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<title>TriRamA ブログ</title>
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<description>日々の生活について、感じたことをつらつらと書いていきます。また、尾張の歴史やマンゴーの生育経過など、現在興味をもっていることについても適宜報告しています。</description>
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<title>鰹のタタキ</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/35/16/10096829895.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/35/16/10096829895_s.jpg" alt="鰹のタタキ" border="0"></a><br><br>先日、鰹のタタキが美味しいところに行ってきました。名古屋から飛行機で１時間弱。上の写真は、観光地でもある浜辺の近くで食べた「鰹のタタキ定食」です。<br><br>観光地の浜辺というのは、コレ↓<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/8a/29/10096829893.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/8a/29/10096829893_s.jpg" alt="桂浜" border="0"></a><br><br>砂浜というよりも大小の小石が散らばっている砂利の浜辺という感じです。ゴミが全然落ちていなくて、キレイに維持・管理されていました。太平洋に面したこの浜辺には大波、小波がうち寄せていましたが、潮の香りはあまりぜず、水は澄んでいました。ちなみに遊泳禁止です。<br><br>浜辺に面した丘の上には、銅像がそびえ立っています。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/dd/51/10096829889.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/dd/51/10096829889_s.jpg" alt="龍馬銅像" border="0"></a><br><br>日本の夜明けは近いぜよ～<br>
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<pubDate>Mon, 29 Sep 2008 19:33:09 +0900</pubDate>
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<title>これでファンは納得するのか？</title>
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<![CDATA[ 「西川と大分に厳重注意＝故意の警告疑惑で－Jリーグ」<br>7月23日17時17分配信 時事通信<br><a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080723-00000069-jij-spo" target="_self">記事はコチラ</a><br><br>Jリーグのゴールキーパーが「故意にイエローカードを受けた」とブログに書いた問題です。Jリーグが事情を聴取した結果、本人は「試合中にわざと警告をもらおうとした意図は無かったものの、不適切な書き込みをし、ファン・サポーターを始めとした多くの関係者に迷惑をかけたことを謝罪したい」と説明したそうで、その経緯がすごく簡単にJリーグのホームページに書かれています。<a href="http://www.j-league.or.jp/release/000/00002518.html" target="_self">「西川周作選手の個人ブログ書き込みの件」</a>また、Jリーグはこのゴールキーパーが受けた警告は故意ではないと判断し、厳重注意にとどめることとしたそうですが、いったいどういう理由で「故意ではない」と判断したのか、全く説明されていません。チームと本人に厳重注意をしたそうですが、この件に関して今後裁定委員会の開催はないとのことです。<br><br>さて、こんな説明で誰が納得するのでしょうか？　上記のように判断の理由が説明されていないことが問題です。仮にこれが事実としても説明が不十分すぎます。事実なら、どうしてブログに「故意にイエローカードを受けた」なんてことを書いたのでしょうか。全く理解に苦しみます。想像ですが、おそらくこのようなイエローカードの消費の仕方は、サッカー選手の「高等テクニック」として公然の秘密として行われていることなのでしょう。そして、今回のようなおろかな選手が、それを誇らしげにブログに書いてしまったということが真実なのではないのでしょうか。「サッカーくじ」という博打が関与するゲームでこのような八百長が起きたことはJリーグとしてもっと問題視すべきです。<br><br>大相撲協会のような体たらくにならないことを望みます。<br>
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<pubDate>Wed, 23 Jul 2008 20:28:00 +0900</pubDate>
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<title>犬山城へ行った</title>
