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<title>nijiのブログ</title>
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<title>詩 お金っていうまぼろし</title>
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<![CDATA[ ある春の日の朝それは起こった。<br><br>世界中の金にまつわるありとあらゆるデータが無意味なものになった。紙幣はあるが、その価値を信じる理由がなくなってしまった。<br><br>今やっている仕事が無償奉仕であることをしり、<br>多くの人が職場に行かなかったために、<br>あっという間に交通などのインフラは止まってしまった。<br><br>戒厳令が世界中の国家で施かれたようだが、<br>奉仕精神だけで、軍や警察を運営するのは難しく、すぐに無意味なものになった。<br>混乱がなかったわけではなかった。<br>停電も起きており、報道も通信も途絶えていたから、<br>ほとんどの人々の知る由もなかったが、<br>お金の力を信じるがゆえに一つの方向性を持ってまとまっていた国家などの、経済組織は価値の裏付けを失ってしまった。<br><br>誰にも相手にされなくなりそうになった、政治家や資本家は、保身に忙しくなってしまったようだ。<br><br><br>やがて人々は路上に集まり、語り合った。<br>公園や学校などで、薪を使った炊き出しが始まり、<br>人々の寄り合いが、暮らしぶりを変えていく力となった。<br>アスファルトが剥がされ、畑となり、身近な場所で食料の供給ができるようになって行く。<br><br>食べ物や物資がないわけではなく、むしろ十分にあるのだが、流通には皆が力を合わせる必要があった。<br>報酬は食べ物や現物と笑顔くらいのものだった。<br>物々交換やお金の代替になるものを使ってみたりもしたが、<br>結局お互い送り与え分け合う、ということだった。<br><br>しかし、放射性物質や化石燃料などを、<br>大量に輸送してエネルギーとするような消費はいらなくなり、身近で小規模の自然エネルギーを生み出し大切に使うことになった<br><br>通信でも、軍隊でも、サービス業でも、想像できるものは何でも、よみがえらせつくりだすことはできるはずだったが、<br>お金やそれににたものはもう無理だった。<br><br>奪うためのお金がなくなってしまったので、<br>治安はとても良くなった。<br>缶詰のために悲惨な強盗をしなくても、<br>スーパーマーケットなどに集積されている食べ物は、<br>皆に再分配された。<br><br>世界中に現れた炊き出しを、囲む焚き火の炎に映る人々の顔は、新しい暮らし方へと変わっていく日々の忙しさにも疲れることはなく、それぞれの瞬間を、己と仲間たちのために楽しんでいて、幸せだった。<br><br>皆で分かち合う食事に満たされた中「お金っていうまぼろしがあったね」と、顔を合わせて苦笑いしたりするのでした。<br><br>そして、こんなことならいつでも目を覚ませたのにねって。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/uchuniji/entry-12419815052.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Nov 2018 08:15:18 +0900</pubDate>
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<title>お金とか国家ってウソだよね</title>
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<![CDATA[ 人類はいずれ世界中で貨幣経済や、国家、戦争のための軍隊などの制度が終わるのを目にすることになるでしょう。<br>その時お金のために働くのではない生き方を手に入れることができるのでしょうか。<br><br>世界中でお金が紙切れのように価値を失うようなことが、起き続けています。<br>お金に価値をつけている理由は何でしょう。<br>人々がそれに価値があるという信用をしているからでしょうか。<br>日本などでは、紙幣は、神様のように信じられており、<br>価値があることはもとより、粗末に扱うこともうとまれます。<br>しかしコンピューター上の数字だと、実感がないままに、恐ろしい金額を動かしていたりするかもしれません。世の中のほとんどのお金は、紙幣や硬貨ではなく、データにすぎず、電気信号以上の実態はありません。<br><br>世の中のほとんどの人にとってお金は労働の代価としてあるでしょう。<br>一時間いくらで働いたかで、<br>収入を得て、いくら働くつもりかで借金をする。<br>生まれや幸運によって、時間の切り売りとは無縁の人もいます。<br><br>お金をつかうと、住居や、移動手段、食物などを選ぶことができ、快適に暮らせるような気がします。<br>通信や、人間関係においてもお金がいります。<br>皆お金は大切だと思っています。<br>お金があれば何でもできる世の中です。<br>お金のために人間の尊厳を捨てることができる者、<br>そんな生き方を強いられている人々はたくさんいます。<br>大金の前には誰しも弱いのです。<br><br>お金に価値をつけているものは何なのでしょう。<br>豊かな社会でほしいものをすべて手に入れている人々は、<br>その快適な暮らしを維持するためにお金を必要とします。