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<title>江戸徘徊記　OH江戸ライフⅡ　</title>
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<description>とりあえず江戸時代っぽいものが好きなのです♡史跡散策＆取材旅行とは名ばかりの温泉めぐり♪</description>
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<title>祝！　小栗さま、ついに大河にっ！！</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/d4/ad/j/o0240032015590943603.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">（権田村東善寺の小栗さま像。横須賀のよりイケメン）</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">みなさま、ごぶさたしまくりでございます。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">最後に更新したのがいつだったかも記憶のかなたにふっ飛んでるゴマちゃんどぇす　</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（もうちょっと申しわけなさそうにしたほうがいいかもしれん　）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">あ～、さてさて、このたび某出版社さまと契約していた妄想小説がめでたく完結いたしまして、怠惰でグータラなゴマは超重い肩の荷を下ろすことができましたっ</span></p><p><span style="font-size: 16px;">……ホント、しんどかったわ　</span></p><p><span style="font-size: 16px;">だって、気がむいたらポツポツ更新していたアレが、まさかまさかで、「最低でも３か月に１度更新」の縛りがかかっちゃって　</span></p><p><span style="font-size: 16px;">とはいえ、完結したら、むしろ続編のアイディアがあふれてきたりして、「なんということでしょう」状態。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（お話のラストは、今やってる大河の時代だよ～。一橋民部卿を駆逐してやったぞ～　　）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">更新停止期間は、それなりにブログのネタはあったんですが（南都（奈良）に行ったり、初・越前上陸とか）、最近では、同好の士のかたがたに、『べらぼう』大河ドラマ館と、蔦谷重三郎＆平賀源内先生のお墓に連れて行っていただきました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/7f/79/j/o0480064015590943607.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">（流星さんがお召しになったお着物）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/72/06/j/o0640048015590943612.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">（蔦重さんのお墓。お寺が超近代的なビルでビビった。ちなみに、碑にうっすら写っているのはゴマではありません。いっしょに行った人でもなさげ……まさか、スタンドっ！？）</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/6f/7b/j/o0480064015590943616.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">（源内先生のお墓。ひとりじゃ絶対たどり着けなかった）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">この散策のおかげで、最終話（舞台は、安永年間）を書きあげることができました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">ありがとうございました</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">そして！</span></p><p><span style="font-size: 16px;">決まりました、再来年の大河</span></p><p><span style="font-size: 48px; color: #ff0000;">『逆賊の幕臣』</span></p><p><span style="font-size: 16px;">一部では、『超マイナー主人公』とか、とんでも失礼なことをほざく輩がいるようですが、小栗さまがいなかったら、日本海海戦の勝利はなかったんですぞ！</span></p><p><span style="font-size: 16px;">なんたって、あの東郷平八郎が、小栗さまの遺族に「日本海海戦の勝利は横須賀製鉄所を造っておいてくれた小栗さんのおかげ」と謝意を述べ、「仁義礼智信」の書額を寄贈したんですから！</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（権田村の東善寺に現存）</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/92/1f/j/o0240032015590943618.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">（小栗さまのズッ友・栗本鋤雲さん）</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/b4/2d/j/o0240032015590943621.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">斬首された河原に建つ【罪なくして斬らる】の碑</span></p><p><span style="font-size: 16px;">なんと、小栗さまの命日５月２７日（旧暦　慶応４年閏４月６日）は、日本海海戦と同じ日なんですって（１９０５年５月２７日～２８日）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">２０２７年は小栗さま生誕２００年の年でもあるんですね。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">にしても……だいじょうぶなのか、松坂桃李＆脚本家　</span></p><p><span style="font-size: 16px;">大コケしたら、小栗さまの御名に傷がつく～　</span></p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 07 Mar 2025 17:54:58 +0900</pubDate>
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<title>磯田先生、それはどうなの？</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 16px;">みなさま　ごきげんよう</span></p><p><span style="font-size: 16px;">相つぐ台風襲来のおかげで、以前患っていた突発性難聴が再発してるっぽいゴマちゃんです（それとも、気象病？）　</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">一昨日は、ちょっとした用事があって、都内にいってきました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">御城のちかくまでいったら、這ってでも登城するのは佐幕派のデフォ。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">てなことで、ついでに国立公文書館もチラリとのぞきつつ……新札発行にのっかれ企画『お札に描かれた人物　―　公文書でみる紙幣の歴史』展では、伊藤博文・岩倉具視・板垣退助・福沢諭吉等々、不愉快なツラを拝むハメになり、耳閉感＆頭痛・めまいがますます悪化する始末　</span></p><p><span style="font-size: 16px;">そんなボロボロの体を引きずって、北詰橋から入城し、前田さまの造った天守台をナデナデしているうちに、なんとか微妙に回復　</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/63/1e/j/o0640048015590943578.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">帰りは、平川御門から</span></p><p><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/1d/c3/j/o0640048015590943581.jpg"></p><p><span style="font-size: 16px;">（何度みても、帯曲輪と不浄門の位置関係がつかめましぇん　）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">さてさて、磯田道史氏の著書に『家康の誤算』というものがあるのですが、「新たな通貨の鋳造」（Ｐ６４～）という章の中で、「家康は小判を発行する一方、銀の使用も認め、さらに当時流通していた中国の銅銭『永楽通宝』等も使いつづける政策を取った」とし、三代家光のときにその政策を変更して日本独自のコインを発行した際、大きなミスを犯し、それが後年、倒幕につながってしまったと述べています。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">いわく、幕府が許可制ながら各大名にも寛永通宝鋳造　――　「銭のライセンス生産」を認めてしまったのは非常にまずかった、と。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">……マジかい。