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<title>ダウンズワールドと僕</title>
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<description>ダウン症のある人達と共にして来た時間、彼らが教えてくれていること、その平和な文化を皆さんと共有して行くためのページです。</description>
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<title>再び、そして最後に</title>
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<![CDATA[ <div>2025年、ですね。</div><div>さて、このブログページも今回で終わりとします。</div><div><br></div><div>このページは元々、僕が書いて来た他のブログとは異なり、今ではなく、先へ残すこと、ダウン症のある人達の世界、文化についての発信を纏めて記録しておくことに焦点を絞って来ました。</div><div>このブログを作った動機が、僕自身の仕事の終わりと言うか、出来るところの限界点の見極めで、残りの人生でどこまで行けるかと考えた時に、やっぱり次に繋ぐしか方法は無いと言う自覚でした。</div><div>何をやって来て、何が見えて、どう続けて行けば良いのか、言葉として残しておこうと。</div><div>本来ならもっと発信力がある人が言うべきなのですが、自分の出来ることをやるしかないですから。</div><div><br></div><div>伝え残して行くべきことは記録出来たと感じています。</div><div><br></div><div>望むことはこのページを閉じて、沢山の人達に、そして先々までお読み頂くこと。</div><div>ただ残念ながらその為の手段を持たないので、あとのことは望みを託してこのページを置いて行くことしか出来ない。</div><div><br></div><div>このページはとてもシンプルで、言わばダウン症文化論だった。</div><div>僕が10代からやって来た仕事で少なくとも2つのテーマに関して、未だ誰1人挑まなかったオリジナルがある。</div><div>一つは障害と呼ばれてきた心の領域、心の多様な形に対して内在的、実践的にその世界を経験して、それを人類の心、精神の文脈の中で捉え位置づける、と言うテーマ。そしてもう一つがその後の活動から展開したダウン症文化論である。</div><div><br></div><div>自閉症文化論と言うものは既に存在しているけれど、ダウン症文化論は全くない。</div><div>ここでも最初のテーマと同じく内在的に、内側からの経験に基づき、更に人類のテーマとして捉えたのは紛れもなく他にはない新たな取り組みだった。</div><div><br></div><div>このことを今あえて強調するのは、つまり開拓者としての責任以上に、今もまだその様なアプローチは皆無だと言う事実に対して、いつか誰かがこの様な方向性が有り得ると言うことを知り、実行する人が出てきて欲しいと言う願いからだ。</div><div><br></div><div>しかし、全ては天に任せる他はない。</div><div>せめてこうして残しておく位のことしか出来ない。</div><div><br></div><div>ここで何度も書いて来たけれど、ダウン症を人間の原型的存在として捉えることがキーとなる。</div><div>そこに人類にとっての様々なヒントがあり、大きな価値がある。</div><div><br></div><div>福祉的なアプローチのこと、或いはまたアート的なアプローチのことも随分書いてきた。</div><div>それらはそれぞれまた役割はある。</div><div>しかし、もっと根本的でより本質的なこの角度からのアプローチこそが必須なのだとだけ言っておきたい。</div><div><br></div><div>ダウン症文化論とは平和論でもあり、人間の心の持つ可能性論でもあり、人間とは何か、世界とは何か、と言う本質的な問いに対して、一つの共通の心の在り方、文化から見てみることを意味している。</div><div><br></div><div>この様なアプローチから創られた場があり、そこで制作された彼らの作品が残され記録されている。</div><div>これらはある意味での物的証拠とも言える。</div><div>未だ読み解かれない、人類の可能性の存在を未来へ向け、祈りを込めて残すこと、それが僕がこのページや携わってきたワークを通して発信してきたことである。</div><div><br></div><div>もちろん、実践自体はまだ終わらない。</div><div>死ぬまで何らかの形ではアプローチして行きたいとも、様々な方法で発信出来る可能性をも模索して行こうと思う。</div><div><br></div><div>このページはこれで終わりだけど、どうか多くの方の目に触れ、何らかの閃きを与えるものでありますように。</div><div><br></div><div><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250119/09/trisomy-21/79/f7/j/o1080081015534717637.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250119/09/trisomy-21/79/f7/j/o1080081015534717637.jpg" alt="" width="1080" height="810"></a><div><br></div><br></div>
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<pubDate>Sun, 19 Jan 2025 09:53:36 +0900</pubDate>
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<title>ダウンズミュージアム構想</title>
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<![CDATA[ <p>このブログの前に3箇所で書いて、</p><p>時々でテーマを持って引越してきた。</p><p>それぞれのブログに愛着はあるけど、</p><p>どれもが役割を終えて閉じた。</p><p><br></p><p>そして、それらのブログは共に現在進行形での発信だった。このブログだけが今ではなく、残すことをテーマに纏めてきた。</p><p><br></p><p>そんな中で書き残しておかなければならないテーマとしてはこれが最後となるのかな。</p><p>ずっと書かなきゃとは思ってて。</p><p>ダウンズミュージアム構想についてだ。</p><p>よしことダウンズタウンの構想を練ったのは20年以上も前でその時にはダウンズミュージアムのヴィジョンは出来ていた。</p><p><br></p><p>いつの日かダウンズタウンが真に実現する時、</p><p>その中心にあるのはダウンズミュージアムである必要がある。</p><p><br></p><p>何故か</p><p>それはダウン症のある人達の存在、</p><p>その本質に何があるのか、彼らの本来の素晴らしさ、</p><p>何らかのフィルターを通したものでなく、</p><p>そのままダイレクトに表されているもの、</p><p>それが絵画作品であり、</p><p>それを多くの人が纏まった状態で見ることが出来ること、それが彼らへの理解と共存においても大切なキーであるからだ。</p><p><br></p><p>ダウン症の人達の絵画作品と一言で言っても、それには条件がある。</p><p>彼らの本心、彼らの素が遮られずに現されているかどうかと言うところ。</p><p>それを見極めるにはまだまだ様々な議論が必要となってくるが、未だその段階にはない。</p><p>だからこそ、一つの作品群がその問題提起も含めて可能性や基準を提案出来ると考える。</p><p><br></p><p>まだ本当には知られていない、見られていない世界がある。彼らの表現をこういった視点から捉えた活動は世界中で皆無である。</p><p>人類にとっての芸術や美とは何かと言う大きなテーマの中心にある作品群でもある。</p><p><br></p><p>彼らに共有される共通の在り方、感性の形と言うものが確実に存在している。</p><p>それは彼らの描く最良の作品を通して見ることが出来る。</p><p>他の場所で何度も書いて来たけれど、環境や人から影響を受けやすく、自らその本質を表現することは殆どない彼らの感性は、相応しい環境と人があって表れ出てくると言う要素がとても大きい。</p><p>何故そう言い切れるか、その問題は既に語って来たのでここでは繰り返さない。</p><p><br></p><p>単純にまだその全貌を誰も見たことがない、と言うこともあるし、それから様々な意見があって良いと思っている。だからこそダウンズミュージアムが1つのきっかけにも資料的な役割を果たすことにもなれるはずだと。</p><p><br></p><p>まず彼らの作品の圧倒的な美しさ、</p><p>見た人達が心動かされる、感動する、そう言う場面はこれまでの活動でも沢山見てきた。</p><p>これらの作品が人類にとって途轍もない価値を持つものであることは僕には疑いようのないことと思える。