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<title>つらまえのブログ</title>
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<description>つらまえの家族や血縁者、知り合いや友人など、つらまえが面白いと思う人を紹介するブログです。順不同で思い付くままに書き散らかしていますので、気楽に読んで頂ければ幸いです。</description>
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<title>華麗ではない一族～恥をかくなら若いうちに！(歳取ってからじゃキツイ)編８～</title>
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<![CDATA[ 私は数え切れない程の失敗や挫折を重ねてきた、どんよりとした沼の中で溺れかけながら、恥をかき散らして生きてきました。恥ずかしくて人には言えない経験も沢山してきました。生きる事に苦しみしか無くどうにも出来ない時は、逃げても良い。私は、逃げられるなら逃げても良いと思っています。しかし、一生逃げ続ける事は出来ない。どんなに逃げても、どんなに過去を消し去ろうとしても、自分自身から逃げる事は絶対に出来ないからです。<br>友人たちに救われた私はまず運転免許を取得、今も働いている運送関係の職に就き、アマチュア劇団に入り、同人誌を再び描き始めます。仕事はアホみたいに忙しく、朝から晩まで馬車馬のように働きました。今までやって来なかった分を取り戻すかのように、自分がやれる事、やりたい事は全てやりました。それまでの人生の中で一番多忙な時期、悔いなくやり尽くせたと思います。<br>某俳優さんではありませんが、一度失った信用を取り戻すには途方もない時間と労力と努力が必要です。一度やった事は二度やるかもしれないからです。人間というのは月日が経ちその時の苦しみから離れていくと、あっという間に忘れてしまう生き物です。自分の都合の良いように、記憶を改竄させてしまう生き物です。しかし、自分が仕出かした事は決して無くなりはしない、一生、自分自身に付きまとって離れないのです。<br>ある程度年齢を重ねた今では、私も後輩たちや若い同僚に偉そうに蘊蓄を垂れています。私は人に意見出来るような人間では無い、しかし痛みや苦しみ、人間の弱さは人一倍理解出来る。それら全てを飲み込んで、寄り添い信頼される大人になりたいと、今では思っています。これから先どんな年寄りになりたいか、少しずつ考えています。私の理想は『剣客商売』の秋山小兵衛なのです。今から剣の達人になるのは無理ですが、いざという時に肝の据わった、酸いも甘いも知り尽くした粋な老人になりたいと、今は夢見ています。
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<link>https://ameblo.jp/tsuramae/entry-12571043978.html</link>
<pubDate>Wed, 29 Jan 2020 19:55:08 +0900</pubDate>
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<title>華麗ではない一族～恥をかくなら若いうちに！(歳取ってからじゃキツイ)編７～</title>
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<![CDATA[ 昨日まであった会社が無くなる、そんな事が現実にあるんだ…私はがらんどうになった元・職場を見ながら、茫然と立ち竦みました。人生何が起こるか判らない、と達観するには私はまだ若過ぎました。後にこの件をネタに芝居の脚本を書くのですが、その時の私は本気で「もう何も信じられない」状態。その後起こったゴタゴタのお陰ですっかり人間不信になってしまいます。一人前になろうと必死に頑張って生きている人間に対して、この仕打ちは酷いのではないか。何をやってもどう足掻いても、私の人生は浮かばれないのではないか。沼から這い出ようとやっと掴んだ細い糸は、何処にも繋がっていなかった。人生において、途方に暮れてしまうのです。<br>頭の何処かで、何かが切れたような音がします。私は今までどちらかと言えば真面目に、真っ当に生きてきたつもりでした。しかし何もかも、もはやどうでも良くなってしまった。またアルバイトを転々とするフリーター生活に逆戻り、お金も無いのに夜遊びを始めます。女は自分の身を案じなければ、所持金がゼロでもどうにかなるものです。昔からの友人には一切会わず、家族には仕事だと嘘をついて遊び呆けていました。10歳の頃、おばちゃんに嘘をついて診療所に行かず遊んでいたあの時と、私は何にも変わっていない。10歳の子どもとおんなじ事を、20代後半にもなってまだやっている。私は心底自分が嫌になります。生きている価値など無い、誰か私を消してくれないか。<br>そんな頃昔からの友人の一人が結婚して、お祝いパーティーに招待されます。