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">たしかに、幕末期、いくつもの藩が天保通宝を偽造し（とくに薩摩藩が盛大にやってくれた！）、それが倒幕の軍資金になったことは知っていましたが、まさか、寛永通宝のときに、薩摩や長州にまで、幕府が鋳造許可を出していたとはっ　</span></p><p><span style="font-size: 16px;">なんでも、寛永通宝は、現在の５０円くらいの価値だったため、造ってもたいしてウマミはなかったけれど、天保通宝は５０００円ほどだったから、ウハウハだったそうな。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（とはいえ、天保通宝に関しては、許可を出していないので、完全に偽造っす）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">磯田氏は、「家康がとった政策のように、中国の銭を使いつづけるか、幕府が銭の発行を厳格に管理していればよかった。途中からヘタなことをしたので（つまり、家康の政策を変えたから）、贋金を造られて、倒幕の資金源を提供するハメになった」と結論づけています。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">つねづね家光に不信感をいだいているゴマは、「家光ぅー！　なんちゅうことをしてくれたんやー」と、ムカムカしつつ、イマイチわからなかった寛永通宝・天保通宝発行の裏事情についてググってみたのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">するってーと…………おやぁ？</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">グーグル先生によると、寛永通宝発行のイキサツは、撰銭令がきっかけだったみたいです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">日本では、奈良時代、『和同開珎』という銅銭が造られたものの、当時まだ銅の産出量・精錬法に問題があり、原料の銅の調達がうまくいかず、だんだん銅貨とは名ばかりの鉛成分が多い低品質化していったせいでひとびとに忌避されてあまり流通せず、あいかわらず物々交換が主流で、時代がくだると、国産銅貨のかわりに平安後期ころから輸入した宋銭や明銭（永楽通宝）が広く利用されるようになりました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">と同時に、個人的に粗悪な銭（悪銭・鐚銭）を造るヤツがあらわれ（これを私鋳銭という）、それもふつうに使われていたとか。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">で、撰銭令というのは、室町期、税の銭納化にともない、幕府や大名が「納税のとき、質の悪い銭で納付されると俺たちが損しちゃうから、品位の高い貨幣しか受けつけないからね！」というものでした。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">家康は、開闢の２年前（慶長６年：１６０１年）に金貨（慶長大判・小判）と銀貨（慶長丁銀・豆板銀）鋳造し、貨幣の統一に乗り出します。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">銅貨については、京都を中心に流通していた私鋳銭『京銭』を幕府の標準銅貨としました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">これについては、日本ではずっと政府発行の共通貨幣がなかったせいで、徳川領である東国では一般的だった永楽通宝（永楽銭）が、西日本などではいまだ宋銭や京銭等の私鋳銭が使われており、とくに、あとから入ってきた永楽銭は全国的に価値の低い銭と見なされていたからです。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">そして、家康が定めた京銭＝標準銅貨という規定は、一種の撰銭令にあたると、ウィキさんはおっしゃっています。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">……あれぇ？</span></p><p><span style="font-size: 16px;">『家康の誤算』の「家康は、永楽通宝も使いつづける政策を取った」という記述と、はげしく矛盾しますが　</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">しかもですよ、標準銅貨に定められた京銭は、国際商取引の場でも使われた結果、外国に大量に流出してしまって、国内では深刻な銅貨不足におちいりました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">寛永１２年（１６３５年）に朱印船貿易が停止されたのは、銅銭の国外流出を止める目的もあったようです。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">そして、寛永１３年５月５日、幕府は６月１日から『寛永通宝』を発行すると公示し、翌６日、老中・酒井忠勝の屋敷に諸藩の江戸留守居を集めて説明会をおこない、今後、旧銭の使用を停止するという方針が告げられた由。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">……むむむ？</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">『家康の誤算』では、</span></p><p><span style="font-size: 16px;">「家康はオープンな人で、ヨーロッパ、アジアだけでなく、メキシコとも外交関係を持った。これだけ多くの国と外交関係を取り結んだリーダーは、前近代にはほかにいない」</span></p><p><span style="font-size: 16px;">「幕府にとって惜しまれるのは、家康の死後イギリスと江戸近郊で貿易をやらなかったこと」</span></p><p><span style="font-size: 16px;">「イギリス貿易をつづけていれば、西洋の先端的な銃や砲の技術が、早期に江戸に伝わったはず。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">幕府には貿易の利潤を独占するだけでなく、最新鋭の兵器を、国内のどの藩よりも早く手に入れる可能性があった。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">そうすれば、薩摩藩などに出し抜かれずにすんだはず」と、家康が死んだ直後、異国に塩対応を取った秀忠を批判しています。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">でも、<strong>あのイギリス</strong>が、オランダのように幕府の指示に従順にしたがって、細々と交易をしたうえ、最先端技術をホイホイ提供してくれたでしょうか？</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">むしろ、銅貨流出を防ぐため、貿易を制限したのは自然な流れだったんじゃないでしょうか？</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">なにしろ、１８世紀に入ると、経済発展にともない、銭が不足しはじめ、金貨の改悪で有名な（？）荻原重秀が銅貨においても量目を減らす改鋳をおこなうほどの事態になってしまったんです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">さらに、幕末にいたっては、日米修好通商条約で日本の銅貨輸出禁止を明文化していたにもかかわらず、安政６年（１８５９年）に開港開市が実施されると、銅貨が中国に大量に流出する結果となりました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">これは、幕末の金流出問題と似たような構図で、日本国内ではメキシコドル１＝銅銭４９７６文の交換相場だったのに対し、中国では１ドル＝８００～１０００文のレートが適用されていたからです。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">ちなみに、小栗さまがアメリカで主張したことで有名な通貨問題は、日本では金１＝銀５、国外では金１＝銀１５で、何回か両替するだけでウハウハだった……幕末をちょっとかじった人なら、だれでも知ってるコレをなんでお金を出して聴くハメになっちゃったんだろう……（遠い目）　☜　おとっつあん、ソレは言わない約束よ　</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">てか、江戸期の日本にとって、銅って主要輸出品じゃなかったっけ？</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/07/b7/j/o0300013215590943584.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">『棹銅』</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">大阪市立科学館さまのＨＰによると、</span></p><p><span style="font-size: 16px;">「江戸時代、日本各地の鉱山で採掘された銅は、６０～７０％程度の純度に高められた後、大阪に送られて純度９９％にまで精錬され、インゴットや各種銅製品などに加工された。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">　棹銅は海外との貿易に使うためのもので、大阪から長崎に送られて取引された。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">　当時、日本にとって銅は重要な輸出品で、例えば西暦１７００年前後においては、オランダとの貿易額の８０％程度を銅が占め、年間１５万トン程度の銅がオランダへ輸出されていた。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">　加えて中国などとの貿易にも使われていた」</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">国内じゃ、原材料不足で、銅のかわりに鉄でコインを造ってしのいでたのに……なにやってるんだ、幕府　</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">まぁ、それはともかく、『家康の誤算』は、徳川政権が永続するように巧妙に構築したシステムを、後継者たちが改変しちゃったから、政権が変質し、滅びてしまったというテイで書かれているんですが、ヘソまがりのゴマは、どうも全面的に同意はできませぬ。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Mon, 02 Sep 2024 22:43:38 +0900</pubDate>
