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<title>小さな幸せ　大きな喜び</title>
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<description>人生の様々な出来事から感じることを感じるままに綴り、自分とは？をテーマに、社会との関わりの中で生きる意味を考える。</description>
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<title>ブログの引っ越し</title>
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<![CDATA[ <p>昨年、Amebaにブログを引っ越ししてから、まったく書いていませんが、note（やX）への投稿をしています。</p><p>もしよろしければ、noteもご覧ください。</p><p>&nbsp;</p><p>note: <a href="https://note.com/thomas_ny92">https://note.com/thomas_ny92</a></p>
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<pubDate>Tue, 03 Mar 2026 10:08:02 +0900</pubDate>
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<title>2024/09/02</title>
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<![CDATA[ <p>https://blog.goo.ne.jp/thomas-humancom<br></p><p><br></p><p>もしよろしければ、私のブログをご覧ください。</p>
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<pubDate>Mon, 02 Sep 2024 21:40:41 +0900</pubDate>
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<title>ベトナムハノイツアーに参加して</title>
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<![CDATA[ ゴールデンウイークを利用して、妻と2人でベトナムのハノイに3泊4日の旅行に行った。コロナ禍で3年ぐらい海外に行けず、本当に久しぶりの旅行だった。<div><br></div><div>初日は、午後の早い時間にハノイにあるホテルについた。ツアープログラムは翌日からだったので、妻とタクシーで旧市街に行ってみた。小さな湖の近くでタクシーを降りて歩き出した。狭い道の両側に無数のバイクが並んで停めてあった。それらのバイクを避けるように歩道と車道をクネクネと行き来しながら、足を進めた。車道には車とバイクが血流の如く流れていく。その血流を遮るかの如く旅行者が歩いている。国際色豊かで、非日常の人々が車とバイクといった日常を刻んでいく動きが、ある種のエネルギーを生み出しているように思えた。</div><div><br></div><div>翌日は、ツアーバスで移動した。焼物のバッチャン村に寄ってから、ハロン湾に行き、あちこちに沸き立つ岩の合間を船で遊覧し、大きな洞窟にも入って長い時間の流れを感じ、ホテルに戻る前に、ベトナム風のフレンチを食べた。グループで雑談をしながら食事をしていて、ふと思うことがあった。前日の旧市街での散策、ツアーに参加した夫婦や親子の6グループと行動を共にしてきて思ったことだが、自分、夫婦という小さな世界が、ツアーグループという中世界と交わり、そして、激しく流れる血流によって生かされている旧市街という大きな生き物に包摂されているというイメージが湧いてきて、なんとも不思議だった。本当に色々な特徴をもった個々の細胞が、大きな生き物の一部となって、この世という世界を作り上げているという感覚が不思議だった。そして、この一瞬においても、戦争をしている地域がある。そこにいる小さな細胞が壊されながらもあちこちに動いていく。アレルギー反応のように自己攻撃をしていることも知らずに、戦争を続けて、自分自身を痛め続けている。そういった場所が、この地球の上に同時に存在することが、チグハグな感覚を生んだ。</div><div><br></div><div>改めてベトナムという国を見ると、悲惨なベトナム戦争、そこで使われた枯葉剤による遺伝子への影響によって今でも苦しんでいる人がいるという現実がある。想像を絶する数の人々が、あの戦争によって今でも苦しめられているのだ。実は、場所と時間が違うだけで、似たようなことがこの地球上のどこかで繰り返されている。細胞一つ一つを見れば、おそらく、幸せを願い、平凡な日常に楽しみを見出すことができる人々が見えるのだろう。それが、大きな生き物の一部になった時には、旧市街で感じた血流に交わる異物のように、何かによって定められた流れに影響され、すでに個々の細胞では抗うことができない状況になり、最後には、免疫機能の暴走による自己破壊が生じる。そう思うと、なんとも複雑な気持ちになる。</div><div><br></div><div>ツアーで色々なものを見て、ガイドさんの説明が加わることで、ベトナムという国には、歴史も文化も深いものがあることがしっかりと感じられた。