皆に会うのは怖かったけれど、どうしても「おめでとう」を言いたかった。私は皆の前で何とか取り繕うつもりで参加しましたが、私の様子がおかしい事に友人たちはすぐ気付きます。その場は何とか誤魔化しますが、後日友人たちは私の家まで来て、私を改心させようとします。その時の私は本当にどうしようもない人間でした。「私の事など放っておいて欲しい」「一緒に居る価値の無い人間だから、私の事など忘れて欲しい」私を心配して来てくれた友人たちに、そう言って帰って貰おうとしたのです。友人たちは怒りました。それはそれは烈火の如く怒りました。私はそこで、やっと気付いたのです。自分の事を大切にしないという事は、家族や、友人たちを大切にしないという事。自分が如何に周りの人たちを傷付けていたのか、自分が関わった全ての人たちを蔑ろにする行為であったと、この時、ようやく気付く事が出来たのでした。殴られてはいませんが、殴られたような気持ちでした。友人たちを、これ以上裏切る事は出来ない。これ以上、失望させる訳にはいかない。沼から出る為の長い長い闘いがやっと始まったのでした。
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<link>https://ameblo.jp/tsuramae/entry-12570782864.html</link>
<pubDate>Tue, 28 Jan 2020 21:36:54 +0900</pubDate>
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<title>華麗ではない一族～恥をかくなら若いうちに！(歳取ってからじゃキツイ)編６～</title>
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<![CDATA[ 母の病気を契機に実家に戻った私は、医者に「栄養失調」だと診断され、ストレスによる症状も出ているので兎に角ちゃんと食事を採る事、と言われます。平成が始まって10年位経った頃、物の溢れた時代に栄養失調になるとは信じがたい…しかしそう珍しい話ではないようです。何でも買える時代であっても、低所得者には手に入らない、食費を切り詰めるしか方法がないからです。私は実家に戻った事で、ひとまず食事には困らなくなりました。おばちゃんも父も、何も言わずに私を病人のように扱ってくれました。毎日の規則正しい食事と休息により、私の体調は少しずつ良くなっていきましたが、気持ちの方がまだ追い付きません。しかし母がリハビリセンターから退院してくると、私の事など構っていられなくなるのです。<br>今までと同じ生活は出来ない母と、介護をする私や父と、お互いに初めての事で最初は戸惑い、何が必要で何が出来るのか困惑しながらの生活がスタートしました。しかしその混乱からあっという間に抜け出したのは当の本人、母でした。母に付き添い病院に行った初日、帰り道で母は「一人で行けるので来なくて良い」と言います。母が出掛けるのを渋る父を尻目に、母は病院も買い物も一人で行き、病気前にやっていた趣味も全て復活させ、セニアカーに乗って何処へでも行けるようになるのです。父や私の心配など全く意に介さず、休職中の職場に一時復帰するわ、調理士免許は取るわ、おばちゃんの食事だと味が濃いからと毎日の食事も作るわ、友人たちと旅行に行くわ、兎に角母の行動力には感嘆するばかり、本当に芯から強い人なのだと誇らしい気持ちになりました。<br>さてそうなると私はお役御免、ただの居候に成り下がります。母の心配が無くなったのなら自分の心配をしなくてはいけない、そもそも戻って来た理由が家族の為なのだから、これ以上家族のお荷物になる訳にはいきません。私はここで、初めて就活をする事になります。紆余曲折の後何とか事務の仕事に就けた私は、一人前になる為に一生懸命働きました。しかし人生、そう簡単に上手くはいかないものです。1年と少し経った頃、勤めていた会社がいきなり無くなります。
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<link>https://ameblo.jp/tsuramae/entry-12569314857.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jan 2020 22:29:50 +0900</pubDate>
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<title>華麗ではない一族～恥をかくなら若いうちに！(歳取ってからじゃキツイ)編５～</title>
