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<title>Room 302</title>
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<description>趣味のことなり日常なり適当に</description>
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<title>無題</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Sun, 15 Apr 2018 14:52:20 +0900</pubDate>
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<title>食傷気味</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Mon, 08 Jan 2018 17:39:08 +0900</pubDate>
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<title>停止中</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/toyotashiro/amemberentry-12342843181.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Jan 2018 16:49:42 +0900</pubDate>
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<title>「メアリと魔女の花」</title>
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<![CDATA[ <div class="text_exposed_root text_exposed">（二度目の「メアリと魔女の花」）<br>（人間と科学、そして、自然と科学）<br>（ネタバレ含むので注意）</div><div class="text_exposed_root text_exposed">&nbsp;</div><div class="text_exposed_root text_exposed">…一度見て、良い映画だなと思ったのだが、富山での公開がそろそろ終了するので、仕事の後に近くの映画館（J-MAX THEATER）19時50分から上映開始のものを見に行ったら、シアターの中に自分一人しかいないという、ね。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">「こんな時間に映画館に行けるのは特権階層なんだよ、もっと働け！」と言われてるのか、「この時間は一人でふらふらするんじゃなくて、家族に尽くす時間なんだよ！」と言われているのか、少し、考え込んでしまったが、そうこうしているうちに映画が始まった。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…今回は、その感想をより踏み込んで。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…意図したものであるのか、自分が勝手に捉えているのかは分からないけれど、過去のジブリ作品のオマージュだと取れるシーンがいくつかあった。ああ、このシーンは「ラピュタ」かもしれない、このシーンは「千と千尋」かもしれないとか…ただ、特に意識するのは「もののけ姫」であるだろう。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…もののけ姫が、人間と自然の対立と共生を描いた物語であるとするならば、メアリと魔女の花は、人間と科学、そして、自然と科学の関係を描いた物語であるだろう…そして、念頭にあるのは原発の存在であるに違いなく、「君の名は」と同じように3.11以後だからこそ描けた物語だと言える気がする。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…この物語で言う「魔法」とは「人間の力で制御できない力や現象」であり、物語を通して、敵役は、失敗も成功への過程と唱え、その力を制御できると信じて倫理に反する実験を強行するが、主人公のメアリは物語のラストで「魔法なんていらない！」と断言し、その象徴を手放すところで物語は終わる。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…老若男女全世代に向けたであろう作品において（特に幼い世代もみるであろう作品において）、原発という意見が分かれる問題に関し、「反原発」と取れる、政治的要素を含むメッセージを込めた故に、嫌う人もいるだろうと思う…ただ、自分はこれでいいと思う。アニメもファンタジーも、理想を語る力があって、その前向きな力によって社会を変えうる可能性があると思うし、むしろ「原発容認」と取れるメッセージを込めた作品が作られて流行した方が、もはや世の末だと思う。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…何より、ジブリの作品というのは、無謀な増長の先にある文明の破綻に対する警鐘とか、自然との共生に関するメッセージが常に織り込まれ続けてきたものであるように感じるから、制作会社の名が変わってでも、その精神は受け継げれていることは、幼い頃からジブリに慣れ親しんできた自分からすれば、素直に、嬉しいと思えたのだ。