皮肉なことに、戦争の悲惨な歴史があることにより、それがさらに深みを増して感じられた。非日常によって日常の素晴らしいところを感じることができるという冷淡な現実。日々感謝の気持ちを忘れている自分への戒めなのか、そういった気持ちにさせられた旅行だった。</div><div><br></div><div>教育を大事にして、平凡な日常にも幸せを感じる人々がいて、植民地時代の影響を残している文化の変遷の中にも、しっかりとしたベトナムという国を感じられた。そんな国を見ることができて本当にありがたかった。<span style="letter-spacing: 0.13rem; -webkit-tap-highlight-color: transparent; -webkit-text-size-adjust: 100%;">東南アジアでこれまでに行ったことがない国に行こうと、妻と一緒にベトナムを選んだが、想像以上に感慨深い旅になった。</span></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Sat, 04 May 2024 11:30:00 +0900</pubDate>
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<title>「信仰」と「救い」</title>
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<![CDATA[ 自分は何を考えて小説を書いてみようとしているのか？この夏、いろいろな景色を見たり、本を読んだり、また、めったに行くことがない場所、迎賓館、に行ってみたりした。<br><br>今日ふと思うことがあり、それに考えを巡らせていた時、僕が二十代半ばに書いた短い小説（のようなもの）を焼き直してみることで、自身の考えていることの違いが見え、より考えがはっきりするのではないかと思った。<br><br>今でも変わらないが、僕の大事なテーマに「信仰」と「救い」がある。若い頃に家族の半分を事故で亡くした経験や、病院でも原因がよくわからない心臓の不調などにより死を身近に感じていたことも影響し、当時は、仏を信じて疑わず、そうすることで救われるような気がしていた。その信仰の深さを問いとして小説を書いたように思う。『歎異抄』にある思想とは全く違ったところで、仏に頼るという姿勢を持っていて、その頼り方の深さを信仰心の深さと言い換えていたのではないかと思った。<br><br>人生の苦難を乗り越えてきた今、振り返ると、苦しくなるたびに中村天風を何度も読み、同時に、神仏にも頼ってきた自分がいる。しかし、今日ふと思ったことは、今までとは違った。「信仰」というのは、実は、「一心不乱に自分を信じること」「自分に価値があると信じて疑わないこと」と同じように思える。神仏を否定する気持ちは全くないが、神仏に頼って生きて、人生が良くなるということがあるのか？と自問すると、その答えは、「いいえ」であるように思える。自分を価値あるものと信じることなくして神仏に頼ったとしても、人生が良くなるとは思えない。自分に神仏が宿っている、自分が神仏である、といったところに至ることが大事ではないだろうか。仏を敬うということは、自分自身をいつくしみ、自分を大切にこの人生を生きるということである。自分の中に仏を見ることができるまで自分を信じて疑わないという境地が、すなわち、「信仰」であり「救い」ではないか。<br>
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<link>https://ameblo.jp/tomny-1991/entry-12931045390.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Aug 2023 00:07:10 +0900</pubDate>
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<title>勅使河原氏の新作ダンス公演</title>
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<![CDATA[ 公演があるのは以前から知っていたが、チケットは買っていなかった。何となく気になってはいたが、今日急に観たくなって東京芸術劇場に足を運んだ。当日券が残っていたのでＳ席を購入し、公演を観た。暗いステージの中央に、大変大きな白く光る屏風のような、本の紙面のようなものが置かれた場面から始まり、それが展開し、ステージ脇にその一枚一枚が姿を消し、新たに、何もない広がりのある平らなステージで、風のように舞う繊細なダンスが展開される。マタイ受難曲が流れる中ダンサーが神経質にそれぞれのダンスを進める。その９０分ほどの公演が終了したとたんに、私は大きな感動に襲われた。正直なところ、言葉で説明できるほど、よく分かったという感覚はなかったが、不思議な世界に包まれる中に感動があるといった経験に驚き、何か一言残しておきたいという衝動が湧き上がり、ブログを書くことにした。<br><br>今日の公演は、勅使河原三郎氏の、ランボー詩集「地獄の季節」から「イリュミナシオン」へ、という新作ダンスだった。私は、「個」がダンスを通して、「個」を超えた一つの世界を創り上げ、「個」が「全体」に変わっていくといった変容に自分自身も関わっているといった感覚を覚えた。不思議な感覚だった。公演の最後のほうで、客席が明るくなる場面があったが、その瞬間に、４人のサンダーによって、暗い中にも光が当たっている、黒を基調としたステージで創り上げられた世界が、自分の住む世界にまで一瞬にして広がり、自分と交わり、一つの大きな世界に自分が包まれたような感覚に襲われた。極端に言うと、ランボーが経験した暗く過激な「地獄の季節」から「イリュミナシオン」の世界に移り行く過程を自分自身も経験したような錯覚であった。天才詩人が、一流のダンスを通して蘇ったともいえる。<br><br>今日は、そのような一流の芸術に触れて、大変貴重な、ありがたい一日だった。<br><br><br>