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<![CDATA[ 真夜中に実家の父親から電話。良い知らせな訳が無い。「お母さんが脳出血で倒れた」<br>すぐに実家に戻りたくても交通費など無く、私は姉に借金をして何とか母の居る病院まで行きました。元気で病気知らずの母は介護の必要な身体になっていました。<br>姉は私に言いました。「フリーターですぐ動けるアンタが実家に帰って母の面倒を看て」姉も妹も定職に就いていたし、確かに私が一番適任でした。姉は実家に逃げ帰る私に、戻る大義名分をくれたのです。その時点で私は姉にかなりの額のお金を借りていました。姉は私の窮状を知った上で、助け船を出してくれたのでした。<br>地方から東京に出た身としては、少なからず東京に対しての憧れは持っていました。東京で一旗あげる！とまでは行かなくとも、地方では味わえない東京の素晴らしさに目が眩まなかったとは言えません。しかしその東京で、夢破れ暮らしもままならず、底辺に堕ちた自分が実家に帰る事は、負けを認める事でした。実際、負けたのです。しかしそれでも「母が病気になったから」という理由があった事で表面上は繕う事が出来ました。その繕いを、姉は私に与えてくれたのです。後にそれは綻びを見せ、更なる苦しみに耐えなければならなくなりますが、その時の自分には必要でした。１つ上の姉はおおらかな質で、どちらかと言うと私の方がしっかり者でした。しかしこの時ばかりは、姉が観音様のように見えたものでした。引越し費用も捻出出来なかった私は、またまた姉に借金をして、無事実家に戻る事になります。<br>母はリハビリセンターに入っており、まだ先が不安な時期でした。私は私で実家に戻ったは良いものの、身も心も不安定で自分の事すらまともに出来ない状態でした。先に掲げた大義名分など何の救いにもならず、家族の為に帰った筈なのに家族のお荷物になるという、本末転倒にも程がある話です。泥水に浸かっていると思っていたら底無し沼で、自分はまだ下降していたのだと気付かされます。一度入ったら簡単には抜けられない、人間はそんなに簡単に変わる事など出来ない、自分が正常な状態ではない事に自分だけが気付かない、それは私が、自分が「逃げた」事を認める事が出来なかったからです。自分の敗北を、自分の弱さを、自分一人の力ではどうにも出来なかった現実を、どうしても受け入れる事が出来なかった。沼に沈みながら、もがいて足掻く事しか出来ません。ここから出たいと願い、恥を撒き散らしながら、まだ私は生きていかなくてはなりませんでした。
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<link>https://ameblo.jp/tsuramae/entry-12567833356.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Jan 2020 00:44:38 +0900</pubDate>
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<title>華麗ではない一族～恥をかくなら若いうちに！(歳取ってからじゃキツイ)編４～</title>
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<![CDATA[ 私が何の苦労もせずに就職した会社を1年程でクビになったのは、当然私が使えなかったせいではありますが、時代背景の影響もありました。所謂バブルが弾けて2～3年経った時期、少人数の会社では新人を育成する余裕が無かった為です。まず始めに一番使えない新人が切られるのは致し方無かったと思います。私に厳しくしてくれた上司も、庇いようが無かったと後で知らせてくれました。<br>しかしその後、私は同じ会社でアルバイトとして働く事になります。社員としては雇えないが、アルバイトでなら働いて欲しいと言われたからです。社員からバイトに降格？するというよく判らない状況でしたが、私も生活がかかっていましたのでその条件を飲んだのです。人手が必要な時だけバイトとして働くという条件で、大体月に10日位出勤していました。当然それだけでは食べていけないので、私はすぐに時給の良いアルバイトを見付け、バイト掛け持ちのフリーター生活に突入するに至ります。その頃は漫画家になりたいという夢をまだ捨てきれず、家で漫画も描いていましたので、それを免罪符に何とか精神を安定させていた状態でした。周囲にもそのように説明して、自分を納得させていました。しかし生活そのものは全く不安定、毎日の食事にも事欠く有り様で、漫画を描く意欲も無くなり、いくつものアルバイトを転々とするようになります。そのうち体調を崩し始め、身体も心もコントロールが効かなくなっていくのです。この頃の暮らしと孤独、不安な気持ちを思い出すと、今でも胸が苦しくなります。若い頃の苦労は買ってでもしろと言いますが、私は経験しなくても良い経験をしてしまったと、恥じ入るばかりです。生活が安定しないと、何もかも安定しません。気持ちも安定せず、人にも優しい気持ちになれず、今まで自分が培ってきた何もかもが、ガラガラと音を立てて崩れていくのです。仕事も人間関係も、今まで好きだったものに対しても、全てが悪い方へと転がっていきます。何処まで堕ちるのか自分でも判らないまま、暗闇の中で泥水に埋まっていました。<br>生きている事が恥そのもの。息をしているだけの骸と化した私は、そんな暮らしを3年間続けました。泥水に浸かったら浸かったで、ある種心地好いような、人間の底辺に居る事でここより下は無いという安心感のようなものが、当時の自分にはあったと思います。そこから這い上がるには、自力では無理でした。思いもかけない不幸が、私を救い上げてくれたのです。
