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<title>子供の娯楽が多すぎないか？</title>
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<description>アニメファン第一世代→長年アニメ作ってきた管理人が語る、「子供にとっての娯楽」の功罪</description>
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<title>日本の子供の貧困率と「現場の人材」</title>
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<![CDATA[ 若干テーマとはそれますが。<br>前から思っていたことを少し。<br><br>「子供の貧困率」という言葉が今月メディアに載っています。<br>かなり増えているとか。<br><br>ただ、日本の場合、学校も行かずに働いている小学生は多分いないはずなので、海外の「貧困」とはわけが違うと思います。<br>・・・という前提で書きますが。<br><br>国はこういった世帯への支援を打ち出しました。<br>それはそれで悪いことではないと思うのですが、もうちょっと発想の転換もほしいねと。<br><br>昭和30年代、高校に行けない人はいっぱいいました。<br>その中には優秀な人もたくさんいたでしょうに、でも経済的な理由で中学を出たらすぐに卒業して働きました。<br>それから何十年かたって、日本の町工場の技術は世界一といわれるようになりました。<br>つまり、優秀なのに進学せず工場で働いていた人が多いからでは？<br><br>その町工場は日本の経済を支えてきました。<br>けして恵まれた環境ではなかったと思いますが、その人たちの努力や苦労があってこその経済大国だったことは間違いありません。一流のメーカーや商社だけが支えてきたわけではないのです。<br><br>今、日本の競争力が低下しつつあるといわれますが、優秀な人がメーカーなど上流の企業にばかり就職したらそれは当然のこと。優秀な人が現場に多くいてこそ、競争力もあると思うのですが。<br><br>今、必要なのは「みんなが上の学校に行くこと」でしょうか？　<br>優秀な人ほど現場に近いところで力を発揮すべきなのではないでしょうか？　<br>その人たちが不公平感を感じないような社会を作ることで日本の競争力は復活するのではないかと思いますね。<br><br>つまり、<font color="#FF0000">貧困家庭をただ支援するのではなく、進学しなくてもそこそこの収入は得られ、社会に貢献できるというシステムを構築し可視化することです。</font><br><br>中小企業を支援する補助金などはたくさんありますが、もっと積極的に、人々にわかるように「優秀な現場の人」を優遇する施策がほしいと思います。<br><br>PS　ベネッセさんは、情報漏えいの罪滅ぼしに、貧困層の子供を無料で見てあげてはどうですかね？<br><br><br>
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<pubDate>Wed, 23 Jul 2014 21:44:02 +0900</pubDate>
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<title>第６話　たかが漫画のはずなのに・・・</title>
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<![CDATA[ 「美味しんぼ」が世間を騒がせているようですね。ついに休載とか。<br>この漫画、始まった頃はすごくはまっていて、人にも読めと勧めていたものですが、ここまで影響力を持つまでになるとは。<br>（先に述べておきますが、私はこの原作者の雁屋哲氏のファンであります。その前作の「男組」も若いころに全話読みました）<br><br>ところで、村上隆さんは著書の中で「アーティストやクリエーターは社会の最下層の人間」と言い切っています。（（注）単純に言葉通りに解釈されませんよう。色々深い意味があっての言葉です。）<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=27098267" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">創造力なき日本    アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」 (角川oneテーマ21)/角川書店(角川グループパブリッシング)<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41srqQ6PCwL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥843<br>Amazon.co.jp<br><br>私はこの考えに共感しています。<br>芸術やサブカルチャーを作って生きている人（私もです）なんて、たいして必要とは思っていないからです。<br>同時に漫画というのは子供の娯楽の代表格です。