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<title>物語批評日記</title>
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<description>映画、時々ドラマや本。観たり読んだりした物語全般について、心の移ろうままに書き連ねていくブログです。</description>
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<title>怒り</title>
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<![CDATA[ 久々の投稿。<br><br>昨日公開された「怒り」を観ました。以下、結末のネタバレ含みます。<br><br><br>「悪人」の李監督作品とあり、<br>予告からかなりの期待値上げてしまった映画だったけれど…<br><br>どしーんと来た。<br>そもそも出演した俳優が何人も、「実はあのシーンの記憶ないんです」っつってんだもの。<br>どんだけの熱量だ。<br>でもさすが、ものの見事に期待値を上回ってくれた。あっという間の２時間半。<br><br>物語は、千葉、東京、沖縄に指名手配中の殺人犯によく似た男が現れる、という三重構成。<br>そこをうまーく、ピエール瀧さん扮する警官達の現場が束ねていく。<br><br>まずすごいのは、三人全員犯人に見える。<br>顔の特徴。時折現れる犯人の後姿。危うい目つき。<br>「こいつだ！」「いや、こいつじゃねえか？」「いやいや、こいつかも」<br>え！誰？！誰なの！？<br>て、見事に最後まで引っ張って行ってくれる。<br>そしてどの人物にも信ぴょう性がある。どの役者も揃いも揃って芸達者だし。<br>最終的に誰でもないってオチなのでは……と思いきや、案外あっさり犯人がいた。<br><br><br>この誰でもありそうな信ぴょう性の裏側、実は作者の吉田さん自身が犯人決めずに書き進めていたらしく、そらー観てる方もわからんわ！と驚愕した。<br>結果的には田中であったことの理由はちゃんとあるのだろうけど。<br>しかし、作者自身も先を決めずに書く、というのはこういう時に有効なんだなあと感じた。<br>ある程度誰が犯人かわかっていたら、無意識的にそういう方向にもっていくように書いてしまう<br>ものね。きっと。伏線の矛盾が出る等のリスクはあるんだろーけれど。<br><br>テーマは「怒り」という観念。<br><br>時々、社会でも日常生活でも、<br>「何故そんなことで？」と周囲が目と耳を疑うような陰惨な事件や出来事が起こるけれど、<br>周囲はその最後の表出された部分を見るだけで、当事者の中にはおそらくその爆発に至るまでに長きにわたって「怒り」という化け物が成長していく。<br><br>その深く深くから増長した「怒り」は、誰とも共有し合えないものなのかもしれない。<br>どんなに説明しようとも、本質的には他者には丸ごと理解してもらえない。<br>だからこそ孤独に、肥大化していく。<br><br>泉（広瀬すずちゃん（の「泣いたってわめいたって、誰にも理解してもらえない」という<br>叫び（予告でめちゃくちゃ流れる）や、<br>すずちゃんの事件後の、辰哉君の「人には伝わらないから」という言葉通り。<br>「ムカつくよねえ！」で表出しきれない、根の深い「怒り」とは、誰とも共有し合えない化け物であり、ある種のエネルギーなのかも。<br><br>田中はその怒りで、ある面自分を保っていたのかもしれない。<br>それがあの事件の時に噴出されてしまった。もちろん田中のやったことは許されることじゃないけど。<br><br>けど「怒り」が共有はし合えなくても、<br>「他者が自分を信じてくれる」っていうのが、その化け物を静める可能性はある。<br><br>だから最後の方で田中が辰哉に「お前の見方だよ」って言ったのは本心なんだろう。<br>客の鞄を投げ、最後の台所を荒らし、壁文字に書いたのはおそらく自分への「怒り」だ。<br>森山未來も言ってたけど。<br>「信じる」ことで、自分のモンスターを一時でも静めてくれた泉に何も出来なかった自分への怒り。憤り。<br>そして共有はしあえなくとも、<br>愛子のように「受け止めようとする」ことで救うことも、同じ「怒り」で返して戦おうとすることも出来る。