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<title>代償  臍帯血移植を受けるまでとそれから。</title>
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<description>2011年、慢性活動性EBウイルス感染症を発症しました。</description>
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<title>冷凍保存</title>
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<![CDATA[ 彼に話すとなんの迷いもなく<br>私達家族がなやんだのがバカらしく思えるほど<br>受精卵の保存に賛成してくれました。<br>私はこの上なく幸せでした。<br>彼の両親も保存に賛成してくれ<br>お互いの家族の賛成が得られたので特別に婚約でも受精卵での保存を認めていただけました。<br><br>そうして採卵の準備に入りました。<br>採卵は抗がん剤治療を一時中断をし、排卵時期を見極めて成長した卵子を手術で取り出すというもので<br>自費の治療となります。<br>しかし日本の法律では自費の治療と入院での保険診療を同時に行うことはできません。<br>採卵の為の治療を行うには退院しなければならないのです。<br><br>血液科の医師とも相談し病状の落ち着いた時を狙い退院し、採卵、すぐに治療を再開するという予定でした。<br>期限は長くても2週間。<br>私の病状が悪化したらすぐに採卵を中止し、治療をはじめるという条件付きでした。<br><br>そして今なら退院できるというタイミングの検査で<br>排卵直後だった事が発覚しました。<br>次のチャンスは一ヶ月後。<br>絶望感でいっぱいでした。<br>四週間も自分の身体がもつとは思えなかった。<br>我慢しても我慢しても涙が溢れ続けました。<br><br>だけど血液科の医師も婦人科の医師も<br>やれるだけやってみようと前向きに考えてくれました。<br>その支えもあり退院して採卵に備える事になりました。<br><br>しかし二週間後の血液科の外来で肝臓の数値が悪化。<br>帰れるレベルではなくなり緊急入院となりました。<br><br>でもその時は泣く事はありませんでした。<br>血液科の医師は申し訳なさそうに<br>深刻な顔をしてやってきましたが<br>私は笑って<br>もういいよ、先生。<br>と言えるくらいでした。<br><br>私は受精卵の保存に挑戦できたというだけでもう満足だったんです。<br>それだけでとっても幸せだった。<br>だからもう、採卵出来なくったっていいんだ。<br><br>そう思っていましたが<br>担当の医師は諦めませんでした。<br>なんとか採卵を実行出来るよう働きかけてくれました。<br><br>そのお陰で一ヶ月後、無事に採卵をする事ができました。<br>婦人科の先生はいつもクールなように見えるのに<br>私の婦人科の診察に一度も彼が同行しなかった事を心配して無理にでも説明会に呼んでくれたり<br>受精卵が分割をはじめ、冷凍保存した写真を朝一で病室に持ってきてくれたり<br>喜んでくれてるのがとてもよくわかりました。<br><br>これから治療がはじまる。<br>いい決心の時間となりました。<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/uco-tohei/entry-11591494175.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Aug 2013 23:27:58 +0900</pubDate>
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<title>覚悟</title>
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<![CDATA[ これが病気の再燃なら<br>骨髄移植をする。<br>だけど将来子供が欲しいから卵子の冷凍保存をしておきたい。<br>そう主治医に話をしました。<br>恐らく私がそう言うだろうと予想してか、すぐに話を聞けるよう手配してくれました。<br><br>大学病院の婦人科とは別に生殖医学センターという不妊や人工受精などを専門にしている所へいき冷凍保存について話を聞きました。<br><br>卵子の保存には二種類あり<br>未受精卵として私の卵子だけを保存する方法。<br>これは保険診療ではなく限られた病院でしか行う事ができない。<br>もう一つは受精卵で保存する方法。<br>これは大学病院でも行っているけれど、既婚者か事実婚でないと行えないとのこと。