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<pubDate>Sat, 12 Aug 2023 22:21:09 +0900</pubDate>
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<title>気づき</title>
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<![CDATA[ 先ほど、知り合いの易占の方からメッセージがあった。その方は、易学への造詣も深く、いろいろ示唆を与えてくれる易占をされる方だ。最近は、自分がいろいろ忙しく、また、難問集を解いているような状況になっているという感覚もあって、反射的に、その方に、愚痴のようなコメントを返した。半年ほどかかって、つい先日、自分が責任を持っているある国の問題を解決し、安堵の気持ちで、このままゆっくりできるといいなと思っていたのもつかぬ間、また、問題が湧き上がって来た、と書いた。そういった状況が繰り返されているような感覚を覚えていたので、少し弱気になって、「最近は、問題を解いて安心していても、あとからあとから、さらに上級の難問を解くよう仕向けられている」といった愚痴をこぼした。<br><br>その易占の方は、返信をすぐにくださり、手詰まりになる前に、解決に向けたアドバイスができるとおっしゃった。<br><br>それを読んで、不安と期待とが後押しをして、夜中ではあったが、先生に相談しようと思って連絡をした。30分ほどたっても音沙汰がなかった。先ほどは、すぐに返信があったのに、ご縁がないのかと思った瞬間、はっと気づいたことがあった。<br><br>このブログにも書いたが、４０年前に大変お世話になったいわゆる霊能者という方にも言われたことだが、自分という柱が立たないと、あちこち流されて、何かをやり遂げるということができない、といったことを思い出した。ちょっとした不運で、自分の考えが揺らぎ、何かに頼ろうともがく。そうしているうちに、違う道に進めば先が開けると思って、ふらふらとしてしまう。そんなことを繰り返していたのでは、何かを成し遂げるということはなく、不運の波に揺られる人生になってしまう。そんなことは、火を見るよりも明らかだ。<br><br>その明らかなことも分からなくなるのは、ちょっとした問題が自信をなくさせ、消極的な考えが頭を埋め尽くし、いわゆる取り越し苦労によって目をふさがれ、不運が続くといった人生の隘路に入っていくことになるからだ。そこから脱出したいと、他人に頼るのだが、それがさらに悪循環を生む。そういった考えが浮かぶと、自分が、易に飲み込まれているのを感じた。自分がコントロールする人生ではなく。易が自分を乗っ取り、易に頼りきりになる状況に陥る。そうすると、もはや、自分の人生ではなくなってしまう。<br><br>先生に言われた、柱を立てるということは、自分が中心になるということだ。自分が日々考えていることが、自分の周りの環境に影響を与え、自分への影響を呼び込んでいく。周りにある何かによって自分が流されるのではなく、自分自身が、積極的な考えを持つことで、周りの環境をプラスに作りこんでいくのだ。<br><br>思考は現実化するとか、引き寄せの法則とか言われるものが、多くの書籍となって出回っているが、すべて同じことを言っているのではないかと思う。自分の思考が積極的であれば、作り出されるものもプラスのものだ。結果として、不運も解消され、問題は起こるが、それがマイナスに働くということはない。人生に波はある。問題も起こる。不運のような状況にも陥る。しかし、常に積極的な考えを持つことによって、すべてが、プラスの方向に向いて、自分をけん引していってくれる。心がしぼむことなく、負のサイクルにはまることもないのだ。<br><br>急に訪れた「気づき」によって、心が軽くなった。今の自分のおかれた環境は全く変化していないが、明らかに、気持ちが楽になった。それがエネルギーとなり、難しい問題にもしっかり、積極的に取り組んでいけると思った。不思議だが、それが人生の真理かもしれない。<br>
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<link>https://ameblo.jp/tomny-1991/entry-12931045383.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Jul 2023 00:24:14 +0900</pubDate>
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<title>雑司ヶ谷の鬼子母神</title>
