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<title>TiMさんはすでに死んでいる。</title>
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<description>もう病まないと思ってたが病んだかも。自分が大っ嫌いだ。</description>
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<title>表裏性は逆転する</title>
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<![CDATA[ 頭を少し抱えて思うことがある。<div><br></div><div>どうやら自分は非常にネットの使い方が苦手な人間でどれが正しくてどれが正しくないのかというのが分からなかったりする。打ち込みで表現される文は手書きで表現される文に比べて、どこかしら味がないというか質感が漂ってこない。つまり今言いたい正しい正しくないというのはあくまで感情に関してなのだ。</div><div><br></div><div>定型的な明朝体やゴシック体などの表記はどこかしら冷たさを感じる。絵文字や顔文字をつけると決まってそれらに感情が生えたようになり、明確な根拠はないがなぜだか暖かさを感じてしまう。おそらくこのタイプの文字を使い始めた世代のことからじゃなければこれは思わないとも思う。</div><div><br></div><div>自分も含める現代の若者世代というのはこの冷たさを感じる表現だけで暖かみを表現するのがどうやら苦手らしい。作家が書く書物はこういった顔文字や絵文字がなかったとしてもなぜだか暖かみを感じられることのできる文章が構築されている。こんな言い方をすると作家以外の人が暖かみを感じられる文章を構築するのが苦手なように感じられる。</div><div><br></div><div>自分が伝えたい感情とは裏腹に相手に伝わってしまう別の感情がある。そして場合によってはその別の感情の方が大きな意味を持ってしまっているような気がする。</div><div><br></div><div>例えば友人に対して「明日の午後空いてる？ちょっと時間空けといてほしいんだけど。」のような連絡があったとする。</div><div>まず「明日の午後空いてる？ちょっと時間空けてほしいんだけど。」とそのままの文を見てみると、シンプルな連絡で特に変える必要はないと思う。</div><div>次に「明日の午後空いてる〜？？ちょっと時間空けてほしいんだけど！」と少しおませな感じで書いたとしよう。これだと元の文に比べると明日は何かがあるのだろうとなぜか期待してしまうように感じられる、あるいは何か急用なのかな？とも思える。おませとは言ったが正直一番しっくりくる。</div><div>次に「明日の午後空いてる？💦ちょっと時間空けてほしいんだけど…😥」と絵文字を絡ませてみよう。ちょっと不安になる。いやマジでなんかあったのか？とガチで不安になる。</div><div>という3パターンを考えてみたわけだがおそらくまだまだパターンはあるでしょう。ちなみに自分は「明日の午後空いてる？汗時間空けといてほしいんだけど」のパターンが多い。賛否両論でいいかな。</div><div><br></div><div>普段から何気なく使っているから意識はしないがこうやって考えてみると同じ文でも何かしらのバリエーションを加えるだけでいろんな感情がよみとれるようになる。</div><div><br></div><div>そしてこれのバリエーションの誇張のしすぎと誇張しなさすぎの堅すぎる文がなぜだか場合によって伝えたい感情と裏腹の意味をもって相手に伝わってしまうことがある。「怒ってるのかな？」とか「ひやかしてんのか？」みたいな悪い感情になってしまうのがとても惜しい。</div><div><br></div><div>きっと自分は考えすぎなので、よく誤解をしてしまうことがあり、その都度自分を情けなく思ってしまう。それは連絡を受け取る側の場合であったり連絡をする側の場合でも起こりうる。</div><div><br></div><div>読んでくれている人も同じ経験をしているのならば幸いです。</div><div><br></div><div>話は文頭に戻り、手紙という媒体について触れておく。手紙というのは手書きであり、手に残り存在するものとして保存することができる。存在するものという表現を使ったのにはわけがあり、SNSにおける電子媒体はあくまでコンピューターの筆跡とするためこれらは打ち込まれたものとして表現したい。まあ簡単に区別化したいということだ。正直この表現に関してはめちゃくちゃ下手だと思う。</div><div><br></div><div>私たちは筆跡からあらゆることが推測できる。例えば文における濃くなった文字や流し書きされた文字。それぞれここを強調したかったのだろう、ここは簡単に読み流す程度で良いのかな、などいろいろと推測ができる。その字が少し震えていたら何か書き手側にあったのだろうか？とも推測ができる。</div><div><br></div><div>科学的に見れば筆跡というのは何パターンかに絞られるかもしれない。けれども自分は筆跡はすべて異なるものだと思いたい。</div><div><br></div><div>筆跡を残すものにも種類があり、華やかな便箋であったり、ノートの切れ端やメモ帳かもしれない、あるいは年賀状のような祝いを示す紙に書いてるかもしれない。</div><div><br></div><div>それらを組み合わせると少しばかりか書き手の気持ちが伝わってこないだろうか？</div><div><br></div><div>例えば整った綺麗な字が古風な便箋に書かれていたとするならば、書き手はきっと丁寧に思いを伝えたいのだろうと思える。またノートをちぎって乱雑に書いた文をみると書き手側は大雑把かつどーでもいい内容か、あるいは急用、などを伝えたいのかなと思える。</div><div><br></div><div>様々なパターンが展開されていくので手紙は面白い。</div><div><br></div><div>コンピューターで打ち込まれた文字を定型的と仮定すると、文と筆跡は非定型なものであると思う。もっと言えば自由なものだと思う。</div><div><br></div><div>だから自分は手紙が大好きだ。逆転してしまいそうな感情の表裏性を弱めてくれる。伝えたい感情をそのまま伝えてくれる。それはおそらく人の表情や声のトーンの代わりになっている。</div><div><br></div><div>その点を考えるとやはり作家は定型文字でもあそこまで表現するのが圧巻だなと思う。ある種表現のスペシャリストなんだな、と思う。</div><div><br></div><div>しかしまあSNSは便利で最高だ。毎日大切な人と連絡がとれるのって最高だな。手紙とSNSの両方をいい感じに使えるようになれたらそれはもっと最高だな。</div><div><br></div><div>って言ってる場合じゃない。二次試験に国語とか小論文などはない。</div><div><br></div><div><div id="9C16C873-F7FB-475D-AD4E-976F54373F7F"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20170120/03/tolovest01/9d/4b/j/o0480030013849470951.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170120/03/tolovest01/9d/4b/j/o0480030013849470951.jpg" border="0" width="400" height="250" alt="{9C16C873-F7FB-475D-AD4E-976F54373F7F}"></a></div><br><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Mon, 16 Jan 2017 23:38:43 +0900</pubDate>