<br><br>未受精卵で保存するより受精卵で保存した方が着床率は高いみたいで<br>今の私の病状から考えても他の病院で手術をするのはかなり難しいかもしれない。<br>だけど受精卵で保存するには婚約では弱く、出来ないわけではないけれど破談になった場合卵子も全て破棄されてしまう。<br><br>一週間考える時間をもらいました。<br>彼がいなくなるなんて考えもつかなかったし、彼なら当たり前のようにOKしてくれると信じていました。<br><br>しかし私の母は反対しました。<br>結婚もしていないのに精子を提供させるのは酷すぎると。<br>今一緒にいてくれるだけで十分なのにそんな事で縛り付けて苦しめてはいけないと言われました。<br><br>彼の為に子供を残したいと思っていた。<br>絶対に結婚して子供を産む。<br>そうなるとしか思えなかったから<br>彼を苦しめるとか<br>もし逃げられたら一生子供が産めなくなるとか<br>考えもつかなかった。<br><br>急に彼に話すのが怖くなった。<br>一週間、何も言えずにすぎていきました。<br>そして父に相談しました。<br>このまま彼には何も言わずに子供を産むチャンスを手放していいのか<br>言って今後の彼の人生を壊していいのか<br>言ったら彼がいなくなっちゃうんじゃないか<br>どうしたらいいのか分からなくて<br>泣きながら話すと<br>彼は受け止めてくれる人だと思うし、お前たちがどんな決断をしたってお父さんとお母さんはお前の味方だ<br>っていつの間にか父も泣きながらそう言ってくれました。<br>父が泣いているのなんてお爺ちゃんが亡くなったときと、これが二度目。<br><br>そして彼に話してみる事にしました。<br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/uco-tohei/entry-11546382393.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Jun 2013 21:13:40 +0900</pubDate>
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<title>再入院</title>
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<![CDATA[ 再入院は外来に行ってその日のうちに個室に入りましたが翌日には大部屋に移る事が出来ました。<br>再入院してもなかなか治療は始まりません。<br>ウイルスの量が増えたわけでもなく、<br>血液データも特別悪くなったわけではない。<br>なぜ熱が出ているのか<br>なぜ肝臓がまた悪くなったのか<br>白血球が少なくなっている事で感染症にかかったのか<br>元々の病気の再燃なのか<br>先生も分からなくとにかく様子を見ながら検査をするばかりでした。<br><br>もう骨髄穿刺は慣れてしまったけれど<br>この入院から髄注も行うようになりました。<br>骨髄液を少し抜いて抗がん剤を入れる治療で、骨髄穿刺より痛い。<br>再入院翌日には髄注を行いました。<br>その後激しい頭痛。<br>二週間程起き上がる事も出来ないくらいでした。<br>髄注の副作用の一つの様でしたがこれがとても辛かった。<br><br>そして肝臓の悪化を調べる為、肝生検もする事になりました。<br>この検査は肝臓内科の時にやりたかったけれど、血小板という血を止める血球がとても少なかったので検査を行えず<br>今この肝臓の状態がもともと肝臓の病気ではないのかを確かめる為にやっておくということでした。<br><br>大学病院はいつもこうで<br>可能性を潰す為に検査を重ねる。<br>肝生検もわき腹を切りそこから肝臓を少し切り出すとても痛い検査です。<br>そんな痛い検査ばかり行っても大した結果はいつも出てきませんでした。<br><br>一通り検査を行い<br>病状が悪化する大きな理由も見つからず<br>慢性活動性EBウイルス感染症が悪さした可能性が高くなりました。<br><br>その頃、病気になる前は一切メールなんてしなかったし<br>どちらかというと仲の悪かった母と毎朝メールをする様になっていました。<br>そして一通の母からのメールで決意しました。<br><br>結局、家にいたのは、６日間だったね。でも、私は、嬉しかったよ。<br>これからも、あなたと買い物に一緒に行ったり、旅行にも行きたい。<br>私の一人しかいない娘だもの。私が病気になった時とか頼りにしたい。<br>あなたの病気は、予想以上に大変みたいだけど。これからは、めそめそするのは止めだの。<br>いつかあなたと、楽しく過ごす日まで、病気と闘うつもり。<br>でも、涙が出てしまったら許して。<br><br>私は、骨髄移植をする。<br>それしか治療法がないなら<br>それをして治るなら<br>絶対に治って家に帰ってみせる。<br>普通の人と同じ様に生きるんだ。<br><br><br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/uco-tohei/entry-11542743811.html</link>
