所するということになりました。１月の最後の週だったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>その日がやってきました。その就労移行では色々なプログラムを組んでいて、様々な訓練を行っていました。よく話しかけてくれた女性がいたのですが、色々就労移行に通ったけどここはきついと言っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>一日昼休みを挟んで、４時間ぐらい、一時間ごと様々なプログラムを個別に行うという感じでした。パソコン入力から軽作業の訓練的なもの、細かい手作業など、さまざまなことをしました。</p><p>訓練自体は厳しいとは感じませんでしたが、仙台まで通うこと自体のほうが大変でした。</p><p>&nbsp;</p><p>通っている人はみんな仙台近郊の人で、僕が一番遠くから通っているようでした。早めに起きて、通勤時間のローカル線に乗って、本線に乗り継ぎ、小一時間ぐらいかかります。訓練よりも通所に使うエネルギーのほうが大変だと思いました。それに月曜から金曜まで通ったのですが、電車運賃も結構な金額でした。</p><p>&nbsp;</p><p>金曜になり最後の体験入所の日がやってきました。訓練が終わった後ほかの利用者さんや職員の方にお礼お言い、施設を後にしましたが、雪が降っていました。天気予報では大雪になると言っていましたが、僕のすんでいる町に着いた頃には相当積もっていて、自宅に着くまで大変でした。</p><p>&nbsp;</p><p>どこかに通う。それができなければ社会参加も復帰もできません。ただ仙台に月曜から金曜まで通う。これは相当エネルギーを使うことだと思い知らされました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tizuasupe/entry-12314178111.html</link>
<pubDate>Tue, 26 Sep 2017 16:18:41 +0900</pubDate>
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<title>授産施設になれる</title>
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<![CDATA[ <p>どこかに通う習慣を身に着けるためという理由で授産施設に通所することになりましたが、だんだん慣れてきました。休み時間には和室で過ごすことが多くなり、話をする人も増えました。</p><p>&nbsp;</p><p>でもやっぱり、知的障害者の人は精神年齢が実年齢より低い感じがしました。別に僕も精神年齢が実年齢と同じとは思っていませんが、でも印象的にはそうでした。</p><p>&nbsp;</p><p>色々話をするうち、この施設に養護学校を卒業してから、通っているとかそういう人が多かったです。ほかの選択肢、障害者雇用でどこかに勤めるとか、ないのかなとも思いましたが、そういう人もいるでしょうけど、誰もがそういうわけにはいかないので、こういう施設があるのかなとも思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>話を聞いていると、兄弟や姉妹でどちらも知的障害者である人が多かったということです。</p><p>僕の兄は統合失調症なので、発達障害は生まれつきの脳の機能障害ということなので、自分も二次障害として統合失調症を発症する可能性が高いのかなと不安になりました。</p><p>&nbsp;</p><p>と言っても統合失調症は２０前後に発症することが多いそうですが、もう大丈夫かなと思っても絶対なんてないので安心はできないのかなとも思います。</p><p>&nbsp;</p><p>この施設には、僕のすむ町や隣町からだけではなく、結構離れたところからも通っている人もおり、それなりに重要な受け皿的なところだったのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>どこかに定期的に通う習慣を身に着ける、という目的はそれなりにできてきたかなとも、思いました。この施設ではいろいろイベントなども行われ通っていた時にも、餅つきやバレンタインデー、ホワイトデーなどがありました。</p><p>&nbsp;</p><p>通っている人たちがどんな意義を見出して通い続けているのかはわかりませんが、僕は日常のルーティンとして組み込まれた感じでした。社会参加というような感じは全くしませんでした。</p><p>僕の性格なのか、自閉症スペクトラムならではの感覚なのかは分かりません。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tizuasupe/entry-12313013511.html</link>
<pubDate>Fri, 22 Sep 2017 16:17:22 +0900</pubDate>
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<title>大切な場所</title>
