<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>Que sais-je?</title>
<link>https://ameblo.jp/tyada1023/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/tyada1023/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>考えたことをネット上に残しておくためのブログです。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>ひさしぶり</title>
<description>
<![CDATA[ 久々の更新です。<br><br>このまま自然消滅もいいかなと思いましたけど、MIXIがアクセスできないのでせっかくだから久しぶりに記事を書こうかと。<br><br>6月頃にミクシイを始めたのですが、　これが思っていた以上に面白い。<br><br>まず、始めたら出会い厨も含めて、必ず人が来る。　これがミクシイの特徴ですね。<br><br>うちのブログなんて人はほとんど来ないのに・・・・<br><br>まあ、ある程度の人気があって他の人と差別化したいのなら、ミクシイより個人ブログのほうが個性が出せるというものなのでしょうが・・・<br><br><br><br>まあ、最近ではツイッターが出たおかげで、ミクシイも過去のものになりつつあるようですね。<br><br>個人的な意見を言うと<br><br>ヘヴィー　　　　　個人ブログ<br>ミドル　　　　　　ミクシイ<br>ライト　　　　　　ツイッター<br><br>って感じです。　正直ミクシイ、ツイッターでは本音はかけません(笑)。<br><br>まあてな具合で玉に更新します。　　読者はいませんが。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/tyada1023/entry-10616871956.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Aug 2010 22:28:55 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ひかげもの・・・・</title>
<description>
<![CDATA[ 今回は前回の「自殺について」の続きを書こうと思っていたが、気分が乗らないのでまた今度にしたい。<br><br>ここ二日で自分は「闇金ウシジマくん」という漫画(15巻程度)を一気読みした。　この漫画は「どうしようもない社会の最底辺」を扱った漫画である。　ギャンブル依存症から借金に借金を重ねる女や、風俗から抜け出せなくなる男女など、あくまで主題は<strong>「社会のひかげもの」</strong>である。<br><br><font color="#FF0000">低学歴、低収入、ホームレス、不安定職、風俗業、893、日雇い　DQN・・</font>・・彼らを連想させる言葉はたくさんある。しかし、現実には僕は彼らを知らない。かかわりあいもない。かかわりたくもない。<br><br>一般的な日本人は、人生のうちで、こういった「日蔭の世界」を知らずに一生を送ることができる。我々一般人は生まれながらにして「人生の表街道」を進むことを許されている。　<br>その一方で生まれながらにして「ひかげもの」としての人生を強要された人や、自ら裏の世界へ飛び込んだもの、日蔭へ追いやられたひともいるだろう。<br><br>しかし、不思議なことに、我々は生きていくうえでこういった知らずにすんでいた「日蔭の世界」に踏み込んだりしてしまうことがある。　繁華街のもめごとで、893が介入してきたり、ふとしたことからDQNに弱みを握られたり、または風俗など・・・・　<br>彼らはバンパイアのようなものだから「法と秩序」守られた表の世界で生きてはいけない。そんな時彼らは我々を日蔭の世界へ引き込もうとする。彼らの「ルール」が通用する世界へと・・・<br><br>日向と日蔭の<font color="#999999">グレーゾーン</font>の住人という人種がいる。　彼らは、もともと「日向の人」ながらアルバイトや仕事として日蔭の世界に出入りをしている。　例をあげるならキャバクラのボーイなどであろうか。<br>彼らの話を聞くたび(これも二次情報だが)、彼らは日蔭で生きるための妙な<strong>バランス感覚</strong>というか、日蔭の社会のルール(タブー)を<strong>かぎわける嗅覚</strong>が発達している。<br>たとえば<em>、<strong>繁華街で新規に水商売を始めるときは、有力な893にバックとしてついてもらう。　幹部の女に手を出すと恐ろしいことになる。</strong></em>　などまるでこの世界のコモンセンスのように熟知しているのだ。彼らグレーゾーンの人々は、我々が裏の社会を知る時に非常に貴重な参考となるだろう。<br><br>また、「ひかげもの」の特有の思考に「現状に対する不安感」があるだろう。(893以外)　もちろん彼らは日蔭の世界で一生を終える気はないだろう。常に一筋の「蜘蛛の糸」を探しているのだ。そしてあわよくば表の世界へ這い上がろうとしている。　それと同時に、「いつまでこのような綱渡りが続けられるんだろう」と思っている。それが時に原動力となり、または「自己破壊の衝動」へと駆り立てる。<br><br>かつて、尊敬する青山繁晴さんが言っていた。<em><strong>「我々、日本人は『やましいこと』がない限り、表の世界でどうどうと暮らしていける。　突然理不尽に逮捕されるようなことはない。　そのような公正な社会を築いてきたではないか。」</strong></em>（意約）と・・・・<br><font size="3">これは我々日向の人に重くのしかかる言葉である。この言葉は<u><em>偉大な権利であり同時に重大な義務</em></u>を暗示している・・・</font>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/tyada1023/entry-10541318879.html</link>
<pubDate>Fri, 21 May 2010 23:31:41 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自殺について</title>
<description>
