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<title>6歳のがんサバイバー ～白血病、発達障害を携えて～</title>
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<description>私の次男、shuは4歳で白血病を患った。また、発達障害という特性を持つ。shuとshuが出会った人たちのことについて、言葉での表現ができない本人にかわり、父親が発信していきます。</description>
<language>ja</language>
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<title>父親</title>
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<![CDATA[ ある日、新幹線の中で、<wbr>後ろの席に座っていた年配の女性同士の子育て談義が耳に入ってき<wbr>た。<div dir="auto"><br></div><div dir="auto">「あんなに甘やかしていたら、ろくな子にならない」</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">孫の子育てについてだろうか。<wbr>若い者の子育ての仕方に納得が行かない様子だった。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">ふと、私の父を思い出した。私の父は厳格だった。「<wbr>努力は必ず報われる」が口癖で、<wbr>結果が出なければ努力不足と叱られる。礼儀作法にうるさく、<wbr>怠れば厳しく叱られる。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">子どもの頃は大人しく従うのが正しいと思っていたが、<wbr>思春期になるとその厳格さは窮屈以外の何者でもなかった。<wbr>しかし、その窮屈さが、<wbr>親から自立しようという原動力になっていたようにも思う。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">自分が親になり、長男に対しても、shuに対しても、<wbr>気がつけば私の父と同じようなことをしている。<wbr>父には到底及ばないが、嘘をついたり、約束を守らなければ(<wbr>shuはしゃべることができないので、嘘もつけないし、<wbr>約束もできないのだが…)厳しく叱る。欲しがるものを無条件、<wbr>無制限には買い与えない。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">子の気持ちを察すると、<wbr>自分に対する嫌悪感を覚えるときもあるのだが、<wbr>冒頭の年配女性の「あんなに甘やかしたら…」<wbr>という考えが私の根底にしみついているのだと思う。<wbr>父の教育の賜物ということなのか。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">おそらく父もそうだったのだろう。今ではすっかり丸くなり、<wbr>孫たちにメロメロで、私が子どもたちを叱ると、「<wbr>そんなに厳しくしなくてもいいんじゃない？」<wbr>と後から言うことがある。自分が若い頃にしていたことは、<wbr>忘れてしまったかのように。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">年配女性の子育て談義に話を戻す。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">「あんなに甘やかしていたから、あの子は発達障害になったんだ」</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">確かにそう聞こえた。私が勝手に聞いていた話なので、勿論、<wbr>話に割って入って、反論したりはしなかったが、<wbr>聞き捨てならない偏見だ。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">数年前から、テレビや新聞等で、<wbr>発達障害について取り上げられることが多くなった。<wbr>その障害の存在や名前は広く浸透し、<wbr>多くの人の知るところになった。しかし、<wbr>正しい理解をしている人がどれほどいるのだろう。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">かつて自閉症の原因は、「母親の愛情不足」にあるという憶測が、<wbr>名だたる専門家の間で根強く主張され、<wbr>そのことが多くの母親を偏見にさらし、苦悩を与えてきたという。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">現在でも自閉症の原因は明らかになっていないが、「<wbr>生まれつきの脳機能の障害」という認識が専門家の間で定着し、「<wbr>母親の愛情不足」という説は否定されているという。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">「甘やかしたら発達障害になる」という年配女性の説と、「<wbr>母親の愛情不足が自閉症の原因」という説は、<wbr>いずれも間違っているが、<wbr>育てた親に原因を求めているという点では共通している。