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<title>ウマシカさんの木</title>
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<description>映像制作のこと、役者さんのことを主に書いていこうと思います。</description>
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<title>構想段階の話：ひも理論　コロナと次元　①パラレルワールドとシュレディンガーの猫とか</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210514/15/uma4kame/7d/91/j/o1920108014941768158.jpg"><img alt="" height="236" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210514/15/uma4kame/7d/91/j/o1920108014941768158.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>物理の割と新しい理論、考え方に<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;">ひも理論</span></span>というのがある。</p><p>ひも理論は「君の名は」でも出てきた考え方です。最近、「<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;">君の名は</span></span>」以外にも実写、アニメ問わず、パラレルワールドであったり、時間軸をテーマにする作品というのが多い印象を受けます。</p><p>パラレルワールドや時間軸という問題が物理で考えられることになったのが、<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">シュレディンガーの猫</span></span>の例題かなと思います。これは理科でならった原子の電子がどこに存在するのか？というものの困難さを端的に例題にしたのがシュレディンガーの猫でした。アインシュタインが神はサイコロは振らないと言って確率ではなく、正確に解を得ようとしていましたができなかった問題でした。</p><p>シュレディンガーの猫というのを簡単に説明をすると、</p><p>１：箱の中に猫が生きていて、一緒に時限爆弾（ガス）が入っている。</p><p>２：時限爆弾はいつ爆発するかわからない。</p><p>３：箱を開けて観測できるのはその瞬間だけで、ずっと継続的に観察することはできない。</p><p>このような条件の中で、箱の中の猫は生きているのか？死んでいるのか？は可能性でしかわからない、という結論になりました。</p><p>自分も素人で断言的には言えないですが、物理学は箱の中を見れない観察者からすれば、箱の中の猫は「生きている猫」「死んでいる猫」両方が存在している、と言う考え方をするようになります。これがパラレルワールドの科学的な根拠になってきたように思います。映画、ドラマ、アニメなどでIf設定というのがありますが、シュレディンガーの猫のように見えてない箱の中で死んだ猫、生きている猫、二つの答えがあるのであれば<span style="background-color:#ffcc00;">If設定、もし違う選択をしたら、その世界も存在している可能性</span>もあるのではないか？そういう考えをした物理学者もいました。（昔のアインシュタインロマンと言う番組でやっていたな）</p><p>自分はただの一介のカメラマン、クリエイターなので本当にそういう世界、Ifの世界が存在しているのかはわからない、けれど、シュレディンガーの猫を成立するのであれば、そういったことも考えないといけない。</p><p>しかし、アインシュタインのように神の存在、可能性でしか求められない答え、の否定、可能性という居心地の悪さも感じます。何か別な方法で解決できないか？そういった中で次元を上げて考えるという理論が出てきます。それがひも理論。</p><p>今まで多くの人は次元という感覚はあまり意識しなかったのではないかな、と思います。次元が違うというのはどういうことなのか？そもそもこの世界は何次元？ということも説明すべきかもしれないが今は省きます。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210514/16/uma4kame/bf/e8/j/o1500100014941785662.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210514/16/uma4kame/bf/e8/j/o1500100014941785662.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;"><span style="background-color:#ffcc00;">次元の違い</span></span></span>を2次元と3次元で紹介してみます。</p><p>2次元で同じような円、２つあるとします。<span style="background-color:#ffcc00;">2次元でみれば同じ円</span>だとみえてしまいますが１つはコンパスで描いたもの、もう一つは型紙などを利用し、描いたものがあるとします。出来上がった円という部分だけをみれば2次元になり、同じ結果の判断になりますが、<span style="background-color:#ffcc00;">どう描くか？というのは3次元になり、コンパスのようにするのか？丸いものを利用するのか？など違いが出てくる。</span>これが次元を上げて考えるということだと思います。これをシュレディンガーの猫、電子の位置についても同様に置き換えて考えれば、確率だけでなくもっと正確な答えが導けるのではないか？そしてひも理論の一つM理論では11次元あるのではないか？という仮説に至っています。人が感じることができる次元はいくつなのか？時空間の4次元？