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<title>菊花の約ぃ？</title>
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<![CDATA[ <div class="mw-heading mw-heading3"><p><span style="font-size: 16px;">みなさま　ごきげんよう。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">暑さでかなりやられてる（とくに頭を）ゴマちゃんです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">じつは、ちょっとビビるできごとがありまして、怠惰な心にムチ打って書き進めたくぞんじます。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">先日、あさイチで、バイト先に、新潟にいるはずの家族が現れたのです。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">「お盆で帰省してるんでしょ？」</span></p><p><span style="font-size: 16px;">――　いえいえ、前日ＬＩＮＥでやりとりしたときは、確かにあっちにいたんです。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">「人違いじゃ？」</span></p><p><span style="font-size: 16px;">――　ところが、背格好といい、焦げ具合といい、髪型髪質歩き方まで全部あいつ。しかも、お気に入りの蛍光カラーのＴシャツも着てる！</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">混乱しつつ、声をかけようと追いかけると……忽然と、消えてる！</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">っえぇー！？　</span></p><p><span style="font-size: 16px;">どゆことぉー！？</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">ちょっぴりしかない脳みそをフル回転して考えたゴマは、ひとつの答えに至ったのです。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">それは　――　<strong>『菊花の約』っ！</strong></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">これは、小学生のころ、ヒマでゴロゴロしているとき、父アザラシの本棚にあった『雨月物語』（たぶん現代語訳版）で読んだのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/ab/20/j/o0250034815590943563.jpg"></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">たしか、ふたりの武士が会う約束をして別れたものの、片方がその日どうしても行けなくなって、約束を守るべく幽霊になって会いに行くという話だったはず。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">でも、ずいぶん前に読んだきりだったので、確認のため、ウィキさんをのぞいてみると……</span></p><p>&nbsp;</p></div><p><span style="font-size: 16px;">「<strong>菊花の約</strong>」</span></p><p><span style="font-size: 16px;">時は戦国期。舞台は播磨国。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">丈部左門は、母とふたり暮らしの貧しい儒学者。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">ある日友人宅を訪ねると、行き倒れていた武士を保護しており、丈部はその病人を引き取って看病することに。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">この男は、赤穴宗右衛門という軍学者で、近江国にいたのだが、故郷出雲の主君・塩冶掃部介が尼子経久に討たれたと聞き、急遽帰国する途中だった。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">しばらくして、男は快復し、そのころには左門と宗右衛門は、義兄弟の契まで結び（<a title="衆道" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%86%E9%81%93">衆道</a>）、五歳年上の宗右衛門が兄、左門が弟となった。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（そ、それって……ただのオトモダチじゃなくて、【念友】だよね）</span></p><p><span style="font-size: 16px;">初夏になり、宗右衛門は一度様子を見に故郷の出雲へ帰ることになり、ふたりは９／９の菊の節句（<a title="重陽" href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E9%99%BD">重陽</a>の節句）に再会しようと約束した。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">季節は移り、約束の九月九日となった。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">左門は朝から友人を迎えるために、おもてなしの準備をし、母が諌めるのも聞かず、いまかいまかと待ち受けていた。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">外には、旅人が何人も行き来するが、待ち人はなかなか現れない。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">夜も更けて、左門が諦めて家に入ろうとしたとき、宗右衛門がやってきた。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">左門ははりきって歓待するものの、相手は酒やご馳走を断ったりと、どうも様子がおかしい。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">ワケを尋ねると、宗右衛門は自分が幽霊であるという。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">宗右衛門は、経久の手下となったいとこ・赤穴丹治に監禁されて、とうとう今日まで出ることができず、このままでは約束を破ることになってしまうと悩んだ。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">そして、ひらめいた！</span></p><p><span style="font-size: 16px;">「人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆく」<sup id="cite_ref-17" class="reference"></sup>という言葉を思い出し、幽霊となれば、遠くまで行くことができると思い立ったのだ。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">左門に別れを告げて、消える宗右衛門。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">左門と母親は、彼の死を悼み、涙にくれた。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">翌日、左門は、友人を埋葬するため、出雲へと旅立ち、宗右衛門を監禁していたいとこの丹治に会う。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">左門は丹治の不義を責めて斬り殺し、行方をくらませるが、家臣を殺された尼子経久は、宗右衛門＆左門の信義を褒め、左門を見逃した……というストーリー。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">……マジか。そんな話だったとは　</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/6c/a2/j/o0640064015590943565.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/70/7b/j/o0640064015590943571.jpg"></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">『菊の花とふたりの武士』というお題でＡＩさんに作画をお願いしたら、こんなんできました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">やっぱ、ホモ臭い……</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">追記：</span></p><p><span style="font-size: 16px;">涙目でおそるおそる確認したところ、新潟にいる家族は、無事でした。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">どうも他人の空似だったようです（連日の酷暑疲れで、マボロシを見たのかしら？）</span></p><p><span style="font-size: 16px;">よかった～　</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="mw-heading mw-heading3"><h3 id="浅茅が宿">&nbsp;</h3></div>
