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<title>思いつきのブログ</title>
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<description>なんとなく思いついたことを書きたいと思います。</description>
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<title>読書録その107　陳舜臣著『五台山清涼寺』「日鋳の鏡」</title>
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<![CDATA[ <p>　この時の呉の遠征軍の若者は男たちばかりではなかったはずです。その遠征軍には多くの女性たちがいたと思われます。女性で編成された部隊もあったかもしれません。兵士たちの身の回りの世話をする女性もいたでしょうし、それこそ妻子を連れた兵士たちも多かったでしょう。多分、新天地を求めて大挙して移動するという事は、よくあることだったのだと思います。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tokidokiomoituki/entry-12812507154.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Jul 2023 23:08:57 +0900</pubDate>
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<title>『論語』陽貨篇にある「唯上知与下愚不移」という章について</title>
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<![CDATA[ <p>　とても賢い人物と相当な愚か者は変わることがない。孔子がこういう意味で述べたとは、私は考えたくありません。しかし、「自分は何でも知っているという傲慢屋」と「俺はどうせ馬鹿だものという変な自信家」なら、忠告を素直に聞いたり、誰かに教えを乞うという事はしないでしょうから、いつのまにか時代の変化から取り残されるという事はあると思われます。そういう意味では、「ただ上知と下愚は移らず」なのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 14 Jun 2023 23:20:19 +0900</pubDate>
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<title>『論語』季氏篇にある「見善如不及、見不善如探湯」の章について</title>
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<![CDATA[ <p>　嘘かマコトかを判断するために、古代の日本で行われていたという「盟神探湯（くがたち）」は、じつは孔子の時代に中国で行われていたものなのでしょうか？それとも『論語』のこの章からヒントを得て創作されたものでしょうか？</p><p>　古代においては、吉凶占いが盛んに行われており、例えば、薪を川に投げ込んで順調に流れていくかどうで何かを占うようなこともあったようです。ということは、『論語』のこの章のこのくだりを「たとえ嘘でも、それが善である場合にはするには及ばないが、不善が発生しており誰が嘘をついているのか判断がつかない場合は、沸騰しているお湯の中に手を入れさせて判断せよ」と解釈した人物がいたかもしれないということでしょうか？　</p>
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<pubDate>Sun, 07 May 2023 23:19:25 +0900</pubDate>
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<title>読書録その106　司馬遼太郎著『街道を行く37　本郷界隈』</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp; 夏目漱石の兄の嫁に樋口一葉ではどうかというお話があったんだそうです。漱石の父が一葉の父の上司だったとかでそういうお話があったとのことです。ということは、千円札と五千円札の肖像画の二人はお知り合いという事になるのでしょうね。漱石と一葉はお互いの才能を認めあっていたのでしょうかそれともそうでないのでしょうか、気になるところではあります。</p><p>よろしければ、ぜひにもこの二人の文豪のお話をＮＨＫの朝ドラでやっていただけないでしょうか？と思います。</p>
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<pubDate>Tue, 11 Apr 2023 23:01:19 +0900</pubDate>
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<title>『論語』衛霊公篇にある「君子求諸己　小人求諸人」という章について</title>
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<![CDATA[ <p>　黒川伊保子著『家族のトリセツ』のなかに、『失敗した人には、「私も、〇〇すればよかった」と声をかけるのもおすすめだ。』とあります。君子と呼ばれる人たちは、誰かの失敗についてそうならないために自分がしてやれることがあったのではないかとを考えて、あまり人を責めないものなのですね。</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 01 Mar 2023 23:31:09 +0900</pubDate>
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<title>読書録その105　　黒川伊保子著『家族のトリセツ』</title>
