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<title>再発や転移では無く、二度目の癌になった30代のお話</title>
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<description>20代で子宮頚がん全摘。その後、約10年間、再発や転移は無く安心してたのに…30代で軟部肉腫に。現在、抗がん剤治療中。二度も癌になる私のレアな人生。そんな私のブログです。</description>
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<title>15章　インターバルと幸せな夏</title>
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<![CDATA[ <p>夏の夜空に花火がきれいに咲くころ、<br>妻は足を引きずらないと歩けないほどになっていた。<br>今思えば痛み止めもおそらく僕が知っているタイプのものではなく、<br>さらに強力になっていたのだと思う。<br>痛み止めが効いている間は「足の付け根が痛い」とはあまり言わなくなったが、<br>「足が上に上がらないって感じ」とよく妻は僕に言った。<br>力を入れても入れても足を上にあげることが難しいそうだ。<br>病気になる前にはいつもキビキビ歩く妻が、</p><p>今はお年寄りの電動車いすに追い抜かれるほど、いつもゆっくりとゆっくりと歩いた。<br><br>8月に差し掛かると飽和する状態が続いた。<br>抗がん剤を打った日から2～3日はほぼ絶食に近い状態、<br>3～7日で徐々に固形物が入るようになり<br>7～10日の間はいつも通り元気な妻になるというサイクルを繰り返した。<br>「このサイクルがずっと続いてくれたらいいのになぁ」とさえ思うほどだった。<br>妻はいつもこの元気な3日間に妻の予定を調整して入れていた。<br>古河の花火、妻の両親を僕の自宅に呼んでの土呂の花火、<br>妻の友人とのランチ、韓国アイドルのライブ。<br>全てが妻の容態が良い時に予定をうまくコントロールしていた。</p><p></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190115/18/toto-3150/ad/eb/j/o0750100014339473583.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190115/18/toto-3150/ad/eb/j/o0750100014339473583.jpg" border="0" width="400" height="533" alt=""></a></div><br><br><br>秋に近づくと僕は仕事で出張が増えた。職業柄年末が商戦となるので、<br>秋口は年末に向けての打ち合わせなどで、<br>いろいろな会社の立食パーティなどに呼ばれることが多いのだ。<br>僕は家を空けることが多かったが、とにかく僕は妻が心配だったので、<br>昼食を食べるちょっと空いた時間、<br>コーヒーを買いに行くというちょっとした時間でも<br>数秒でも数分でも必ず妻に電話した。<br>「今日の体調はどないでっか？？」とさっきまで一緒にいたのに妻に最初に必ず聞いた。<br>「今日はなんかしんどいの…」とか「今日はね、調子いいよ？」など<br>その日によって妻のセリフは違っていた。<br><br>妻の病院にはこのころから毎回付いて行って、毎回先生の話を直接聞いた。<br>妻の様態は良くも悪くも進展なしというイメージだと毎回説明を受けた。<br>ずっとこのような飽和状態が続いたこともあり<br>「このまま40歳とかになるまで、ずっとこのままなんだろうな」と僕は勝手に確信してしまった。<br>ただ、このころの僕たちは妻が癌と闘病中だったが、<br>毎日ずっと一緒にいて、少し離れても必ず電話をして、<br>電話ができないときはLINEをして、<br>普通のカップルではできないくらい、ずっと二人の時間をシェアしてとても幸せだった。<br>「このままでいいから、ずっとこのままの時間が続けばいいね？」と妻に言うと<br>妻も「病気だけど、すごく今楽しくて幸せだよ」といつも言ってくれた。<br><br>手足が不自由な人がいるように、目が見えない人がいるように、<br>癌という持病があるだけで、何ら他の人と変わらない…<br>「どうかこのまま代わり映えしない毎日が来ますように…」と<p></p><p>今日も自宅から見えるジオラマみたいに見える東京の夜景を前に</p><p>僕は心の中で毎日必ず祈っていた。</p><p></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190115/18/toto-3150/e1/51/j/o1080081014339473590.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190115/18/toto-3150/e1/51/j/o1080081014339473590.jpg" border="0" width="400" height="300" alt=""></a></div><br><br><p></p>
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<pubDate>Tue, 15 Jan 2019 18:52:04 +0900</pubDate>
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<title>14章　2回目の抗がん剤の始まりと、蚊の鳴くような声</title>
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<![CDATA[ <p>6月にの半ばに差し掛かるころに、<br>先生が言う「お薬を変えて…」という2回目の抗がん剤治療が始まった。<br>2回目の薬は僕から見ても、とても苦しそうだった。<br>「今回のお薬は髪の毛が生えます」と聞いていたので、<br>軽度のものになったのかと思ったのだが大違いだった。<br>今回の抗がん剤はとにかく投薬して4～5日は大半をベッドで生活しないと<br>気持ち悪くなったそうだ。<br>また、前回との違いは投薬して2～3日は「カロリーメイトゼリー」でさえ<br>全部飲み込むことさえもできなかった。<br>一日かかってやっと一本を消化できるかどうか？というくらいしか<br>食事ができなかった。<br><br>6月から7月と日を追うごとに痩せてきていることが<br>日に日にわかるくらいになっていた。<br>ただ、本当にゆっくりゆっくりと歩けば、<br>足を引きずらなくても歩ける程度だった。<br>15分以上歩く距離はちょっときついようで、<br>それ以上歩くのであれば休憩を必要とした。<br>また自宅ではベッドにいながらマッサージ器でマッサージをしないと<br>とても痛かったらしい。<br><br>調子よく食べられる日はとことん量を食べさせたいと思っていた。<br>「今日は何を食べたい？？好きなもんなんでも食わせたげるから、好きなもの言って？」と僕は言うと<br>たいてい決まって一番最初は<br>「まこちゃんのうどんが食べたい」と必ずいった。