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<![CDATA[ ちょっと前のことですが、先週の日曜日（13日）に自転車で少し遠出をしてみようとふと思い立ち、お昼の12時ごろ進路を北にとってペダルをこぎ出しました。目的地はとくに決めていませんでしたが、その日は快適に自転車を走らせることができたので、途中から目的地を犬山城に設定しました（名古屋にある私の家から片道20キロほどです）。犬山市には何度も行ったことがあるのですが、犬山城にはまだ行ったことがなかったからです。<br><br>県道102号線（名古屋犬山線）を通って北を目指します。この道は名古屋空港の東側を通る道で、のんびりと自転車で犬山に向けて走るには快適です。私は車で犬山に行くときもこの道をよく使います。名古屋市から春日井市を通り、小牧市を経て犬山市に至ります。のんびりと自転車を走らせて、家から２時間ほどで犬山城に到着しました。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/16/21/10078062608.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/16/21/10078062608_s.jpg" alt="犬山城石碑" border="0"></a><br><br>-------------<br>犬山城<br>　入場料：500円<br>　開城時間：午前9時～午後5時<br>　　（入城は午後4時30分まで）<br>-------------<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/7d/10/10078062610.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/7d/10/10078062610_s.jpg" alt="犬山城天守１" width="220" height="165" border="0"></a><br>天守閣です。望楼式の ３層４階の構造をしています。石垣の内部にさらに２階分あるそうです。正面から見える唐破風が印象的ですね。彦根城にも見られるように、唐破風は戦略的拠点であるお城に、典雅さを与えてくれます。天守三階は「破風の間」と名付けられていて、この唐破風を内側から見ることができます。最上階の四階は「高欄の間」で、回廊から美しい景色を眺望することが犬山城での楽しみの一つでしょう。<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/e1/b4/10078062611.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/e1/b4/10078062611_s.jpg" alt="犬山城天守から木曽川" width="220" height="165" border="0"></a><br>写真は、犬山城天守閣の四階回廊から北東方向、木曽川の上流側をみたものです。さすがの美しさ。ツインブリッジ犬山橋の向こう側に鵜飼の乗船場があり、さらに上流が木曽川名物の「ライン下り」の場所になります。<br><br><br>天守閣内部は一部展示物はありますが、江戸期そのままの雰囲気を残しているように思えます。薄暗い室内、急傾斜の階段。回廊の柵は低く、身を乗り出そうものなら落下しそうな勢いです。でもこれがいいんですね。（足元に不安のある方は、素足になったほうが滑らなくて安心かもしれません。とくに下りの階段には気をつけてください。）<br><br>天守閣脇の売店内に大型モニタがあり、そこでCG再現した犬山城や城下町の風景を上映していました。なかなかの出来映えでしたので、一休みしながら観てみるのもいいのではないでしょうか。<br><br>この後、２時間かけて名古屋まで帰りました。<br>この日は３６度を超す気温で、太陽も容赦なく光線を降り注いでいましたので、かなり日焼けをしてしましたね。熱中症にならないように気をつけながらの自転車の旅でした。<br><br>
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<pubDate>Mon, 21 Jul 2008 11:19:25 +0900</pubDate>
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<title>地震の名称と風評被害・・・？</title>
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<![CDATA[ 今年の６月１４日に起きた「岩手・宮城内陸地震」に関して、宮城県大崎市の市長が名称の変更を気象庁に求めるそうです。<br><br>＜岩手・宮城地震＞地震名変更を…大崎市長が風評被害指摘<br>7月8日19時45分配信 毎日新聞<br><a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080708-00000100-mai-soci" target="_self">記事はこちら</a><br><br>記事によると、「岩手・宮城内陸地震」という名称では岩手県と宮城県の広範囲で被害が出たという印象を与えるために温泉宿泊の大量キャンセルなどの<font color="#FF0000">風評被害</font>を生んでいるそうで、<font color="#FF0000">被害甚大な地域を中心とする局地的名称</font>に変更するよう求めるんだそうです。大崎市の観光地である鳴子温泉郷は営業に支障をきたすような影響はほとんどなかったのにもかかわらず、７月末までの宿泊予約のうち、５０００人強がキャンセルし、経済損失は５億円を上回ると見込まれるということに市長として歯痒さを感じているのでしょうか。<br><br>まずは、被害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げます。名古屋に住んでいる私としても、いつ大地震に見舞われるかもしれないので、決して人ごととは思えない出来事です。<br><br>さて、明日に大崎市長は気象庁を訪れるということなのでそこで詳しい要望がわかるのでしょうが、市長はどのように名称を変更してもらいたいと考えているのでしょうか。当然、代替案を提示するものと思われます。上記のように記事からは「被害甚大な地域を中心とする局地的名称」に変更してもらいたいということがわかりますから、最大震度（震度６強）を計測した宮城県栗原市一迫と岩手県奥州市衣川区の地名をとって「栗原・奥州地震」とするのでしょうか。