<br><br>そんな、漫画が描いたことがここまで騒ぎになるというのは、私にとっては違和感が強いです。たかが漫画のネタなんだから無視すればいいと思うのですが。<br><br>でも、確かに「美味しんぼ」の影響力は大きいものがあります。<br>特に初期の作品では、主流だった大量生産の食文化を正面から批判して、作者がいうところの「本物の食」を紹介し、当時の日本の食文化に少なからず影響を与えました。<br>例えば日本酒です。大手酒造メーカーの酒を「混ぜ物だらけのまがいもの」と断罪し、伝統的な日本酒を「芸術の域」とまで海原雄山に言わせて持ち上げました。<br>その後しばらくして地酒などのブームが来たのは恐らく偶然でなく、この漫画の影響があったと思います。今では大手メーカーの純米酒を売るようになりました。<br><br>個人的には、日本酒についてのこの意見は大いに賛成です。この漫画を読んでいなくても同じ意見だと思います。<br><br>日本酒をテーマにした際、雁屋氏はかなりしっかり取材をされていたようです。<br>でも、同じくらいにウイスキーなど他の酒類の取材をされたかどうかは疑問が残りました。その上で海原雄山は、「世界を見渡しても、酒を芸術の域まで高めたのはフランスのワインと日本酒くらいものだ」と語っています。<br>これは真剣にウイスキーや焼酎を作っている人が聞いたら怒るでしょう。まして、酒というのはその地域の気候や食材とともに歴史を重ねるものです。日本酒だけが特別という扱いにはあまり賛同できません。<br><br>つまり雁屋氏の取材方法には当時から偏りがあるのです。<br>ちゃんとしたジャーナリズムであれば、取材対象だけでなくそれに関連するあらゆる物事を同レベルで取材するのが常識ですし、対象に対抗する存在に対しては言うまでもなく、です。<br><br>漫画の取材としては、かなりしっかりとしたものだとは思います。あくまで漫画としてはです。<br>エンターテインメントの取材とはそうしたものです。作品が面白くなるネタが集まれば目的は達成されるのです。<br>それを基に描かれた漫画はやはり漫画の域は出ません。<br>だから「たかが漫画」なのです。<br><br>福島に関する雁屋氏の取材がどのようなものだったかは私にはわかりませんが、過去の「美味しんぼ」での手法から推測すると、同じように偏った取材であった可能性も否定出来ないでしょう。そもそもすべての見解や事象を網羅した取材をしていたら今回のような内容にはならなかったと思います。<br><br>みなさん、大人だったら、<br>「たかが漫画に描かれたことをいちいち真にうけなくていいよ」<br>と言ってほしいのですがね。<br><br>大人がみんなして漫画で大騒ぎしているなんて、おかしいと思いませんか？<br>
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<link>https://ameblo.jp/ueda-mo/entry-11853246928.html</link>
<pubDate>Sat, 17 May 2014 21:24:22 +0900</pubDate>
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<title>第５話　もっと我が子を見てあげて～</title>
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<![CDATA[ 先日ある場所にて目にした光景をお話します。<br><br><br><br>ある場所にて小さい規模の子供向けのワークショップがあったので行ってみました。<br>参加者の中に、女の子二人を連れてきていたお母さんがいました。<br>子供二人は楽しそうにワークショップに参加していましたが、その間お母さんはずっとスマホ･･･<br><br>退屈だったんでしょうね。<br>でも、いつも行く公園で遊ばせている時なら退屈なのもわかりますが、たまにしかないこうしたイベントで、しかも子供が何か作っている最中に退屈してしまう母親というのは、私にはちょっと驚きでした。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140514/10/ueda-mo/fb/98/j/o0640042712940676963.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140514/10/ueda-mo/fb/98/j/t02200147_0640042712940676963.jpg" alt="スマホ女性" width="220" height="147" border="0"></a><br>（この写真はフリー画像を貼っただけで本文の人とは無関係です）<br><br>私は、こういう時親は子供のやっていることを見てあげて、アドバイスしたり手伝ったりすることがあるべき姿だと思うのですが。親にとっては子供の資質や能力を知るいい機会ですし、子供にとっても親が自分を見てくれていると実感できる時間だと思うからです。<br><br>いや、それ以前に、親として関心ないのかなと？<br>自分の子が目の前でやっている行動よりも、スマホ（ゲームなのかソーシャルなのかわかりませんが）のほうに関心が強い親というのはちょっと驚きでしたね。<br><br>愛情、という面だけでなく、我が子が、どのくらい手先は器用なのか、知らない大人の説明をちゃんと理解できているのか、他の子の様子を気にする子なのか、などなど、子供についてのいろんな情報が得られる貴重な時間だったと思うのですが。<br><br>もう十分自分の子のことはわかっているなんて思っている、親御さん。<br>それは間違ってませんか？<br>
