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<title>心の整理</title>
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<description>何かあれば消します</description>
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<title>。</title>
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<![CDATA[ どうしたら、死ぬ勇気は出るのでしょう。<br><br>彼を失って1ヶ月経ちました。周りからも、もう1ヶ月経ったんだからと言われ続けています。<br><br>1ヶ月経ったから立ち直らないとだめなのですか。はっきり言います、無理です。<br><br>彼と歩んだ期間は1年と3ヶ月未満、彼と共に寝食を出来たのは半年未満、2人きりで暮らせたのは4ヶ月未満です。<br><br>それでも、本当に長年共にしたほどに愛しているのに、気持ちと時間が釣り合っていないのに、1ヶ月でどうすればいいのですか。<br><br>それでも仕事をしないと彼とすごした家が守れません。でも仕事をまともにできるほど回復もしていません、早退欠勤を繰り返しては、彼の写真に向かって泣き叫び、ごめんなさいと連呼する毎日。<br><br>彼のことを忘れたくないから、思い出を振り返ります。もう二度とそれは出来ないと思うと、そうしたのはあの日の意固地な私のせいだと、そう思ってしまって呼吸もできません。<br><br>寝ることすら薬に頼らないと目を閉じれば事故現場を思い出し、寝付いてもすぐに飛び起きての繰り返し。<br><br>でも生活は普通にしないと思い出の場所と、娘のように可愛がった猫を失う。<br><br>頑張っても気持ちがついてこない、周りには1ヶ月経ったと責められる。<br><br>頑張れても、頑張ったねと言ってくれる彼はいない。<br><br>なぜ私は生きているのでしょう。なぜ私の何倍も頑張っていた彼があんな思いをして、そんな状況にした私がのうのうと生きているのでしょう。<br><br>彼なしでは生きられません、これからのことを考えようとしても、彼と歩むはずだった未来を一人で歩いていく私など想像できません。彼が恋しくて涙が出ます。<br><br>もう辛いです。毎日包丁やカッターを見ては、これで首を切れればと思い、扉のノブを見ればここに紐を繋げて反対側で首を吊れば、ニュースで亡くなった人を見ればどうして私じゃないのかと、毎日毎日思いながらこの1ヶ月を過ごしました。今もそれは変わりません。むしろ、日に日に死にたくて仕方なくなります。<br><br>彼はそんなこと望んでない。周りはみんなそう言います。<br><br>なら今のこの状況を彼は望みましたか、そんなわけないです。私が望みましたか、ならこんなに悲しくないです。<br><br>なら私の望みくらい叶えさせてくれ、そう思ってしまいます。<br><br>でも私は臆病で、死ぬ勇気もない、なのに生きる気力もない。誰かに殺してくれと願い、彼に迎えに来てくれと懇願することしかできない。<br><br>どうしたらいいのでしょうね、こんな中途半端な私は、どうしていけばいいのでしょう。<br><br>本当に、このまま目を瞑ったら二度と目覚めなければいいのに。<br><br>そう思っても、自分で死ぬ勇気もないまま私は朝を迎えるのでしょう。<br><br><br><br>生きていたくない。
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<pubDate>Wed, 22 Dec 2021 23:47:54 +0900</pubDate>
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<title>誰よりも愛している彼が、この世を去りました。</title>