<![CDATA[ strong&gt;<em>&lt;中３女子が首つり死亡＝自殺か、公衆トイレ内－東京<br>　１２日午前１１時４０分ごろ、東京都文京区向丘の公衆トイレ内で、「中学生ぐらいの少女が首をつっている」と１１０番があった。警視庁駒込署によると、少女は同区立中学３年の女子生徒（１５）で、病院に搬送されたが、死亡が確認された。<br>　同署は現場の状況などから自殺とみて調べている。（2010/05/12-17:06）</em><br>　<br>http://www.jiji.com/jc/zc?key=%bc%ab%bb%a6&amp;k=201005/2010051200534<br><br><br>哀しいニュースである。　最近近親者の死が相次いだので人の死というものがとても重く感じられる。<br>何故人は自殺するのか？　　を少し考えてみたいと思う。<br><br>自分は、一人暮らしをするようになって一年がたつが、この一年で大人としての<strong>「責任」</strong>というものを非常に感じるようになった。　たとえば、何かの契約に際し常に自分の責任で契約しないといけない。また、大学はどのように学んでもいい自由な場であるが、単位取得の管理や留年対策など自分で考えないといけない。<br>そんな中、行き詰ったり、壁にぶち当たった時　人間は「孤独感」を感じる。<em>「こんな状況に置かれているのは自分だけなんだ。他の人はうまくいってるんだ」</em>思いこんでしまう。だから人間は殻を作ってしまう。その殻の中で必死に答えを求めるようになる<br><br><font color="#FF0000">「YES」か「NO」かの究極の答えを・・・・・<strong></strong></font><br><br><br>ここで頼りになるのが、「相談に乗ってくれる人」である。彼らの存在はとても大きい。こんな時こそ最大限彼らに甘えてしまえばいいのだ。<br>相談に乗ってもらうことで、一番の利点は<strong>「見えていなかった新たな選択肢」</strong>が見えてくることである。そして初めて自分で作っていた殻を破ることができる。<br><br>昔、こち亀の中で両津が<em><strong>「日本人は壁にぶち当たると、すぐ生きるか死ぬかの究極の選択を考える。そうじゃなくて、一度『生きる』の方向を決めて、じゃあどう生きるかを決めろ」</strong></em>と言っていた。<br>両津らしい荒々しいセリフだが、この言葉の裏に作者の秋本先生の「処世術」が込められている気がする。<br><br><br>彼女にこう言いたかった。中学生なら、生きていれば(※)これから楽しいことはたくさんある。<font color="#EE82EE">部活、恋愛、就職、結婚、出産、そんな素晴らしい人生のイベント</font>が待ち受けているのだ。それをひと時の絶望で終わらせてしまうなと<br><br>ではこの絶望的な状態からどのように抜け出せばいいか？　次回具体的に方法論として考えてみたい。<br>(今回とはまた論点がずれるので回を分けた)<br><br>最後に落ち込んだあなたにこの一曲を贈りたい　Coldplay で　Fix you<br><br><br><br><object width="480" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/PrrdLO8fie0&amp;hl=en_US&amp;fs=1&amp;"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/PrrdLO8fie0&amp;hl=en_US&amp;fs=1&amp;" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"></object><br><br><br>～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～<br><br><u>※　「生きていれば」というのは、一概に言えない。末期がん患者の自殺などを見るとこんなポジティブな言葉では片づけられない面も出てくるので注意。</u>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/tyada1023/entry-10533299604.html</link>
<pubDate>Wed, 12 May 2010 23:53:52 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>新企画「洋楽について語ろう」　第一回　聞いてきた洋楽の変遷</title>
<description>
<![CDATA[ <p>いつもは、堅苦しい議題ばっかり振っているので今回は洋楽について語りたいと思う！！</p><br><br><p>俺は中学3年に80’ｓ的な洋楽を聴いてから、ほとんど洋楽しか聞かなくなった。(まあ邦楽がクソってのはあるが)、そのおかげで俺の邦楽の知識や持ち歌は2004年で停止しているｗ</p><br><br><p>話せば長くなるが、第一回なので聞いてきた音楽の変遷を見ていきたい。　</p><br><p>まずは、80’sからきき始めた。　後々ポップ音楽特集(？)詳しく取り上げたいと思うが、エイティーズの特徴は、大衆化されポップで耳に残るメロディのところにある。　</p><br><p>では80’ｓの代表曲を聴いてもらおう。</p>　Van Halen-Jump<br><br><object width="480" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/swzh0ngMNJo&amp;hl=en_US&amp;fs=1&amp;"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/swzh0ngMNJo&amp;hl=en_US&amp;fs=1&amp;" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"></object><br><br>つづいて　Cyndi Lauper　-Girls Just Want To Have Fun <br><br><object width="480" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/Hpbs3NlhpxE&amp;hl=en_US&amp;fs=1&amp;"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/Hpbs3NlhpxE&amp;hl=en_US&amp;fs=1&amp;" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"></object><br><br><p>一時期はかなりはまったが、あっさりしすぎで、また特有の80’ｓメロディに辟易してまあ、マイブームは去った。</p><br>次に俺が夢中になった音楽・・それはＵＳの50~60’ｓいわゆるOldiesだ。　これは現代の大衆音楽(洋邦問わず)の原点ともいえる。ただ、<strong>特定のmusicianを指すわけでもない</strong>。これについては次回取り上げてみたい。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/tyada1023/entry-10531476764.html</link>
