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<title>なぜ、私のところにばかり、労務の難問題が舞い込むのか？</title>
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<description>労務トラブルに発展する前に読んで欲しい・・トラ子先生の逆転発想のすすめ！</description>
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<title>「万有引力の法則と大リーグボール養成ギブス」</title>
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<![CDATA[ <table><tbody><tr><td bgcolor="#ffffff" width="508" align="left"><b><font color="#cc3300">「万有引力の法則と大リーグボール養成ギブス」<br></font></b><br>以前、お客様のところで開催された創立記念行事に出席してきました。<br><br>Ａ社様の当該行事は大変ユニークです。というのは、毎年、祝宴前に、社員さんによる研究発表会を開催しているからです。<br><br>総勢３０名ほどの組織なのですが、職制別、グループ別に１年間をかけて勉強・準備をし続け、その成果を発表しあう、というもので、よくもまあ忙しい日々の中で<font size="-1">（この会社はシフト制による勤務で、なかなか皆が揃うのは大変なのです）</font>、ひとつの課題に向けて努力を続けられるものだ、と感心します。<br><br>もちろん、１年間の中では、目の前にある仕事と勉強会の両立で悩み、根を上げそうになることもあるようですが、それでもひとつの区切りとして発表の場を設けるメリットは計り知れません。<br><br>組織は、必ずや疲弊し風化します。各人のモチベーションもしかり、です。<br><br>創業当初、入社当初が一番健全でテンションが高く、徐々に下がってくるのが普通です。その証拠に、入社後６ヶ月目に、やる気のある社員は38％も存在するのに、入社後３年から10年たった頃には、やる気のある社員は22％と減少し、反対に会社に反感を感じる社員の比率は56％にも上ると言う統計があるほどです<font size="-1">（＊ギャラップ社データ：仕事に対する「やる気」と雇用期間より）</font>。<br><br>ここで問題なのは、反感を感じても退職するわけではない、という部分です。<br><br>半数越えの人間が「反感を感じつつ社内に居続ける」という事実は、経営者にとって「見たくない現実」そのものではないでしょうか。<br><br>私は、かような現実を「万有引力の法則（？）」と呼んでいます。<br><br>全てのことは上から下に落ちてくる、と言う意味です。つまり、放っておいて何もしなければ（個人レベルで考えても）、・年とともに容色・体力・能力・脳力等が衰え、筋肉は垂れ下がる（日々実感）・人間関係は緊張感を失いマンネリ化する（夫婦がいい例）と、ろくなことはありません。<br><br>組織とて、個人の集まりですから例外であるはずがないのです。<br><br>残念ながら、「感謝、思いやり、感心、承認ｅｔｃ」といった人間にとってプラスの感情は、時間とともに薄れ、「不安、怒り、不信、敵意ｅｔｃ」といったマイナスの感情だけが増幅していくように感じます。<br><br>更に、この頃は、マイナスの感情よりも始末の悪い「無関心」がはびこっているようにさえ感じます。<br><br>以前、ある女優さんが書いた美容レクチャー本を読みました。この方は抜群のプロポーションと美しさを誇っていて、その当時、若い女性の憧れでした。<br><br>「少しでもあやかりたい」という気軽な気持ちで読み始めたところ、あまりの凄さに早々にげんなりしてしまいました。なぜなら、彼女の自由時間のほぼ100％近くは、己の美を磨く時間に当てられていたからです。<br><br>寝ている時間でさえ、美しさ保持のために時間設定されていました。スポーツアスリートが、大半の時間を己の「技」向上のために使っているように、彼女は時間とお金とエネルギーの大半を「美」という対象に集中投下しているわけです。<br><br>それゆえに、彼女は類まれな美貌を維持し、自らの商品価値をキープしていられるわけですね。「あなたに出来るか？」と問われれば、「できない、できなかったから今の私がある」わけです。<br><br>ただ、ここで学ぶべきことはそんな敗北感ではありません。「もともと美しい人でさえ努力をし続けている」という事実なのです。<br><br>きっと、彼女は誰よりも分かっているのだと思います。<br>自然に任せていたら、今日の美貌さえ維持できないこと、維持することさえ努力が必要なことを。だからこそ、１日の日課を決め、それに沿ってメニューをこなし、ほんの少しの妥協も許さないほど主体的に努力をし続けているのでしょう。<br><br>素地のある者が強烈な願望を抱き、ストイックに努力し続ければ、まさに鬼に金棒であることがよく分かります。<br><br>それに比べ、私達の大半は才能という素地もなければ、強い願望もなく、かつ努力も嫌い、ときているわけです。<br><br>それなのに、昨今「社員の自主性に任せて長所を引き出そう」という人材マネジメントが主流になりつつあるのは不思議な話です。<br><br>ちなみに、日本中を興奮させたＷＢＣの選手たちは、各々が一流だから、監督は黙って任せていられたわけでしょうし、かの女優さんも一流だからこそ誰に管理されなくても自ら努力できるわけで、そこを拡大解釈してはいけません。<br><br>人材マネジメントを考える上で、ごく一部の例外を除き、大半のケースは「人は本来怠け者である」と考えて事に当たるほうが適切であろうと思います。<br><br>前述したＡ社様も、経営方針として勉強会を位置づけ、就業時間中に勉強時間を割り当て、かつ発表の場を年に１回強制的に設けているからこそ成果物が出来上がってくるのであって、強制的な仕組みがない中では、どれほど待っても何一つ成し遂げられないでしょう。<br><br>この仕組みを私は、「大リーグボール養成ギブス（古すぎますね）」と呼んでいます。昔見た「巨人の星」の世界ですが、毎日、父親である星一徹が息子飛雄馬に強制的に装着させ、親子で訓練に励んだギブスの名前です（結果としてこの訓練により飛雄馬は大リーグボールという無敵の技を習得する）。<br><br>実際、現実のスポーツアスリートの中でも、星一徹、飛雄馬のように、親が指導者を買って出て、共に精進してきたというケースが多いのは単なる偶然ではないでしょう。<br><br>それを思うと、私たちはあまりに簡単に「人材育成」を考えている気がします。また、そもそも「人材育成なんておこがましい」とさえ思います。いい加減、人格が出来上がってきた年齢の社員に対し、少し鼓舞するくらいで育成が出来るのなら、子育てで悩む親は皆無になるでしょう。<br><br>会社の中で、経営者が出来ることは、<br><br>①万有引力の法則に則り、組織及び社員のやる気を低下させないような刺激策を考え<br>②それを強制的に実行させ続け<br>③挫折させない為の支援をして<br>④小さなゴールごとに、他者に認めてもらえる場（例えば発表会のような）をセッティングすること、そして、結果として<br>⑤「達成感」を身体で覚えてもらうこと、なのかもしれません。自社で働く社員に技を習得させる機会を与えず、故に仕事に対する達成感を抱かせたこともなく、反感を持たせたまま在籍させ続けるのは、まさに「社員に対する無関心」ということに他なりません。<br><br>この１ヶ月、ＷＢＣに異常なまでに感情移入しながら一喜一憂する人たちを見て、その後、高速道路1,000円に踊らされ、休みの度ごとに遠出をする人たちを見るにつけ、1日の75％を占めると言われている仕事には希望を持てず、残り25％の私生活で精一杯気晴らしをしようという人々の、やり場のないエネルギーを感じていました。<br><br>でも、見方を変えれば、プロの技に憧れ、かつ休みを返上してでも遠出する行動的な人々がたくさんいる、ということでもあり、彼らのエネルギーを仕事に向かわせる仕組み作りこそが、人材マネジメントの本質であるように思うこの頃です。<br><br></td></tr></tbody></table>
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<link>https://ameblo.jp/toracoteacher/entry-10826203744.html</link>
<pubDate>Thu, 10 Mar 2011 08:33:47 +0900</pubDate>
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<title>「不景気どきの身の処し方」</title>