ただそれだけでは見えないもの、<span style="background-color:#ffcc00;">見つからない解も次元を上げて考えることによってみえるようになる</span>、なぜそうなるかという答えまでたどりつくかは別として、なんとなくわかることもある、そのような考え方だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>今、説明したひも理論の説明部分は構想中の作品の中でも説明しようと思っている内容のものですが、コロナが起こり、ウイズコロナと言う状況の中でコロナ対策と言うものもひも理論と同様に次元を多く、上げて考えていかないといけないもののように感じています。コロナも健康被害などすぐに影響が出るもの、経済もそうだし、精神的なダメージなどは徐々に影響が出てくるものもあります。また今後はそういったものから派生していろんな影響もでてくる可能性もある。まだひも理論も新しい考え方で完全に確定した正しい理論というわけではなく、おそらく正しいであろう理論ではあるけれど、内容を理解する必要はないけど、次元の捉え方、考え方というのはウイズコロナと言う時代に必要な考え方だと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>以上で今回のブログの主旨は終わりですが「君の名は」などの作品などにも少し話していきたいと思います。「君の名は」もひも理論からイメージをして制作しているらしいですが、次元の話よりもIf設定、タイムパラドックスが中心の話なのかなという印象です。映画の「メッセージ」「TENNET」なども同じように時間軸をテーマにしていて、最近の流行りなのだろう。どれも未来と現在の行き来があるが、個人的にはそれはやっぱり無理なのではないか？と思っている。タイムパラドックス、If設定というのは次元を上げずにシュレディンガーの猫を考えた中での考え方だと思うし、そういう世界だと限りのない世界が生まれていくことになってしまう。次元を上げて考えることで、実世界ではそれが無理なものではないのかな？と思う。自分が想像するのであれば、「君の名は」の世界観と同様に「夢」というのを利用して、第6感という存在を認めたうえで普通の人では感じられない次元の何かを感じ取り、その感覚が正夢として描かれるということはありえるのかも、とは思う。まぁ創作物は創作でファンタジーがないとつまらない。刑事ものや探偵ものもリアルに作り過ぎれば淡々とする。創作は科学的に合っているよりも面白いことが大事。</p><p>しかし時間軸というはひも理論など新しい理論も増え、興味深い要素になっているのだろう。物理の分野もそうだけど、創作活動の分野、映画、小説、漫画などや絵画も含め、時間軸という要素が重要になってくるものは増えていくように思う。</p><p>また時間と言う感覚も人によって違う。個人においても脳をフル回転させれば、時間は長くなるという学説を聞いたことがある。よくスポーツ選手が集中したときにゆっくりと時間が流れた（ボールがスローで見えたなど）というのは脳が集中して、多くの処理をすることで同じ時間でもより長い感覚で考えたり、行動できたりということになっているのではないか？ということだった。物理的にも相対性理論によって光速度一定で時間が変化すると言われている。同じ時間というけれど、厳密には同じ時間を共有するのは難しいのかもしれない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/uma4kame/entry-12674472904.html</link>
<pubDate>Fri, 14 May 2021 17:53:12 +0900</pubDate>
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<title>コロナと若者の自殺</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/a-kiDA2-Elo" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p><p>4月5日はデビューの日らしいです。</p><p>新年度、若い人の季節っていっていいのかな？青春、いいですね。</p><p>&nbsp;</p><p>ただコロナ禍の中で若い人にも見えない被害は出ているように感じます。</p><p>コロナが起こって、自殺者（特に10代、20代女性）が増えているという報告があります。</p><p>マスク、ソーシャルディスタンスなど感染予防対策は以前とはまるで違う環境、感覚になっていると思います。若い人だと感受性も高く、経験も少ない分、繊細で過敏に反応してしまうことがある。そしてそういったもの・ストレスを上手く対処できない、発散して精神を安定する方法もまだ確立できないことも多いと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>自分も若い時、ささいなことで逃げ出したい、自殺したいと思ったことはあります。それは周りから上手くいっていると見えても、実際に表面上は結果（成績・友人関係など）はいいように見えても、自分にはふと瞬間でネガティブな感情が起こってしまうことがありました。</p><p>人間関係というのは徐々にいろんな人と出会って、いろんな経験をする。経験が少ないから不安を感じるとどんどん負のスパイラルに陥ることもある。子供・若いころは誰とでも仲良くしたい、気に入られたいという意識が強かったし、嫌われることに不安を感じていたように思います。自分の若いころと比較すると、一般的に考えれば、今はSNSが人気でそういう意識がより高いようにも感じる。ただ大人になって、仕事をやっていくうちにたくさんの友人よりも信頼できる親友みたいな存在が一人・数人でもいればいいなと思うようになりました。数よりも質、というところでしょう。人間関係だけではないですが「広さ」か「深さ」かという選択はある。どちらがいいというわけではなく、自分にはどこが合うのか？ということになる。若い時にこれがどこなのかはわからない、わからないから不安になる。前述したように今はSNSで友人の数などが出てくるから余計にそういったものに意識をしてしまい、どういった人間関係、付き合いが自分には合うのか？ということを構築するのに雑音が入ってくるのかもしれない。