<pubDate>Sat, 01 Jun 2013 21:28:45 +0900</pubDate>
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<title>退院</title>
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<![CDATA[ 外泊から帰るとなんと2キロも太っていました。<br>そんなに食べたつもりはなかったけれど<br>楽しくて嬉しくて<br>それだけで太ってしまったのかな。<br><br>そして先生から<br>このまま一週間何事もなければ退院して外来に通いながら抗がん剤をしよう<br>と提案がありました。<br>一泊二日の自宅でもかなり疲れてしまったから帰るのは不安も大きかったし、外来で抗がん剤をやるという事は白血球も下がったままで感染症にもかかりやすい。<br>だけど入院を待っているガンの患者さんもいるという話も聞いていたしとても悩みました。<br>先生は<br>待っている患者さんが多いのは確かだけれどあなたが不安なら入院していてもいい。他の先生には何も言わせない。あなたは私の患者だから。<br>と言ってくれました。<br>そこまで言ってくれる先生が外来でも良いと言ってくれるならと、帰ることにしました。<br><br>退院予定日の2日前<br>採血で落ち着いていた肝臓の数値が急に上がりました。<br>ステロイドを点滴から飲み薬に変えたからかもしれないし、帰れないというほどの値でもないということで様子見。<br>当日再度採血をして結果を見てからの退院となりました。<br><br>そして退院予定日<br>採血の結果はさほど変わらず。<br>外来でフォローできる範囲だつたので大部屋の皆さんにもう帰ってこないことを約束して退院しました。<br><br>ステロイドの大量投与のせいで病院では眠る事ができなくかなり強い睡眠薬を飲んでいたのだけれど<br>合う睡眠薬が見つかるまで眠れない毎日で<br>朝起きると毎朝病室の皆が<br>眠れた？<br>って聞いてくれて<br>眠れなかったと答えれば落胆し<br>眠れたと答えればお祝いし<br>病気の事や先生の事毎日相談し合って<br>励ましあって生活した入院生活でした。<br><br>退院したら1人で闘わなければならない。<br>家族や恋人はいるけれど病気本人の気持ちは到底分からない。<br>私も病気の子を持つ親の気持ちや<br>病気の婚約者を持つ悲しみは理解できない。<br>1人で頑張らなくちゃ<br>辛い顔見せられない<br>そんな事ばかり考えました。<br><br>退院しても極力病院と同じ生活をしました。<br>同じ時間に起床し<br>軽いヨガをやり<br>炭酸水をのんで<br>ナッツを食べる<br>コーヒーを飲んでから朝食<br><br>そして近所の有名なお花見スポットにも出かけました。<br>思っていたより凄い人混みで<br>それだけで圧倒されてしまい直ぐに帰りました。<br>母とスーパーにも行きました。<br>入院前はそんな事しなかったのに、一緒に買い物ができました。<br><br>そんな無理をしたせいか日をますごとに足が重く怠くなり<br>食欲もだんだんなくなってきました。<br>だけど家族には隠していました。<br>一生懸命何でもないフリをして<br>楽しんでいるフリをして<br>笑って話して<br><br>退院後3日<br>外来治療の日です。<br>外来から前回移植の説明をした南海キャンディーズ山ちゃん似の医師に担当が変わりました。<br>診察室に入ると先生はワザとらしい笑顔で<br>調子はどうですか？<br>と尋ねます。<br>変わりはないです<br>とウソをつきました。<br>本当はだるくて仕方なかった。<br><br>案の定、肝臓の数値がとても悪くなっていたのです。<br>怠さはそこからきていました。<br>そしてその肝臓の増悪がどこからきたのか<br>落ち着いていた病気の再燃か<br>薬剤性のものなのか。<br><br>その日はとりあえず辞められる薬は中止<br>ステロイドの種類を変更することとなりまた二日後に外来受診することを条件に帰宅できました。<br>外来で抗がん剤を点滴投与していると母は泣きそうな顔をして落ち込んでいました。<br>どうしようどうしようと呟くから<br>イライラしてしまい<br>仕方ないでしょ！<br>と怒鳴りつけてしまいました。<br><br>我慢ができなかった。<br>辛いのは絶対に私なのに私より辛そうな顔をして欲しくなかった。<br>死ぬのは私で、他は生きていられるのに苦しまないでほしかった。<br>そんな独りよがりな考えが次々と浮かぶほど自分が1番動揺していました。