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<title>飛ぶ鳥、立つ鳥</title>
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<![CDATA[ 今年の干支に掛けるつもりはない。<div><br></div><div>「鳥は何を思って空を飛んでいるのかなぁ」なんてクサいことを言う人間ではないことくらいはまずは念頭に置いておいてほしい。そんなことを言い始めたら自分で自分を諌めているのでさすがに言わない。</div><div><br></div><div>鳥に自分をたとえて〜みたいな表現もまたかなりクサいもので、卒業の曲には「羽ばたく」などといったあからさまに人にたとえてるな、という思いがする。けどこの表現は使わざるを得ないというか、「人間」を「飛ぶ生物」にたとえるとなった場合、「コウモリ」や「昆虫」はどこかしら「ダサい」とイメージされる。歌詞に「翼を広げて」や「今羽ばたいて」紛いのことを書いたとして、それがもし例に挙げたものだったとするとよほど作詞者が捻くれてるに違いないと思われ、なんで卒業の曲が書けたんだよwwと思ってしまう。</div><div><br></div><div>「なら何がいいたいんだ？」というところなんですけども、深いことを言うわけじゃなくて鳥がなぜ飛ぶかというのをごく一般的な高校生が高校生なりに考えてみたというところです。「何を思って飛んでいるのかなぁ」じゃなくて「そもそもなんで飛んでんねん」という意味合いで行きたい。</div><div><br></div><div>こんなもの辞書を引いたり鳥類専門家とかに聞けば一発で分かってしまうし、「なるほど鳥は生物学的にかくかくしかじかであるために飛んでるのか！」と面白みもない結果に終わってしまう。</div><div><br></div><div>私たちは幼い頃に一度はツバメの巣を見た経験があるはずだ。それについて小学生の頃に例えば先生やあるいは祖父に祖母、父親か母親から何か聞いたことはないだろうか？自分自身は小学生の頃に何年生の頃かは忘れたが担任か誰かが言っていた覚えがある。テレビかもしれない。そのときに伝えられたことは「この時期はまだ暖かくないから今は遠くの方に飛んでいるのだよ」と教わった経験がある。それが4月のことであった。5月になるとツバメは戻ってきて子供たちに餌をやっているシーンが運が良ければ見ることができた。その頃はそのシーンを見るというよりは小さい身長なりに背伸びをして「あ！ツバメの赤ちゃんが見える！！」と声を上げてはしゃいでいたのだろうと思う。と、同時に教師は糞の多さに萎えていたのだろうと今は思う。半ば諦めていたでしょう。</div><div><br></div><div>そして寒い季節が近づくにつれツバメは姿を消し、また来年も見れたらいいなという気持ちにさせる。当然幼い頃からすると、好奇心に溢れているので「早く帰ってきてね！！」と思っているまである。</div><div><br></div><div>ここから人にたとえながら話を進めよう。それから来年になるとツバメは帰ってくるは帰ってくるものの、元からあった巣に帰ってくるのかというとそうではない場合もあった。特に自分の家の玄関には一つ巣があって中学3年生の頃以来、巣に戻ってくることはなかった。巣はそのままで気づけばいつの間にかなくなっていた。誰も気づかない間に崩れていき、知らない間になくなっていたそうだ。</div><div><br></div><div>我々にとっての巣というのは「家」であったり「学校」であったりする。大人にとっては「故郷」という表現が一番合っているかも知れない。</div><div><br></div><div>そしてそれはそういった辞書に載っているワードだけではなくみんなが口で言う「友達グループ」であったりするのかも知れない。</div><div><br></div><div>学校を卒業するということはよく歌にされ、小学生から高校生(?)まで歌われ続けている。歌にしたり卒業に関する番組を作るとなったら焦点は今までいた学校に置かれる場合が多い。</div><div><br></div><div>しかし私が言いたいことというのは、ひょっとするとそういうものではなく、「友達グループ」のことかも知れない。</div><div><br></div><div>私達は高校生を卒業する際それぞれの進路に分かれる。それはきっとみんな一緒が不可能なことなのである。それぞれがそれぞれなのだ。当たり前だ。言わなくてもわかる。</div><div><br></div><div>けれども本当に巣立つべき場所はそういったグループかも知れない。「グループ」を「巣」と比喩したら、ツバメのように巣立ちをしなければならない。一人一人がそこでたくましく育ち、いずれ巣を作りそこに安住していく。ツバメとは違いそこに長く安住する場合がほとんどである。</div><div><br></div><div>今こうやってたとえた。</div><div><br></div><div>ただ私たちはそれだけじゃいけない。</div><div><br></div><div>ツバメは先ほど帰った通りその巣をいつの間にか崩してしまい、最終的になかったことにしてしまっていた場合があった。人はそれじゃいけない。人によってはそれでいいと思うだろう、それもまたその人の個性であり否定しないし皮肉も言うつもりはない。けれどもいつか自分にとっての「巣」に帰ることができたらそれは良きことではないだろうか。</div><div><br></div><div>学校は大概の場合潰れない。しかし「友達グループ」は合わない時間が長ければ長いほど壊れやすい場合もある。</div><div><br></div><div>自ら支えていかなければならない。そして自ら戻れるようにしなければそこは持続しない。</div><div><br></div><div>立つ鳥跡を濁さず。まさにそのことだ。</div><div><br></div><div>人に鳥に関する動詞を使うことは多々ある。ただ私が一番たとえたいのはこの表現に関してだ。</div><div><br></div><div>澄んだ湖で最後は立ちたい。</div><div><br></div><div>ツバメもまた本当はあの頃を忘れないために飛んでいるのかも知れない。<div id="3274FECE-B7A0-479F-9627-17967888DDD5"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20170105/21/tolovest01/7e/18/j/o0480036013838725540.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170105/21/tolovest01/7e/18/j/o0480036013838725540.jpg" border="0" width="400" height="300" alt="{3274FECE-B7A0-479F-9627-17967888DDD5}"></a></div><br></div>
