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<title>いちりんの藁</title>
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<description>藁（わら）。花の様に見た目の華々しさは無いけど、藁って何となく暖か味があって癒される感じがする。。田舎ほど多く都会に近づくほど少なくなる。。ちょうど人の心の、無くしてはいけない大切なものと似てる様な気がする。誰かの為の藁でありたい。</description>
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<title>人間関係で重要な事。</title>
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<![CDATA[ <p>遠慮なく何でも語り合える本物の信頼関係を築きあげたくて、特に親子関係において母親との不仲で随分長い事あれこれ悩んできました。</p><p>一体自分がどうあれば上手く解り合える事が出来るんだろう。。って。</p><p>&nbsp;</p><p>最近になってようやくその答えが出ました。</p><p>&nbsp;</p><p>親子関係のみならず、人間関係には必ず相対の立ち位置があります。どちらが上で、どちらが下なのか、又はイーブンか。各々の座と言い換える事も出来るでしょうか。兄弟の上下。会社の上司と部下。夫婦ならば主人に対して女房。嫁姑の関係もそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>どんな関係のどんな場面においても言えると思うんですが、とにかく上に立つ者が、下の者の想いを汲んであげる・受け止めてあげる事が出来ない（その気が無い）場合、いかに下の者が信頼関係を築き上げたかったとしても、それは絶対に叶わないんだという事がハッキリと判りました。</p><p>&nbsp;</p><p>残念ながら、とにかく上に立つ者の器次第なんだなぁ、と。。</p><p>&nbsp;</p><p>なので、親子関係においては、父親にしても母親にしても、子供側からちゃんと想いを伝え続けても一向に受け止めてくれる気配が無いと判った時。その時点ですっぱりと関係を切ってあげたら良いだけなんだ。切るに切れない想いがもし自分にあったとすれば、それはただ単に自分の自立の問題。</p><p>&nbsp;</p><p>自立が出来ていれば簡単にあきらめる事が出来ますし、子である自分がスッパリ切ってあげる事こそが本当の意味での親孝行にも繋がります。見た目には最悪なんですが、本来の本当の自分、真の姿に立ち返れるようにとサポートしてくれる流れが自然の流れなので、その真を産み出す流れに沿う意味でもそれが一番ベスト。これは『親切』という漢字とも繋がります。</p><p>&nbsp;</p><p>親が親として、真から我が子を愛するならば、その子の想いを受け止めてあげる事は本来は絶対に出来るもんです。子から縁切りされた親は悲しくなるもんです。もし悲しくないとしたら、そもそも最初から真の親子関係なんて無理な訳で。切られた悲しさと向き合えるかどうかは親の課題な訳ですが、逃げずにしっかり向き合えればやがて大切な事に気付けるでしょうし、逃げるなら逃げる選択であったとしても、それは親の人生であり、常に自分の人生というのは自分で選択して決めて生きて行くものなので、その辺は自由にやったら良いと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな事からも、俺は自分の立ち位置と並ぶ者から以下の者に対しては、全て。例えどんな想いであったとしても、しっかりと受け止めて大切にしてあげられる人間であり続けたいと定まりました。</p><p>ここに来るまで長かったぁ～<img alt="照れ" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png" width="24"></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tmram/entry-12412675892.html</link>
<pubDate>Thu, 18 Oct 2018 07:58:10 +0900</pubDate>
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<title>噂話</title>
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<![CDATA[ <p>俺は噂話のたぐいは基本信じない事にしてます。</p><p>たいていの噂話は他人の悪口めいた事が多いように思いますが、この噂話のたちが悪いと思うのが　どんどん尾ひれがついて行くんですよね<img alt="ショボーン" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png" width="24"></p><p>&nbsp;</p><p>他人の不幸を喜ぶ・面白がる人が居るのを　とても残念に思いますが、まだまだこんな時代は続くんでしょうかね。。</p><p>&nbsp;</p><p>え？あの人がそんな事を？ウソでしょ？それがもし本当だったとしたら、何かよほど特別な事情でもあったんじゃないかと思うよ？だってあの人はそんな人じゃないもん。ってな感じで、</p><p>&nbsp;</p><p>悪い噂話を信じるんじゃなくて、その人のほうを信じる人ばかりで溢れかえった世の中になれたらイイなぁ～<img alt="おねがい" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png" width="24"></p><p>&nbsp;</p><p>悪い噂話を始めたほうの人が恥ずかしくなれる様な世の中がイイなと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tmram/entry-12388236794.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Jul 2018 19:31:28 +0900</pubDate>