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<![CDATA[ ゴールデンウイークにかけて、もう少しで六か月になる孫娘を連れて娘夫婦が遊びに来た。連休中ずっと泊まっていたが、一日だけ、二人で出かけるということで孫娘の世話を頼まれた。その日は、風の強く吹く日ではあったが、外出するにはいい天気で、妻と二人で孫娘を連れだして、ベビーカーを押しながら歩いて雑司ヶ谷にある鬼子母神にお参りをした。池袋駅の南側の道路を通り、山手線の下をくぐって裏手の参道に至り、想像していたよりもスムーズにお参りすることができた。<br><br>雑司ヶ谷の鬼子母神は、1561年1月16日に掘り出されたものと伝えられていて、その後、大切に安置され、多くの人々から信奉されてきたご本尊である。私自身にとっての鬼子母神は、さらに深い意味を持っている。鬼子母神は、私が長年にわたってお参りをしてきた日蓮宗の祈祷本尊で、豊島区に転居するまでは、千葉にある遠壽院に毎年数回にわたって足を運んでお参りしてきた大切なご本尊である。お参りをし始めたきっかけは、このブログでも書いたが、病気平癒の切なる願いがあってのことで、一心不乱に信奉してきたのだと思う。その当時は、病気が良くなってからも、あれこれお願いをするばかりであった。それが長年の月日を経る中で自身が変容し、最近ではお礼をするためにお参りすることのほうが多い。自分自身が、日々、元気でしっかりと仕事ができることへの感謝、二人の子が無事に成長し、家庭を持って一生懸命生きていることに感謝、そして、何よりも病気が平癒し、夫婦仲良く無事に暮らしてきたことへの感謝など、様々なことへの感謝の気持ちを伝えるという接し方に変わってきた。<br><br>今回、まだまだ小さい孫娘を連れてお参りするときには、そのようなことを心に思いながらも、心の底から孫娘が無事に成長してくれることを切に願って、お参りをしている自分がいた。鬼子母神は、その昔、インドで訶梨帝母と呼ばれていて、人々の子供たちをとって食らう悪神であったが、お釈迦様が、鬼子母神の末の子を隠したことで、子供を奪われた父母の悲しみを深く悟り、母子を守る善神となった。自分自身の世界から、自分の周りにある世界に目が広がり、他人の気持ちを思いやることができるようになることで、そこで暮らす人々の幸せを願うことは自身の幸せでもあると感じられる。鬼子母神堂を前にして、そんな解釈をしてみたが、どうも理屈っぽい。そこには、そういった解釈を寄せ付けない、なんとも言い表せない深遠な世界が広がっているように思えた。純粋に、理屈抜きで、孫娘の成長を願うことが自身の幸せにつながっていると感じた。今回のお参りで、そんな実感を持った。<br><br>このような一日がまた巡ってくるのはいつになることか。そう思うと、何となく心が明るくなり、気持ちが軽くなる。ありがたい。<br>
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<pubDate>Wed, 10 May 2023 22:59:09 +0900</pubDate>
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<title>「おはよう」の織りなすハーモニー</title>
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<![CDATA[ 　まばゆい朝日が薄緑色のカーテンの隙間から差し込み、「おはよう」の挨拶をしてくれる。窓を開けて真っ青な空を見上げると、昨夜瞬いていた星たちは、朝日受けてより濃く染まった天球のベールの向こうに影を潜めているようで、目を凝らすとほんのりと星たちの瞬く姿が透けて見えるような気がした。窓の隣に置かれた鳥かごに顔を近づけて「おはよう。」とセキセイインコのピーちゃんに声をかけ、いつものようにキッチンに行ってコーヒーをセットしてから洗面所に向かうと、後ろの方からピロッピロロッと機嫌のいい甲高い歌声が聞こえてくる。ピーちゃんは自分の名前とこの歌だけが取り柄で、他には特にないのだが、それがまた愛おしいものである。<br>　僕の朝はいつもこの歌声と淹れたてのコーヒーの香りで始まり、厚めのトーストに目玉焼きを添えて、ショパンのピアノ曲を聞きながら食事をとる。テレビはつけずに、ショパンのエチュード作品一〇をはじめから聞く。僕が二番目に好きなエチュードの第一番は、作品番号では一番目であるのに作曲年代では第十一番よりも遅く作曲されたようで少し違和感がある。僕が一番好きなのは、第三番の「別れの曲」だが、そのタイトルはフランス映画の題名に由来するらしく、「悲しみ」という愛称のほうが僕の持つイメージには合っている。<br>　エチュード第一二番の「革命」まで聞き終えると家を出る時間になる。家を出てバス、電車、地下鉄と乗り継いで二つ目の駅で降り、地上に出ると周りには官庁が立ち並んだ景色が広がる。その道を歩いて会社のあるオフィスビルまで行き、エレベーターを三十一階で降りると、廊下の突き当りにオフィスがある。オフィスは窓が大きく開放感のある間取りで、しゃれた形のテーブルが並び、チェアも長時間座っていても疲れないようにと高価なものが置かれている。きれいに拭かれた窓の外、ビルとビルの間に東京タワーが見える。フリーアドレスなので僕はいつも早めに出社して窓の外が見える席を確保する。<br>「おはよう。」<br>と、同じプロジェクトチームの圭子が声をかけてきた。僕は、振り向きながら挨拶を返すとすぐにまた仕事の続きを始めた。圭子の声がした。<br>「忙しいの？となりに座るわね。」<br>と言うが早いか隣の席に荷物を置いて、カサカサと音を立てながら紙袋を開けると、小さなクッキーとコーヒー取り出した。圭子はコーヒーを飲みながら言った。<br>　「達也さんにはマンネリなんて言葉、全くご縁がないんでしょうね。」<br>　「なんで？」<br>と、圭子の質問に少し戸惑いを感じながら訊いた。<br>　「私とは感覚が違うから、アドバイスは無用でしょうけど、少しは変化のある生活を考えたってバチは当たらないわよ。」