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<pubDate>Thu, 05 Jan 2017 20:47:17 +0900</pubDate>
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<title>貴方は</title>
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<![CDATA[ 「あなた」と読む。<div><br></div><div>さて敬意を示すときに使う言葉には大きく3種類あって「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」。自分の場合とても胡乱になっていて、さらにいうと敬意の対象が曖昧になり、相手に無礼な態度をとったり。</div><div><br></div><div>つまりのところ日本語は非常に厄介者であると思っている。古文を読んでいても、「あれ？これって誰の誰に対する敬意なんだろう」だとか「これってどの敬語だ？？」などと様々なミスを連発してしまう。</div><div><br></div><div>では仮に古文を常に満点とる人がいて、「敬語の知識は余裕、簡単だ。」という人がいたとしよう。古文ができるってすげえなとは思うけれども、仮にその人が古文を教えてくれた教師の人に自分の古文の成績があがり、報告する際に、「この得点は○○先生の教えのおかげです。先生の申し上げている通りにしたおかげで、得点があがりました。この度は本当にありがとうございます。」とでも言ったとすると、面白い。</div><div><br></div><div>残念ではあるがこの場合「申し上げて」ではなく、「おっしゃる」だ。</div><div><br></div><div>つまりのところこの場合理解しているとは思えない。「まあこんなこと本当にあるのか？」と言われると、まず「ない」。</div><div><br></div><div>そんなこんなで今回は自分が敬意を示している相手に捧げる「貴方」という言葉に添えた最近のことについて。</div><div><br></div><div>人それぞれ敬意を示したい相手、あるいは敬意を示さなければならない相手が存在している。前者の場合、例えば「俺は将来プロ野球選手になりたい！」という人間からすれば、現在存在しているプロ野球選手が敬意を示したい相手になる。当然その人間が日本一のプロ棋士に敬意を示したいとはならないはずだ。てかなっていたら「な、なんだお前は？」とツッコミをいれたくなってしまう。あるいは教養に富んだプロ野球選手志望なのかも知れないが、それは置いておこう。次に後者である。後者の場合、これはほとんどの人が同じことを言うと思う。つまりは年上の方々である。もちろん例外はたくさんあるが、年上の方々に敬意を示すのはごく一般的のことに思われる。</div><div><br></div><div>確かにそれは当然とされるのも無理はない。なぜなら仮に20歳の人間が60歳の人間相手に「俺はお前より何年も生きてんだ！」とは言えない。けれども60歳の人間が20歳の人間に対しては同じセリフは言えてしまう。数を見れば確かにその通りだ。いやあたりまえだ。</div><div><br></div><div>だが、ここで生じている問題は表面上ゼロではあるが、あると思う。</div><div><br></div><div>その60歳の人間が人生何も起こらずにただただ穏便に物事が過ぎていき、価値観が固定され自分の意見しか信じられないような人間であり、それでいて20歳の人間が学生時代から様々な失敗をして、他人の価値観と自分の価値観の相違をよく理解できるようになり、かつ様々な意見をもとに言論を進められる人間であった際。本当にそんなこと言っていいの？と思える。今の言い方からすると若者をプラスで捉えているようにも思えるが、当然60年も生きてきた人間は時代の流れにうまく適応し穏便に物事を解決できてきたという点は大きく評価しなければならない点なので、この場合若者はセリフを承知しなければならないのも事実である。時と場合によっては様々ではあるが、双方の人生観を語らなければそのセリフを理解させる、するのには無理があるのだ。ということだ。</div><div><br></div><div>双方の人生観を語らない上で本当に若者は「貴方」を使う必要があるのだろうか。</div><div><br></div><div>ここで一度話をリセット。問いかけの形で終わらした理由は、「今の自分が置かれている現状を打開するために、まずは自分を塞ぐものに対してどうしていくべきか。」を自分なりに考えてみようということなのだ。</div><div><br></div><div>こういう言い方をすると書いている自分自身が敬意を示すという行為自体に腹を立てめんどくさくなっているように思えるが、別にそんなことはない。</div><div><br></div><div>かなり言い回してるので頑張って察してほしいだけなんです。</div><div><br></div><div>0か100かのような形で文を展開していくのにもわけがあり、こういう文章を書くときは大抵自分にとって非常に辛く悲しい出来事があったときにしか書いていない。むしろ文を読みに読みまくって、書いているTiMさん本人の行動をよく見て、気づいてもらえたら、ただそれだけで嬉しいもんなんですよね。辛いことは素直に言うのが苦手な人間なもので。</div><div><br></div><div>自分が示す敬意を示したいという意味での敬意というものを少し書く。後述するのは「年上以外」。理由は前述で敬意を示さなければ〜と論したので。</div><div><br></div><div>敬意を示したいのはただ一言でいうと「身近な貴方がた」である。</div><div><br></div><div>人は自分が存在できるためにある支えというものには失ってから気づく場合が多々ある。それじゃ遅い。敬意を示す前に終わってしまう。</div><div><br></div><div>それをそうしたくないのです。</div><div><br></div><div>共に笑い、励まし、ときには成績不振で落ち込んで、様々な感情を共有する友達。些細なことでも面白く取り上げ、たくさんのネタを提供してくれる後輩。</div><div><br></div><div>支えなんですよね。とても大きな。</div><div><br></div><div>文章はとても綺麗ごとの集まりで誰もが好むような雰囲気になっている。</div><div><br></div><div>それくらい敬意を示したい。ということなのです。</div><div><br></div><div>失うという書き方を少し挟んだ理由は、そんな彼らとの別れか近くなっているからなのです。死んでないから大丈夫とも思えるのではあるが。格段と日々が減ってしまう。勉強をしていて、失う時間を見ると、寂しい気持ちになる。</div><div><br></div><div>そうしたくないという書き方をしたのも最近やたら連絡を入れたくなるからなのです。</div><div><br></div><div>構造がかなり不安定な話。