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<pubDate>Sun, 18 Aug 2024 09:23:57 +0900</pubDate>
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<title>行ってきたよ『徳川美術館展　尾張徳川家の至宝』、ついでに『もしも徳川家康が総理大臣になったら』</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 16px;">てなことで、本日行ってまいりました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/fc/dd/j/o0640051215590943555.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">ずーーーっと見たかった重要文化財『物吉貞宗』を、ついに！　この目で！　</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">感激っす！！</span></p><p><span style="font-size: 16px;">脇差なので、意外に短かったけど、コワイくらいピッカピカ　</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（重要文化財指定の名称では、短刀ってことになってるみたいね。むしろそっちのほうがしっくりくるわん）</span></p><p><span style="font-size: 16px;">切っ先も鋭い！</span></p><p><span style="font-size: 16px;">よく切れそう！</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">じつはこの刀、拙作で使わせていただいてるので、どうしても本物を見たかったんです　</span></p><p><span style="font-size: 16px;">はぁ～、満足～　</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">とはいえ、ヘソまがりのゴマちゃんは、これが尾張徳川家に伝わったイキサツについては、ある疑問を抱いているのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">それは、ウィキさんにも書いてあるこの部分……</span></p><p><span style="font-size: 16px;">『本作は家康の愛刀であり、『三河戦記』にも戦場に本作を帯びて行ったと記されている<sup id="cite_ref-FOOTNOTE福永1993195_9-0" class="reference"></sup>。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">　尾張藩初代藩主・徳川義直の母・お亀の方は、家康の側室として家康晩年の駿府に居り、本作の重要性を目の当たりにしていた<sup id="cite_ref-FOOTNOTE福永1993195_9-1" class="reference"></sup>。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">　そのため、家康没後は本作が義直に譲られるように奔走し、<span style="font-size: 24px;"><strong>家康の遺品分与品である駿府御分物とは異なる手順で尾張徳川家に譲られた。</strong></span></span></p><p><span style="font-size: 16px;"><sup id="cite_ref-徳川美術館_3-2" class="reference"></sup>　本来なら徳川将軍家にとっても重要な刀剣であるはずの本作が尾張へ伝わったため、尾張藩２代藩主・光友は「<span style="font-size: 24px;"><strong>こちらには無いはずものなのに、不思議とこちらに伝わった</strong></span>」と言ったほどであった<sup id="cite_ref-FOOTNOTE福永1993195_9-2" class="reference"></sup>』</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">まちがいなく、お亀が、家康の死のドサクサにまぎれてパクったんでしょう。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">現代でも、親の死のドサクサにまぎれて、ほかの兄弟が気がつかないうちに、財産をポッケナイナイしちゃうやつがいると仄聞しますが、まさにそんな感じ？</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">しかーし！</span></p><p><span style="font-size: 16px;">みなさまご安心ください（？）、ゴマの小説では、無事秀忠が取り返して、嫡孫に与えております　</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">ところで、この特別展、サントリー美術館にくる前は、大坂（大阪じゃないんや）で開催されていたんですが、そのときはたしか『鯰尾藤四郎』も展示されていると聞いたし、今日買った図録にも『鯰尾』の写真と解説が出てるのに、なぜか東京には来ていないっ！</span></p><p><span style="font-size: 16px;">な、なんで……　</span></p><p><span style="font-size: 16px;">「お亀がかっぱらった！」などと悪口を言ってしまった報復でしょうか　！？（む、むごい）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">物吉のほかにも、国宝『源氏物語絵巻』（今日は『横笛』の巻だった）や、同じく国宝『初音の調度』、個人的には『唐銅飛龍形百目大筒』などなど見どころ満載</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">でも、ここだけの話、ゲージュツを解する素養のないゴマは、寛永の三筆・近衛信尹が書いた『朗詠屏風』のスバラシサが……じぇんじぇんわからんかった　　</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（「え？　イライラして、書きなぐった？」とか思っちゃった）</span></p><p><span style="font-size: 16px;">同様に、茶道具の良さもわかりましぇん（キッパリ！）</span></p><p><span style="font-size: 16px;">修学旅行で、〇千円で買った清水焼の茶碗（いちおう抹茶用）と、展示品のちがいもまったくっす！</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（われながら情けない）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">結論：刀と鉄砲と、系図の３代藩主・綱誠がやけに子だくさん（４０人もいたそうな）なのに興奮した展示でございました（なにを見に行ったんや？　）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">さて、今日はミッドタウンからちょこっと歩いて、ヒルズの中のシアターで、昨日封切られたばかりの映画も観てきました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/79/d5/j/o0453064015590943559.jpg"></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">……う～ん。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">日々、読者さまのきびしいご指摘に戦々恐々としている零細小説家的には微妙な作品でした。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">まぁ、過去の偉人をＡＩで再現して、というのはアリだとしても、ストーリーの前提が「コロナで首相が亡くなって、日本が未曽有の危機に！」だったら、キャスト全員にマスクさせようよ！</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（ＡＩはいいけどさ）</span></p><p><span style="font-size: 16px;">ヒロインの浜辺美波はじめほとんどの役者さんが最初から最後までノーマスクって……出だしから完全にしらけちゃいました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（リアリティ大事）</span></p><p><span style="font-size: 16px;">それに、図書館で借りた原作本の参考文献が「」て、くらい少なっ！</span></p><p><span style="font-size: 16px;">だからなのか、作中で、徳川家康が「鎖国なんかする内向きなやつ」みたいにののしられていて、「はぁ！？」でした。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">家康は、鎖国令は出していません！</span></p><p><span style="font-size: 16px;">むしろ、三浦按針（ウィリアム・アダムス）やヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステインら外国人顧問を通じて外交をおこない、朱印船貿易もやってたんじゃー！</span></p><p>（鎖国的な方向に向かったのは、秀忠～家光なんや！）</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">よかったのは、野村萬斎の所作がうつくしかったことぐらいかのう。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">でも、気になっていた映画鑑賞も一回のお出かけで完遂できて、満足じゃ～　</span></p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 27 Jul 2024 22:03:34 +0900</pubDate>