辰哉の最後の行動はあまりに哀しいけど。<br>それが唯一怒りを抱えた周囲の人間に出来ることなのかな。<br><br>しかし、広瀬すず。すごかったよ。正直「ここも広瀬すずなのかあ」感があったけど、<br>彼女は全力でやろうとしてると思った。もう事件のシーンは観るのも辛かったもの。<br>それと森山未來。泉に「田中さん！」と呼ばれて、反応せずに歩く表情、秀逸だった。<br>あの感じでこいつなんかおかしい、と思わせる。そんで最後の涙。善と悪の行ったり来たりが見事に表現されてた。<br>さすがだ。さすがイスラエルのダンス旅帰りだ。関係ないか。<br><br>あと音楽。さすが坂本龍一。もうね、心のひだに触れる触れる！<br>怒りと、哀しさと、希望が入り混じった素晴らしい音楽だった。<br><br>長くなったけど、良い映画観ました。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tokyo0122/entry-12201309181.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Sep 2016 23:28:41 +0900</pubDate>
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<title>私のなかの彼女</title>
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<![CDATA[ 初の本の感想。<br>以前から気になっていた、角田光代さんの作品。文庫本になってたので満を持して購入した。<br><br>おもしろかった。<br>「号泣しながら」じゃないけど、それこそ一気に読みました。<br><br>物語は、主人公で女子大学生の「本田和歌」が、同い年の恋人でアーティスト（イラストレーター的な）を生業とする「仙太郎」と付き合いながら、作家になっていく約20年を追う。<br>それと同時進行で、和歌が、物書き志望だったという祖母の「山口タエ」の過去を追っていく<br>二軸になっている。<br><br><br>この、和歌の恋人の「仙太郎」が、和歌が売れていく間に発する言葉が生々しい。<br>言葉の端々の下地に、嫉妬心とも妬みともとれるものが敷かれていて、読んでいてまるで自分が言われてかのるように胸がざわついた。<br><br>その仙太郎の言動に浸食されていく和歌が、<br>生前の祖母の口癖「女が男と張り合おうとするな」の言葉の先にあったと予測したのは、「女は女らしく慎ましく生きろ」とかそういう意味を含んだものではない。<br>「みごとに潰されるから」。<br><br>そんな風に、和歌が自身の恋愛の破綻と再生と「書いていく」ことの過程と、<br>祖母の「タエ」が何故物書きを辞めてしまったのかという、和歌が祖母の過去を想像するストーリーとが見事にシンクロしていた。<br><br>こう書いても、内容も心情描写も決して明るくはないのだけれど、<br>角田さんの書く全体的に漂うじめじめとした空気は、皆も、というか自分も内包してるもの故なのか、もうぐんぐん引き込まれて一気に読んだ。<br>電車で最寄りの駅を降りても、家まで先が読めないのがもどかしくて、駅のホームのベンチで電車待ってるフリして読んだ。<br><br>でも、掴みきれなかった。おそらくは角田光代さんが伝えたかったであろう結論には。<br>おもしろくなかったわけではなくて、自分が追いつけなかったというのが正しい。<br>「書きたい」という和歌の業は伝わる。<br>それは、作家である角田さん自身のものが入り混じるからなのか、凄みがあった。<br>でも、あとがきで津村紀久子さんが言っていたような「生きるということを肯定する」という<br>感想までは、私の心には上ってこなかった。<br><br>私が感じたのは、「何かをしたい」と思う人間の強い業と、<br>何か大きな功績を遺した人間であっても、その人生の中身にある一つ一つの「生活」とか「恋愛」とか親との関係とかいうものは、非常に普通なのだということ。<br>でも結果的に、それは一人ひとり違ったいびつな人生の形を成している。<br>それが、世間でいう「大きな功績を遺した」と言われる人は、自身の業を巨大に育て上げて、特にいびつな形を成すのかもしれない。