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<title>寝言のような考察録</title>
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<description>長ったらしい寝言</description>
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<title>ぼくの音楽生活</title>
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<![CDATA[ 十年以上続けたギターをやめてベースに転向して一年が経っているんですが、<br><br>どうもやはり人には向き不向きというものがあるらしくて、僕の場合、ギターよりもベースの方が適性があったようです。<br><br>同じ量の練習をしたときの吸収率がギターよりもベースの方が高いんですよね。<br><br>一番吸収率が低かったのはトランペットだったかな。あれは練習しても練習しても全然うまくならなかった(笑)。<br><br>もちろん楽器を始めて間もないということもあるんでしょうけど、今はベースがどんどん上手く弾けるようになってきている実感がありますね。<br><br>十年やって感じたことなんですけど、<br>どんな楽器でも最終的にはリズム、メロディー、ハーモニーのいわゆる音楽の三要素への習熟が求められる訳ですが、<br><br>楽器によって、どの要素に特に注力すればいいかが異なってくるんですよね。<br><br>ギターの場合、伴奏もこなせるフロント楽器ということもあって、メロディーやハーモニーの要素が占めるウェイトが高いんじゃないかと思います。<br><br>もちろんリズムも超大事なんだけど、色んなコードや複雑なスケールを弾いたりするのに忙しくてそこまで中々手が回らない。<br>というか、1小節あたりの音数が多くて忙しいから、リズムの大切さに気付きにくい楽器。<br>足下では音を加工するためにエフェクターを踏んだりして、とにかく忙しい。<br><br>そういうときにやっぱり最初に求められる資質は「器用さ」なんじゃないかと思うんですよね。<br><br>あまりにもできることが多すぎて、器用さがないと中々先に進めない楽器。<br><br>不器用な人はどうすればいいかというと、ジャンルを絞ったり、あえて弾く内容をシンプルにして、音も加工せずに、総体としての仕事量を減らすことで対応していくしかない。<br><br>不器用なのにあれこれやろうとすると崩壊するから。<br><br>でもそれって、ギターの楽器としての可能性をフルに活用しているとは言い難いよなあとも思う訳です。<br><br>10得ナイフを持ってるのに栓抜きとしてしか使えてない、みたいな感じ(笑)<br><br><br>その点で、ベースはやることがシンプルなんですよね。できることが少ない、というか。<br><br>基本はとにかくリズム。<br><br>もちろん、色んなエフェクターを踏んだり、やろうと思えば複雑なパターンを弾いたりすることもできるんですが、本来の仕事は、曲のリズムとコード感をしっかりと表現することだから、そこにとにかく集中していけば、いいベーシストになれる。<br><br>やることがシンプルな分、音を出すタイミングや、音を伸ばしたり止めたりするタイミングをしっかりしないと、カッコよくならない。<br><br>ギターとは難しさの種類が違うんですよね。<br>で、そういうタイプの難しさって、僕は好きなんですよ、なんか。<br><br>そういう意味で、ベースが自分に合ってるなあと感じる訳です。<br><br>あと、ベースをやっていると、「この曲において、自分はどんな形で貢献すればいいか」という全体を見回すような大きな視点が産まれてくる気がします。<br><br>ギターやってるときは自分のことでいっぱいいっぱいだったから、そんなこと考える余裕なんてなかったんですけど、ギターより忙しくない分、そういうところに気づきやすくなるんですね。<br><br>それって、言ってみれば空気を読んで議事を進行していくようなスキルに近いところがあって、その辺も僕に向いてるなあと思う訳です。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ukiand1979/entry-11455050614.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Jan 2013 08:09:00 +0900</pubDate>
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<title>呪いよりは祝いを</title>