<br>とにかく栄養を少しでもと思い<br>「ほな、鳥のハリハリ月見うどんにしよか」というと、<br>妻はこれ以上ない笑顔で頷き、僕の方を見た。<br>鳥のもも肉と水菜、卵を入れて、1.5玉にしたうどんを<br>毎回こぶで出汁をとった下地からカツオとアジや煮干しなど、<br>たくさんの小魚ミックスを入れて出汁をとった。</p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190110/23/toto-3150/66/c0/j/o1080108014336784770.jpg"><img alt="" border="0" height="400" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190110/23/toto-3150/66/c0/j/o1080108014336784770.jpg" width="400"></a></div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><br>抗がん剤が続くにつれて、妻はぐったりしていたが、<br>自分の予定は抗がん剤より1週ほど経ってから入れるように心がけていたようだ。<br>自分の好きな韓国アイドルのライブに友人や妻の母と一緒に行く予定を逆算して<br>抗がん剤の日を調整し、なるべく誰にも足が痛いことを悟られないように<br>心配されないように隠すことに精一杯だった。<br>妻はもう家の中では足を引きずらないと歩けないほどになっていた。<br>いわゆる足を怪我して引きずっている状態が、ずっと続く感じだ。<br>一緒に住んでからお風呂は必ず二人で入るようにしていたが、<br>今は僕が肩をかさないと風呂釜に入れないほどだった。<br><br>とある夏の日のことだった、<br>僕が仕事から家に帰っても妻はいつもの優しい笑顔を見せてくれなかった。<br>「怒ってるんか？ごめんやって（なんで怒ってるんやろ？？）」と僕は何回も言ったが<br>妻はただ首を横に振るだけで無口だった<br>いつも通り風呂に入ってベッドにまたがるまで、無口な妻を手伝った。<br>今でも心にその風景がすごく鮮明に刻まれている。<br>ベッドに入りシーリングライトにして<br>僕が座ってビジネス本を読んでいる僕の太もも辺りに<br>妻は顔をうずめしくしく泣き出した。<br>「どないしたん？」僕は妻のニット帽を取って、<br>うっすらだが髪の毛の穴が開き、もうすぐ生えそうな頭をなでながら言った。<br>泣いている涙をぬぐっては、その頬をなでるが妻はずっと無言だった。<br>のび太君が泣く様に綺麗に腕で目を隠して泣いていた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div>「ねぇ」妻が蚊の鳴くような頼りない声で僕を呼んだ<br>「まこちゃんはさ、相手が私じゃなかったらもっと幸せな生活ができたんだよ。<br>まこちゃんの大好きな子供が産める人なら、きっとまこちゃんをもっと幸せにできるし<br>まこちゃんのことも友達のことも家族のことも私は幸せにできないから<br>本当にみんなに申し訳ない。<br>まこちゃん、新しい彼女作っていいよ。</div><div>本当にまこちゃんには幸せになってほしいし<br>まこちゃん本当にいい旦那になれるから<br>まこちゃんは私と別れて幸せな人生歩んでほしいよ」とか細い声で言った。<br><br>正直に言うと、どう伝えたら正解かがわからなかった。<br>いつも凛としていて、しっかり者で、そんな弱気な妻を見たのが初めてだったから。<br>「あほか！俺の幸せを本意気で願ってくれるなら、<br>とりあえずどんな状態でもいいから生きていてくれ。<br>1日でも1分でも長く俺の横にいてくれることだけが、俺の幸せや。<br>他に望みなんて何もないよ」と僕はもう本心以外つたえられなかった。<br>妻は泣いたまま動かなくなった。<br>妻の頬に僕の頬を寄せて、「いらん心配すんな。俺はお前が大好きで<br>お前以外の女の人なんていらんねや。<br>子供産めようが産めまいが関係ないし、<br>お前のいない人生の方が俺は辛い。</div><div>俺たちがさ40歳にくらいになったらさ、<br>ちぃちゃんいなくなるかもって準備するから、<br>それまで、あと5年だけでいいから！<br>だからそれまでは絶対に一緒にいてほしい。」というと彼女は泣きながら頷いた。<br>妻は泣き疲れたのだろう、そのすぐ後話することは無く</div><div>泣いた姿のまま寝たが、僕はこの日眠れなかった。<br>この状況を一番辛いと思っているのは僕ではなく、絶対的に妻だったからだ。<br>もう寝ている妻の耳元に「先寝といて、コンビニ行ってくる」と言って<br><br>家で飲んで心配されると困るので、<br>家に入る前に近くの自販機のごみ箱の横で一人空を見上げて飲んだ。<br>もうすぐ古河で大きな花火大会があり、僕たちはそこに行く。<br>そんな楽しみがすぐ手前にある時期だった。<p>&nbsp;</p></div>
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<pubDate>Thu, 10 Jan 2019 23:10:27 +0900</pubDate>
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<title>13章　初めての抗がん剤の結果</title>
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<![CDATA[ <p>初めての抗がん剤は4月の下旬に最後の7回目の投薬で終わった。<br>その後は5月の中旬にCTを取り、下旬に結果を聞きに行くという、<br>まさにトランジットのようなひと月だった。<br><br>妻は「GW明けくらいにお父さんとお母さんと一緒に那須に旅行に行かない？」と言われた。<br>僕は何より体調が心配だったが、投薬を止めた瞬間から<br>少しずつ体調は良くなっているような感じがした。<br>「ほんまに体調大丈夫なんか？」と僕が聞くと、<br>「抗がん剤がなくなってから、ほんと調子いいのよ」と妻は言った。<br>確かに僕から見ても、投薬している時よりとても調子がよさそうな感じだった。<br>妻は次の抗がん剤が始まるまでの間に、たくさんの予定を入れた。<br>友人ともたくさん会い、両親と僕と那須に旅行に行き、</p><p>僕と一緒に何度もお笑いライブに行った。<br>CTを5月の中旬くらいに受けて、結果は5/22日だったので、<br>5/22までは癌のことを一切考えないひと月だった。<br></p><div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190105/23/toto-3150/8b/c9/j/o1080081014333964468.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190105/23/toto-3150/8b/c9/j/o1080081014333964468.jpg" border="0" width="400" height="300" alt=""></a></div><br><br></div>CTの結果が出たというので、僕も同席し埼玉県立がんセンターで結果を聞いた。<br>「足の腫瘍は変化が見られませんが、肺に転移している癌は小さくなっているので<br>抗がん剤の効果はあったと思われます。