それがどんなに孤独な作業でも、育て続けて。<br>恋人も他の人生もかなぐり捨てて、書くことを選ぶ和歌のように。<br><br><br>けど、角田さんの本「対岸の彼女」を、こないだ再読した時も、前読んだ時よりも<br>そこに書かれた結論がわかりかけた感じがしたので、<br>数年後読んだらまた違う感想になると思う。<br>ていうか、そうなるように生きたいものです。<br><br><br>ていうか、それならハードカバーで買ってもよかったなあ……<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tokyo0122/entry-12174277832.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Jun 2016 17:05:43 +0900</pubDate>
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<title>ヒメアノ～ル</title>
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<![CDATA[ 「森田剛って、なんか気になる人だよね」<br>という会話を、最近友達としました。<br><br>10年ほど前、Ｖ６が「輪になって踊ろう」とか歌っていた時代、<br>森田剛か三宅健か。が周りの女子たちの間で人気を二分していた。<br>今思えば森田剛の人気は、この「なんか気になる」の一言に集約されてたような気がする。<br><br>なんかクラスに1人いそうな、やんちゃそうな悪いやつだけど、気になる存在。<br>金八先生でいえば、なんか問題起こしてしまうんだけど、最終的にいいヤツの一面が垣間見える。<br>そのいいヤツの一面が見てみたくて、実際チラチラ優しさが見え隠れするのが、森田剛の魅力なのではないかと。<br><br>でも今考えれば、若干10代くらいからあんなアイドル活動して<br>「夏のカケラを～肌で感じて～季節のドア足で開けた」と歌って踊ってたわけで、<br>やんちゃで悪いやつどころか、本当は若くして真面目に努力してた人ですよね。<br><br>その森田剛が、こんな風に開花するとは、なんというか感慨深い。<br>劇中では、やんちゃそうを遥かに超えた、極悪人を好演していました。<br><br>うまい。うますぎて、恐ろしい。<br>演技力に加えて本人の資質というかキャラにも合ってるのも相まってなのか、もう目を開けてさえられない場面が多々ありました。<br>でも逆に言えば、この森田剛の開眼を見れたとこしか、映画を観て自分には得たものはなかったかもしれません。正直。<br><br>映画は、濱田岳と彼女のラブストーリーと、<br>森田剛演じる「森田君」の残忍な暴力シーンが並行して進んでいきます。<br><br>個人的には森田剛は、殺しのシーンも恐ろしかったけど、<br>濱田岳と居酒屋で飲んでるシーンで、さらっと嘘をつく場面に背中がひやっとした。<br>すごい、生々しい狂気を感じたというか。<br><br><br>ただ……真面目な話で思ったのは、なんでこの監督はこの映画を作りたかったんだろう？と。<br>何を描きたかったのかな、と。<br>胸に突き刺さるセリフはある。森田剛の、苦しみと葛藤も伝わってくる。<br>けれども、ああいうのは殺されていく人間を記号化してしまう恐れはないのかな。<br><br>でも海外のキルビルとか、アクションものなんかも殺しのシーンは多々あるわけだから、割り切ってみればいいということなんだろうけど。<br>単純に自分が残忍な場面が苦手なだけの話かもしれないですが。<br>でも、あまりに設定も描写もリアルなので、観た人たちに多少の影響を与えてしまうの<br>ではなかろうか。。。とか考えてしまった。<br><br>しかし、そうはいっても、性善説ばかりを唱える、清廉潔白ないい子ちゃんな映画や話ばっかり増えてもつまらないわけで。<br>うーむ・・・でも、と、しかし、が頭の中を横行して、結論はまだ出ませんが。<br><br><br>とりあえず、最後に森田剛が白い犬を大事にしていた、ピュアないいヤツの一面が見れたのはよかった。<br>けど今後しばらくは「きっとここから愛なんだ～」と歌ってる森田剛を観ても、怖いかもしれない。<br>それぐらいの演技力でした。<br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tokyo0122/entry-12172219416.html</link>