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…そういう自分にとって、特に、印象に残ってるシーンが二つある。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…一つは、変身魔法の実験材料とされてしまった動物たちが、メアリの能力によって魔法を解かれ、金庫の壁を突き破り、一斉に脱出を図るシーン。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…もう一つは、既に魔力を失いながら、ピーターを助けに戻ってきたメアリが、魔法の力によるであろう使い魔に追い込まれた時、彼女を助けたのが、一緒に脱出したはずの動物たちであり、使い魔は、動物たちに欺かれ、メアリを見失うシーン。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…この物語でにおける動物というのは、「自然」というものを象徴する存在であるように思う。それらのシーンで物語を大いに動かす彼らの存在は、自然の力強さを感じずにはいられない。特に、後者のシーンは、「もののけ姫」でサンが猪神と共に人間と戦う為に大地を駆けるシーンのオマージュに思えて、「もののけ姫」の時は人間に襲い掛かった自然が、今回の作品では主人公に味方したという意味では、本当に感慨深いものを感じた。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…さて、この物語における敵役が、何故「魔女の花」に拘ったかと言えば、「すべての人間が魔補を使える素晴らしい世界を作る為」であったように思う…思えば、その理想自体は必ずしも悪とは言えないかもしれない…問題は、その理想の為に、倫理に反した実験を繰り返したこと、かつ、その理想の達成の為に費やした時間や過去の犠牲によって立ち止まれなくなり、制御できず暴走しうる力を制御できると信じたこと（諦められなかったこと）だろう。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…そしてそのような「リスク」を負ってでも、その理想は達成されるべきものであったのか？ということだ。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…メアリは最後に魔法を捨てた。何故か？なくても生きているからだ。それがなくても、十二分に世界は、彼女が目に入るもの全てに夢中になるように、面白く、満たされているからだ。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…だから、敵役の想いは、世界に必要とされた理想ではなく、余剰として切り捨てることもできる欲望に過ぎなかったともいえる。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…この文明にある限り、技術革新は絶対的な善であるという信仰の類だと言ってもいい、それを否定しては経済が回らず、生活は困窮するだろうし…そして、技術はいずれ、何事も成し遂げられると信じなくてはならないだろうし、余剰として切り捨てることもできる欲望を、達成されるべき世の為になる高貴な理想と定義する必要があるだろう…しかし、それ故に生じる重大な矛盾の存在を、自分達は3.11を経て知っているはずだ。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…「あったらいいな」を叶える為に「なくてならないもの」を徐々に食いつぶす文明というものが、いつか瓦解することは明白だろう…自分達の文明、いや、少なくとも、この日本という国は「あったらいいな」と叶え続ける為に、科学を信じ、魔法を求め続けているのだろう。その事実に対し、この映画の影響と言えばそれまでだが「やはり、それは違う」と自分は思うに至るのだ。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…ただ、何が出来るか、に関し、自分は政治的な話や政策論議をしたいわけではない…この映画を見て、最後に自分が思ったことは「自然を見たい」だったと思う。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">…この物語の丁寧な背景描写故か、動物たちの勇壮さ故か、実は、自分は自然と触れていないし、知らないのだという気がした…これでも、大学の時は地球温暖化とか生物多様性とかを論じたこともあったけれど、それが如何に人間文明に関わるかは論じても、そもそも自然とは如何なる存在なのかという観点がまるで抜け落ちていたこと、机上の空論に閉じこもり、外せないファクターである自然というものをこの目で見に行こうとすらしなかった自分が、とても愚かに思えたのだ…だから、そういうものに出会い、触れ合い、知ろうという行為を、自分はしていきたいように思う。今は、自転車とカメラという相棒もいる…だから、どこへでも見に行ける。</div><div class="text_exposed_show">&nbsp;</div><div class="text_exposed_show">そして、映画館で、映画のパンフレットを買った。そして、原作小説も買って合わせて読んでみたい。それで、また、きっと新しい発見があるのだろうと思うし、この物語は、自分にもっと何かを教えくれるような気がしている。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170818/07/toyotashiro/7b/36/j/o0960072014007516262.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170818/07/toyotashiro/7b/36/j/o0960072014007516262.jpg" width="420"></a><p>&nbsp;</p><p>（写真は、大平山神社のアジサイ（栃木県栃木市:2017年6月））</p></div>