<br><br>そして点滴が終わる頃、先生がやってきました。<br>移植について。<br><br>今のところ肝臓以外で病気の再燃を疑う数値はでていないけれど、ただの薬剤性肝炎ではない気がする。ということ。<br>そして過去受け持った患者さんのこと。<br><br>私より少し年上の女性の患者さん。<br>その人は結婚をしてなかなか子供に恵まれませんでした。<br>不妊治療の末、ようやく子供を授かった時、白血病を患いました。<br>治療をするには子どもを殺さなければならない。<br>治療をしなければ死んでしまう。<br>先生は治療をする様説得したけれど<br>その女性は二度と病院には来なかった。<br><br>先生は私に婚約者がいる事を知っていました。<br>子供を望んでいることも。<br>だからといって治療をしない道を選んで欲しくない<br>治療後も子供が産める身体に戻る様最大限の努力をする<br>そう言ってくれました。<br><br>二日後病院に行くと39度の熱がありました。<br>その日のうちに再入院となりました。<br><br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/uco-tohei/entry-11533759181.html</link>
<pubDate>Sun, 19 May 2013 19:39:11 +0900</pubDate>
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<title>外泊</title>
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<![CDATA[ 移植の話があったすぐ、翌々日には家に帰れる事になりました。<br>楽しみは飼っていた犬に会うこと<br>桜を見る事。<br>嬉しくて嬉しくて先日の話なんて考えている余裕はありませんでした。<br><br>しかし帰ってみると犬はいませんでした。<br>抗がん剤治療をしていると白血球も抗がん剤に攻撃されて少なくなってしまうのですが、<br>白血球が少ないと身体に入ってくるウイルスや菌と戦えなくなります。<br>犬や赤ちゃん、お年寄りなどは発症していなくても保菌者である可能性が高く私がもらってしまうと重症化してしまうのです。<br>なので今回は犬との接触は担当医師と両親が話し合った結果やめた方がいいという事でした。<br><br>もう一つの楽しみは桜。<br>外泊中、毎週病院に来てくれていた彼が自宅にきてくれました。<br>外に出るのも土ぼこり等から感染する可能性も高いので避けた方が良いと言われたのですが<br>マスクを二重にして、メガネをして帽子をかぶって手袋をして<br>少しだけ散歩に出ました。<br>外を歩くのは久しぶりで病院とは違ってちょっとしたところに段差があったりして<br>すごくヨロヨロしながらだだたけど<br>彼と手をつなぎ桜を見る事ができました。<br><br>私の住む所では毎年桜と菜の花が同時に咲きます。<br>その風景がとても好きで<br>毎年楽しみにしてきました。<br>今年は見られないだろうと思っていたけれど偶然、例年になく遅咲きの桜の年で見る事ができました。<br><br>まだ満開とは言えないくらいの桜<br>来年はもう見られないかもしれない。<br>私は二度とここに戻ってこられないのかもしれない。<br><br>そうか、死ぬってそうゆう事なんだ<br><br>桜は散り際が潔くて<br>人の死に例えられたりもするけれど<br>桜がまだ綺麗なのに潔く散るのは来年また咲くことを知っているからだって誰かがいっていた。<br>来年綺麗に咲く為に散る<br><br>私は来年も桜を見る為に<br>どれだけ泣いて<br>どれだけ苦しんで<br>どれだけ失って<br><br>それでも生きる事を選ばなければいけないんだろうか。<br>桜はずるい。<br><br><br>こんなに悲しい桜を見たのは初めてでした。<br>散歩の途中、桜の木のしたでシートを広げてお弁当を食べている若い家族を見かけました。<br>私もああなれるのだろうか。<br>ああなりたい。<br><br>生きたい。<br><br>たった一泊の外泊でしたが<br>もちろんバリアフリーではない自宅も<br>過度に気を使う両親にも<br>ぐったりして終わりました。<br>帰り際、犬にも少しだけ会う事ができました。<br>照れたようによそよそしく<br>だけど別れ際はいつまでもこちらを見つめていました。<br><br>そしてまた入院生活にもどりました。<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/uco-tohei/entry-11526643602.html</link>
<pubDate>Wed, 08 May 2013 20:03:25 +0900</pubDate>