<br><br>自家用車、冷暖房、などは、お金の価値付けをしている要因の一つの化石燃料資源や、ウランなどが必要です。<br>薪ぐらしをするにも少々のガソリンは欲しくなります。今ある暮らしを維持したり、より消費の必要な暮らしを求めるとお金がいるようになります。<br>最新技術の煽る射幸心は強く、いろいろなものが欲しくなってしまいます。<br><br>それらを手に入れるための資源を流通させるのにお金を必要としています。<br>そのお金の価値を守るために、通貨を発行する国家が存在しています。<br>お金の価値とルールを破るものが現れれば、その自由を奪うことで対処します。<br>そのための機関として、軍と警察があります。<br>誰かが一切お金に頼らない暮らしを始めようとすると、<br>税金を取り立てに来るものがあり、従わなければ、投獄されるかもしれません。<br><br>お金は国家の管理する暴力によってその価値が裏付けされていないでしょうか。<br><br>そしてその価値に、無自覚に従い、お金に力があるという共同幻想を見続けているがゆえに、知らぬうちに、そのお金につながる誰かや、自然を傷つけていることはないでしょうか。<br><br>どのような形であれ、資源を採掘し、消費し続けていくことで失ったものや命、そしてこれからも奪われ続けていくかもしれない。<br><br>もし皆がそれを信じることをやめれば、全く違う世界が現れるのです。また、金融データのハッキングや破損、自然災害や戦争などでお金を信じることができない状況にさらされるかもしれません。<br>基軸通貨と呼ばれている、軍事力の裏付けの強い通貨も信頼できなくなるかもしれません。<br><br>そして、お金やその力で運営されている国家や軍隊が、なくてもやっていける準備ができた人々が、一緒にお金との付き合いをやめれば、お金という幻想から目を覚ますことができるでしょうか。<br><br>人類はお金を使わずに暮らしていくことができるはずです。<br><br>科学技術もすすみ、世界中で豊かな食料を確保することができるようになりました。食糧難は、紛争地などで起こっています。<br>戦争さえなければなんとかなるのに。<br><br>お金を得るために働いている人の多くは、それがやりたいことではないことや辛いことであることを我慢しています。<br>選択の余地すらないときも多いです。<br><br>その代わりに、本当に取り組まなくてはならないことから目をそらし、家庭や人間関係も、自然環境もないがしろにされて、<br>取り返しのつかないようなことになったりしています。<br><br>世界の海に浮かぶゴミの量や、空が灰色に染まる大気汚染やまつわる病。<br>でも人々がお金のために働くことを一切やめたら、お金に価値がなくなったら、少しは変わるかもしれません。<br>それに取り組むことができる時間もできるでしょう。<br><br>お金は暴力の部分以外幻想なのですよ。<br>しかし、お金がなかったら食べ物や資材やエネルギーを手に入れられなくなるかもしれない。お金がないと、住居を追い出されるかもしれない。<br>家族に捨てられるかもしれない。<br><br>いろいろな恐れや欲望の行き着く先が、お金に集約されます。<br>不安になればなるほどお金が欲しくなります。<br><br>でもいやが応にもお金がその価値をすべて失うときは来るし、人々の力でそれを起こすこともできるのです。<br><br>お金が価値を失うと、突然大規模な流通や通信が途絶えるかもしれません。<br>ガスや電気が使えなくなるかもしれません。<br>そんなときのために、少ない木材燃料で、無駄なく地域の人々と食料を分け合う炊き出しの技術が大切になります。<br>二百人がそれぞれ、調理する薪を確保するのは大変ですが、二百人前を一つのかまどから調理するのはそれほど難しくありません。<br><br>現在薪を使った調理が難しい地域にいる人は、ガスなどによる調理でもいいでしょう。<br>しかし、同じ釜の飯を分かち合う炊き出しを体験すると根源的な安心を得られます。<br><br>炎を囲んで座ることもよい体験です。<br><br>世界の農村地域などでは、未だに伝統行事として炊き出しの振る舞いを行っているところもあります。<br>都市で福祉目的の炊き出しに参加することもできます。<br><br>しかし、自分が知っている限りでは、<br>1970年代から世界中で続くレインボーギャザリングに参加することは、炊き出しの技術を無料で学べる機会があることも含め、お金のいらない未来を知るためのよい挑戦となります。<br><br>そして、もうそんな世界の実現が近いことを知っている方、準備のできた方は、お金も国家もウソだったよ、とまわりの皆に伝えてください。<br><br>お金よりも大切なものがたくさん見つかるはずです。<br><br><br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181116/12/uchuniji/d9/97/j/o1920108014304077224.jpg"><img width="400" border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181116/12/uchuniji/d9/97/j/o1920108014304077224.jpg"></a><br>
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<pubDate>Fri, 16 Nov 2018 11:58:53 +0900</pubDate>
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