若いと表面ばかり意識がいってしまうけど、いろいろと経験していくと見えていない部分の価値を知っていくし、そういうもののほうが大事になっていくように思います。表面的なものに流されず、焦らずに自分のペースで自分に合った人、ものに出会っていくことがいいなと思います。</p><p>またSNSの影響だけでなく、情報化社会で表面的なものが多くなり、いろんな情報が入ってきて、周りと比べてしまう機会が多い。けれど、自分の好きな山本周五郎の考え方で「幸せはあるものではなくて、作っていくもの」という考え方が好きである。一時期、「インスタ映え」という言葉が流行ったが「映え」の場所、行為で幸せになるか？といったらそうではない。でも、若ければいろんなことをやるのは楽しいし、自分も「映え」を探して楽しんだかもしれない。大切なのは表面的なものに流されて行動するのではなく、幸せも楽しさも自分自身でつくっていくことだと思う。表面的な大きなこと、目標を追いがちになってしまうけど、幸せって身近なところのささいなものであったりする。</p><p>若いと人間関係、ストレスとの付き合い方がわからないことが多い。不安になることも死にたいと思うことも誰にでもとは言わないけれど、ある程度、感じた人もいるだろう。コロナ禍で繊細な人はいろいろ考えてしまうかもしれないが悲観的にならなくてもいい。特に独身だと孤立して、視野が狭くなってしまいがちだけど、周りに助けてくれる人はいるし、意外に優しい人もいる。</p><p>それと表面上は元気にしている人でも内面では複雑な感情を持っていることもある。こういう状況だからこそ、人に優しくいられることは普段以上に大事なことだと思うし、また普段以上に声を掛ける、電話などで連絡をとることも大事だなと思う。</p><p>コロナの感染防止も大事ではあるけれど、それ以外の対策、対応も行っていく段階かなと思う。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/uma4kame/entry-12666723086.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Apr 2021 12:22:34 +0900</pubDate>
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<title>朗読についてー長崎の鐘</title>
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<![CDATA[ <p>昨年、原爆から７５年という節目であったことから<span style="font-weight:bold;">「長崎の鐘」</span>の朗読の動画制作をしました。</p><p>朗読に関して、ほぼ読み手の方に丸投げしてしまいます。自分には役者、演技の経験はないので細かい指摘はできないし、役者さん、読み手の方がやりやすい形がいいだろうと判断してそういった形でやっています。ただだからこそ、オーディションをさせてもらって、きちんと能力のある方にお願いして、制作しています。</p><p>&nbsp;</p><p>いくつか朗読の動画を制作、またオーディションでもいろんな方の朗読をみさせてもらいました。</p><p>そう言った経験の中で言葉、声を主とした演技は難しいものだろうなと感じます。ただ<span style="font-weight:bold;">文字を声に出す</span>のではなく、役にしても、内容にしても<span style="font-weight:bold;">充分に理解し、イメージができ</span>ていないと聞いているほうの耳に入っていかない。そういったものがあって抑揚があり、流れが出て、印象的なものを感じるのではないかなと思います。</p><p>そして朗読について、すごく繊細なものだなと感じたのは高谷さんとの撮影でありました。高谷さんはとても上手に読んでくれました。いい朗読になっているので視聴して頂けるとありがたいです。</p><p>ただ最終的にはこうなりましたが、テストで読んでもらった時、少し違和感を感じて、高谷さんと相談して変更しました。その変更点（動画内3：10あたり）は、</p><blockquote><p><span style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: Meiryo; font-size: medium; font-style: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 2; word-spacing: 0px; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration-thickness: initial; text-decoration-style: initial; text-decoration-color: initial; display: inline !important; float: none;">「わしゃ、もう生きる楽しみはなか」</span><br style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: Meiryo; font-size: medium; font-style: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 2; word-spacing: 0px; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration-thickness: initial; text-decoration-style: initial; text-decoration-color: initial;"><span style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: Meiryo; font-size: medium; font-style: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 2; word-spacing: 