「奥州」だとかなり広い地域を連想してしまうのですこしくどいですが「栗原市・奥州市地震」といったところでしょうか。<br><br>かってな想像から話を展開しても仕方がないのですが、「栗原市・奥州市地震」という名称から一体どれくらいの人が地震の起きた地域を思い浮かべることができるのでしょうか。そんなよくわからないものが名称としてふさわしいでしょうか。「岩手・宮城内陸地震」という名称が悪いとは思えないのです。実際に大崎市も震度６弱を記録しています。相当な被害を被っている地域なのではないのでしょうか。<br><br>それに、「岩手・宮城内陸地震」という<font color="#FF0000">名称</font>からくる風評被害って、一体？　あたかも鳴子温泉郷までもが壊滅的な被害を受けたと印象づけるような報道が繰り返しなされることで風評被害を受けたと主張するのならともかく、「岩手・宮城内陸地震」という名前が風評による被害を与えたというには無理があるのではないか、と思います。当事者になってみると苦しい現実があることはわかるのですが、やはり気象庁に文句を言うのは少し違うのではないでしょうか。<br><br>鳴子温泉郷のみなさんは、地震による被害がないことについて<a href="http://www.naruko.gr.jp/" target="_self"> HP </a>でも下記のように説明しておられます。<br>----------------------------------<br>◎鳴子温泉郷の地震による影響について<br>＊岩手・宮城内陸地震につきましては皆様にたいへんご心配をおかけしておりますが、お陰様で鳴子温泉郷では、被害は軽微で食器等の破損だけですみました。インフラ関係の影響もありませんでしたのでご安心下さるようお知らせ申し上げます。<br>----------------------------------<br>加えて、周辺の道路状況も説明しており、アクセスに問題がないこともわかるようにしています。宿泊客や観光客にむけて精一杯の努力をしておられることを感じ取ることができます。いつか近くに行く機会があれば、鳴子温泉郷で宿泊できるようにしたいと思います（昨年3月の能登半島地震を受けて、昨年７月と今年７月にあえて能登半島の民宿や温泉宿に旅行に行きました。若干の応援の意味を込めてです。今年は先週の土日に行きました）。<br><br>鳴子温泉郷では、宿泊キャンセルの内いわゆる風評被害の影響はどれくらいの割合を占めるのか？　風評ではなく、鳴子温泉郷は地震の被害を受けていないことをしっかりと認識しつつ、わざわざこの時期には行くのを止めるよ、、、という人も相当数いるはずです。温泉だけを目的に鳴子温泉郷に行く人もいるでしょうが、旅行はそれだけでは無い場合も多いと思います。周辺の観光地を訪れる一環として温泉にも行こう、という場合、目的の観光地が被災している場合、旅行自体を取りやめにすることもあるからです。そこで、鳴子温泉郷のみなさんに一つ希望を述べるとすると、周辺の観光地の被災状況をHPに示してもらいたいと思います。被災情報が少ない場合、安全策として「キャンセル」ということにもなりかねない（これは「風評被害」ではないと思います）ので、周辺の観光地の被災状況を正直に報告し、地震後でも安心して訪れることのできる観光プランを提示するとよいのかなあ、なんて思います。「風評被害」があるとするならば、それをはねのけるような営業努力を期待したいです。<br><br>遠くからですが、応援しています。<br>
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<link>https://ameblo.jp/trirama/entry-10114222460.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Jul 2008 21:24:25 +0900</pubDate>
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<title>コント日本一決定戦</title>
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<![CDATA[ コント日本一を決めるコンテストが今年から開催されるそうです。「オロナミンＣ　キングオブコント２００８」。<br><br>吉本興業 コント日本一決定戦開催<br>7月3日13時22分配信 デイリースポーツ<br><a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080703-00000027-dal-ent" target="_self">http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080703-00000027-dal-ent</a><br><br><font color="#FF0000">M-1</font>（漫才）の成功に始まり、<font color="#FF0000">R-1</font>（ひとり芸）に引き続いて、今度はコントということですね。でも、お笑いのコンテストはここに挙げた以外にもたくさんあるので「<font color="#FF0000">C-1</font>」とでも名付ければ他の様々なコンテストと差別化されてより権威付けされるのではないかなあと思います。スポンサーが「オロナミンC」だから、商業的にもいい名前かな。<br><br>物心がついたころから「吉本新喜劇」を楽しんで育ってきた私としては面白いテレビ番組が増えるのは素直にうれしいです。ただ、ちょっとした疑問が・・・。かねてから思っていたことではあるのですが、「コント」って何？　なんとなくはわかるのですが、その定義がわかりません。漫才との違いがよくわからないのです。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/コント" target="_self">ウィキペディア</a>によるとコントとは「笑いを目的とする寸劇のこと」だそうで、「衣装や化粧が施されたり、道具やセットなどが予め用意されている場合もある。大抵は15～25分程度であるが、これよりも長い内容も存在し、中には喜劇・軽演劇と区別の付かない物も存在する」ということです。