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<![CDATA[ 日々の生活でイライラしたときに、ついついブログでそれを書いたりしてしまうんですけど、そろそろそういうことをやめたいなと最近思うようになってきました。<br><br>自分のイライラはそれで多少は晴れるんですけど、やっぱり読んだ人はイヤーな気持ちになりますよね。<br><br>僕の場合はなまじ、ボキャブラリーや比喩、レトリックを駆使して、話を無理やり面白くすることができるから、相当ひどいことを言っていても、もしかしたらブラックユーモアの範疇として許してもらえているのかもしれないし、<br>人によってはそれを僕らしさとして認識しているのかもしれないけど、<br><br>そういうユーモアの仮面を剥ぐと、本質的にはやっぱり誰かの悪口書いて「自分は悪くない。俺ってアタマいいだろ」ってことを主張しているだけの文章なんですよね(笑)。<br><br>そういうのをそろそろ卒業したいと思っています。<br><br>まあ、比喩とかがバシッと決まったときの快感はやみつきなんですけどね(笑)。<br>そういうテクニックはフィクションの笑い話の中だけに留めるようにしようと。<br><br>自分でこんなこというと何様だと思われてしまうんでしょうけど、今の僕は口喧嘩は相当に強い方だとは思うんですよね。<br><br>何故かというと、相手の事をよく調べて分析して、一番相手が反論しづらくて痛がる言葉を、一番効果的なシチュエーションで叩きつけて「ほら、だからお前はダメなんだよ、わかったろ？」と、相手も納得するロジックでやりこめる事ができるから。<br><br>でも、それで口喧嘩に勝っても、相手からとてつもなく恨みを買うだけで、こちらの気持ちはまったく晴れないし、結局は生きづらさは変わらないので、ほとんど実践したことはないですが。<br><br>結局、自分が投げかけたひどい言葉は、いつか必ず自分に返ってくるんじゃないかということに遅蒔きながら気がつきました。<br><br>逆に、前向きな言葉を投げかけ続ければそれは別の形で自分を後押ししてくれるエネルギーになるかもしれないと。<br><br>きっかけはFacebookだったんですよね。<br>始めた頃は、誰も彼もがポジティブなこと書いてて、「なんて嘘臭い世界なんだ」と想っていたんですけど(笑)、毎日相手にポジティブな反応をし続けていくうちに、「こっちの方が、誰かの悪口を面白おかしく書くより気持ちいいな」と感じるようになったんですよね。<br><br>そんなわけで、これからは、同じ能力を、相手の良さを見つけて誉めて、誰かの気持ちを明るくしていく方向に活かしていけないかなと考えています。<br><br>呪いよりは祝いを。<br>呪詛の言葉よりも祝福の言葉を。<br><br>ちょうど、ナイフを持った暗殺者がそのテクニックを応用して外科医に転職するみたいに(笑)。<br><br>人間、そう簡単には変われないとは思いますが、そういう努力をしていこうと思いました。
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<link>https://ameblo.jp/ukiand1979/entry-11453593965.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Jan 2013 08:14:00 +0900</pubDate>
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<title>こういう人は仕事ができない</title>
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<![CDATA[ あまり偉そうなこと言えないんですけど、今までの経験上、「こういう人は仕事ができないよな」というパターンがあるように思ったので列挙してみます。<br><br>.職場でバタバタと走る人<br><br>→テンパってる新人に多いパターン。断言してもいいが、八割がたは調整不足で勝手に慌てているだけ。<br><br><br>.自分達の不備を何故か自信満々に話す人<br><br>→「あーーその色のセーターは～～いま在庫ないんですよーお！　ええ～はーい」みたいなことを力強く宣言して、尚且つ代替案も出さないみたいな。<br><br><br>.電話がやたらと長い人<br><br>→要するに、要件を端的にまとめる能力が欠けていて、尚且つ、相手の時間も浪費していることに全く気づかない訳なので、枝葉ばかりに目が行っていて物事の全体を見渡す能力が欠けていることが多い。<br><br><br>.