<pubDate>Mon, 10 May 2010 22:51:24 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>浪人生</title>
<description>
<![CDATA[ <p>今年もまた、新生活が始まり　フレッシュマンは、ようやく一息つけるゴールデンウィークに突入したわけだ。自分も去年はホント忙しかったなぁ・・・と回顧してみる。</p><br><p>そう思ったのは、高校の時の友人と会ったからだ。　彼は現役の時旧帝大受験に失敗し、今年晴れて一浪で旧帝大に合格した。　自分としても旧帝大を落ちた身であるので少し羨ましくもあった。</p><br><p><strong><em>彼は熱っぽく語る。「おれはこの大学生ライフで・・・・」とか、まるで去年の自分を見ているようでもあった。歳は同じでも彼はフレッシュマン、おれはオールドマンなのだと</em></strong></p><p><strong><em><br></em></strong></p><p>これまでたくさんの大学生と接してきたが、一つ感じたのは<strong>「浪人生の熱意」</strong>である。　彼らは、どこか焦りを感じている。<strong><em>「おれは人生を出遅れている。取り戻さなきゃ」</em></strong>という感じで。　</p><br><p>青年期における焦りという感情はありがちなものであろう。　そもそも焦りという感情はせき止められた川の圧力エネルギーのようなものだ。　つまり停滞に対する恐れだろう。　</p><p>かつて自分も受験生の時、流れに乗れない怖さを感じていた。だからその感情は痛いほどわかるのだ。</p><br><p>しかし、彼にとっての<font color="#ff0000">停滞の一年</font>とはどういったものであろうか。またどのような意味を持ってくるのだろうか。彼にしかわからんだろうなぁ。</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/tyada1023/entry-10525574505.html</link>
<pubDate>Tue, 04 May 2010 16:57:01 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>タイの混乱について②</title>
<description>
<![CDATA[ <p>デモ隊が武力（以降　反乱軍）をもつことの次にこわいのは、<strong><font color="#ff0000">「反乱者が、民兵となり、組織化する」</font></strong>ことである。</p><p>こうなってしまうと、「政府ＶＳ反乱軍」の対立構造がハッキリしてしまい、国際的にも内戦と認知される。</p><br><p>まだ、一部の過激派市民がどこかから仕入れた武器を持って騒いでいるうちはまだ平和である。しかし、彼らが集団となり訓練されると、軍隊となってしまう。</p><p>歴史的にこの例を挙げるとキリがないので参考程度に（米独立戦争時のminute man,中国共産党の八路軍、ホーチミンのゲリラ部隊）</p><br><p>彼らはもともと、武力をもった民兵だったが、組織化されのちの政府軍の礎となったわけだ。逆にいえば、それほどの力を持つこともありうるわけだ。</p><br><p>実際タイの例でも、<strong><em>「カティヤ陸軍少将は銃や爆発物の扱いに慣れた元軍人などで組織された民兵組織を率い、これまでも政府機関などへの砲弾撃ち込み事件などに関与が指摘された」</em></strong>　など、政府の要人が裏で糸を引き反乱軍の組織化に協力しているとも報道されている。</p><br><p>このまま内乱が悪化した場合のことを考えてみよう</p><br><p><strong>反乱軍の組織化、闇ルート（中国？）からの安定した武器供与</strong></p><p><strong>　　　　　　　　　　　↓</strong></p><p><strong>内乱の悪化、内戦への突入</strong></p><p><strong>　　　　　　　　　　　↓</strong></p><p><strong>内戦の終結（国連軍の介入があるかはわからない）</strong></p><p><strong>　　　　　　　　　　　↓</strong></p><p><strong>勝利軍による新秩序の成立（または旧秩序の復活）</strong></p><p><strong>　　　　　　　　　　　↓</strong></p><p><strong>敗軍の主導者を裁判にかけつるしあげ</strong></p><p><strong>　　　　　　　　　　　↓</strong></p><p><strong>新政府の国際的な承認</strong></p><p><strong><br></strong></p><br><p>となる、もし長引けば普通に10～15年かかるかもしれない。　こうなるとアジアに新たな不安定要素が増えるので大変である。　また日本も、難民の流入や復興後の義捐金など、国際的役割が求められるだろう。これは最悪のルートで、まぁここまでにはならないだろうと思う（主観的に）</p><br><p>では現実的な終息案はどうだろうか</p><br><p><strong><font size="2">政府が、武器を手にした民衆に対する断固とした対応、またその一方での懐柔案をだす</font></strong></p><p><strong><font size="2">　　　　　　　　　　　　　　　　　↓</font></strong></p><p><strong><font size="2">反乱者の武力の放棄、対話重視のデモへ</font></strong></p><p><strong><font size="2">　　　　　　　　　　　　　　　　　↓</font></strong></p><p><strong><font size="2">民衆の求めに応じた選挙</font></strong></p><br><br><p>といった流れになる。ようは<strong>反乱側が武力を放棄しない限り解決しない</strong>。　これは政府側の一貫した考えだろうが、これが反乱側が認識しているかどうかは怪しい。</p><br><p>ここで問題になるのが、タイ人の民度である。　