<br>次はちょっと違う薬を使って、経過を見ていきましょう」と先生が言った。<br>「なんで効いているのにその薬を持続して使わないんですか？」と僕は先生に聞いた。<br>「抗がん剤はたくさんの薬があって、その中で効果があるものを<br>選定して、効果があるものを使う方が効果的だからね。<br>ひとまず肺の方が心配だったので、その薬が効果があって良かったです」と先生は言った。<br>僕は多分先生からすると鬱陶しいくらいたくさんの細かい質問をした。<br>「足のはなんで小さくならんのですか？」<br>「肺への転移はもうなくなったってことでいいんですか？」<br>「通院すれば完治じゃなくても、長生きできますか？」<br>など、今考えるとすごい勢いと形相で先生に質問していたのだと思う。<br><br>がんセンターの先生は言葉の選び方がとても上手く<br>そういった患者さんをたくさん見てきたから僕のようなタイプでも<br>難なくこなしているという印象を受けた。<br>可でも不可でもない、結論が何なのかもよくわからない、うやむやにされる状態で<br>会話は結論付けるものは言わずうまく寸断された。<br>最後の最後に「次のお薬は髪の毛が抜けるお薬ではないので<br>ちょっとずつ髪の毛が生えてきますよ」と先生は笑顔で言った。<br><br>会計待ちの時に僕は妻に<p></p><p>「あいつの言うてること煮え切らんなぁ、ちゃんと全部言えよな」と妻に言うと<br>妻は「まこちゃんが怒ってるみたいに質問したから、<br>圧倒されて先生も嫌だったんだよ」と妻は苦笑いをしながら言った。<br>僕は恥ずかしくなり「そういえば、次の薬は髪の毛伸びるってよ！<br>髪の毛、抜ける前のアンゴラ村長くらいまで生えたら式あげるか？」</p><p>というと妻はとても喜んだ。<br>「生えるかなぁ？？」と妻はほくそ笑みながら、なぜか僕の頭をなでて見せた。<br>「生える生える！ウイッグじゃなくなったら盛大に式上げてやろうぜ！」と僕は言った。<br>「盛大じゃなくて二人でもいいんだけどね」と妻は言った。<br>「あほう！盛大に派手にやるんや、初めての式やろ？ド派手にやったろうぜ！」と<br>会計待ちの僕たちはたくさんの夢を話した。<br>誰を呼ぶのか、どこの席に座ってもらうか、芸人さんに余興してもらおうとか</p><p>一回メモに誰がくるのか書いてみようとか。<br>すごく幸せな会計待ちの時間だった。<br>「治っている、妻は確実に良くなっている。</p><p>もうこのまま通院すれば普通の人と同じくらいは生きられる」<br>と思っていた私が本当に愚かだった。<br>もうすぐ梅雨に入ろうというのに綺麗な晴天の日だった。</p><p></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190105/23/toto-3150/39/68/j/o1080081014333967182.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190105/23/toto-3150/39/68/j/o1080081014333967182.jpg" border="0" width="400" height="300" alt=""></a></div><br><br><p></p>
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<pubDate>Sat, 05 Jan 2019 23:24:10 +0900</pubDate>
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<title>12章　抗がん剤の中期と不思議な色の薬</title>
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<![CDATA[ <p>4月も後半に差し掛かるころには、すでに4回目、5回目の抗がん剤を投与して、<br>髪の毛は露骨になくなっていることが、わかるほどになっていた。<br>「そろそろウイッグ被らんと、わかるくらいになったなぁ」と僕が寝る前に言うと<br>彼女は夜中にも関わらず、ウイッグを被る練習みたいなものをして僕に見せた。<br><br>妻のこのころの病状は、足の付け根の痛みは徐々に増してきたようで、</p><p>痛み止めが切れるといびつな歩き方になった。</p><p>わかりやすく言うと足を引きずるように歩かないといけなくなってしまった。<br>また、前は一度飲めば3日くらいは持続していた強烈な痛み止めも、</p><p>飲んだその日にしか効力がなくなり、効いている時間は半日程痛みが軽減される程度で</p><p>切れてしまってからは数時間はベッドで横にならないと、<br>普通に立ってさえいられなくなっていた。<br><br>4月の後半に妻の両親が妻の大好きな花を見るために、<br>僕も一緒に足利フラワーパークに行こうと誘ってくれた。<br>そこに行く前に少し買い物をしたいと、さいたま新都心にある</p><p>コクーンシティに行こうと妻に言われた。<br>そこでも妻は少し足を引きずっている状態だし、、<br>歩く速度はお年寄りの方と同じくらいの速度になっていた。<br>「ごめんね、歩くのが遅くなっちゃって」と妻は言ったので<br>「俺は普段せっかちで早歩きしかしないから、ゆっくり歩けるいい機会や」と僕は言った。<br>その日は痛み止めをばっちり服用してきたらしく、<br>「足、痛くないんか？」と僕が聞くと、<br>「痛み止め飲んできたからね」と妻は楽しそうな表情をした。<br>妻はどうやらウイッグに似合う帽子が欲しかったらしく、<br>帽子を買って、さいたま新都心でパスタを食べたら</p><p>長居せずにすぐに帰ることを約束に買い物をした。</p><p><br>帰りの電車に乗るときに、「なんか気持ち悪い」と妻が言った<br>幸い、次の大宮駅でたくさんの人が下車した為、席が空いた。<br>「ここに座り」といい僕は妻を席に座らせ、自分はその前の吊革に捕まり立った。<br>明らかに顔色は青く、普段汗を全くかかないというか、<br>夜中の4月なんてまだ肌寒い状態にも関わらず、額にはほんのり汗をかいていた。<br>「もうすぐ着くからな。もうちょっとの辛抱やで」と僕は妻に小さな声で言った。</p><p>すると妻は下を向いたまま、眠ったふりのような仕草をしていた。</p><p><br>最寄り駅についた時には妻はぐったりしていた。<br>立とうとしたが、ふらついたので自分に寄り掛からせ下車した。<br>「ごめん、一回座らせてくれる？」というので、妻を駅の硬い椅子に座らせた。</p><p>やはり4月の夜だからなのか、コートを着ているがまだ肌寒い日だった。<br>僕は「水買ってくるから待っとけよ」と言い、走って水を買いに行き、妻に渡した。<br>何の錠剤かわからないが、妻はそれと水を一緒に飲んで、息を切らせながら座っていた。</p><p>「痛み止めとは違う色の知らない薬だなぁ」と僕は少し違和感を覚えた。<br>僕は妻の頭をなでながら、「ゆっくりでええし、焦らんでいいからゆっくり座りや」と言った。<br>僕の内心は「病状やばいんかなぁ、</p><p>飲んでる薬もヴォルタレンでもないしなぁ。なんか隠してるんか…？？」<br>ものすごい不安が僕の中を走った。<br>僕はそこで妻に言った「次から俺も行けるときは一緒に病院行って、</p><p>結果一緒に聞いてええかな？」<br>妻は疲れ切ってベンチに戻ってきたNBA選手のようなポーズで下を向いたままうなずいた。