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">さて、言葉を発しないこと、<wbr>特定の物事や行為に異常なほど執着することなど、<wbr>私の両親がshuの異変に気づき始めたのは、<wbr>shuが2歳の頃だった。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">その頃はすでに診断を受け、療育も始まっており、<wbr>私たちはshuに障害があることを知っていた。同時に私の両親、<wbr>妻の父(母はshuが1歳になる前に他界)<wbr>にどのように伝えるかを悩んでいた。<wbr>果たして理解を得ることができるのか。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">「正しい知識とともに少しずつ現実を伝えていこう」</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">これが私たち夫婦の一定の結論だった。その決断が、<wbr>正しかったか否かにわからない。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">妻の父は、「まだしゃべらないのかな？」等、<wbr>少しずつ不安を口にすることがあった。私への遠慮があるのか、<wbr>それ以上はなかった。その都度、妻が「<wbr>専門家の診察とリハビリを受けているよ」等と伝えた。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">私の両親は、私には遠慮はなかった。深刻な表情で、「<wbr>テレビでやっていたのだが、shuは発達障害ではないのか？」<wbr>とストレートに聞いてきた。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">孫を心配する思いが強かったのだが、どこかで「<wbr>努力は必ず報われる」<wbr>という厳格な父の姿を久しぶりに見たような気がした。「<wbr>努力すれば障害は治るはず」というニュアンスも感じた。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">私は、たまたまインターネット上で見つけた、<wbr>発達障害と診断された子の祖父母向けのパンフレットをプリントア<wbr>ウトし、「読んでおいて」と伝えた。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">数日後に直接会い、診断と療育を受けていること、<wbr>難しいことは親が責任を持つから、<wbr>今まで通り可愛がって欲しいことを伝えた。<wbr>父は理解しようとしてくれてはいたが、感触としては「<wbr>努力すればいつかは治るんだろう」<wbr>と自分自身に言い聞かせているように見えた。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">私の両親に少しずつ情報を伝える中で、<wbr>二人が最も切ない顔をしたのは、「<wbr>shuは特別支援学校に行くことになるかもしれない」<wbr>と行ったときである。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">「普通の子のように友達と遊んだり勉強したりできないのか」「<wbr>何が原因なんだろうか」「どうすれば治るのか」等、<wbr>考えても仕方ない、<wbr>しかし考えてしまうであろう具体的な不安に支配させてしまったよ<wbr>うであった。しかし、それが現実なのだから仕方がない。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">原因がわからないということは、人を不安にさせる。そして、<wbr>その不安から逃れようとして何かに原因を求める結果、<wbr>偏見に繋がって行く。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">私はshuが通う児童発達支援の行事や個別の言語療法に両親を誘<wbr>うなど、時間をかけて理解を得ていこうとしていたが、<wbr>受容とは程遠いものだったと思う。年配者が孫の障害を理解し、<wbr>受容することは、親のそれよりも難しい場合が多いと思う。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto">私も、両親も、shuの白血病の闘病を経て、また、<wbr>発達障害の療育を受ける中で、<wbr>ようやくshuの障害を受容できるようになっていく。しかし、<wbr>それにはまだ多くの時間が必要だった。</div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto"><br></div><div dir="auto"><br style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: sans-serif; font-size: large;"></div>