</p><p><br></p><p>これは1つの文化であり、平和的、調和的な感性とポジティブなバイブレーションは世界中に必要とされる大切な人間性の根幹を成すものだ。</p><p><br></p><p>ダウンズミュージアムはそれを絵画作品てして、この目で見ることが出来る場であり、人間とは何か、創造性とは何か、心とはなにか、そしてみんなが争わずに共存することは可能か、そう言う根源的な問いへのヒントを、ビジョンを見せてくれる場所。</p><p>だからこの貴重な人類の財産を出来るだけパブリックな場として設定出来ることが理想だ。</p><p><br></p><p>作品を今の社会のルールの中で位置づけ、変換し、切り売りする世界を完全に否定はしない。</p><p>それも1つの方法では有り得る。</p><p>しかし、それだけでは見えないもの、逆に隠されてしまうもの、そこに本当の価値がある。</p><p><br></p><p>特に社会に多い経済への変換にしても、それを成り立たせるこの社会そのものへの問い、それを根本的に変える可能性をもこの作品達は示しているかも知れない。</p><p>或いはよくある議論として、果たしてこれは芸術、アートと呼べるのか、と言う声にも、芸術、アートであるという作品の力や作品論もまた1つの変換であるとも言える。もっとその芸術、アートそのものを問う、見直す可能性さえこれらの作品世界は示している。</p><p><br></p><p>そして、もちろんもっとカジュアルに、楽しめる、作品に触れて心を満たす、背景を考えずとも作品を純粋に楽しんで、感じて貰える場所。</p><p><br></p><p>僕は東京アトリエ時代にInstagramのアカウントにその都度、制作された作品を上げていた。</p><p>それは奇跡の記録だった。</p><p>それは連続でただ見て感じて貰えば分かるものだと思っている。</p><p>どうかその時期の作品たちも見て欲しい。</p><p><br></p><p>だからダウンズミュージアムを。</p><p>美に触れ、調和の感性を感じて貰える場所を。</p><p>人類の未来を、可能性を示す心の在り方に出会える場所を。と。</p><p><br></p><p>ダウンズミュージアムの実現は他の人、これからの人へと繋がなければならないかも知れない。</p><p>未だその本質を知られることがない、人類の宝のような心の在り方と、圧倒的に美しい作品群を、世に解き放つためにこの構想を、ビジョンを共有してくれる人達と出会えますように。</p><p></p><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240903/23/trisomy-21/3c/38/j/o0720054015482279271.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240903/23/trisomy-21/3c/38/j/o0720054015482279271.jpg" alt="" width="720" height="540"></a><div><br></div><br><p></p>
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<link>https://ameblo.jp/trisomy-21/entry-12866119296.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Sep 2024 23:10:03 +0900</pubDate>
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<title>社会的地位について</title>
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<![CDATA[ <div>ちょっとまず初めに8月18日のInstagramとFacebookへの投稿記事を貼りたい。</div><div><br></div><div><br></div><div>東京アトリエでの日々から退いて3年、いや4年経つか。早いものだ。内容面ではやり切ったし、何処まで行けるのか証明出来たとも実感していて、何も思い残すことはない。ここ数年感じているのは、未来を考えてこれから必要なのは圧倒的な影響力と普及力、そこに特化した人材や組織だろうと。兎に角、認知度のレベルで興味を持つ人が沢山いてこそ多様な可能性も議論も生まれるから。発信面に関してはまだまだ思うところもあって、こんな片隅で静かに制作の場を開いていても、世の中でのあれこれを聞いて愕然とするまだまだその認識なのか、と。でもやっぱり1番ベースと言うか、僕が1番大切だと思うのは現場レベルの話。昨日、調子を崩してしまっている作家をみていて、マンツーマンでしっかりみていて、最初から終わりまで少しづつ解して、最後には心も身体も柔らかくなって、元気も笑顔も戻って行くプロセスを確認して、その中、ずっと思っていた。一目瞭然なんだよな、って。ここが固くなってる、ここはこれから来てるな、ここ放っといたらこうなるな、これはここに入れとかなきゃな、って、当たり前に明晰に次々進めて行く。僕には見えること、分かること、出来ること、なんの疑問も不安もなく。でもこれをやれて言い切れる人はまず居ないだろうな、って。分からなければこれも問題になるな、とかここ触ったり焦ったり力入れたら悪化させちゃうな、壊しちゃうな、って言うポイントも色々あって。うーん、これはつくづく現場レベルで相手を見て対応出来る人材が各場所に必要だな、と。見極められる人さえいれぱもっともっと問題はなくなるし、悪化させたり壊したりしちゃう危険もなくなる。でもそう言う人材を育てるには時間も環境も必要でまずそれが今どこにもない。これは大きな課題だなと。<br></div><div><br></div><div><br></div><div>ここで書いた様に第一線から離れて感じることは、</div><div>およそ30年取り組んできたテーマ、背負ってきた任務において出来たこと、深められたこと、変えて来たこと、</div><div>それ故に削らざるを得なかったこと、</div><div>出来なかったこと、課題として、このジャンルに残されたことを思う。</div><div><br></div><div>繰り返しになるけど、内容は充分深めてきたから、後をやる人、続きをやる人、或いは違う角度から新たに挑む人達はぜひ拡散力の方を、数を、普及を目指して欲しい、と願っている。</div><div><br></div><div>このジャンルでクオリティを追求した人って居なかったからね。</div><div>誰もやらなくかったし、やれなかったし、その可能性を示す必要があったからやってきた。</div><div>だから、削らざるを得なかったし、諦めなければならないことも沢山あったし。</div><div>数を目指すなら妥協しなければならないと言う場面でも、やはり妥協は出来なかった。</div><div>それは明らかにしなければならないことがあったから。</div><div>ある意味ではそこはね、もうやっておいたから、って、だから違うところ行って良いよって言えるところがある。</div><div><br></div><div>シンプルな言い方すればね、</div><div>まだまだなめられてる、このジャンル。</div><div>そこに何か途轍もないものがあるなんて、殆ど誰も思ってはいない。</div><div>そんなもんじゃないから、そんなレベルで見てないから、ってところがね、ここに本当に凄いものがあるから、ってそれだけは妥協しないで来たから。</div><div><br></div><div>それもあるし、今だからこれも一応言っておきたい。</div><div>これも誰も指摘しないし、誰もそんな認識を持っていなかったから、いつも開拓者は苦労して誤解もされる。</div><div><br></div><div>現場の中心を離れてから、周りから性格変わったかの様に言われたり、丸くなったなんて言われることもあるけどね、そんなことは実は全くない。</div><div>これが僕の素だから。</div><div><br></div><div>僕らの仕事ってプロデュースとか頭脳労働とか色んな要素があるけど、そう言うのをおいて現場で作家達と関わる仕事、これはまだまだジャンルとして確立されていないし、実際にそこで何が行われてるのか、僕は例えばそこで何をしているのか、知る人はいない訳でね。</div><div>だからね、ジャンルがないから、なんの仕事してるか普通分からないから、ね、</div><div>そうすると何がおきるか、まあ甘く見られる、なめられる、そうされた時にね、考えがない、信念がない人達は相手の認識を変えようとしない。</div><div><br></div><div>だから、まあね、なめんなよ、なんて相手は言われるとは思ってもみないわけで。</div><div>そこを僕は指摘してきた。</div><div>その認識は違うよ、と。</div><div>生意気と思われたり、頑固と思われたり、プライド高いな、と思われたりね。</div><div>でもね、それはどうしても僕がそうするしかなかったから、役割で仕方なくやってきたこと。</div><div>何故なら誰もそうしないことが分かっていたから。</div><div>認識を変えて行くには僕が示すしかない、と。</div><div>それは言うまでもなく自分のためではない。</div><div>自分のことなど、この仕事をする時点で捨ててしまった。自分のことなんて微塵も思わなかったし、命を惜しんだこともなかった。</div><div><br></div><div>関わると言う仕事、相手の心の奥深くを共有して、そこから一緒に豊かな世界を掘り起こしていく仕事。