0px; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration-thickness: initial; text-decoration-style: initial; text-decoration-color: initial; display: inline !important; float: none;">「戦争に負けて誰が楽しみをもっとりましょう」</span><br style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: Meiryo; font-size: medium; font-style: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 2; word-spacing: 0px; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration-thickness: initial; text-decoration-style: initial; text-decoration-color: initial;"><span style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: Meiryo; font-size: medium; font-style: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 2; word-spacing: 0px; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration-thickness: initial; text-decoration-style: initial; text-decoration-color: initial; display: inline !important; float: none;">「そりゃそうばってん。誰に会うてもこういうですたい。原子爆弾は天罰。殺された者は悪者だった。生き残った者は神様からの特別のお恵みをいただいたんだと。それじゃ私の家内と子供は悪者でしたか！」</span><br style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: Meiryo; font-size: medium; font-style: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 2; word-spacing: 0px; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration-thickness: initial; text-decoration-style: initial; text-decoration-color: initial;"><span style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: Meiryo; font-size: medium; font-style: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 2; word-spacing: 0px; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration-thickness: initial; text-decoration-style: initial; text-decoration-color: initial; display: inline !important; float: none;">「さあね、私はまるで反対の思想をもっています。原子爆弾が浦上に落ちたのは大きなみ摂理である。神の恵みである。浦上は神に感謝をささげねばならぬ」</span><br style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: Meiryo; font-size: medium; font-style: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 2; word-spacing: 0px; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration-thickness: initial; text-decoration-style: initial; text-decoration-color: initial;"><span style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: Meiryo; font-size: medium; font-style: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-caps: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: start; text-indent: 0px; text-transform: none; white-space: normal; widows: 2; word-spacing: 0px; -webkit-text-stroke-width: 0px; text-decoration-thickness: initial; text-decoration-style: initial; text-decoration-color: initial; display: inline !important; float: none;">「感謝をですか？」</span></p></blockquote><p><span style="font-weight:bold;">「長崎の鐘」（著：永井隆）より引用</span></p><p>&nbsp;</p><p>がテスト時に怒りみたいな感じ、けんか腰のような口調でやってくれました。何が正解というのはわかりませんし、正解がいくつかあってもいいように思っています。