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<pubDate>Fri, 18 Aug 2017 07:27:32 +0900</pubDate>
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<title>アジアで最も人気なクラブは…まさかのインドネシア！？…それにしても話は色々繋がる。</title>
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<![CDATA[ <p>AFCが面白い記事を書いていたので。</p><p><a href="http://www.the-afc.com/afc-champions-league-2017/asian-football-trivia-round-three" target="_blank">http://www.the-afc.com/afc-champions-league-2017/asian-football-trivia-round-three</a></p><p>&nbsp;</p><p>…当然、それを計る明確な方法はないが、その国で最もポピュラーなSNSにおけるフォロワー数でランキングしてみよう！というAFCによる面白い記事。「浦和レッズか広州恒大（中国）」でしょう？と思いながら読んでみると、中々に意外な結果。</p><p>&nbsp;</p><p>・イランではインスタグラムがポピュラー。「ペルセポリスFC」（テヘラン）が89万8000のフォロワーを数える。「ぺルシアン・タワー」の異名を持つアリ・ダエイがいたチームらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>・Facebookは色んな国で普及しているが、マレーシアの「ジョホール・ダルル・タクジムFC」には180万人のフォロワーが。2017年ACLプレーオフで「ガンバ大阪」と試合してたね。ホームタウンのジョホールバルは日本代表がアリ・ダエイを擁するイランとの死闘の果てに初のW杯出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」の舞台となった街だ。実は、昨年末の旅行中、シンガポールからバスで入国した際に少しだけ滞在した。バスの乗り換えをしただけだけど。</p><p>&nbsp;</p><p>・東南アジアではタイが絶対的王者になりつつあるが、フォロワー数でもそれを示したか？「ムアントン・ユナイテッド」（ノンタブリー）が220万。2017年ACLでは「鹿島アントラーズ」に勝利して決勝トーナメントに進出するなど存在感を示したね。先月、タイ代表の中心選手にして東南アジア最高峰と名高いチャナティップがムアントンから「コンサドーレ札幌」に移籍したけれど、活躍に期待したいね。</p><p>&nbsp;</p><p>・しかし、twitterにおいては、サウジアラビアの「アル・イテハド」（ジッダ）がフォロワー数237万。彼らはサウジアラビアのナンバーワンか？ところがどっこい。「アル・ヒラル」（リヤド）のフォロワー数は690万だ。ちなみに「アル・イテハド」は「The United」で「アル・ヒラル」は「The cerescent」…三日月の意味。これくらいアラビア語科卒業の自分なら余裕…と言いたかったが、ヒラルの方は分からず、辞書を引きました…「赤十字社」がイスラム圏だと「赤新月社」であるように、イスラムにおいて月は時々モチーフになっているけれど、「なんで？」と思って調べてみたら、イスラム起源といよりはオスマン・トルコ帝国起源らしい…ところで、最近のカタール情勢の悪化で、中東諸国間の関係は悪化の一方だが、ACLはどうなるんだろう？普通に、サウジアラビアもカタールもイランも、出場枠持っているのだが…。</p><p>&nbsp;</p><p>・西アジアのナンバーワンは「アル・ヒラル」だとして、東アジアには世界一の大国中国がある。しかし、中国は規制でFacebookもTwitterも使えない。代わりに使えるのはWeibo（微博）。そのWeiboにおける、名実共にアジアのビックグラブになっている「広州恒大」のフォロワー数は800万。これは香港の人口と同じというから恐るべし。その香港も、女性監督（自分と同い年！）が率いる「東方」が2017年ACLにてプレーオフを突破して香港勢で初めて本選に進出するという快挙を成し遂げて、広州恒大との試合が実現していたが、どうしても政治的な摩擦も避けられなかったようだ…それにしても、ACLベスト16にて鹿島アントラーズが広州恒大に敗れたのはショックだよなぁ…。</p><p>&nbsp;</p><p>・そして、一位は「浦和レッズ」？「ガンバ大阪」？…いやいや「ペルシブ・バンドン」なのさ！…って、初めて聞いたぞ！そんなチーム！？インドネシアのバンドンという街をホームとするチームとのこと。フォロワー数は950万。バンドンってどこかで聞いたな？と思ったら、1955年の「バンドン会議」の舞台だ。