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<title>お江戸は今日も暑かった　</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 18px;">お暑うございます。</span></p><p><span style="font-size: 18px;">暑さと寒さに激弱なゴマです。</span></p><p><span style="font-size: 18px;">最近どうも筆が乗らないので（……てか、いまだかつて、筆が乗った時があったのか？）、ちょこっと用事のついでに、ご府内を徘徊して、やる気スィッチをポチっとしてきました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/54/17/j/o0480064015590943531.jpg"></p><p><span style="font-size: 18px;">新橋側から歩いていたら、なんかすごい建物が。</span></p><p><span style="font-size: 18px;">『市政会館』　――　日比谷公会堂の裏側だった！</span></p><p><span style="font-size: 18px;">（こっち側、見たことない！）</span></p><p><span style="font-size: 18px;">時計塔の感じが、東大の安田講堂っぽいです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/7c/37/j/o0640048015590943535.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/0c/c3/j/o0585043815590943538.jpg"></p><p><span style="font-size: 18px;">そんなこんなで、日比谷公園をウロウロ。</span></p><p><span style="font-size: 18px;">長州藩邸の近くかと思うと、複雑な気持ちっす。</span></p><p><span style="font-size: 18px;">（でも、桜田御用屋敷までしか踏みこんでないも～ん。長州藩邸には１ミリも入ってないもんね～　）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 18px;">ゴマは、日比谷見附あたりから見た御城の風景がお気に入りなんですが……</span></p><p>&nbsp;</p><p><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/b7/73/j/o0640048015590943540.jpg"></p><p><span style="font-size: 18px;">草原ではありません。</span></p><p><span style="font-size: 18px;">一面にヘンな水中植物が繁茂した日比谷堀＆馬場先堀ですぅ</span></p><p><span style="font-size: 18px;">斜陽ニッポンの貴重な観光資源が台無しや！</span></p><p><span style="font-size: 18px;">お願い、早急に浚渫して</span><span style="font-size: 18px;">～</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 18px;">泣き目のままヨロヨロ和田倉門橋を往復し、将門塚に頭を下げ（ゴマのご先祖は俵藤太の家来なので、いちおう礼をつくしておかないと、祟りが怖いのじゃ）、箱根駅伝のスタート＆ゴール地点＝読売新聞社へ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/30/7f/j/o0480064015590943543.jpg"></p><p><span style="font-size: 18px;">（元明治大のエース・阿部弘輝くんに似てないか？）</span></p><p><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/13/7d/j/o0640048015590943547.jpg"></p><p><span style="font-size: 18px;">目下『虎に翼』で人気急上昇中の明治大学さん、第１回～１０回のうち５回優勝してたんやね</span></p><p><span style="font-size: 18px;">勝率５割やん　</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 18px;">その後、ゴマは、常盤橋を渡り、ふくしまアンテナショップで『会津中将』（　本当にウマイ！）２本を購入して、帰途についたのでした。</span></p><p><span style="font-size: 18px;">（重くて、肩が抜けるかと思った）</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 03 Jul 2024 19:21:27 +0900</pubDate>
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<title>甲州に行ってきました</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 16px;">こんばんは～。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">あさイチ、バイト先で棚を倒して、瓶詰めジャム十数本を廃棄処分にしたゴマで～す　</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（クビになる前に、速攻で、転職先探したほうがいいかもしれん　）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">はてさて、先日、ゴマはとある目的で甲府に行ってまいりました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/f6/58/j/o0480064015590943511.jpg"></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">というのも、例の小説がらみで、ある方にごあいさつにうかがったのでございますです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">めざす場所は、甲府市にある入明寺。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">こちらには、武田信玄の次男・信親（号：竜宝、竜芳とも）さんのお墓があるんです。</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/a3/f7/j/o0640047915590943513.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/7d/e1/j/o0640048015590943514.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">（屋根は最近できた？　墓石はかなり風雨にさらされた感じです）</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/e5/b3/j/o0640048015590943518.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">（墓前には、このような説明書きがありました）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">信親さんは、信玄の正室・三条の方が産んだ男子で、堂々たる嫡流のお血筋でしたが、幼少期に疱瘡にかかって失明してしまい、後継者レースからは脱落。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">とはいえ、信玄の信濃侵攻で下した海野幸義の娘との政略結婚で、海野氏の名跡を継ぐことになりました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（海野って、もしやココ？　　）</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/d7/12/j/o0800050015590943520.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/0a/e5/j/o0800050015590943522.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">（海野宿。ソバがうまかった　　）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">――　おっと、脱線しちゃたぜ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">永禄８年（１５６５）、信玄嫡男・武田義信は父に反して廃嫡されますが、信親は盲目。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">同母弟の信之はその１２年前に１１歳で夭折していたので、結局、家督は側室腹の四男・勝頼が継ぐことになったのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">ところが、その１７年後の天正１０年（１５８２）、信長連合軍による武田領侵攻が起き、信親は入明寺にかくまわれますが、勝頼が天目山の戦いに敗れて自死すると、信親も「もはやこれまで」と、この寺内で自害（他殺説もあり）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">余談ですが、この『天目山』（地形としては峠らしい）という場所は、武田氏にとって因縁の地のようで、勝頼の敗死からさかのぼること１６５年の応永２４年（１４１７）、甲斐源氏１３代当主で甲斐国守護大名・武田信満が、鎌倉公方と上杉氏の争いにまきこまれてここで自害しています。