もし、タイ人が内戦など馬鹿らしいと思うのなら自然と反乱側の勢いはなくなるだろう。　また、現状に不満を持ち武力をもってしても新政府を樹立しようと考えているようならば、泥沼へ突入することは目に見えている。</p><br><p><strong>タイは確か帝国主義の時代に、東南アジアで唯一の独立国家だった。民主主義にも歴史があると思う。そのことをタイ人が誇りに思っているのなら、解決策はおのずと出てくるのではないか。</strong></p><p><strong><br></strong></p><p><strong>タイのことなので日本には関係ないと思っていても、現実に近隣のアジアに起こっていることなので考えることも無意味ではないだろうということで今回、深く考察してみた</strong></p><p><strong><br></strong></p><br><p><font size="1">※今回、自分はあくまで政府よりの意見を書いてきたが、正義はDAADにあると考えている人も多いだろう。　自分もDAADの意見に賛成することもあるが、あくまで武器を持った内乱軍という意見で記事を書いた。</font></p><p><font size="1">もし、意見があるかたがいるならぜひどうぞ。</font></p><p><font size="1"><br></font></p><p><font size="1"><br></font></p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/tyada1023/entry-10519014288.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Apr 2010 07:50:14 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>タイの混乱について①</title>
<description>
<![CDATA[ <p><a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100426-00000032-mai-int">http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100426-00000032-mai-int</a> </p><br><p>タイの内乱が激しさを増しているらしい。　これまでタイと言ったらバックパッカーの聖地と呼ばれていて、タイを拠点に東南アジアの国々へ旅行するといった手段がポピュラーだったが、それも難しくなるのだろう。</p><br><p>この内乱の件についてウィキペディアで調べてみた。</p><br><p><strong>2006年、当時のタクシン首相のインサイダー取引等がきっかけで、軍部がクーデター。</strong></p><p><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↓</strong></p><p><strong>その後軍部の推薦で首相誕生。タクシン与党の解党を命じ、軍部独裁に対する国民の不信感が起こる。</strong></p><p><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↓</strong></p><p><strong>タクシン派DAADと反タクシン派PAD（黄シャツ）との武力衝突がおきる　2008　9</strong></p><p><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↓</strong></p><p><strong>現首相アピシット（反タクシン）の退陣を求めDAAD（赤シャツ）が抗議デモ、暴徒化</strong></p><br><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p><p>こんな流れらしい。2006年から一連してDAADとPADの対立が続いてきたわけだが、wikipediaを見ても複雑で理解するのにかなり時間がかかった。</p><br><p>しかし今回自分が考えたのが<strong>、「デモと暴徒の違い」</strong>である。</p><p>もともと、DAADの主張というのは現在のアピシット政権は公正な民主主義に基づいていないというものらしい。（違っていたらゴメン）　つまりリベラル派である。　</p><p>しかしながら、現在彼らは自ら暴徒化への道を歩もうとしている。　なぜなら銃を手にしてしまったからだ。</p><br><p>そもそも、民主主義国家においてデモは当然の国民の権利である。日本でも、右翼左翼にかかわらずデモが行われている。（個人的に好きではないが）</p><p>日本の場合、警察への届け出が必要など法治国家ではルールも存在する。</p><p>ここでデモ参加者に必要とされるのが、　「<u>武器を持たない</u>」である。　これは意外と暗黙の了解であり、当然守られるべきこととされている。　</p><p>　だから、暴徒化した場合治安部隊が鎮圧に使うのも、あくまで<strong>非殺傷武器（non-lethal wepon)</strong>である。</p><br><p>かつての日本の学生運動でも、使われたとして「ゲバ棒」や「火炎瓶」ぐらいであり、自前の（殺傷能力の低い）武器であった。</p><p>もちろん、暴徒と鎮圧部隊との衝突の中でまれに、暴行や発砲で死者が出ることはある。（今回のカメラマンのように）　　が・・・・、　<strong><font size="3">武器を持たないということは相手を殺さないということの大前提であり、また相手側にも自分を殺さないでねという暗黙の了解である。</font></strong></p><br><p>しかしDAADは違う。彼らが持っているのは<strong><font color="#ff0000">AK-47、M-16、手榴弾</font></strong>など立派な武器である。つまり、相手を殺す覚悟があるとアピールしているわけだ。（本人には自覚がないのかもしれないが）</p><p>その時点で国家権力の立場は一気に硬化する。彼らにとってデモ隊は、「デモをしているが守るべき国民」から、「武器を持って政権の転覆を試みる反乱者」となる。こうなると、容赦はかけられなくなってしまう。</p><br><p>実際この前武力衝突も起きている。つまりデモの域を超えた内戦である。</p><br><p>長くなってきたので次に続けたいと思う。