話を途中で遮って「分かった分かった」という人<br><br>→断言してもいいが、恐らく分かっていない(笑)。手持ちの過去のスキームにしがみついて現状を認識しようとしない。<br><br><br>.会議でよく脱線する人<br><br>→その場で何を決めるべきかなど、会議の本質を見落としていることが多い。他人の時間を浪費していることに気づかない。<br><br><br>.ひとつの打ち合わせの中で同じことを何度も繰り返し言う人<br><br>→二回ぐらいまでなら忘れっぽいか、ただの心配性。三回繰り返し言う人は恐らくミニワープを繰り返して何度も過去に戻りたがる時の旅人である可能性が高い。<br><br><br>.相手の状況を把握できない人<br><br>→火急の用事でもないのに昼休みや夜間に電話をかけてきたり。目の前の課題でテンパっていて、世界は自分を中心に回っていると思いこんでいる。<br><br><br>.概ね賛成なのに、他人の意見に必ず「でもさあ」と言わずにはいられない人<br><br>→1のエネルギーでクリアできる課題をわざわざ10のエネルギーをかけてクリアしようとする報われない苦労人。<br><br><br>.聞く度に言うことがコロコロ変わる人<br><br>→ビリーミリガン。<br><br><br>.一生懸命メモするがメモを読み返さずに人に同じ質問をする人<br><br>→根底に、自分の頭を使って考えたくない、という思想が見える。メモも意味を成していないことが多い。<br><br><br>.物事を必要以上に単純化して考える人<br><br>→善玉と悪玉とか、加害者と犠牲者とか、そういう二元論にすぐ飛びついてしまう。自分を被害者として位置付けて考える傾向が多い。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ukiand1979/entry-11446956463.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Jan 2013 20:22:00 +0900</pubDate>
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<title>ハイスコア</title>
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<![CDATA[ 昨日あたりから喉が痛かったのですが、やはり風邪ひきました。<br><br>幸い今日中にクリアしないといけない仕事はなさそうだったので休みを取って医者行って家でゴロゴロしてます。<br><br>（休んでもテトリスみたいに仕事が消える訳じゃないので、結局明日、二日分の仕事をするわけですが）<br><br>僕の場合、平熱も低くて、風邪をひいてもあまり熱が出ないで、喉がひどく腫れて咳が出るパターンなのですが、どうも世間一般では38度ぐらい熱が出ないと会社休んじゃいけないような空気があるから、変な罪悪感があるんですよね。<br><br>これは38度線問題と言ってもいい。<br><br>自分的に喉痛くて鼻水ダラダラでアタマガンガンしてすごく調子悪いんだけど、36度7分ぐらいしかなかったり。<br><br>頑張ってもなかなか出ないんですよ、ハイスコアな熱が。<br> <br><br><br><br>Android携帯からの投稿
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<link>https://ameblo.jp/ukiand1979/entry-11445959139.html</link>
<pubDate>Thu, 10 Jan 2013 11:00:00 +0900</pubDate>
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<title>清盛ら・ナイト</title>
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<![CDATA[ 大河ドラマ『清盛』がいよいよ来週で終わるんですが、面白かったですね。<br>嫁さんも、今まで見てきた大河の中で一番面白かったと言ってました。<br><br>その面白さの構造を僕なりに分析してみました。<br><br>清盛のシナリオの面白さは、以下の三重構造にあったのではないかと思っています。<br><br>一つは、『父との闘い』。<br><br>主人公の清盛は、欲望の怪物だった父・白川法皇に反発してそれを超えようとしていくんですが、最終的に権力を握ったときに、彼自身も父親そっくりの法衣を着て、欲望にとりつかれた怪物になっていってしまう、という構造。<br><br>清盛の父親は実は白川法皇だったのでは、という説があり、このドラマではそういう設定にしているんですね。