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<link>https://ameblo.jp/ueda-mo/entry-11849738582.html</link>
<pubDate>Wed, 14 May 2014 11:02:57 +0900</pubDate>
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<title>第４話　娘に言われるとこうなる</title>
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<![CDATA[ 今回もネットでみつけた興味深いお話です<br><br><br><a href="http://ddnavi.com/news/193259/?utm_source=ddnavi&amp;utm_medium=rss&amp;t=summary" target="_blank">中学生の娘の気をひこうとしたら「キモい」と言われ、「叱るときは叱って」と叱られる</a><br><font color="#0000FF"></font><br><br>今度は中学生の娘さんからお父さんが説教されるというお話。<br>しかも本になってます<br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=27033742" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">お父さんがキモい理由を説明するね―父と娘がガチでトークしました (Linda BOOKS!)/中山 順司<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41aYwhyrZ6L._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,296<br>Amazon.co.jp<br><br>これまたリンク先を読んでいただきたいのですが、簡単に言うと、最近自分をキモがる娘にちゃんと話してみたら、娘がその理由を論理的に説明してくれて、というもの。<br><br>この娘さん、すごいですね。<br>大人の女性でもこうして論理的に説明できる人は少ないのではないでしょうか。<br><br>まあ、父親に向かってここまで言ってしまえる関係は必ずしも賞賛できるものではないかもしれませんが、「口も聞いてくれない」関係よりははるかにましといえるでしょう。<br>だから、説教されてしまってショックとは思いますが（少なくも私が同じように言われたらショックです）、お父さんの子育てはけして間違っていないと思います。<br><br>面白いと思ったのは、ここでも「一般論」が語られていて、しかもこの場合は、言われた方の胸に相当刺さったのではないかということです。<br>前回まで取り上げた父娘の例では、一般論しか言えないお父さんでは娘の心にはあまり刺さらないわけですが、これが逆になるとぐっと刺さってしまうわけですね。<br><br>私は、一般論では人の心を動かせないとずっと思ってきましたが、両者の立場や関係次第ではこういうケースもあるということでひとつ学んだ思いです。<br><br>著者の人、頑張ってください（笑）。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ueda-mo/entry-11846857395.html</link>
<pubDate>Sat, 10 May 2014 20:01:15 +0900</pubDate>
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<title>第３話　前回の仮説の整理と補足です</title>
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<![CDATA[ ブログ開設そうそう、２ケタのPVを達成する日がありました。ありがとうございます。<br>アメーバはすごいですね。<br>（でも出会い系の人はコメントしないでくださいね。迷惑です）<br><br>ここまで書いていませんが、ここで私が主張していることは、もちろん勝手な仮説です。<br>「～だと思います」「～と考えます」とその都度つけるのが面倒なだけですので、お許しください。<br><br>さて前回の記事は少々とりとめなくなってしまい。反省しています。<br>要約すると、私の仮説はこうです。