テスト時に聞いたとき、高谷さんが読みにくい印象及び<span style="font-weight:bold;">違うアプローチ</span>でもいいのではないか？と感じました。そこで自分が思う永井さんの気持ち、相手の気持ちなどのイメージを高谷さんに伝え、動画のような形に変えてやってもらいました。手前みそな部分もあるかもしれないですが変更後のほうが流ちょうに読んでくれた印象があります。</p><p>映像制作ウマシカでは読んでいる姿も撮影し、見せていますので声だけの演技ではないのですが朗読と言うのは本当に<span style="font-weight:bold;">小さな部分で大きく印象が変わる</span>なと感じた撮影でした。</p><p>この作品については永井隆さんの実体験でありますが実際がどうであったか？は今となってはわかりません。行間を読む、という言葉がありますが朗読については役者さんが出せる武器が少ない分、余計に<span style="font-weight:bold;">行間を読む能力、想像する能力</span>が大事だと思います。さらにその上で自分と共通する部分、表現できる部分というのがあるのか？そういった意識が大事なように感じています。</p><p><span style="font-weight:bold;">聞く人を意識し、どのように想像するか？</span>は朗読であるとドラマ形式の演技よりもより重要な部分になる感じがします。役者さんもいろんなタイプがあるので、何が自分の能力アップに繋がるかはそれぞれだと思います。ただ役になりきる、入り込むタイプの人には朗読というのはいい練習になるかなとも思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>映像制作ウマシカでは今後も朗読の動画、制作していきたいなと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/LlCGEMykqWA" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/uma4kame/entry-12662524685.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Mar 2021 16:44:33 +0900</pubDate>
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<title>物を見るのは魂であり、目それ自体は盲目である</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210314/12/uma4kame/2d/22/j/o1000066714910078323.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210314/12/uma4kame/2d/22/j/o1000066714910078323.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>タイトルは欧州の格言で日本で広まったのは「日本サッカーの父」と言われた<span style="font-weight:bold;">クラマー</span>さんの影響だと言われている。</p><p>&nbsp;</p><p>この言葉は２０代半ばくらいから意識し始めて、今でも事あるごとに意識をしている言葉。</p><p>コロナ禍と言う中で前回のブログでも書いたことですが「情けは人の為ならず」、みんなで協力して乗り切ることが大事だと思っています。</p><p>しかし、人間は表面だけでいろんなもの、いろんなことを判断してしまうことも多いように思います。ものの本質を捉えるというのはとても大事なことだと思います。</p><p>別に自分は共産主義者ではないですが競争社会、資本主義の考えが強すぎてしまうのも利己主義になりがちで社会として弊害もあるのかなと思います。特に近年、SNSが発達し、「<span style="color:#ff0000;">いいね</span>」ボタンなどが利用され、そういったものを<span style="font-weight:bold;">必要以上に依存してしまう</span>のはよくないだろうと感じています。</p><p>自分がこういう仕事をしているので、<span style="font-weight:bold;">「個性」</span>というのを意識していかないといけないのですが、周りの評価ばかり気にしている人間がどのように成長していくのか？自分は多数派の意見、正論ばかりを意識して、<span style="font-weight:bold;">「個性」</span>も自分の意見もない人間になってしまうのではないか？そんなことを思うし、そう思ってこのブログのタイトル、この格言を意識し始めたように思います。</p><p>なぜ「個性」が必要なのか？これも自分の仕事絡みの思考になってしまいますが<span style="font-weight:bold;">「三神信仰」</span>の考え方も意識しています。創造、維持、破壊という３つの要素として意識しています。創作について話始めると長くなるように思うので、割愛して、創作の中で創造というのは一番大変で破壊がその次で最後に維持が来るように思います。<span style="font-weight:bold;">０から１にする作業</span>というのは<span style="font-weight:bold;">もの凄く大変</span>、また１００を壊していくことも勇気が必要、１から１００にしていく作業というのはその二つと比べたらそこまでではないように感じます。表面ばかりを意識してしまうと出来上がったもの、目に見えているもので判断してしまう。自分も役者さんのオーディション、審査させてもらうことがあり、役者、人を見極めることは難しいですが、見た目、スキル、、、などの見えている部分だけではなく、<span style="font-weight:bold;">見えていない部分から本質</span>を見極めることは大事だなと思っています。その中で個性を持っている事、個性を尊重できることで本質を多少見極めることもできるのではないかと感じます。