<pubDate>Sun, 19 Jun 2016 12:25:21 +0900</pubDate>
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<title>FAKE</title>
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<![CDATA[ 渋谷ユーロスペースにて鑑賞。<br><br>平日にもかかわらず、満席。立ち見まで出ている。<br>大盛況でした。<br>（以下、ネタバレあります。ラストは秘密にして、が何度も叫ばれているので一応）<br><br>率直に面白かった。<br>興味深いと同時に、笑える。<br><br>カーテンが引かれた真っ暗な部屋の中、<br>最小限の物しかない部屋で、ハンバーグを食べる妻と、豆乳一本飲み切る佐村河内氏。<br>なんつーシュールな絵だ。<br>「豆乳すきなんで」と淡々と話す佐村河内氏のもろもろの発言から、、<br>あの世間を騒がせたことの真相ってのは結局、<br>この人の天然というか、ちょっと考えズレたところというか、足りないところから派生してしまっただけの話だったんじゃなかろうか、と思わせる。<br><br>そんな風にところどころ笑えるところを挟みつつ、<br>佐村河内氏とその妻と猫との、どこか現実感の無い生活が流れ続ける。<br><br>妻といえば、この妻がすごい。<br>もうかたくなまでに、来客者にケーキを出し続ける。<br>結局来た人達誰も食べないんだけど、もう毎回。<br><br>どんな人間に対しても、変わらぬ奥さんの態度というか強固な意思というのか、<br>机の上のケーキはその象徴のようで、目の端から離れなかった。<br><br>それは、かたくなに佐村河内氏の（おそらく）嘘につかれ続ける姿勢と共通している。<br>劇中、佐村河内氏が「バレるかどうかが怖かった」と、<br>耳の聞こえ方について嘘だったとも受け取れるような、核心を突くことを言うのだけれど、その会話の最中も、かたくなに奥さんは手話をし続けるのだ。<br>ちょっとビックリした。<br><br>もう、奥さんが佐村河内氏の嘘に付き合ってるのか、<br>嘘をつかれる奥さんに佐村河内氏が付き合ってるのか、<br>わからなくなってくる。<br>森達也さんが「ＦＡＫＥ」は純愛映画だ、とラジオで話してたけれど、<br>それはこの感じかもしれない。<br>佐村河内氏のしてしまったことはさておき、この二人の間にあるのって、<br>もうただの愛じゃん、とズレ込んだ深い愛情に不覚にも泣いてしまった。<br><br><br>それでも観ている間中、何が嘘で何が本当かずっと揺らぎ続けた。<br>佐村河内氏の主張する、耳のことは嘘なのか本当なのか。<br>新垣さんの主張は、嘘なのか本当なのか。<br>音楽は結局誰が作ったのか。<br><br>でも最後のラストで、音楽というおそらくは唯一の真実が劇場いっぱいに溢れる。<br>彼の言っていることが嘘か本当か、結局わからない。<br>ただ、制作の過程を追い続けたあの音楽だけは、おそらく真実だ。<br>（と、信じたい）<br><br>にしても、佐村河内氏の話をテレビで散々やってた頃は、<br>こんな風に佐村河内氏のことを見られるとは思いもよらなんだ。<br>なにはともあれ、視点によりけりなんだな。何事もっていうのはわかる。<br><br>だって私がうっかり泣いてしまった夫婦のシーンで、<br>ピエール瀧さんの奥さんは爆笑してたらしいからね。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tokyo0122/entry-12171203634.html</link>
<pubDate>Thu, 16 Jun 2016 10:15:27 +0900</pubDate>
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<title>マイ・フェア・レディ</title>