<br><br><br>二つ目は、後白河法皇との『遊び』。<br><br>この作品のキーアイテムとして、すごろく遊びがよく出てくるんですね。サイコロを振る、あの双六です。<br><br>後期の清盛のライバルとなる後白河法皇（松田隆太）は、『遊びをせんとや生まれけん』という歌を残した風流な人だったんですが、この言葉を上手く利用して、<br>ドラマの中で起こる様々な出来事を「清盛と後白河法皇との双六遊び」として捉えているんですね。<br><br><br>ドラマの中では清盛と後白河法皇が実際に双六遊びで対決したりします。<br>それはただの遊びではなくて、互いの人生を賭けた対決として描かれている。<br><br>「賀茂川の水と、双六の賽の目と、山法師だけは思い通りにならない」<br>という、天下三大不如意を語ったのは白川法皇なんですが、その辺から双六のモチーフを持ってきたんでしょうかね。<br><br><br>三つ目は、『武士の世』。<br><br>清盛が若い頃、武士は貴族の番犬程度の屈辱的な扱いだったのですが、清盛は『いつか武士の世を作るのだ』という思いを抱いてこれを変えようとします。<br>そして、貴族社会に進出してどんどん出世し、最終的にはこの国の頂に立つまでになるのですが、皮肉なことに、余りにも、長く貴族社会にいたせいで、もはや清盛は武士ではない存在になってしまっているんですね。<br><br>そのことにショックを受けて「俺のこれまでの人生はなんだったのだ」と、アイデンティティ・クライシスに陥ったりします。<br><br>そこへ、やがて平氏を倒す源氏の源頼朝が出てくるのですが、清盛の敵である彼こそが、清盛の目指したものを引き継ぎ、真の『武士の世』を作っていくことになるんですね。<br><br><br>そんな三つの構造が絡み合って話が進んでいくので、とても面白かったですね。<br><br><br><br>残念ながら、視聴率は低かったらしいですが、視聴率の良し悪しとその作品の良し悪しとは、必ずしもリンクしていないと思いますね。<br><br>うちも毎回録画でしたから、視聴率としてはカウントされていなかっただろうし。<br><br>週刊誌とかで低視聴率だとかはやし立てることで、実際に作品を見ていない人を「ああ、やっぱりつまらないんだな」という方向に行ってしまうことがコワいですね。<br><br>年末にかけて総集編があると思うので、これまで見ていなかった方もぜひご覧になってみてください。<br><br><br><br><br>Android携帯からの投稿
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<pubDate>Wed, 19 Dec 2012 08:06:00 +0900</pubDate>
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<title>網走</title>
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<![CDATA[ 23、4歳の頃だっただろうか。<br>北海道を一週間近く一人旅したことがあった。<br><br>札幌から旭川へ行き、その後、ディーゼルで動くような鈍行列車で網走へ。<br><br>北海道で何かを見たかった訳ではなく、見知らぬ寂しそうな場所に行けるならどこでもよかった。<br>賑やかな道と寂れた道とがあったら、迷わず寂れた道に入っていった。<br>道に迷うことがある種の快感だった。<br><br>頭の中にあったもやもやした考えを追い払いたかったのかもしれない。<br>少なくとも道に迷っている間だけは、何も考えずに済んだから。<br><br>フラフラと辿り着いた網走のビジネスホテルに泊まり、固いベッドに横たわってコンビニで買ったウイスキーの小瓶を飲みながら、誰かの名前を呟いて眠りについた。<br><br><br>こうして言葉にしてみれば、まったくどうかしていたと思う。<br>他人事として聞いたら、普通に引く(笑)<br><br>だから今まで、人にはこんなことは話さないできた。どうせ言葉ではうまく説明できないから。<br><br>でもあれから十年経ってようやく、その頃の自分の中には、今は失われてしまった純度の高い何かがあったのかもしれないなと、客観的に思えるようになってきた。<br><br>それがほんのちょっと寂しくもある今日このごろ
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<pubDate>Tue, 18 Dec 2012 19:54:00 +0900</pubDate>
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<title>忘れられない一年</title>