</p><p>そしてこのコロナ禍の中でコロナについてもいろんな情報、フェイクニュースも含めいろいろあります。何が正しく、何が嘘なのか、そういった判断も大事になってきますが個性もなく、自我もない人間であればどんな情報も受け取ってしまう危険があります。また個性を尊重できるのであれば協力もしやすくなるのではないかと感じます。</p><p>そしてコロナに関してはまだまだ未知なことも多く、何が正解で、何が間違いか、わからないこともある。その中で物の本質を見極めることは大事。表面的なことばかり優先すれば利己主義になりやすく、自分中心に行動すればどこかで感染を拡大する可能性を持つ。有名な人、多数の人が支持する意見でも間違いはあり、<span style="font-weight:bold;">自分の目を養う、持つこと</span>はとても大事だと思います。</p><p><span style="font-weight:bold;">「物を見るのは魂であり、目それ自体は盲目である」</span>から何となく思ったことを書いて、まとまりがないですが今回の記事はここら辺でおしまいです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/uma4kame/entry-12662287381.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Mar 2021 13:28:51 +0900</pubDate>
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<title>作品解説：ウイズコロナ　囚人のジレンマ</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">ウイズコロナ　囚人のジレンマ</span></span></p><p>2020/09/18 公開</p><p><span class="style-scope yt-formatted-string" dir="auto">出演： 芥川唯奈、千田拓馬、山本ゆま</span></p><p>&nbsp;</p><p><span class="style-scope yt-formatted-string" dir="auto">■作品制作動機</span></p><p><span style="font-weight:bold;">ゲーム理論、囚人のジレンマ</span>、という考え方があります。２０世紀中頃から考えられて、経済などに応用されている理論になります。</p><p>この理論は今回のコロナに対して、<span style="font-weight:bold;">有効な考え方</span>だなと思っています。</p><p>コロナが起こった時に当時の専門家会議、尾身会長が差別や憶測が起こってしまうと感染隠しや少し無理して普通を装い、余計に感染が増えるケースがあると発信していました。</p><p>昨年の春の自粛期間中、差別なども問題になりました。</p><p>差別や憶測はしないで、と言葉だけでなく、理論という土台があったほうがより受け入れてくれる人が増えるだろうと思い、制作をしました。</p><p>&nbsp;</p><p>■囚人のジレンマ</p><p>ゲーム理論というのはいろんな状況の中で個人ではなく、組織の最適は何かを意識する理論、自分も専門ではないので間違っているかもしれないけど、簡単にはそう思っています。</p><p>「囚人のジレンマ」はゲーム理論の代表的な例題です。詳しくはwebでいろいろ解説が載っているのでこちらでは簡潔に書きます。日本にある格言で言えば「情けは人の為ならず」ということになります。囚人のジレンマ・ゲーム理論によって、<span style="font-weight:bold;">自分にとって一番利益になる選択は実はトータルでみれば、一番いい答えではない、仲間と協力し、妥協したものが一番いい答えになる</span>ということを理論、数値化して説明したものになります。</p><p>囚人のジレンマは簡素化したモデルであって、現実社会は複雑ではあるけれど、コロナ禍の今の状況は大きく見れば囚人のジレンマのモデルに近いように思います。</p><p>多少の不公平、不満があっても我慢し、協調することは大事であるし、余裕がある人が助ける、協力することで上手くいくことも多いだろうと思う。理論と大げさにしているけれど、言葉としては「情けは人の為ならず」というのがこの状況下の中で大事なものになっていくと思う。そういったことを意識して、コロナ禍を乗り切れるといいのだろうと思う。</p><p>そういう意味では政治は「OneTeam」のように一体感、国全体で連動して、コロナに立ち向かうことが大事だと思うけれど、利権ばかりのほうに意識がいっていないか心配になる。</p><p>&nbsp;</p><p>まだいろいろ試しながらですので、もしかしたもっと動画作品の内容のことも書いていくかもしれないし、役者さんのことを記事にするかもしれないし、どうしていくか未定ですが今回のところはここで終わりたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/FBq1q3N-sys" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/uma4kame/entry-12662072304.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Mar 2021 11:36:12 +0900</pubDate>
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<title>再開、アイドリング</title>