</div><div>それはとても鍛錬を要するし、生まれ持ったセンスが必要だし、そしてやり甲斐のある、素晴らしい仕事である。しかし、その仕事を理解する人、認識する人は殆ど居なかった。</div><div>簡単に言えばこの仕事の社会的地位がまだまだ低い。</div><div>世の中のリスペクトに欠けている。</div><div>だからこそ、僕は出会う一人一人にこの仕事への敬意を要求したし、お互いにリスペクトを持てなければ付き合えないと言う線を譲らなかった。</div><div>開拓者として自分は良くてももし、こう言うことをやろうとする次の人達が出てきたら、とその人達、その先の人達を考えてきた。</div><div>必要な訓練と努力、そして人としての成長、しっかりした技術とそれを支える人格、それらをそなえて、誇りを持ってこの仕事をする人、そう言う人達をリスペクトする文化を創って行かなければならない。</div><div><br></div><div><br></div><div><div><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240902/18/trisomy-21/09/0e/j/o0720054015481824595.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240902/18/trisomy-21/09/0e/j/o0720054015481824595.jpg" alt="" width="720" height="540"></a><div><br></div><br></div><div><br></div><br></div>
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<pubDate>Sat, 31 Aug 2024 23:32:15 +0900</pubDate>
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<title>世界ダウン症の日に</title>
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<![CDATA[ <div>今年もこの日が来た。</div><div>国連が定めたこの日に普段は意識しない人達が、なんらか思いを向ける、考えてみる、そんなきっかけであるなら意味は確かに大きいとは思う。</div><div><br></div><div>でも、やはりこう言う日を設定しなければならない、と言う発想を僕は良しとはしない。</div><div>ダウン症のある人達が生きてこの世界で共にあること、そのことをそんな特殊なこととして、切り離して設定することに違和感を覚える。</div><div><br></div><div>どのくらい前のことか、もうかなり時間が過ぎてしまったけれど、ダウン症文化を発信すべく発言していた頃、いくつかのイベントで話して欲しいと声がかかった。</div><div>当時はお断りしたのを憶えている。</div><div>それから後にはそういった関連イベントを開催する人達の世代も若くなったりで、大したことは出来なくても応援の気持ちもあり参加したことも何度かある。</div><div><br></div><div>これまで発信含めて、様々な形で正しい情報と、ダウン症文化を知ってもらうため、尽力してきた。</div><div>しかし、なにより僕は当人達と付き合ってきた日々の時間がベースとなっているから、色んな場所で話したりしてきて1番感じて来たのは、目線が違うなぁ、見てるところが違うなぁ、ってこと。</div><div><br></div><div>何度も言って来たけど、僕は彼らの側から発言してきたからね。彼らの視点に立ってものを見て言って来たから。そこはぜんぜん違う。</div><div>で、そう言うところから見たり発言したりっていうのが、他にはあまりにもなさ過ぎて、それは何を意味するかと言ったらズバリ、当事者が置き去りなんじゃないの、ってことなの。</div><div><br></div><div>僕にとってはダウン症のある人達って言うのは、はっきり言うと一心同体だから。</div><div>その目線から言わせて貰えば、こう言うことはやりたいな、やって欲しいな、って言うことと、こう言うことは嫌だな、やって欲しくないな、って言うことがあって。</div><div><br></div><div>なので、この日に特別に何かを言うのは今年を最後にしたい。もっと先に進みたいし、進んで欲しいから。</div><div>特殊なことにするんじゃなくて、毎日、この世界に彼らが一緒に居る訳で、そこへしっかりタッチ出来る、そのことの意味を感じられる世界にしていくために。</div><div><br></div><div>東京で20年、アトリエでダウン症のある人達の感性と取り組んできて、その魅力と調和の文化を発信してきて、文字通り全力を尽くし、命懸けで取り組んできて、正直なところ僕が出来るのはこの地点までかな、と。</div><div>世の中が追いついてくれなかった中で、あまりにも先へ行き過ぎてしまったかも知れない。</div><div>でも見えているものに目を瞑ることは出来なかった。</div><div><br></div><div>この3年くらいで、やっと、あー本当にもう終わったんだな、と気づけたと言う部分もある。</div><div><br></div><div>もちろん、ダウン症文化を発信することや、彼らとの時間を過ごすことは今後も機会があれば続けて行くし、今でもメインではないにせよ、続けている。</div><div><br></div><div>さて、皆さん、これまで何百回と言って来ましたが、ダウン症のある人達は人種にも環境にも関わりなく、一定の割合で必ず産まれてくる。それを人為的にいじらない限りは。</div><div>この事実は何を示すのか。</div><div>もう一度、繰り返して言うと、やっぱり僕ら人類にとって必要な一つの文化がここにあるということ。</div><div>競い争い比べるだけが人間のあり方なのではないと言うこと。もう一つの可能性があると言うこと。</div><div><br></div><div>人間の心の奥深くにある叡智。</div><div>人、もの、環境、この世界の全てと仲良く、調和して、命を輝かせ、響き合うあり方。</div><div><br></div><div>もう一度だけここに再録させて欲しい。</div><div>もう20年以上も前に書いた文章。このページにも一度載せたけど。今日のこの時にもう一度だけ。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">序曲　調和のビジョン</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);"><br></div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">ダウン症の人たちには環境や秩序に対する、</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">ある種の慎ましさがある。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">謙虚さや配慮のような感覚にも似ている。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">彼らには本質的な暴力性が感じられない。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">彼らの感覚は敏感で鋭い。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">彼らは絶えず瞬間を生きている。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">自由でとらわれがない。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">柔らかく静かな心。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">彼らは自然と調和する。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);"><br></div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">これまでダウン症の人たちと接して来た時間は、</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">彼らの特徴である優れた感性を実感させてくれた。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);"><br></div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">僕たちは彼らと一緒に学校を創っている。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">この学校は小さいけれど、</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">何処にもない新しい可能性に満ちている。