シチュエーションを設定し、その登場人物を「演じ」て面白い話を展開していく漫才も多くある（というか、最近テレビで観る漫才のほとんどはこのようなタイプ）ので、コントとの違いは道具やセットを使って行う演芸ということになるのでしょうか。<br><br>M-1とR-1に参加する資格の違いは、お笑いの型式はともかく、演者が複数が一人かで簡単に分けることができます。今回のコンテストはどうか。<br><br><a href="http://www.king-of-conte.com/entry/" target="_self">エントリー資格</a>は２人以上のユニットに限るということなので、R-1の参加資格とは明確に区別されます。小道具・衣装に関してはテーブルなどの簡単なセット以外は持ち込みすることができるそうです。小道具は必須であるとの記述はありません。使わなくてもいいのかも参加規定だけからではわかりません。ネタの披露時間はコンテストに勝ち上がるにつれて２分（１回戦）から５分（決勝）へと延びていきますが、いずれにせよそんなに長くはありません。自ずとセットは簡易的なものになるように思えます。そのような短い時間でも意味のあるセットを作れるでしょうか。わざわざ準備する必要のあるセットを。それならばいっそのこと、セットを省略しよう、ということにならないのか。そうすると漫才との違いをどこに見いだすのか？　審査基準は、「とにかく面白いコント芸」ということだそうで、やはりコントとは何か、漫才との違いを出す必要がある（例えば、セットや衣装をネタに面白く生かさなければならない）のか、を知ることはできませんでした。<br><br>まあ簡単に考えてみると、漫才は<font color="#FF0000">センターマイクの前で行う</font>複数人数の芸ということになるのでしょうか。コントはセンターマイクがない・・・。結局はこんなところに落ち着くのかなあ。私が深く考える必要のあることではないんですけどね。ただ、「ザ・プラン9」や「超新塾」などの４・５人のユニットや、「我が家」とか「ななめ45°」などの３人ユニットなどのグループは、（テレビで観る限りですが、）セット不要でセンターマイク中心のコントを行っているので、漫才との区別は本当につきにくいですね。音響が使えるということかポイントになるのかなあ。<br><br>さてさて、今回の新しいコンテストはM-1に見られるような芸歴による制限はないので、大ベテランが出ることもありうるのです。カトちゃん・ケンちゃんが出てもいいんですよね。どんなコンテストでも言えることですが、そこで重要になってくるのが「誰が審査するのか」ということです。日本一を決定すると標榜している以上、大ベテランが出ないコンテストなんて意味がない！　大ベテランも出場して初めて日本一を決めることができるはずなのです。そしてそんな大ベテランを誰が審査するのか。情実が絡んではいけません。誰が、どんな審査をするのか。出場する芸人を見るのと同じくらい、審査員の審査を見るのが楽しみになってくるかもしれません。面白さをコンテストで決めることの意味を問うことは一旦、横に置いておくとして、いろんなところに「面白さ」を見いだせそうです。
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<link>https://ameblo.jp/trirama/entry-10112421867.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Jul 2008 21:25:12 +0900</pubDate>
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<title>西武ライオンズの現役選手が置き引き・・・</title>
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<![CDATA[ 西武ライオンズの現役選手が現金の置き引きで書類送検されていたそうです。<br><br><a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080627-00000021-yom-soci" target="_self">「西武・上本捕手、現金置き引き容疑で書類送検」</a><br>（6月27日11時49分配信 読売新聞）<br><br>現金自動預け払い機（ATM）で、別の利用者が置き忘れた現金３万円を盗んだ疑いとのことです。あーあ、っていう感じですね。でも、どんな状況だったんでしょうか。<br><br>私も何年か前にATMで引き出した現金を置き忘れそうになったことがあります。カードと明細書を取ることに気がいってしまって現金を取るのを完全に忘れてしまったんですね。その時は、次のATM利用者が声を掛けてくださったので助かりました。今回の野球選手の場合はどうだったんでしょうか。置き忘れの現金を見つけたとき、忘れた本人が近くにいたのでしょうか。また、銀行のスタッフはいたのでしょうか？　盗ることは言語道断ですが、状況によってはとても困ったことになります。<br><br>例えばこんなときはどうしたらいいですか？　深夜のATMで現金が忘れられていたとき・・・。現金をATMから取り出して、機械の脇に置いておく？　いずれ盗られない？　緊急用の電話で管理者に連絡する？　管理者が来るまで現金はどこに置いておく？　どうしたらいいの？<br><br>二日前、セルフのガソリンスタンドで似たようなことがありました。ガソリンを入るために現金を機械に入れようとしたとき、釣り銭口に小銭が忘れられていたことに気づきました。夜10時過ぎだったと思います。500円玉や10円玉などがありましたので、全部で600円くらいだったでしょうか。スタッフの控え所にスタッフがいたので、呼びに行って機械のところまで来てもらいました。忘れられた小銭を持ってスタッフのところに行っても良かったのですが、小銭に触るのも嫌だったので（気持ち悪いし、疑われることを回避するため）わざわざスタッフに来てもらったのです。はっきりいって現金が忘れられていて迷惑でした。余計な手間がかかったからです。あのとき、スタッフがいないような深夜のスタンドだったらどうしたらいいのか迷うと思います。今でもどうしたらいいかわかりません。もちろん盗る気はありません。道徳的にはもちろん、防犯カメラがついてるから問題になったときにはすぐに発覚するであろうことは容易に想像できますしね。自戒を込めてですが、現金を忘れないようにしてもらいたいものです。迷惑です（自業自得とはいえ、結果的に野球選手を犯罪者にしてしまいましたよ）。でも、ATMにも防犯カメラがついているから簡単に発覚するのにねえ。映像とその時利用された口座情報から個人特定は簡単なはず。あまりにも迂闊すぎます。<br><br>もちろん盗みはダメなので野球選手を非難するのは簡単ですが、自分に置き換えるといろいろと考えることはあります。