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<![CDATA[ 午前10時の映画祭にて鑑賞。<br><br>古典系の所謂名作映画の鑑賞経験が浅い自分には、期待が高まる。<br>あえて前情報は全く入れないでストーリーを把握せず、<br>平日朝のガラガラの劇場で、前日チケット予約までしてど真ん中の席で鑑賞しました。<br><br>が、寝てしまった。<br><br>決してつまらなかったとも思わない。<br>むしろセリフのやり取りはウィットに富んでて面白かったし、場内も笑いが起こっていた。<br>オードリーの「銀幕の妖精」なる代名詞をかなぐり捨てる様な田舎娘の好演にも度肝を抜かれた。<br><br>が、寝てしまった。<br>熟睡ってわけじゃないけど、２、３度。<br><br>何故だろう？朝早いから？<br>朝ごはん食べ過ぎたから？<br>オードリーの歌声が美し過ぎたから？　寝た理由を考えてみる。<br><br>やっぱり長いからかな。<br>ミュージカル仕立てのせいか、無駄な場面だなーこれ。とかそんな風には感じなかったんだけど、<br>全体として３時間。<br>ところどころ、くどくやり取りが繰り返される。<br>心情も何度も繰り返すところがある。（歌で）<br>冗長的とも感じなくはない。<br><br>あと古典作品て、なんというか、時代のずれなのか、撮影技法の問題なのか、<br>「外側から」観てる感をすごく感じる。入り込んではいけないというか。。。<br>まだまだ古典に見慣れてないせいもあるかもしれない。<br><br>にしても、オードリーはすごかった。<br>白いドレスで、階段から現れる場面。<br>男たちがおお！て振り返った顔が先に映されて、まああの全人類が美人と知っているオードリーヘプバーンなわけだし、「これでもか」とハードルをあげられるんだけど、<br>その高く上げられたハードルを易々凌駕する華やかさ。文字通り目が覚める美しさだった。<br>それに加えて、表情豊かで華奢な体でくるくる歌うは踊るわ。目を奪われました。<br><br>にしても。<br>そのオードリーを田舎娘から社交のマドンナに育て上げる言語学者とその相方さん。<br><br>マドンナになったオードリーを、にまにま見ている二人はさながらテレビ界でアイドルプロデュースするオジサンたちのようで突っ込みたくなるんだけど、最終的にはその21の娘（オードリー）と「女なんかきらいだ！」と高らかに歌い上げる言語学者が結ばれてハッピーエンドっていう。<br><br>うーん解せない。<br>普及の名作に文句付けてすみません。年齢差だけのこと言いたいんじゃない。<br>あの言語学者の「女論」は、結構納得できてむしろ興味深かった。<br>ただせめて言語学者さんがオードリーに心惹かれてる面がもっと垣間見えたらよかったかな。<br>オードリーがあのストーカー二歩手前で、家で待ち伏せしてるぼっちゃんと結ばれても、<br>それはそれで、え？て感じだし。<br><br>でもなあ。なんで寝ちゃったんだろ。<br>ミュージカル好きなのに。<br>いつかもう一回、ちゃんと目をかっぴらいて観てみようと思う。
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<link>https://ameblo.jp/tokyo0122/entry-12168566481.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Jun 2016 12:28:08 +0900</pubDate>
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<title>ディストラクション・ベイビーズ</title>
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<![CDATA[ ブログの趣旨をすっかり変えての再スタート。が、まさかの暴力青春映画。<br>ディストラクション・ベイビーズ。<br><br>予告を観た時から、気にはなってました。<br>気になる、妙に豪華なキャスト陣。特に柳楽優弥。<br>たった数秒で痺れる音楽。<br>ただごとでは無さそうなストーリー。<br><br>引っ掛かりを残すんだけど、いかんせんどういう内容かわからない。<br>友達に説明しようとしても、「なんか……若者が暴力をふるう映画？」としか説明ができない。