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<![CDATA[ 2012年ももうすぐ終わりますね。<br><br>今年は、どうやら僕にとって大きなターニングポイントの年だったらしく、本当に色々あって忘れられない一年になりました。<br><br>三つぐらいのカテゴリに分けて話すと、<br><br><br>一つ目には出会いと別れ。<br><br>１月に子供が産まれ、５月に愛犬が亡くなり、11月に父方の祖母が亡くなりました。<br>いのちの始まりと終わりの両方を噛み締めることになりました。<br>子供が産まれた日のことを思うと今でも嬉しくなるし、愛犬や祖母が亡くなった日のことや元気だった頃の姿を思うと今でも沈痛な気持ちになります。<br><br>子供は大袈裟でなく、僕に生きる喜びや責任感を与えてくれた気がしています。<br>君のためになら俺はいくらでも頑張れる、息子の顔を見ていると素直にそう思っています。<br><br>ばあちゃんに関しては、年齢が年齢で大往生だったから、悲しいと言うよりは、「本当にお疲れ様でした」という気持ちでした。<br><br>だけど、お葬式が終わって半月程経って、ある日子供を風呂に入れているときに、昔ばあちゃんに教わったお風呂の数え歌が、いきなり三十年ぶりぐらいに無意識に口からこぼれでて、とたんに涙が止まらなくなってしまった。<br>子供はぽかんとしていたけど(笑)<br><br><br>二つ目は、仕事。<br><br>八月に四年半常駐していた会社から自社に戻ることになり、ぽっかり暇になったことで、自分の人生を見つめ直すことになりました。<br><br>リアルに転職を考えたり、一時は北海道に移住することまで真剣に考えたりしたけれど、最終的には、今いるここで本気で頑張ってみよう、という答えを出しました。<br><br>自分の中で何かが吹っ切れたみたいで、今は充実した気持ちで仕事に向かえています。<br><br>仕事をしていて、夏までの自分とは何かが決定的に変わったなという気がしています。覚悟とか、自信とか、そういう部分が。<br><br>結果的には、残るという選択は間違っていなかったんだと思っています。<br><br><br>三つ目は、小中学校時代の友達との再会を果たせたこと。<br>これは本当に嬉しかった。<br><br>三十年も生きていれば色んな時代の友達がいる訳ですが、もう彼らとは多分一生会えないと思っていただけに、奇跡のように嬉しかったです。<br><br>今までの自分を、欠けた円「Ｃ」だとすると、完全な円「○」になったぞ、という感じ。<br>分かりづらくてごめんなさい。<br><br>まあ、そんなこんなで、忘年会どころか、とてもじゃないが忘れられない一年になってしまいました。<br><br>酔っ払って書いてるから、文章たぶん下手になってると思いますが、そういうことてす。<br><br><br><br><br>
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<pubDate>Thu, 13 Dec 2012 22:27:00 +0900</pubDate>
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<title>ベース、指弾きかピック弾きか</title>
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<![CDATA[ ベースとかギターをやってる人にしかぴんとこない話題ですみません。<br>でも楽器やってない人にも分かるように書いてみますね。<br><br>ベースギターの弦を弾く方法として、ピック（三味線のバチみたいなやつ）で弾くか、人差し指と中指の二本の指で弾くのか、ということなんですけどね。<br><br>ベースを始める人がたいてい悩む問題なんですね。<br>もちろん両方の弾き方ができればいいんですが、<br>それぞれの弾き方をマスターするのに時間もかかるので。<br><br><br>一応世間でよく言われている話としては、<br><br>　◆ピック弾き<br><br>　　・固い音になるのでロック向き<br>　　・速いフレーズを弾き易い<br>　　・指と比べてニュアンスが出しにくい<br>　　・指弾きより楽に弾ける<br>　　・音の立ち上がりが早い<br><br>　◆指弾き<br><br>　　・ニュアンス豊かな音が出せる<br>　　・スラップ奏法（弦を親指で叩く奏法）に移行しやすい<br>　　・三本指などを使えば相当速いフレーズも弾ける<br>　　・弦をまたぐようなフレーズも弾き易い<br>　　・グルーヴィーな気がする<br><br>みたいな感じで、トータルで言ってしまうと<br><br>「ロックオンリーならピック弾きでもいいけど、ベーシストはやっぱ指弾きでしょ」<br><br>みたいな空気がガンガンに漂ってるんですよね。