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<![CDATA[ 先にあげたものの続きです。<br><br>彼が帰ったあと、私は一週間もしないうちに彼の元まで会いに行きました。会いたくて、寂しくて仕方なかったのです。<br> 何せ一週間も一緒に生活を共にして、寝泊まりもしたのですから。彼の腕の中で眠るのは、例え場所が薄っぺらい布団だろうと、どんないいベッドで眠るより寝心地が良かったのです。<br> 会いに行って、いつもの様に抱きしめあって、頭を撫でられて、沢山キスをしました。たった一週間、会えなかった時間を埋めるように。<br> それまでの間、LINEでの会話はなかなかのものでした。<br> 彼がいた誕生日が幸せだったが故に、いない時間が耐えられなくて誕生日が嫌いになりそうと、そんなことも私はいいました。<br> そんな荒れる私に彼は、<br>｢俺も会いたい。なんだこの彼女本当に可愛いな好き｣<br>そう言ってくれるのです。本当に嬉しかったです。わがまますら可愛いと言って貰えるのが、全てを受け入れてくれているようで。<br><br> そして12月に入ってすぐ、私はいつものように彼に会いに行っていました。<br> その時、何を考えてかは覚えていませんが、彼の母に彼のことが好きだということを伝えようと思ったのです。<br> 付き合っていることは言わないけれど、時が来たら付き合いたいとは伝えようと、そんなことだった気がします。<br>彼の母は一言<br>｢今はまだだよね？よかった、ショタコンとかそういうので警察突き出さないといけなくなるから｣<br>そう言われました。ああこれは、余計に言えないなと、そう思いました。<br> その覚悟の通り、隠し通していました。<br><br> しかし3月。とあることが起きました。<br> 彼が家出をしたのです。逃げた先は、私の場所。当たり前です、他に行ける場所などないのですから。<br> 話を聞くと、親がご飯をくれない。食費を頼むと、ならケータイ代を払えと怒鳴られた。自分で払うと言ったら、払わなかった時信用を失うのは母、払っているのは母だから、このスマホは母のものだと言われ取り上げられたと言うのです。<br> ちょっとさすがに、それは無いなと思いました。家を出たくなる気持ちもわかるなと。<br> 彼の気持ちを尊重したくて、私は色々動きました。<br> 程なくして彼の母が捜索願を出したと私に連絡をしてきました。私は素直に話しました、彼は私の場所にいると。<br> その後私は色んなところに相談をして、家に帰りたくないという彼の主張を何とかしてあげようと、児童相談所や警察に沢山掛け合いました。<br> その辺からでしょうね、私が彼の両親、ひいては家族全員から嫌われるようになったのは。<br> でも私は彼を愛していたので、それでも、辛い思いをさせられないと嫌われる覚悟で動き回りました。<br> 結果は芳しくなく、彼は迎えに来た警察の車に乗せられ、地元に帰ることになりました。<br> そこで児童相談所に入るか否かを聞かれ、荷物検査をされたりしたそうです。<br> それが問題でしたね。彼のリュックの中には、あってはならない避妊具の空箱が入っていたのです。もちろん全員察します。<br> しかし彼はそれを逆手にとって、私と会えなくなるくらいなら死んでやる、会えなくなるならどんなに辛くても家に帰ると言ったそうです。<br> そうして彼は家に帰りました。警察から私に連絡も来ましたが、愛し合っていて、弄んでいる訳でもないために、グレーゾーンですがお咎めなしと、生活安全課の方から言われました。<br> ほんの少しだけ、私たちの関係が認められた気がして、辛いながら嬉しかったのを覚えています。<br><br> しかしそれは、彼の両親には違いました。<br> 彼と通話を繋いだまま、彼は両親と話に行きました。そこで聞いたのはとてつもない罵倒、非難の嵐でした。<br> 私は彼の貯金目当てで近づいただけだとか、寄生先をお前に変えようとしてるだけだとか。彼の父親が、そんなふうに彼に怒鳴りつけていました。私の連絡先を消せとも。<br> 彼は泣きじゃくりながら否定して、必死に抵抗していました。<br> 長い長い時間の末、私も彼の父と通話越しに話して、理解を得たように思えました。<br> コロナが落ち着いたら私のところに会いに行ってもいいよ、お金少しなら出してもいいよ、その代わり何時どのくらい行くのかはちゃんと言いなさい。そうしたら居られるだけ居てもいいから。<br> 至って普通のことを、その時は言っていたと思います。<br> しかし時が経って、彼が会いに行きたいと言うと、どうして学生のお前か会いに行く、向こうがこい。居たいだけいていいなんて言ってない、証拠出してみろ、証拠出すの得意だろ。