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（えぇ～、怖っ　）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">さて、拙作に関係するのは、じつはこの信親さんではなくて、その嫡男・信道と息子の信正のおふたりです。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">信道の生母は、信親の正室（穴山梅雪の娘。梅雪は武田一門）なので、正真正銘この方も嫡流となります。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">なんなら、勝頼ッチより血統がいいっすね。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">当然、織田方の落ち武者狩りで落命してもおかしくないポジションでしたが、当の信長が本能寺の変でアボンしたことで状況はガラリと変わります。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">運よく、甲州の新たな主となった徳川家康の庇護を受けられたのです　</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">ところが！</span></p><p><span style="font-size: 16px;">ホッとしたのもつかのま。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">家康に見いだされ、財政担当のテクノクラートとして出世していた武田家遺臣・大久保長安（元の名は土屋長安。大久保姓は寄り親の大久保忠隣より拝領）から経済的支援を受けていた信道は、長安死後に起こった『大久保長安事件』に巻きこまれて、伊豆大島への配流という憂き目に。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（なんてこったい！　　）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">しかも、この大久保長安事件というのが、とんでもなくキナ臭く、三度のご飯より陰謀が大好物なゴマでさえ、ドン引くほど凄惨な事件でした。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">ことの起こりは、慶長１８年４月２５日に長安が病死したことからはじまります。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">葬儀をおこなおうとしていた一族に、家康から突如待ったがかかり、横領の疑いで、息子７人全員が切腹を命じられました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">７人のうち、最年少の子は当時数え年１５歳。しかも、すでに僧籍に入っていました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">これは、罪を逃れるために出家していたわけではなく、このころ男児がいっぱいいる家では天皇家も公家も武家も、分与する財産がない、または家産が散逸するのを防ぐため、何人かは出家させて、万が一後継者に子ができなかったり、跡継ぎができる前に早世してしまったりした場合の、いわば血のストックをしてリスクヘッジする慣行があったのです。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">そして、一族が罪を問われて処分を受けたときでも、通常、僧籍に入っている者は、その対象から外されるものですが、この事件では、横領等に関与したとは思えない年少のお坊さんまでも死罪になっています。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">さらにアヤシイのが、長安は死の直前、なにかを察知していたのか、藤堂高虎あてに石見銀山・佐渡金山・伊豆銀山等の勘定は慶長１４年分まで決算が済んでおり（つまり、上層部のＯＫが出ている）、慶長１５年以後については部下に決算作業依頼中との報告書を出して、「自分は公方さまのものを横領してない！」と訴えたようなのですが、結果はこのとおり。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">訴えは握りつぶされてしまったんでしょうか？</span></p><p><span style="font-size: 16px;">（藤堂高虎なら、家康の指示でやりそう！）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">長安事件に巻き込まれた武田親子は、長安から資金援助を受けて武田家再興を謀っていた！、と言いがかりをつけられて流罪。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">信道は寛永２９年、故郷にもどることなく、伊豆大島で亡くなってしまいます。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">息子の信正は、寛文３年（１６６３）、家光の十三回忌に際しての赦免があり、江戸にもどることができました。６４歳のときでした。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">当時としては相当なご高齢だったにもかかわらず、信正さんは意地で（？）子をもうけ、みごと嫡流の血をつなぎました</span></p><p><span style="font-size: 16px;">その子・信興は高家旗本として、家名再興を果たしたのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">ゴマ的には、この親子をもっと早い段階で救出したいと考えているのです。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">ファンタジーっすから、なんでもできるのさ、エッヘン　&lt;(｀^´)&gt;</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">にしても……一族根絶やしにしなきゃいけない秘密がある事件。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">かなりヤバイ背景がありそうです。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">真相はいったい……？？？</span></p><p><span style="font-size: 16px;">磯田道史先生あたりが、未知の古文書を発掘して、解明してくれないかなぁ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">今回の旅行は、さすがに伊豆大島までお墓詣りには行けないので、パパ上の信親さんのお墓にもうでて「よろしくお伝えください」とお願いしにうかがったわけです。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">（追記）</span></p><p><span style="font-size: 16px;">この旅行では、はじめて甲斐善光寺にも行きました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">宝物殿は、ホントお宝の山ですぞ！　</span></p><p><span style="font-size: 16px;">頼朝・実朝像は、亡くなったすぐあとくらいに作られたものだから、たぶんご本人によく似ているはず。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">一見の価値あり！</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/f8/f2/j/o0640048015590943525.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">甲斐善光寺。雨で参拝者も少なくて、ゆっくり参拝&amp;お宝拝見できました。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">ラッキー</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tkgw265/entry-12901878104.html</link>
<pubDate>Fri, 07 Jun 2024 22:04:55 +0900</pubDate>
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<title>なんだかんだハマってます</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 16px;">前回文句たれまくりだったお絵かきＡＩさんに、結局まだハマっております。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">なんとか拙作のイラストが作れないか！？と、試行錯誤したところ、</span></p><p><span style="font-size: 16px;">お題：幕末にタイムスリップした高校生</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/66/20/j/o0640064015590943496.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">（幕末感は皆無だけど、けっこう使えそう　）</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/25/95/j/o0640064015590943499.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">（たしかに後ろにおサムライさんはいるけど、やっぱりどこか中華風味……）</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/81/fc/j/o0640064015590943501.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">（隣の人、シカの角っぽいものが生えてますけど、獣人がいる徳川時代設定なんすか？）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">お題：幕末の江戸を歩くイケメン武士と護衛たち</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/84/4f/j/o0640064015590943505.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">（う、うん、い、いいんじゃないかな……背景が京都の三年坂っぽいけど）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">前回の人食い巨大鯉よりは、かなりイイ感じです</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">あともうひと息！</span></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tkgw265/entry-12901878101.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Jun 2024 20:53:54 +0900</pubDate>