</p><br><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100411/16/tyada1023/18/56/j/o0396036310491851920.jpg"></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100427/07/tyada1023/04/58/j/o0256017110513702617.jpg"><img border="0" alt="Que sais-je?" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20100427/07/tyada1023/04/58/j/t02200147_0256017110513702617.jpg"></a> ４・３のDAADのデモの様子<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br></p><p>　</p><br><p>　</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/tyada1023/entry-10518982829.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Apr 2010 06:51:12 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>光市母子殺害事件について</title>
<description>
<![CDATA[ <p>久々に更新することになった。　というのも最近は割と平穏に暮らしており、ある出来事を見て「何なんだ　これは！！！」という感動（良くも悪くも）がなかったである。　そういうものがないと、逆にブログを書こうという気が起らない。</p><br><p>今回、更新することにした、一つの理由に<strong>「自分の感じたネットの気持ち悪さ」</strong>がある。そのことを伝えたいと思った。</p><br><p>タイトルに挙げたとおり　今回は「光市母子殺害事件」についてネットの反応を考えてみたい。　みなこの事件のことを知っていると思うので事件の概要は省略する。※参照　</p><br><p>自分は死刑支持派である。　だから加害者の死刑判決など当然と考えている。　もちろん、一般社会<strong>（ネット社会を除く）</strong>では、遺族の本村洋さんへの同情の念が強い。</p><br><p>しかし、ネットでは違った。いや、改めてネットという場所が一般常識からかけ離れているかが分かった。</p><p>２ｃｈで本村洋と検索してみる。</p><br><p><a href="http://society6.2ch.net/test/read.cgi/court/1198236722/501-600">【BMW】本村洋アンチスレ【ドゥカティ】</a> </p><p><a href="http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1209648566/1-100">【日本の悪霊】本村洋 【犯罪被害者貴族】</a> </p><p><a href="http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/1254959003/501-600">光市母子殺害事件の夫 本村洋への違和感</a> </p><p><a href="http://society6.2ch.net/test/read.cgi/court/1209092793/1-100">【本村真理教】英雄・本村洋様を称えるスレ【開祖】</a> </p><br><p>など気持ちの悪いスレが多い。　内容を見てみると、ほとんど（7割）がアンチ本村氏であった。　彼らの主張</p><br><p><strong>・メディアの露出大杉</strong></p><p><strong>・やっぱり日本人はメディアに踊らされている（←２ｃｈ共通認識）</strong></p><p><strong>・自分が司法だと考えてる。</strong></p><p><strong>・前例からいって死刑はあり得ない（法学的立場だが、学術的でもない）</strong></p><p><strong>・どうして、殺された妻はぬけぬけと玄関のドアを開けたのか？</strong></p><p><strong>・妻の性格悪すぎ、ブサイク</strong></p><p><strong>・印税（天国からのラブレター）で儲けている・</strong></p><p><strong>・殺されて当然</strong></p><br><p>など見るにも絶えない罵詈雑言である。　本当に気持ちが悪い。特に根拠もないのに妻の性格が悪いなどとどうして言えるのだろうか？　</p><br><p>また死刑にしてほしいという感情は遺族として当然ではないか？　人間は誰しも身近な人を殺されて、心の底から赦せるというような聖人ではない。</p><br><p>２ｃｈの住民（一概には言えないが）には「<strong><font size="3">反論の余地もないような絶対的悪」</font></strong>に対するシンパシーみたいなものがある。（特にヒトラーなどに多い）</p><p>たとえば、　</p><br><p><strong>・ヒトラーは1939年までは絶対的に正しかった。　あのままユダヤ人を虐殺してればよかった。現に今世界はユダヤ資本に牛耳られているではないか？</strong></p><p><strong><br></strong></p><p><strong>・日本が真珠湾攻撃をしたのは、ルーズヴェルトにはめられたのだ。</strong></p><p><strong><br></strong></p><p><strong>・911テロはアメリカの陰謀だ！！　ユダヤ資本の匂いがする。</strong></p><p><strong><br></strong></p><p>など、根拠のない陰謀論を振り回して、悪を正当化する。（たいてい謎の？ユダヤ資本が登場する）</p><p><font size="1">まぁ自分が陰謀論を語ると長くなるので　また今度の機会に話したいと思う。</font></p><br><p>話がそれてきたので元に戻すが、　これまでこういった彼らの妄言をたびたび聞いてきたが、今回は本当に吐き気がした。　</p><br><p>これに関して似たような事件に、スマイリー菊池の事件がある。　事件がひと段落した後に自分で調べてみたのだが、</p><br><p><strong>・スマイリーが「1988～1990年ごろＯＯ区で不良をやっていた」と公言していたとネットで広まる。</strong></p><p><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↓</strong></p><p><strong>・80年代後半のＯＯ区といえば　コンクリ事件※２　が起きている。当時不良をやっていたのならば知らないはずはない　というデマが起こる。