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<![CDATA[ <p>　私の経験したお話です。</p><p>　ある人が、「近くにカレー屋がオープンしたので食べにいってきた」と言うので、私が「ナンで食べたのですか？」と尋ねると、少し間があって、なぜそんな質問をするのだという表情で、「食べたいから食べに行ってきた」と答えたのでした。私は「ごはんとナンがあったと思うのですが、ナンのほうで食べたのですか？」と問い直すと、「ごはんとナンの両方で食べた」との回答をいただきました。</p><p>　ということで、「何で？」と問われると、確かに脳は迎撃態勢をとってしまうようですね。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tokidokiomoituki/entry-12787880127.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Feb 2023 23:34:40 +0900</pubDate>
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<title>読書録その104　　『葉隠』奈良本辰也訳編</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは言いますが、どうしても二者択一しか選択肢がない場面では困難な方を選べ、という事なのだと思います。自分の信念を曲げない方を選べという事なのだと思います。仮にそのために死ぬことになったとしてもそれは無駄な死ではない。という事だと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tokidokiomoituki/entry-12780589177.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Dec 2022 23:10:21 +0900</pubDate>
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<title>『論語』陽貨篇にある「道聴而塗説、徳之棄也」という章について</title>
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<![CDATA[ <p>　この場合の「徳」は「得」であり、「得るものがない」という意味ではないでしょうか。例えば、ある本を読んで感銘を受けたフレーズがあったとしても、それを誰かに話してもその人の共感を得られるとは限りません。誰かのためになることでも、その人に話すタイミングを外してしまうとその人の心に響くことはないということだと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tokidokiomoituki/entry-12776653329.html</link>
<pubDate>Sun, 27 Nov 2022 23:20:29 +0900</pubDate>
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<title>『推背図』予言その９</title>
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<![CDATA[ <p>第58象です。</p><p>讖曰</p><p>大亂平　四夷服　稱弟兄　六七国</p><p>頌曰</p><p>烽烟浄盡海無波　稱帝稱王又統和　猶有煞星隠西北　未能遍唱太平歌</p><p>&nbsp;</p><p>「烽烟浄盡海無波」波は涛のことで、習近平の３期目の著用ポストから胡錦涛派がいなくなるという事でしょう。</p><p>「稱帝稱王又統和」その政権は盤石と思われるでしょう。</p><p>「猶有煞星隠西北」これは、『水滸伝』を踏まえているのでしょう。いわゆる「梁山泊」に豪傑たちが集結しており、共産党政府を脅かすという事かと思われます。</p><p>「未能遍唱太平歌」は、戦争が忍び寄ってきているということであり、習近平氏を称える歌ばかりを歌えない。という事でしょう。</p><p>また、この象の干支は「辛酉」であり、辛酉の年は革命がおこるとされます。それに、この卦は「困」であり、その九五の爻辞には、「劓刖。困于赤紱。乃徐有説。利用祭祀」とあり、刑罰を受けたり、共産党の幹部になったりという苦しみはようやく終わる。という意味だと思われます。と、いう事から察するに、中国共産党の終わりの始まりということなのだと思います。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tokidokiomoituki/entry-12772032047.html</link>
<pubDate>Sun, 30 Oct 2022 23:00:19 +0900</pubDate>
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<title>『推背図』予言その５-２</title>
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<![CDATA[ <p>第４６象です。これは安倍元総理の暗殺事件のことを予言しているかもしれません。　</p><p>讖曰</p><p>黯黯陰霾　殺不用刀　萬人不死　一人難逃</p><p>頌曰</p><p>有一軍人身帯弓　只言我是白頭翁　東邊門裏伏金剣　勇士後門入帝宮</p><p>&nbsp;</p><p>この象の卦は「渙」です。離散あるいは離散をあわすという事です。襲撃犯の動機が、旧統一（これは離散をあわすにつながりますね）協会のために一家が離散することになったことに対する復讐のようなことであったことらしいので、「渙」の卦はそれを言い当てていると思われます。</p><p>その襲撃方法は、刀を用いておらず、たった一人のみが逃れることができませんでした。また、容疑者は元自衛官が銃という飛び道具を使用しましたし、背後からの銃撃でした。でも、「只言我是白頭翁」のくだりはどういう意味になるのでしょうね。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tokidokiomoituki/entry-12766892686.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Sep 2022 22:53:29 +0900</pubDate>
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