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<link>https://ameblo.jp/trirama/entry-10110472152.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Jun 2008 22:11:53 +0900</pubDate>
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<title>源大夫殿宮</title>
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<![CDATA[ ３日前の<a href="http://ameblo.jp/trirama/entry-10108920195.html" target="_self">ブログ</a>（桶狭間への道をたどったミニ報告）に、次のように書きました。<br><br>--------------<br>さらに境内を南のほうへ歩いていくと、境内の南端に上知我麻神社が見えてきます。信長公記でいうところの「源大夫殿宮」です。<br><br>この神社の前から丸根砦と鷲津砦が陥落したことを知ることになります。ここから鎌倉街道の「かみの道」を通り、星崎を迂回するようにして鳴海方面へと進みます。<br>--------------<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/f6/99/10072271325.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/f6/99/10072271325_s.jpg" alt="200806221612001.jpg" width="220" height="165" border="0"></a><br><br><br>信長公記に出てくる「源大夫殿宮」は現在の上知我麻神社のことだということは聞いていました。そして現在、その神社は上記のように熱田神宮の境内の南端に位置しています。なので、信長の頃にもそこにあったと思い込んでいました。しかし今日、「新修・名古屋市史」をパラパラと眺めていて、上知我麻神社が移設されていたことを知りました。つまり、信長当時は別の位置にあったのです。思いもよりませんでした。少し調べてみました。<br><br>愛知県郷土資料刊行会が出している「名古屋区史シリーズ・熱田区の歴史」によると、上知我麻神社は都市計画の道路区域内に入るために昭和２４年１２月に今の場所に移されたということです。最近の話です。以前は今の場所よりも南方２００メートルの位置にあったそうで、現在でいうと国道１号線と国道１９号線の交差点付近がその跡地であると推察されています。<br><br>今でも、熱田神宮の本宮より５００メートルほど南に上知我麻神社はあるのですが、さらに２００メートルほど本宮よりも離れた位置にあったことになります。当時の海岸線により近い位置にあったことになるわけです。熱田神宮で集結した信長軍（あるいは信長）は、満潮のために海岸線付近を通って桶狭間方面へ行くことができないことを知りながら、わざわざ源大夫殿宮の前（海岸近く）まで行ったということは、何を意味しているのでしょうか。７００メートル（往復１．４キロ）も余計な道のりを通ってまで。大高城やそれに対峙する丸根・鷲津の両砦の様子を観察にいったのでしょうか、あるいは、源大夫殿宮の近くに、東加藤と呼ばれる加藤図書助の居館（羽城）があったことと関係するのでしょうか。<br><br>さらに興味が出てきました。
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<pubDate>Wed, 25 Jun 2008 23:15:23 +0900</pubDate>
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<title>200年前の落書き</title>
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<![CDATA[ 短大生がイタリア・フィレンツェの「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に落書きをしたことが問題になっているそうです。<br><br>「岐阜市立女子短大生６人、フィレンツェの大聖堂壁に落書き」<br>（2008年6月24日20時37分配信 読売新聞）<br><a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080624-00000044-yom-soci" target="_self">http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080624-00000044-yom-soci</a><br><br>ご丁寧にも自分の氏名と短大名を落書きしたそうで、発覚して当然のことです。自分が訪れたことを何らかの形で残したいという気持ちをもつ人がいることはわかります。でも、自分の名前を書くなんて。気分が高揚して書いてしまった、と言っているようです。旅の恥はかきすて？　国内の文化財でも同様の落書きをよく見かけますが、かなり恥ずかしいです。<br><br>でも、そのような落書きも時間が経つと、それなりに「味」となるのでしょうか。１年半前のことですが、奈良を訪れたときに同じような旅人の「落書き」を見ました。