</strong></p><p><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↓</strong></p><p><strong>・刑務所から出所した犯人の中にスマイリーの本名らしき名前がある。</strong></p><p><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↓</strong></p><p><strong>・奴はコンクリ事件に関与したに違いない！！！！　→　祭り状態</strong></p><p><strong>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↓</strong></p><p><strong>・スマイリー氏名誉毀損で提訴</strong></p><br><p>という具合だ。　これを見て今回の事件もおんなじような末路をたどるのではないか。　いやむしろたどってほしい。　根拠もなく人を不当に貶めることがどれくらいの罪なのかを教えるために。</p><br><p>本来、ネット上での非難全般は法に触れない限り、自主規制でされるべきである。　なぜなら誰にも物を非難する権利はあるからだ。　だからそれが不当なものかどうかは自分で判断すべきである。　</p><br><p>ネットには表現の自由がある。　だからこそ自分は吐き気を催した。</p><br><br><br><br><p>※　光市母子殺害事件　wikipedia 　案の定荒れている模様</p><p><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B8%82%E6%AF%8D%E5%AD%90%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B8%82%E6%AF%8D%E5%AD%90%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6</a> 　</p><br><br><p>※２　女子高生コンクリート詰め殺人事件</p><p><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A9%B0%E3%82%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A9%B0%E3%82%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6</a> </p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/tyada1023/entry-10517476514.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Apr 2010 13:44:56 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>宗教の存在意義</title>
<description>
<![CDATA[ <p>前回は自分の宗教観についてだらだらと書いてしまったわけだが、今回は「21世紀における宗教のあり方」を考えてみたいと思う。</p><br><p>しかし、これは欧米と日本とで場合分けをしないといけない。　なぜなら、前回の冒頭で言ったように「一般的に日本人にとって宗教とは特別な意味を持っていない」からである。</p><br><p>まずは日本について考えてみる。日本人で宗教を信仰している人の、信仰動機を考えてみた。</p><br><p><strong>①親が宗教を信じている。</strong></p><p><strong>②親族以外の勧誘</strong></p><p><strong>③個人的興味</strong></p><p><strong>④精神的に弱った時の駆け込み寺</strong></p><br><p>一般的に日本人は露骨に宗教色の強いものを敬遠する（イベント的なものを除く）。　国民自体が軽い宗教アレルギーのようなものだ。　だから宗教に帰依するにはやはり特別な理由がある。</p><br><p>①だが、これはもっともな理由だろう。自分は熱血な信者ではなくても、幼いころからの環境でエスカレーター式に「二世、三世信者」となっていく。</p><br><p>②について言うと、これは非常にタイムリーな理由である。　なぜなら、フレッシュマンが新しい生活を始める4～5月には非常に宗教の勧誘が多い。（うちも4～5月で三回ほどあった）　これの問題点は、勧誘に来る宗教団体が新興宗教のみの点であろう。</p><p>・統一教会系（大学での勧誘が多いらしい、自分はない）</p><p>・キリスト教ＯＯ派（戸別訪問して、聖書を読みませんかと勧誘に来る）</p><p>・創価系（親しい友人を装い、喫茶店などに呼び出し勧誘。自分はない）</p><br><p>③は自発的理由からだが、これはどちらかというとおもに欧米人が多いと思う。これについては欧米の考察で詳しく語る。</p><br><p>④だが、これは現代人の帰依動機としてもっとも合理的のように思われる。　つまり、普段は特定の宗教を信じていなくても、精神的に追い詰められたような時、人間は簡単に宗教にのめりこんでしまう。だから「駆け込み寺」なのである。　これは決して悪い意味で言っているのではない。</p><p>このパターンの駆け込み寺は何も仏教だけを指すのではなく、すべての既存の宗教を指す。（旧来、新興）</p><p>一般的なイメージで言えば、お寺の経営する社会更生施設や、キリスト教系のホスピスだろう。</p><p>これについて、最近の経験がある。</p><br><p><strong><em>自分は最近、親戚が末期のがんということでキリスト教系のホスピスに行ってきた。散在している農地を見下ろす高台にある病院は、一般診療のほかに他では受け入れを拒否されるような末期患者のホスピス病棟がある。</em></strong></p><p><strong><em>ホスピス病棟は「病棟」とはいっても隔離されているわけではない。　病院の印象として気がついたのは、いたるところにあるキリストの絵である。しかも一般的な宗教画と違い、キリストが入院している患者と触れ合ったり、癒している「人間として具現化されたキリスト」である。　</em></strong></p><p><strong><em>ホスピス病棟は、内装が木目で統一されており、温かい印象を受けた。設備としても一流であり個室には、バリ</em></strong><strong><em>アフリーのシャワートイレが完備されている。　部屋には聖書やキリスト系の医療雑誌が置かれていた。