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<link>https://ameblo.jp/toyanagi7/entry-12485607793.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Jun 2019 15:08:57 +0900</pubDate>
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<title>覚悟</title>
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<![CDATA[ <p>子を胎内に授かったとき、おそらく多くの親は「<wbr>男の子がいいですか？それとも女の子？」<wbr>と誰かに尋ねられることがあるだろう。気が早い話で、「<wbr>将来は何になってほしい？」という質問もある。</p><p>&nbsp;</p><p>はじめは率直な希望を口にするだろうが、エコーを通して対面し、<wbr>胎動を感じ、お腹が大きくなり、<wbr>子が誕生することが現実化するにしたがって、「<wbr>健康であれば男でも女でもかまわない」と、<wbr>多くの親が思うようになるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>同時に、医療機関から出生前診断の説明を受ける人が多いだろう。<wbr>診断することができる疾患、障害は一握りである。<wbr>病気や障害を持つ子を100%避けて産むことは、<wbr>今の医療ではできない。</p><p>&nbsp;</p><p>「健康であれば」という、多くの親が持つささやかな願いも、<wbr>叶う保証はどこにもない。<wbr>病気や障害を持つ子を授かる可能性を排除できないならという理由<wbr>で、子を持たない人生を選択をする人もいると聞いたことがある。</p><p>&nbsp;</p><p>出生前診断には賛否両論ある。</p><p>&nbsp;</p><p>病気や障害がある子を授かったときに、<wbr>様々な事情により生活が困難になる、<wbr>あるいは今いる子を育てることが困難になるなどの事情を持つ人も<wbr>いるだろう。現に検査を受け、陽性と判断された場合、<wbr>中絶する人は9割ほどであるという。</p><p>&nbsp;</p><p>そのことから、出生前診断に意義があることは理解できる。一方、<wbr>産まれてくる生命の選別に抵抗感を持つ反対派の意見にも賛同でき<wbr>る。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、「健康であれば」と思う人が多い反面、<wbr>妊婦の年齢等により異なるが、<wbr>検査を受けることを望む人は決して多くはないという。<wbr>その心はどこにあるのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>「検査料金が高くて払えない」ということなのだろうか。<wbr>それとも、「子にいかなる障害があっても覚悟を決めて産む」<wbr>ということなのだろうか。あるいは、「まさか、<wbr>うちの子に限って」ということなのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>私は社会福祉関係の仕事をしている。専門は、障害者(児)<wbr>福祉ではないが、最低限度の知識は持っていた。「<wbr>避けることができない現実があるのであれば、現実を受容する」<wbr>ということだけはわかっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>「子が産まれるということは、<wbr>その子に障害がある可能性は０ではない」「<wbr>子に障害があっても覚悟を持って育てる」「だから、<wbr>出生前診断は必要ない」という考えだった。<wbr>妻も似たような考えだった。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、今考えれば、あくまで「頭では」ということである。<wbr>公に語ったことはないが、心の底では「まさか、<wbr>うちの子に限って」という思いがなかった訳ではない。</p><p>&nbsp;</p><p>その証拠に、長男が生まれた日も、shuが生まれた日も、<wbr>成人したときに手渡す(<wbr>私の身に何かあれば妻から手渡すことになる)手紙を書いていた。<wbr>shuが言葉でのコミュニケーションが難しい障害を持って生まれ<wbr>てくることを、想定していなかったからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>発達障害の場合、出生前診断では発見することはできない。<wbr>1歳半健診でその可能性を指摘され、<wbr>半年後に再び健診を受けるよう指導されることが多い。<wbr>shuもそうだった。</p><p>&nbsp;</p><p>同じ年頃の子が、言葉をどんどん覚えていくなかで、<wbr>shuから発せられるのは「シャイ」「アオー」等、<wbr>意味を持たない音声ばかりだった。<wbr>人と目を合わせることもなかったので、薄々はわかっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>不安や焦りを抱きながらも、「いつかはしゃべれるようになるさ」<wbr>と妻に話していた。同時に、「もし障害があっても、<wbr>伸ばせるところは伸ばし、<wbr>伸びないところは受け入れて補っていけばいいさ。