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<title>『誠』とは。</title>
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<![CDATA[ <p>『誠』という字は　言を成す　と書きます。</p><p>勿論、何かを言う前には必ず　「心で思って」　からになるので</p><p>『心・言・行』が一致している状態＝『誠』である　と言えます。</p><p>&nbsp;</p><p>人には必ず『良心』があるので、</p><p>『良心を軸に誠を貫く事』が出来る様に自己観察し続けていれば（意識をそこに置いて生活していれば）、必ず進化し続けられます。</p><p>&nbsp;</p><p>要するに、自分の吐いた　ひとこと一言（言葉）に対する責任をちゃんと重く受け止められる様になれればイイと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tmram/entry-12385236036.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Jun 2018 07:26:45 +0900</pubDate>
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<title>子は親の鏡（続き）</title>
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<![CDATA[ <p>例えば、俺はかなりマイペースな人間なんですけど、</p><p>&nbsp;</p><p>あ。マイペースという表現よりも「のろま」と言ったほうが　より世間のイメージ的には近い雰囲気が出るかな（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>そして、俺の子供は俺に更に輪をかけたマイペース人間です。</p><p>呑気にも程があるくらいなんですが、確かに良く似ていると感心します。</p><p>&nbsp;</p><p>ここで親子関係の鏡合わせを使います。（子は親の鏡）</p><p>&nbsp;</p><p>子供は丸ごと俺の姿を映しだす鏡そのものなので、これをじっくり観察します。その時に『その姿をどう感じているのか』が、今のありのままの自分の中身（本当の姿）という意味になります。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば自分が「のろまな自分」に対して劣等感や否定的観念を持っていたとすると、子供が「のろま」である事が必ず許せない状態になるので、必然的に小言を言うとか　怒ったり　ののしったり　バカにしたり　という　やめさせようとする行動を起こしやすいです。</p><p>&nbsp;</p><p>子供の状態を否定している　というよりも、そもそも自分自身を否定してしまっていると気付く事が出来ます。（自分が醜いと思っている姿が映る）</p><p>&nbsp;</p><p>では実際に「のろまな子供」を観た時の率直な俺の感想です。</p><p>「（笑）さすが俺の子だな～。。コイツは大物（おおもん）になるな。」でした。</p><p>&nbsp;</p><p>思えば俺は、自分のマイペースさ　が気に入っていて、呑気なところも大好きだし、呑気とは周りの気を呑むくらいの器の大きさを持っている証拠。という考え方を持っているので、結局のろまな自分が好きなんですね。</p><p>&nbsp;</p><p>だから、のろまな俺の子供を観た時に、ほほえましく映る訳です。</p><p>&nbsp;</p><p>という意味で、長所も短所も全部含めてまるごと自分自身を愛せている様な状態は根拠のない自信で充満しています。自分を信じる事が出来ている状態なので、おのずと自分の子供の事も信じられます。</p><p>&nbsp;</p><p>俺の子だから絶対に何があっても大丈夫！と。</p><p>&nbsp;</p><p>親子関係においては、そういう自信が必要不可欠なので、もし自分の子供の気に入らない部分があった場合には、そんな部分が必ず親であるあなたの中にもあると思うので、そんな自分を許容してあげようとする（自分を愛して認めてあげる）のが大切だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>これが出来ると幸せが拡大します。</p><p>&nbsp;</p><p>そう。子供は、親を　より幸せへと導く為に　わざわざ自分のところに産まれて来てくれたんです。汚い姿を親に見せる為に。。</p><p>&nbsp;</p><p>大切にしなきゃバチが当たるよね！<img alt="グラサン" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/021.png" width="24"></p>
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<link>https://ameblo.jp/tmram/entry-12383072182.html</link>
<pubDate>Tue, 12 Jun 2018 00:49:37 +0900</pubDate>
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<title>「子は親の鏡」について</title>