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<![CDATA[ <table><tbody><tr><td bgcolor="#ffffff" width="508" align="left"><b><font color="#cc3300">「不景気どきの身の処し方」<br></font></b><br>毎日、新聞を開けば暗いニュースばかり飛び込んできて、放っておいたら確実にテンションが下がる毎日が続いています。<br><br>大手製造業や自動車産業といった、言わば経済界の優等生が失速し、株価の下落で、むしろ資産をお持ちの裕福層のマインドが冷えてしまった今回の不景気。<br><br>大方の庶民には、まだまだ特別な実感はないはずなのに、人々の将来に対する不安感は、すっかり消費意欲を減退させてしまいました。<br><br>そんな中で、私もまた、新たな波に翻弄される日々が始まっています。<br><br><font color="#ff0000">・仕事がなくて生産調整をせざるを得ない<br>・人員整理をしたい<br>・賃金・人事制度を見直したい<br>・今までは気にならなかった労働者の働き振りが非常に気になる<br>・辞めた労働者からあらゆることでクレームが入る</font>　ｅｔｃ。　<br><br>いろいろな案件が怒涛のごとく押し寄せてきた一ヶ月でした。<br><br>予想していたとは言え、よほどの覚悟がないと自分自身が飲み込まれてしまいそうです。<br><br>目の前に突きつけられた問題を処理するだけの時間の中で、「当たり目に祟り目」といったクレーム案件も入り込み、すっかりナーバスになってしまった私は、「誰にも会いたくない、どこにも出かけたくない」といった気分で週末を迎えました、そんな2009年の3月のある休日のことです。<br><br>突然「そうだ、米沢に行こう！」と思い立ち、片道2時間半車を走らせたのは、どこかでこの停滞した空気を払拭したかったからなのでしょう。<br><br>かの地では今、「天地人博2009」というＮＨＫ大河ドラマにちなんだイベントが開催されており、めずらしく番組を視聴している自分としては、大いに興味のあるところでした。<br><br>ドラマとタイアップした展示場は興味津々で、めずらしくパネルを読み込みながら歩を進めていると、私の目に、ある文字が飛び込んできました。<br><br>「上杉鷹山の藩改革」という文字です。鷹山は、直江兼続の死後148年後に17歳で9代目米沢藩主になり、破綻状態の藩財政を56年かけて再建したことで知られる人物で、もともと米沢の中では直江兼続よりも著名な存在です。<br><br>「リストラ（この場合、解雇と言う意味）なき財政改革」ということで、小渕首相の時代に一時話題になった人物でもあります。<br><br>徳川時代における米沢藩は、他の藩がそうであったように、幕府の無理難題（参勤交代、土木工事の無償負担等）を実行する為の膨大な支出と、大勢の家臣の存在により借財が膨らみ、改革を余儀なくされていたにもかかわらず、重臣たちの改革推進への反発や、度重なる天災の影響もあり、その財政基盤は弱体化する一方だったと言われています（今の日本や、企業の実態とそっくりなのに驚きます）。<br><br>そのような中で、鷹山が取り組んだ藩改革は、<br><font color="#ff0000">①意識の改革　<br>②教育の改革　<br>③新たな産業を興すこと　<br>④財政改革という4本柱によるものでした。</font><br><br>私の目は釘付けになりました。<br>早速、「上杉鷹山の秘密　新谷博司著」という本を買い求め、貪るように読みました。　<br><br>現状打破のヒントが満載でした。以下、抜粋すると、「組織を動かすには、トップに魅力があること、打ち出す方針に夢と現実性があること、実行する者にとってもメリットが感じられることが必要。<br><br>①　人件費負担が高くとも削減できず、多額の借金を抱えている現状を認識すれば、収入を増やさないと収支バランスが取れない。方針を打ち出す前に現状認識をしっかり行い、次いで甘え、妥協をなくし、具体的な対策を講じること。精神論でなく、目に見えて収入増、経費削減に結びつく行動が必要。<br>②　改革は、守り（倹約）だけでなく並行して攻め（積極展開）がないと生き残れない。<br>③　厳しい要求は、それが成し遂げられた時の「良くなるという夢」を与えないと実りは少ない。<br>④　厳しい計画の遂行には人間愛が必要。<br>⑤　社外ブレーンの有効活用（社内の人間は、経営者に厳しい建言は言えない）。<br>⑥　改革には短期と長期のものがある。長期間かかるものは、自分の没後も考えて「方針や遺言」にして残しておく。<br>⑦　収入に見合った支出体制にしないと財政は破綻する。」<br><br>ものの見事に言い得ています。ともすると、経費の削減（特に人件費カット）だけに目が向いてしまいがちな改革ですが、同時に新たな収入源の確保も進行させなければ、その先に未来はないと言い切っています。<br><br>なぜなら、何時の世も「現状維持＝衰退」だからです。<br><br>自分自身がひねくれ者なのかもしれませんが、順調な時は「浮かれない」事を頭に置き、不調な時は「停滞しない」ことを考えてきたように思います。<br><br>振り返ってみれば、それなりに順調にいっていた労務士事務所を「元気サポート」に変えたのは、平成14年、不況の真っ只中でした。<br><br>平成11年バブル崩壊の後、痛みだらけのリストラに翻弄された後で、己の仕事の限界をいやと言うほど思い知らされ、無我夢中で経営の勉強を始めたのは、「経営を知らずして労務問題は語れない」と悟ったからです。<br><br>「人材と経営」という方向にどうしても進みたいと思いました。<br><br>むろん、半年や1年で芽が出るわけもなく、「人材と経営」を機軸にしようと決意するまで足掛け2年かかりました。もともと労務士の範疇でない業務展開を始めたとき、同業者からは変人扱いされ、残念ながらスタッフも入れ替わらざるを得ませんでした。<br><br>「元気サポート」という、まったく無名の会社名を知ってもらい、曲がりなりにも「人材と経営」分野の仕事を依頼されるようになるまで更に何年もの月日を要しました。<br><br>思えば、不況が原動力になって行動してきたことになります。<br><br>順風満帆の時は、いろいろな問題がカモフラージュされがちです。ところが、逆風によって、状況は一変します。見たくない現実を突きつけられ、立ちすくむ者もいれば（守り）、そこで初めて覚悟が決まる者もいるように思います（攻め）。　<br><br></td></tr></tbody></table>
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<link>https://ameblo.jp/toracoteacher/entry-10823096180.html</link>
<pubDate>Mon, 07 Mar 2011 09:19:46 +0900</pubDate>
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<title>「幸せのＰＭ理論」</title>
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<![CDATA[ <table border="0" cellspacing="15" cellpadding="0" width="100%"><tbody><tr valign="top"><td colspan="2"><table border="0" cellspacing="0" cellpadding="5" width="600"><tbody><tr><td class="unnamed1" align="center"><table><tbody><tr><td bgcolor="#ffffff" width="508" align="left"><b><font color="#cc3300">「幸せのＰＭ理論」<br></font></b><br>異動がないからメデタシメデタシとならないところが労務問題の難しさで、この頃どこに行っても耳にするのは、モラール(やる気)の低下した人と、モラル(公徳心)のない人の事例ばかりです。<br><br><font color="#ff0000">・会社に重大な迷惑をかけたのに、責任も取らずに出社拒否をし続けている者<br>・正社員なのに、パートさんよりも出勤状況の悪い者<br>・有給休暇を散々使いながら、少ない出勤日に目いっぱい残業申請をする者<br>・自分のやりたい仕事が出来ないからという理由で会社の指示命令に従わない者<br>・せっかく決まった就職先に簡単にキャンセルを入れてくる者<br>・保育園提出の勤務証明書をもらった途端に会社にこなくなる者　ｅｔｃ。</font><br><br>「この頃の若い者は・・・」と言いたいところですが、あにはからんや「年齢・性別・未婚･既婚・子供のありなし、その他、なにひとつ相関関係がない」ところが、よりいっそう問題をややこしくしています。<br><br>テレビの中で「解雇されて働くところがない！」と訴える人たちと、上記の人たちは、そもそも人種が違うのだと信じたい・・・。そうでなければやりきれない気がします。<br><br>去年の大晦日に、東京の友人Ａ子と会いました。普段は人で溢れている仙台駅もさすがに夕方以降はひっそりと静まりかえり、夜の７時頃にお店にいたのは我々だけでした。<br><br>Ａ子とは２０年来のつきあいで、何時会ってもテンション高く仕事の話が出来る、数少ない友人の一人です。今回は、時節柄「派遣切り」と「働く人の心意気」といった話に終始しました。<br><br>話の中で、最後に行き着いたのは「弱者とはなんぞ？」ということでした。<br><br>派遣切りにあい、テレビカメラに向かって「もう、５０円しか所持金がない」と携帯電話片手に煙草を吸いながら訴える人は弱者なのか否か、パートやアルバイトで働く人たちは弱者なのか否か、労働者は弱者なのか否か、女性は弱者なのか否か、年金暮らしの高齢者は弱者なのか否か。<br><br>結論は、どれもが「Ｎ０！」でした。<br><br>本当は、誰もが答えを知っているはずなのです。<br>「一概には言えないよ」と・・・。<br><br>それなのに、マスコミ報道を鵜呑みにし、無理やり白黒つけたがる私達は、恐ろしいほど自分の物差しを失ってしまっている気がします。<br><br>現代は、不思議な時代です。１００年来の大不況のニュースが連日マスコミを賑わしているかと思えば、休日には（とりたてて用事もないのだろうに）多くのマイカーが街に繰り出し、商業施設は人でごった返す。