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<title>造血幹細胞移植</title>
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<![CDATA[ 抗がん剤治療が半分くらい終わった頃、<br>ウイルスの量も半分程に減っていました。<br>健康な人も殆どの日本人が持っているウイルスだからゼロにはならないのだけど<br>もうすぐで普通の人位になる<br>くらいまでに抑える事ができました。<br>体調もよくなり、毎日の生活を楽しく送れる様にもなっていました。<br><br>贅沢してちょっと高いコーヒーを毎朝飲んでみたり<br>病院のお風呂なのに泡風呂にしてみたり<br>炭酸水やナッツが身体に良いと聞いたら毎日採ってみたり<br>朝起きてベットの上でできるヨガをやってみたり<br>家に帰る事を前提として<br>なるべく普通の生活を送れるように<br>一日も早く結婚生活が送れる様に<br>ストレスをためないように前向きに過ごしていました。<br><br>抗がん剤治療があと三週間という頃<br>万が一の時のため造血幹細胞移植の説明をさせて欲しいと担当の先生から話がありました。<br>話はもし移植をするとしたら担当する予定の医師。<br>三十代後半くらいでおちゃらけていて<br>南海キャンディーズの山ちゃんにそっくりで笑わせてコミュニケーションをとるような先生です。<br><br>両親と三人で話を聞きました。<br>今までの病気の経過、<br>一般的な病気の推移、<br>造血幹細胞移植の仕組み、<br>ドナーの予定。<br><br>そして私の病名。<br><br>慢性活動性EBウイルス感染症<br><br>ずっと急性だと信じて治療をうけていました。<br>移植の準備を進めているのはあくまでも保険で私は今の治療で治るはずだと信じていました。<br>現にウイルス量だって減っている。<br>肝機能も良くなっているし体調だっていい。<br>慢性に移行なんてしていない。<br>移植なんて必要ない。<br>私は治るんだ。<br><br>頭が真っ白になりました。<br>母が泣き出しました。<br>それを見て私も泣きました。<br><br>慢性活動性EBウイルス感染症はほとんどが2～3年で死に至る予後不良の病気。<br>難病指定にはまだなっていないけれど申請をしていて、唯一の治療法が造血幹細胞移植です。<br>造血幹細胞移植とは自分の中の血液などを作り出す造血幹細胞を致死量の抗がん剤や致死量の放射線で全て殺し<br>他人の造血幹細胞を移植するというもの。<br>自分の元気な時の細胞を移植する自家移植と他人の細胞を移植するものとあるのだけれど<br>私の場合はそもそもその細胞が働かなくなっている為の病気だから自家移植はできません。<br>家族の型も合わなかったので骨髄バンクでドナーを探さなければなりませんでした。<br><br>説明を聞いて部屋に戻っても<br>いつもみたいに笑えなかった。<br>看護婦さんにも後で心配して様子を見にきた山ちゃん似の先生にも<br>何も話す事ができなかった。<br>一言喋ると涙が出そうで<br>なるべく何も考えたくなかった。<br><br>その日の夜、担当の先生が来てくれました。<br>一度、お家に帰ろうか。<br><br>先生にも看護婦さんにもいつもいつもニコニコしていた私なのに<br>落ち込んだ姿を見て気分転換にと考えてくれたのでしょう。<br>まずは一泊だけ自宅に外泊という形で帰れるようにしてくれました。<br>その嬉しさで真っ白だった頭はいっぱいになりました。<br><br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/uco-tohei/entry-11524125069.html</link>
<pubDate>Sat, 04 May 2013 23:09:01 +0900</pubDate>
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<title>生殖医学センター</title>
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<![CDATA[ 新しく始まったことの二つ目は婦人科の受診でした。<br>それまではあまり気にしていなかったけど<br>というか正直生きることで精一杯で気づきもしなかった。<br><br>抗がん剤治療を行うということは生殖機能に異常が出るかもしれないということ。<br>死ぬ確率とか沢山説明したくせに<br>その事はずっと教えてくれなかった。<br>人間として生きることは大切だけど<br>女である必要はないとの判断だったのでしょうか。<br><br>そうして大学病院内の生殖医学センターという名の婦人科を受診しました。<br>婦人科とは別に不妊治療などを主に行っている科のようでした。