<br><br>親が子供にちゃんと向き合わない<br><br>　↓<br><br>子供も親を理解しようとしない<br>自分が存在する実感がなくなる<br><br>　↓<br><br>親以外のどこかで、自分の存在を実感できる場所を探す<br>（前回はこのことを「自分探し」と書きました）<br><br>　↓<br><br>ゲームに没頭する<br>生動画サイトに出没する<br>出会い系に走る　　　　などなど<br>（昔だったら不良グループに入る）　全く解決にならない<br><br>　↓<br><br>親にばれる<br><br>　↓<br><br>（親）説教するが、そもそも子供を理解してないので一般論しか言えない<br>（子）ますます親と距離感を感じてしまう<br>解決どころか逆効果な場合もあります<br><br>　↓<br><br>パターンＡ：親＝社会代表と思っている子～ひきこもる（社会との接点がわからなくなるので）<br>パターンＢ：自分の親がダメなんだと思った子～社会との強い接続を望むようになる<br><br>　↓<br><br>Ａの場合、若い人がなんでひきこもっていられるかというと、やはりTVやネットやゲームがあるからですね。人類史上かつてここまで家から一歩も出ないで娯楽が手に入る時代はなかったですよね。ネットのおかげで擬似的に他人との接点もできてしまうし。<br><br>ネットのことは他で意見を言う人もおおいでしょうから置いておいて。<br>娯楽について考えましょう、というのがこのブログのテーマなんですが、なぜそうなったのか、そしてなぜそれが危険だと思うのか、というところまで広げつつやっていきたいと思っています。<br><br>ではまた次回<br><br>そうそう、パターンＢについてもいずれ書きます。これも場合によって問題なので。<br>（なぜブラック企業が存続できるか、の謎にも迫ります）<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ueda-mo/entry-11843354931.html</link>
<pubDate>Tue, 06 May 2014 22:59:36 +0900</pubDate>
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<title>官僚エリートの父親からニート娘へのお叱りのメール</title>
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<![CDATA[ ブログを初めてそうそうに、気になる記事を見つけました。<br><br><a href="http://logmi.jp/11342" target="_blank"><font color="#0000FF">官僚エリートの父親からニート娘へのお叱りのメール</font><br></a><br><br>（↑リンクになってます）<br><br>詳しくはリンク先を読んでいただきたいのですが、ようは、官僚で海外滞在中のお父さんが、ニートになってしまっている娘に苦言を呈するメールを送ってきたというものです。<br><br>その内容は要約すると<br>・ゲームして生きていけるわけはない<br>・皆、生活のために嫌な勉強や仕事をやっている<br>・好きなことしたければ働いて稼いでやればいい<br>・大学も出ていないキミがいい仕事につけるわけがない<br>というものです。<br><br>正論、ですね。<br>でも、私が思うに正論であると同時に<font color="#009933">「一般論」</font>でしかないんです。<br>そこに、家族や親子ならではの言葉が何もない。<font color="#009966">他人の子供に送ってもそのまま使えてしまう</font>内容でした。<br><br>この娘さんもいい年してどうなんでしょう、とは思いますが、それは一旦置いて・・・<br><br>私が感じたことは、この親子はどっちも不幸だなということです。<br>この娘さんだって、今までに「頑張ったこと」の一つや二つあると思うのですが、なぜお父さんはそのことを言ってあげないのか。<br>お父さんは仕事を嫌なことと書いていますが、仕事には嫌な事のほうが多いけど喜びを感じることもあるとなぜ言えないのでしょう。ずっと仕事をやってきて嬉しい事は何もなかったんでしょうか？<br><br>お父さん、苦労されていい大学に行き、官僚になったのでしょう。<br>そしていやな仕事を生きるため家族のためにずっとやってこられて、立派だと思います。<br><br>でもね、娘のことを全然見ていなかったんじゃないですか？<br>だから一般論しか言えないのではないでしょうか？<br>まして、仕事に対しても何のやりがいも喜びも見いだせなかったんでしょうか？<br><br>この子は、もっとお父さんに見て欲しかったんじゃないかと思います。<br>せめて、前向きに仕事に打ち込むお父さんの背中を見たかったんじゃないかと思います。<br><br>立派で有能なお父さんですが、可哀想な人だとも思いました。<br>そのお父さんの娘さんもやっぱり可哀想な子だと思います。<br><br>ここから先が、このブログのテーマにまつわる部分です。<br><br>親に存在をちゃんと求めていない子供は、どこかに「自分」を探しに出かけます。<br>正確には、「自分の存在を認識してくれる世界」を探します。<br>そこにゲームがあるとします。<br>ゲームは、手っ取り早くその世界を探せる場所なのです。<br>簡単に主人公になれるから。<br>ただし、この「自分探し」はしょせんバーチャルなものです。つまり錯覚です。