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<![CDATA[ <p>よく話しかけられた、僕と同じ小中学校に通っていたという、僕より５つ下の男性に、昼食の時、彼が中学を卒業してからすぐにこの施設に入ったこと、夜八時に寝て、朝６時に起きるということなどを聞きました。</p><p>&nbsp;</p><p>彼は会話能力が高く、別に障害者雇用でどこかに勤めるという選択肢がなかったのかなと思いましたが、そこまで聞こうとは思いませんでした。彼は僕が高校を卒業したと聞くと、ここに通うのはもったいないと言いました。</p><p>&nbsp;</p><p>彼は隣町の商業高校を受験したけど落ちたと言ってましたが、知的障害と言っても軽度、あるいはボーダーラインとか呼ばれる人だったのでしょうか。これ位の微妙な人が犯罪者になってしまったり、ホームレスになったりというようなことはよく言われていますが、休みの日には家族でよく隣町の商業施設に行くと言っていたので、家族に恵まれた人なのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>彼が僕にこの施設に通うのはもったいないと言いましたが、彼ぐらいならほかの選択肢もあったりするのかもしれませんが、もしかしたら養護学校に行かずに、普通の学校に通ったのが影響しているのかなとも思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>印象に残っているのが彼はこの施設に自転車で通っているのですが、始まるのが朝９時半からなのに、もう８時にはここに来ているといううことでした。もう職員が来ているので開いているということでた。</p><p>&nbsp;</p><p>どんないきさつでこの施設に通い続けているのかはわかりませんが、彼にとっとはこの施設は大事な場所なのかなと思いました。帰属意識というものでしょうか。誰でもどこかに所属していたいという気持ちでしょうか。自分にはわかりませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>思い出すのが、初めて発達障害支援センターに行ったとき、話の中で、引きこもっていていったい何をしているの？と聞かれたことです。僕は新聞を読んだり、図書館で借りた本を読んだり、音楽を聴いたり、録音したラジオを聴いたりなどと答えましたが、普通の感覚では働きもせず、いったいどうやって時間をつぶすのかということだったのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>学校を卒業して、そこに時間を使うという生活から離れて随分立ってしまっていたので、僕は普通ではないのでしょう。人はどこかに所属していたい生き物。それは僕にはわからないのかもしれません。性格なのか障害からくる感覚なのか僕にもわかりません。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tizuasupe/entry-12312182428.html</link>
<pubDate>Tue, 19 Sep 2017 18:55:20 +0900</pubDate>
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<title>自閉症</title>
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<![CDATA[ <p>授産施設の通うようになって、初めのころ作業中に隣に座っていた方は自閉症でした。確認したわけではないけど、そうだったと思います。</p><p>彼はひたすらあるものを触り続けていました。</p><p>&nbsp;</p><p>僕は初めのころ昼食が終わってから、たまにしゃべりかけられたけど、時間を持て余していました。授産施設には和室があって、そこでは昼休みテレビをつけていました。体験入所の時もそうだったのですが、その時中に入ったら話しかけられて対応に困ったので始めは中に入りませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>通ううちだんだん慣れてきたので、和室に入ってみることにしました。テレビの前には自閉症の彼が座っていました。誰もテレビは見ていないようなので、チャンネルでもいじってみようかと思ったら、自閉症らしき彼が僕の手を取ってチャンネルを変えようと知るのです。</p><p>&nbsp;</p><p>ああこれがいわゆるクレーン現象というものかと思いました。その日を境に昼休みには和室で休むことになりました。自閉症の彼はたまに立ち上がって、誰かに後ろから抱きつこうとしていました。拒む人もいれば、抱きつかれたままにする人もいて、彼は何をしているのかよく分からないけど、僕には抱きつかないのかなと思っていたら、彼の前に立ってみたら抱きつかれました。</p><p>&nbsp;</p><p>彼は若いし小柄な人なのですが、席も隣だったし、いつの間にか、給食の後の食器の片づけを手伝ったり、食べる前コップに水を汲んであげたりしていたら、よく抱きつかれるようになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>朝通所すると入口付近にいて、僕に抱き着いたりするのです。彼はしゃべれませんし、自閉症の人は人を認識する力が弱いと言われているので、彼が僕のことをどのように認識していたのかはわかりません。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ長いこと孤独な状態だったので、どうであれ、僕のことを認識して朝待っていてくれていたり（これは僕の勝手な思い込みかもしれませんが）給食を食べ終わった後、僕が片づけを手伝うので、食器を手渡されたり、なんか僕も少しうれしかったのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>彼は恐れく２０代前半だったと思うけど、よく考えると親子でもおかしくない年の差なのかもしれないけど、僕は彼が昼食をとるとき毎日コップに水を汲んであげたり、食器の片づけを手伝い続けました。</p><p>&nbsp;</p><p>会話でコミュニケーションが取れるわけではないけど、それでもなんかそれなりに僕もうれしかったのかもしれません・</p>