<br>圭子は、あたかも僕を心配しているかのように独り言ともとれる響きで話し出した。<br>「私もいろいろ試してみたけど、何か新しいことを始めるって楽しいわ。ちょっとしたことでいいのよ。構えずにね。」<br>　僕が圭子と同僚になって二年になるが、その間僕の生活は同じリズムで繰り返されてきた。圭子は変化が欲しいのだろうか、それとも僕には分からない何か行き詰まりがあるのだろうか、などと考えた。自分の頭をめぐるその問いが、ヤマビコのように自分に迫っているような気がした。「新しいこと」という響きが、自分が感じていない何か価値のあるものを運んで来てくれるような期待を刺激し、自分に変化が起こるのではないかという密かな興奮を感じた。頭が疲れると窓から外を眺め、またすぐに仕事に戻り、明日のクライアントへのプロジェクト進捗報告をまとめた。仕事をしながらも、僕の頭の中では「新しいこと」という圭子の声が響いていた。<br><br>　その日の帰りに、地下鉄の中刷り広告に目が留まった。その広告に使われている写真が頭で響いている「新しいこと」と共鳴したようだ。いろいろな風景とそこにたなびく国旗の写真が無造作に並べられ広告だったが、眺めていてふとそれぞれの国旗が「お～い、何してる？」と語りかけているように感じた。国旗が「まだ知らない世界がたくさんあるぞ。」と僕を新しい世界に駆り立てているような錯覚に襲われた。よく見ると写真の中に、その国の言葉で「ようこそ。」と書かれていた。<br>地下鉄を降りて歩きながら思った。「毎日違う言葉で『おはよう。』を言ったら、気分も変わるだろうか。」何となく楽しくなった。聞いたこともない「おはよう。」の響きに戸惑う圭子を想像してくすっと笑った。帰りがけに本屋に寄って国旗の本を手に取った。おもしろそうなので買ってみた。<br>家に帰りピーちゃんに「ただいま。」を言うと、着替えてから音楽をかけた。ショパンのノクターンを聞きながら買っておいたパンを食べた。パラパラとページをめくると、いろいろな国旗があっておもしろい。デザインが凝った国旗もあれば、三色を並べたシンプルなものもある。「ショパンの祖国は？」と調べてみると、赤と白との二色の国旗だった。解説を読むと、中世の紋章が赤い盾と白いワシであったことからこのデザインになったようだ。ポーランド語で「おはよう。」は何と言うのだろうかと調べてみると「ヂェン・ドブリィ。」と書いてあった。響きがおもしろい。圭子が不思議そうな顔をして僕を見る姿を想像しながら「ヂェン・ドブリィ。」を繰り返していると、その響きがいろいろな音符となって宙を舞い、「新しいこと」という文字と絡まり合いながらダンスをする光景が浮かんできた。明日が楽しみだ。できるだけ自然に挨拶するのが大事だと思うと、寝床に入っても気になって仕方がなく、何度も「ヂェン・ドブリィ。」と成功の呪文のように繰り返していた。<br>　<br>次の日、朝のルーチンをこなしてエチュードの『革命』が終わる頃に家を出た。誰も話さない満員のバスの中で、停留所に着くたびに流れるアナウンスに改めて耳を傾けると、アナウンスの声だけが浮いているようで、どことなく滑稽な感じを受けた。バスを降り地下鉄を乗り継いでオフィスに向かう通りでは、薄暗い金文字の「外務省」の看板が目についた。今まで何度も通った道なのに、全く気にしていなかった。外務省には国旗の専門家もいるのだろうかなどと思いながら呪文のように「ヂェン・ドブリィ。」を繰り返し、初めての街を歩いた時のようにいろいろなものが目に飛び込んでくる気がした。<br>オフィスに入ると窓から外が見える席に座ってパソコンを開いた。圭子が来るのが待ち遠しい。<br>　「おはよう」<br>と圭子の声がした。僕は思わずクスッと笑ったが、すぐに振り向いて言った。<br>「ヂェン・ドブリィ。」<br>圭子の顔を見ると、眉が上がりちょっと目を見開いたように感じたが、あまり表情は変わっていなかった。普段通りの声がした。<br>「なにそれ？」<br>「『おはよう。』だよ。ポーランド語で。」<br>「変なの。」<br>と圭子は改まった顔をして言った。<br>「ほら、昨日の話覚えてる？何か新しいことを始めたらって言ったでしょ。」<br>「ああ、そんなこと言ったかもね。」<br>圭子の返事はどこかぎこちなかった。僕は、昨日買った国旗の本をカバンから取り出しながら「これ、面白いよ。」と言って、ポーランドの国旗のページを開いて見せた。<br>「国旗ってたくさんあるでしょ。見てると面白いよ。ポーランドは意外にシンプルでさ、赤白の二色だったよ。」<br>　「それがさっきの『おはよう』と関係あるの？」<br>「ショパンって、ポーランドだろう。」<br>圭子は特に興味も示さず、理解もしていないようで、分からないことを言った。<br>「ドンブリみたいな響きがおかしいわ。」<br>　「まあ、いいさ。明日もあるよ。」<br>　僕は考えた。どんな響きの「おはよう。」がいいのかと思うと頭の中がモヤモヤした。知らない国の言葉を勝手に想像すると、その音が風に揺れる風鈴の爽やかな音色のように響いた。気持ちが新しく、軽くなり、ぼーっと空を眺める自分を想像していた。この前見た朝日と、その光によって天空のベールの向こうに隠された星たちを想像してみた。風に揺られる風鈴の音色のように、ベールが揺らす星たちの輝きが見えるような気がした。<br>「ぼーっとして、何よ。」<br>と圭子の声がした。僕はちょっと恥ずかし気がして、慌ててパソコンを打ち始めた。<br><br>午後になって、チームリーダーとクライアントを訪問し、プロジェクトの進捗報告をした。経営幹部を早期に選抜して育成するものだが、その選抜の基準に個人業績とポテンシャル評価がある。