</p><p>その後薬が効いたのだろう、30分くらい椅子に座った後に、<br>さっきまでの状態が嘘のようにケロッとして家に帰った。<br>東大宮から徒歩1分の僕の自宅に40分以上もかけて帰った日だった。<br><br>数日後、妻のご両親に連れて行っていただき、足利フラワーパークへ行った。</p><p></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190104/21/toto-3150/8d/4a/j/o0810108014333286620.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190104/21/toto-3150/8d/4a/j/o0810108014333286620.jpg" border="0" width="400" height="533" alt=""></a></div><br><br>先日のさいたま新都心での電車のこともあったので、<p></p><p>僕は妻に対してより一層の警戒と不安があった。<br>「両親には言わないでね。心配かけたくないの。私とまこちゃんの内緒の話にしててね」と<br>前日に口止めをされていることもあり、その日は決して病状のことを両親に伝えなかった。<br>ただ、パーク内を歩いていてもすごく妻が気になる。</p><p>特に坂道などがあるときは余計に心配だった。<br>その日はいつも引きずっている足が、普通に歩いているように見えた<br>「いつ痛み止め飲んだ？」と僕が聞くと、<br>「ここに来る一時間前だったから、ばっちりですよ！」と妻は</p><p>モデルのローラの手つきの物まねをしながら冗談交じりにおどけて見せた。<br>その日妻は何ともなく、元気な姿を両親にみせたが、<br>両親と別れて帰りの電車で妻は唐突にポロっと弱音を吐いた。<br>「まこちゃん、家の中だけはさ、杖使って歩いてもいい？」と妻はとても弱気だった。</p><p>多分痛み止めと不思議な薬の効果が弱まってきたのだろう。<br>「もちろんええよ、なんぼでも使いなはれ(笑)俺の前では遠慮すんなよ。」と僕が言うと、<br>「ちょっと今歩くことさえも大変なの、ごめんね」と妻は弱音を吐いた。<br>あしかがフラワーパークの藤が最高潮を迎えた2018年4月のことだった。</p>
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<pubDate>Wed, 02 Jan 2019 23:02:01 +0900</pubDate>
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<title>11章　抗がん剤治療の始まり</title>
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<![CDATA[ <p>入院当日、僕は仕事を終わらせると真っ先に病院へ向かった。<br>妻のお父さんも見舞いにきていたようで、妻と三人で話をしたが、<br>大部屋だったため、そんなに遅くまでは面会できなかった。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181228/17/toto-3150/78/b8/j/o0526039414328866118.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181228/17/toto-3150/78/b8/j/o0526039414328866118.jpg" width="420"></a><br>まだバッサリと切って真っ黒になった妻の髪の容姿に違和感があった。</p><p>当時「にゃんこスター」という空前のブームがあり、</p><p>その芸人の「アンゴラ村長」のような髪型になっていた。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181228/17/toto-3150/07/5a/j/o1000075014328872848.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181228/17/toto-3150/07/5a/j/o1000075014328872848.jpg" width="420"></a></p><p><br>妻は以前働いていた職場を退社し、傷病手当金をいただきながら<br>治療をすることができたので、お金の心配はそんなにしなかった。<br><br>「明後日退院することになったから」と妻は僕に言った。<br>「へ？明後日？？めっちゃ早くない？」と僕は言った。<br>「抗がん剤は初めての人は血液検査だったり</p><p>血圧や体温の変化をよく見ないといけないから<br>検査入院する程度で、抗がん剤治療は基本通院になるの」と妻から説明をうけたが、<br>正直な心境としては長期的になってもいいので、しっかりと治療してほしかっが<br>2018年3月13日に入院し2018年の3月16日の日に大荷物の妻は家に帰ってきた。<br><br>まだすぐに身体に変化というものはなかった。<br>「1回くらいじゃ何も起きないよ(笑)」と妻は言った。<br>僕のような素人は「抗がん剤」というと<br>ドラマや映画で見るニット帽を被った主人公が<br>「オエオエ」と嘔吐しながら治す、お決まりのそれを想像していたが、<br>本当に帰ってきた妻は拍子抜けがするくらい飄々としていた。<br>「なーんか胸がもやもやする程度なんだけど、気持ち悪いから<br>ご飯は当分私のはいいや」と妻はかえって来て数日は<br>カロリーメイトのゼリーを飲む程度だったが、その後はいつも通り</p><p>焼き肉や焼き鳥と僕の作るうどんを好んで食べた。<br><br>2回目の抗がん剤が、そこから10日くらいで行われた。<br>妻はいつも「迷惑がかかるから一人で行くよ」と一人で通院していた。<br>体調の変化や抗がん剤の効果は2回目から、目の当たりすることとなった。<br><br>抗がん剤を処置した日は、基本的には元気で食欲も正常通りだ。<br>そこから数日かけて体内を巡っているからだと思うが、<br>早くて翌日から長ければ3日間くらいは、ひどい倦怠感と<br>胸がもやもやしているといい、ベッドで横になっていたり<br>座っていることが多かった。<br>そして、抗がん剤を打った日は、妻の体臭がほんのり薬剤の匂いがする。<br>3日を超えると抗がん剤の匂いもちょっと落ち着きが出てきて、<br>妻もいつも通りの妻に戻るというものだった。<br><br>3回目の抗がん剤は4月に入ってから行われたのだが、<br>その辺りからすごい量の髪の毛が抜け始めた。<br>それでも鏡の前で「あ～～～すごい抜けてる！掃除機動かして」と<br>まだまだ元気な妻を見て、<br>「この抗がん剤が終ったらきっと治っているんだろう」とこのころはまだ思っていた。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/toto-3150/entry-12429007632.html</link>
<pubDate>Fri, 28 Dec 2018 17:30:50 +0900</pubDate>
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<title>10章　二人の決意と最後の長い髪</title>