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<title>ＡＩさんに作画をしていただきました</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 16px;">なんでもタダで作画をしてくれるお試し版があるというので、描いていただきました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">お題：『江戸時代のイケメン殿様』</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/96/8c/j/o0640064015590943477.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">（え！？　三国志の方？　……に、日本人じゃなくない　）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">気を取り直して、</span></p><p><span style="font-size: 16px;">『江戸時代の<span style="color: #ff0000;">ちょんまげの</span>イケメン殿様』</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/61/20/j/o0640064015590943480.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/c5/da/j/o0640064015590943483.jpg"></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">たしかに、さっきのごっついオッサンより、格段にイケメン度はアップしたけど……コレ、ちょんまげか？？？</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">人物はあきらめたほうがいいかもしれん。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">てなことで、</span></p><p><span style="font-size: 16px;">『江戸時代　江戸　大地震』</span></p><p><span style="font-size: 16px;">１８５５年の江戸直下地震の絵をリクエストしてみたところ……</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/5d/bf/j/o0640064015590943487.jpg"></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">ゴジラもどきの巨大肉食（？）鯉っ！？</span></p><p><span style="font-size: 16px;">怖っっっ！　悪夢でうなされそうです　</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">じ、じゃあ、</span></p><p><span style="font-size: 16px;">『江戸時代　大地震』だったら、どうよ？</span></p><p><span style="font-size: 16px;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/eb/22/j/o0640064015590943491.jpg"></span></p><p><span style="font-size: 16px;">北斎の神奈川沖浪裏に激似なんですが……。</span></p><p><span style="font-size: 16px;">そして、建物がやっぱり中華風　</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 16px;">イイ感じのイラストができたら、こっそり小説の挿絵に使おうと思ったのにぃ</span></p><p><span style="font-size: 16px;">有料のＡＩさんなら、ソレっぽいのが作れるのかなぁ。</span></p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 24 May 2024 14:26:13 +0900</pubDate>
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<title>『まいまいつぶろ』に物申す！（小姑根性丸出しなので、ファンのかたはスルーしてね）</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 16px;">昨年５月に刊行されたこちらの小説、『第12回「日本歴史時代作家協会賞作品賞」受賞』『第13回「本屋が選ぶ時代小説大賞」受賞』などというキラキラしい煽り文句がついているので、自称小説家のゴマは、どんな作品なのかとても気になっておりました。<br><br>とはいえ、「時代小説って、けっこう地雷だから、お金を出して買うのもなぁ」と思っていたら、江戸仲間のＡさんが貸してくださいました。<br>あっざーす！　<br><br>で、さっそく読みはじめると……<span style="font-size: 48px;"><span style="color: red;">予感的中！</span></span><br><br>時代考証ユルユルで、まさに地雷そのものでした　<br><br>いやいや、そう思ってるのはゴマだけではござんせん。<br>Amazonのカスタマーレビューにも、同様の違和感をもつかたがたのコメントがいくつか見受けられました。<br><br><br>さて、この小説は、言語不明瞭＆身体にハンディキャップのあった将軍として有名（？）な９代将軍・徳川家重と、<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/66/e1/j/o0250024115590943449.jpg" border="0"><br>（家重さん。お顔がゆがんでいるのは脳性麻痺の後遺症だとも）<br><br>彼の言葉がわかった唯一の人・大岡忠光との友情物語（？？）らしゅうございます。<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/7b/9c/j/o0610064015590943453.jpg" border="0"><br>（菩提寺のさいたま市岩槻区・龍門寺に残る忠光像）<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/8b/e4/j/o0640048015590943455.jpg" border="0"><br>（忠光さんのお墓。とても立派！）<br><br>Amazonレビューにも書かれていましたが、誰視点なのか統一されてないうえ（大岡忠相だったり、側室のお幸だったり、ブレブレ）、語っていた人（お幸）なんていつのまにか亡くなっていたり、ラストも尻切れトンボで「はいぃ？」な読後感でした。<br><br><br>なんやかんや、ひっかかるところはいろいろありますが、とくに気になるのは、<br><br>➀　しょっぱなの上臈御年寄（家重の乳母）が中奥に出向いて大岡忠相に会う場面<br>《大奥の人がそんなに気軽にひょいひょい出て来れるか！　ふつう大岡のほうが広敷から奥入りして、対面所で会うだろーが！　不自然じゃ～！　それに、中奥は将軍公邸。大奥のオバチャンが好き勝手に行き来して、利用していい場所じゃないんやで》<br><br>➁　年齢に対する認識<br>『忠相は４１歳という若さで江戸町奉行に任じられた』<br>『吉宗はまだ４１という若さで』<br>『松平能登守乗賢という３０過ぎの若者』　<br>《４０歳は初老です。拙ブログ去年７月の記事<a href="https://blog.goo.ne.jp/91950917takahiro/e/7bba54b44b9c09997580d38cb3509e77">『いや～、目からウロコっす』</a>をご参照くだされ》<br><br>③　西ノ丸でなぜか薔薇やサツマイモを栽培するふたりが圃場としている場所が、<br>『伏見櫓の手前なので、花壇が影を作る夕刻は土へ下りてもそう暑くはなかった』<br>《……西ノ丸の図面とか見ないで書いてるんですかね。伏見櫓周辺は土塁と白洲と建物で、植物を栽培するスペースなんざまったくありません》<br><br>④　将軍になった家重に、薩摩藩主が参勤交代の帰国挨拶をする場面<br><br>　取次ぎ役の大岡忠相が、<br><br>『島津薩摩守宗信殿、家臣平田靱負正輔殿を伴い参勤帰国の儀、お赦しを願い出ておられます』<br>　忠相が口上を述べると、主従はさらに頭を下げた。<br>『薩摩守。此度は早う発つではないか。薩摩で何ごとか出来したか』<br>　家重の言葉を、忠光が絶妙の間合いで伝えた。<br><br>《ツッコミどころ満載で、思わず白目になりました。<br>　まず、取次ぎ役が言ったセリフは当然将軍に向けた言葉なはず。<br>　それなのに守名の薩摩守に【守】をつけたうえに（これだけでも超不敬）、宗信【殿】　<br>　さらに、家臣にまで正輔【殿】（ないわ！