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);"><br></div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">彼らの優れた感性が傷つけられずに、</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">守られ育って行けたら、伸びて行けたら、</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">どんなに素晴らしいことだろう。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);"><br></div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">その感性から僕たちの社会は、</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">新しい世界観をつかむことが出来るだろう。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">穏やかさ、争わないあり方、</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">人や自然に対する優しさ。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">今と言う時の大切さ。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">小さなものや出来事への気づき。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">なによりも共生と平和。</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">彼らの感性が示すもの、</div><div style="border: 0px; font-size: 16px; margin: 0px; padding: 0px; vertical-align: baseline; max-width: 100%; color: rgb(51, 51, 51);">それは調和のビジョンと呼べるかも知れない。</div></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240321/23/trisomy-21/e1/41/j/o0720054015415893508.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240321/23/trisomy-21/e1/41/j/o0720054015415893508.jpg" alt="" width="720" height="540"></a><div><div><br></div></div></div>
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<pubDate>Thu, 21 Mar 2024 23:22:19 +0900</pubDate>
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<title>力を無化すること</title>
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<![CDATA[ <div>現在、SNSを停止して発信はブログのみとしている。</div><div>このページも久しぶりなんだけど、</div><div>前にも書いた様にここでは1つの文化を記録すること、</div><div>残すことをテーマにしているので、</div><div>近況や世の中の移り変わりをあまり話題に上げたくない。</div><div><br></div><div>2024年は文字通り能登半島の地震から始まってしまった。これまで何度、能登の人達、自然、風景に助けられて来たことか。幾つの祭りの記憶が残っていることか。あの場所が痛みつけられることは、身を切る思いがする。僕のルーツ。祖父のルーツである能登。</div><div>朝鮮半島やロシアが国を超えて近く感じられる能登。</div><div><br></div><div>能登、北陸、新潟、地震による被害を受けた皆様、心よりお見舞い申し上げます。被害が最小限に治まります様に。1日にも早い復旧をお祈り致します。</div><div><br></div><div>昨今ばかりではなく、本当に酷い世の中だな、と。</div><div>人間の愚かさしか、醜さしか出て来ないのか、と。</div><div>力、権力を持った人達の暴走、支配は止まらない。</div><div><br></div><div>お金であれ、名誉であれ、それが何に変わろうと人は数を追い求める。数は力だと。</div><div>力が欲しい権力が欲しい、と。</div><div>それは結局は支配への欲求でしかない。</div><div>数はさらなる数への飢えをもたらす。</div><div>権力への欲求は終わることがない。</div><div>そんな中で力なき人達を代弁して戦う人達がいる。</div><div>でもそんな人達もみんな言う。</div><div>自分に力を持たせて下さい、と。</div><div>もっと権力があれば変えられるのに、とみんな思う。</div><div>僕も思った時があった。</div><div><br></div><div>でもね、最近そう言う抗争を見ていてますます思う。</div><div>違うんじゃないか、って。</div><div>結局は力に力で立ち向かっても、それは今弱い者と今強いもので格差も違うけど、その弱者と強者が逆転しても結局は同じこと何じゃないかって。</div><div>変えるための力、良いことを実現するための権力、弱者を守る為の力。だから力が欲しい、ってそう思うのは間違っていないように見える。でも違う。</div><div>誰かだけが力を持つ権力を持つ、その権力の奪い合いなんだと。力で対抗しようとした時点で違うところに向かってしまう。もっと言うならそれが暴力というもの。</div><div><br></div><div>力での支配、権力で解決する、それ自体が全く間違っているんじゃないか、と。</div><div><br></div><div>僕がこれまで語って来たこと、</div><div>そして沢山のダウン症のある人達と過ごしてきた無数の時間、彼らと見てきた世界。</div><div>それらが教えてくれていること、伝えていることは何かって、力を持つな、ってことなんだよ。</div><div>権力を持つなってことなんだよ。</div><div>寧ろ力を無くしていかないと、一切の権力を無くさないと。力を無化してはじめて相手と対話が出来る。</div><div>はじめて、人と、この世界と出会い、向き合うことが出来る。</div><div><br></div><div>ダウン症文化論と僕が呼ぶもの。</div><div>それは力を無化することが人間に可能か、と言う問いかけでもある。</div><div><br></div><div>今のままではだめなんだと、それを変えて行くためには違う視点を持たなければならない。</div><div><br></div><div>僕は見てきた。そして確信を持っている。</div><div>力や権力によらない真の関係性で繋がる文化を。</div><div><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20240119/23/trisomy-21/3e/77/j/o0720054015391412567.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20240119/23/trisomy-21/3e/77/j/o0720054015391412567.jpg" alt="" width="720" height="540"></a><div><br></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/trisomy-21/entry-12837252704.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Jan 2024 23:35:49 +0900</pubDate>
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<title>制作の場をいかに整えるか</title>