<br> 血が繋がっていないとはいえ、育てた息子にそんなことを言っていました。<br> 私はそれを聞いて、怒りと悲しみに震えました。<br> 私は何度も会いに行くくらい好きなのに、愛しているのに、それを知らないくせに金目的だと思ってなんなんだ。<br> 本当に悔しかったです。それと同時に、この両親からは一生理解が得られないことも悟りました。<br><br> その日からです、彼が18になって、2022年の4月を迎えて18歳が成人になったら、駆け落ち同然に籍を入れてしまおうと。<br> 私の家族は、それにこそ理解は示しませんでしたが、私たちの関係は認めてくれていました。だからこそ、それならば片方の親くらいと思っていたのです。<br> 彼もその日が待ち遠しいと、口癖のように言っていました。あと何ヶ月、なんてカウントダウンまでしながら。<br><br> そしてそのあたりからです、彼が余計に家が嫌になり、こっそり私に会いに来るようになったのは。<br> 会いに来るようになり、帰るのが嫌になり、滞在期間が徐々に長くなり、ついには学校の日にしか帰らなくなっていました。<br> 彼が親になんと言って誤魔化していたのかは知りません。ですが最近では、生きていて連絡さえくれればいいと言われるほど、容認されていたそうです。<br><br> 彼が18を迎えた後の7月下旬。居候していた同級生と私たちは、徐々に不仲になりました。一緒にいると悪いところが見えてくるが故です。同級生が根っからの悪人だとは今も昔も思ってはいません。<br> それから彼は、ここをでて二人で暮らしたいと口々に言うようになりました。<br> しかし情けないことに、私には家を借りるだけのお金がありません。だからごめんねと、出ていけないんだよと、そう言っていました。<br> その頃には1匹の猫ちゃんもいました。5月上旬に彼と共に、彼の地元に行く時に拾った捨て猫ちゃんでした。<br> 彼は、彼に懐いた子猫に対して<br>｢この子は目が見えてる、捨てられる瞬間を見てる。見殺しにできない、俺が責任もって育てるから、連れて帰る｣<br>そう言って連れて帰って来ていました。<br> 7月にもなると、子猫もそこそこ大きくなり、鳴くようにもなって、同級生の家はペット禁止で、出ていかないととは私も思っていました。<br> ですがどれだけ考えても、先立つものがありません。<br> そんな私に彼は、進学のための貯金を使うと言ったのです。もちろん猛反対しました。学生のあなたがそこまですることない、それこそお金目的と言われたら言い返せなくなってしまうと。<br> でも彼は、俺がそうしたいから、進学も親に言われただけで俺が行きたいわけではなかったしと、家探しを始めようと言い出したのです。<br> そして見つけた、ペット可の2DK。色々あって、ここにたどり着きました。その日のうちに内見に行き、その日のうちに契約書に判を押しました。最後まで私は金銭のことで渋っていました。<br> だって彼は住所を移動させられない、名義は全部私。それなのにお金だけ彼に出させるなんて、彼女としても社会人としても失格だと思ったのです。<br> でも、俺がそうしたかったからだよ、二人になりたかったからだよと、彼はずっと私を励ましました。<br> ごめんねと、情けなくて何度も謝りました。<br>｢謝って欲しくてやったわけじゃない。それなら、どうせならありがとうって言われたい。だからこれ以上謝るなら怒るよ｣<br> そう言われてしまっては、何も言えませんでした。<br><br> 7月下旬から、二人と一匹の生活が始まりました。<br> とても幸せで、お金が無くても彼がいればそれでいい。今まで努力が大嫌いだった私が、彼に｢大丈夫、俺がそばにいるから｣と言われるだけで自分を奮い立たせて、弱音を吐きながらも頑張りました。<br> 毎日朝早くから仕事に出て、夜遅くに帰ってくる私に、彼は毎朝私より早く起きてお弁当を作って、〇〇(大分前からはもう名前で呼ばれていた)朝だよと、起こしてくれて。<br> 帰ってくればおかえり、お疲れ様、よく頑張ったね。<br> 寝る時は腕枕をしてくれて、腕を広げて、おいでと言ってくれた。私が眠るまでぎゅっと抱きしめて、頭をずっと撫でてくれた。<br> 私が残業をして、疲れて帰ってきて、眠くて仕方がない時、ご飯もつくらないといけないのにと言うと<br>｢いいから寝ろ、あとのことは俺がやっておくから、大丈夫だから｣<br> そう言って寝かしつけられてしまいました。