<br>韓流俳優のようなシュッとした先生。<br>口調も笑顔も優しいけれど事実を淡々と伝える人です。<br>問診をして、内診をして<br>結婚はしていらっしゃいますか？<br>いいえ。<br>左手薬指の指輪を見て<br>ご予定は？<br>あります。<br><br>そして苦笑いをして<br>今は生理を止めて子宮を休めるくらいしか方法はありません。<br><br>私は元々生理は規則正しくきているほうではありませんでした。<br>生理不順でピル治療をしていたこともあります。<br>それに加えこの時行っていた抗がん剤が子宮に与える影響は少なくないものだった事から生理は戻らない可能性が高いという事でした。<br><br>子供が出来ないかもしれない。<br><br>ショックでした。<br>大部屋では泣く事ができなかったから<br>お風呂でシャワーも浴槽も水を最大に出して声を出して泣きました。<br>彼に申し訳ない。<br>結婚する資格はない。<br>別れなければ。<br>彼の子供が欲しい。<br>親に孫の顔も見せられない。<br><br>病気になる前は是が非でも子供が欲しいとは思っていなかったけど<br>病気になって両親や彼のご両親が子供の事で泣いて苦しんで<br>自分の事より大切なものがあるってなんて素敵な事だろうと気づかされました。<br>そして彼にもそのプレゼントをしたい。<br>私もその支えが欲しい。<br><br>でもそれが叶わないかもしれない。<br><br>落ち込んでいたら血液科の担当の先生から話がありました。<br>治療を始めた時、生理の事まで気にしているほど病状に余裕がなかった事<br>今の治療をしなければならないという事<br>例え移植をしても妊娠をした人はいる事<br>卵子を冷凍保存できるという事。<br><br>すべて理解は出来たけど<br>受け止められる余裕はありませんでした。<br><br>子供も産めないような女を嫁にもらうはずがない。<br>ただの荷物でしかない。<br>そもそも私は女ではなくなるんじゃないかと怖かった。<br>見た目だって女らしさはなくなっていくに違いない。<br>彼に好きでいてもらえる自信がない。<br><br>考えても考えても考えても<br>マイナスの事しか浮かびませんでした。<br>言わなければならない事だけれど<br>彼にもいう事ができませんでした。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/uco-tohei/entry-11521629834.html</link>
<pubDate>Wed, 01 May 2013 00:41:29 +0900</pubDate>
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<title>緩和ケア</title>
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<![CDATA[ 女性の医師に変わると本来の病気以外のメンテナンスも始まるようになりました。<br>まず臨床心理士によるカウンセリング。<br>血液内科には私より重いガンの人もたくさんいるし<br>私より若い人もいる。<br>なのになぜか私にだけカウンセリングが付けられました。<br>先生から提案された時は<br>毎日笑っていたし、体調も順調だし<br>このままこの治療さえ終れば元に戻るのだからカウンセリングなんて必要ないと思ったけれど<br>悩んでないなら悩んでないと臨床心理士さんに伝えればいい<br>と言われたので渋々カウンセリングを受けることにしました。<br><br>前述のとうり私は人見知りだったので<br>臨床心理士といえど他人と話すなんてストレス以外のなにものでもなかったけれど<br>初めて彼女にあった時その不安はなくなりました。<br>お昼のカレーを食べている時にやってきて<br>あ、ごめんごめん。またくるねー！<br>と昔から知ってる人のように去って行き、なんだか構えていたのが解けたような感じるで<br>再度来てくれた時には心を開く準備が出来ていたような<br>不思議な感覚でした。<br><br>一通り自己紹介を終えて<br>大変な病気になっちゃったね<br>まずそう言われた瞬間<br>私は大泣きしてしまいました。<br>張り詰めてたものがプツンと切れたみたいに<br>初対面の人の前なのに<br>なんだか知らないけど涙がとまりませんでした。<br>泣いている私の膝をトントンと叩きながら彼女は色々な話をただ聞いてくれました。<br>なぜ私がこんな病気にならなくちゃいけないんだってどうしようもない愚痴<br>両親や彼に対する申し訳ない気持ち<br>今後の不安<br>今までの後悔<br>泣きながらたどたどしくしか話せず長時間になってしまったけれど<br>ずっと聞いてくれました。<br><br>泣けてよかった。