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<![CDATA[ <p>以下は12月3日にInstaとFacebookに投稿した記事です。このページではダウン症のある人達の文化を発信してきていて直接的に少し角度が異なるテーマですが、20年に渡りダウン症のある人達専門の絵画アトリエとして実践してきた場作りの元にある思想でもあり、ここに再録することとしました。</p><p><br></p><p><br></p><p>明日から信州へ向かいます。</p><div>2023年、共働学舎とのコラボ企画でのワークショップを締めくくります。</div><div>これがただのイベントで終らない為にも、と言う思いでテキストを残すことにしました。共働学舎の為に書きましたが、制作の場を創ると言うことに関して普遍的な内容になったので、公開することにしました。</div><div>何方か冊子にでも仕立てて下されば、そして必要な方にお配り出来れば良いなと思いつつも、この時期に何とか間に合わせたかったのでひとまず投稿と言う形で公開します。以下やや長いですが。</div><div><br></div><div>共働学舎での制作の時間について</div><div>学舎アートプロジェクトガイドライン</div><div>（作成　佐久間寛厚）</div><div><br></div><div>このテキストは信州共働学舎の中で、制作の時間を持ち、続けて行ける為に共有しておきたいこと、良い場とするために大切なことを、指針として残しておくために書くことにしました。</div><div><br></div><div>場作り、それも制作と言う一人一人の心にタッチする時間を創ることをマニュアル化することは出来ないし、そうしてしまうことは良くないことです。</div><div>私達は一切の先入観を取り払い、その瞬間の新鮮な心の動きを敏感に察知して行く必要があります。</div><div>ですから、これまでこの様な形で指針を纏めること、残すことをあえてしないようにしてきました。</div><div>でも今これを残すことの意味は、今もこれから先も、この場を大切にしてくれる人、この場を続けて行きたいと思ってくれる人、その意味を感じてくれる人が、どんどん関わってくれること、そんな場所にして行って欲しいからです。</div><div>制作そのものと同じ様に、場を創ること、人と関わることも感性を働かせ続けるクリエイティブなことであることを忘れないで下さい。</div><div>言葉はあくまで基本、ベースとなることのみです。そこにその場でのその人にしかない、その瞬間にしかないアレンジ、創造性が加わり場が形となります。</div><div><br></div><div>制作の時間をなぜ創るか</div><div><br></div><div>信州共働学舎における絵画制作の時間は、農作業の無い冬の時間の中でメンバー達のリフレッシュと、それぞれの良さが活かされる時間をと、坂井明子さんが細々と大切に続けて来たことが元にあります。</div><div>僕自身は10代の頃、16才から23才までの間、最初の数年は出入りしながら、この多感な時期に学舎から学び、その後の生涯のテーマを与えられました。学舎を離れてから20年以上に渡り、沢山の人達の制作を通した心との対話、制作の場を創って来ました。</div><div>その途中で信州共働学舎の冬に久しぶりに訪れた際に、前述の明子さんの続けて来たメンバー達の制作の時間を1度やって欲しいとの要望を受け、今は亡きメンバー達も居ましたが、心の深くに触れる、響き合う時間を共有することが出来ました。</div><div>以来、いつかは学舎に正式な場所として、制作の時間を創れたら、と言う希望を持って来ました。</div><div>2023年、共働学舎の米袋デザインを更新する目的で助成金を受けて、その原画制作のために学舎アートプロジェクトとして数回の制作の時間を僕が担当することになりました。</div><div>その時間をみんなと創ってみて、増々、これからも制作の時間を持って行って欲しい、続けていって欲しいと言う願いが湧いて来ました。</div><div>僕が関わったことは切っ掛けで、これから先は学舎メンバーがみんなで場を創って行くことになることを願います。</div><div>さて、場作りにおいて最も大切なことは動機です。</div><div>この場を創り、続けて行くのは何のためでしょうか？</div><div>特に共働学舎において制作の時間を持つことの意味は？学舎の魅力は人の魅力。そこに居る人達の笑顔に沢山の人達が惹かれ、癒やされ、一緒に歩もうとします。そんな学舎の生活の中に、制作の時間を持ち、一人一人がその人にしかない個性、魅力を発揮出来ること、一人一人がありのままを認められ尊重されること。その人の心の深くにある可能性が発揮できること、笑顔に溢れること、心と心が響き合うこと。</div><div>それが制作の時間を持つことの意味です。</div><div>この動機が共有されていることが何よりも必要なことです。今もこれからも。</div><div><br></div><div>自発的創造性</div><div><br></div><div>制作の場が一人一人にとっての精神的な家の様に、自分に戻れる場所として帰ってこられるような時間となることが理想です。自分で部屋に入って画材を出して描いて行く。そこに他の誰かの手が介在しないこと。そんな場所になるのがベストです。</div><div>ただそこに1人でも2人でも、場の責任者が居て、一人一人の気持ちを汲み取り、必要なら側に居て、隣に座って見守ること。そう言う役割を担う人が居てくれると良いです。</div><div>この役割は指導者とは違います。</div><div>制作への指導的な手は一切加えないことが大事です。</div><div>見る人の想いを相手に投影してはいけません。</div><div>その人の心の動きを遮らない。</div><div>相手を信頼することです。</div><div>描く力は生きる力です。その内なる力がその人の中から湧き出て来るのを信頼して、心を共にして、共感と共に待つことです。</div><div><br></div><div>受け止める</div><div><br></div><div>作品に口出ししてはいけません。もっとこうしたら、とか、これは何？と言う質問ばかりしないこと。</div><div>良し悪しをジャッジしないことです。</div><div>どんな表現もその時のその人の真実です。</div><div>褒めることも大切なことですが、褒めることもある種のジャッジに繋がります。そこには注意が必要です。</div><div>褒めるより、認めること、受け止めること、今のその人がそこに現れています。</div><div><br></div><div>制作の純度を保つために</div><div><br></div><div>制作の時間は自由になってもらうため、開放されるためにあり、一人一人の個性が遮られず、方向性を固定されないことが何より大切です。</div><div>目的を外から与えられることは避けましょう。</div><div>何かをするための目的に絵を描く、それがデザインや様々な企画であったり、展覧会等、展示目的で絵を描くと言うのも控えて、外の意識が制作を限定づけない様にしましょう。</div><div>企画は自然に生まれた作品の中から選定すべきです。</div><div>制作の時間自体は何者にも限定されない純粋さが保たれていることが重要です。</div><div><br></div><div>自然な成長と幸福感</div><div><br></div><div>こうしたことが全て一人一人の心の健康にも繋がります。自分らしさを周囲に認められ、受け入れられ、充分に発揮出来た時に生れる自信、生命全体を肯定された感覚が自然な成長を促します。</div><div>メンバーの内面的な喜び、生きている幸せを感じられる場となること。</div><div><br></div><div>何を見て行くか</div><div><br></div><div>制作の時間はその人の人生が凝縮されて現れます。</div><div>そのプロセスの中でも沢山の季節がやって来ます。</div><div>この瞬間を掛け替えのない、一期一会と自覚して大切にしていきながらも、流れを見ること、先を見て今の季節を捉えることが大切です。</div><div>良い時も悪い時も、流れの中で自然に経過して行ける様に優しく見守ること。</div><div>絵を見ると言うより、心を見ることです。</div><div>描けなかったり、気持ちが動かなかったりしても、強制しないこと。焦らないこと。今の状況を受け入れること、認めることです。しっかり共有していればそれで良いです。必ず次の瞬間がやってきます。</div><div>描いていようがいまいが、ただそこに一緒に居ること。</div><div>線の強弱、発色の度合い、筆の動き、流れ、そこにその人の今の気持ちが出ます。感じていること気づいていること、感じようとすること、気づこうとすること、そこに共感、共有が生まれます。</div><div>こちら以上に相手は敏感に感じ取っています。</div><div><br></div><div>敬意を払うこと</div><div><br></div><div>相手に敬意を払うこと、それが全ての基本にあります。　</div><div>相手に興味を持つこと、注意力を働かせ感じとろうとすること、それが敬意の現れであり、必ず相手に伝わるものです。場ではお互いが敏感に感じ合っています。</div><div><br></div><div>言葉でのコミニュケーションについて</div><div><br></div><div>制作の場において、自然な会話があり、普段は口にしないようなことも言葉として出て来たりもします。</div><div>一つ一つ受け止めながらも、言葉に頼らずにその奥にある心の動きを感じることが大切です。</div><div>言葉でのコミニュケーションは相手から出て来る時以外はやりすぎないようにすべきです。特に説明を求めることは逆に感じてもらえていない、分かってもらえていないと思わせてしまうことがあります。</div><div><br></div><div>1番大切なこと</div><div><br></div><div>そして、最後に書くべきか迷いましたが、僕のこれまでの経験の結論です。</div><div>制作の場の価値、最大の意味は何か。</div><div>それはこれに尽きると思っています。