</div><div><br></div><div>2月の涙は「スタート」か「フィニッシュ」か。</div><div><div id="68B4325A-08E7-4251-93E0-970CD692FF3B"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161228/00/tolovest01/2e/3b/j/o0480036013831626271.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161228/00/tolovest01/2e/3b/j/o0480036013831626271.jpg" border="0" width="400" height="300" alt="{68B4325A-08E7-4251-93E0-970CD692FF3B}"></a></div><br><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Tue, 27 Dec 2016 23:25:18 +0900</pubDate>
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<title>戯れ言</title>
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<![CDATA[ 戯れ言に惑わされないように。<div><br></div><div>過去18年間生きてきたというのは自分が90歳まで仮に生きるとすると5分の1が終わったような、そんな感じである。どうやら人生というのは就職してからだとすぐに流れていくみたいで、今の時期に多くの発見や経験をして大人になっていくのだろうかなと感じる。</div><div><br></div><div>大人ってなんなんだろう。そういう言葉が脳裏をよぎっている。よぎるというよりはずっと曖昧なままなので、少し揺らぐや感じるの動詞の方がよっぽど意味に沿っている。</div><div><br></div><div>大人って？という問いには定義としての答えがないもので、人によっては18歳から大人っていう人もいるだろうし、大多数は成人からだ！とか思っていそうです。24や25〜就職してからだ！と思う人にはそれは大人というよりは社会人なのでは？と問い返してみたいところもある。</div><div><br></div><div>ここでタイトルに話の主を傾ける。戯れ言というのは、やはり辞書には冗談であったりふざけていうことなどの意味がある。重くいうと嘘に近いものだから場合によってはマイナスで捉えられる言葉でもあるのだろうかなと感じる。</div><div><br></div><div>我々は多くの戯れ言を体験してきた。それが〜18歳までの大部分の経験となる。</div><div><br></div><div>例えば母親や父親から伝えられる謎のしきたりである。はっきり言ってこんなものは嘘で存在するわけなどないのだ。「夜中に口笛を吹くと蛇がでる」だとか「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」だとかそれは大概昔からあるしきたりなのだろうか。他にも友人から伝えられる都市伝説にテレビが映し出す心霊現象についてのビデオなど。</div><div><br></div><div>なぜだろうか？我々はそういったことに目を向けていることが多い。</div><div><br></div><div>実際に心霊現象ビデオは高額で番組と契約を結びビデオが流れる。わざわざ買おうと思うのは、当然視聴率がとれるからである。我々が生まれてない少し前の世代には「ムー」と呼ばれる雑誌があったそうだ。幻とされたムー大陸の存在を信じて雑誌のタイトルをつけたのだろうか？どうやら一部の人間はそういうのを好んで購入していたらしい。ロマンがあるので自分が当時の人間なら買いはしないものの、もっている友人から話を聞いたり、封が開けられているならば読んでいるのに違いない。</div><div><br></div><div>我々が知っていく戯れ言というのは、ただの嘘ではない気がする。</div><div><br></div><div>嘘は悪いものだと認識されるのが常識の世の中で、警察はそれを取り締まり捜査を行ったりする。それは嘘は嘘でも大事の方で、軽いジョークとはかけ離れすぎている。専門知識があまりにもなさすぎるので、いったいどのような捜査をしているのかは分からないものだ。</div><div><br></div><div>で、今回の戯れ言というのは正直心の教養とまで言い切りたいのが自分の心情だ。</div><div><br></div><div>戯れ言というのは時に人を嘲笑い、場合によっては相手にとてもマイナスな影響を与える。しかしこれはあくまで〜18歳まで限定としたい。</div><div><br></div><div>18歳までの我々はものごころが付いたり、親に反抗したり、時に好きな子に好意を抱いたり、心が大きく成長していく。</div><div><br></div><div>戯れ言じゃあ単語的に意味嫌われてそうなので、冗談とでも置き換えよう。</div><div><br></div><div>18歳までの我々が知るべきこと、そしてしていくことは、「冗談を冗談と区別できて冗談を笑える人間になり、時に冗談を言うことで今度は区別できない人に冗談を教えられるようにする」ことである。</div><div><br></div><div>大人になってからじゃこれは遅い。文頭に置いた戯れ言に惑わされないように。というのはまさに大人になってからのことである。これに関しては大人になってからだと金銭が大きく関わってくるため、事が大きくなっていく。このような書き方をするのも冗談を冗談で済ませられず、とにかく悪い方向に走っていく人間もいるからだということである。</div><div><br></div><div>18歳までの間にたくさんの冗談を経験して「それは嘘やろ〜笑」とか言えるようにしておきたい。大人になって冗談を冗談と見破ることができず、カッとなって人を傷つけてしまうこととか本当にどうしようもない。だから18歳までの頭がよく回る期間にたくさん冗談を知ろう、そして使おう。</div><div><br></div><div>冗談のもう一つのメリットは疑いと信頼を自分に共存させ、心にゆとりを作ることもある。人によっては区別に時間がかかりその意味ではゆとりが作れないのもあるだろう。</div><div><br></div><div>そして時に役立つ時もある冗談を我々は楽しく利用していこう、何もかもが「まーまー笑冗談冗談笑」といえたなら、なんやかんやで穏やかに物事が運ばれていく気がする。親はどうして子に嘘をつくことは絶対悪いことだ！と教えるのだろうか。正直者を皮肉めいた、バカ正直という言葉もあるくらいなのに、なぜ冗談を教えられないのだろうか。冗談を知らないまま育つから冗談の通じない大人になるのである。</div><div><br></div><div>だから我々は冗談を駆使していこう。それに甘んじて使いすぎるなよ。決して悪いもんじゃないからね。</div><div><br></div><div><div id="B0D48D2D-8AEF-45A4-B4BD-B12BBB83A815"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161221/08/tolovest01/44/80/j/o0480025913826021750.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161221/08/tolovest01/44/80/j/o0480025913826021750.jpg" border="0" width="400" height="215" alt="{B0D48D2D-8AEF-45A4-B4BD-B12BBB83A815}"></a></div><br><br></div>