<br><br>奈良東大寺の金堂（大仏殿）です。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/d4/09/10072784097.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/d4/09/10072784097_s.jpg" alt="大仏殿" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>大仏殿の中にはもちろん奈良の大仏（盧舎那仏）がいらっしゃいますが、<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/16/27/10072784100.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/16/27/10072784100_s.jpg" alt="大仏" width="220" height="293" border="0"></a><br><br>大仏さんの他にもいろいろ仏さんがおられます。大仏さんの左奥には広目天がおられるのですが、<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/92/78/10072784101.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/92/78/10072784101_s.jpg" alt="広目天" width="220" height="293" border="0"></a><br><br>広目天を囲う柵に落書きがあるのです。上の写真の足元に柵の一部が見えますね。その拡大写真が下です。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/cf/ff/10072784102.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/cf/ff/10072784102_s.jpg" alt="落書き" width="220" height="293" border="0"></a><br>落書きはたくさんあったのですが、これはそのごく一部。「文化十年酉四月」という文字がはっきりと読み取れます。隣には名前らしきものの書いてありますね。文化十年といえば、西暦1813年のこと。195年前の落書きです。<br><br>ふだん、落書きを見ると腹立たしくなるのですが、この落書きを見たときにはついつい微笑んでしまいました。ここまで時間が経つと史料となるのでしょうか。<br><br>でも、いずれにせよ、落書きはダメです。やめましょう！　
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<link>https://ameblo.jp/trirama/entry-10109634784.html</link>
<pubDate>Tue, 24 Jun 2008 23:35:01 +0900</pubDate>
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<title>永禄３年５月２０日</title>
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<![CDATA[ 　上総介信長は御馬の先に今川義元の頸をもたせられ、御急ぎなさるる程に、日の内に清洲へ御出であつて、翌日頸御実検候ひしなり。頸数三千余あり。然るところ、義元のさされたる鞭、ゆがけ持ちたる同朋、下方九郎左衛門と申す者生捕に仕り、進上候。近此名誉仕りし由にて、御褒美、御機嫌斜めならず。義元前後の始末申し上げ、頸ども一々誰々と見知り申す、名字を書き付けさせられ、彼の同朋には、のし付の大刀わきざし下され、其の上、十人の僧衆を御仕立候て、義元の頸同朋に相添へ、駿河へ送り遣わされ候なり。清洲より二十町南、須賀口、熱田へ参り候海道に、義元塚とて築かせられ、弔いの為にとて、千部経をよませ、大卒都婆を立て置き候ひし。今度分捕に、義元不断さされたる秘蔵の名誉の左文字の刀めし上げられ、何ケ度もきらせられ、信長不断ささせられ候なり。御手柄申す計りもなき次第なり。<br>　さて、鳴海の城に岡部五郎兵衛楯籠り候。降参申し候間、一命助け遣はされ、大高城、沓懸城・池鯉鮒の城・鴫原の城、五ケ所同時に退散なり。（信長公記・首巻「今川義元討死の事」より）<br><br>（現代語訳、括弧内は広辞苑より参照）<br>桶狭間合戦の当日に信長は清洲へと凱旋し、翌２０日には討ち取った約３０００の首実検を行いました。下方九郎左衛門という者が義元の鞭と弓懸<font color="#9370DB">（弓を射る時、弦で指を傷つけないために用いる革の手袋）</font>を所持していた同朋<font color="#9370DB">（足利将軍に近侍し取次・お伽などの役に当たった者。法体で某阿弥と称し、時宗の徒が多く、各種芸能に長じた者が出た・・・）</font>を生捕りにして信長に進上したところ、名誉な手柄であると言って褒美を与えられ、信長の機嫌はとても良い様子でした。信長は生捕りにされた同朋に義元が討ち取られる前後の様子を話させ、多くの討ち取られた頸についてもそれぞれ見知った名前を書き付けさせました。その同朋には、のし付きの大刀と脇差を下され、さらに十人の僧衆を集めて義元の頸とともに同朋を駿河へ送らせました。清洲の館から２キロほど南にあり、熱田への街道沿いにある須賀口に義元塚を築かせ、供養のために千部経を読ませて大きな卒塔婆を立てさせました。<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/f5/96/10072262608.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/f5/96/10072262608_s.jpg" alt="200806221513000.jpg" width="220" height="165" border="0"></a>今回討ち取った際に義元がふだんから差していた秘蔵の銘刀・左文字を召し上げ、何度も試し切りをして信長もふだんの差料とされました。お手柄は言うまでもないことです。<br><br>さて、鳴海城には岡部五郎兵衛が立てこもっていました。降参されたので命は助けられ、大高城、沓懸城・池鯉鮒城・鴫原城も併せて５ケ所も同時に退散させました。<br>--------<br><br>ということで、５月２０日とそれ以降の数日間には以上のようなことがあったようです。ただし、鳴海城の守将、岡部五郎兵衛元信は義元の頸の引き渡しと引き換えに鳴海城を明け渡したとも言われています。ということは、十人の僧衆に、義元の頸を持たせた同朋を鳴海城の岡部まで連れて行かせたということになるのでしょう。<br><br>桶狭間の戦い、今日はその翌日でした。