<br><br>さりとて、特別な買い物をするでもなく、飲食店だけが行列を作る。<br><br>この頃は、女性、子供だけでなく、いい年をした男性までもが商業施設をうろうろし、時間をつぶしているように感じるのはなぜなのでしょうか？<br><br>まるで、刺激がないと生きていけないかのようです。この風景を見るたびに、私の頭に「慢性欲求不満症」という言葉が浮かんできます。<br><br>１月の元気塾で、伊那食品工業株式会社様を取り上げました。この会社の経営理念は、「いい会社をつくりましょう。たくましく　そして　やさしく」というもので、現会長の越塚寛氏はご自身の著書の中で「会社の目的は社員の幸福な理想郷づくり」と言い切っています。<br><br>セミナーに当たって、彼の著書を読ませていただき、ひとつひとつにうなずきながらも、最も目に留まったのは、次の文面でした。<br><br>・モラール（労働意欲･志気･やる気）とモラル(道徳意識)は連動する。<br>・幸せを感じる社員は、働くことを惜しまない。<br>・モラールの高い社員ほど、社会人としても正しい行動をするようになる。<br><br>例えば、スーパーなどで駐車するときに、妊婦さんやお年寄り、体の不自由な人のことも考えて、自分は入り口から離れた場所に停める、といった行動（他者を意識した行動ともいえる）が出来る社員は仕事も出来る、といったことらしいのですが、伊那食品様はこの信念に基づいて「当たり前のことをきちんとやる」を教育目標に掲げ徹底させているらしい。<br><br>なんて明確な目標でしょうか。<br><br>上記の理屈で言うならば、次のような仮説が成り立ちます。<br><br>・勤勉に働くこと、社会人として正しい行動をとることが出来ない限り、その人は幸せ感を得られない。<br><br>考えてみれば、当然のことですね。どれほど時代が変わろうと、会社の中で勤勉な人がうとまれることはないでしょうし、「社会人としての正しい行動」＝「他者を常に慮る行動」と定義するなら、そのような人が不遇になる確率はほとんどないのではないでしょうか。<br><br>私たち人間が、最も欲しがっている「承認」や「愛」にしても、地道な行動の結果として与えられるものに違いありません。<br><br>労せずして実を求める、自分だけが良ければいい、与えることより与えられることだけを要求する、日本の中にそのような風潮が蔓延し始めてから、どれほどの年月が過ぎたことでしょう。<br><br>１週４８時間から４０時間に労働時間が短縮になって、休日が増え、定年後の雇用も義務付けられ、育児休業･有給休暇等働く人の権利も増え、性差や年齢によるあからさまな差別も解消され、そして何よりはるかに多くの自由を得て、私達はどれほど幸せになったのでしょうか？<br><br>時間をもてあまし、消費活動をすることでしか楽しみを見出せず、その度ごとにお金が足りない欲求不満でイライラしてはいないでしょうか。<br><br>地道な努力を軽んじ、理想だけを追い求めて転職を繰り返したり、「どうせ、仕事なんてこんなもの」と勝手にあきらめて自らの不遇を嘆いてはいないでしょうか。<br><br>「こんな不況の時代、当てになるのは家族だけ」と、己の関心を半径３メートル以内に集中させて、家族以外の他者との絆をないがしろにしてはいないでしょうか。<br><br>「失ってから幸せに気付くのは凡人、今ある幸せに気付けるのは才能」という言葉を大切にしたいと思います。<br><br>仕事も家庭も、大切な友人･知人も然り。そして、もうひとつ付け加えるなら、幸せにもＰＭ(パフォーマンスとメンテナンス)が必要なのだと思います。<br><br>幸せになりたいという願望がパフォーマンス、幸せを維持しようという覚悟・維持しようとする努力がメンテナンス。仕事も私生活も同じですね。つくづく「一時が万事」という言葉の真理にハッとします。<br></td></tr></tbody></table></td></tr></tbody></table></td></tr></tbody></table>
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<pubDate>Thu, 03 Mar 2011 11:33:41 +0900</pubDate>
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<title>「【考える力】を取り戻そう！」</title>
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<![CDATA[ <table><tbody><tr><td bgcolor="#ffffff" width="508" align="left"><p><b><font color="#cc3300">「【考える力】を取り戻そう！」<br></font></b><br></p><p>平成20年12月に書いたコラムなのですが・・</p><br><p>~~~~~~~~~~~~~</p><br><p>平成20年、始まりと終わりの気分がこれほど違う年は珍しいです。<br><br>年の初め、経団連の新年会の様子が報道され、戦後最大の好景気に高笑いをしていた経営者たちが、年末には利益の下方修正や人員削減の記者会見でニュースに登場しています。<br><br>昨夜のニュースでは、トヨタの本拠地である名古屋の駅前で、仕事と住む所を同時に失った元派遣労働者たちが、炊き出しを受けるために行列を作っている様が報道されていました。<br><br>マスコミのことなので、当然多少の誇張はあると思いますが、「本当にこれがわが国の風景なのか？」と、にわかには信じられない光景でした。<br><br>「アメリカが風邪をひけば日本がくしゃみをする」と言われていた時代がありました。今回は、くしゃみどころか、パンデミック（ある感染症や伝染病が世界的規模で拡大すること）ですよね。日本のみならず全世界が同時不況に陥ってしまいました。<br><br>これは、鳥インフルエンザよりはるかに深刻かもしれません。来年は、労務の分野も想像を絶する厳しい状況に直面することでしょう。<br><br>外回りをしているときの車の中は、ものを考えるのに最適な空間です。ある日の車の中で、私の頭に浮かんだ言葉は次のようなものでした。<br><br>「どれほど好調でも浮かれず、どれほど不調でも落ち込まない！」<br><br>高名な方の言葉ではありません。私の信条です。<br><br>振り返れば、昔から随分冷めた子供でした。家業の隆盛と衰退により、商売というものが「時代」という大きな波には逆らえないことを思い知り、早熟な読書体験により、この世には何一つ「絶対」がないことに、漠然と気がついていました。<br><br>生まれし者たちが必ず死を迎えるように、上りがあれば下りがあり、希望の数ほど失望がある。捨てる神があれば拾う神があり、人の長所はそのまま短所でもあり、森羅万象がコインの表裏・・・。いくらでも予測可能な当たり前なことなのに、ついつい忘れ、何か起こるたびに感情が揺さぶられている人がたくさんいます。<br><br>考えてみれば、この世の中に「予測不可能」なことは、天災しかないのではないでしょうか？<br><br>冒頭に述べた戦後最大の好景気も、<br>①派遣労働者等の非正規従業員により人件費が安く抑えられていたこと<br>②円の為替が安かったこと<br>③銀行金利が安かったことの３つの安値でもたらされた結果だったはずです。<br><br>アメリカにおけるサブプライムローンの崩壊も、そもそも全国民借金体質な中での好景気である以上、常に危うさを指摘され、何年も前から警鐘を鳴らされていたという記憶です。<br><br>また、グローバルスタンダード路線とは、良くも悪くも世界が一蓮托生だということに他なりません。こんな簡単なことに、大手企業が気づいていないはずはないのです。<br><br>また、不況のときに、真っ先に外部の労働者から雇用調整を行っていくことは、今始まった手法ではありません。<br><br>企業が、バブル崩壊によるリストラ後の痛みの中で、長期安定雇用を前提とした正社員の採用に二の足を踏むのも十分理解できます。<br><br>その為に、労働者派遣法が改正され、対象業務が拡大されたことも事実でしょう。むしろ最初から、今日のようなアクシデントを想定してのシステム作りだったのだと思います。<br><br>唯一予想外だったのは、そもそも自社労働者でもない派遣労働者たちが、よもや派遣元を飛び越して派遣先に、身分の安定や居住地の確保を要求し、「責任をとってほしい」と突きつけてくる事態のほうでしょう。＊派遣労働者の使用者は、本来「派遣元」であり、契約打ち切りは派遣元と派遣先の企業間契約の問題で、責任の所在を言うのであれば、まず、派遣元になされるべき。<br><br>が、それさえも、このような時代に、そう簡単に雇用調整ができないこと、派遣切りをされた人たちが、労働組合等に駆け込んで労働争議を起こすことだけなら十分予測できるシナリオでした。<br><br>企業側にせよ働く側にせよ、１００％の被害者など、本来、存在しないと考えます。 <br>規制緩和により派遣可能な対象業務を拡大すれば、不安定な身分の労働者が増大することは当然のことなのに、「自由にフレキシブルに働ける形態」というコインの表側だけに光を当てて明るい未来を信じ込ませた国の欺瞞もさることながら、うまい話の裏側を見ようとしなかった働き手の側にも「隙があった」と思うのです。<br><br>以前、大江健三郎氏が新聞紙上で次のようなコメントを寄せていました。<br><br>　「小学生の子供たちにはパソコン、携帯電話、ゲーム等を使わせてはいけない。なぜなら、不便な状況こそ、「考える力」を育む環境だからである」賛成です。