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<pubDate>Wed, 21 Dec 2016 07:43:11 +0900</pubDate>
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<title>最近のこと</title>
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<![CDATA[ 肌寒さを露骨に感じる。<div><br></div><div>どうやらこの季節は怒号を浴びせたり、涙で袖を濡らしたりするのも厳しいくらいに寒いらしい。大人たちはマフラーに口をうずめ、中学生たちは学校の制服の上からできるワンポントの防寒具をつけている。高校生は少しキメたコート、あるいはカジュアルなセーターを着ているのだろうか。</div><div><br></div><div>もう少し寒くなるのだろうが、12月のこの時期は寒い上に何らかの締めくくりムードが漂っている。</div><div><br></div><div>一年の終わりにカウントダウンが始まったかのように、せっせと家を片付ける人や仕事納めを待ち最後の仕事を淡々と終える人もいる。</div><div><br></div><div>忙しくないようで忙しいのだろうか。</div><div><br></div><div>高校三年生(受験生)という自分が今いる立場では少し切なさを感じる。</div><div><br></div><div>帰り道の学校の友達との笑い話。時間は少しずつなくなっていくのだが、それはあまり感じなかったりもする。</div><div><br></div><div>テスト終わりの帰り道、やや殺伐としていていつも通りという感じは悲しきことかな、あまりないように思えた。</div><div><br></div><div>テストは別にかまわない、けれども時間が露骨にとられてるな。って感じになる。もう少し遊びたかったな、もう少し話したかったな、思い出を語ることしかできない今がやや辛く感じる。</div><div><br></div><div>高校生って高校生だよね。って感じしかしないや、繰り返される時間の中にある少しの価値を今は手に納めていくしかないのだろうか。</div><div><br></div><div>つくりあげたい思い出も、いつかは勝手に忘れられてしまうのかな。</div><div><div id="8E199D58-E73D-4714-8A16-4EDB01A31F46"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161215/17/tolovest01/f5/98/j/o0480036013821913287.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161215/17/tolovest01/f5/98/j/o0480036013821913287.jpg" border="0" width="400" height="300" alt="{8E199D58-E73D-4714-8A16-4EDB01A31F46}"></a></div><br><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Thu, 15 Dec 2016 16:50:54 +0900</pubDate>
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<title>「素敵な上司」</title>
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<![CDATA[ 目には見えない王政主義。<div><br></div><div>前置きがかなり長いです。<br><div><br></div><div>さて、今自分たちが配属されている空間で自分たちがどのような立ち位置に存在するか理解していますか？例えば○年○組の者であったり○学校の者であったり○部活の者であったり多種多用だと思います。ではそこでその空間では誰がいて誰がどのように動いており、誰がどんな風な表情を浮かべているか理解していますか？難しい質問です。</div><div><br></div><div>なぜか？</div><div><br></div><div>当然、誰だってクラスの人のこと全員把握してるわけじゃないし、学校の人全員把握してるわけじゃないし、部員を全員把握できるわけでもない。なのでこれはその配属された空間にいる人の話、あるいはその人の意見を聞かなければ分からないのだ。</div><div><br></div><div>この場合における自分の立ち位置は「空間に配属された人がどのような人か把握してますか？」と問われているので、必然的に上の立場になってしまう。その状態で答えを出さなければならない。</div><div><br></div><div>ここで範囲を個人から集団に変えます。</div><div><br></div><div>「この集団はどのような集団ですか？」という問いに答える立場になったとする。すると、必然的にその空間がどのような集団なのか知らなければならない上に個人の場合と同様に上の立場にならなくてはならない。結論的には「人を見極める」「集団を見極める」という状態になったとき、自分は必然的に上の立場として判断することになるのだ。</div><div><br></div><div>前置きが長くなりましたが、今回はこの上にたったときの人の話について。</div></div><div><br></div><div>上の立場の人というのは上がいる場合がほとんどであるが、上がいない場合も存在する。社長とかがいい例だ。</div><div><br></div><div>今回は社長の例とは逆で、係長や部長、副部長などといった会社でよく使われる、一般従業員の上に立つ存在について扱っていく。</div><div><br></div><div>年功序列社会の日本、当然年上の方が優遇され、「敬意を示さなければならない」という固定観念に縛られた日本人。それを無視すると嫌われ、敵対視される。</div><div><br></div><div>これがなぜ起こるのかというと、日本の伝統に加え年上の人間が「そのように振る舞うのが"常識"なのだ」と考えているからだ。</div><div><br></div><div>はたしてこれは本当に正解なのだろうか。</div><div><br></div><div>人というのは非常に悲しいもので上の立場の人間がそのような考えを持っていると、下の立場の人間が上の立場の人間になったとき、下の立場にいた人間は上の立場にいた人間と同じ考えを持つようになるのだ。</div><div><br></div><div>これがなおさら激化するパターンが一番厄介で、それが起こるのが「上の立場の人間が完璧な人間であり、すべての行動が尊敬の対象にある」と、いう場合だ。