それから発展して開催される「非同盟諸国会議」とか習ったよな。名前が中二的で格好いいとか思ったよ。2017年からACミランやレアルマドリードでプレーしたガーナ代表マイケル・エッシェンがプレーしているらしい。しかしながら、記事本文の締めは、Indonesian giants Persib Bandung – home to former Chelsea and Real Madrid star Michael Essien – can (perhaps) claim to be the most popular club in Asia...Perhaps...ですよねー。</p><p>&nbsp;</p><p>・比較で言うと、Facebookページで、浦和レッズは6万3000人、ガンバ大阪は9万5000人…これも、お国柄かな？</p><p>&nbsp;</p><p>・ま、冷静に考えれば、日本の人口は一億に対し、インドネシアの人口は二億5千万。差はでるよね…と思ったが、それでもこの差は説明できないか。情報の集め方やサッカーへの関心度の差なのだろうか？まぁ、サッカーにおいてアジアは後進国だと言われるが、人口も増えてて経済も発展しつつあるし、2026年からアジアのW杯の枠が4.5から8に拡大することに批判はあれど、サッカーの競技レベルといよりは、今後、世界の経済はどう推移するのか？という観点で考えたら、妥当な判断である気がするよね。そういえば、2014年は「ヴァンフォーレ甲府」、2015～2016年に「コンサドーレ札幌」でプレーしたインドネシア代表イルファン・バフディムはTwitetter王子とか言われたいたが、なんせ、2015年9月時点でフォロワー数が454万と言うものだから、恐るべし。インドネシアってSNS盛んなのか？</p><p>&nbsp;</p><p>・ちなみに、FacebookにおけるバルセロナFCのフォロワー数は1億267万。レアル・マドリードのフォロワー数は1億463万。桁が違うね。楽天がバルセロナFCの胸スポンサーになる理由も分かる。同様の理由か、チェルシー（ロンドン）の胸スポンサーは横浜ゴム。フォロワー数は4800万…けど、こうやって、文章を書いていたら、それこそ「ペルシブ・バンドン」の胸スポンサーになるのも真面目に検討の価値ありだと思うよ…とか思いながら、HP見てみたら、DATSUN（日産の新興国向けブランド）じゃないか。流石だね。</p><p>&nbsp;</p><p>・完全に余談だが、インドネシアのサッカーチームなど全く知らないから、インドネシア・スーパーリーグのチーム名を見ていたら、「スリウィジャヤFC」（パレンバン）の名を見つけて、クスッ、と来た。由来はマラッカ海峡に栄えた仏教王朝シュリーヴィジャヤ（室利仏逝）だ。高校世界史で習ったので懐かしい。年末、ジョホールバルからバスで向かったのはマラッカだった。雰囲気の良い街だったが、バスが途中で故障（！？）して立ち往生したせいで、到着が遅れ、滞在時間が短くなって、様々な勢力の興亡が繰り返された歴史にそこまで触れることが出来なかったのは残念だった。一方で、マジャパヒトの名を関するサッカーチームはないんだね。サッカークラブの名やエンブレムは、結構、そのコミュニティの失われつつあるアイデンティティを再定義することがあるので、面白いとつくづく思う。</p><p>&nbsp;</p><p>・そして、自分が一番応援しているカターレ富山のFacebookにおけるフォロワー数は7539人。エンブレムは凄く格好いいと思ってる（立山連峰、富山湾、富山県の県花チューリップがあしらわている）。チームカラーは青（富山県の象徴である富山湾や清らかな水）。自分の相棒のMERIDAのロードバイクが青色なのはそのせい。自分は人気チームや強いチームが好きなのではなくて、縁のあるチームが好きなのだ。</p>
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<pubDate>Mon, 03 Jul 2017 21:25:46 +0900</pubDate>
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<title>虐殺器官</title>
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<![CDATA[ <p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">ナイトショーで観てきた。</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">&nbsp;</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">原作は読んでいるから、話の大筋は理解している。正直、中盤までは「そこまで出来は良くないかもな」と思いながらみていたけれど、中盤のシーンが衝撃的だった。