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<![CDATA[ <p>ブログを再開してみます。</p><p>以前も活用していたとは言えない状態ですが、最近、SNS、個人情報なども難しいなと思い、ブログくらいのほうがいい距離感かもと思い、また活動したいなと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>今回はアイドリング的にいろいろ実験もしながら書いていきます。</p><p>コロナが日本で問題視されて1年以上、未だ収束しない中でヒトはどうすべきか？というのは大事だと思います。</p><p>映像制作ウマシカではウイズコロナの時代を意識した、作品制作もしています。</p><p>作品紹介はまた詳しく別の記事で行いますが、</p><p><span style="font-weight:bold;">差別や憶測</span>が起こってしまうと<span style="font-weight:bold;">より悪い状況</span>になってしまう。</p><p>医療従事者さん含め最前線で働いている人、家族にそういった行為をしてしまうということは社会としてできるだけ避けないといけない。</p><p>どういったらそうなるかは難しいですが、そういった考えを広めていくことも大事だと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><iframe allowfullscreen class="youtube_iframe" frameborder="0" height="274" src="https://www.youtube.com/embed/HZGTr2vleYY" width="488"></iframe></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/uma4kame/entry-12661975284.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Mar 2021 21:07:53 +0900</pubDate>
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<title>みんなにはそれがわかるか</title>
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<![CDATA[ <p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin">少し間が空いてしまいました。</span><span lang="EN-US"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin">今回、紹介するのは山本周五郎作『扇野』（新潮出版）の中の「おれの女房」です。前回、愛について、少し触れましたが、今回も愛。恋愛について話していきたいと思います。</span><span lang="EN-US"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin">主人公は江戸時代の売れないけど才能のある画家平野又五郎。そして妻は顔もスタイルもよくないし、明るいが品のない、お石である。</span><span lang="EN-US"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin">簡単にあらすじを書くと、狩野の麒麟児と言われた又五郎。結婚し、自分の求める絵、新しい絵を求めていた。ただ作り出す絵は納得できるものではなく、納得いかない作品は売ろうとはしなかったので貧乏暮らしをしていた。そんな夫婦は毎日のように喧嘩をしていた。内容はお金もないのに又五郎が飲み遊んでいたからである。ある時、夫のいない間に夫に内緒で絵を売ってしまう。夫はそのことを知って、妻を責め、売った相手のところに行き、絵を破いてしまう。その件で妻は家を出てしまう。妻がいなくなったことで又五郎もショックを受け、４年目に乞食のような恰好で姿を現した。そしてまた絵を描き、その絵が成功し、祝賀会の時にこっそりと妻が出席していた。周りのみんなが又五郎を置いて出ていったお石を責める中、又五郎はお石を庇い、お石がおれの女房だと宣言する。</span><span lang="EN-US"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin">あらすじだけだと面白味が伝わらない感じもしますが、まぁそこは気にせず書いていきます。今回、取り上げたい部分は、最後のところの俺の女房だというところです。</span><span lang="EN-US"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span lang="EN-US"></span><br></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin">「…おれのためにはできない辛抱をしてくれた…みんなにはそれがわかるか、…」</span><span lang="EN-US"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span lang="EN-US"></span><br></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin">最後のシーン、あらすじで書きましたが、その座にいたものがお石を責めます。ただ主人公だけはお石がいたから、あの時生活していけた。また、口には出していないが、４年放浪した中でお石がどれほど大事な存在だったかを気づかせて、またそのきっかけをくれた人だと思っているでしょう。この物語で自分が文章にして伝えたいのは、２人の関係というのは、その２人の中でしかわからないこともある。又五郎にすれば、お石が自分を捨てたことで、スランプだった自分と正直に向き合う気持ちになれた。そしてお石が出ていった理由は芸術家きどりで放蕩生活をしていた自分だという謙虚な気持ちを持った。前回、不倫・浮気のことをちょっと書きましたが、そういうのも同じような部分もあるかと思う。マニュアルに沿って、不倫は駄目ということではなく、どうして不倫したのかということも考えた上で判断することが重要だと感じます。まぁ、大部分はただの甘えだろうけど。話がずれましたね。又五郎の愛というのは本当の愛だと思います。人間というのは誰一人として完璧な人間などいないでしょう（たぶん）。お石という人間は、長所よりも短所の方が多い存在として描かれています。そして、そういうトータルでの見方が世間一般の見方として出てきます。