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<![CDATA[ <p>病院にかかるようになってから、不思議と妻の咳は止まった。<br>一時的だが何らかの薬の作用が効いていたと思う。<br>時は2018年の1月だったが、3月半ばから本格的に抗がん剤治療が始まるといわれ、<br>それまでは色々な検査をすると病院側から言われたと妻はいった。<br>そのころ妻は痛み止めを飲むと3日くらいは痛みが軽減されていたようで、<br>週に二回くらいボルタレンを服用していた。<br>ただ、小走りなどをするとチクっとした痛みが続いたり、<br>痛み止めが効いている時に、ちょっとした運動をすると、<br>翌日にそのしわ寄せが来るくらいにはなっていたが、<br>普通に歩けるし、まだ抗がん剤をしていないこともあり、<br>傍から見ている僕は「本当に癌なのか？」と疑うほどだった。<br><br>年が変わったと同時に、妻の両親に結婚する旨を伝えに行った。<br>妻のご両親は快く僕の意思を受け止めてくれ、喜んでくれた。<br>僕は妻とその娘を養うために、</p><p>当時声をかけてくれていた上場企業に勤めに出ると妻に言った。<br>保健や年金手続きなどその他のことでも</p><p>個人事業主よりは絶対に家族にとって良いと僕は思ったからだ。<br>当時月額50万総支給の、ボーナス年二回の取締役スタートのとても好条件を提示されたが、<br>妻は「あなたはきっと社長として大成するから、そんな安売りしないでほしい」と言った。<br>その後僕は個人事業主を株式会社に切り替えて、社長になった。<br><br>僕には弟が二人いて、僕は妻と結婚すると伝えた。<br>二人には別々の機会に伝えたが</p><p>最初は僕を小ばかにしていたが、病状を話すと一転して、<br>「男としてとても立派だ」と二人は言って、僕の考えを優先してくれた。<br>ただ、唯一、自分の母親には大反対された。<br>母はすべての状態を受け入れることができなかったようだ。<br>「娘が女子高生というだけでも大反対なのに、</p><p>病気も発病してるなんて」とまぁ、よくある親の戯言だ。<br>「うるせーぼけ！お前にはもう二度と相談もしねーし式もよんでやらねぇよ！」と僕は言った。<br>「ほんと親不孝者！もう連絡なんてしてこんでええからね」と母に言われた。<br>母と僕はそこから疎遠になった。<br><br>時期は春前になっていた。<br>妻はラプンツェルを彷彿とさせる長い髪の毛の似合う女性だった。</p><p>「抗がん剤で抜ける前に、一緒にプロのカメラマンに写真撮ってもらおう。<br>ほんで、喜んでくれたお父さんとお母さんにウエディング姿見せてやりや。<br>それが親孝行っちゅうもんでしょう」というと妻はとても喜んだ。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181226/18/toto-3150/48/1a/j/o1366083614327778365.jpg"><img alt="" height="257" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181226/18/toto-3150/48/1a/j/o1366083614327778365.jpg" width="420"></a><br><br>「今日ね、お母さんとドレス選びに行ってくるよ」と妻は喜んだ。<br>「そうか、来週撮影やもんね。せっかくやしええの選んでおいで」と僕も言った。<br>妻はとても用意周到なのだが、撮影の当日もたくさんの荷物を持ってきた。<br>撮影には数百枚くらい撮影したが、すべての撮影のカットを<br>彼女はカメラマンの人に指示していた。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181226/18/toto-3150/70/16/j/o2048136514327778364.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181226/18/toto-3150/70/16/j/o2048136514327778364.jpg" width="420"></a><br>撮影の翌日には長い髪の毛をバッサリと切らなければならなかったし、<br>髪を切ったその翌日には1回目の抗がん剤をするための入院が待っていた。<br>この撮影が終わったら、勝負が始まるんだな…と僕は腹をくくっていた。</p><p><br>撮影は春も近いのにまだ肌寒い日だった。<br>この撮影が終わった後、僕は彼女に一つ提案をした。<br>「たぶん髪の毛も抜けるやろし、<br>今の長さまで回復するのに3年くらいはかかるやろ？<br>これから毎日二人で写真を撮ろう。<br>俺が酔って帰ってきても絶対撮ってくれ。<br>で俺とちぃちゃんの二人だけのボックスにさ、毎日二人の写真を入れてさ<br>激変具合をさ、また来年なり再来年に見て爆笑しようぜ。<br>きっと結婚式上げるときとかに二人で見返したら面白いよ」<br>というと妻は「いいねぇ！撮ろう撮ろう」と喜んだ。<br>僕たちはそのボックスに「毎日妻と撮る写真」という名前を付けて<br>LINEの画像ボックスを作った。</p>
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<pubDate>Wed, 26 Dec 2018 18:42:30 +0900</pubDate>
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<title>9章　癌発覚！サンタクロースのいらないプレゼント</title>
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<![CDATA[ <p>今日は足の血を抜いてもらうために、妻は埼玉県立がんセンターに向かう予定だった。<br>「まだバファリン飲まな、足痛いんか？」と僕は妻に聞いた。<br>「バファリンじゃ痛いの我慢できないから、ボルタレンというのを飲んでるよ。<br>ちゃんとしたお医者さんに処方してもらうやつだから安心して」と妻は言った。<br>昨晩は寝られなかったのだろう、とても疲れた表情で、まだ咳込んでいた。<br>「ボルタレンか…」なぜか僕は簡単にその名前を覚えた。<br><br>奇しくも、その日僕は健康診断で行きつけの内科に行く日だった。<br>そのついでに先生にボルタレンという薬がどんな薬なのか聞いてみようと思った。<br>「うちの彼女、足に血が溜まってて痛いらしいんすよ。ボルタレン言う薬飲んでるみたいなんですが、<br>先生、ボルタレンってバファリンの強化版みたいなもんですか？」<br>と先生に言うと、行きつけの内科の先生の表情は一瞬でこわばった。<br>「結構きついお薬飲んでるんだね…おそらく処方される中では最強の痛み止めじゃないかな。」。<br>そこで初めてボルタレンというものは、すごくきついお薬なんだと知った。<br><br>夕刻になると妻は病院から帰ってきた。<br>結果よりも先にフワフワのニットに妻の長い髪の毛はとても美しくかった。<br>「落ち着いて最後まで聞いてほしいの…」と妻は言った。<br>僕はすこしPCで作業をしながら<br>「どやった？しゅっと血が抜けたやろ？？スッとするでな、血ぬくと」と妻を見ずにいった。