</div><div><br></div><div>上の立場の人間が「かっこいい」「素敵」というレッテルを持っている状態では、下の立場の人間はそれに溺れ「この人の言うことはすべて正しいなぁ、だって完璧だもん」と思う。たとえそれがいつの間にか下の立場の人間の行動を抑制し考えを固定させようとするものであったとしても。</div><div><br></div><div>もしその上の立場の人間にも種類があり、「上の立場の人間であるが素敵ではない人間」「上の立場の人間である上に素敵な人間」の二通りがあったとする。すると後者の言うことには必ず信ぴょう性があり、言ってることに「素晴らしいな！」と思うようになる。</div><div><br></div><div>たとえいくら前者が賢い思考、正しい思考をしていたとしてもだ。</div><div><br></div><div>後者の意見に溺れてしまった人間は簡単にいうとその「素敵な上司」の意見を崇拝するようになる。まるで洗脳じゃないか。</div><div><br></div><div>これに加え「素敵な上司」が仮に自らの意見を常々推奨させ、いつの間にか「この人の言うことは絶対だ！」という王政主義をかまえたとしよう。それでも溺れた下の立場の人間はその意見を信じる。その上前述からまとめると、その下の立場の人間が上の立場に立つと同じようなことをする。</div><div><br></div><div>ここで仮に前者がその「素敵な上司」の行動に危なさを感じ王政主義を回避するために、様々な打開策を考えたとする。例えば「下の立場の人間と上の立場の人間は年齢という壁はあるが、同じ空間にいる者なので気重ねなくいこうぜ。」という打開策を考えたとしよう。つまり世論をそれぞれの価値観でまとめて形式上年上の人間が指揮をとるというやり方だ。</div><div><br></div><div>それは日本の伝統に反し、嫌われ敵対視されるやり方だ。</div><div><br></div><div>しかしこれは正しいと思う。むしろ今の大人が「最近の若者は〜」というのは最近の若者が自分たちが生きてきた日本と異なる生き方をしているからだ。言い換えると異なる価値観をもっているからだ。</div><div><br></div><div>その価値観を理解できないから、上司の意見に押され若者は活力を失い当然のように日本の経済も悪くなる。もっと言えばそれを恐れて働かない人間もいるんじゃないかと思う。</div><div><br></div><div>「素敵な上司」が唱えてきた人に嫌われない年功序列社会。そしてそれに溺れていく表面のみしか見れず本質を見抜けない下の立場の人間。</div><div><br></div><div>自分で何が正しいのか判断できなくて、「素敵な上司の言うことは絶対だ」と思う下の立場の人間。</div><div><br></div><div>「素敵な上司」や「素敵じゃない上司」。「素敵じゃない上司」がこの文章における「素敵な上司」の態度をとっている場合も当然ある。逆もある。</div><div><br></div><div>けれどももし「素敵じゃない上司」が自分の中で「正しい」と思うことをしていたら固定観念にとらわれず自分の考えを持つべきなんだ。</div><div><br></div><div>分かりやすい例。</div><div>好かれる教師と好かれない教師の差は「生徒目線で考えられているかいないか」がキーとなっていると僕は思う。生徒目線、すなわち若者の価値観への理解。</div><div><br></div><div>さて、考えてみましょう。</div><div><br></div><div>今自分はどのような立場にいますか？</div><div>そして何を話していますか？</div><div><br></div><div>正しいことと悪いことはたくさんあります。表面上だけしかみれてなかったら、いつか自分もダメな方向へ走ってしまいます。自分で本質、そして全体を見抜いていきましょう。</div><div><br></div><div><div id="802DDDB6-EDF9-49BC-A9AC-B9065C03E3E2"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161114/22/tolovest01/8d/91/j/o0480027013798118643.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161114/22/tolovest01/8d/91/j/o0480027013798118643.jpg" border="0" width="400" height="225" alt="{802DDDB6-EDF9-49BC-A9AC-B9065C03E3E2}"></a></div><br><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Mon, 14 Nov 2016 21:20:26 +0900</pubDate>
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<title>クレイジーすぎるガキ</title>
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<![CDATA[ わがままにも限界はある。<div><br></div><div>生まれて間もない子供は周りに支えられなければ生きていけない。当然のことだと思います。そしてしばらくすると「嫌だ」という言葉を覚え、否定するようになります。簡単にいうと与えられた事象に対して「Yes」か「No」で答えられるということです。</div><div><br></div><div>完全に当たり前の話。こんな話前文に置くこと自体バカバカしく思える。</div><div><br></div><div>意味がないわけじゃないから今回の主な内容。「年だけをとり続けたタチの悪いガキ」に関してのお話。</div><div><br></div><div>0か100かのような両極端な例を示すと「ニート」はまさにガキだと思う。働くことに「No」の選択をとり続けた、まるで生まれてはじめて「No」を知ったガキのような感じ。正直言い過ぎ。</div><div><br></div><div>じゃなくて今回の題材は高校生におけるガキの話。親に「No」を言い続け、親は「No」を否定しない、いわゆる親バカな環境で育ったガキの話。</div><div><br></div><div>わがままな少年は自分の立場を気分によって変えまくり、周りに迷惑をかける。その迷惑に関しては迷惑と感じる方がどうかしてる、そもそもお前らがおかしいんだと少年は言う。</div><div><br></div><div>ガキ大将ですか。ジャイアンかよ。</div><div><br></div><div>それを高校生でやっているのが恥ずかしい。本人は恥ずかしいとは微塵も思っていないみたいだ。そこが問題。子供スギィ。</div><div><br></div><div>その少年には良き場所があった。</div><div>が、気づけばそれも自然消滅。少年は行き場をなくすはずだ。</div><div>が、わがままでまだ第二の良き場所は作っていたのでさほど気にしていない。</div><div><br></div><div>そのわがままで作った第二の良き場所もまたわがままで捨てた過去の場所の代わりである。