<br>そう言われて初めてのカウンセリングは終わりました。<br>そういえば大部屋にうつってから<br>笑う事ばかり意識して<br>他の人の目もあるし<br>泣くのを我慢してたってわけではないけど<br>なかなか泣く事も出来なかったけれど<br>泣く事も大切なんだよ<br>と教えてもらいました。<br><br>そうして彼女は週に一回私を泣かせにきました。<br>でも最後には笑ってまた来週と帰っていきました。<br>相変わらず毎週毎週会う前は憂鬱だったけど会って話をするととてもすっきりしてまた一週間頑張れました。<br><br>別に彼女はなにか話すわけでなく<br>ただ私の話を聞いて<br>膝をトントンして<br>最後に笑うだけ。<br>なのにすごく支えられた気がする。<br><br>なぜ私にだけカウンセリングがついたのかはずっと謎だったけれど<br>後に調べてみたら入院していた病院には緩和病棟があって<br>もう治療が出来ない人をケアするチームがありました。<br>臨床心理士さんもそのチームの一員で<br>緩和病棟以外の入院患者で<br>緩和病棟に移る可能性の高い患者さんや<br>治療方針の大きく変わる患者さんのケアもするとの事でした。<br><br>あの頃の私は自分は他の血液科の患者さんより軽い病気だし、<br>その治療さえ終れば前の自分にすぐに戻れると信じてしたけれど<br>そう思っていたのは私だけだったのかもしれませんね。<br><br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/uco-tohei/entry-11519739913.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Apr 2013 07:03:07 +0900</pubDate>
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<title>大部屋</title>
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<![CDATA[ 髪が抜け始めるのと比例して体調も改善して行き<br>看護師さんから大部屋に行く提案をされました。<br>病状が安定していたというのもありますがずっと独りでいるより誰かと話した方がいいだろうとの判断だったのだと思います。<br>本来とても人見知りだけどそんな自分が嫌で人見知りに見えないように格好つけるタイプだったので<br>正直、大部屋は疲れるな<br>なんて思ったりもしたけれど<br>ほらまた人見知り<br>って思われるのも嫌で大部屋に行く事を快諾しました。<br><br>そうやって人の目ばかり気にして<br>気使って<br>カッコつけて生きていたから病気になったのでしょうね。<br><br>そして大部屋に移動になりました。<br>部屋に入るとお煎餅のにおい。<br>個室にいる時は勝手にお菓子は食べちゃいけないものだと決めつけて看護師さんに隠してコッソリ食べていたりしたけれど<br>こんなに堂々と食べていいんだ！<br>ってカルチャーショック。<br><br>部屋は四人部屋で誰かが退院してはすぐに他の人が入って<br>私以外はみんなガン患者だったのだけど<br>中には余命を宣告されている人もいて<br>それでもいつも笑っていました。<br>笑うと免疫力があがるから血液疾患には笑う事が必要で<br>テレビを見てワザと声を出して笑ったり<br>みんなで帽子を作ってかわい～って言い合ったり<br>歳も病気も余命もみんな違うけど<br>みんな死ぬのが怖くて<br>みんな生きたくて<br>だから笑ってた。<br><br>私も大部屋に入ってからとても笑うようになりました。<br>白血病の患者さんは私なんかより強い抗がん剤を何種類も使って<br>一年以上入退院を繰り返して<br>それでも頑張っているんだから<br>ガンじゃないこの治療さえ終れば帰れる私はなんて軽い病気なのに落ち込んでいるんだろうって<br>すごくバカバカしく思えて<br>笑おう笑おうって<br>はじめは無理やりだったけど<br>そうやってるうちに少しの事がどんどん幸せに思えてきて自然に笑えるようになってきました。<br><br>四月に入ると大学病院も人事異動の時期になり担当の先生もかわりました。<br>前回の威厳のある猫ひろしから<br>少し頼りなさそうな女性の医師になりました。<br>とても優しくてそこが少し頼りない所でもあるのだけど説明などもとても丁寧でわかりやすい先生でした。<br>回り道をしても患者が傷つかないように言葉を選んでいることがとてもよく分かるけれど<br>他の先生よりも立場が下なのかな<br>とも感じられました。<br><br>先生が変わると治療方針も変わります。<br>大学病院だから科の先生がいつも報告し合って全員で治療方針を決めてはいるのだけど<br>細かい事は変わって行きました。<br><br>まず家族の血液を調べる事になりました。