<br>「ねぇ、こっち向いてちゃんと聞いて」と妻が続けたので、<br>しぶしぶパソコンを閉じて、妻の方を見た。<br>妻の表情があまりに真剣だったので、<br>「今日のメイクはとても似合っていて美しいなぁ」と、冗談めかして僕は言った。<br>「足の付け根の血は、ガンだったの。で、リンパに乗って今肺に無数の癌の転移があるって」と続けて妻は言った。<br>「はっ？？わからんわからん。何言うてんねん。全くわからんわ。もう一回ちゃんと言って」と僕はもう一度催促をした。<br>「足の血の塊は、ガンだったの。それがリンパに乗って、肺に」と続けたが、<br>僕は泣いていたらしい、というか、泣いていることにも気づかなかった。<br>大の大人がこれほど人前で大声で泣くか？というくらい大泣きをした。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181226/11/toto-3150/33/72/j/o2364177414327574808.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181226/11/toto-3150/33/72/j/o2364177414327574808.jpg" width="420"></a><br><br>僕は無宗教だったが、それなりに神や先人に向け神仏には<br>なるべく手を添えるほうだったが、<br>神と先人なんてこの世にいないんだと<br>まじまじと突き付けられた気がした。<br>煙草もすったこともない、お酒も飲まない、<br>なんなら健康のためにスポーツもしていた妻に癌があり、<br>元ヘビースモーカー、現在アル中で運動することも大嫌いな僕に全く癌がないんだ。<br>「まこちゃんに迷惑がかかるから実家に…」と妻が言う言葉を遮って僕は言った<br>「うるせ～！結婚する！俺は絶対にお前と別れない！むしろ結婚すんど！<br>絶対俺はお前と結婚するからな！<br>癌なんか一緒に乗り越えて、俺は絶対にお前と結婚して、お前を幸せにする！」<br>と僕は泣き顔のまま言った。<br>衝動で言ったのだとおもったのか、「まこちゃんもうちょっと冷静に」と妻に言われたが、<br>「もともと癌であろうがなかろうが、結婚も視野に入れて俺ら同棲してんから、<br>その辺は冷静やし、安心してくれ。いいから大船に乗った気で、<br>俺に任せとけって、結婚絶対するぞ！」と僕は言った。<br>妻は泣きながら僕に抱きついてきたが、そんな彼女を何も言わずずっと抱きしめた。<br><br>「ガン…」全く考えたこともなかったが、これから妻と二人三脚で絶対乗り越えてやる。<br>悲しいさみしいという感覚よりは「やってやるぜ、絶対治してやるぜ」という<br>バスケの試合前の心境に近い感覚があった。<br>世の中がサンタクロースだのイルミネーションだの言っているクリスマスに<br>ほしくもないプレゼントをサンタクロースは僕らのもとに置いていった。</p>
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<pubDate>Wed, 26 Dec 2018 11:49:19 +0900</pubDate>
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<title>8章　偏屈な同棲と、咳止めで収まらない咳</title>
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<![CDATA[ <p>妻は両親に会ってほしいと言い、</p><p>僕も同棲するのであればご挨拶をしたいと思っていたので、</p><p>妻の親御さんと会うことになった。</p><p>妻に顔がそっくりなお母さんと、妻に性格と仕草がそっくりなお父さんで、</p><p>こんな私を温かく迎えて入れてくれた。</p><p>どうやら娘さんにも同棲の了解も取っているらしく、あとは住む場所さえ決まれば</p><p>同棲できるところまで来ていた。</p><p>物件は東大宮の夜景の綺麗に見える物件に決まった。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181226/10/toto-3150/15/15/j/o1000075014327543953.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181226/10/toto-3150/15/15/j/o1000075014327543953.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>足の血は久喜市のがんセンターより</p><p>埼玉県立がんセンターの方が同棲するところから近いという理由で、</p><p>埼玉県立がんセンターへの変更手続きをしていた。</p><p>親御さんとお会いした晩に、すぐに住むところまでとんとん拍子ですぐに決まった。</p><p>11月上旬に僕が先に引っ越しをすませ、</p><p>2017年の11月19日に妻が娘と引っ越ししてくることになった。</p><p>&nbsp;</p><p>僕は関東に来る理由を作ってくれた友人やその社長に、</p><p>東大宮に引っ越すことを伝えた。</p><p>するとその場にたまたま居合わせた不思議なパートさんから</p><p>聞き捨てならない言葉を聞いた。</p><p>「ちぃちゃん、仕事どうするんですか？」僕は全く理解できなかったが、</p><p>「いや、今までのところで仕事は続けて同棲しようと思ってるんです」とパートさんに伝えた。</p><p>「いや、確か今の会社、元カレと働いてたか、元カレの紹介で入っているから</p><p>同棲することがバレたらやめさせられちゃうんじゃないですか？」</p><p>とパートさんに言われたときに、大きな怒りが生まれた。</p><p>&nbsp;</p><p>元々妻はよく「部長に言い寄られてて、本当に困ってるんだよね」とよく言っていた。</p><p>「そんな嫌やったらそこやめて、俺の知ってる社長の会社に行ってもいいよ」と</p><p>僕は辞めるよう説得していたが、</p><p>「私だけじゃなくて、娘の保険だったりそういうのもあるからもうちょっと続けるよ」と</p><p>週に一度は必ずそういう話になった。</p><p>妻が会社で撮影した写真には僕とお揃いの指輪は、</p><p>必ずと言っていいほどつけていなかった。</p><p>僕は引っ越しを完了し、妻が引っ越してくる1週間前だった。</p><p>&nbsp;</p><p>そこから毎日していた連絡を僕からすることは無かった。</p><p>彼女からの連絡もほったらかしにしていた。</p><p>それ以上に裏切られた気持ちがして、僕はとても不快だった。</p><p>19日引っ越しの日は妻がたくさんの荷物や娘を連れてやってきた。</p><p>僕はそれでも不躾な態度で、まともに話をすることは無かった。</p><p>それでも夜中は絶対に会ってしまうが、それ以外は僕はとにかく一人になりたかった。</p><p>夜ご飯は一人で立ち飲み屋などですまし、</p><p>いつもどこかでべろべろになるまで飲んで帰り、家にはお風呂と寝に帰るだけにしていた。</p><p>「なんで怒ってるの？」と妻はせき込みながら言ってきたが</p><p>「怒ってない、俺はいっつもこんなもんや」と言うだけで話さえしない日々が続いた。</p><p>「（風邪ひいてるからって許さないからね）」と心の中で僕は思った。