</div><div><br></div><div>始めは3か4あった場所も気づけば残り一つになっていた。</div><div><br></div><div>小学生のグループのことならまだ可愛い。人間関係はまださっぱりしてるし、黒い人間関係もまだ見ていないはずだからね。</div><div><br></div><div>高校生になってそれはどうかな？</div><div><br></div><div>大人になっていくたびに、きっと「嫌でもやらなくちゃならないこと」が来るはず。それが多忙大国日本でもある。その「嫌でもやらなくちゃならないこと」を遂行することが日本人として大人になることなのかなと思う。</div><div><br></div><div>今回の場合「嫌なら逃げればいいんじゃねら、お前ら連絡もよこさないし自分勝手だし」という思考をするなら始めから簡単に場所を作ろうとするんじゃない。もっと悩んで考えろ。応援してたこっちがバカに思えてくる、なんの時間だ、なんの評価だ。俺はその少年のその場所がよりよくなればと思っていたが、それを切るのかよ。</div><div><br></div><div>いつまでも子供な高校生のガキ。</div><div><br></div><div>はっきり言うと自分もそうなるときがある。ので、文書を書いてみて、よりそうはならないようにしなくちゃいけないなと感じている。きっと自分もまだまだ子供なんだ。</div><div><br></div><div>親は自分にいいしつけをしてくれた、しかし仕事の都合上カモれる日が増えてしまった、自分はそれを利用し子供っぽくなってしまった。不甲斐ない。</div><div><br></div><div>ただ親がいる環境で子供っぽく育ってしまったクレイジーなガキはなぜ存在してしまったのだろうか。親の責任か、子の責任か。</div><div><br></div><div>これはきっと親でもなく子でもない環境のせいなんだと思います。ダメな育ち方をした子が周りに否定されなければ自分の世界を信じて生きることができる。すなわち間違った認識のまま生きることができる。</div><div><br></div><div>ガキにはガキすぎと伝えなくちゃならないのだろうか、それが周りで支える我々のするべきことなんだろうか。支えるって言ってる時点で本当に子供っぽいんだろうなと思うんですけどね。</div><div><br></div><div>自分がガキっぽくなってしまったから、問題を提示するのも可能なんですよね。</div><div><br></div><div>ただ真のガキは厄介です。</div><div><br></div><div><div id="C24711BB-FBF4-4EEF-B001-918DC237A3E3"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161104/00/tolovest01/40/7f/j/o0480027013789342980.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161104/00/tolovest01/40/7f/j/o0480027013789342980.jpg" border="0" width="400" height="225" alt="{C24711BB-FBF4-4EEF-B001-918DC237A3E3}"></a></div><br><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Thu, 03 Nov 2016 23:54:07 +0900</pubDate>
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<title>見知らぬ人</title>
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<![CDATA[ 全く無関係の人物に何故か嫌われている。<div><br></div><div>「ん？」と思ったのはTwitterで目にした光景。「あっこれ兵庫の知り合いかな？」と思ってアカウントを見に行くと何故かブロックされている。</div><div><br></div><div>当然Twitterではカスツイ、クソツイ、病みツイの三拍子揃っているのに加えて、自分に酔いすぎワロタを思わせるかっこつけたくだらないツイートばっかり。Twitterを使うのが下手だからリムられたりブロックされたりするのは仕方がないことなのか。と諦めているのが内心。</div><div><br></div><div>自分自身は人間Twitterがすべてじゃないから学校で振る舞う姿がいつも通り笑顔だったらそれでいいや！って思うので。</div><div><br></div><div>耳で聞いた情報、目に入ってきた情報だけを信じる傾向にあるのが悪い人間のタイプだと思う。自分がそういうときあるのでここは自分も更生していかなきゃならないと思う。</div><div><br></div><div>ただこれに踊られてるだけの人は本当に楽しいでしょうかね？悪い情報だけ手に入れて、「あ！こいつとは関わらないようにしよう！！」とかもったいなくないですか？</div><div><br></div><div>自分は悪いタイプの人間ですが、どこかしらいいところは人間必ずあるんだから、と信じて行動しています。そのせいで痛い目にあうこと多いんですけどね。</div><div><br></div><div>本当に悪いやつなのかどうかは実際に話してみて(SNS上でもいいと思う)からの判断で充分いいんじゃないかな。大人になって働いていく上で先入観、周りの口コミだけで判断してたらそんなに楽しくないと思うけどね。</div><div><br></div><div>言い換えると人生失敗恐れてチャレンジしないともったいないぜ！？例えどんな失敗が見えていようが、どんな成功が見えていようがね！！</div><div><br></div><div>世の中を信じよう。きっと黒いが光もあるさ。</div><div><br></div><div>綺麗事に思えますが、実際生きててそっちの方が楽しそうです。</div><div><br></div><div>これに関してはまだまだ自分も成長できるんじゃないかなと踏んでおります。</div><div><div id="6652CBA8-3F5E-438C-8080-A8BD6A9530F9"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161017/22/tolovest01/21/a4/j/o0480036013775504749.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161017/22/tolovest01/21/a4/j/o0480036013775504749.jpg" border="0" width="400" height="300" alt="{6652CBA8-3F5E-438C-8080-A8BD6A9530F9}"></a></div><br><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Mon, 17 Oct 2016 21:47:56 +0900</pubDate>