<br><br>そして、その理屈で言うなら、これからやってくるだろう大不況、下り坂な日本の状況は、もう一度私たちが｢考える力｣を取り戻すためには絶好のチャンスなのかもしれません。<br><br>現に、解雇のニュースを見て、改めて仕事に就ける有難さを自覚している者も少なくはないでしょう。好景気に沸いている人たちに、仕事の意義を説くことは想像以上に難しいものですが、私たち凡人は失うことによって初めてその価値を自覚できます。<br><br>戦後2回続けて起こった経済崩壊は、改めて企業経営というものが、生の生き物なのだということを教えてくれました。そう、この世に絶対的な存在はありえないのです。今後、3回続けて騙されたらあまりに愚かでしょう。賢くならなければなりません。<br><br>某ふりかけ製造メーカーが対前年比で15％アップの売り上げだとか・・・。クリスマス用のケンタッキーフライドチキンが25％以上の予約状況だとか・・・。<br><br>景気が好調だったとき一時低迷していたマクドナルドのハンバーガーやユニクロのカジュアルウェアもこの不景気で一気に盛り返しています。<br><br>不況のニュースに不安を抱える国民が、外食より家庭内での食事、同じテイクアウトなら10円でも安いもの、おしゃれにこだわらないなら安い衣服にシフトしていることが良くわかります。人々の嗜好が変わってしまったら、従前の成功法則が通用しないことは明らかです。<br><br>最近、勝間和代さんという経済評論家の本が180万部も売れているそうです。私も何冊か読みましたが、彼女は非常に現実的で合理的な思考の持ち主です。<br><br>結婚、離婚、出産、子育てと、女性としてのフルコースを全部経験しながら、その都度ステップアップしていく（キャリアだけを考えれば、通常は段々小粒になっていく）たくましさは、是非とも身に付けたいサバイバルスキルだと考えます。<br><br>本の中で彼女は説きます。「自立して（他者に依存せず）しなやかに生き抜こう！」と。<br><br>そして、自立できる心のあり方として「じょうぶな心」の必要性を述べ、「愚痴を言いたくなったら問題を整理し、ちゃんと解決する」ことを勧めています。<br><br>大変なときこそ、着々とした思考を積み上げたいものです。<br><br></p></td></tr></tbody></table>
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<pubDate>Mon, 28 Feb 2011 10:04:15 +0900</pubDate>
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<title>「経営の目的はなんですか？」</title>
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<![CDATA[ <strong><font color="#cc3300">「経営の目的はなんですか？」<br><br></font></strong>「労務士さん（この場合、私を指している）は、労働者の味方なんですか！それとも経営者の味方なんですか！」<br><br>先日、某事業の行政指導（労働基準監督行政ではありません）をめぐって担当者と対峙したときに言われた台詞です。<br><br>そのとき、議論されていたのは交替制勤務を常態とする事業所における「有給休暇は労働者の権利である」という一文の解釈。<br><br>そのとき私は、「交替制勤務においては当日の有給休暇申請は認め難い。<br><br>なぜなら、当然のこととして代替要員確保に走らなければならないからである。個々の労働者の権利の行使は業種業態によって慎重に精査されるべきだ。<br><br>しかも、当該事業所は職場秩序の一環としてルール化しているのであり、当日の欠勤を有給処理しなかったとしてもなんら問題ではないと考える」という主張をしていました。<br><br>具体的に労働者から苦情が出ているわけでもありません。<br><br>ちなみに、労働基準法第39条には、有給休暇の取得を労働者の権利というより使用者の義務として定義しており、行政解釈では・・<br><br>①その権利は法定要件を充たした場合（直近6ヶ月またはその後1年間における8割以上の出勤）、法律上当然に労働者に生ずる権利であり、労働者の請求を待って初めて生ずる権利ではない、とし<br>②かの年次有給休暇をどのように使おうが労働者の自由である、としていることは重々承知の上です。<br><br>「労働者の味方か経営者の味方か、という単純な二者択一ではありませんが、どちらかといわれれば私は経営者の側に立っています。<br><br>なぜなら、経営そのものが破綻したら労働者の福祉の向上は実現できないからです」　　「まじめに、シフトを守って勤務している人が報われず、権利の主張をした者だけが得をする社風を作ってはならない、と考えています」。<br><br>こうした私の言い分に対して、相手方は「有給休暇は労働者の権利であり、全員が完全消化しても足りるだけの人員を確保するのは会社の責任でしょう！<br><br>遵法精神はないのですか！」と言葉を返してきました。その後のやり取りは割愛します。<br>大きな違和感を抱かざるを得ません。<br><br>この場合、最も議論されるべきなのは、その事業の運営が受益者にとってどうなのか、という視点であるはずです。「なによりも、そこで働く労働者の権利を保障すべし」という議論は本末転倒と言うべきでしょう。事業の本来の受益者はお客様だからです。<br><br>「企業の目的は顧客の創造である（ドラッカー）」という言葉を引き合いに出すまでもなく、企業の目的はお客様を作り、それを維持していくこと以外になく、それゆえに、目的を実現するための担い手として「人」が必要となり、雇用関係が発生するわけです。<br><br>「初めに雇用ありき」ではないのです。よって、この場合、常に熟慮されるべきは「お客様に不便をかけていないか、お客様に二度手間をかけていないか」という視点による基準であり、それ以外の基準は、法を逸脱していない限り副次的なものに過ぎません。<br><br>民間企業に限らず、行政とて同じです。必ずや目的があり、その為に人が必要とされ、予算が計上されているはずなのです。つまり、人を雇うということは、目的を達成するための重要な方法のひとつであり、目的そのものではない、ということです。<br><br>我が社も同様です。「会社の元気を支援するために」元気サポートを立ち上げ、その実現を考えた場合、自分ひとりでは難しいからスタッフを雇い入れているわけで、スタッフを養うために昼夜働いているわけではありません。<br><br>従って、最も情けないのはお客様のお役に立てないことであり、お客様にご不便をおかけし、二度手間をかけるだろう社内対応には、どれほど「口うるさい」と言われようと指摘･改善し続けなければいけないでしょう。<br><br>また、事業目的を理解できないスタッフと共に頑張っていくことはできません。場合によっては、退職を勧奨することもやむを得ない、と考えている所以です（考えているだけでなく、この原理原則は、スタッフに常に公言しています）。<br><br>まして、常に目的を意識し、常に目的に立ち戻りながら行う教育･訓練でなければ、今の時代、少し厳しく注意しただけでも「いじめ」と言われかねません。「やる気は無いけど辞めない社員」がはびこるのも、目的を認識できない組織に見うけられる、わかりやすい現象です。<br><br>残念ながら、「善意・無過失な労働者」を想定している法律は、「悪意・過失だらけの労働者｣さえも一緒に保護してしまうのです。<br><br>しかも、その法律の中身は、中小企業にとって遵守困難なものも少なくはありません。<br><br>例えば、有給休暇の付与要件は前述したとおりですが、8割の出勤を計算するにあたっては、当然のことながら有給休暇分も法律上出勤カウントで、業務上の傷病により休業している期間、産前･産後の休業期間、育児･介護休業法により休業している期間まで出勤カウントとあっては、私傷病休業以外のどんな理由で８割の出勤に満たない人がいるのか教えて欲しいくらいです。<br><br>仮に、全員で完全消化している会社があるとしたら、その会社は、とてつもなく資金に余裕のある会社か、そもそも顧客志向がないか、あるいは、幸いにも「人の手」があまり必要ではない業態なのだと思うのです。<br><br>それにしても、今ほどあらゆることの目的が、曖昧になってしまった時代はないように思います。<br><br>子育て、学校教育、企業経営、行政のあり方ｅｔｃ・・・。「定額給付金｣騒ぎを見ていると、国の政策さえ、「何のために？」が欠如しているように見うけられます。<br><br>動物もののテレビ番組を見ていると、野生の動物たちのほうが、目的に忠実に生きている気がします。<br><br>生きていくために食物を摂取し、敵と戦い、種の保存のために交尾し、子を産み、親なしでも生きていけるように子を突き放す。生理的欲求に基づいて淡々と繰り返される生の営み。進化を遂げたはずの人間が、それゆえに目的を見失い、あらゆる問題を引き起こしながら生きていく一方で、「目的」という言葉さえ知らない動物たちが、目的に忠実に生を全うするという皮肉さ。<br><br>心理学者マズローは、人間の欲求を次のとおり５段階で定義しました。下位の欲求から順番に・・<br><br><b><font color="#ff0000">①生きていくために必要な生理的欲求→<br>②安全と安定を求める欲求→<br>③愛と集団を求める社会的欲求→<br>④他者による尊敬を求める自尊心→<br>⑤自己実現欲求。</font></b><br><br>新入社員がいきなり「自己実現」を目的として会社に入ってくると言われる現代社会。私たちの不幸は、本来、向上心を持って、努力していくことで手に入れられる上位の欲求が、情報の氾濫により、いとも易々と手に入るかのように錯覚してしまったことと、行き過ぎた弱者保護により、常に与えられることを要求し、それゆえに万年欲求不満に陥っていること、にあるのではないかと思うのです。<br><br>あらゆることには目的があり、順番があります。大人になる目的、会社で働く目的、子を育てる目的、そして何よりも生きる目的・・・、謙虚に、かつ真摯に考えてみたいと思います。<br>