</p><p>&nbsp;</p><p>ある日、いつも通り酔っぱらって帰宅すると妻はすごく咳こんでいた。</p><p>彼女に対して怒りの気持ちもあったが、</p><p>さすがにそこまで咳き込めば、僕も心配にするほどの咳こみだった。</p><p>夜中もずっとせき込んでいた、</p><p>妻のいつもの美しい声はガラガラにしゃがれこんでいた。</p><p>&nbsp;</p><p>私は気管支が弱く、気管支炎を発症することが多く、</p><p>同じように咳こむことがあったので、咳の治し方は熟知していた。</p><p>マスクと、咳止めパブロンエースを服用すれば3日もあれば</p><p>簡単に咳など治るのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>その夜妻は横になることさえもしんどいといい、</p><p>壁にもたれかかり、座って眠ろうとしていたが、</p><p>咳がひどくとても眠れるような状態ではなかった。</p><p>熱がないかと心配したが、熱は平熱だった。</p><p>僕は「パブロンエースとマスク付けて横になりや。すぐ治るわ」と</p><p>彼女にパブロンエースを飲ませたが、待てど暮らせど</p><p>一向に効いている感じがしなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>咳が出始めたその翌日には</p><p>埼玉県立がんセンターで足の血を抜いてもらう予定だった。</p><p>「明日ついでにがんセンターで咳がとまらんって薬もらっておいでよ」というと</p><p>妻はせき込んだまま頷いた。</p><p>「まこちゃん明日も大事な仕事だから、ここで寝て。</p><p>私は咳でうるさいからリビングにいる」と妻は言った。</p><p>「パブロンエースは効くはずなんやけどな。</p><p>明日がんセンターから帰ってきたら、内科で吸入してもらおうや。</p><p>内科の方ががんセンターよりええで。横の駅にええところある」と妻に言って</p><p>僕は布団で横になった。</p><p>まだすぐに眠れない僕は、リビングでずっと咳こんでいる妻を横に</p><p>今までの非礼を申し訳なく思っていた。</p><p>2017年、12月に入ってすぐのことだった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/toto-3150/entry-12428488685.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Dec 2018 10:41:46 +0900</pubDate>
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<title>7章　周り回って</title>
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<![CDATA[ <p>妻は僕があまりに口酸っぱく整形外科に行けというので、</p><p>整形外科の診療にかかった。</p><p>CTを撮るまでに2週間くらいかかったが、CTもちゃんと撮ってきた。</p><p>妻に結果を教えてほしいというと</p><p>「足の付け根に血の塊みたいのが溜まってて、痛いんだって」と電話で告げられた。</p><p>「なんや血か…」と正直ホッとした。</p><p>「ただ、血を抜くにしても行きつけの整形外科では手術できないから、</p><p>埼玉自治医科大学の紹介状をもらったから今度行ってくる」と妻は言った。</p><p>&nbsp;</p><p>僕の妻は重病ではなかった。</p><p>僕は学生時代バスケットをしていて怪我をした際に</p><p>膝の血を抜いたり水を抜いたりする施術を何度も行ったので、</p><p>血を抜くのがどれだけ簡単で、どれだけ痛いかわかっていた。</p><p>患部に大きな注射針を刺され、溜まった血を抜き出すのだが、</p><p>抜かれている時はとてもスッとするのである。</p><p>僕の妻もそれと全く同じだと思った。</p><p>「良かったやん。大事じゃなくてほんと良かったよ」と告げた。</p><p>&nbsp;</p><p>私たちは「同棲」という目標に向かって、</p><p>超えないといけない大きな試練があった。</p><p>向こうの親御さんの了解と、なにより妻の連れ子の了解だ。</p><p>妻はとある映画を娘が見たいと言っているので一緒に行ってほしいと言われた。</p><p>もちろん断る理由なんてない。</p><p>&nbsp;</p><p>自慢ではないが、関西に置いてきた自分の息子は小学校のサッカー部に入っている。</p><p>長男次男の二人とも男家計だったが、</p><p>サッカー部には伝統の年度末児童へのアンケートがあり、</p><p>長男次男のダブルの年代で</p><p>「自分のお兄ちゃんにしたい」ランキング6年連続1位！</p><p>「自分のお父さんにしたい」ランキング6年連続1位！</p><p>しかも長男の時に1年生のころから6年生までの間、不動の1位で、</p><p>次男の4年生までずっと1位だったので、僕は殿堂入りになるくらい、</p><p>子供の扱いや子供受けはとてもいい。</p><p>おそらく、僕は馬鹿だしドラゴンボールやワンピースなど</p><p>小学生が好きそうなフィギュアをたくさん持っていたり</p><p>その会話ができるから人気があったのだろう。</p><p>心のどこかで「（子供やろ？？まかせといてよ）」と高を括っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>が、僕の自信は一瞬にして崩れさった。</p><p>サッカー部にいる陽気で鼻水の垂れた元気だけが取り柄の男の子ではなく、</p><p>無表情で無口な女子高生だった。</p><p>目も合わせてもくれないし、質問してもうなずくか止まるかの二択しかなかった。</p><p>間違っても僕にしゃべってくれることなどはなかった。</p><p>「嫌われてるんかな？？」といつも思っていたし、</p><p>とても「一緒に住んでみます？」なんて冗談でも言えるような感じではなかった。</p><p>僕は「彼氏」としてではなく、「友人」として娘さんに紹介されていた。</p><p>&nbsp;</p><p>「自治医大行ったらね？」妻が話し始める、</p><p>「おうおう」と僕は相槌を打つ。</p><p>「なんか昔から体調のことわかってくれている久喜市のがんセンターで</p><p>施術してもらった方がいいっていうの」という。</p><p>「ガンセンター？？なんで？」という思いが駆け巡った。</p><p>&nbsp;</p><p>「自治医大って埼玉でも屈指の技術があるはずやけどなぁ…」と思いつつ。</p><p>「それって大丈夫なん？？なんかたらいまわしにされてない？」と僕が聞くと</p><p>「大丈夫よ、ちょっと血が溜まってるだけだし、いつも診察で行ってるから」と妻は言う。</p><p>ただ、血を抜くだけなのに癌センター？？</p><p>&nbsp;</p><p>そういいながらも、「一緒に住む」という目標に向かって日々着々と進んでいた。</p><p>妻はいつも、無口な娘と僕が交流できるよう何度も一緒に食事に行った。</p><p>やはりそれでも無口な娘には慣れなかった。</p><p>妻は実家の近くで、娘も自分もすぐに実家に戻れる場所がいいと言い、</p><p>妻の実家の近所での不動産探しをしていた。</p><p>家賃14万の4LDKのマンション…。家賃が高い…。</p><p>妻はいつも「半分出すから安心してよ」と言っていた。</p><p>当時6万のマンションに住んでいたので、倍以上だ。</p><p>「いや、ちょっと14万はやりすぎっしょ？？」と言ったが</p><p>「この辺りはここくらいしか空いてる物件がないのよ」と妻は言った。</p><p>案の定、審査の段階で落ちてしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>「行くところないね…」落胆した妻とは打って変わって、</p><p>「入れるところにしない？」と僕は陽気になっていた。</p><p>2017年の秋、街には運動会の予行演習が行われていた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/toto-3150/entry-12428057288.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Dec 2018 15:22:04 +0900</pubDate>