</em></strong></p><p><strong><em>ときどきお茶とお菓子の差し入れがあるが、それを担当しているのはボランティアだそうだ。</em></strong></p><p><strong><em>このホスピス病棟を見学して感じたのは、「人間としての隣人愛」と「空気と化しているキリスト教」である。つまり、あらゆるところにキリスト教のモチーフはあるが、あくまで背景であり患者自身が別の宗教をもっていても、無理にキリスト教的価値観を押し付けられることはない。また、沖縄は米軍基地がおかれていることで有名だが、キリスト教系ということや英語が話せる医師がいるということで米軍兵士も多く利用しているということである。</em></strong></p><br><p>自分がこの病院を見学し一番に感じたのは「受動的であり受容的な宗教としてのキリスト教のあり方」である。一般的にキリスト教は排他的といわれる（歴史的にも）が、そういったものはこの日本では受けない。またそこまでキリスト教が一般的でない以上、あくまでその他もろもろの宗教のひとつにすぎない。</p><br><p>しかし、今回キリスト教の掲げる「隣人愛」がいかに現代にも通じるものがあり（いやむしろ現代のほうが）、そういったものが新たな宗教のあり方を示しているのだと感じる。</p><p>つまり、普段必要としていなくても常にそこに「存在」し、必要としたときに「受容」といった駆け込み寺は、宗教的価値観の薄い日本だからこそ必要とされている「施設」なのだろう。（仏教などの既存宗教にも同じことが言える）</p><br><p>今度は欧米について考えてみよう。これまで述べてきたように欧米ではキリスト教を土台とした社会はすでに出来上がっており（宗派にかかわらず）、むしろ現実世界と割り切っている感がある。欧米の宗教のイメージとして</p><br><p><strong>・圧倒的多数派のキリスト教</strong></p><p><strong>・移民による異宗教との軋轢</strong></p><p><strong>・宗教依存度の個人差</strong></p><p><strong>・聖と俗を分けて考える合理的信仰</strong></p><br><p>やはり欧米といえばキリスト教を中心とした世界である。成立過程からいって欧米史からキリスト教は切っても切り離せない。それでも21世紀の今ではやはりこれまでと信仰のあり方は変容してきているのではないか。たとえば、「宗教依存度の個人差」だが、人によっては定期的に教会に足を運ぶのが日常なのに対し、もう一方ではキリスト教に属している「自覚」はあるが、教会に行くような熱意はないといった人もいる。</p><br><p>先ほど述べた個人的興味からの宗教への帰依だが、これは欧米人に当てはまるのが多いのではないか（推測だが）、たとえば欧米人が何かのきっかけで東洋哲学にはまることは多い（ビートルズなど）。そういったのは、</p><p>既存のキリスト教に対する矛盾がありありと見えるからではないか。もともとの彼らの文化がまったくの無宗教であったのならばほかの宗教に興味を持つようなことはなかったのではないかと思う。</p><br><p>また「聖と俗を分けて考える合理的信仰」とは何かというと、欧米人は神様という存在をどうも自分の都合のいいように考えているものらしく、自分の世俗的生き方と何ら矛盾しないと考えているのだ。</p><p>たとえば、昔の戦争の例をあげると同じキリスト教徒が戦争をしていると、互いに<strong><em><font color="#ff0000">「我こそが真のキリスト教徒です。敵は悪しき異端者です。どうかわが軍のこそ神の御加護を・・・」</font></em></strong>などとたがいが同じ神に祈っている姿が普通に見られる。</p><br><p>これは現代の欧米社会にも言えることで、現代の大富豪のように、若いころ権謀術数を駆使して他人を蹴落としながら成功した人がキリスト教会に多額の寄付をしたり、他人のために奉仕活動をする姿が見られる。</p><p>これこそが「政教分離」ならぬ「聖俗分離」である。　つまり、片方の手で現世の成功をつかみながら。もう一方の手では、恵まれぬ人への奉仕や寄付などを欠かさない。（これはハリウッドスターなどにも言える。）</p><br><br><p>この二つの文化圏の宗教観の相違（ほんとなら中東も考えないといけないが）から、21世紀における新しい宗教観が見えてくる。　それは個人主義をベースにした<strong>「プラグマティズム的宗教観」</strong>である。</p><br><p>つまり、「宗教というものは個人が幸せを追求するためにあるのであり、その個人が幸福であるのなら他人に害を及ぼさない範囲で自由に信仰する」といった発想だ。　ようは「その人が幸せならそれでいいじゃない」という至極自由放任的で、しかも道具主義的である。つまり宗教というのは道具にすぎないというわけだ。</p><br><br><p>これには現在存在しているカルトや、過激な原理主義の問題もあり一概に言えないが、新旧を含めた多数の宗教が共存するにはこれぐらいの寛容な精神が求められるべきではないか。（もちろん自分のような無宗教の人たちも許容される）</p><br><p>国際社会を生きる我々には、こういった「宗教というもの」を客観的に見てみることも非常に重要である。</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/tyada1023/entry-10511223537.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Apr 2010 23:17:08 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自分の宗教観</title>
<description>
<![CDATA[ <p>よく<strong>日本人は無宗教</strong>だとか、はたまた<strong>宗教観が薄い</strong>、または<strong>感じられないほどに定着している多神教</strong>だとか言われる。</p><br><p>さてホントのところはどうであろうか・・・・・<strong>と、その前に観察者として自分の宗教観をハッキリ説明する必要がある。</strong></p><p><strong>自分は無宗教である。</strong>ハッキリ言ってクリスマスや正月、お盆などは自分にとって単なるイベントであり、あまり宗教的意味を考えていない。</p><p>しかし、自分の故郷である「沖縄」はまれにみる、原始的な土着信仰の残る日本でも稀有な場所である。。。。。</p><br><p>沖縄で信仰されているものは<strong>「仏教を土台に置いた中国風の先祖崇拝」</strong>（学術的な位置づけは知らないが）である。別に先祖崇拝というものは仏教において普通に存在しているが、沖縄ではことさらその側面が強い。