その点では、<wbr>障害がある子もない子も同じだよ」とも言った。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、妻に語ったそれらの言葉は、実のところ、<wbr>自分に言い聞かせていただけなのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>2歳児健診は、1歳半健診で何らかの所見があり、<wbr>フォローを要する子のみが受ける。<wbr>shuは相変わらず話すことができなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>さらに、かんしゃくを起こしたり、<wbr>特定の物や行為に異常なまでに執着することが増えてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば、川に石を投げ入れる行為を、<wbr>放っておけば1時間以上黙々と行う。やめさせようとすれば、<wbr>かんしゃくを起こす。周囲に石がなくなるまで延々と続ける。</p><p>&nbsp;</p><p>2歳児健診の結果、市のこども発達支援センターを紹介され、<wbr>定期的に専門家に相談することになった。</p><p>&nbsp;</p><p>この頃になると、なかなか「いつかはしゃべれるようになるさ」<wbr>とは思えなくなってくる。この現実を受け入れようと思い、<wbr>中途半端に頭で理解していた私は、<wbr>すでに受け入れたと思っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、今考えると、<wbr>shuに障害があることを本当に受け入れられたのは、<wbr>白血病の闘病が始まってからだったと思う。</p><p>この当時は、受け入れたつもりになっていただけで、<wbr>難しいことをあえて考えないようにしていたというのが正解だろう<wbr>。</p><p>&nbsp;</p><p>shuと似たような年頃の子がしゃべっているのを見ると、<wbr>すぐに揺らいでしまう頼りない覚悟しか、<wbr>当時の私は持つことができなかった。母は強い。<wbr>妻は私よりもはるかにたくましい覚悟をすでに持っていたようだっ<wbr>た。</p><p>&nbsp;</p><p>仮に出生前診断で発達障害をあらかじめ把握することができたとし<wbr>て、検査の結果、shuを中絶していたら…</p><p>&nbsp;</p><p>そう考えると、背筋が寒くなる。<wbr>障害を持つshuに出会うことがなかった私の人生など、<wbr>今となっては考えられないからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>他のお父さんはどうなのだろう。<wbr>後にshuが通うことになる児童発達支援や特別支援学校では、<wbr>母親同士の交流は多いが、父親同士の交流はほとんどないので、<wbr>直接、このような話をしたことがない。</p><p>&nbsp;</p><p>このブログを読まれたお父さんに、ぜひ教えていただきたい。<wbr>子を妻の胎内に授かり、<wbr>出生前診断の説明を受けたときに持った考え、<wbr>わが子に障害があるかもしれないと知ったときの気持ち、<wbr>障害が確定したときの覚悟はどのようなものだっただろうか。</p>
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<link>https://ameblo.jp/toyanagi7/entry-12467252921.html</link>
<pubDate>Tue, 04 Jun 2019 15:11:16 +0900</pubDate>
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<title>船出</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>shuが生まれた日。出張先にいた私は、<wbr>無事に生まれたという知らせを受け、急いで新幹線に乗った。</p><p>&nbsp;</p><p>新幹線の中はいつになく混雑していた。<wbr>いくつか先の駅付近で行われる日本有数の花火大会に向かう人々が<wbr>、通路やデッキにあふれていた。途中の駅では、あまりの混雑で、<wbr>乗ることができない人が出るほどだった。</p><p>&nbsp;</p><p>日頃、地方で暮らしている人間にとって、<wbr>雑踏ほど苦痛なものはない。<wbr>あまりの息苦しさから逃避するように、<wbr>長男が生まれた日のことを思い出していた。</p><p>&nbsp;</p><p>長男の誕生には、運よく立ち会うことができた。<wbr>あの感動を未だ忘れることができない。無事に生まれたことを、<wbr>私と妻のそれぞれの実家に電話で伝えた後、<wbr>空を見上げると虹が出ていた。<wbr>長男の誕生を神が祝ってくれているのかと、<wbr>早くも親バカなことを考えながら、<wbr>目頭を熱くした記憶がよみがえった。</p><p>&nbsp;</p><p>shuの誕生に際し、長男は私の実家に預けられ、<wbr>はじめて親と離ればなれの生活を送っていた。<wbr>切迫早産のおそれがあったことから、<wbr>妻は10日ほど前に医師から絶対安静の指示が出ていたため、<wbr>予定よりも早く長男を実家に預けていた。