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<title>6章　ちょっとした異変</title>
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<![CDATA[ <p>「夏はあまり外に出たくないの」と妻は良く言っていた。</p><p>なので、夏のデートというのはなく、妻は僕の家に来て、一緒にご飯に行って、帰る。</p><p>そんな毎日を過ごしていた。</p><p>「最近左足痛いんだよね」と妻は僕のベッドで</p><p>仰向けになって左足の関節をさすりながら言った。</p><p>よく見る光景だった。</p><p>毎回のように言っていたので「鍼灸院とか整形外科ちゃんと受けて見てや」と</p><p>僕は毎度のように口酸っぱく言った。</p><p>&nbsp;</p><p>「同棲」という目標を達成するため、彼女を親に紹介しようと思っていた。</p><p>幸い、妻の大好きな韓国アイドルが関西でライブをする機会があり、</p><p>僕はそのタイミングで関西にいる母親や地元の友達を紹介するといった。</p><p>&nbsp;</p><p>僕からすると見慣れた「心斎橋」という駅に妻が大きなキャリーケースを引っ張ってきた。</p><p>僕が抱えても重たいくらいの大荷物だった。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181224/12/toto-3150/dc/72/j/o2364177414326255687.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181224/12/toto-3150/dc/72/j/o2364177414326255687.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>キャリーをホテルに入れて僕の母に会いに行く数分前だった。</p><p>信号の青が点滅を初めた。</p><p>「走ろうよ」と妻は言った。</p><p>「ラジャー」と僕が言って走り出した瞬間に</p><p>「痛い！」と左足の付け根を押さえている。</p><p>「関東帰ったらマジで整形外科いくんやで」と妻に言った。</p><p>妻は「ごめんね、こんな痛いと思ってなかった。痛み止め買っていい？？」と言った。</p><p>幸い心斎橋には海外の方向けの薬局が多数あった。</p><p>妻は半分が優しさでできている薬を買い、その場ですぐ飲んだ。</p><p>「お母さんに会うのに遅れちゃうね」といったので、</p><p>大丈夫だとつたえ二人で母に会いにいった。</p><p>&nbsp;</p><p>彼女初の大阪は僕の母、友人に同棲する旨を伝え、</p><p>海遊館に行き、関西で一番有名なたこ焼き屋と</p><p>串焼きを食べに連れて行った。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181224/12/toto-3150/3f/4f/j/o3264175814326255680.jpg"><img alt="" height="226" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181224/12/toto-3150/3f/4f/j/o3264175814326255680.jpg" width="420"></a></p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181224/12/toto-3150/db/fd/j/o1108063814326255678.jpg"><img alt="" height="242" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181224/12/toto-3150/db/fd/j/o1108063814326255678.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>「次はユニバーサルスタジオ連れてったるわな。ユニバいかな関西来た意味あらへん」</p><p>と僕は言った。</p><p>「USJはもっと落ち着いてそれだけを目的に来たいかな」と妻は言った。</p><p>「もし同棲うまく言ってたら来年ちぃちゃんの娘も一緒に連れてきたげるよ。たくさんいた方がきっとおもろいやん」というと、</p><p>妻はこれ以上ないくらいの笑顔で返答した。</p><p>&nbsp;</p><p>その後は足の痛みを訴えることは無かったが、</p><p>僕の友人に会うときや遊びに行くときなど、</p><p>心斎橋にいる間は常に痛み止め飲んでいた。</p><p>「お前にはバファリンよりコンドロイチンが必要なんや(笑)関節なんやから」と僕は言った。</p><p>彼女は苦笑いをしながら、</p><p>「なんなんだろうね？針で刺されたみたいにチクってするの」といった。</p><p>「ストレッチしなあかんよ、ストレッチ！」とスクワットをする僕を見て妻は笑った。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181224/12/toto-3150/b8/34/j/o1108083014326255676.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181224/12/toto-3150/b8/34/j/o1108083014326255676.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>この時はただの打撲か関節痛だとしか思っていなかった。</p><p>こんな重病の元凶となるなんて、これっぽっちも思わなかった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/toto-3150/entry-12428042248.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Dec 2018 12:56:29 +0900</pubDate>
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