<br>今回の治療で治るということが前提ですが<br>いい経過が見られない場合<br>慢性活動性EBウイルス感染症<br>の治療にうつります。<br>この病気の唯一の治療法は造血幹細胞移植。<br>移植をしないと数年のうちにほとんどが亡くなる病気。<br>今回の治療8週間が終わってから移植を改めて考えたのでは遅く<br>ダメだった時の準備をしておかないといけないとの事でした。<br><br>結果は両親は勿論合わず<br>四分の一の確率で合う兄も型は合いませんでした。<br>そして骨髄バンクに登録しドナーを探すことになりました。<br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/uco-tohei/entry-11517761089.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Apr 2013 22:57:41 +0900</pubDate>
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<title>治療</title>
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<![CDATA[ <br>週が明けるといよいよ抗がん剤治療がスタートしました。<br>はじめは通常の半量を。<br><br>この頃には毎日ステロイドを大量に点滴しないと熱が出るようになっていたので<br>朝のうちにステロイドや免疫抑制剤など毎日の点滴を済ませます。<br>ステロイドは覚醒作用があるらしく眠れなくなるから朝にうつらしい。<br><br>いつもの点滴が終わると吐き気どめをうち、その後抗がん剤を点滴で入れます。<br>吐き気どめが効いたのか弱い抗がん剤だからなのか吐き気は全く無く<br>普通の点滴と同じように<br>こんなもんかって感じでおわりました。<br><br>そして同じ週に全量をもう一回。<br>次の週からは週に一回抗がん剤をうつ治療でした。<br>それが八週間。<br>全て終わったら様子を見て退院です。<br>二ヶ月なんて長くて長くて<br>ずーっと先のような気がしたけれど<br>それで治るのだと信じていました。<br>私はまだ伝染性単核球症という病気で<br>慢性ではない。<br>先生の説明でも中～重症程度の伝染性単核球症だとのことだったし<br>きっとこの治療を終えたら治る<br>そう信じていました。<br><br>そして治療を始めて一週目<br>まだ髪は抜け始めていませんでしたが<br>美容学校時代の友人に髪を切ってもらいました。<br>片道二時間以上かかるだろうに<br>病院まで来て髪を切ることを快く引き受けてくれた彼女。<br><br>入院した時、約束をキャンセルするのに一人一人メールするのが億劫でFacebookに入院した事を書いてしまったら<br>思いの外大勢のかたからメールを頂き困ったという事があったのですが<br>彼女は私には直接メールせず<br>でも心配してくれたのでしょう<br>私の彼と連絡をとり状況を聞いていてくれていたそうで<br>それを後から聞いたときには本当に感動でした。<br><br>そんな友人に人生で一番短く髪を切ってもらいました。<br>本当にモンチッチみたいで<br>しばらく鏡を見ては自分の姿に驚いていたけど<br>髪を切る事で自分は抗癌剤治療をしなければならないほど重病なんだという自覚ができました。<br>これから病気と戦うんだって<br>決意のような<br>諦めのような<br>とにかく髪を切っただけで<br>切る前とは全く違う心持ちになりました。<br><br>そしてその姿を見て担当医も満足気に笑顔で頷きました。<br>髪が抜けるとも抜けないとも言わず<br>切ったほうが良いでしょう<br>と言ったのはこういう意味だったのかもしれないと<br>私も医師に黙って頷き返しました。<br><br>治療が始まって二週間が経った頃から髪が抜け始めました。<br>ごそっと抜ける事を想像していたから<br>なんだか拍子抜けでしたが<br>それでもお風呂に入ると排水溝にたまり水の流れが悪くなる程度の毛が毎日抜けていきました。<br>元々毛量が凄く多かったので結局この治療で完全に抜け切る事はなく<br>髪の毛がとても少ない人<br>くらいにしかなりませんでした。<br><br><br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/uco-tohei/entry-11505736279.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Apr 2013 00:29:03 +0900</pubDate>
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