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<title>媚びで争奪戦</title>
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<![CDATA[ スキあればワンチャン狙ってるやつ。<div><br></div><div>好きな女の子が聞く曲、好きな女の子が見るドラマ、好きな女の子の趣味。理解したいこともあるんですが、自分の意見に嘘をつきたくないときも多々あります。自分の場合は言葉にはパッとだしませんが、一人でそれを勝手に見たり聞いたりしてるんですよね。はい気持ち悪い。</div><div><br></div><div>ここで生じる誤解なんですが、特に最近は頭がボーッとしてるので好きな人は多いんですが、はっきりと恋心と分かるものはどーなんか自分でも分からない。はい気持ち悪い。</div><div><br></div><div>なんだか今日は冴えてますね。</div><div><br></div><div>自分の恋愛観なんか正直どーだっていいことばかりなので、ここから本文の形ですね。</div><div><br></div><div>簡単な話好きな女の子の趣味に8割型乗っかりにいくやつね、逆もあるけど。露骨にも聞いてます、見てます、アピールをかもし出して話題作りに株上げ。</div><div><br></div><div>「〇〇のおかげでこんなん知ることができた！！ありがとう！！」</div><div><br></div><div>打ってみてちょっと気持ち悪い。</div><div><br></div><div>これって純粋な気持ちで言うときっと素敵なんでしょうけど、心のどこかで「ワンチャン引っかかってくれ」と思うやつらは正直ヤバいと思う。</div><div><br></div><div>でもこれが純粋な気持ちなのかどうかなんか正直分からないですよね、そんなときは目を見るしかないですね。</div><div><br></div><div>いつの間にか女の子の周りには媚びを売ってる猿共が争いを行っています。それは見ていて滑稽なんですが、(ニュアンス的にはカモられてるのを見るのに趣がある)もっとそれ以上に滑稽なのはそれで軽々と引っかかる女の子だね。</div><div><br></div><div>たぶん顔がイケメンやったらなおさら滑稽な図が目に残りますね。</div><div><br></div><div>ちなみに僕は趣味を知ってそれを理解しにいこうとすると、相手側がかなり不快になっているので、正直表面上だけ見たらカモろうとしてカモられてるっていう一番滑稽な感じですね。</div><div><br></div><div>直接的じゃない「君のおかげで出会えたこの曲本当にかっこいい。今度それについてもっと話そうよ。俺はこんなに聞いてるんだぜ」は打っていて吐きそうになるほど気持ち悪い。</div><div><br></div><div>媚びを売るんじゃなくて、まずは自分の価値観固めるのをオススメします。趣味を合わせにいくよりは自分の価値観を理解しあえる。の方がずっと長く続きそうです。</div><div><br></div><div>自分というプラスな存在、自分というマイナスな存在。自分というすべて、自分の価値観のすべて、を笑顔で手を差し伸べてくれるそんな素敵な人に出会えたらいいですよね。</div><div><br></div><div>僕はこのことを教えてくれた人に内心ボロ泣きしながらの感謝でした。(これは媚びを売ってないと胸をはる)</div><div><br></div><div><div id="0A484794-6E51-4BD8-B36F-610C97088FC3"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161012/21/tolovest01/64/88/j/o0480064013771343670.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161012/21/tolovest01/64/88/j/o0480064013771343670.jpg" border="0" width="400" height="533" alt="{0A484794-6E51-4BD8-B36F-610C97088FC3}"></a></div><br></div>
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<pubDate>Wed, 12 Oct 2016 20:37:40 +0900</pubDate>
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<title>糸</title>
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<![CDATA[ 一本だけ。<div><br></div><div>束ねると強度を増しますね。縄とかってそんなイメージがあります。どんなに引っ張っても切れないし(切れる場合も当然ある)かなり頑丈なんですよ。</div><div><br></div><div>対して一本だけだと粘ることは粘るんですけどすごく切れやすいんですよね。</div><div><br></div><div>人間関係も同じような感じ。</div><div><br></div><div>長い友人になるほど思い出は束になって強度を増して、簡単なことじゃなかなか切れないんですよ。一回の喧嘩で親友と絶交なんかありますかね？</div><div><br></div><div>けどお互いほとんど情報が足りず束になれなかったらすごい切れやすいんですよ。</div><div><br></div><div>友人に抱いた理想は糸の表面で慣れて知り合った感情は糸の芯？の気がします。</div><div><br></div><div>周りを見渡せばほら。</div><div><br></div><div>我々にはたくさんの糸が放たれている。</div><div>一本ずつ握りしめて強くしていこう。</div><div><br></div><div>自分は糸を投げるのは得意ですが、束ねるのは非常に苦手なようです。</div><div><br></div><div><div id="4EE6F6AF-9320-49FB-8CED-A20CE8F84D1D"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20161007/00/tolovest01/5f/3f/j/o0400030013766542538.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20161007/00/tolovest01/5f/3f/j/o0400030013766542538.jpg" border="0" width="400" height="300" alt="{4EE6F6AF-9320-49FB-8CED-A20CE8F84D1D}"></a></div><br><br></div>
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<pubDate>Fri, 07 Oct 2016 00:00:11 +0900</pubDate>
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