ないわ！）　<br>　さらにさらに、【おられます】（敬語の使い方まちがってる！　敬意を向ける対象はだれなんや！？）　<br>　さらにさらにさらに、将軍が「薩摩守」と【守】つきで呼びかける（気絶レベルの違和感）》<br><br>　これは、現代でたとえるなら、こちらに訪問してきた自社よりはるかに大企業の取引先の社長さんに対して、秘書あたりが自分のところの社長が入室するときに、「当社・社長の鈴木さまがお見えになりました」と、ほざいた場面を想像していただければよいかと。<br><br>将軍が大名に呼びかけるときは、「薩摩」「肥後」（会津藩主・容保さま）「掃部」（桜田門外で散った日本を愛した井伊直弼公）という感じだったはずで、これは将軍だけではなく、老中なども同じで、幕閣入りすると、ほかの大名連中を「加賀！」（あの１００万石の前田さん）だの、「越前！」（四賢侯の春嶽さん・御三卿田安家出身の元徳川さん）だのと呼び捨てにできるので、老中さんはひそかにテンションをあげていたとかいないとか。<br><br>この場面、もし、ゴマが書くとしたら、<br>「薩摩が御暇言上にまかり越しております」<br>「それへ」<br>（島津がウンタラカンタラ申し上げる）<br>「大儀」<br><br>てな感じですかね。<br>尊い存在である公方さまは、必要最小限しか口にしませんが、まぁ、それだと物語が進みませんから、そこはいいとしても、家臣を伴って御前に出ることはありえないと思いますが。<br><br>⑤　『家重の将軍襲封』<br>《【襲封】は、封地を拝領する大名が新しく藩主になったときとかでしょ。<br>将軍の場合は、【襲職】じゃないのかなぁ……　　》<br><br>こうしてみてみると、<span style="font-size: 48px;"><span style="color: blue;">これは時代小説じゃなくて、時代ファンタジーだと思えばええんやね！</span></span><br><br>なんだ、ゴマの書いてるアレといっしょだったのか<br>（といっても、ネット小説は、そこそこ時代考証してないと、コメント欄でフルボッコにされるから、泣きながら資料探さなきゃアカンのじゃ　）<br><br><br><span style="font-size: 24px;"><span style="color: black;">追記：</span></span><br><br>忠光家重の死後、家治は日光社参の際、大岡が拝領した岩槻に立ち寄って、息子・忠喜と語らい、<br>『余は父上の言葉も解することができなかった不孝者ゆえ』<br>と、忠光の功績を誉めるエピローグ的なシーンがあるのですが　――　<br><br><span style="font-size: 48px;"><span style="color: red;">ちょっと待った！</span><br></span><br>吉宗が次期将軍に家重を指名する場面（作中一番の山場）で、<br>「言語不明瞭な身体障害者に将軍なんて務まるか！　どうしても将軍位につけるなら、忠光は罷免しろ！」<br>と、迫る老中・松平乗邑に、家重が反論するんですが、やっぱりなにを言っているかわからない。<br>でも、通訳役の忠光が威に打たれた（あるいは、ビビった？）のか、言葉を発することができなくなるという事態におちいり……<br><br>『――――』<br>　もう一度、家重がまた大声を張り上げた。<br>（※　「もう一度」と「また」を一文の中で同時に使うんだ　）<br>『伝えよ、忠光。余の命じゃ』<br>　つねに、家重の心まで伝えてくる忠光が、まるで気配の異なる声だった。<br>『忠光を遠ざける、くらいなら、私は将軍を……』<br>『忠光！　続きを申さぬか』<br>　乗邑が身を乗り出して叫んだ。<br>　だが、忠光は突っ伏したまま激しく頭を振っている。<br>　～～　中略　～～<br>『忠光が言わぬならば、私が言おう』<br>　吉宗が驚いて首を伸ばした。<br>　乗邑も、当の家重も忠光も思わず振り向いていた。<br>　家治が穏やかな笑みを湛え、口を開いた。<br>『御祖父様。私は子ゆえ、少しは父上の言葉がわかります。代わりに申しても宜しゅうございますか』<br>『そなた……』<br>吉宗は呆けたようにぽかんと見返している。<br>（※　またもや、同意の「呆ける」と「ぽかん」をいっしょに使用）<br>『忠光を遠ざけよう、権臣にするくらいなら、私は将軍ゆえ、と。御祖父様、父上はそう仰せになりました』<br><br>……おいおい、完全に矛盾してるやん　<br><br>このとき家治ちゃんは８歳です。<br>こんなに小さいころに、けっこう難しい内容を聞き取れてたのに、『父上の言葉を解することができなかった』って……設定破綻してませんか？<br><br>ちなみに、老中や一族全員を呼んで次期将軍を宣言するこの公的な場で、吉宗さんが脇息を使っているのも、個人的には目が点ポイントでありました。<br>（あれは、完全にプライベート状態で使うものなんや。たとえ、相手が家臣でもそんなの置いて話すのはすごく失礼なんだけどなぁ）<br><br><br>では、最後に　――　Ａさん、ご好意で貸してくださったのに、いろいろケチつけちゃって、すいません！　<br><br></span></p>
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<pubDate>Sun, 04 Feb 2024 19:12:42 +0900</pubDate>
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<title>堆積した厄は落ちたのか？</title>
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<![CDATA[ <span style="font-size:16px;">残すところあと数時間となった２０２３年。<br>なんやかんやいろいろなことが起き、『こりゃ絶対ヤバイなにかが憑いてる！』と確信した涙目のゴマは、先週、厄落としの旅にでたのでした。<br>（辞表はたたきつけ済みなので、後顧の憂いもござんせん　）<br><br>「とりあえず、尾形先生の梅の屏風でも見て心の洗濯でもするかー！」と、おもむいた某美術館では……<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/f1/9f/j/o0640048015590943416.jpg" border="0"><br><br><span style="font-size:48px;"><span style="color:red;">なんと、めざすアレが展示されてないっ！</span></span><br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/34/58/j/o0640039515590943423.jpg" border="0"><br>（観たかったアレ　）<br><br>今年の厄は、想像以上に強力や～　<br><br>聞くところによると、画にちなんで梅の季節にしか展示されないそうな　<br>完全に調査不足です。<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/90/e6/j/o0640048015590943426.jpg" border="0"><br><br>秀吉の金の茶室（再現）もあったけど、アタクシはあの残虐非道の成り上がりものが大キライなんやっ！<br>全然復活できぬまま、お宿へ　<br><br>楽しみにしていたは、やはりキライなぬる湯系でした　<br><br>ホテルもよく確認しないでパパっと勢いだけで決めちゃったせいか、かなり<del>ボロッボロ</del>昭和チックなたたずまいで……（ウグウグッ　）<br><br>どうやら厄のレベルを侮りすぎていたようです　<br><br><br>翌日、激ぬるな湯で風邪をひき、ティッシュを大量に消費しながら訪ねたのは、かつてアメリカ領事館が置かれていた玉泉寺さん。<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/80/b6/j/o0480064015590943429.jpg" border="0"><br><br>ここはアメリカさんだけでなく、ロシアさんともご縁が深いお寺でした。<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/57/37/j/o0480064015590943432.jpg" border="0"><br><br>ロシア代表のプチャーチンは、この下田で日露和親条約の結ぶため寄港している際、安政東海地震に襲われたのでした。<br>（とはいえ、そのときはまだ嘉永７年だったんだけど）<br><br>プーさんの旗艦ディアナ号は、大津波により大きく損傷し、乗組員にも死傷が出ました。<br>思いがけず被災したロシア使節団でしたが、乗船していた船医による医療支援を申し出たり、波にさらわれた日本人を救助したりと、現代のプー（チン）とは真逆な人道活動を展開したのでした。<br>（同じプーなのに、なぜこうもちがうんだっ！？　　）<br><br>ちょびっと気分がよくなったゴマは、下田の街をフラフラしたあと、はじめて乗る観光特急『サフィール踊り子』の中で爆睡しつつ、帰路に就いたのでした。<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/0d/05/j/o0640039615590943435.jpg" border="0"><br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/87/d5/j/o0640039615590943439.jpg" border="0"><br>（奇跡的に１号車１番ＡＢ席が取れたのに、ほとんど寝てた　　）<br><br>さてさて、全身にこびりついていた（？）厄は取れたんでしょうか？　<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250510/04/tkgw265/bd/3b/j/o0640048015590943442.jpg" border="0"><br>（全部伊豆の海に落ちていますように、ナムナム）<br></span>
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<link>https://ameblo.jp/tkgw265/entry-12901878084.html</link>
<pubDate>Sun, 31 Dec 2023 17:56:36 +0900</pubDate>
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