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<title>モニタリングしましょうか</title>
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<description>介護支援専門員に復帰しました</description>
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<title>一年後に新規殺到</title>
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<![CDATA[ ブログ更新しました。<br>居宅の話も中途半端でしたが、ともかくケアマネの仕事は大変だと痛感しました。<br>一年後は新規依頼が殺到し、これ以上の受け入れは難しいかなと思ってました。<br>何故、うちに殺到したかはあとから聞いた話は良く思ってくれた周囲の人がうちの事業所を評価してくれたことでした。<br>本当に感謝していますm(_ _)m<br>
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<pubDate>Sun, 17 Sep 2017 23:33:39 +0900</pubDate>
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<title>居宅から半年後のある日</title>
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<![CDATA[ 知識も経験もない私が居宅のケアマネになりました。その間は上司や周りの人からの白い目で見られながら、自分なりに努力してきたつもりです。<br>でも、誤魔化しも聞かなくなりました。<br><br>半年後、高齢者世帯の居宅相談に行ってきた時のこと。そこに同居していた息子が私が若い(26才でした)と思い、介護保険制度の説明を事細かく質問してきました。あまりに突っ込んで聞いてきたので、答えられないもどかしさや情けなさから、ちょっと相手から、喧嘩越しになりました。私も若さからイライラ答えていたかもしれません。それから、息子がどう思ったのか『やってみろ！』と認めてくれたのです。<br>答えられなかった私も『今まで以上に努力しますので宜しくお願いします』と答えました。<br>あの頃の息子さんはきっともう60代後半でしょうか。お爺ちゃんは亡くなったんですが、私のなんとなく、胸に引っ掛かった思い出になりました。
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<link>https://ameblo.jp/tukika1210/entry-12293847593.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Jul 2017 22:19:07 +0900</pubDate>
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<title>初めての居宅相談は独居の元婦長さん</title>
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<![CDATA[ 私が居宅のケアマネジャーをして初めて相談を受けたのは、独居の末期の肺がんの高齢者でした。<br>元々は看護婦長(今では師長)をしていた経歴の方でとても優しそうな上品な方でした。夫は既に他界し、お子さんはいないそうで、近隣に住む弟夫婦から買い物などは支援を受けていたと思います。<br>彼女は退院してから、なかなか自宅の掃除や庭手入れができなくなったと。<br>ヘルパーさんにお願いするのは気を使うけど、こんな状態ならお願いするしかないとおっしゃいました。<br>まずは、制度の説明し、介護保険の代行申請をして認定を待ちました。<br>結果は要介護1でした。<br>早速、ヘルパーを週1回掃除に、庭手入れは介護保険外サービスで調整しました。それはもちろん、外の事は介護保険外です。<br>彼女の身体はみるみる元気になりました。<br>日々身体が元気になっていきました。<br>『あなたのおかげよ』と言って下さったことは忘れません。しかし、半年過ぎたある日、弟さんから一報電話をいただきました。<br>調子が悪いと。サービスは中止しました。<br>それから、いつからか亡くなった連絡をもらいました。一年くらいのお付き合いでした。<br>とても可愛らしいお婆ちゃん。<br>自分のお婆ちゃんくらいの年でしたから、なんだか嬉しいものもありました。<br>あの時から、私のケアマネジャー生活が始まりました。<br>相談され自分で提案し、それに応じる。<br>それが自分の中で心地良かったのです。<br>
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<link>https://ameblo.jp/tukika1210/entry-12287535678.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Jun 2017 21:17:17 +0900</pubDate>
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<title>どうしても介護職員にならなかった訳</title>
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<![CDATA[ 少しだけ、話をそらします。<br>介護職員になって5年、そして居宅のケアマネジャーになって3年半。<br>主婦になり、また仕事をするのはケアマネジャーにしたのは、更新研修を受けてるのに、なぜやらない？です。更新研修は5万近くかかります。それを5年毎に研修しなければなりません。<br>無駄だから、やらないと。<br><br>という結論と、家庭を持った身として子供と同じ休みが取りやすいのはこの職業でした。<br>これは今でも助かります。<br><br>デイサービスも土日もやっているところも増えてます。<br>後は、仕事柄介護職員でもリーダーを勤めさせていただいたのもあります。後輩の相談に応じる事が増えてきて何かとその『相談に応じる能力』が身についたのもきっかけです。<br><br>今、思うと色々ありました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/tukika1210/entry-12286661977.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Jun 2017 10:00:00 +0900</pubDate>