<br>気にはなるけど、痛そうだしなあー。<br>やってる映画館少ないしなあ。<br><br>けど、誘惑に負けて新宿まで観に行きました。<br>結果、「若者が暴力をふるう映画」だった。というか、説明ができない映画だった。<br><br>直後の感想として言えるのは俳優陣が本当にすごいってこと。<br>それと、エンディングの向井秀徳の音楽が素晴らしいってことだけ。<br><br>俳優陣については、<br>柳楽優弥の怪演。もはや彼のインタビューの穏やかな回答のがよっぽど嘘くさく見える。本当、素晴らしい脱皮しましたよね、彼。<br>菅田将暉の見事な嫌な奴感。あのいかにもいそうな、弱くて姑息な奴。途中、この人あの朝ドラ「ごちそうさん」の、好青年の息子と同じ人なんだよね？と、二度びっくりした。本当に見事。<br>小松奈々ちゃんの存在感。元々外見からかなり好きな女優さんですが、あの人形っぽい、赤い血が流れて無さそうな、体温無さそうな雰囲気が役にいい意味でプラスされてた。<br><br>ただ内容の方はというと、７割方暴力シーン。<br>もう殴るわ蹴るわ、血はでるわ。でも後味が悪いわけじゃない。<br><br>そして気になる。何を伝えたかったのか知りたくなる。<br>俗に言う、バイオレンスムービーみたいなのとは違う。<br>途中、ＳＮＳのやり取りとかネットの誹謗中傷する書き込みシーンなんかも挟まれて、<br>明らかに映画監督の意図があるんだろうなーと想像させる。<br>よく考えたら、暴力だらけだけど青春映画なんてこんな映画観たことなかったかもしれない。<br>気になりすぎて、パンフレットまで買ってしまった。<br><br>インタビュー記事曰く監督は、四国にいるときに「喧嘩神輿」を観て、「暴力とは何か」ということを映画にしたかったらしい。<br>ラストに出る「喧嘩神輿」のシーンが大きなキーになっていたのだ。<br><br>確かに暴力って、悪いことであるのは間違いないけど、人間を惹きつけてしまうものでもある。<br>「誰かを傷つける」は、おそらく一定の快楽があるのだと思う。<br>だから家庭内暴力があり、いじめがあり、喧嘩がある。もっと言えば喧嘩神輿がある。<br>もちろん暴力に至るには、相手を気に入らない理由なり、原因なりがあるのは間違いないのだけれど。<br>でも、「傷つける」ことそのものにも、誰かより優位に立つということも含めて、<br>一種の悦びみたいなものが存在してしまうんじゃないだろうか。と、思ったりもする。<br>そこには後味の悪さというやった方の人間に置き土産が置いていかれるんだけど。（これはその人間によって大小あるはずだけど）<br><br>泰良はその「暴力」にただただ惹きつけられる。もはや動物みたいに。<br>ただただ、誰かに勝つことがおもしろい。<br>対して裕也は、自分以外の誰かによって自分が強くなったような気がすることが嬉しい。<br>彼らの動機は単純で、その欲は底無しだ。だからこそ恐ろしい。<br><br>と、講釈垂れてはみたけれど、この映画は暴力のそんな恐ろしさについて考えてみてほしいって感じでもない。<br>そんなことでもなくて、そんな言葉にはできないエネルギーみたいなのを目撃して、<br>感じ取れればそれでいいのかもしれない。<br><br>何より、こんな映画もあっていいっていう自由がいい。<br>ここまで振り切って、やりきってる感じ。巷の映画の性善説をなぎ倒して（でも監督は、悪いことはできないものだと言っているけれど）、描き切ってる感じ。<br>彼らのやってることは肯定できないけど、<br>こんな映画が存在してくれるのは嬉しいことだと思った。<br><br>一番気になったのは……主人公の泰良って。なんて読むんだ？タイラ？ヤスヨシ？<br>柳楽優弥は、名前が作中ほとんど呼ばれないし。<br>パンフにも載ってないしネットで検索したけどわからなかった。<br>これは是非言葉にして、ふりがなでルビ打ってほしいと切に思った。<br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/tokyo0122/entry-12167654613.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Jun 2016 17:48:59 +0900</pubDate>