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<link>https://ameblo.jp/tizuasupe/entry-12311563844.html</link>
<pubDate>Sun, 17 Sep 2017 15:58:10 +0900</pubDate>
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<title>授産施設の人々</title>
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<![CDATA[ <p>授産施設に通い続けて、話しかけられることもたびたびあったのですが、なかなか話が続かなかったり、自分もどう対応していいか分からなかったりで、会話が弾みません。</p><p>&nbsp;</p><p>隣に座っていた人が話しかけてくれたのですが、彼は統合失調症で、僕のすむ町の工場に勤めていたそうですが、転勤で関東に行って、発症したとか言っていました。</p><p>好きな音楽とか、隣町に住んでいるとか、話をしたのですが、彼は動きが遅く、統合失調症ということで、薬の副作用とかいろいろあるのかなと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>今思えば、もっと自分から話しかけて親しくなればよかったとも思うのですが、自分の特質なのでしょうか。友達が欲しいと思っているのに実際にどうしていいのかわからない。特質なのか性格なのか分かりませんが、会話能力が高い人ではあるので、もっと親しくなる手間をかければよかったと後悔しています。</p><p>&nbsp;</p><p>一人自分には健常者にしか見てない男性がいました。彼は施設に、バイクか車で通所しているのですが、休み時間にはスマホをいじっていました。面と向かって何の障害者か、どんないきさつでこの施設に通うことになったのか聞くわけには行けないと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>いけないなんてことはなく、聞いてもっと話をすればよかったのかもしれません。もう一人よく話しかけてくる男性がいたのですが、彼は自分より５歳年下で僕と同じ小学校と中学に通っていたそうです。隣町の高校を受験したけど落ちたと言っていました。知的障害と言っても軽度な方だったのでしょう。よく話しかけてくれたので、もっと親しくなるようにしたらよかったと後悔しています。もしかしたら自分にはそういう能力がないのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>この施設には石碑があったのですが、体験入所したときには気づかなかったのですが、ある言葉が刻まれていました。あとで調べると、知的障害者のことでした。この施設は知的障害者に就労の機会を与えるためにあるのだなと改めて思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>別に僕は知性に自信があるわけではないですが、通っているうち、知的障害と言っても会話能力が高い人もいるし、喋れなかったりする人まで一様ではないんだなと知らされました。</p><p>&nbsp;</p><p>この選択でよかったのかよく分からなかったのですが、もう後戻りはできないし、戻りたくないという気持ちで、通い続けました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tizuasupe/entry-12310755880.html</link>
<pubDate>Thu, 14 Sep 2017 18:42:50 +0900</pubDate>
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<title>授産施設に通う</title>
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<![CDATA[ <p>ついに授産施設に通う日がやってきました。兄の車で、６、７分ぐらいでしょうか。体験入所の時と同じように兄の車で、授産施設に向かいました。</p><p>まず職員の人と話をしたと思いますが、自分と同じ発達障害者の人がこの施設を利用したことがありますか、と尋ねたところ、僕が初めてということでした。</p><p>&nbsp;</p><p>それから作業に入ったのですが、単純作業ですが、具体的な作業はどこの施設か分かってしまうかもしれないので避けるとして、体験入所の時にも行ったものです。</p><p>&nbsp;</p><p>昼は給食でしたが、食べ終わって休み時間に、その作業の担当の人と話をしました。利用者の一人に何かほかの利用者の人が使っているものを、元の位置に戻す人がいましたが、職員が彼は場所に対するこだわりがあって、突発的に動き回ったりするそうですが、僕は彼は自閉症なんですねと言いましたが、職員の方は自閉症だとはっきりと明言はしませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>もう一人僕の隣に座っていた利用者がいて、その人も何もせずにひたすらあるものを触り続けている人がいました。どちらも男性ですが、彼も自閉症なんですねと僕は言いました。</p><p>&nbsp;</p><p>僕も自閉症の一種で、同じカテゴリーの障害者なんですと言いましたが、その一人、場所にこだわりのある彼は、片言、単語くらいしか喋られないようでした。