今まで何度となく議論をし、雑談の中でも出てくる百パーセントの正解が無い話題で、誰からも公平と思われる評価ができるかという点については、プロジェクトを離れても議論が尽きない。プロジェクトの実施にあたってはすでに解決済みだが、自分の中では「人を見抜く直観」のようなものが評価にブレもなく正しいように思えた。<br>進捗報告は無事に終わった。そのあと部長といつもの雑談が続いた。誰からも公平に見えるということで部長は評価結果の数値化にこだわっていた。確かに個人業績もポテンシャルも数値で表せるだろう。しかしそうした瞬間に評価結果が数という世界になって独り歩きをしてしまい、全体を一瞬に捉えることが出来る直観のようなものは切り捨てられてしまう。部長の主張を否定するつもりはないが、一方では数値化ということ自体が好きではなかった。その日はそういった気持ちが強く、部長の言葉にいちいち苛立って言葉を返した。<br>「野上部長。プロジェクトを離れての議論ではありますが、評価結果を数値化することで失われる情報も多いのではないでしょうか。公平とおっしゃいますが、数によって世界が単純化され、本質を見落とすということもあると思います。それ以上に、人間の可能性を正しく数値で表せますか？」<br>「神永さん、今日はやけにこだわるね。プロジェクトを離れての議論と言うけれど、プロジェクトでも数値化された結果以外もちゃんと見てるつもりだよ。変なことを言うね？」<br>「ええ・・・、現実的なおとしどころを探るのは大事ですし、そうあるべきです。ただ本質的な議論として・・・」<br>「いやぁ、これまでも議論はずいぶんしたよね。これ以上深堀すると人事が対応できるレベルじゃないよ。」<br>「分かっていますが、野上部長、数値に置き換えた瞬間に数が全てとなり、人間力なども単純化されてしまうと思うのです。極端に言うと人それぞれの生きる意味の多様性が失われるのではと危惧します。会社の評価によってその人の人生が変わり、その人の生きる意味が失われるというか・・・。」<br>自分でも、言っていることがその場にふさわしくないと感じた。部長もそんなことは分かっているのに、なぜそこまでこだわる必要があるのかと思う。しかしあの時はどうしても何か言わずにはいられなかった。最後はチームリーダーがうまく取り繕ってくれて収まったが、何となく後味の悪い訪問となってしまった。<br><br>オフィスに戻る途中で、チームリーダがボソッと言った。<br>「今日の神永はちょっと変だな。」<br>「実は僕もそう感じました。」<br>「部長とは長い付き合いだ。まあ気にするな。」<br>チームリーダーは僕を気遣うように続けた。<br>「少し早いが今日は帰ってゆっくりしろ。」<br>「ありがとうございます。」<br>僕は家に帰った。風呂を済ませてから軽く夕食をとった。今日は何を聴こうかと、並べられたCDを右から左までゆっくり眺めた。左から右へ視線を戻す途中でマーラーが目に留まり、交響曲第九番をかけた。ゆったりとしたリズムで始まり、揺れるような旋律に合わせて一日を振り返った。「忘れよう。」そう思うと、明日の「おはよう。」をどう言うかが気になった。どこの言葉がいいか、気になる国旗を見つけながら考えてみた。<br>結局、かけたCDのマーラーをテーマに、彼の母国オーストリアにしようと思った。国旗はポーランドと同じシンプルな赤と白のデザインンだった。杉の絵を加えると、レバノンの国旗になると思った。実はレバノンの国旗には関係があった。長年ウイーンで仕事をしていたレバノンの政治家がオーストリアの二色旗を参考にしたらしい。さらに調べてみると、また発見があった。赤は血の色だった。血に染まった軍服からベルトを外すと白抜きの跡となり、その血とベルトの跡のある服を旗のように振ったことが国旗の始まりらしい。国旗は生きている。そう思うと、真っ赤な血が戦争の死の影をさらに濃くしているように感じた。<br><br>マーラーの交響曲第九番を聞いていると死の影がちらつく。アメリカにいた頃、僕はよくカーネギーホールに行った。そこでマーラーも聴いた。オーケストラを引き連れた日本人指揮者による印象的なマーラーだった。秋が深まるセントラルパークから見えるヨーロッパ風のビルがその重みを増す中、公園を一人で散歩しながら、聴いたばかりの演奏の重苦しくも美しい余韻を味わった。心臓病を患っていたマーラーは、繰り返し訪れる強い死の予感に悩まされていた。恐れの中で作曲し、彼の死の二年前に完成したのが交響曲第九番である。この曲を聴くと必ずあるイメージが浮かぶ。マーラーがすべてを受け入れ、死後の世界を垣間見た瞬間に天空から一条の光が差し、白い大きな羽を広げた天使が舞い降りてくる。そんな静寂な世界を前に佇むマーラーがいるというイメージだ。<br>　<br>ニューヨークにいた頃は、僕はよくマーラーのそんな精神と共振していたように思う。留学当時のことを思い出すと、必ず音大中退のいやな記憶が蘇り、そこには、居場所を探している自分がいた。自分の価値が失なわれ、生きるしかばねとなる恐怖、居場所がなく永遠にさまようという恐怖、救われることのない死に至る病を患う恐怖、ニューヨークを選んだのは、そんな恐怖から救われる道がありそうだと思ったからだ。音楽が近くあるところにいる。僕を苦しめた音楽が癒しに変わる。それを期待してニューヨークを選んだ。<br>ニューヨークの大学では経済学を学んだ。音楽で癒され、音大とは関係のない世界で自分の居場所を探すために必死に学んだ。三歳からピアノを始め、親からは夢物語だと言われながらも必死に練習を続けて、音大に入った。その後も必死だった。ところが運命は非情だった。音大二年生になってすぐ、公園を自転車で走っていて転び右手の小指の骨を折った。時がたっても元のように小指は動かなくなり、すべてを諦めた。