<br><br><br>何となく指弾きがカッコよくて、ピック弾きだと、<br>「こいつロックしか弾けないんだな」とか、<br>「ギタリスト出身だから指弾きできないだけなんでしょ」<br>思われてしまうみたいな。<br><br>つまり、ベーシストの中では指弾きがマジョリティ（多数派）で、<br>ピック弾きはマイノリティー（少数派）なんですね。<br><br>ピック弾きは「指弾きができない人」みたいな目で見られてしまう。<br>「ああ……おたくピックで弾いてるんですね（プッ）」みたいな（笑）。<br><br><br>ドラゴンボールに例えて言うなら、<br><br>「ああ……おたくサイヤ人の下級戦士のご家庭のお生まれなんですね、<br>　弱虫ラディッツさんのご親戚ですか、そうですか（プッ）」みたいなｗ<br><br><br><br>……ここまで世間で言われてたら、ナンか悔しいじゃないですか。<br><br>俺の中に流れるAMANO-JACK（アマノジャク）の血が騒ぐんですよ。<br><br>「だったら、ピックで指弾きよりも断然に最高にファンキーで<br>　グルーヴィーなベースを弾けるようになってやろうじゃねえか！」<br><br>ってね。<br><br><br><br>まあ、実のところを言えば、<br><br>僕もベース弾くまではピック弾きについて上記のように思っていたんですけど、<br>実際にベースを弾いて両方の弾き方を一通りやってみると、<br>そんなのただの偏見だよなと気付きました。<br><br><br>ピックでもコツさえ掴めば柔らかいニュアンスも出せますし、<br>ピックアップ（エレキ楽器に付いている、音を拾うマイク部分）や<br>アンプ（音を出すスピーカー）の設定次第で、いくらでも<br>マイルドな音は作れる。<br><br>ただ、ペラペラしたピックだと確かに固くて芯のない音になるので、<br>僕の場合、2mmという極厚のピックを使ってます。おかげで指が結構痛いですが、<br>これでかなり指弾きに肉薄した分厚い音が出せるようになります。<br>しかも、ピックだから音の立ち上がりが早く、音粒も揃いやすいので<br>安定感がある。<br><br>尚且つ、スラップも、指弾と完全に同じではないけれど<br>似たようなニュアンスは出すことができる。<br>もちろんあくまで似たようなニュアンスであって、<br>本当のスラップが弾きたければそりゃ指でやるのが一番ですが。<br><br>リズムの取り方も、ピックだと「空ピック」という<br>空振りをすることでリズムをキープする方法を使えるので、やりやすい。<br><br>そんな訳で、あたくしはピック弾きでベースをやっていこうと思うのです。<br><br>
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<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 09:00:43 +0900</pubDate>
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<title>ロールプレイングゲーム。小説から映画へ。</title>
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<![CDATA[ ドラクエやFFのＲＰＧの新作が出た時に、ファミコン世代だった現在30～40代の僕らがよくバッシング気味に語ることとして、<br><br>「昔のゲームはあんなに感情移入できて面白かったのに、今はグラフィックはきれいだけど全然ワクワクしないゲームばかり出る。面白いゲームはどこにいったんだ」<br><br>みたいなことがあるじゃないですか。<br><br>僕も最近までずっとそんな感じで、ロールプレイングゲームがつまらなくなった原因を、ゲームシステムやシナリオに求めていた者の１人なんですが、<br><br>ふと気がついたんですけど、ひょっとしたら、ゲームがつまらなくなったのではなくて、「面白い」の種類が変わってきたということなんじゃないですかね。<br><br>つまり、ゲーム（ここではロールプレイングゲームに限定しますが）の性質が、小説的なものから映画的なものへと移り変わってきたのではないかと。<br><br>小説って、与えられる文字情報から情景やキャラクターを自分の頭の中でイメージしますよね。<br><br>例えば「黒髪の美人」って書いてあったら自分なりの黒髪の美人を想像したりする。<br>仮に挿し絵があったとしたら、その挿し絵のキャラクターがアニメみたいに動き回っている様子を想像しながら読んだりしますよね。