</p><p>&nbsp;</p><p>わがまま盛りの2才児が、それまで親の愛情を独り占めしてきて、<wbr>訳がわからないまま親の愛情が分散していく。祖父母の話では、<wbr>長男は健気なまでに上機嫌にして見せ、<wbr>ふとした瞬間に暗い表情をするという。</p><p>&nbsp;</p><p>彼も生まれてくる弟のために闘っていたのだろうか。<wbr>私は次男なので、<wbr>上の子の寂しさを頭では理解することはできても、<wbr>心の底から理解することはできなかったかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>私の仕事は出張が多く、職場と自宅はおそろしく遠い。<wbr>こんなときは、長男といる時間をもっと多くするべきなのだが、<wbr>それができない。</p><p>&nbsp;</p><p>長男の寂しい顔を思い出すと、胸が張り裂けそうになった。<wbr>shuの出産にも立ち会うことができず、<wbr>妻に対する申し訳なさと、自分自身への悔しさが募り、<wbr>shuが生まれたおめでたい日にもかかわらず、<wbr>私の心には暗雲が立ち込めていた。</p><p>&nbsp;</p><p>気づくと、外は暗くなり、車内は閑散としていた。<wbr>花火大会が開催される駅でほとんどの乗客が下り、<wbr>車両内には私のほかに2人ほどしかいなかった。その静寂さが、<wbr>逆に私の心に立ち込めていた暗雲を晴らしてくれた。</p><p>&nbsp;</p><p>shuが生まれたという知らせを受けたとき、<wbr>私の周囲には多くの仕事関係者がいたが、電話を切るや否や、<wbr>一斉に盛大な祝福の拍手をくれたことを思い出した。<wbr>拍手の記憶に引きずられるかのように、「shuは幸せになれる。<wbr>多くの人々が誕生を祝福してくれた」<wbr>という思いがこみ上げてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>その瞬間、新幹線の窓の外に、<wbr>日本有数の花火が夜空に大輪の花を咲かせた。<wbr>大空までもshuの誕生を祝福してくれたかと、<wbr>またまた親バカなことを考えながら目頭を熱くした。</p><p>&nbsp;</p><p>「早くshuに会いたい」「早く妻を労いたい」「<wbr>早く長男を抱きしめてやりたい」私の心はその3つに支配され、<wbr>車窓の花火が徐々に遠くなり、やがて見えなくなっても、<wbr>消えることはなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>病院に着き、病室に入ると、shuが元気よく泣いていた。<wbr>見るからにヤンチャな顔をしているし、<wbr>泣き声の大きさも立派なものだった。</p><p>&nbsp;</p><p>妻は大仕事を成し遂げ、誇らしいような穏やかな笑顔だった。<wbr>長男の出産以来、妻を心から尊敬するようになった。<wbr>出産という命がけの荒行、<wbr>そしてその直後に笑顔でいることなど私には到底できない。</p><p>&nbsp;</p><p>病院を後にし、長男が待つ私の実家に向かった。<wbr>遅くなってしまったので、長男はすでに眠りについていた。<wbr>添い寝をしながら、つい先ほど撮ってきたshuの写真を眺めた。</p><p>&nbsp;</p><p>このようにshuの人生の船出は、花火が上がったこと以外、<wbr>どこにでもあるありふれた光景だった。私は、<wbr>2児の父になった喜びと感動に満ちあふれていたが、そのとき、<wbr>今日という日がこの後に訪れる数奇な出来事への船出だということ<wbr>を、想像さえしなかった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/toyanagi7/entry-12467247800.html</link>
<pubDate>Tue, 04 Jun 2019 15:07:07 +0900</pubDate>
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<title>【私の自己紹介】ブログ始めました！</title>
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<![CDATA[ <p class="post-assist-hanashi-android" style="text-align: center;"><a href="https://blogtag.ameba.jp/detail/私の自己紹介" target="_blank"><img src="https://stat100.ameba.jp/blog/img/stamp/cpn/first_assist/shokai.png" width="150"></a><br><span style="font-weight:bold;"><a href="https://blogtag.ameba.jp/detail/私の自己紹介" target="_blank">みんなの回答を見る</a><img src="https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/122.png" width="24" height="24" alt="右矢印" style="vertical-align: text-bottom;"></span></p><br>▼ ニックネームは？<br>&nbsp;shu-papa<br>▼ ブログを始めたきっかけは？<br>発達障害を持ち、白血病を患った次男が造血幹細胞移植から2年経過したことがきっかけ<div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/toyanagi7/entry-12486237433.html</link>