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<title>星占い</title>
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<![CDATA[ <p>今日の営業の帰り道。</p><br><p>偶然岡山の事務所で会った他の担当の先輩と一緒に帰ることになり、</p><p>ホームで新幹線を待っているときに、</p><br><p>『先輩、星占いって信じますか？』と一言先輩に聞いた。</p><br><br><p>なぜ突然そんなことを聴いたかと言うと・・・</p><p>朝の新幹線で見たHanakoのアプリの占いに、雷がおちたような思いがしたから。</p><br><p>『7月からは、9月末あたりまで乱調気味の運気』</p><br><p>ちょっと待ってちょっと待って。</p><p>9月末までって！</p><p>3ヶ月じゃん。ひと夏じゃん。腕の上の方まで上がったブラウスの裾が、</p><p>手首のところまで下がってくる頃まで、私はずっと不調なわけ？</p><br><p>7月の１ヶ月間ならまだしも、3ヶ月は長すぎる。</p><p>あまりに遠すぎる。</p><p>あーだったらとっとと秋になれ。もう花火もプールもすっ飛ばして、９月末になってくれ。</p><p>青い空も太陽も煩わしくなって、</p><p>もうお先真っ暗の状態で、仕事に向かったわけでした。</p><br><br><p>星占いって、社会人のためにあるようなものだと思う。</p><br><br><p>だって、『有利だったことが不利に』とか、『うまくいっていたことがいかなくなる』</p><p>なんて不穏な言葉、本当に日常の仕事に当てはめると具体的にイメージしやすい。</p><p>逆の『成果が出てくる』なんて明るい言葉もまたしかり。</p><br><p>私は元々星占いに一喜一憂しちゃうようなタイプだけれど、社会人になってから</p><p>雑誌でもなんでも星占いをチェックしちゃうことがほんとに増えた。</p><p>すがりたくなっちゃうときがあるんだな。これが。</p><br><p>朝のめざましのカウントダウン占いも、今考えてみれば、</p><p>見終えてからもう一回二度寝するようなのんびりした学生に向けられたものでなく、</p><p>日中労働する人達へ向けられたものだったんだ。</p><br><p>その証拠に、雑誌でもなんでも、占いには“仕事運”てものが一緒に載っていることが多々ある。</p><br><br><p>先輩にこの占いの話をしたら、</p><br><p>『俺は信じん』の一言。</p><br><p>『だって、雑誌とかテレビによって、違うやろ？同じ星座でも。』</p><br><p>んーまあそれはその通りなんですけどね。</p><p>でもそれが分かってても見ちゃうのが占いっていうかね。</p><br><p>ちょっと府に落ちない表情で座って待ってたら、先輩が一言言った。</p><br><p>『運は待ってるもんじゃないぞ。惹き付けるもんだぞ。』</p><br><br><p>ああ、そっか。</p><br><br><p>急に自分のことを言い当てられたみたいで、どきっとした。</p><br><p>これは、必死に努力した末に運がついてきてくれることがあるのと、同じような話かもしれない。</p><br><p>星占いに一喜一憂しまくってる私は、やっぱり人任せなところが根本にあるのかも。</p><br><p>自分で変えなきゃ。</p><br><p>ずっと待ってばっかじゃだめだわ。</p><br><br><p>そんなふうに決意を新たにしました。</p><br><p>まあ参星占いは考程度に見て、あとは自分次第ってことだよね。</p><br><p>でも明日の朝も、めざましの星占いは観ちゃうんだろうな～</p><br><br><br><p>それにしても、、、我んがの汁なし坦々麺は、中々いけるお味だった！</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/tokyo0122/entry-11565260156.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Jul 2013 20:52:34 +0900</pubDate>
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