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<title>ケアマネジャー電話対応の教育から</title>
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<![CDATA[ <p>ケアマネジャーの初仕事は4月1日と年度初めでした。<br>さっそく自分のできる事は何かを考えていました。<br>でも、初めてなので電話の対応からの始まりです。<br>ケアマネジャーって介護の相談から始まります。最初の電話の取り方からまなばなければなりません。<br>語尾を伸ばすことは禁止、相手の電話が切れたのを確認してから切る事。要件をしっかり聞くこと。それが課題でした。<br><br>うちの上司はとてもだらしない人が嫌いです。<br>みんなそうですが、ともかく私の電話の対応にイライラしていました。なれるまで時間がかかり、電話だってわざと出なかったりして、新人である私を慣らそうとしていました。<br>&nbsp;</p><p>１０数年たち私はこの厳しい教えの中で今の自分はしっかり身についてきたと思っています。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tukika1210/entry-12286076094.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Jun 2017 20:00:00 +0900</pubDate>
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<title>３月末から鬼のような引き継ぎ、そして晴れて4月に新人ケアマネジャーになりました。</title>
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<![CDATA[ <p>ケアマネジャーの就職試験の事を書くの忘れました。<br>長いこと、仕事をしないでただ、テレビを見たり、食べたりしてかなり太りました。<br>そんなことをしているうちに合格通知がきて、「仕事をしよう」と思い始め、ハローワークに週3回通いました。いい求人がなく、どうしても組織に入って仕事をしたかったので医療法人や社会福祉法人の職場を探し求めていました。<br>この頃の居宅は今のように多くなかったので、有限や株式会社みたいな事業所は少なかったと思います。そうして、私の理想とした職場を見つけたのです。<br>前任者が退職するにあたって欠員の求人でした。面接を受けて、しばらく1時間ほどくだらない話や当たり障りのないことを面接で話しました。正直、あまり突っかかるような話し方も面接であったので、「この試験、受からなくてもいい」と思ったのです。<br>しかし、そういいながら1週間も合否の連絡がきませんでした。親から「落ちたね、こんなに来ないのは不合格だよ」というのです。私も納得しました。気にいったら3日以内は結構通知がくるものです。あまりに来ないので気になって、職場に電話をして断りました。したら、管理者から折り返し電話がきたのです。「あんたねぇ、受かったんだよ。でも、正直悩んだんだ。」というのです。どうも、若手がいなかったので、私を考えてくれたそうです。その言葉に信じて「じゃ、頑張ります」と返答しました。<br>それからが、鬼のような引き継ぎが始まりました。退職される方との初対面です。</p><p>しかし、私に「なんでこの仕事にしたの？」とか「大変だからね。この地域は道が大変よ」とか色々いやなことを言ってきます。前任者はとても仕事のできる人で次の職場も決まっていました。</p><p>&nbsp;</p><p>なので私が引き継ぐにしても、担当の人に「どうしてやめるの？」と聞かれては「○○で働くことにしました。なので彼女にお願いしょうと思っています。」としっかり隠さず伝えていたことを思い出します。<br>本音は「もう、ケアマネジャーはやりたくない」と事でした。<br>私が決まった時に気にいらなかったのか「この仕事は○○だから」「こんな風にするんだよ」とか色々説教じみたことを言っていました。当初ケアマネジャーの給付管理件数はたしか50件と決まっていましたが、私は20件以上、引き継ぎました。今はあり得ないですね。違ったらごめんなさい。<br>彼女はともかく、なんとなく、私を嫌っていたのを感じたので、必要以上に会話をすることを控えました。3月末分は給料はもらえないけど、職場で提供するご飯は無料ですというシステムで、仕事をしました。いまじゃありえないことですよね。忙しい訪問、あいさつ、引き継ぎをしたのを今でも忘れません。その時に利用票を知りました。<br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tukika1210/entry-12285796252.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Jun 2017 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>初任者研修</title>
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<![CDATA[ <p>こんな名目か忘れましたが、ケアマネジャーの初任者研修が始まりました。前期3日間、後期3日間です。研修の時間は学校の授業と同じように長かったと思います。<br>まずは6人グループになり自己紹介。そして、テキストを読みました。<br><br>事例とかそんなのもあったのか記憶がありませんが、研修主催側の考慮で、医療、福祉資格者をバランスよく分けていたようです。<br>看護師、医者、理学療法士、歯科衛生士もいました。でも、ほとんどが介護福祉士取得者だったと思います。<br>その研修先で学生時代のＴちゃんに会いました。Ｔちゃんのことに気づいていたのに声を掛けることができませんでした。Ｔちゃんは苗字が変わって結婚していたのもあって声をかけずらったかもしれません。<br>でも、Ｔちゃんから声をかけてもらい、学生時代の仲間の話をしました。