マーラーは僕の記憶をその苦しく恐ろしい時まで引き戻した。圭子の一言で新しいことを始め、心が軽くなり、朝を迎えるのが楽しくなったのに、マーラーは僕の時間を巻き戻し、苦悩をもたらした。<br><br>翌朝、重い気持ちを引きずってバスに乗った。一方で朝のルーチンはありがたい。何も考えずにコトが運ぶ。オフィスに着くといつもの席でパソコンを開き、コーヒーを飲みながら窓の外を眺めていた。間もなく、圭子の明るい「おはよう。」の声がした。僕も「おはよう。」と普段通りの声で返した。<br>　「あれ、日本語？」<br>圭子は不思議そうに僕の顔を覗き込んだ。<br>　「何で？」<br>　僕はスローモーションで圭子を見上げるように言葉を返した。<br>「別に。」<br>圭子は、辛抱強く僕の次の言葉を待っていた。僕は、圭子に訊かれるままに昨日からのことを話した。マーラーがきっかけで昔の嫌なことを思い出したこと、音大を中退しニューヨークに逃げるように留学したことなどいろいろ話をした。徐々に圭子の目が大きくなって、声を詰まらせたように訊いてきた。<br>「達也さんって音大行ったの？初耳だわ。」<br>僕は音大のことは隠していた。圭子が独り言のように「大変だったのね。」と言いながら続けた。<br>　「私が言うのも変だけど、今の達也さんはそのままで素晴らしいわ。」<br>　僕は圭子の言葉にいらいらした。圭子が僕を慰めようとしているのは分かったが、僕の気持ちは波立ち、心の奥底には怒りが赤黒い渦を巻いていた。「何が素晴らしいって言うんだ。」僕の表情が圭子にそう告げていた。<br>　「嫌なことって忘れられないから、そのまま受け入れるしかないのよ。過去は過去。過去は変わらないのよ。」<br>　僕は無言で圭子を見つめた。圭子もそれ以上何も言わなかった。<br><br>その日は家に帰るまで、圭子の言葉が頭を離れなかった。地下鉄、電車、バスと乗り継いて、バスのそっけないアナウンスを聞いて、気が付くと家の前にいた。ドアを開けると『ピーちゃん』と元気な声が聞こえた。<br>「ピーちゃん、ただいま。」<br>僕が声をかけると、繰り返すように「ピーちゃん。」と言った。ご機嫌な時に口ずさむあのピロッピロロッの歌を甲高い声で楽しそうに歌っていた。<br>「ピーちゃん、楽しそうだね。」<br>ピロッピロロッと繰り返すピーちゃんに話しかけながら、自分でもピーちゃんのピロッピロロッをまねて口ずさむと気がまぎれた。<br>明日『おはよう』を再開しようと思い、国旗の本を開いた。ロシアだ。次はチャイコフスキーの祖国ロシアにしよう。僕のあこがれるピアノ協奏曲第一番は、初演で酷評をされながらも著名なピアニストによって世に出た。弦楽器の奏でる甘い優雅な旋律をバックに、壮大な和音の繰り返しに酔いしれながら、僕はロシアの国旗を調べた。スラブ三色旗と言われる白、青、赤の国旗で、「ドーブラエ・ウートラ。」が「おはよう。」だ。大げさに舌を巻きながら震わせて、何度も言ってみた。「ドーブラエ・ウートラ。」生命のあふれ出るような、不思議な響きに感じた。<br><br>　次の日、官庁の立ち並ぶいつもの通りを歩いてオフィスに向かった。歩きながら、口の中でもごもごと「ドーブラエ・ウートラ。」と繰り返し、どこに目を向けるでもなくまっすぐに歩いていると、後ろから圭子の声がした。<br>「おはよう。」<br>　僕ははっとして振り帰り、反射的に「ドーブラエ・ウートラ。」と巻き舌を強調して挨拶を返した。<br>「ズバリ、ロシア語ね。」<br>　圭子は楽しそうにカバンからチケットを取り出した。<br>「チケット買ったのよ。二枚。チャイコフスキーのピアノコンチェルト。」<br>圭子は、ピアニストが若い日本人で、チャイコフスキーコンクール入賞という経歴だと説明してくれた。若い日本人のピアニストと聞いてすぐ、音大の先輩を思い出した。　<br>「名前は？」<br>圭子はチケットを見ながら答えた。<br>「北川雄大。知ってる人？」<br>「北川・・・。先輩だ。」<br>僕は「先輩」という響きに懐かしさを感じた。音大で僕の二つ上だった。当時ピアノと言えば北川と言われ、際立った存在だった。圭子も驚いた様子で言った。<br>「先輩のコンサートなら楽しみは二倍ね。木曜日だからね。」<br>僕の頭は北川先輩のことでいっぱいになった。僕が中退した後、先輩は大学院に進みヨーロッパにも短期留学したらしい。その頃にコンクールに出たのだと思ったが、僕は当時音大に関わる情報を極端に遠ざけていた。音大の先輩の話題が耳に入らないようにして、カーネギーホールでコンサートを聴くだけの受け身の生活を送っていた。先輩の入賞はニュースにもなっていたはずだが、僕はまったく知らなかった。<br><br>　木曜日になった。早めに仕事を切り上げ、圭子と二人でコンサートホールに向かった。食事はせずにホールに入った。開演前のざわつきが懐かしい。カーネギーホールというより、リンカーンセンターの方が似た雰囲気だと思った。<br><br>曲が終わると、スタンディングオベーションで拍手が鳴りやまない。素晴らしいコンサートだった。北川先輩にどうしても会いたくなった。先輩に会える保証はないが、楽屋に行ってみたいと圭子に言うと、「ロビーでサイン会があるみたいよ。」と言って張り紙を指さした。僕は先輩のCDを買い、ロビーでサイン会が始まるのを待った。圭子は、「じゃあ後でね。」と言ってエントランスの方に歩いて行った。主催者から紹介があり、先輩が現れた。<br>僕は、一人ひとりにサインと握手を繰り返す先輩を見ながらひそかに緊張していた。列に並んだ僕と目が合った先輩は、手を軽く挙げてほほ笑んだ。僕の順番が来た。<br>「久しぶり。神永君だよね。」<br>先輩は僕の顔を興味深く見ながら、続けた。