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<![CDATA[ <p>一般に言われる「子は親の鏡」の解釈は、親の背を観て育つ（影響を受けて育つ）子供はまるで親をそのまま鏡に映した様にそっくりになる。ゆえに親は良きお手本となるよう。。。的な襟を正す（若干窮屈な）感じですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>でも俺なりの「子は親の鏡」の解釈は全然違います。ある意味真逆です。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそも子供というのは両親２人分のDNAを併せ持っているので、産まれた時点から親よりも優れている事が確定している（進化の理論からして当然）と思っていますので、親側が子供の姿を観て良く学ばなくてはいけない。という部分においては何も違わないんですが、</p><p>&nbsp;</p><p>この「学び方」が、普通は自分のダメ出し的な反省になっちゃうかと思うので、子供の悪い部分が観えた時には同時に自分を責め咎めして落ち込むという変なサイクルに陥ってしまい、向き合うのもしんどい（せっかくのチャンスを棒に振る）感じになりやすいかと思うんですね。</p><p>&nbsp;</p><p>一先ずここで一旦、大人の対人関係について触れてみたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>自分に『「自信」が持てている人』というのは、常に心の余裕（ゆとり）がありますから、相手の優れている部分を素直に褒め称える事が出来ます。例え自分が相手に負けた形になっていたとしても自分の凄さをアピールする事もなく平然と負けていてあげる事が出来ます（能ある鷹は爪を隠す）。また、相手の劣っている部分に関しても責め咎めする事なく（指摘だけはしてあげる場面もあるかも知れないですが）目くじら立てず穏やかに見守ってあげる事が出来ます。</p><p>&nbsp;</p><p>そう。『自信』がある＝『終始おだやかで許容範囲が広い』＝『器が大きい』</p><p>人間、少しずつでもイイから常にこの『器が大きい』状態を目指すのが道。</p><p>&nbsp;</p><p>話を親子に戻しますが、親が目指すべき道も当然同じで、その為に自分の子供を『鏡』として利用させてもらうのです。</p><p>&nbsp;</p><p>具体的な例をいくつかあげて説明していきたいと思っていますが、それについてはまた次回に続けていきたいと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tmram/entry-12382808826.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Jun 2018 23:31:37 +0900</pubDate>
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<title>うれしい！という素直な気持ちを大切に。</title>
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<![CDATA[ <p>人は誰でも『幸せになりたい』と願うものであるかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、人生って皮肉なもんで『幸せになりたい』と願う想いが強ければ強いほど『不幸』を呼び寄せ、体験し、『不幸』を感じる流れが起こります。</p><p>&nbsp;</p><p>これは、目に見えない宇宙の愛の法則からしたら至極当然の事で、</p><p>&nbsp;</p><p>例えば『お金』ですが、生まれた時から大金持ちの家で、いつでも親から与えられ一切『不足』を感じない生活をしていた（それが当たり前で普通）として、そのまま大人になった人が、お金がある事に対して『幸せ』を感じる事が果たして出来るのか。。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば『健康』ですが、生まれた時から熱を出した事も無ければ風邪を引いた事もなく、鼻づまりや咳き込む苦しさを一度も体験せずに大人になった人が居たとして（絶対に居ませんが）、その人が健康でいられる事に対して『幸せ』を感じる事が果たして出来るのか。。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば『争い』ですが、生まれてこのかた戦争や喧嘩は勿論の事、競争による敗北、じゃんけんで負けた悔しさ等体験した事もなく又そんな場面を見る事も聞く事もないまま大人になった人が居たとして（絶対に居ませんが）、その人が争いのない事に対して『幸せ』を感じる事が果たして可能か。。</p><p>&nbsp;</p><p>どれを取ってみても、『その状態』『その環境』がありさえすれば幸せになれると多くの人が『錯覚』している様に思いますが、実は幸せを感じる為に必要なのは、状況や環境などでは決してなく、</p><p>&nbsp;</p><p>『足りない』という『不足』（不幸）を体験し、それを充分感じる事が出来た人にだけ、まずは『幸せを感じる為の条件』が与えられ整います。</p><p>&nbsp;</p><p>足りないと感じる事によって、それが『欲しい』という思いが生まれます。</p><p>で、『欲しい』と思ったものが手に入った時に『幸せ』を感じる事が出来る。『感謝』というありがたさ（幸せ）を体験する。という流れであり、</p><p>&nbsp;</p><p>肝心なのは、欲しいと思うものが少しでも手に入った時に、素直に『喜び』を感じる事が出来るのか、それとも、まだまだこんなもんじゃ足りないと『不服』のほうを感じてしまうのか。ココがひとつの分岐点で、</p><p>&nbsp;</p><p>『不服』の場合、こんなんじゃ全然足りない！もっと幸せになりたい！と感じている訳ですから、『もう一段下の不幸を体験する必要性』が生まれます。</p><p>『幸せを感じる為の条件の再構築』の開始です。</p><p>&nbsp;</p><p>このサイクルで、最終的には幸せを感じれるので何も心配は要りませんが、しかしこの『感じ方』には相当個人差があると思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>『感謝』は『感謝』を産み『不平』は『不平』を産む。</p><p>（喜べば喜び事がやって来るし、不満のままで居れば不満事がやって来る）</p><p>このサイクルは、人々が幸せの喜びに浸れる為の絶対にハズす事の出来ない宇宙の愛の法則。