<br><br>逆に、映画とかドラマというものは、そこに映っているものが全ての答えであって、想像の余地が余りないですよね。<br><br>さっきの黒髪の美人でいえば、監督が考えた黒髪の美人がキャスティングされている訳で、必ずしもその映画を見る人が考えた美人とはイコールにならないですよね。<br><br>つまり何が言いたいかというと、僕らファミコン世代が遊んでいた昔のRPGというのは、グラフィックが未成熟だったが故に、想像の余地が沢山あって、小説的な楽しみ方ができたんじゃないかと。<br>粗いドットの向こう側に、魔王の住む大陸が確かに見えていたんだ、と。<br><br>あの頃って、同人誌的な文化が物凄く盛り上がっていたと思うんですけど、こういった想像の余地があったからこそそれに呼応して花開いた文化なんじゃないかなと思うんですよね。<br><br><br>それが、グラフィックと容量の驚異的な進化によって、ゲームはほとんどの映像表現を映画並みのクオリティで表現できるようになっていったために、キャラクターや情景のイメージがどんどん限定されていって、想像の余地がなくなっていってしまったのだと。<br><br>ロールプレイングゲームというものの性質が変わっていったんだと。<br>（逆にマリオに代表されるアクションゲームなどはあまり変わっていないのかも）<br><br><br>つまり、僕らの抱えるモヤモヤの正体は「映画より小説の方が面白い！」というものと似たようなもので、<br><br>当然「小説より映画でしょ」とか「映画も小説もどっちも好きだ」といった意見もあるだろうから、本来どっちが正しいとかいうものじゃないということなんですよね、きっと。<br><br>だから、そんな僕らが満足するためには、自分の頭の中のイメージに限りなく近いグラフィックのゲームを探すか、ファミコンの旧作を遊ぶか、の２択なのかなあ、なんて思う次第です。<br><br><br><br>
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<pubDate>Wed, 28 Nov 2012 08:39:00 +0900</pubDate>
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<title>表現</title>
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<![CDATA[ ちょっと大袈裟な話ですが、最近、生きるということは何かを表現することとイコールなのかな、なんて思ったりしています。<br><br>今まで僕は、「表現」というものを芸術家の専売特許だと思っていて、特殊な才能を持った芸術家みたいな人が、自分の伝えたいことを、高度な技術を駆使して文字や絵画や音楽や映像で他人に伝えるということだけを「表現」なんだと理解していたのだけれど、<br><br>「表現」の本質が、「自分はこういった人間で、こんなことを考えて生きているんだ」ということの意思表示であるとするならば、<br><br>別に芸術家に限らず、僕らみたいな普通の人間が当たり前に喋ったり歩いたりどこかに行ったり、こうしてブログを書いたりするのも、一種の「表現」なんだよなあと考えるようになりました。<br>生きていることそれ自体が「表現」なんだと。<br><br>そうして考えてみると、今までの自分は、同じ限られた人生であれば、生きている間に文章でも何でもいいから何かを表現して作品として後世に残していきたいと思って訳もなく焦っていたのだけど、<br><br>もっと全然気楽に考えてもいいんだよな、と思い始めました。<br><br>結局のところ、仮に何かの作品を遺せたとしても、自分が本当にそれを見て欲しい人達は、この今現在を生きている人達であって、<br>これから先でどれだけ医学が発達するか分からないけれど、例えば今から100年後とか120年後には、自分も含めて今生きているほとんどの人間はほぼ確実に死んでいる訳で。<br><br>仮に自分が死んで何百年か経った世界で、自分の作品が物凄く高く評価されたとしても、僕にはそれを知るすべはない訳で、言ってみれば「望まざるギャラリー」なんだよなあと。<br><br>そんな小難しいことを考えてしまった朝。。。<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ukiand1979/entry-11413301136.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Nov 2012 07:39:00 +0900</pubDate>
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