彼がそうしてくれなければ、きっと私はほとんど夕飯を食べてはいないでしょう。<br> 彼はその合間に、学校から出された大量のレポートや、朝7時から7時間勤務のバイトをこなしていたのにも関わらずです。<br> 本当に私を愛してくれていたと、私のことを最優先にしてくれていたと、胸を張って言えます。<br> 逆に、私は何かを返せていたかと、とても不安になります。<br> 〇〇の前でだけだよ、こんなに笑えるのは。<br> 〇〇で本当に良かった。<br> そんなことを言って貰えるほど何かをできていたか聞かれれば、全く自信が無いです。<br> そのくらい、私は愛されていました。<br><br> そんな生活がずっと続けば、厳しい金銭状況でも頑張れる、そう思っていました。<br> しかしそんな生活は、4ヶ月を迎える前に終わりました。<br><br>丁度先週、私が愛した、私を愛してくれた、何よりも大切な彼が、私が到底届かないところに旅立ちました。<br> 交通事故でした。車に跳ねられ、頭を打って、救急車が来た時には心臓も止まって、呼吸もしていなかったそうです。<br>喧嘩別れでした。彼は私に、ごめんねも言わせてくれぬまま、酷い言葉をかけたまま、寂しげな後ろ姿を最後に逝ってしまいました。<br><br>あの日も、彼の学校のために一緒に彼の地元に行っていました。ですがあの日は私の偏頭痛が酷く、大丈夫といつもの様に彼が声をかけてくれない事に腹を立て、運転だけしてほとんど口を聞かなかったのです。<br>そしてとある場所に送ってくれと言われた時に、私は、私のことをドライバーとしか思ってないのかと、そんな心無い言葉を投げました。<br> それを聞いた彼は、私にそう思われたくないからと、徒歩1時間もかかる距離を歩いていったのです。<br> その帰り道に、車に跳ねられたそうです。<br><br>私たちはお互いに位置情報を共有していました。あと30分で着くと言われてから10分後、それまでしていたLINEも既読がつかなくなり、位置情報が全く動かなくなりました。<br>喧嘩していても不安になった私は、待っていた場所を移動し、徒歩でその場所まで向かいました。もし親と話していたら、車だと目立ってしまう、そう思ったからです。<br> LINE通話をかけても出ない。充電が切れたのかな、だから位置も動かないのかな。そうおもって直電をかけました。耳元でなるコール音。スマホの電源は入っていました。<br> 何かあったのか、焦りながら位置情報の場所まで向かいます。合流したら、喧嘩していたことなんて忘れて抱きつこう、心配したっていっぱい泣こう、そう思いながら歩きました。<br> 道は街灯もほとんど無く、真っ暗でした。スマホの懐中電灯をつけて歩かないと、足元も怪しいくらいに。<br> そして近づくにつれてなにか見えてきます。複数のパトランプ、それも事故の時に見る黄色いもの。<br> 遠くから見て、彼の位置情報の場所に見えました。違う、そんなわけない。きっと事故を目撃して事情聴取でもしているんだ。そう思いながら足をはやめました。<br> 近くに行くと、やはり事故でした。おびただしい血溜まりと、飛び立った車の破片。思い切りヘッドライトやフレームの歪んだ車。どれだけ大きな事故かなんて、一目でわかりました。<br> 血溜まりを見て、心臓が早くなりました。位置情報は間違いなくここです。きっと彼じゃない、話をしているだけだ。そう思いながらさらに近づきました。<br> そこに落ちていたのは、先日私が買ってあげたばかりの、彼のスニーカーでした。<br><br> 膝から崩れ落ちるとはああいうのを言うのだなと、初めて経験しました。関係者ですかと駆け寄ってくる現場検証中の警察官。<br> 知り合いの位置情報がここなんですと伝えると、名前はと聞かれて、彼の名前を伝えると、人身事故ですと。<br><br>ごめんなさい、これ以上は書きたくないです。辛くて、今も指が震えます。<br><br>私との関係を全て説明して、搬送先を聞きました。身内じゃないからと断られました。<br>容態を聞きました。身内じゃないからと断られました。大きな事故なのは間違いないとだけ言われました。<br> 聞いたことは全て、身内じゃないからと断られました。何か必要があれば連絡するからと、私の連絡先を控えられました。<br> 私の知りたいことは何も聞けないまま、現場の立ち会いだけさせられました。ここに倒れていたとか、これは直前にきていたものですかとか見覚えのあるものしかないんです。