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<link>https://ameblo.jp/toracoteacher/entry-10811446771.html</link>
<pubDate>Thu, 24 Feb 2011 09:33:28 +0900</pubDate>
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<title>「3つのタイ焼き」</title>
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<![CDATA[ <table><tbody><tr><td bgcolor="#ffffff" width="508" align="left"><b><font color="#cc3300">「3つのタイ焼き」<br></font></b><br>昔、暑い日にお客様から「タイ焼き」の差し入れがありました。<br><br>私は、甘いものが大好きなので、大喜びで受け取りつつも、いくぶん暑い日だったので、「何でこのような日にタイ焼きなのだろう？」と不思議に思っていました。<br><br>すると、ゲストのＮさん曰く、「伊藤さん、働く人たちはね、タイ焼きなんですよ！」<br>「ほめられタイ、認められタイ、役に立ちタイ、そんな３つのタイ焼きだということをお伝えしたくて、差し入れにこれを選びました」<br><br>Ｎさんがお帰りになってから、スタッフにタイ焼きを配りながら、かのエピソードを話して聞かせたところ、みんな一様に頷いています。（へぇ～、そうなんだ・・・）改めて納得しつつ、いつの間にか働く人の気持ちに鈍感になっている自分を自覚しました。<br><br>20年前、公共職業安定所に非常勤で勤めていたことがあります。<br><br>独立開業をしたものの、３ヶ月で1件しかお客様がつかず途方にくれていたときに、週３日勤務のお話をいただきました。<br><br>安定所は関係役所でもあるし、労務士として願ってもない話だったので、喜んでお受けしました。当時、30数名の方たちと机を並べ、組織の一員として仕事ができることに毎日ワクワクしたことを思い出します。<br><br>買えば何万円もする実務書をタダで読めることは何より嬉しく、行政側の事情に詳しくなるのも自分にとっては有難く、たくさんの人に囲まれながら、広い職場内をキビキビと動き回るのも小気味良い経験でした。<br><br>妙にテンション高く仕事をしていたため皆に不思議がられましたが、いろいろな利用者様相手の窓口対応は本当に楽しかったのです。<br><br>丸２年が過ぎ、引き止められたものの、自営でありながらお給料をいただくことに慣れたくなかったので、約束どおり辞めました。<br><br>勤め人（？）最後の日のスピーチで、「自営業の自分が「働く者」の立場で、皆さんと机を並べるのは今日が最後だと思うと、大変寂しいです・・・」と言ったことを、なぜか鮮明に覚えています。皆に見送られた帰りの車の中で、｢明日からは一人なのだ・・・｣と思うと、涙が溢れてきました。<br><br>そして、翌日から本当に一人で仕事をする日々が始まり、寂しささえ感じないほど忙殺され、やっと他人と一緒になったと思えばその日からは「雇い主目線」で、いつの間にか働く人の感性をすっかり忘れていたのでしょう。<br><br>毎朝実施している「Ｇｏｏｄ＆Ｎｅｗ」（24時間以内にあった良かったこと、新しいことを発表する試み）の中で、スタッフが次のように発表しました。<br><br>「去年、ここに入社するときに買い揃えた洋服が緩くなりました！」と。<br>ハッとしました。よもや彼女が、元気サポートに勤めるために洋服を買い揃えたなどと想像さえしていなかったからです。<br><br>何年か前の息子の姿が浮かんできました。当時の彼は、７年間勤めた会社を辞め、初の転職活動をしていました。<br><br>これまでの肉体労働の中では必要のなかったスーツを買い求め、慣れない履歴書を書き、面接に出向き、やっと営業職が見つかったと喜び勇んで報告に来ました。<br><br>初めて揃えたビジネスバッグとノートと筆記具を広げ（なにぶん勉強が大の苦手だった子供です）、「他に何を用意したらいいの？」とさんざん質問した後で、「お母さん、俺、一からやり直して頑張るから！」と帰っていく姿を見ながら、心から嬉しかったことを思い出します。<br><br>その後、彼は初日からの新規開拓戸別訪問に挫折し、たったの３日で再び退職をしました。自信の持てない者にとっての敗者復活戦だったことを知っていただけに、胸が締め付けられる思いでした。<br><br>「私は、何人も人を採用し、何回も他社の面接に立会い、数え切れないほど働く人たちについて語ってきた。でも、たったの1回でも、彼らがこれほどまでに大きな期待を抱いて新しい職場にやってくるのだということに思いを馳せたことがあったのだろうか・・・」と。<br><br>たぶん、一度もなかったのでしょう。そこまでの理解があれば、不安でいっぱいの新規採用者をけっしてぶっきらぼうに受け入れることなどできないはずだからです。<br>「自分は、なんて愚かなのだろう」と、確かにあの時は感じたはずなのに、私は、今回もまた、一番身近にいるスタッフが大きな期待を抱いてわが社にやってきたと、考えもしなかったのです。<br><br>小学生の頃、新学期が始まるのがすごく楽しみでした。特に、学年が上がるとき、親にねだって買ってもらった筆箱や新品のノートを何度も取り出し、なにかとてつもなく新しいことが始まる予感に胸が躍りました。<br><br>紙の切れ端に予定表を書き込み「必勝！学年で1番」などという無理難題な目標を掲げたときの高揚感は半端ではありませんでした。<br><br>そのくせ、宿題すらまともにこなせず、早々に挫折するのですが、性懲りもなく次の学年になると同じことを繰り返す･･･リセットできる希望があったからこそ10何年もの学校生活をあきずに過ごすことができたのだとわかります。<br><br>同様に、働く人たちもそれぞれのリセットをかけながら、新しい職場に希望を抱くのでしょう。持ち物や洋服を揃える行為は、希望を前にした儀式なのかもしれません。一人ひとりが自分の人生をリセットし、かつ立て直そうとして必死なのだろうと思うのです。かつて、自分がそうであったように・・・。<br><br>「星の王子さま」という作品に、このような言葉があります。<br><br>「大人たちは、かつて自分たちが子供だったということを忘れてしまったのだよ」<br>私もまた、かつて自分が雇われる側の人間だったことを忘れていました。<br><br>先日、セミナーで知り合った他県の方から、次のような手紙を受け取りました。彼女は、最近の職場の沈滞した空気とスタッフの疲弊感を心から心配しており、「経営者に対しては尊敬・感謝しつつも、せめて日々の中で暖かい言葉をかけてもらえたら、みんながこの逆境を乗り越えていけるのに、と思います」とその手紙を結んでいました。そして、「このことは、伊藤さんの胸の中にしまっておいてください」とも。<br><br>「だったら、口に出して言えばいいのに」と思うのは、やはり強者の理論なのかもしれません。<br><br>自分とて、いろいろな場面ではっきり物を言いながら生きてはきましたが、働く側だったときにさえそうだったのか？と問われれば、その時々で言えない立場、言えない状況がありました。<br><br>いつも、働く人の言葉は、自分に｢慢心（驕り昂ぶる心）｣という言葉を思い起こさせてくれます。本当に、社員は経営者の鏡なのだと感じる瞬間です。<br><br></td></tr></tbody></table>
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<link>https://ameblo.jp/toracoteacher/entry-10808583675.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Feb 2011 15:42:54 +0900</pubDate>
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<title>「それでも元気です！」</title>