Ｔちゃんはいまだに同級生に会うと言っていました。私は羨ましいなと思いました。<br>私は話すことが苦手で友達が少なかったです。しかも、私のイメージは「存在感がない」らしいのです。<br>でもＴちゃんは明るいし、こんな人がケアマネジャーだったらいいなと、嫉妬もあったのです。<br>彼女は結局、現場で働きたいからと、資格習得後も介護職員として働くといって、研修後、別れました。<br>研修先では自分の親と同じ年や少し年上でしゃばりな人もグループで一緒でしたが、彼女たちの意見もとても聞いていて面白かったり。研修はある意味「出会いの場」だと感じます。<br>私はその年の4月から居宅の内定を受けていました。<br>それが、自分の新たな出会いの始まりでもありました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/tukika1210/entry-12285785694.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Jun 2017 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>介護支援専門員の試験は容易ではない。</title>
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<![CDATA[ <p>私が試験を受けようとしたときは、介護保険制度からかれこれ3年経過していました。<br>学生時代、あまり介護保険制度について知識がなく、就職試験の小論文も適当な事を書いていたように思います。<br>だから、制度の内容を暗記するのも容易ではありませんでした。<br>けして、頭が良いわけでもないし、でも、一言いうと、ただ、人と違う事を先にやってみたかったのはあります。<br>当初は、「介護支援専門員テキスト」という本が売っていて、それを買ってひたすら覚えたことを思い出します。<br>通信教育もあったようですが、正直お金をかけて受かる自信がなかったので、テキストを買って何問も問題を解いたりしていました。　中には、安い金額で受講できる、試験対策講座に参加したりもしました。本当に受かるのか・・・。悩みました。<br>悩んでいてもしょうがないのでそのあとは、休みは友達に付き合ってもらい、図書館や喫茶店でひたすら勉強しました。まだ20代前半。遊びたかったのもあるけど、今しかないと思ったのです。<br>話は変わって、私が転々とした職場にはきちんと、1年、数か月と働いた職場に「実務証明書」を依頼しました。それがとても厄介なもので、すべて書面で依頼しました。こんなに集めるのが大変なら、一つの職場に長くいる事がよいかもしれないです。<br>私の場合、辞める理由に一つ一つ「諸事情」があったので、仕方が無いかもしれません。<br>そうして、介護支援専門員の試験を受けました。<br>試験は秋。合格発表は冬でした。<br><br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/tukika1210/entry-12285492021.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Jun 2017 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>転々とする私</title>
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<![CDATA[ 色々あって、転々と職場を変えて行きました。<br>それは一つ一つ退職する理由もありましたし、内容は濃いかもしれない。<br>今の旦那と知り合う前は、本当に自分が腐っていたと思います。<br><br>無謀な計画やありもしない先の進路で悩んだ末、施設を4件もやめました。<br>あり得ない、こんな自分。<br>悲しくなりました。辞めないで頑張る道を選ばない自分が悪いとは思います。<br><br>簡単にいうと、老健や特養をやめては繰り返していたんです。<br><br>そうして受験資格をもらい試験をうけることにしました。
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<link>https://ameblo.jp/tukika1210/entry-12285207478.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Jun 2017 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>最初の職場で学んだ事</title>
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<![CDATA[ 短大卒業後、すぐに老人施設で働きました。<br>その卒業後の春休みは研修でほとんど職場に居たと思います。<br>私の就職が決まった施設は、沢山の人が前年度に辞めたので採用者人数もかなりでした。<br>決まった時も乗る気がなく、ただ、先生から『決まった所で断らず、合否またず、受けた所は断る』と言われたのでした。<br>そこは100床の大きな施設でした。あえて『施設』と言いますが、重度な人から軽い人の居る働くのに極端な施設でした。<br>夜勤、日勤、早番、遅番。<br>シフトが始まりました。この勤務で良いところは明けも休みの感覚です。でも、身体は疲れます。<br>仕事は好きでしたが覚えるのに時間もかかり、自分のできなさに嫌気もさしていました。<br>まずは、身体の重い人を抱えるのに苦労した事、それから、男性利用者の扱いが大変なこと、今でも骨が折れそうなお婆ちゃんの体交、認知症の人が他者のご飯を食べてしまう。様々ありました。<br>福祉系短大卒業したって言っても、最初は未知の世界でした。<br>あの苦労があって、介護の仕事を頑張ろうと思ったのは本当です。
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<link>https://ameblo.jp/tukika1210/entry-12285142636.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Jun 2017 18:22:23 +0900</pubDate>
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