<br>「ケガしてピアノ諦めたって聞いてね。でも元気そうだね。」<br>「ええ。・・・まあ。」<br>　主催者が遮るように手を挙げて、早く終えるようにという仕草をした。先輩は促されるように次の人と握手を始めた。」<br>僕は体を斜めにひねるように動き出し、顔を先輩の方に向けて軽く頭を下げた。エントランスの自動ドアの前で待っている圭子に向かって手を挙げ、二人でホールを出た。先輩の声や仕草を思い出しながら歩いた。あの透明感もありながら強い輝きを持ったピアノの音色の翳にはどんなに多くの苦労が隠されているのだろうかと思った。先輩は自分の意志を貫いてあそこまで行った。僕は、圭子の一言がきっかけとなって思いついた「おはよう。」の挨拶を通して、ルーチンではない新しい自分と出会い、尊敬していた先輩と再会出来た。なんとも不思議だ。<br>「さすが北川先輩。ピアノがオーケストラをバックに優美に歌ってたよ。チケットありがとう。」<br>僕がほほ笑むと、圭子はうなずいた。僕は独り言のように続けた。<br>「僕、調律をやろうかな。先輩のピアノを聴いて音楽に関わりたいと思った。ピアニストじゃなくても音は作れる。調律師として。」<br>圭子は「調律師」と口の中で繰り返して言った。<br>「いいかもね。」<br>　僕はただ嬉しかった。駅に向かって緩くカーブした坂道を圭子と歩きながら思った。僕の心も喜んで、弾んでいる。思わず口ずさんだ「おはよう。」も弾んでいた。<br>「おはよう、ヂェン・ドブリィ、ドーブラエ・ウートラ。」<br>僕は歩きながら、何度も繰り返して声に変化を付けながら言った。自分の心が広がって世界とつながったように感じた。ゆっくりと歩きながらも歩みには弾みがついていた。圭子も声を出した。「おはよう、ヂェン・ドブリィ、ドーブラエ・ウートラ。」繰り返すたびに少しずつ軽やかで高くなる二人の声が絡み合い、「おはよう」の織りなすハーモニーを奏でながら、緩くカーブした坂道を歩く二人をやさしく包んで響いていた。<br>
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<link>https://ameblo.jp/tomny-1991/entry-12931045377.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Jan 2023 21:17:20 +0900</pubDate>
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<title>トートタロット　III 「女帝」</title>
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<![CDATA[ トートタロット　III 「女帝」を引いて思うこと。<br><br>女神が受動を表す青いハスを右手に持ち、左の手のひらを上に開いて膝の上に置いている。<br><br>女神の下の方に女帝の紋章として、ペリカンが毛づくろいをしているようで、実は胸の血を与えて自分の赤ちゃんを育てている姿が描かれ、もう一方には、錬金術師の二羽の白鷲が盾に描かれている。<br><br>世の中のあらゆるものは生命の継承によってつながり、光と闇には断絶はない。この描かれた女帝は多くの女神を表し、愛によってそれらを統合している姿である。他人への思いの前に、自分への慈悲をもって自分を大切にすることが、すべてを気遣うことにつながる。<br>
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<link>https://ameblo.jp/tomny-1991/entry-12931045374.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Mar 2021 00:25:06 +0900</pubDate>
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<title>トートタロット　X 「運命の輪」</title>
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<![CDATA[ トートタロット　X 「運命の輪」を引いて思うこと。<br><br>中央に十本のスポークをもった車輪があり、そのそばを天空の星から稲妻が抜け落ちる。車輪には三体の生物が描かれ、今はスフィンクスが頂点の座を占めている。<br><br>車輪の周りから青紫オレンジの気流が上昇し、稲妻の駆け抜ける激しさと相まって、車輪の動きを感じさせている。運命の輪は常に回転している。全ての物事は変化し続け、天空から放たれる稲妻によって乱された空間にあっても、その動きは止むことがない。<br><br>諸行無常。留まることなく動き続ける世界にあって、その中心にあるものは何かを忘れてはならない。流れに身を任せてはいるが変化に翻弄されることなく、中心がおのずから姿を現すまで、手放すものは手放し、受け入れるものは受け入れよう。<br>
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<link>https://ameblo.jp/tomny-1991/entry-12931045373.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Mar 2021 22:48:24 +0900</pubDate>
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