</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">&nbsp;</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">例えていうなら、「プライベート・ライアン」の冒頭のノルマンディー上陸作戦の場面を見て、「ああ、この映画みた価値あったわ」と判断するような感じ（・・・というか、思い返せば、原作にはプライベート・ライアンの冒頭シーンを主人公が好んで観賞するシーンがあったはずだが、省かれていた・・・映画化において、内容や場面が省かれるのは仕方ないが）</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">&nbsp;</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">中盤というのは、米軍の主人公たちが、インドの武装勢力と交戦する場面なのだが、相手の「軍隊」は大人によって麻薬付けにされた少年・少女兵であり、主人公の視点から、彼、彼女らを、容赦なく殺していくシーンだ（<font face="Liberation Serif, serif"><font size="3" style="font-size: 12pt"><span lang="en-US">10</span></font></font>歳にも満たないだろう少女が泣き叫びながら銃を乱射してきて、それを射殺するシーンを見た時は、本当に最悪な気分だった・・・従軍者が<font face="Liberation Serif, serif"><font size="3" style="font-size: 12pt"><span lang="en-US">PTSD</span></font></font>になる気分が分かる気がした）</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">&nbsp;</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%"><font face="Liberation Serif, serif"><font size="3" style="font-size: 12pt"><span lang="en-US">R15</span></font></font>指定のアニメなのだが、アニメだからこそ、というか、このシーンは、実写じゃ役者や規制の問題もあって無理だろうなと思う・・・「まぁ、でも、アニメだし」で、終わればよいのだが、現代における紛争というのは、文献を読んで得た知識によれば、まさにこんな感じだというのだから、よけいに暗い気分になるのだ（大学の時にウガンダの「神の抵抗軍」のやり口を少し読んで唖然としたが、最近のニュースを振り返ると、ナイジェリアのボコ・ハラムが拉致した少女を、シリアの武装勢力の男が自分の娘を用いて、自爆テロを実行させたりしていたし・・・普段は考えないが、実際、直視しがたい現実が現在進行形であるのだ）</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">&nbsp;</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">&nbsp;</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">だというのに、物語の終盤で、</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">&nbsp;</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">「スぺクタルとしての戦争は常に必要だ。どこかで戦争が起こっているということ、とりわけ、自分とは関係ない場所で悲惨な戦争が起こっているということ。ぼくらはそれを意識し、目撃することで、自己を規定することができるのだ。海の向こうに、漠然とした戦場が広がっていること。戦争が、ショッピングモールの<font face="Liberation Serif, serif"><font size="3" style="font-size: 12pt"><span lang="en-US">BGM</span></font></font>のようにさらさらと、どこかから聞こえてくること。二十一世紀の我々には、そうした世界が必要だ」</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">&nbsp;</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">という一節を挟んできたときには（「これは原作からの引用で、映画内でその全てをいう訳ではないが・・・）、まさに、自分の傲慢さと醜悪さを指摘れるものだから、かなり来るものがあった。</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">&nbsp;</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">しかしながら、原作が書かれたのは10年前の2007年とのことだが、その時点で、ここまで近未来を予見している原作者の伊藤計劃さん（2009年に享年34歳で早逝している）は凄いなと思う。</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">&nbsp;</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">物語のように、人を虐殺に向かわせるトリガーがあるかは分からない。けれど、現実問題として、国際協力という言葉が華々しく語られていた時代から、いかに自国が生き残るかを第一に語ることが肯定されていく時代の中であるように思う。その中で、弱者を想う感情を切り捨てることが肯定されつつあるようには思うのだ。