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<![CDATA[ <table><tbody><tr><td bgcolor="#ffffff" width="508" align="left"><p><b><font color="#cc3300">「それでも元気です！」<br></font></b><br>以前、こんなことを感じました。</p><br><p>お客様が増えたわけでもないのに、ほっとする日がなくなった・・<br><br>「今まで、３人でできていたことが、何でいつまでたっても追いつかないの？」<br>「スタッフ入れ替えによる各人の資質の問題なの？」と、一時期、毎日のようにイライラしていました。<br><br>実際、スタッフにこのような言葉を投げつけたことも一度や二度ではありません。<br><br>そんなある日、珍しく終日事務所につめてみて、やっと理由がわかりました。<br><br>いつの間にか、私たちの仕事の質が変わってしまっていたのです。<br><br>■お客様の会社に人が入った、辞めたといった単純な手続きもさることながら、育児休業、私傷病等、長期休業者の激増による給付手続きが増えたこと。とりわけ、最近の病欠者はメンタル面で問題のある労働者が多いため、必然的に会社サイドからの相談も多くなります。<br><br>■｢入社したと思ったらすぐに辞めた｣「引継ぎもせずに今日付けで辞めると言われた」「入社したばかりなのに会社に出てこない」といった、かつてなら考えられないパターンの相談が増えたこと。何度かこういった事例にぶつかると、会社サイドも疑り深くなり、採用手続きが止まってしまいます。しかも、時を経てから手続きすることにより、「遅延理由書」｢何ヶ月も遡っての添付書類｣等、本来なら必要のない書類を準備せざるを得なくなるケースが増えました。<br><br>■退職者に書類を送る際には、できる限り詳細な説明文書を添付しているつもりなのですが、ろくすっぽ文書を読みもせずに（あるいは読解できないのか）すぐさま電話で問い合わせてくる人が増えたこと。わかりやすい説明に多少の自負を持っている私にしても、相手を納得させるに相当な時間を費やすことから考えても、内勤スタッフの負担はいかばかりか、と思います。また、このような問題を解決せんとして、よりいっそう説明文作成に時間をかけるという現象が出てきています。<br><br>■当該本人のみならず、家族が電話をしてくるケースが増えたこと。「給付金はいつ振り込まれるのか」「子供が辞めさせられたことに納得できない」「もっと会社に要求できるお金はないのか」等々、配偶者のみならず親までもが当たり前のように電話をかけてくるようになりました。「入社面接の際には家族構成を聞いてはいけない」とされ、当該労働契約は会社対個人のものなのに、なにゆえ家族を説得しなければならないのか理解できません（ただし、この件については、個人情報の問題もあるので、今後本人を通しての質問しか受け付けない、という方針を立てました）。<br><br>■いじめ」｢セクハラ｣「パワハラ」｢過労死｣等々、職場で起こる人と人とのやり取りが、聴きなじみのある何がしかの事件に仕立て上げられる風潮が著しいこと。しかも、「○○ハラ」には、何一つ客観的な基準がなく、「本人が○○ハラと感じれば○○ハラ」といった主観的な概念であるがゆえに、よりいっそう混乱を生じさせることになっています。また、パワハラと言われたくなくて、腰が引けている管理者が増えたようにも感じます。<br><br>■そして、極めつけは｢ねんきん特別便｣です。配達された人数分の質問が発生するのです。なにぶん何年も何十年も前の記録ゆえに、誰もが確たる記憶のないまま、最初から疑心暗鬼でとくべつ便を手にします。その上「ねんきん特別便専用ダイヤル」はなかなか繋がらないらしく「伊藤さんに聞いたほうが早いから」という理由だけで電話をかけてくる「単なる知り合い（？）」もいます。<br><br>そんなこんなで、日中は電話対応だけで汲々とし、いざ書類作成にかかれるのは終業時刻間際、といった状態が続いているのでした。<br><br>なるほど、これではどれほど時間があってもこなしきれません。特に、じっくり考えなければできない仕事が先送りになってしまいます。いずれ、仕事がやりにくくなったことは確かなようです。<br><br>お盆休みに中学校の同窓会がありました。懐かしい顔が一人ずつ近況を報告していく中で、Ａ君が言った台詞が心に突き刺さりました。「女子高の教師をしています。みんなには羨ましがられていますが、毎日が地獄のようです」と・・・。<br><br>よくよく聞けば、理解不能な生徒と過保護・過干渉な親との板ばさみで毎日が地獄、ということらしい。<br><br>昔、成績の良い生徒の大半は教師を目指していました。それが、よもや将来、感情をズタズタに引き裂かれる職業になろうとは、誰が想像したことでしょうか。「頭が悪くてよかった、教師にならずにすんだから」誰かが口にしたジョークさえその場を凍らせてしまいました。<br><br>また、非常に優秀な生徒は医者を目指していました。たぶん彼らも、何十年か先に｢患者様｣によって訴えられる時代が来ることなど微塵も想像できなかったことでしょう。<br><br>労務士である私もまた、このような形で｢人材｣の問題がクローズアップされることになろうとは思ってもいませんでした。まさに「人間万事塞翁が馬」。<br>それでも私は、みんなに｢元気だね！｣と言われました。<br><br>カラ元気ではありません。<br><br>実際、このごろ久々に気力が溢れてきているのです。<br>なぜなら、元気サポートに新しい仲間が二人も加わるからです。一人は既に８月１日から、そしてもう一人は９月１日から仲間入りです。私以外に４人、コストだけで言ったらすごく負担なはずなのに、すごく楽しみなのです。<br><br>これでやっと、各人が長所だけで勝負できる体制が整えられる気がします。少人数は、確かに｢エコ｣ではありますが、どうしても各人に対する要求事項が多岐に渡り、つい欠点の矯正に目が行きがちです。<br><br>「できること、得意なこと」を伸ばしてあげる余裕もなく、「できないこと、不得手なこと」の指摘にエネルギーを奪われるあげく、本人もどんどん自信喪失になっていく・・・。まさに、企業内生活の充実どころではない状態。<br><br>お客様と弊社を取り巻く環境が、年々難しくなっているからこそ、各人の強みだけで勝負できる会社作りをしたいと切に感じました。<br><br>自分たちが自信を取り戻すことによってしか、心が揺らいでいる人たちに手を差し伸べることはできないと信じているからこそ、あえて人員増員を決めました<font size="-1">（これが投資になるか浪費になるかは、私の手綱捌きにかかっています）</font>。<br><br>このごろ、心の底から幸せになりたいと思うようになりました。身近にいるスタッフにも、是非幸せを見つけて欲しいと願っています。<br><br>「この仕事ができてよかった｣という台詞を耳にするまでは、まだまだめげてなどいられません（本当は逆境が楽しい。根っからの貧乏性なのでしょうね）。<br><br></p></td></tr></tbody></table>
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<link>https://ameblo.jp/toracoteacher/entry-10800560376.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Feb 2011 09:18:16 +0900</pubDate>
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<title>「【自分らしく】って何？」</title>
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<![CDATA[ <strong><font color="#cc3300">「【自分らしく】って何？」<br><br></font></strong>20代の半ば、ラジオの人生相談コーナーに電話をしたことがあります。<br><br>当時、家庭のことでことごとく悩んでいて（他県で専業主婦をしていたこともあり）、出口のない鬱憤で思わずそのような行動に出てしまいました。<br><br>その悩みは取り上げられ、電波を通じて放送されました。雑誌や新聞に投稿したこともあります。そのたび憎悪が活字になりました。<br><br>だからといって、何一つ解決されず、解決されないのも当然でした。<br><br>なぜなら、当時の私は、「自分の不幸はすべて他人のせい」と考えていたからです。<br><br>そんな私を救ったのは、本の中のワンフレーズでした。<br><br>｢自分の思っていることを口にできず、結局他人の言いなりになってしまうあなた！あなたは人生の犠牲者なのだ。自分の人生を生きなさい。あなたの人生の主役はあなた自身なのだから。　　ウェイン.Ｗ.ダイアー｣<br><br>アメリカの本なので、当然のことながら「アイデンティティの確立」や「自尊心」という言語がたくさん使われていて、要するに、「自分というものを持たず、それがゆえにフラフラして、何事も他人のせいにしているあなた自身が一番の問題なのだ！」というメッセージなのでした。<br><br>今でもすぐにフレーズが出てくるほど衝撃を受けました。<br><br>「自分が主役の人生」、なんて甘美で、苦い言葉だったことでしょうか。当時の私にとっては、主役どころか脇役すら張れる自信はありませんでした。<br><br>でも、暗闇の中でもがきながらやっと手にしたフレーズに、ようやく光を見た気がしました。<br><br>「自分のコップに、溢れるほどの水があれば、他人の渇きを満たしてあげられる。でも、コップが空だったら、自分はおろか誰一人満たしてあげることはできない」。<br><br>ダイアー氏の言葉を自分なりに解釈し、コップに少しずつ水を溜めようと決意した日を、まるで昨日のことのように思い出します。私の人生のリベンジは、あの時から始まったのだと思います。<br><br>「何者でもない自分」から脱出するためには、まずどうしても働く必要がありました。なぜなら、せっかく新卒で就職しながら、たったの1年間で職業生活を投げ出したかつての負い目を払拭したかったからです。<br><br>がしかし、子持ちの主婦である上に、運転免許もない自分に就職先などあるはずもなく、現実的な選択として、まず免許をとることにし、パートで働き始めました（夫は妻の免許取得に大反対で資金援助がゼロだったからです）。<br><br>毎日テープレコーダー持参で教習所に通い、最前列で授業を受けた甲斐があり、最短時間で免許を取得したものの、さて、車がありません。<br><br>今度は、自動車購入資金のためパートを続けることになりました。<br><br>家電販売店のチラシを書くことと、それを歩いて個人宅に配ることが最初の仕事でした。