<pubDate>Tue, 14 May 2019 23:40:08 +0900</pubDate>
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<title>序</title>
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<![CDATA[ <p>6歳の私の次男、shuは発達障害を持っている。診断名は「<wbr>自閉症スペクトラム障害」。未だ意味のある発語はない。</p><p><br></p><p>また、<wbr>4歳の頃に「急性骨髄性白血病」を患い、<wbr>抗がん剤治療と造血幹細胞移植(<wbr>骨髄移植が有名だがshuはさい帯血移植)を受けた。</p><p><br></p><p>自閉症スペクトラム障害とは、生まれつきの脳機能の障害により、<wbr>人とのコミュニケーションが苦手であったり、<wbr>特定の物事に強いこだわりがあるといった特徴を持つ発達障害であ<wbr>る。</p><p><br></p><p>白血病は、<wbr>最近では水泳の池江璃花子選手やシンガーソングライターの岡村孝<wbr>子さんが患ったことで知られる血液のがんである。造血幹細胞(<wbr>血球をつくる細胞)が骨髄の中でがん化し、無制限に増殖する。<wbr>かつては不治の病と言われ、多くの人々の命を奪ってきたが、<wbr>医学の進歩により、治る確率が高くなってきている。とはいえ、<wbr>無治療だと3ヶ月ほどで死に至るという恐ろしい病気である。</p><p><br></p><p>自閉症スペクトラム障害の有病率は1%程度、<wbr>つまり人口100人に1人の割合で障害を持つ人がいるという。</p><p><br></p><p><wbr>白血病は1年に人口10万人あたり7人がかかるといわれている。</p><p><br></p><p><wbr>これらの病気や障害を持つ人たちは、<wbr>そうでない人と比べてかなり少数派であり、<wbr>どちらにもならずに人生を歩んでいく人たちが圧倒的多数というこ<wbr>とになるが、<wbr>両方を併せ持つshuは中でもかなり珍しいケースということにな<wbr>る。</p><p><br></p><p>このように書くと、「かわいそうな子だ」「何て不運なんだ」<wbr>と思う方も多いだろう。</p><p><br></p><p>しかし、<wbr>当の本人や家族にはほとんど悲壮感はない。<wbr>障害や病気が発覚したときは、<wbr>戸惑いや心理的葛藤がなかったと言えば嘘になる。<wbr>それなりの苦労もあった。</p><p><br></p><p>しかし、<wbr>今はshuに障害や病気があったからこそ経験することができた数<wbr>々の出来事が、私たちの貴重な財産になっている。</p><p><br></p><p><wbr>特に治療や療育を通じて出会った医師、看護師、保育士、<wbr>臨床心理士、言語聴覚士などの専門家の方々、<wbr>同じ障害や病気を持つ子どもたちやご家族との出会いは本当にかけ<wbr>がえのないものだった。</p><p><br></p><p>このブログを書き始めたのは2019年5月某日。<wbr>この日は私たちにとって、とても大切な日である。</p><p><br></p><p><wbr>2年前のこの日、shuは造血幹細胞移植を受けた。<wbr>残念ながら移植しても白血病を再発するケースもあり、<wbr>その多くは移植から2年以内であるという。</p><p><br></p><p>主治医からは「<wbr>少なくとも2年は油断できない」と告げられていた。<wbr>shuは今のところ再発することなく、有り難いことに、毎日、<wbr>元気に特別支援学校に通っている。</p><p><br></p><p>「6歳のがんサバイバー」であるshuと私たち家族は、<wbr>数奇な出来事を経験し、その中から多くのことを学んだ。</p><p><br></p><p>しかし、<wbr>shuは生まれながらの障害により、<wbr>言葉でそれを人に伝えることができない。私はshuに代わって、<wbr>病気のこと、障害のこと、闘病のこと、移植のこと、療育のこと、<wbr>支援者への感謝の気持ちなどを綴っていくことにする。</p><p><br></p><p>shuと同じ障害、病気を持つ子どもたちとご家族、<wbr>そして医療や支援に関わる専門家の皆さんにとって、<wbr>何かの参考になることがあれば幸いである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/toyanagi7/entry-12461263422.html</link>
<pubDate>Tue, 14 May 2019 16:11:06 +0900</pubDate>
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