</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">&nbsp;</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%">国境を閉じ、自分の国内の安全と幸福を確保する一方、後進国を切り離した上で搾取し、その結果としての緩い幸せに自分たちは浸りながら流れる情報に頭を麻痺させて、自分の安全と幸せの裏で、もがき苦しみ犠牲になっている人々を本当に考えることはない先進国の人間の傲慢さ・・・それはまさに自分なのだが、まざまざと、その現実を突きつけられたと思う。</p><p style="margin-bottom: 0cm; line-height: 100%"><br><br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 04 Feb 2017 00:05:21 +0900</pubDate>
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<title>この記事は表示できません</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Fri, 13 Jan 2017 23:46:49 +0900</pubDate>
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<title>誰かの力になりたいというエゴを自覚して</title>
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<![CDATA[ <p>高校生から大学生の前半までの夢は、「国際協力に携わって、恵まれない人の力になりたい」だった。今思えば、上から目線、視野狭窄、価値観の押しつけ。。。色々、問題がある想いであるように思う。</p><p>&nbsp;</p><p>大学の終盤には気づいていたことで、今更になって、ようやく、言葉によって表せるようになったのだが、つまり、自分は、「誰かの役に立ちたい」のではなく、「誰かに必要とされる自分の居場所が欲しかった」なのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>そういう自分のエゴを自覚した方が、すっきりする。自分は聖人でもなんでもないのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>実際、誰かに必要とされるのは、難しいのだ。分かりやすく、自分に助けを求める人などいないし、実際、自分がそこまで役に立つ人間でもなく、周りの人間の方が、よほど、しっかりしているように見える。</p><p>&nbsp;</p><p>誰からも、俺は、必要とされていないのかもな、と思うと、本当に孤独で、空しくなる・・・悲しいかな、仕事が出来なくて経済力を保持できない人間を、プライベートでは、必要としてくれる人間が出てくるほど、世の中は甘くもないし、自分のプライドも許さないだろう。結局、利益追求の民間企業が社会貢献を掲げるように、俺も、自分の生活を回していくうえで、結局は、誰かの役に立てる経済的なスキルが必要になるのだ。<br><br>その上で、誰かの役に、確かに立てたのなら、確かな充実感があると信じたい。</p><p>&nbsp;</p><p>自分は、どうしたら、目の前の人間や周囲の環境に対し、プラス影響を与えられる人間になれるのだろうか？<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20170110/23/toyotashiro/26/97/j/o0480064013842759566.jpg"><img width="480" height="640" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170110/23/toyotashiro/26/97/j/o0480064013842759566.jpg"></a></p><p>&nbsp;</p><p>※2010年8月　エジプト　カイロのスークにて<br>途上国は恵まれないという思い込みを変えたのは、（一応は）途上国に区分されるエジプトでの半年間の滞在と、その中で、分からないなりに、エドワード・サイードの「オリエンタリズム」を読んでみたのが一つのきっかけ、だろう。結局、彼らは、彼らで生活しているし、それなりの不満もありながら、それなりに楽しくやっているのは、自分らと何ら変わらないし、別に、支援者として自分の助けを求めるわけでもないだろうと思ったのだ（そう、思いたかった、という面もあるのだろうが）。支援者と非支援者としてではなく、友人として、対等な立場で繋がれたらいい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/toyotashiro/entry-12236910211.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Jan 2017 22:58:00 +0900</pubDate>
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<title>外国人は語学力を試すサンドバックではないと、言い聞かせたかっただけ</title>