</p><p>&nbsp;</p><p>僕の隣に座っていた彼は全く喋れないようでした。職員の人は同じ自閉症でも随分違うねと言っていましたが、アスペルガー、自閉症スペクトラムは生まれつきの脳の機能障害なので、もしかしたらちょっとした違いで僕も会話能力が低く生まれていたかもしれないなと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>やはりよそ者のような気がしましたが、とにかく社会復帰の第一歩だと思い、どこかに通い続ける習慣を身に着けようと思いました。この施設を利用するとき、自分は仙台の発達障害者の就労移行に通おうと思っている、その前に長いこと引きこもっていたので、まず近いところから始めたいと告げていました。施設の人はそのように利用してもらっても構わないという返事でした。その時の僕は半年通い続けて、就労移行に通うと決めていました。</p><p>&nbsp;</p><p>とにかくまずは学校を卒業してから、家から離れなかった習慣を断ち切り、適応能力をつけようと思っていました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tizuasupe/entry-12310723989.html</link>
<pubDate>Thu, 14 Sep 2017 16:33:10 +0900</pubDate>
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<title>２か月間</title>
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<![CDATA[ <p>とりあえず授産施設に通うための手続きを取りました。通うのは自転車で通おうかと思いましたが、月８千円で送迎バスがあるということで、それを利用しようと思いましたが、母の８千円も取られるくらいなら、兄に送り迎えしてもらったほうがいい、という一言で、兄に送り迎えしたもらうことになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>７月の中旬にはなっていたと思いまうが、僕はこれでいよいよ社会復帰の第一歩が始まるのだと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>だけどその手帳のようなもの、そういう施設を利用するためには、許可書のようなものがいるということでした。</p><p>&nbsp;</p><p>郵送されてくるそうですが、なかなか来ないのです。その間も僕は朝７時には起きるようにしていましたが、なかなか来ないので朝ご飯を食べた後、布団に戻ってしまうということがたびたびありました。ただその間、見たことのないNHKの朝の連続テレビドラマを見たり、今までの僕には想像もつかないようなことをしていました。花子とアンでしたが、なんか見続けました。</p><p>&nbsp;</p><p>それから、午前中のローカル番組を見たり、何が何でも昼夜逆転生活に戻るわけにはいかないのです。この習慣を完全に自分の生体リズムにしなければ、こんなことは当たり前のことで、努力のうちには入らないのかもしれせんが、僕は最後のチャンスだと思って、取り組みました。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな暮らしを続けて、ようやく手帳が来たのが９月の初めだったのです。自分でも年齢のこととかで焦っているのに、２か月とはあんまりだと思いましたが、今までのことを思えば、意外でもないのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>僕はすぐ授産施設に連絡しました。そうしたら、通うのは９月中旬からになるということでした。父が亡くなって、一年と半年があっという間に過ぎてしまったのです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tizuasupe/entry-12309177267.html</link>
<pubDate>Sat, 09 Sep 2017 16:27:50 +0900</pubDate>
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<title>少ない選択肢</title>
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<![CDATA[ <p>退院してすぐに、保健師の方に電話しました。でも話をする日はすぐではなかったように記憶します。僕はあきらめて、というか、就労支援の職員に言われた、いきなり遠くに行くとくじけるという言葉にそれもそうだなと思い、授産施設に通ってみようと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>保健師さんだったと思ったけど、半年ぐらい通ってみたらという言葉にとりあえず半年通って、どこかに通う習慣を身に着けようと思ったのです。そして仙台にある発達障害者のための就労移行支援に通おうと思ったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>授産施設に通うのはまず近いところからスタートを切るというものです。保健師さんと話し合うということで家に来て母とも話をしたように記憶します。半年というのはその時言われたような気がします。</p><p>&nbsp;</p><p>授産施設に通うには、市に申請して、何か手帳なようなものをもらい、その手順がないと通えないということでした。