</div><div>人は誰でも産まれたその時からの、ほんの僅かな時間だけ、その掛け替えのない時間だけ、赤ちゃんの頃だけ、存在そのままを、ただそこに居ることを集中して、ただ自分だけを見て貰えます。</div><div>今この時にそんな時間を作ること。</div><div>その人だけに集中して丸ごと見て行くこと。</div><div>それがどれほどの力を持つことなのか、どんな奇跡を起こすか、やってみればきっと体験することでしょう。</div><div><br></div><div>制作の時間を通して、細やかな場を通して、一人一人の生命力が輝く場面を、みんなで創って行ってくれることを願っています。</div><div><br></div><div>2023年　共働学舎ワークショップの記念にこの小さなテキストを残します。</div><div><br></div><div><br></div><div><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20231216/16/trisomy-21/88/99/j/o0720054015377651782.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20231216/16/trisomy-21/88/99/j/o0720054015377651782.jpg" alt="" width="720" height="540"></a><div><br></div></div>
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<pubDate>Sat, 16 Dec 2023 15:57:08 +0900</pubDate>
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<title>10年後の世界</title>
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<![CDATA[ <div>2023年も最後の月に入り、振り返るとこのページは一つしか記事を書いていなかった。</div><div>来年、2024年はSNSを停止する予定。</div><div>このブログは細々続けるかな。</div><div>とは言え、ここは新たな見解を示したり発信したりを最初から考えては来なかった。</div><div>このページの目的は既にこれまで発信してきたメッセージを未来に向けて纏めておく、残しておく、だった。</div><div><br></div><div>一つの文化の存在を。その価値と可能性を。</div><div><br></div><div>だから、いつ終わりにしても良いと言うくらい、必要な部分はここで纏めておいたと思う。</div><div><br></div><div>この上、このテーマではそれ程付け足すことはない。</div><div><br></div><div>一つの文化が尊重されると言う以前に、まず一つの文化の解析が始まらなければならない。</div><div>その傾向はまだまだ萌芽すらない。</div><div>そう見ている。残念ながら。</div><div>最初に言うと先をどう見るかが今日のテーマなので、現状の認識はシビアに。</div><div><br></div><div>一つの文化を発信して来た者の一人として、</div><div>これからどうなって行くべきかと、その実現性や今どの段階にあるのか考察しよう。</div><div>このページではあくまでダウン症文化そのものをテーマにして来たが、今回はプロデュースを含む場を創る者、発信する者の視点で書く。</div><div><br></div><div>まず、よく言われることで佐久間の予言は当たる、っていうのが。いや、確かにそこらの占い師より当てて来てはいるのだけど。でも、このことはちゃんと説明しておいた方が良い。</div><div>こうなる、必ずこうなる、と言うことを言ったことは一度もないし、そう言うことは本来無い。</div><div>僕が言っているのは流れと言うもののことで、それは長年、場を見てきたり、人間の心を見てきたりして、流れを見極めること、流れを読むことがとても重要な要素だから、そこの感覚は鍛えられている。</div><div>なので、そのことを強調したいが、僕が言っているのは流れはこっちだ、今の流れはここへ向かっている、と言うことだ。</div><div>これを予想や予言とは違うのは、流れと言うものは確かにそこに向かっていても、流れに従わないと言うことも限界はあるにせよ、人間には可能だから、流れに反した方向へ結局行くこともよくあること。</div><div>確率で言えば7割は流れに向かうけど残り3割は流れとは違う方向へ行く。</div><div>更に言えばもっと確率は低いのに流れは確かにこっちと言うことだって少ないけれどあることではある。</div><div><br></div><div>流れには大体は従う方が良い。</div><div>けれど流れに歯向かわなければならない時もあるし、良くない流れの時に最小限にくい止める必要も出てくる。</div><div>さっきも言った様にそう言う場面で流れに対抗出来るのは3割程度。逆に少ないけど流れの方が弱いなんて時もある。これは不思議なんだけど、水が下へ向かって流れないと言う物理的には考えられないこともある。</div><div><br></div><div>さて、ここではこれまでの流れも10年単位で見て行きたい。この先の10年どうあるべきなのか、その中で流れ自体は何処へ向かっているのか。僕らは何処を見て行くべきか。</div><div><br></div><div>ダウン症のある人達を対象に仕事してきて20数年。</div><div>その以前、原点であり出発点であった実践では様々な障害を持つ人達と心を一つにしたワークがあり、その出会いから30年が過ぎた。この30 年は一貫した一つのテーマとして貫かれた。人間の心と可能性を、生命とは何かを巡るとても深い実践。</div><div>最初の10年は寡黙にひたすら盛り下げた。</div><div>次の10年は実践を継続しつつ普遍化と定義付けへ向かい、一つのジャンルとして確立させようとしてきた。</div><div>そしてこの10年で社会へ向けた発信、融合を目指して来た。僕の仕事としてはそんな流れだ。</div><div><br></div><div>社会の流れも始めた当初からは大きく変わった。</div><div>それをどう見て行くか。</div><div>変化に良かった部分と駄目になってしまった部分があるけど、全体的に見たら前進している。</div><div>流れとしては悪くない。</div><div>もちろん、この社会はいつも課題だらけだけど。</div><div><br></div><div>枝葉の部分はおくとして、大事なポイントだけ書く。</div><div>一人の人間に出来ることは少ない。</div><div>だからどんな時も全体を見てその中での自分の役割を全うすること。</div><div>僕の場合は早くから自分が特化した領域を絞って来た。</div><div>それは誰もやっていないから、誰かがやらなければならないと感じたことも大きい。</div><div>僕は内容、中身を徹底的にやってきた。</div><div>誰よりも深く誰よりも先に、誰も到達出来ない地点まで、始めからそうしようと思った訳では無かったけれど、道は歩み始めたら最後まで行く他なかった。</div><div>言うまでもなく、自慢ではない。寧ろ逆にそこを追求するために無数の出来なかったことがあり、そこをやる人が出て来て欲しいと心底願っている。</div><div>出来ることなら橋渡しが出来れば尚更幸運だと。</div><div><br></div><div>ただ行くしかなかった。何処まで行けるか証明する必要があったから。僕が行かなければそんな世界は無かったことになってしまうから。</div><div><br></div><div>たどり着いた景色を知っているし、経験も技術も奥深い世界像もここに持っている。でも手渡す人が居ない。</div><div>必要とする人に渡して死ねたら最高だけど、それは今のところ難しい。</div><div><br></div><div>ただそれとは別に特にこの10年で確かな社会的な影響面では残せたものが感じられる。</div><div>それは人でもあるし、仕事でもあるし、言葉でもある。</div><div>昔は潔癖で完璧主義だったので、自分のやったことや言ったことが盗用されることが嫌だった。</div><div>ニュアンスが変わりヘンテコな偽物になったものを見ていられなかった。</div><div>でもある時期からどんどん使って貰って良いと思うようになった。今は転用自由と思って発信している。</div><div>何故なら言葉は悪いが僕のパクリで形になったのもや世を動かす流れが沢山あり、その広がりはこれからの世界にプラスになり得るからだ。まだなってないよ。ここからだよ、とは思うけれど。</div><div>自分がやっていなかったらこれもこれも無かったなと思うものが沢山ある。</div><div><br></div><div>で、これから何が必要か。どんな流れにあるのか。</div><div><br></div><div>思い切って言いますよ。シンプルなことですけど。</div><div>僕には出来なかったこと、出来ないことなのでお願いしている訳です。</div><div>これまで言って来たことと逆に聞こえるかも知れないけど、実は違う。そう言う流れがあって今の流れがあるということです。</div><div>表面的なことで良いです。