ノルマは月に3,000件、連日30度を超す茨城の夏は全身から塩が噴出し、空っ風が見にしみる冬は、耳がちぎれそうになりました。<br><br>保育園が休みのときは幼子を連れてチラシ配りをしました。おかげさまで、顧客管理、営業と仕事の幅を広げてはもらえましたが、何年かすると新たなチャレンジがしたくなりました。<br><br><b><font color="#ff0000">「資格試験に挑戦したい」。</font></b><br><br>もちろん、今回も資金の援助は望めないため、仕事をしながらの準備が始まりました。小学生の頃、弁護士にあこがれて六法全書を買ってもらった幼い記憶がたった一つの手がかりで、今の法律資格を目指しました。<br><br>仕事から帰り、ひととおり家事を済ませ、連日夜中の２時すぎまで勉強しました。仕事が休みの日は、子供たちを保育園に預け朝から夕方まで図書館に入り浸り、これ以上覚えるところはない、と感じられるところまで勉強しました。<br><br>連日の肉体労働と睡眠不足でどんなに辛くとも、一昔前の他力本願なみっともない自分を晒すよりはるかにましだと思いました。<br><br>それから毎年、毎年、誕生日が来るたび自分に問い続けました。「今の自分は去年の自分より成長しているよね？」と。決して負けたくないライバルは、昨日の自分自身、「このままで終わりたくない！」という負けん気だけが自分のエネルギー源だったように思います。<br><br>今になってなお、勉強の不足、知識の不足を自覚して愕然とします。ふと気がつくと、お茶のみ友達一人いない自分の半生に寂しさを感じたりもします。<br><br>でも、今、間違っても他人に人生相談をしないだろう自分がいます。25年かけてやっと、どうにか自分らしい人生を歩んでいるらしい、という感覚を持てるようになりました。全力でぶつかってさえ、これほどの時間を必要とした私の人生の巻きなおし。<br>「自分らしい仕事がしたい」「自分探しをしたい」「自分の人生だから･･･」<br><br>最近の離職者が口にする台詞です。それを聞くたび、私は恵まれた時代の不幸を感じます。<br><br>何もかもお膳立てされた時代にあって、彼らのサクセスストーリーはどんな物語になるのでしょうか？<br><br>学校卒業前に免許を取り、車を預けられ、どんな年齢になってもある程度の就職口はあり、時と場合によっては子供を生み、育てながらでも働き続けることができ、人によっては実母が子供の面倒を一手に引き受け、夫は家事に協力的で表面上の男女差別はなく、本人さえ少し図太くなれれば権利を最大限行使しながら職業生活を続けられる。一見、うらやましいようで、その実どこまでが自分の力なのか限りなくグレーゾーン。<br><br>かつての自分のように、何も用意されない環境の中なら、「車の免許を取る｣といった類のことでさえ大きな目標になりえました。<br><br>まして、お金さえも自分で調達とあっては合格したときの達成感は半端ではありません。<br><br>「パートで働く」といった、今どき「だからどうした？」といった経験さえ、ほとんど誰もが「結婚したら専業主婦」という社会通念や、家族という強力な反対勢力の中でなら大きな目標になりえました。<br><br>たとえ、どんなに小さなことでも自分の力で少しずつ手に入れて目標達成を積み重ねることで自分らしさを発見していけたのです。<br><br>反面、なにもかもが期待され、用意され、突破すべき壁さえない時代、むしろ、何をやっても当たり前で、さほどの達成感もなく、むしろ達成できなかったときの挫折感のほうが強いのではないでしょうか。<br><br>よほど大きな成功を手に入れない限り達成感のもてない時代は、ある意味でとても不幸な時代なのかもしれません。<br><br>「人材のことを考えるなら、その人がどんな時代環境、どんな背景の中で育ってきたかを無視するわけにはいかない」<br><br>かつて、尊敬するコンサルタントの先生に言われた言葉です。<br><br>毎日のように勃発する事件の中で、何度もその言葉をかみしめながらなんとか解決の糸口を探ろうともがいている自分がいます。<br>
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<link>https://ameblo.jp/toracoteacher/entry-10787592106.html</link>
<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 10:44:48 +0900</pubDate>
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<title>「狭く、深く」</title>
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<![CDATA[ <table><tbody><tr><td bgcolor="#ffffff" width="508" align="left"><b><font color="#cc3300">「狭く、深く」<br></font></b><br>昔、週に1回の頻度で通い詰めていたラーメン屋さんがありました。<br><br>お店は古く、どちらかといえば汚く、店員さんは無愛想のきわみ。何回通っても、お愛想笑いひとつされたことはありませんでした。それでも、家族総出で何回も食べに行きました。<br><br>なぜなら、ラーメンが圧倒的に美味しかったからです。まさに、商品そのものだけで勝負しているようなお店でした。<br><br>新しく開店しては1年に満たず閉店になっている他のラーメン屋さんを見ながら、「やっぱり、飲食業で外せないのは味だよね～」と言いつつ、｢本当にそうか？｣と考えました。飲食業にとって「味」は、「商品そのものの力」を意味します。<br><br>確かに、その力が他のどこよりも強ければ味以外の要素はそれほど問題にされないことでしょう。<br><br>商品そのものの力→建設業なら技術力･商品の完成度、医療業なら医療技術の確かさ、運送業なら安全・配送コスト、ホテルで言えば、ホスピタリティあるいは設備、労務士であれば専門性？<br><br>でも、もしも飲食業にとって「味という商品力」が平均値だとしたら、それを補って余りあるほど特化している他の部分（例：価格がものすごく安い、マクドナルドのように待ち時間がきわめて短い、店が思い切りおしゃれだ、すごくかわいくて愛想のいい気の利く店員がいる、等）がないと生き残りさえ難しいでしょう。<br><br>それなのに、私たちは商品力だけを高めようとやっきになっている気がします。<br><br>万人にとって美味しいラーメンが存在しないように、万人にとって良い商品を作ることは至難の業なのに・・・。私たちの扱う商品の力は、決して「ダントツ」ではないケースが大半です。<br><br>自分のことを考えても、労務士としてどれほどの商品力があるのか、正直なところわかりません。<br><br>書類の完成度という要素ひとつ考えても、人によって大差がつく、というほどの問題ではないのです。私を含め、同業者はみんな平均値の商品力なのだと思います。だとしたら、他の要素でダントツにならない限り、未来はない・・・。<br><br>と、自覚できるようになったのは、平成１５年に｢ランチェスターの法則（弱者の戦略）｣に出会ってからのことです<font size="-1">（ちなみに、ランチェスターの法則は、当社にとって最大の気づきを与えてくれました。このことによって、初めて経営の何たるかが理解できた気がします）。</font><br><br>「広く」「浅く」は、強き者の戦略です。ランチェスターの法則では、強者を０．５％の大きな会社だけと位置づけ、その戦略を次のように説明しています。<br><br><font color="#000066">■総合１位主義　<br>■市場規模が大きな商品(万人向け)を重視<br>■市場規模が大きな営業地域の重視　<br>■市場規模が大きな業界や客層を重視<br>■商品、営業地域、業界、客層の範囲を拡大　<br>■卸会社を何社も使った間接販売の重視　<br>■テレビ広告、新聞広告などのメディアを使用　<br>■事務所や工場などは自社物件<br>■資金力を活かしてグループ化を図る　<br>■下位の会社のアイディアを直ちに真似する</font><br><br>それに対し、９９．５％の会社（特に中小企業）は、上記のような強者の戦略をとることはできません。なぜなら、ヒトもカネもモノも潤沢でない弱き者は総合力で負けてしまうからです。小さな会社が取るべき戦略は、大手のそれとは、１８０度違います。　<br><br><font color="#ff0000">■部分１位主義　<br>■強い会社と違ったやり方による差別化　<br>■強い会社とは戦わない<br>■市場規模が小さな商品の重視<br>■市場規模が小さな営業地域の重視　<br>■市場規模が小さな業界や客層の重視　・<br>■商品、営業地域、業界、客層では目標の範囲を狭くする<br>■商品の流通ではエンドユーザーに直販することを重視<br>■お客様との人間関係を良くして紹介をより重視　<br>■間接部門の人員を少なくし、営業に多くの人員を配分<br>■組織の階層を少なくし、仕事のスピードを早くする　<br>■固定資産を少なくして資金の固定化を防ぐ<br>■経営力の分散を防ぎ、最も重要なところに経営力を集中投入<br>■長時間労働を実行して経営資源の不利をカバー</font><font size="-1">（これは今時なかなか難しくなりました）　</font><br><font color="#ff0000">■自社の動きを強者に知られないように情報の管理を重視</font><br>：番外編として　少しの成功で生活内容を変えない、調子に乗らない　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<font size="-1">竹田陽一著「プロ社長」より抜粋</font><br><br>これを知ったとき、どれほど衝撃を感じたことか・・・。