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<![CDATA[ <p>俺は、学生時代に、アラビア語の勉強という名目で、エジプトに半年間いたことがある。思えば、もう、6年以上前のことだ。</p><p>&nbsp;</p><p>得たものは、ある、が、それ以上に、後悔が多い、半年間だ。</p><p>&nbsp;</p><p>せめて、その時間と、お金を無駄にしないためにも、その後悔と向き合って、これからの行動に変化とつけていかないといけないと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>・・・なぜ、そんなことを、今思うか、例のごとく、SNSのせいだ。</p><p>（悪い意味で、SNSに、俺は振り回されているようだ）</p><p>&nbsp;</p><p>俺のSNSには、エジプト人の投稿がかなりある。滞在中に、かなりの人と、交換したからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、交換しただけで、現地で絡むこともあったが、友人となれた者はいなくて、今となっては、関係は断絶されているといい。当時、俺は、非常に悪い意味で、勉強するふりをして、逃げてしまったのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>俺より、ずっと、アラビア語が出来ない人が（相手が日本語の勉強に興味ある人で、日本語での会話に終始していた）、結局は、彼らと仲良くなり、人間関係を築き、現在まで、関係を継続させていたりする。</p><p>&nbsp;</p><p>皮肉なものだが、海外とのつながりを求めて、語学を勉強したというのに、その言葉でのコミュニケーションにこだわる限り、俺は、彼らが日本語で話したいという想いを、完全に無視していた意味では、押しつけのコミュニケーションしかできていなかったし、もっと、違う、絡み方があったのだろうな、と思う。</p><p>&nbsp;</p><p>相手が、日本人だろうが、外国人だろうが、相手が望むものを引き出して、受け止めることが、きっと、コミュニケーションの一歩だろう。その過程で、語学は、必要になることもあるだろうが、必ずしも、という訳ではないのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>相手を、語学力を試すためのサンドバックや、リスニングCD代わりにしてはいけないし、</p><p>今の自分でも、相手の国や文化を教えてもらうための、リアルWikiにしてしまうかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>あくまで、人対人の、血の通った会話ができるかだろう。</p><p>実際、それは、俺の場合、相手が日本人の場合ですら、できているのか怪しいことだ。</p><p>&nbsp;</p><p>なぜ、そんなことを、今、言い聞かすのかと言えば、今後、日本語ボランティアの活動にかかわっていくうえで、同じ轍は踏みたくないからだ。それだけではなく、日々の仕事や、日常生活でも、おそらく、振り返るべき反省だと思ったからだ。<br><br>次の活動日は今週末の土曜日だ。自分、今日、思い返したこと、良く、覚えておけよ。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20170110/22/toyotashiro/55/76/j/o0640048013842663199.jpg"><img width="620" height="465" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170110/22/toyotashiro/55/76/j/o0640048013842663199.jpg"></a></p><p>※2010年8月　エジプト　カイロ</p><p>当時は、ムバラク政権で、アラブの春も起こっていなかった。もっと、この街を、飽きるまで、歩き回ればよかったし、色んな街へ行って、写真をとるべきだっただろうな。そういう盛大な失敗の経験があって、今は、もう少し、旅の仕方や技術も、マシになったのかもしれないけれど。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/toyotashiro/entry-12236903346.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Jan 2017 22:09:56 +0900</pubDate>
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<title>かつての夢の残滓にサヨナラを</title>
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<![CDATA[ <p>大学時代に同じサークルに属していた仲間の近状は、実際に仲が良いか、そうでないかは置いといても、SNSで知ることが出来る。</p><p>&nbsp;</p><p>同じ代が、仕事で活躍していたり、海外に転勤になったりなら、そういう知らせへの受け取り方は慣れていたかもしれないが、随分下の代で、そういう知らせを聞くと、それなりに、「俺は何をやっているのだろう？」という気分にはなった。</p><p>&nbsp;</p><p>とあるものは、ニュージーランドに駐在になったとか、</p><p>とあるものは、大きなプロジェクトのメンバーになったとか、</p><p>同じ代の彼は、中東での駐在も折り返しを迎え、一時帰国中も、早く現地に戻りたいたいと、仕事に燃えているそうだとか、</p><p>&nbsp;</p><p>会社の中でのキャリアをいったん、踏み外してしまった自分からすれば、スーツを来て、キャリーバックを引いて空港を歩き、外国人と渡り合っているだろう、彼らの姿は、自分からは、別の世界の住人に見えるのだ。