</p><br><p>なぜなら、ユタという霊媒が存在するからである。（※）　最近では本土のテレビでも報道されることが多いが、要は先祖の霊を呼び出して、ユタが先祖と会話し、現世のことについてアドヴァイスをもらうというものだ。</p><br><p>いわゆる<font color="#0000ff">シャーマニズム</font>である。沖縄にいたころは何も感じなかったが、沖縄を離れてみると、その文化が非常に珍しいものだと気付いた。（本土にもイタコは存在するが）</p><br><p>しかも、その預言が当たるのである（※２）。だからこそユタという非科学的な存在が、<strong>沖縄の一般人（子供から、オバア、主婦、まじめなサラリーマンまで）に当然のように</strong>に信じられているのだ。</p><br><p>しかし、自分はユタは信じない。それはなぜか？　気になるなら一度ユタにあってみたらいい。</p><br><p>彼（多くの場合彼女）らは、<strong>生者以上にあの世の死者を重視し、相談者を不安がらせることしか言わない</strong>。</p><p>本当である。</p><p><font color="#0000ff">「あんたぁ、墓の掃除していないでしょ、そのせいであんたの子供は目が悪いんだよ」</font></p><p><font color="#0000ff">「今あんたが体の調子が悪いのは、先祖が何かうったえてるんだよ」</font></p><p><font color="#0000ff">「あんたの家系の先祖はちゃんと成仏できていないようだね。あの世で泣いてるよ」</font></p><p><font color="#0000ff"><br></font></p><p>こんな具合である。しかも、<font color="#ff0000"><strong>見なれぬユタのボロアパートのこもり切った部屋で、ためらいがちにいわれるのである。誰だって、雰囲気にのまれてしまい簡単に信じてしまう。</strong></font></p><br><p>基本的に、沖縄における先祖崇拝は<font color="#ff0000">「あの世への畏敬と畏怖</font>」から成り立っている。沖縄の人に言わせてみれば、</p><p><font color="#ff0000">「先祖霊が何かを訴えかけるために、子孫に害を及ぼすのは当然であり、　場合によっては致命傷を与えることだってありうる」</font><font color="#000000">ってわけだ。</font></p><br><p>まったくもって<strong>本当にそうならば</strong>、身勝手なご先祖様である。自分の自己主張をするために人に害を与えるとは、生きていたら犯罪者ですよｗ</p><br><p>たとえば自分が死んでしまったとする。子孫にはどうなってほしいか？もちろん「幸福な人生を歩んでほしい」</p><p>と思うのが当たり前である。子孫に害を与えるなんてとんでもない話である。</p><br><p>こんな風に自分の死後勝手にユタを通して自分を語られるものだからたまらん。　死人に口なしである。</p><br><br><p>もし、死後の世界が存在するのなら・・・・・こうしよう。</p><p>「死後の自分を騙ったユタを呪うわｗ」</p><br><p>まあそんなわけで、自分は沖縄の厄介な宗教儀式（まだまだたくさんある）に絶対巻き込まれたくないし、自分が死んでもそんなものやってほしくない。</p><br><p>だからこそ、沖縄を出たのかもしれない。</p><p><strong>沖縄で沖縄人として生きていくには（本土人が思う以上に）しがらみが多すぎる。嘘だと思うなら、沖縄の人に嫁いだ本土人の話を聞いてみたほうがいい。</strong></p><p><strong><br></strong></p><p>そんなバックグラウンドがあり、自分には半ば宗教アレルギーに似た無宗教観がある。</p><p>しかし、自分は宗教というものにまったくの価値を見出していないわけではない。むしろ、敬服することが多い。</p><br><p>それは最初に投げかけた「日本人の宗教観」の答えとともに次回に回したい（いかんせん自分で読むにも長すぎる）</p><br><p>～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～　</p><p>※沖縄の土着信仰ユタについて取り上げた社会学者は多い。学術的に興味のある方はぜひ読んでみたほうがいい。（ユタの書いた本とともに）　自分は読んだことないがw。</p><p><span class="font16"><strong><br></strong></span></p><p><span class="font16"><strong>沖縄シャーマニズムの社会心理学的研究　大橋英寿著　弘文社　など</strong></span></p><p><span class="font16"><strong><br></strong></span></p><p><span class="font16"><br></span></p><p><br>※２　客観的にいってかなり当たると思う。いや、逆にいえば当たっていることしか言わないのか？ホントに当たるの？って思う人は沖縄旅行のついでにユタめぐりをしてみたらどうだろう。（礼金は5000くらいかな？）　</p><br><p>心理学的に言うと、コールドリーディング（相談者の言葉の裏を読み取る）やホットリーディング（事前に家族の基本情報を紙に書かせる）を使っているようだ。</p><p>コールドリーディング</p><p><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0</a> </p><p>ホットリーディング</p><p><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0</a> </p><p><br><br><br><strong>～勝手にユタの紹介～</strong></p><p><strong>長嶺伊佐雄さん</strong></p><p><strong>沖縄ではかなり有名なユタ（珍しく男）です。彼の「カミングヮ」って本は沖縄のユタ信仰について詳しく書かれているので、スピリチュアル（笑）に興味のある方はどうぞ。<br>　<br></strong><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/tyada1023/entry-10509263466.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Apr 2010 18:54:21 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