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<link>https://ameblo.jp/trirama/entry-10109239680.html</link>
<pubDate>Mon, 23 Jun 2008 21:15:20 +0900</pubDate>
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<title>永禄３年５月１９日</title>
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<![CDATA[ 桶狭間の戦い、当日です。<br><br>今日は早起きをして、夜明けまでに清洲城へ行き、自分なりに推定した経路を通って桶狭間まで自転車でたどってみようと考えていたのですが、あいにく雨が降っていたために断念しました。戦い当日により近い天候だったのかもしれないので、合羽を着て自転車に乗ってみればよかったんですけどね。<br><br>そんなこんなで、自動車でたどってみました。<br><br>今日のこれまでの記事は現地でリアルタイムに更新したものです。今、家に帰ってきましたので、今日の行程を少し補足してみることにします。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/04/23/10072316246.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/04/23/10072316246_s.jpg" alt="200806221434000.jpg" border="0"></a><br><br>清洲城模擬天守の南側の出口が出発点です。南へ直進したいのですが、そのような道は残っていないので、要所要所をチェックします。まずは、山王宮の西を通っていると想定しているので、現在の清須山王神社日吉神社の西側の小径を通ります。下が日吉神社です。<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/75/82/10072316250.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/75/82/10072316250_s.jpg" alt="200806221451000.jpg" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>さらに南進すると須ケ口にやってきます。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/78/19/10072316252.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/78/19/10072316252_s.jpg" alt="200806221501000.jpg" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>上の写真は須ケ口の交差点。写真の右下をよく見ると、「みそかつ」という看板が見えます。これは「あつたや」という食堂の看板なのですが、このお店はこの須ケ口の交差点にあります。信長公記に書かれているように、須ケ口は熱田へ通じる道だけのことはありますね。二度ほどこの店でうなぎを食べましたが、店の名前の由来はまだ聞いていません。そのうち聞いてみようと思います。<br><br>このあたりに、桶狭間の戦後に今川義元を供養する塚が信長によって建てられ、現在も「今川塚」として残っているそうなのですが、これまでどこにあるのか見つけることができていませんでした。今回、初めて気がついたのですが、「あつたや」の左隣の民家に下の写真のような看板が貼り付けてありました。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/24/83/10072316253.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/24/83/10072316253_s.jpg" alt="200806221506000.jpg" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>清洲城の方へ６５０メートルほど戻ったところにある正覚寺に、去年（２００７年）の１１月に移設されていたようです。戻って、見ることにしました。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/f5/96/10072262608.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/f5/96/10072262608_s.jpg" alt="200806221513000.jpg" width="220" height="165" border="0"></a><br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/3c/59/10072316254.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/3c/59/10072316254_s.jpg" alt="200806221513001.jpg" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>新しい花が供えられていました。