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<link>https://ameblo.jp/tsuramae/entry-12567597459.html</link>
<pubDate>Fri, 17 Jan 2020 00:14:19 +0900</pubDate>
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<title>華麗ではない一族～恥をかくなら若いうちに！(歳取ってからじゃキツイ)編３～</title>
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<![CDATA[ 専門学校を卒業して就職したての頃…その当時を振り返ると「恥」そのもの、恥しかかいてないとしか言いようが無い時期です。<br>私は姉の就職先の社長さんのお知り合いの会社に雇って貰える事が決まり、就活をせずに仕事にありつきました。当時二十歳、まだ学生気分も抜けず楽に仕事に就けた事で考えも甘く、アルバイト感覚の軽い気持ちで職場に赴きました。初日でイキナリ上司から「社会人として身だしなみが出来ていない」「挨拶の仕方も知らないのか」「言葉遣いがなってない」と、こっぴどく叱られます。私はすっかり心が折れてしまい、毎日仕事に行くのが辛くて辛くてたまりませんでした。毎日毎日、上司からダメ出しを受け人間として自分が如何に無能か、目の前に突き付けられているようでした。上司は大変厳しい方でしたが、社会人として何一つまともに出来ない自分が悪いと、私は萎縮し心を閉ざしますます上司に叱られるという悪循環。初めは家に帰って泣いてばかりいたのですが、そのうち感情が無くなっていくような、辛過ぎて辛いことに気付かなくなっていく感じでした。<br>3ヶ月程経った頃、私はお使いの途中で「このまま何処かへ行ってしまおう」と思います。東京の海に近いエリアの職場だったのですが、何故か「海を見に行こう」と思い歩き始めたのでした。土地勘も無くただ闇雲に歩いても海にはたどり着けず、気付いた時には歩道橋の上に居ました。「ここから飛び降りるのも悪くないかな」私はそこまで追い込まれていました。<br>飛び降りなかったのはほんの少しだけ理性が残っていて「飛び降りたら迷惑がかかるな」と思ったからですが、あの時、よくぞ踏みとどまったな、と今は思います。そこまで追い詰められて、死ぬくらいなら何でも出来るんじゃないか、と開き直る事が出来、駄目なら駄目なりに意地見せちゃる！と思えたのでした。<br>その後、上司に自分の考えや意見を言い、少しずつ、少しずつ、上司との関係は良好なものになっていきました。その上司とよく話し合い、私も少しずつ感情が出せるようになっていったのでした。今は駄目過ぎた私を見捨てず厳しくしてくれた上司に、感謝の気持ちで一杯です。しかし結局、1年程で私はクビになるのです。そこから、長いフリーター生活が始まります。
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<link>https://ameblo.jp/tsuramae/entry-12566104791.html</link>
<pubDate>Sat, 11 Jan 2020 00:06:04 +0900</pubDate>
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<title>華麗ではない一族～恥をかくなら若いうちに！(歳取ってからじゃキツイ)編２～</title>
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<![CDATA[ 仕事での失敗を数えあげたらキリが無いのですが、若い頃の失敗で印象的な出来事があります。<br>私はごく単純な伝達ミスをしてしまい、お客様からクレームを受けるに至ったのですが、当時の副所長が対応してくれた為大事には至りませんでした。<br>後に担当者から「お前のせいで酷い目にあった」と言われるまでクレームの詳細を知らなかった為、副所長に「私のせいで申し訳ありませんでした」と謝罪したのです。しかし副所長は「君のせいじゃない、所内全体のクレームだから」と言い、私を責める事はしませんでした。副所長は当時30代半ば、仕事の大変出来る男性でしたが、クールで事務的な言動から冷たい感じのする人でした。あまり感情を表に出さない「笑わない男」で、同僚たちはあまり良く思っていないようでした。<br>しかし私は、この一言でスッカリ副所長のファンになってしまい、ひそかに憧れていました。男性陣には「あんな奴のどこがいいの」と言われましたが、他にも隠れ副所長ファンの女の子が居たので、ひっそりとファンクラブを作って楽しんでいました。私は会員No.001です。