<br>本当に彼だと理解するしかありませんでした。でも何も出来ない、親と不仲の私はここにいることさえ許されない。だから連絡も取れない。<br> 彼は無事だと信じて、私は車に戻りました。家族や職場や、彼の職場に電話をかけて事情を説明しました。色んな人に、大丈夫だから気をしっかりと声をかけられました。<br> それから数分後です。彼の母がSNSで、彼が亡くなったことを報告していました。叫びました。嘘だと、そんなわけないと、彼は私を一人にしないと。<br><br> そこからの記憶はあまりありません。とにかく家族がむかえにきて、気づけば私は実家にいました。<br>警察から連絡はきませんでした。<br><br>彼の家族に嫌われている私は、最後に顔を見ることも、お別れを言うことも、お通夜に出ることも、お葬式に出ることも、お墓参りにいくこともできません。<br>電話もしました、二度と連絡してくるなと言われました。<br>彼の母からA子さん伝いに、家に来て線香をあげに来ることも絶対にしないでくれと言われました。<br><br>私は、直前まで彼が暮らしていた痕跡がありすぎる、彼の残した家と、自分たちの娘同然の猫ちゃんだけを残されて、生きる意味を失いました。<br>俺のために生きてくれと言われてから、私は本当にその為だけに生きてきました。<br><br>親には死ぬなと言われました。自殺騒動で警察沙汰にもなりました。それでも何も響かないんです。<br>私の時間はあの日のまま止まっています。進むための方法も見つかりません。<br><br>彼が残した家を捨てたくありません。猫ちゃんも捨てたくありません。<br> でも一人であの家で生きていくには辛すぎて、何も考えられません。<br><br>私のあの一言がなければ、私があの時一緒に車で行っていれば。私が彼を。<br>そんな重みに耐えられるほど私は強くありません。<br><br>どうやってこれから生きていくかも、生きていけるかも何も分かりません。<br>それでも、少しでも、私たちが愛し合っていたと知ってもらえればと、書きました。<br>確かに私たちは愛し合っていて、二人で生きる未来を夢見ていたのだと、一人でも多くの人に分かってもらいたくて、書きました。<br><br>心の整理はまだつきません。それを支えてくれた彼は、もういないから。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211121/12/toraneko0825/97/4b/j/o4032302415034756880.jpg"><img width="400" border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211121/12/toraneko0825/97/4b/j/o4032302415034756880.jpg"></a><br>
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<pubDate>Sun, 21 Nov 2021 12:50:00 +0900</pubDate>
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<title>誰よりも愛している彼が、この世を去りました。</title>
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<![CDATA[ 自分の気持ちの整理のためにもかきます。。文章も読みにくいうえに長いです。<br>長いので、これは前半です。<br>少しでも多くの人に、私たちは確かに愛し合っていたのだと知ってもらえればと、文字にします。<br><br> 私は先日、11月18日に23歳を迎えた成人女性です。<br> 私の彼は、今年に18歳を迎えた高校生でした。<br> そして、300キロを超える遠距離恋愛でした。<br> きっと読んでいる方の中には、ここで顔をしかめる方もいるでしょう。<br> ですが私たちは本当に、本気で、他のものを全て切り捨てる覚悟で愛し合っていました。事実彼は家族を頼らず、友人との交流を断ち、私との生活を最優先にしてくれました。<br> 私も家を飛び出し、金銭が厳しくても家族を頼らず、友人との交流も断ちました。彼がいればそれで良かったのです。