</p><p>&nbsp;</p><p>なので、『素直に喜びに浸る』。そういう『力』をパワーアップさせて行きたいもんですね。</p><p>&nbsp;</p><p>オオモトの流れは、喜びを無限大に与える為の流れしかありませんので</p><p>『今の自分』が素直に受け取り喜ぶ事が出来るか出来ないかに全てかかっていて、ソコに移行出来さえすれば、いかほどにでも流れ込んで来る。という準備はいつでも整っているのです。</p><p>&nbsp;</p><p>『今の自分』次第で未来の方向性が決定され続けます。</p><p>&nbsp;</p><p>どんな時でも『素直が一等』であり『喜べる事』が大切です<img alt="照れ" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png" width="24"></p>
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<link>https://ameblo.jp/tmram/entry-12380371390.html</link>
<pubDate>Fri, 01 Jun 2018 06:26:02 +0900</pubDate>
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<title>全ての災いの真の原因。</title>
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<![CDATA[ <p>この世に起こる全ての災いの<span style="text-decoration:underline;">真の原因は『反自然』</span>です。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、『自然』の力は常に偉大であり絶大で、『反自然』に比して圧倒的に大きいので、発生したありとあらゆる『反自然』に対しては常に『自然』に還そう還そうとする力が働き続けています。</p><p>&nbsp;</p><p>ゆえに反自然が永遠に栄え続ける事は絶対的に不可能な事なのです。</p><p>&nbsp;</p><p>話が大き過ぎるので、もう少し小さく実生活でなぞらえてみると、</p><p>&nbsp;</p><p>自分の『本音』は常に『自然』と繋がっています。リンクしています。</p><p>&nbsp;</p><p>もし今、物事が思う様にスムーズに進まない。中々問題が解決しない。としたら、それは自分の本音と逆方向に進もうとしている事に気付ける様に、自然からのメッセージとしての障害というサインが出ている証拠です。</p><p>一旦立ち止まって深く自分を観察してみる必要があります。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、それでも気付けなかったとしても特に心配は要りません。</p><p>常にサインは出続けてくれますし、時と共に障害は大きくなって解り易く変化してくるものなので、<span style="text-decoration:underline;">気付こうとさえしていれば</span>、いつか必ず気付ける時がやってきます。</p><p>&nbsp;</p><p>反自然を起こすのはどんな時でも人間だけなので、自然体でありのままに正直に自分を表現し続ける。という心掛けが大事なのと、自分の気持ちに偽りが無いか。つくろっている部分は無いかどうか。等の点検は、自分の為にも人の為にも常に怠らない様にしたいと思っています。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tmram/entry-12379633034.html</link>
<pubDate>Tue, 29 May 2018 07:45:09 +0900</pubDate>
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<title>誰にでも必ず良心がある。</title>
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<![CDATA[ <p>この世に『良心』の無い人は一人も存在しません。</p><p>&nbsp;</p><p>例外などなく必ず『良心』が内在しています。</p><p>&nbsp;</p><p>仮に「いや、俺には良心など絶対にないぞ！」と言い切る人が現れたとしましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>そこで、その人に「それではあなたは御自分の事を善人だと思っていますか？それとも悪人だと思っていますか？」という質問を投げかけてみます。</p><p>&nbsp;</p><p>善人だと思う。との返答ならば、その基準はその人の『良心』に照らして、恥じない行動が多いと思えている証ですし、</p><p>&nbsp;</p><p>悪人だと思う。との返答であれば、やはりそれも『良心』からハズれた事を多くやっているという認識があっての事になりますから、</p><p>&nbsp;</p><p>いずれにせよ『良心』がある。という事になります<img alt="照れ" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png" width="24"></p><p>&nbsp;</p><p>言葉遊びじゃないですが、『両親』が無くてこの世に出てこれる人間がそもそも一人も存在しない。というのも実に良く出来てるな～と思います。</p><p>&nbsp;</p><p>平仮名で『りょうしん』と書くと、どっちの意味か分からなくても、</p><p>『漢字』で書くと『感じ』がつかめるというのもまた面白い（笑）</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tmram/entry-12375268707.html</link>