<br><br>開業以来、夜も昼もなく働いて、体まで壊して、かつ従業員にろくな金額の給料も払えなかったのは、私自身の経営戦略が間違っていたから、ということに気づかされてしまいました。<br><br>当時、労務士の成功基準はお客様の数でした。１０件よりも５０件、それよりも１００件。事務所は郡部よりも仙台市内、名刺に書ききれないほど業務内容を増やし、県下全部を営業地域にし、時と場合によっては県外のお客様も引き受け、１日中バタバタと走り回るのが成功の目安だった気がします。<br><br>まさに、エネルギーを分散し、体力を消耗させ、当然お客様との絆は弱く、誇れるのはお客様の数と忙しさだけ（今でも、大半の同業者はこのトラップから抜け出せないようです）。<br><br>それからまもなく、私は弱者の戦略を実行しようと決意しました。<br><br>まず、顧問先の営業地域を決めました。車で片道４５分以内。そこから外れるお客様は、他の同業者を紹介しました。<br><br>当時、「事務所を仙台市内に移転しないか」とのお誘いもありましたが、お得意様が多くいらっしゃる地の利等を考え、あえて七ヶ浜という不便なところに腰を据えました。そうすることで、仙台市内で既に起こっていた同業者の過当競争に巻き込まれずにすみました。<br><br>競争相手から当社の活動を悟られないように、同業者との接触を減らしました。また、労務士が取り扱う業務内容のうち、「やらないこと」を決めました。<br><br>一見客の助成金申請です。お金の絡む手続きは、信頼できるお客様から依頼されたときだけ、と決めました。<br><br>そもそも、一人の力であらゆる分野のエキスパートになれるはずはないのです。商品そのものの力が弱いことを自覚し、お客様との人間関係を良くするべくスタッフ教育に力を注ぎました。<br><br>あまりに私の指導が厳しくて、中途で挫折する人も多くいましたが、だからといって基準を下げたくはありませんでした（これは今でも試行錯誤中です）。<br><br>月次レポート、ニュースレター、元気塾、実務セミナー、外部セミナー等、あらゆるところで当社のメッセージを伝え続けてきました。そのことにより、経営に熱心なお客様に出会うチャンスに恵まれました。<br><br>「狭く｣｢深く｣は、弱者必勝のセオリーだと感じます。言葉を変えれば、選択し、集中するということでしょうか。<br><br>そのために、手放さなければならないことも多々あり、大きな決断が必要でしたが、今となれば、正しかったと思っています。<br><br>経営者が誰よりも一番学んでいる会社、経営者が誰よりも一番動機付けられている会社、そんな会社なら、どれほど時代が変わっても一緒に変わり続けていける気がします。<br><br></td></tr></tbody></table>
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<link>https://ameblo.jp/toracoteacher/entry-10785342283.html</link>
<pubDate>Mon, 31 Jan 2011 08:58:20 +0900</pubDate>
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<title>「理不尽さの功績」</title>
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<![CDATA[ <p></p><table><tbody><tr><td bgcolor="#ffffff" width="508" align="left"><b><font color="#cc3300">「理不尽さの功績」<br></font></b></td></tr></tbody></table><p></p><br><p>私が子供の頃、大人という存在はある意味で「理不尽さ」の象徴でした。<br><br>何がきっかけかわからないのに突然腹を立ててご飯茶碗を投げつける、自分のすぐ傍にある煙草をわざわざ子供を呼びつけてとらせる、弟をいじめたという現象だけで理由も聞かずに叩きつける・・・そんな父親、そしてそれを一緒になって援護する母親。<br><br>口答えなどしようがものなら、「嫌なら出て行け！」と伝家の宝刀を振りかざす・・・何はともあれ、常に親は絶対的な存在でした。なぜなら、彼らは子供を育てるために必死に働いていたからです。<br><br>そうかと思えば、学校の先生も相当な理不尽さぶりで、授業中自分が気に入らない生徒を徹底的に無視したり、自分が個人的にインドに傾倒しているからといってインド式のお辞儀を生徒に強要したり、道徳の授業に毎回「部落問題」を取り上げたり、カリキュラム無視で３年間ソフトボールしか扱わない（自分がかつて選手だったため）体育教師もいました。<br><br>本当に無茶苦茶、理屈も何もあったものではありません。<br><br>今なら、到底考えられない教師でしょう。不思議なことに、それでも私は学校が好きだったし、今でも懐かしく思い出すのは、なぜかそんな独断と偏見だらけの先生達なのです。<br><br>そのような子供時代、私はその理不尽さから何を学んだのでしょうか？<br><br>大人と子供、老年者と若者、教師と生徒といった序列、理想と現実は違うということ、生きていくうえでは思い通りにならないことがたくさんあること、そして、なにより、人間とは不完全な存在であることを学んだ気がします。<br><br>「早く大人になりたい！」「早く学校を卒業して、自分で働きたい！」「早く家を出たい！」それが、子供の頃の私の最大限の願望だったし、働くことへの最大の動機付けだった気がします。<br><br>初めて就職したとき、これから始まる社会人の第１歩がどれほど輝いて見えたことか・・・。<br><br>古い昔の入社式の写真には、満面の笑みで映る自分の姿がありました。顔はピカピカに光っています。<br><br>嬉しくてしょうがないといった風情です。ちなみに、近頃の新入社員はピカピカしていませんね。若者オーラがないような気がします。きっと、彼らにとっては、親の庇護から離れ社会に出ることが苦痛なのでしょう。<br><br>彼らがひ弱になったと嘆くことは簡単です。でも、問題なのは、今後、突然たくましい新入社員が入ってくるという展開は考えられない、ということです。気づいたときには、会社の中から若者が消え、中高年者だけが残った、という現象も大いに考えられます。<br><br>それにしても、何が子供たちをそれほど変えたのでしょうか？今の彼らにあって、昔の自分になかったこと、それは何なのでしょうか？<br><br><b><font color="#ff0000">①快適な家庭環境</font></b><br>今の子供たちの大半は、ホテル暮らしのビジネスマンと同じである気がします。独立した部屋があり、空調完備で、携帯メールで「今帰る」と連絡すれば帰った時には上げ膳据え膳です。ともすると運転手付きで送迎もしてもらえます。「めし、ふろ、ねる」さえ口にする必要がないほど何もかもセッティングされているのが現代の家庭環境なのかもしれません。<br><br><b><font color="#ff0000">②理解のある大人</font></b><br>昔は、子供が親の顔色を伺い、その機嫌を理解しなければなりませんでした。学校とて同じです。今は、大人が子供を理解しようと必要以上に歩み寄っている気がします。よって力関係は逆転し、むしろ親が子供の顔色を伺い、教師が生徒の顔色を伺っている始末です。<br><br><b><font color="#ff0000">③バーチャルな人間関係</font></b><br>自慢じゃありませんが私はメル友など一人もいません。よって携帯メールをやり取りするだけで「絆ができた」と感じられるセンスがどうしてもわかりません。<br><br>他人とコミュニケートすることの楽しさも微妙な機微も、バーチャルな人間関係では味わえないのではないでしょうか。必ずしも若者だけではありませんが、コミュニケーション下手な人が増えている気がします。<br><br>さて、ここで私たち経営者は２つの選択肢の前で悩むことになります。<br><br><font color="#006699">１いずれ若者が変わってしまったのだから、職場も快適な環境を用意してカーリング社員の後押しをするべきか？<br><br>２そもそも職場の価値観は違うのだから、一から仕込み直すべきか？</font><br><br>実は、私自身常に悩み続けている問題です。<br><br>消費者の目がこえ、企業に対する要求がどんどん高くなる現状においては、「１」の選択で企業生命が保てるのか、ということもありますが、さりとて「２」を選択したとして（いわば、世の中のトレンドに逆行していくわけだから）、前途は茨の道であることは確実です。<br><br>それでも私はあえて「２」を選びたい。なぜなら、「会社とは組織の目的･成果を達成するために選ばれた、大人たちの集合体で構成された事業活動の場である」からです。<br><br>若手の社員が大人になりきれてないのなら、本来は違うとしても、企業が社員を大人にするところから始めなければならない、と考えます。今必要なのは仕事に対する揺るがない信念なのだろうと思うのです。<br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/toracoteacher/entry-10782400660.html</link>
<pubDate>Fri, 28 Jan 2011 15:54:14 +0900</pubDate>
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