</p><p>（まぁ、外国人と英語で話すくらいなら、俺も、人よりできるはずだが、今の会社には、それを生かす場所がないし、それだけにこだわれば、仕事の選択肢が少なくなるだけなのだ）</p><p>&nbsp;</p><p>だけど、例えば、大きな会社に入って、海外出張、海外営業、就活の時に、無理やりに描いた目標・・・まぁ、憧れが、全くなかったと言えば、嘘になるだろうけれど、今、そういうものに、自分は憧れているかと言えば、そうでもない。</p><p>&nbsp;</p><p>大学時代の友人とその奥さんが、実際、海外営業として働いていて、「スーツで決めて、キャリーバック引いて、空港を歩くことに憧れたりしたけれど、一回やってみたら、なんこともなくて、今やっても、何の感動もない」と言ったことには、笑ってしまったし、事実、その通りなのだろう。あきらめた側面もあるけれど、自分の憧れていたものが、実際のところ、外面だけの張りぼてだったということも、事実なのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そう分かっていながら、かつて、憧れたものに対する残滓に、今も、自分は惑わされてしまっている・・・だからこそ、自分は、また、新しい目標を掲げないと、いけないと思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>一つ気づいているのは、海外でも国内でも関係ない、海外営業に憧れるが国内営業は嫌だみたいな場合なら、結局、営業という仕事が好きになれていない以上、海外に行ってもうまくはいかないし、それ以前に、国内で働いているうちに、何かが破たんしてしまうのだろう。。。それが、自分が身をもって、味わった経験だ。</p><p>&nbsp;</p><p>だからこそ、そういう意味で、自分は、どういう仕事をやりたいのか、海外でも国内でも、都会でも地方でも、この仕事で頑張ろうと思えるものは、なんであるのか、ということを考えていかないといけない。</p><p>&nbsp;</p><p>一つは、今の仕事を切り口にしながら、視野を広げ、経験や技能を積んでいくべきで、</p><p>（この日記も、早めに終らせて、今度の技能検定の勉強をしなくてはならないのだが）</p><p>&nbsp;</p><p>もう一つは、最近、顔を出している日本語ボランティアから、派生する形で、日本語教師という仕事に関し、もっと、調べて、場合によっては、その資格の取得を目指すのも、ありだとは思っている。</p><p>（そのことに関しては、技能検定終了後の二月以降に、本格的に動くべきで、今はまだ、目の前の仕事に集中しなくてはならないが）</p><p>&nbsp;</p><p>そういう、大雑把な方向性、会社は会社で頑張って、一方で、違う道も模索して、30歳になった時に、会社と、もう一つの選択肢もある状態にして、それからどうしたいか考えたい。。。ということは、実は、定まっているのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、特に、大学時代の反省として、そうやって、方向性を見出しただけで満足して、実際、その実現の為に、動けず、ただただ、悩んだふりをし続けているうちに、多くのチャンスを逸したのだ。今の自分は、そういう失敗を繰り返してはならないし、もっと、具体的に動きたいし、</p><p>&nbsp;</p><p>会社の同期や大学時代の仲間でも、でも、どうように悩んでいる者もいるし、そういう人間とつながって、語り合ってみるべきだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>とにかく、今月は、仕事と技能検定が、最優先だ・・・結局、仕事と会社に向き合うのも、いまするべきことだから、それをしっかりやらないと、他のことも、何もできないしな。</p><p>&nbsp;</p><p>ああ、ただ、もうひとつ、思い至ったことがある。</p><p>そのことを、ページを改めて、記しておこう。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20170110/21/toyotashiro/09/8c/j/o2000150013842639384.jpg"><img width="620" height="465" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170110/21/toyotashiro/09/8c/j/o2000150013842639384.jpg"></a></p><p>※2017年1月3日　クアラルンプール国際空港<br>海外旅行の帰国便に乗る前。実際、海外は旅行でも行ける。そして、高校生の頃なら、海外に行くことは特別なことだったが、この年になると、そこまで、特別なことでもない。行くことなら、誰でもできる。問題は、何をするか、そして、それが、海外である必要性があるか、だ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/toyotashiro/entry-12236891909.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Jan 2017 21:38:47 +0900</pubDate>
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