僕は入院して、朝起きて夜寝るという習慣が身についているうちに早めに通いたいと思っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>授産施設は知的障害者が多いということで、人間関係が広がるという期待は持てないと思っていました。早めに半年通って、就労移行に通うという気持ちでした。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ母に言われてショックだったのは、自分の年を考えろと言われたことです。それはいいとして、もう一つ言われたのがあんなところに通ったらもう誰も使ってもらえなくなると言われたことです。</p><p>&nbsp;</p><p>一週間体験入所したとき、母が兄と買い物帰りに迎えに来たことがあって、その時利用している人たちの姿を見て、あんな所、と思ったそうです。確かに利用している人の姿から、なんとなく知的な障害があるというのは分かりますが、母は僕よりそういう人たちに偏見を持っていたのです。授産施設なんかに通ったら、もうまともなところには就職できなくなる。</p><p>&nbsp;</p><p>僕の心は揺らぎました。母は結局僕が本格的に社会復帰を目指すというとき、快く応援するなんて気持ちはないのだなと思いました。だからと言ってその時の僕に選べるものはそんなにはなかったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>僕だってほかに通えるところがあるならほかのところにしたかったのです。ただ授産施設に通ったら、どこも使ってくれなくなるとは呪いの言葉にすら感じました。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tizuasupe/entry-12308903821.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Sep 2017 18:52:27 +0900</pubDate>
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<title>頬の痛み</title>
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<![CDATA[ <p>僕は、これからどうするか悩んでいる間、もう高校生のころから悩まされている、左頬の痛み、それは歯が痛いのか、鼻からくるものなのか分からないままなのです。歯の治療をしても、耳鼻科に通ってもアレルギー性鼻炎ではあるけど、蓄膿症ではないということで、痛みの原因は分からないのです。</p><p>&nbsp;</p><p>僕の町にあった耳鼻科が、先生が亡くなってしまったのか、ずっと閉まったままになっていました。それがあるとき近所に、耳鼻科ができたのです。その耳鼻科ができて一年たったとき、思いきって、受診しました。今度は隣町の中核病院で、本格的にレントゲンを撮って調べるということで、僕は期待しました。</p><p>&nbsp;</p><p>レントゲンの結果は問題がなく、痛みの原因は分からないというものでした。それで痛みの原因は精神的なものから来ているかもしれない、ということで精神科で相談することを勧められました。それで半年くらい何種類かの薬を精神科の先生に処方してもらいました。</p><p>&nbsp;</p><p>でも全然痛みは治まりません。これが試せる最後の薬だと言われて処方された薬を飲むことになりました。その薬のは眠くなる副作用があるということで、その薬を飲んだら眠くなってしまい、夜１２時か１時に寝てしまいました。それで朝起きるということになったのですが、僕はこの機会を逃さず、昼夜逆転生活を改めようと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>毎日夜１２時には寝て、朝７時に起きるということにしました。母に頼んで夜ご飯も早めにしてもらいました。頬の痛みは結局治まりません。それで僕は今までの薬を服用し続けたことを無駄にしたくなかったので、もう一つの悩み、鼻中隔湾曲症、つまり鼻の骨が曲がっていて、鼻がいつも詰まっている、というのを改善するため、骨を削って矯正する手術をすることにしました。</p><p>&nbsp;</p><p>仙台の病院で、高額医療制度を利用し、最小限の費用で手術を受けることにしたのです。いろいろ検査をして、結局６月の末、手術を受けました。一週間くらい入院して、退院しました。</p><p>&nbsp;</p><p>一度に二つのことを進めればよかったと思っていますが、その時の僕は手術のことで頭がいっぱいで、鼻の治療にエネルギーとお金を使ってしまいました。</p><p>&nbsp;</p><p>退院したのが６月最後の日だったと記憶します。僕の社会復帰はそこから話を進めることになります。今思えば同時進行してもよかったと思いますが、その時の僕にはその発想がなかったのです。これは僕の性格なのでしょうか。それとも障害から来ているものなのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>時間はあっという間に過ぎて行ってしまう。改めて思いました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tizuasupe/entry-12308573030.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Sep 2017 15:39:09 +0900</pubDate>
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