副所長は拘りが強く、デスクの上、引き出しの中、バッグの置場所、全ての位置が固定され決まっていました。他の人間が触って動かすとすぐに気付き機嫌が悪くなる為、ファンクラブ会員としてひそかに所定の位置に正したりしていました。話を聞く時にこちらを絶対に見ない、持っている書類から目を離さないのも素敵でした。今思うと京極堂ですね。<br>それはさておき、このように迷惑ばかり掛けた私でしたが、副所長が昇進して別の部署に行く事が決まった時、「一緒に来てそこのリーダーをやって欲しい」と言われたのです。この時は「何故に私が？！」と吃驚しました。何がどう良かったのか未だによく解らないのですが、私を認めてくれていたのだと思うと非常に嬉しかったです。私は現場に居たいという気持ちが強かった為、その話は丁重にお断りしたのですが、副所長はその後順調に出世していきました。きっと何処に行っても自分のスタンスを変えず、隠れファンを増やしながら仕事をしていると思います。<br>失敗やミスの多い私を庇って見守ってくれた上司が居た事は、本当に有り難い事でした。とにかくその頃の私は、ただがむしゃらに仕事をするしか能の無い人間でした。挫折して挫折して墜ちるところまで堕ちた人間が這い上がるには、そうするしかすべが無かった。そのがむしゃらな所を、上司たちは評価してくれたのだと今は思います。<br>恥は若いうちにかくべし！20代なら許されます、きっと。
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<link>https://ameblo.jp/tsuramae/entry-12565408812.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Jan 2020 01:10:04 +0900</pubDate>
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<title>華麗ではない一族～恥をかくなら若いうちに！(歳取ってからじゃキツイ)編～</title>
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<![CDATA[ 数々の恥をかきながら生きてきた私ではありますが、その都度人生の転機となりそれらを糧にして生きて来られたように今は思っています。<br>今現在の仕事に就き１年程経った頃、私は独身で20代後半でした。仕事で大きな失敗をしてしまいます。その日は非常に忙しく、若かったせいもあったでしょうが、私はお客様と電話口で口論となってしまい、大変ご立腹させてしまいます。そのお客様は本社にクレームを入れ、当事者及び現場責任者が直接詫びに来いと言ってきました。私と当時の所長の二人でお詫びに伺う事と相なります。その時の私は、お客様に対して申し訳無いと思うよりも、失敗をしてしまった事ばかり気にしており、所長に対しても自分に都合の良い言い訳ばかりしていました。<br>そのお客様のお宅に伺い、形通りのお詫びをしました。けれどそのお客様は許してはくれません。「あなたは本当の事を言っていない」「あなたは自分が悪いとは思っていない、形ばかりのお詫びなら要らない」私の態度や言動からそのお客様には全てお見通しのようで、私は取り繕う事は出来ませんでした。そのお客様は40代位の男性でしたが、激しく私を罵ったりはせず、真っ直ぐに私を見つめ、静かに諭すように話をする人でした。私は正直に非を認め、心からの謝罪をしました。当時の私は「強くならなくてはいけない」「誰にも頼らず自分の足で立たなくては」と焦り、必死に自分を強く見せようともがいていた時期でした。それらも全て見透かされていたのです。私の思う「強さ」とは、自分よがりで浅はかな考えであった事、周りをよく見て思いやりの気持ちを持つ事、「強くなりたい」と願う前に自分の弱さを知りまず受け入れる事、短い時間の中で、そのお客様は私に様々な事を教えてくれました。私は目の前がパッと開けたような気がしました。そのお客様は、最後は笑顔で許してくれたのでした。<br>お詫びからの帰り道、所長は私に「お前は出来の悪い奴だけど期待している」と言ってくれました。営業所に戻ると同僚たちは何も言わず、いつも通り接してくれました。その後、本社のクレーム担当の人から、そのすぐ後にお客様から「不問に処してやって欲しい」と言われたと、伝えられました。私は初めて、職場で泣きました。後にも先にも職場で泣いたのはこの時だけです。<br><br>後からつらつら考えると、上手く言いくるめられたなぁ、上手い事誘導されたなぁと思いはしましたが、この件がきっかけで仕事への取り組み方が変わったのは事実です。この時から戒めとして、自分一人で仕事をしている訳では無いのだから、周りをよく見て、人の気持ちが解らない人間にはならないようにしよう、と心掛けるようになりました。そのお陰か、仕事を全体的に見る、俯瞰して見る事が出来るようになったのです。営業所内でのスケジュール管理の仕事を任されるようになったのはこのあとからでした。これは今も仕事をする上で、非常に大切にしている部分です。俯瞰とバランス、これが出来ないと管理という仕事は出来ません。<br>大きな恥は若いうちにかくに限る。かかないに越した事はありませんが(笑)