<pubDate>Fri, 11 May 2018 23:49:07 +0900</pubDate>
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<title>鏡合わせ（合わせ鏡）</title>
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<![CDATA[ <p>鏡の前で右手を上げると、鏡の中の自分は何故か左手を上げる。。</p><p>&nbsp;</p><p>これって知ってましたか？</p><p>&nbsp;</p><p>普段見ている鏡の中の自分の顔。見慣れている顔なんですが、これも実際は左右ひっくり返しの顔なので、他人から見られている本当の自分の顔じゃないのです。</p><p>&nbsp;</p><p>鏡に映った顔を、更にもう一枚の鏡に映し直す事で左右が元通りとなるので本当の顔が出現します。</p><p>&nbsp;</p><p>普段見慣れてないので逆に何か変。。<img alt="えー" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/011.png" width="24"></p><p>つか、ちゃんと正面で眼が合った状態でマジマジと観察したいのに、少し斜めっていうか。正面での直視が出来ないから何となく気持ち悪いし<img alt="ショボーン" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png" width="24"></p><p>&nbsp;</p><p>でも、こっちが本当の自分の顔で、いわば周りのみんなが認識してくれている方の本来の自分の顔。。</p><p>これってなんか不思議じゃないですか？<img alt="びっくり" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png" width="24"></p><p>&nbsp;</p><p>この二枚の鏡を使った合わせ鏡は何故か不吉な事とされるらしいですが、</p><p>「かごめ唄」の「うしろの正面」にも通じている様な気がしてならない。。</p><p>&nbsp;</p><p>うしろの正面が鬼とつながっている点もまた面白いと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>でもまぁ、とにかく、</p><p>『ありのままの自分を確認する為』には、『合わせ鏡』が必要不可欠。</p><p>という事が言いたかったのと、</p><p>&nbsp;</p><p>子は親の鏡。とか、鏡のような人。とか、他人は自分を映す鏡。とか、</p><p>これからそんな話を書いていきたいなぁ～と思っての事です<img alt="照れ" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png" width="24"></p><p>&nbsp;</p><p>もちろん目的は、ありのままの自分をしっかりと認識できる（知る）事によって、本来の自分らしく、飾らず自然体で生きる。より豊かで幸せな悔いの無い人生を送る。みたいな事です。<img alt="おねがい" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png" width="24"></p>
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<link>https://ameblo.jp/tmram/entry-12374770154.html</link>
<pubDate>Wed, 09 May 2018 23:41:53 +0900</pubDate>
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<title>『誠』が大事。</title>
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<![CDATA[ <p>素の自分、ありのままの自分を全て受け止めて「称える」事の大切さを</p><p>事あるごとに実感しています。これが出来る様になった分だけ自分軸がしっかりしてきてて、何事に対してもブレなくなって来ているというか。</p><p>&nbsp;</p><p>俺の中では、これが成長と思ってます。</p><p>&nbsp;</p><p>肝心なのは、自分の心の中心に常に『誠』が無かったらダメ（論外）だと思うんですが、『誠』さえハズさなければ全て何をやってもOKだと思ってます。</p><p>&nbsp;</p><p>誠をハズしていない（自信のある）時は、人目など一切気にせず堂々と晴れ晴れとした気持ちで生きれます。</p><p>他人から何処をどう突かれようが、自分の中に「やましさ」が全く無いから。</p><p>&nbsp;</p><p>逆に人目が気になる様な時は、おおかた『誠』があやふやになってます。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の心を観察し、方向を定める時の基準というか、確認作業の時によく使うんですが、「これは自分の為でもあり相手の為でもある」と思えているのかどうか。という、これって結構大切かな。と思ってます。</p><p>&nbsp;</p><p>どんな事にでもあてはめられるかな、と思います<img alt="照れ" draggable="false" height="24" src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png" width="24"></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tmram/entry-12373453370.html</link>
<pubDate>Fri, 04 May 2018 20:05:32 +0900</pubDate>
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