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<title>CROWNを和訳していくブログ</title>
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<description>クラウンの和訳を掲載していきます。英文と照らし合わせやすくすることを優先し、多少不自然でも日本語が崩壊しないと思われる限界まで逐語訳を心がけています。</description>
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<title>Lesson1  The Mystery of The Mary Celeste</title>
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<![CDATA[ 1 (p.6)<br>1872年の12月7日、ある小さな帆船が1700バレルの未加工アルコールをイタリアのジェノバへ運ぶために、ニューヨークを出発した。船長（ベンジャミン・ブリッグス）、彼の妻のサラ、2歳の娘のソフィア、そして7人の乗組員が搭乗していた。その船は全長33メートルで、約6ヶ月の航行に十分な水と食料を運んでいた。その船はマリーセレスト号と呼ばれていた。<br><br>2 (p.6)<br>5週間後、マリーセレスト号は外海を漂い、打ち捨てられているのを発見された。船長や彼の家族、そして船員たちはどこにも見つからなかった。マリーセレスト号は幽霊船となっていたのだ。<br><br>3 (p.6)<br>あちこちに小さな傷が見られ、船倉には水があった。しかしながら、積荷は無事で、船は完全に航行可能な状態であった。船長や彼の家族、そして船員たちが極めて突然に消滅したという証拠もあった。彼らは耐水性の上着を着たり、タバコを加える時間もなかったのだ。ある者は一杯の咳止め薬をとり、ボトルに栓を閉める時間がなかったのである。ブリッグス船長、サラ、ソフィア、そして船員たちに何が起きたのだろうか。<br><br>4 (p.6)<br>一つの説は船が巨大イカや海の怪獣の攻撃を受けたというものである。しかし、船のクロノメーターや六分儀や書類もまた消滅していたのだ。海の怪獣がこれらのものを欲しがるであろうか。<br><br>5 (p.6~p.8)<br>他の説は闘争が起きたというものである。船上に血のシミのついた剣が一つ見つかっている。もしかしたら、船員が反乱を起こして船長や彼の家族を殺し、そして小さな救命ボートで逃げ出し、航行のためにクロノメーターと六分儀を持ち出したのかもしれない。しかしながら、その赤いシミは血ではなく鉄のクエン酸塩（その剣はレモンで手入れをされていた）であった。更に重要なことに、ベンジャミン・ブリッグスは公正で立派な船長で、船員は誠実で経験豊富な水夫であった。短い大西洋横断で一体何が反乱に向かわせるのだろうか。そして、仮に船を奪ったとしたら、何故それを捨て救命ボートに移ったのだろうか。<br><br>6 (p.8)<br>マリーセレスト号の謎は1884年に有名になった、何故ならアーサー・コナン・ドイル（シャーロック・ホームズの物語の著者）がマリーセレスト号と呼ばれる幽霊船についての物語を書いたからである。その謎についてのベストセラーとなった本が何冊かイギリスやアメリカで登場した。今日でさえ、マリーセレスト号の謎に関する多くの本やウェブサイトが存在する。<br><br>7 (p.8)<br>その運命を決する航海の数日前、ブリッグス船長は彼の母親に対して手紙を送っていた。彼は航海仲間に対して満足していた、―「我々は非常に良い航海士とまかない長を有している、そして楽しい航海が出来たらと望んでいる。」―そして彼の新しい船についても、―「我々の船は美しい仕上がりで、素晴らしい航海になることを望んでいる。」と書いていた。<br>娘のソフィアについては「彼女は本当に聡明のように思われ、彼女が来たときに患っていた風邪も治り、彼女の細切れ肉料理やバターつきパンへの食欲も一級品であった。今回の航行は彼女にとっても非常にためになると思っている。」と書いた。<br><br>8 (p.8)<br>不幸にも、南東からの強い風により、11月23日のあたりの天気は嵐となっていた。ブリッグス船長は風から逃れるためにアゾレス諸島のサンタマリア島の北を航行することを決定した。25日の朝、午前5時、マリーセレスト号はその島の西の近くにある小さな黒い点印にいた。午前8時には、その島の北西の近くにある黒い十字印にいた。午前8時を過ぎてすぐになにか恐ろしいことが起きて船上にいた皆を急いで7メートルの救命ボートに行かせたに違いないのである。2つの説がある。<br><br>9 (p.8~p.10)<br>1.「アルコール説」：マリーセレスト号の積荷のアルコールは危険なものであった。時間が経つうちに、樽からのガスが船倉に溜まっていき爆発する可能性がある。ブリッグス船長はそれまでにこのような積荷を運んだことはなく、彼の強い敬虔な信念のため彼はアルコールを嫌い、恐れていた。「アルコール説」によると、何かが彼に1700バレルのアルコールが爆発しそうであると思わせなければならない。<br><br>10 (p.10)<br>後にマリーセレスト号が調べられたとき、9個の樽が空であるのが発見された。また、船倉の出入口の2つが茶色に変色していた。もしかしたら小さな爆発が起きて、ブリッグス船長が皆が安全なように救命ボートにいることを決定したのかもしれない。それから、突然の嵐が救命ボートとマリーセレスト号を繋ぐ太い綱を切ったのだろう。（切れた綱がマリーセレスト号に掛かっているのが発見されている。）親船から切り離された小さな救命ボートは直ぐに激しい大西洋の嵐によって転覆されるだろう。<br><br>11 (p.10)<br>2.「海震説」：サンタマリア等の付近の領域では、多くの海底地震が発生する。これらの地震による衝撃は金属の船にでさえも深刻な損傷を与えうる、そしてマリーセレスト号の下での地震の上下動が大きな金属の料理用レンジを動かして、9つの空で見つかっている樽を破壊して、出入口を開けたのであろう。レンジからの煙やアルコールの強力な匂い、そして海震による繰り返される衝撃がブリッグス船長に積荷が爆発したと思わせる可能性も十分に考えられる。<br><br>12 (p.10)<br>マリーセレスト号は無線時代以前のただ一つの幽霊船ではなかった。1849年のハーマニア号や1849年のマラソン号もまた誰も乗っていない状態で海を漂っているのを発見された。しかしそれらは今日では忘れ去られている。しかしながらアーサー・コナン・ドイルの物語のおかげで人々は未だにマリーセレスト号について覚えていて、あれこれ思いめぐらしているのである。<br>
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<link>https://ameblo.jp/tottototottoto/entry-10835638418.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Mar 2011 01:18:52 +0900</pubDate>
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