</div><div>でもこれまでの様々な流れがあって、それらを全部吸収して更に突き抜けてその先へ行く、と言う次の時代のヴィジョンとして、今の必要な活動も必然の流れも、ズバリ言うなら広がり、数も含みます。</div><div>5人に話したら一人は知っているくらいのところに行かなければならない。</div><div>まだそれを出来る人も団体も存在していません。</div><div>いや、それが一人の人間や一つの団体が担える筈もなく、こう言う認識を共有することが出発点となるはず。</div><div>まだまだ特定の業界内での流行り廃り止まりのものしか社会にはありません。</div><div>もっともっと普及させる。だからこう言う言葉ももっとパクって貰って、みんな色んなところで言い出して貰って。どんどん認識が広がらないと。</div><div><br></div><div>ダウン症文化に絞った活動は殆どないけど、それだけじゃなくて障害関連、福祉関連に関しても、やっぱり何処かで見かけた、もう誰かがやって来たものを繰り返すだけの流れの中にあって、新たなインスピレーションも乏しく、そして有能な人材が不足している。</div><div>何故か。簡単です。</div><div>分母が足りてないから。1000人居たらその中に何人かはかなり進められる人が出てくる。その為には圧倒的に関わる人口が必要だから。あえて言うまでもないけど有能な人や才能ある人だけが必要なわけではない。</div><div>そう言う人達は1000人居て一人か二人で良くて、やはりそれ以外の人達も沢山居てそれぞれ役割を担う必要がある。数字、拡散力とか影響力とか、もちろんこれは入口に過ぎない訳だけども、でも行くべき場所への入口なので入口がなけらば入れないから。</div><div>大きく人も経済も動く領域になって行かなければならない。こう言うジャンル5人に一人の認知度になるのはとても10年では厳しい。でもホップステップジャンプで、これの次はこれ、これが来たから次はこれと言う必然的な流れで言えば線上にはあるんだよね。</div><div>だから少なくともまずそう言う認識を共有したり、流れを自覚したりすることから初めて貰いたい。</div><div><br></div><div>普及するには圧倒的な影響力ある人も、経済動かす力や政治動かす力も、全てが必要になってくるけど、そう言うものの全ては人の心の変化から始まっていることを見逃してはいけない。</div><div>だからこそ不可能ではない。</div><div>みんなが興味を持つ。もっと強く言えば持たせる。</div><div>そんな展開がこれから起きなければならない。</div><div>多くの人がそこに意識を向ければ、自ずとそのジャンルは変わる。</div><div><br></div><div>僕には今必要な影響力はない。</div><div>だからメッセージを発信することしか出来ないが、誰かの目に留まりここからインスピレーションを感じて貰える可能性もゼロではないと思っている。</div><div><br></div><div>そして、この大きな流れの中から、僕のこの先10年への動きを何処に絞って行くのか、或いはもっと違うテーマを追うことになるのか、少なくともここから先はもっと若い人達が担う。</div><div><br></div><div>この30年で得たことを分かち合う場は細やかながら機会を創ろうと思う。</div><div>理想として自分が去ってからそこが駄目になって行くのではなく、自分が去ってから面白くなって行く、そんな形を目指して来た。もう少しやることはあるけど、理想からそう遠くないところに居ると感じている。</div><div><br></div><div>個人の人生としても色々あったこの数年、ここからプライベートにしてもやれなかったことをやっぱり、取り戻すことは出来ないけれど、今の時間だから出来ることをと思う。生まれ育った街、金沢にもどんな形にせよ関わって行きたい。幼い頃、あまり一緒に過ごせなかった、良い思い出も少い僕の家族にも、これからもっと繋がろうと思う。</div><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20231204/07/trisomy-21/7a/74/j/o0720054015372660477.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20231204/07/trisomy-21/7a/74/j/o0720054015372660477.jpg" alt="" width="720" height="540"></a><div><br></div>
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<pubDate>Mon, 04 Dec 2023 07:24:09 +0900</pubDate>
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<title>ダウン症の日に</title>
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<![CDATA[ <div>なかなかこのページの更新が出来ず、2023年最初が今日になってしまった。</div><div>春分の日でそして、ダウン症の日ですね。</div><div><br></div><div>昨夜、インスタライブをお聞き下さった皆様、ありがとうございました。</div><div><br></div><div>トークすること自体も久しぶりでした。</div><div>テーマにした「もう一つの世界」、冒頭に少し触れましたがこの10年ほどずっとこのことをお話しています。</div><div><br></div><div>今のこの世界はとても偏ったものになっています。</div><div>人間としての機能のほんの一分のだけが使われ、それだけが世界の全てかのように思い込み、それを人にも強制し、、、。</div><div>自分を追い込み、人を傷つけ、、、。</div><div>競い合うことにどれだけの労力とお金を掛けてきたことか。子供の頃から努力して訓練して、必死になって作り上げてきたもの、世代を受け継いで来たもの。</div><div>それが果たして人を幸せにしたのだろうか。</div><div><br></div><div>もう一つの世界がある、と。</div><div>そちらの方向に意識を向けて、人間の可能性として、そちらの方向に価値を見出す時代に入っていると思う。</div><div><br></div><div>人間には調和する本能が宿っている。</div><div>共感し、一体化出来る能力がある。</div><div>それはとても優れた能力だ。</div><div><br></div><div>ダウン症のある人達の感性が示す世界。</div><div>それは人類がこの危機から抜け出して、新たな共存の文化を創る為に必要な知恵でもある。</div><div><br></div><div>僕たちは気づき、シフトチェンジして行かなければならない。</div><div><br></div><div>この数年で僕も現場の中心からは離れた。</div><div>それと共に語ることも控えてきた。</div><div>でも、久しぶりの昨夜のトークで頂いた言葉にはっとした。佐久間さんの言葉に救われたと言う方が沢山居る、と。或いは代弁者だ、と。</div><div>有り難い言葉に感謝と共に、やはり伝えて行くことは続けて行かなければ、と、その責任を実感した。</div><div><br></div><div>想いと言葉を沢山頂いたので、大切な時間だったと感じている。</div><div><br></div><div>ダウン症のある人達の世界。</div><div>障害と言う言葉や視点で見るのではなく、その世界に何があり、それは人間、人類にとって何を示しているのか、感じとり、活かして行く時代がきっと来る。</div><div>その為に、作品の力を体験してもらうこと、それから多くの人達に伝えて行くことを、これからも少しでもやって行きたいと思う。</div><div><br></div><div>応援して下さる皆様、共感してくれるみんな、共に歩んでくれる仲間達、いつも本当にありがとうございます。</div><div><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230321/18/trisomy-21/aa/a4/j/o0720054015258477219.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230321/18/trisomy-21/aa/a4/j/o0720054015258477219.jpg" alt="" width="720" height="540"></a><div><br></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/trisomy-21/entry-12794783447.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Mar 2023 18:19:14 +0900</pubDate>
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<title>向かうべき場所</title>