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<link>https://ameblo.jp/tsuramae/entry-12565170616.html</link>
<pubDate>Tue, 07 Jan 2020 02:00:20 +0900</pubDate>
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<title>華麗ではない一族～憧れの人がいるということ３～</title>
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<![CDATA[ 私と彼女は約３年間、彼女が結婚して地元を離れる迄一緒の劇団で活動しました。その間様々な事がありましたが、私の彼女への気持ちは何一つ揺らぎませんでした。友だちのように付き合いを重ねていきお互いの彼氏や家族とも親しくなりましたが、私は常に彼女にときめいていました。彼女の夫に対して嫉妬のような気持ちには全くならず、彼女と共に愛せると思う程。彼女の両親には「生んでくれてありがとう」と思う程。これは「愛」なんでしょうか？<br>現在彼女は同じ県に住んでいて、会おうと思えばいつでも会える。しかし「憧れの人」への気持ちが強ければ強い程、気軽に会いに行けないという弊害があります。しつこく誘って嫌われたくない、ご迷惑になりたくない、更に言うと自分が今、彼女に会える状態の自分であるかどうか。彼女をガッカリさせたくない、彼女には常に最高に良い状態の自分を見せたい。そんな事をぐるぐると考えていると、３年に一回ペースの逢瀬になってしまうのです。本当はもっと彼女と会いたい、もっと彼女の近くに居たいのですが…<br>「憧れの人」が居ると人生が変わる。これは間違いありません。ただ、「憧れの人」とどう付き合うか、これが非常に難解な問題です。彼女には私のこのような気持ちは一切伝えていませんし、これからも伝えるつもりはありません。ひとまず次に彼女と会う日まで、彼女に笑われないよう精一杯生きるのみ。これは「愛」なんでしょうか？
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<link>https://ameblo.jp/tsuramae/entry-12556963914.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Dec 2019 22:06:44 +0900</pubDate>
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<title>華麗ではない一族～憧れの人がいるということ2～</title>
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<![CDATA[ 私は彼女の居る劇団に入りたいと思い、まず稽古を見に行き公演も見に行きました。小劇団らしく難解な台詞に難解な展開、それでも何処か暖かみのあるストーリーでした。聞くと彼女が脚本を書いているとの事。ますます彼女に惹かれていきます。<br>公演の打ち上げに参加させて貰うと、二人の男性が揉めていました。一人は脚本家で暫く休養したいと。もう一人は役者で芝居を辞めると言っています。「俺、あの脚本さっぱり解らなかった。芝居してても解ってないから上手く出来ない。限界だと思う」確かに難しい話ではありましたが、主演俳優にこんな事を言われては立つ瀬が無い…と冷静に動向を観察していましたが、それでもこの劇団に入りたいと思っていました。残されたメンバーは彼女ともう一人の男性の二人。私が入ってもメンバーは三人だけという、弱小にも程がある劇団でしたが、私には彼女との楽しい未来しか思い描けず、全く悲嘆する事無くむしろ希望に満ち溢れた気持ちで入団するに至りました。それ程、彼女は魅力的でした。高校演劇しか知らず全く何の知識も基礎も持たない私が、身の程知らずの野望を抱いてしまったのです。彼女に相応しい人間になりたいと。これは恋と呼ぶべきか…人間愛なのか、はたまた只の思い込みだったのか。私は彼女の為に猛勉強しました。彼女の役に立ちたい、彼女に認められたい、ただそれだけの為に。今思い返しても当時の自分が何を欲していたのか…不思議な気持ちに陥りますが、何にせよ努力は尊い。私は彼女と演劇にのめり込んでいきます。
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<link>https://ameblo.jp/tsuramae/entry-12556918844.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Dec 2019 21:34:23 +0900</pubDate>
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