頻繁に新しい花にかえられているのか、今日が義元の命日だからなのか、ちょっと興味がもたれます。<br><br><br>さてさて、ここから新川（信長当時にはなかった）と庄内川を越え、熱田神宮まで車を飛ばします。私は、信長らはこの区間は鎌倉街道を通っていたと考えています。いずれ、その道の跡を自転車で走ってみたいと思っています。<br><br><br>熱田神宮に到着しました。小雨が降る中、参拝します。巫女さんが境内を歩く姿がそこここに見えます。なんとなく厳かな雰囲気です。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/dc/30/10072270580.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/dc/30/10072270580_s.jpg" alt="200806221605000.jpg" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>本殿から少し南に、信長塀があります。<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/ec/08/10072317295.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/ec/08/10072317295_s.jpg" alt="200806221607000.jpg" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>桶狭間の戦いの後、信長が熱田神宮に寄進した塀だそうです。今に残っているんですね。<br><br>さらに境内を南のほうへ歩いていくと、境内の南端に上知我麻神社が見えてきます。信長公記でいうところの「源大夫殿宮」です。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/f5/bd/10072317303.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/f5/bd/10072317303_s.jpg" alt="200806221612000.jpg" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>この神社の前から丸根砦と鷲津砦が陥落したことを知ることになります。ここから鎌倉街道の「かみの道」を通り、星崎を迂回するようにして鳴海方面へと進みます。<br><br>鳴海城に対峙する丹下砦にまず入ります。丹下砦の遺構は残っていないようですが、丹下という地名は残っています。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/e1/36/10072317305.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/e1/36/10072317305_s.jpg" alt="200806221702000.jpg" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>ここから善照寺砦へ移ります。善照寺砦は高台にあり、そこからは３６０度、周りを見回すことができます。重要な拠点であったことがうかがえます。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/46/44/10072282002.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/46/44/10072282002_s.jpg" alt="200806221711000.jpg" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>中島砦を経て、いざ桶狭間の古戦場へ<br><br>古戦場の跡地は二つの自治体に、二箇所あります。ひとつは名古屋市緑区、もうひとつはとなりの豊明市です。二箇所の距離は１キロほど。まあ、このあたりいったいで戦われたのでしょう。現在もこの近くで馬が走り回っています！　（中京競馬場が近くにあります）<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/c4/cc/10072290386.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/c4/cc/10072290386_s.jpg" alt="200806221748000.jpg" width="220" height="165" border="0"></a>愛知県豊明市<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/77/6d/10072294021.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/77/6d/10072294021_s.jpg" alt="200806221757000.jpg" width="220" height="165" border="0"></a>名古屋市緑区<br><br><br>今川塚以外はこれまでに何度か行ったことのある場所でしたが、一日ですべてをまわったのは初めてです。それも桶狭間の戦い当日（旧暦５月１９日）ですから感慨深いものがあります。今日の名古屋はそれなりに強い雨が降りました。まさにこのような時期に合戦があったのですね。雨も戦いの帰趨を決する重要なファクターであったと言われています。ホント、今日にふさわしい天気でした。<br>
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<pubDate>Sun, 22 Jun 2008 22:52:12 +0900</pubDate>
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