<br><br> 私たちの出会いは、彼の母を通じてでした。<br> 私も彼の母もSNSでとある活動をしていました。私は19の時に卵巣の病気で手術をしていて、その自宅療養の際に時間をもてあまし、同じ活動をしている方々と交流を始めたのです。<br> その中で出会った一人が彼の母でした。当時彼は15歳です。<br> その頃はまだ、彼の母との通話を介して、後ろから彼の声が聞こえてくるだけでした。<br> 息子さんいるんだ、こんな子なんだ。その程度にしか思っていませんでした。<br><br> 私が21になった頃、私が他のSNS繋がりの方とも通話をするようになり、彼の母と別の方と私の３人でよく通話をするようになっていました。<br> その中で別の方、A子さんとしましょう。A子さんと私がよく同じゲームをマルチプレイでしていることに彼は気付きました。<br>｢一緒にやりたい！｣<br> そう言った数日後には、彼の母から｢息子が一緒にゲームをするのにLINEをあげてもいいか｣と聞かれ、承諾しました。<br> そして程なくして、同じゲーム買ったよと、交換したばかりのLINEに、私たちがよくやるゲームソフトのパッケージの写真が送られてきました。<br> それからは私と彼とA子さんとの三人でゲーム通話をすることが増えました。<br> その頃から彼は<br>｢ねえうちに遊びに来ないの？来てよ！｣<br>とよく言っていました。後に彼に聞いた話だと、彼の母と会った時の写真で私のことを知っていて、見た目が好みで話も合うからと、既に気になっていたそうです。それが恋心とは私は愚か、彼自身も付き合う直前まで気づいていなかったそうですが。<br> その夏、8月。コロナ禍でお盆に予定していた私の旅行が潰れました。そこで、迷惑だろうとは分かりつつも彼の母にお願いし、3泊4日で彼の家へ遊びに行くことになりました。<br> そこでの4日間が、私に大きな影響を与えました。<br><br> 私は元々いじめられっ子で、見た目や性格にとてつもない劣等感を抱いています。今でもそれは変わりません。<br> その気持ちから、いわゆる自傷行為というものをすることもしばしばありました。人に絶対見えない箇所にです。<br> そんな私を彼は、通話でこそ話しても初めて会ったにも関わらず見抜いたのです。<br>｢無理に笑わなくていいよ、頑張ったね｣<br>と。<br> 私は家族にも頭を撫でられた経験があまりないです。他人になんてもってのほかで、男性が余り得意でない上に、劣等感から私にはみんな触れたがらない、触れると嫌な思いをするという強迫観念から人と触れ合うことを極端に避けていました。<br> そんな私に彼は優しく声をかけながら抱きしめ、そっと頭を撫でてくれました。彼女でもないのにです。<br>私は涙が止まりませんでした。初めて本当の人の優しさに触れた気がしました。<br> たった数時間で私を見抜いて、自分から触れに来てくれた彼に、きっと私は既に惚れていました。<br> 口下手で不器用な、説明をしても人に伝わらないからと自分の気持ちを隠し続けてきた私の辛さを、説明無しで見抜いた彼が、私を暗闇から頭一つ分引き上げてくれたのです。<br> そこからの3泊4日、私はきっと気を引きたかったのでしょうね。<br>  一晩目はわざと彼の部屋の床で寝落ちて怒られました。床で寝ないで布団で寝てと。今になって彼に聞くと、大切な人だから床なんて場所で寝て欲しくなかったんだと思うと言っていました。<br> 二晩目は、私に用意された部屋にあった布団をわざわざ持ってきて、彼の部屋の床で寝ました。私のための部屋にはエアコンがなかったので、エアコンがある彼の部屋がいいなどと理由をつけました。 <br> 三晩目は、ふざけて彼のベッドに寝てしまうぞと言ったらいいよと言われ、勢いでベッドで二人で寝ました。過ちなどはもちろん無いです、本当にただ眠っただけです。<br> 強いて言うなら怖い話の苦手な彼に私の経験談を聞かせ、震えさせました。彼は私のことを〇〇氏(丸の中は私のSNSネーム)と呼んでいたのですが、怖くて震える彼は、<br>｢〇〇氏ぃ……ぎゅってしてぇ……｣<br>と甘えてきました。可愛くて仕方なかったです。そしてトイレにいって抜く予定だったのになんて冗談半分に言っていました。後に聞いたら本気だったらしいですが。<br> 夜はそんな感じで、4日間の日中は彼の母の車で一緒に出かけたり、いつも一緒にやっていたゲームを同じ部屋でやりました。