<br><br>「自分の存在を認識してくれる世界」なんて、現実には簡単に見つかりませんから、本来ならそこで自分と向き合うわけです。その上で自分に何ができるかとか、どうやったら自分を周りに認めさせることができるかとか考え、試行錯誤するわけですが、ゲームの錯覚がけっこう心地いいので、そこから先に進めないわけです。<br><br>先ほどの娘さんはけっこう美人なので、動画サイトの生放送なんかやってたら、アホな男どもが色々呼びかけてくるので主役になれてしまいます。<br>結局はゲームとたいして違いません。<br>まったく成長できないわけです。<br><br>「自分」がない子どもほど、ゲームの快感が強くなってしまうのです。<br>一時的な避難場所としてゲームを楽しむのは、むしろいい面もあると思います。だけど依存性が強いから怖いなと思います。<br><br>マンガやアニメは所詮一方通行のマスメディアですから、自分の思い通りにはなりません。だから一時避難場所で終わることが多く、逆にフィクションでは自分をごまかしきれないことに気づいたり、現実の世界でフィクションと同等の感動を得ようとして原動力になる可能性もあるのですが。<br>ただ、ここでマンガやアニメの数が多すぎることが問題になってきます。次のフィクションに映ることが簡単にできてしまいます。<br><br>今のマンガやアニメには小難しい内容になっているだけで、精神面が幼いままのものがとても多いのです。だからそんな子どもたちが年齢を重ねてもに適度に合ったものが見つけられるわけです。<br><br>これではいつまでたっても自分と向き合うことはないですね。<br><br>話を戻しますと、<br>このニートの娘さんはそんな子どもたちの典型なのではないかと思いました。<br>動画の中で、娘さんは父親の赴任先に「行ってみようかな」と漏らしていました。<br>行くといいと思います。他に頼る人がいない外国で、親との関係性を確認するいい機会です。<br>このお父さんが頑張ってる姿も見られるでしょう。<br>願わくば、お父さんが、娘さんの前で「仕事なんて嫌で嫌でしょうがない」という態度を取らないでほしいですね。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ueda-mo/entry-11840586719.html</link>
<pubDate>Sat, 03 May 2014 22:09:13 +0900</pubDate>
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<title>第１話　「仲間」とは？</title>
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<![CDATA[ 少し前から何か書きたいと思っていたテーマでブログを始めることにしました。<br><br>はじめまして。植田です。<br><br>時代の変化と言えばそれまでのことかもしれないけど、自分たちの時代と比べて、日本人が金持ちになったのか、エンタメが多様化しすぎたのか、「子供向けの娯楽」が多すぎちゃって、これはどうなのかと。<br>自分の仕事の否定にもつながるわけですが、ずっと胸のあたりがもやもやしているのです。<br><br>きっかけは、３年ほど前でしたか、ある有名スポーツ選手のインタビューの回答でした。<br><br><font color="#0000FF">「自分はずっと、他の人にないものを持っていると言われてきました。今、それが何なのか分かりました。それは『仲間』です」</font>（以下略）<br><br>何か･･･違和感を感じませんか？<br>彼はこのとき大学生です。（今はプロ選手）<br>これは同世代の人の受けを狙って言葉を選んだのでしょうか？<br>なぜ、普通に「チームメイトに支えられてここまで来られました」と言わないのでしょうか？<br><br>高校時代から活躍し、普通の学生よりも大人と接点を持つことが多かったであろう彼の口から、中学生のような発言が出たことに私は違和感を覚えました。<br><br>キーワードは、「仲間」なんでしょうね。<br>「ワンピース」の読み過ぎなのでは？　と思ったものです。<br>いえ、読み過ぎは別にいいのです。私もいい年してマンガ読んでます。大好きです。<br><br>でもね、国民の皆さんが見てるであろうインタビューでこの言葉を使ってしまうのは、彼に成人としてのボキャブラリがまるで備わっていないことを想像させます。<br>もし同年代受けを狙ってあえてこういう言い方をしたのであれば、これからプロになるという立場での発言としてはやはり幼いとしか思えませんでした。<br><br>子供向けの娯楽を楽しむのはけっこう。<br>でも、大人の娯楽や教養も少しは嗜んでおかないと、こういうことになるのかなと。<br><br>このブログでは、そんな視点で子供文化や、若者風俗を語ってみたいと思います。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ueda-mo/entry-11838147164.html</link>
<pubDate>Wed, 30 Apr 2014 23:20:54 +0900</pubDate>
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