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<![CDATA[ <p>さて、と言うか随分久しぶりになってしまった。</p><p>2022年最後の夜。</p><p>このページに関しては少ししか書けなかったけど、それで良いと思っている。</p><p>ここは未来に残しておく目的で書いて来たので。</p><p>でも、数年の内に世界はどんどん危険な方向へ動き出した。このままにしておく訳にはいかない。</p><p>今日Twitterでこう書いた。</p><p><br></p><p>困難の続く世界で、今も不条理の内に苦しんでいる人達が沢山いる。他人の痛みを感じようとしない世の中で、不平等と格差がどこまでも広がる。2022年の最後の日に何かメッセージを書きたかったけど時間も無い。昔話した音源をぜひ聞いてみて欲しい。感じて欲しい。</p><p><br></p><p>母川回帰シリーズとして語っていたリンクを貼ったがここには上げない。</p><p><br></p><p>ここで残して来たダウン症文化について、</p><p>その平和の力がこの世界にはますます必要となっている。</p><p><br></p><p>どんな世界でも経験者の話を聞くことは重要だ。</p><p>でも、忘れてはならないことがある。</p><p>決して語られない、語ることが出来ないものがあり、そちらの方が寧ろより深い現実であること。</p><p>そこを決して忘れてはならない。</p><p><br></p><p>知る者は言わず言う者は知らず、と言う言葉があるが、それは何も知恵に限ったことではない。深い喜びも悲しみも、貧困や戦争や様々な困難の経験もそれが深ければ深いほど語ることが出来ない。</p><p><br></p><p>人を分かろうとすること、少しでも感じようとすること、その為には前提として、語られないものがあり、見えない領域や聴こえない声があることを、どこまでも肝に銘じること。</p><p><br></p><p>世界がこんなになっていても、無関心は蔓延し続ける。</p><p><br></p><p>ダウン症文化論として僕が触れて来た心の在り方、それは他人のいない世界。無関係なものが一つも存在しない世界、そう言う深い一体感を体感して生きること。</p><p><br></p><p>この世界の全てが僕らの一部だと皮膚感覚で知りながら生きること。</p><p><br></p><p>無関心と言う闇を払うこと。</p><p>全てに注意をはらい、愛し、響き合おうとすること。</p><p><br></p><p>世界への配慮。</p><p><br></p><p>ダウン症のある人達の心の在り方から、僕らは人間の本質とその可能性を抽出しなければならない。</p><p>そして、それをこの世界に満たさなければならない。</p><p><br></p><p>それは不可能なことではない。</p><p>忘れているだけなのだから。</p><p>僕たち人間は本来はその様な存在なのだから。</p><p><br></p><p>2022年最後の夜に。</p><div><br></div><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20221231/23/trisomy-21/82/6d/j/o0720054015223830016.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20221231/23/trisomy-21/82/6d/j/o0720054015223830016.jpg" alt="" width="720" height="540"></a></p><div><br></div><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/trisomy-21/entry-12782033405.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Dec 2022 23:06:21 +0900</pubDate>
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<title>時間からの開放</title>
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<![CDATA[ <p>今日は現場移動まで少し時間があるので、</p><p>久しぶりにこのページに書きます。</p><p><br></p><p>ダウン症のある人達を中心とした場から離れて、</p><p>数年が過ぎた。</p><p>今は絵を見るのは地元の子供達を少しと言ったくらい。</p><p>そんな中でも数名のダウンのある子が一緒に制作している。これまで数え切れないくらいの人達を、無数の制作の場を見てきて、今でもはっとすることがある。</p><p><br></p><p>「ダウン症文化論」と呼ぶくらいだから、僕は彼ら彼女らの世界に人間の本質や理想を見ている。</p><p>彼らの感じ方や捉え方に、この世界への重要なヒントがあるとずっと言ってきた。</p><p><br></p><p>人間は、人類はこの地球の中でズレた存在になってしまっている。その歪さは正常なリズムを取り戻さなければ明晰に見えない。</p><p>歪みに馴れてしまっていれば、真っ直ぐにものは見えない。</p><p><br></p><p>ダウン症のある人達の言動に、荒唐無稽や思慮滅裂を感じるとするなら、まず自らの見方は何処から来たのか、確認してみることが先だ。</p><p><br></p><p>１つの例として時間と言うものがある。</p><p>時間の概念に支配それているのが人類だとも言える。</p><p>物理的な時間と言うものは、確かに一定の範囲では存在している。それ自体も相対的なものに過ぎないけれど。</p><p>まして心理的な時間は錯覚に過ぎない。</p><p><br></p><p>時間に支配されるとどうなるか、簡単に言うなら、見えなくなる、聞こえなくなる。</p><p>もっと単純化すると音に例えると、１番大きな音しか聴こえない世界。現代人はそんな世界に生きている。</p><p>そんな中で付け焼き刃の様に概念やスローガンとしての多様性が独り歩きする。</p><p>頭で考える悪習の現れだ。</p><p>多様性に関しては頭の出る幕ではない。</p><p>本当に多様性と共存する社会を作りたいなら、</p><p>多様性を聴き取る、感じ取る、感性を、心を子供達から育てて行くこと、それしかないなに。</p><p><br></p><p>これが1例として時間に支配された人達の姿だ。</p><p>起きていること、存在し、現象していることの、ほん一部だけを切り取って、他の無数の全てをないことにして一本の線で繋げたもの。それが時間だ。</p><p>だから時間は予め有るわけではなく、後で時間の側からの勝手に現実を繋げている。その時に都合の悪いものは全て切り捨てて無いことにしてしまう。</p><p>それこそが本当の暴力の本質だ。</p><p>見ないこと、聴かないこと、気づかないこと、無視することそれが最大の暴力だから。</p><p><br></p><p>先日のこどものアトリエで、ダウン症のある女の子が絵を描きながらずっとお話を聞かせてくれた。</p><p>そのお話が素晴らしくて、ずっとその流れ、その宇宙に連れて行って貰えた。</p><p>山も海も川も出て来る、草木や水や、お父さん、お母さん、親戚の人達、学校の友達。</p><p>時間も場所も次々に飛んで行く。</p><p>空にも風にもぐるぐる視点が映って行く。</p><p>過去も現在も未来も、そこでは同時に存在する。</p><p>無数の場面が移り変わり、また戻り、ぐるぐる回る。</p><p><br></p><p>人間の心が生きて動いている本来の姿を僕はそこに見た。</p><p><br></p><p>それは時間によって一直線に並べられた世界ではない。</p><p>大きな声だけが聴こえて、その他の無数の声が掻き消された世界ではない。</p><p>全ての多様な声が、無数の場所と時間が、捨てられることなく、無視されるかとなく、豊かに同時に存在している。</p><p><br></p><p>ダウン症のある人達の特徴の１つである、優しさと言うのはこう言う感性から来ている。</p><p><br></p><p>いい加減に頭だけで多様性を語るのだはなく、賛成反対と言う2つだけの世界を競わせるのではなく、一歩でも自らの認識の世界を広げてみること、より深く感じてみようとすること、そう言う方向の実践が必要なのではないだろうか。特に子供達の教育において。</p><p><br></p><div><br></div><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20221005/09/trisomy-21/33/7c/j/o0720054015184066125.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20221005/09/trisomy-21/33/7c/j/o0720054015184066125.jpg" alt="" width="720" height="540"></a></p><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/trisomy-21/entry-12767795503.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Oct 2022 09:38:59 +0900</pubDate>
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