テレビゲームなのに、一緒にやりたいが為に私は車に積んで一式を持っていったのです。<br> 4日目は、私たち共通の趣味であるとあるアニメの映画の公開日で、三人で見に行きました。見に行った後、私は少し後悔しました。彼が映画のことでいっぱいいっぱいで少し素っ気なくなったのです。本人にそんなつもりはもちろんなく、付き合ってからその話をしたらたくさん謝罪をされました。少しからかっただけでしたが。<br> そんな状態のまま、別れの時間になりました。忘れ物を確認する振りをして、彼と二人っきりになる為に家に戻りもしました。<br> また抱きしめてくれるかな、そんな淡い期待を胸に。<br> しかしまだ映画のことで余裕のない彼は何もしてくれませんでした。私はとても寂しくて涙が出そうでした。これでも恋だと気づいていなかった私は、相当鈍感なのでしょうね。<br> 帰路に着くべく私は車に乗りました。来た時と同様に、下道で帰ります。車を出して10分も経たないうちにボロボロと涙が止まらなくなりました。少し酸欠になって腕が痺れるほど泣きました。<br> 彼と、A子さんとのチャットグループに通話したいと連絡をしたら、すぐに2人は来てくれました。彼もとても心配して、また遊びにおいでと言ってくれました。絶対行くと、そう返しました。<br><br> それから一週間後、手術の影響で金銭的に厳しく、家に生活費を入れられなかった私は家族との不仲が加速していました。<br> 追われる支払い、国からの催促、6時間を超える無賃残業に入れて貰えない社会保険、週67時間勤務にも関わらず月収14万程度。さらに家族からの圧力で、私の心はもう折れていました。<br> それを聞いた中学の同級生が、使っていないうちの祖母の家に一緒に住むかと声をかけてくれました。<br> 私それを承諾し、密かに、家を出たならそのまま死んでしまおうと本気で思っていました。<br> 引越し当日、同級生に彼の話をしていました。こんな子で、こうしてもらって、私は泣いたなど他愛のない話です。<br> 他人に話すことで、だんだん私も気づきました。ああこれは、好きなのだと。<br> 同級生にも、それは恋だよと言われました。でも私は近々もう人生を終わらせるつもりだったので、どうしようとも思いませんでした。<br> そもそもその時私は21、彼は17。学年で言うと5つ、その時の歳なら4つも離れています。彼からしたらおばさんと言われても仕方ないと思っていました。<br> そんな私から好きなどといわれても困らせるだけ、気持ち悪がられるだけ、そう思いました。<br> でも、それなら逆に、きっぱりぼろぼろに振られて未練も何も無く全てを終わらせようと思いました。<br> その日の夜、いつものように私と彼とA子さんでゲームをしました。A子さんが眠って、同級生が眠ってから、私は家のすみに移動して彼とふたりで通話をしました。<br> 好きになってしまったと素直に話しました。けれど私には借金もあって、育ちも良くなくて、ひねくれていて、可愛げもない女なのだと、それらも全て素直に話しました。<br> そのうえで、彼は考えて少し待ってと言いました。けれど待ってと言われていい返事を貰ったことの無い私は、振られると、そう本気で思いました。<br> 通話が終わったのは私の出勤時間の約一時間前、朝の5時半でした。<br> 当時配達業だった私は、配達に出てしまえば車の中では自由です。だから彼と話がしたくて、仕事中でしたが電話をかけました。<br> 彼の声を聞いた私は、気がおかしくなりそうでした。振られると思っていたからです。もうこの声が聞けないのだとそう思って、気が狂いそうでした。<br> 早く振ってくれ、仕事をしながらもそう泣き叫ぶ私に彼は<br>｢大丈夫、大丈夫だから落ち着いて｣<br> 優しく言い聞かせるように私に言いました。そんな彼に私は<br>｢なにが大丈夫なの！早く振ってよ！期待させないでよ！｣<br> そんなふうに怒鳴っていた気がします。<br> 狂ったように泣き続ける私に彼はため息をついていました。愛想をつかされた、そう思いました。<br> しかし彼から出てきた言葉は<br>｢俺も好きだから。俺みたいな子供で良ければ、〇〇氏のこと助けたい。話聞いてさ、俺しか助けられないなって思った。今まで頑張ったね、寂しかったね、辛かったね。そんなの忘れるくらい、これからは俺が助けていくから、一緒にいるから。俺のために生きて欲しい。本当はこんな仕事中じゃなくて、ちゃんとした時に言いたかったんだけどなぁ｣<br> 困ったように、そんなことをさらっというのです。17歳とは思えませんでした。<br> 借金もあるよ、可愛げもないよ、素直でもないよ。私は何度も確認をしました。<br>｢借金は高校生の俺じゃ助けられないけど、頑張る〇〇氏を支えていくから。素直じゃなくてもいいよ、それに俺は可愛いと思ってる｣<br> 彼のその言葉で、私は救われました。この人を好きになったのは間違いではなかったと、そう思いました。<br> そしてその日から、大人たちには言えない交際が始まりました。<br><br> 正直、楽かと言われれば絶対にそんなことは無いと否定できるくらい、大変な付き合いではありました。<br> 交際開始から2ヶ月後、付き合ってから初めて彼に会いに行きました。<br>週休二日を使って、仕事終わりにすぐ彼の元へ向かって、休憩含めて8時間以上の運転。一日目の日中遊んで、夜に彼を帰して自分は車中泊。二日目にまた日中遊んで夜に私は出発。<br> ほぼ朝に帰宅して、1時間ほど仮眠をしたら出勤。それを月に2回ほど。<br> 相手の親にはバレないように、私の慣れない彼の地元をこっそりと、車を走らせて出かけました。<br> ラブホテルなんかも行きました。彼の望みでそういうこともしました。<br> 男性が苦手な私は驚きました。彼になら何をされても嫌ではないと、そう気づいて誰より驚きました。<br> 元彼の触れ方とは違う、自分の欲のためではなく本当に心からの愛情表現としての触れ方。初めてそれを知りました。あんなに心地の良いものだとは知りませんでした。<br> それから段々と、彼は夜にも家を抜け出すようになり、一緒に車中泊をするようになりました。流石に危ないからと、帰った方がいいと諭したのですが、私と一緒がいいときかなくて私は根負けしました。<br><br> 2020年11月。私の誕生日だからと、誕生日付近の1週間だけ私の地元に遊びに来てくれました。彼の親には友達として、遊びに行くということで許可は取れたそうです。<br> その頃私は、元いた同級生の祖母の家が解体されるとのことで、別の同級生の家に居候していました。その家に、彼は遊びに来ました。<br> 同級生とも仲良くなり、彼は同級生にお姫様抱っこなんてされて、とても楽しそうでした。<br> そこで、地元に帰る前に彼が、離れるのなら繋がっていられるものが欲しいと言うので、近くのショッピングモールにペアリングを買いに行きました。<br> 彼の家は海の近くなので、潮風に負けないもの。その時の私の仕事は力仕事なので、圧力に負けないもの。<br> 二人で一生懸命選びました。二択まで絞った時、デザインが少し派手で安いものと、デザインがシンプルで値段の高いもの、その二つでとても悩みました。<br> しかし彼が、ずっと付けるものだからと、高い方を選びました。<br> お代を払おうとした時、俺が払うと、彼は財布を取り出しました。流石に私は社会人で、彼は学生、出させる訳には行かないと言ったのですが<br>｢一生かけて返して、俺のそばにずっといて｣<br> 少し強めに、そう言われました。言い返せませんでした。<br> 満足そうに会計を済ませ、その場でつけますと伝えて二人でお揃いの指輪をはめてお店を後にしました。<br> 指輪を嬉しそうに眺め、中身のない紙袋を大事そうに抱えながら、車に戻りました。<br> シンプルだから結婚指輪みたいだねなんて、笑いながら手を繋いで車まで歩きました。<br> その数日後、彼と私は喘息の発作が出るほど泣きながら別れました。帰りは高速バスでした。<br> 彼の乗ったバスが見えなくなるまでずっと眺めました。声がかれるほど、嘔吐くほど泣きながら。<br> ここで私たちは、自分たちが思っている以上に愛し合っているのだと自覚しました。<br><br>一度ここで切ります。読んでいただけるのなら、続きも読んでいただければと思います。
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<link>https://ameblo.jp/toraneko0825/entry-12711449056.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Nov 2021 11:26:00 +0900</pubDate>
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