又五郎にとっては、彼女の欠点、至らないところを分かったうえで、それ以上に自分を理解してくれるという存在という部分で世間の見方を否定し、彼女を欲した。</span><span lang="EN-US"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span lang="EN-US"></span><span lang="EN-US"></span></p><p><font size="3" face="Century"><br></font></p><br><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,serif; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin"><font size="3">いろいろ欠点があっても、一つの点で優れていることで存在価値がある。</font></span><span lang="EN-US"><br></span></p><p></p><p><font size="3" face="Century"><br></font></p><p></p><p><font size="3" face="Century"><br></font></p><p></p><p><font size="3" face="Century"><br></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/uma4kame/entry-11977676478.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Jan 2015 23:08:45 +0900</pubDate>
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<title>山本周五郎　あだこ</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150109/18/uma4kame/b5/f7/j/o0450030013184606665.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150109/18/uma4kame/b5/f7/j/t02200147_0450030013184606665.jpg" width="220" height="147"></a><br></p><br><p>やっぱり昨日の記事は内容がぶれぶれですね。</p><p>昨日の続きです。</p><p>山本周五郎作品『おごそかな渇き』（新潮出版）の中の短編「あだこ」</p><br><p>主人公が恋愛感情で失恋のショックの状態であるのに対して、あだこは行き場のない状態で生きようという思いがある、設定です。</p><p>昨日の記事でも書きましたが、駆け落ちした婚約者を恨むどころか、仕合せを願うことができるのは立派だと思います。</p><p>今の時代、ワイドショーや週刊誌は不倫、浮気の話が多いように思います。不倫・浮気は駄目だと基本的には思いますが、それぞれのケースバイケースによると感じます。人間は間違いを犯すもの、ということを考えれば、結婚、婚約ということが間違っていたというケースもあるだろう。浮気が原因で記者に追いかけられ、自ら命を絶つということになれば、遺族は誰を怒り、誰を許すのだろうか？</p><p>この主人公の振舞いを見るとそんなことも思ってしまう。</p><p>さて、陰気臭い話しになってしまったけど、昨日も書きましたが、その主人公を立ち直らせたあだこ。母性愛というのかな。こういうのをアガペーというのかな。無知な自分はよくわからない。生きるため、というのは前提にあるのだけど、弱いものを慈しむように主人公を世話していきます。</p><p>これも今の時代を考えると少し考えさせられる。主人公は現在で言うといわばニートです。若干違う点は自己破滅願望がある。人というのは状況や状態で本当の能力を発揮できる。これは同じ『おごそかな渇き』の中の短編「かあちゃん」の設定ですが、職がない若者が強盗になり、襲った先のかあちゃんに諭され、真面目に働く、というのがあります。「羅生門」もそうですが、善と悪に分かれるものはほんのちょっとのことかもしれない。ほんのちょっとのことで悪になってしまう。現在、ワイドショー、週刊誌、ネットなどゴシップ記事が多い。それにつられて、一つの欠点を重大なことのように扱うことが多いように感じる。アートの世界はよくわからないけれど、いろんな欠点があっても一つの部分が飛び抜けていれば認めらるということも多い。ニートや不倫は誰もが経験することではないが、誰しもがその人なりの間違いは経験するだろう。馴れ合いはよくないけれど、叩くこともよくないように思う。</p><p>あだこはただ生きることに真っ正直にいる。その姿を知ることで主人公は立ち直っていく。</p><p>この物語の最後に二人の会話がある。その時の主人公の口調はどのような感じだったろうか？</p><br><p>「いいよ」</p><br><p>自分はとても優しい感じだっただろう、と思う。</p><br><br><p>当たり前だけど、この物語は作り物であり、実際のことではない。ただ、だからこそ感情移入もし、共感をし、感動もする。現実のことではないけれど、だからこそ、この登場人物たちのようになりたいと思う。</p><br><p>『おごそかな渇き』（作：山本周五郎　新潮出版）の中の短編「あだこ」</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/uma4kame/entry-11975187721.html</link>
<pubDate>Fri, 09 Jan 2015 19:28:04 +0900</pubDate>
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<title>些細なことでも、或る一人にとっては</title>
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<![CDATA[ <p>今回は初めての投稿で簡単にこのブログ紹介も書いておきます。</p><p>いろんなジャンルのいろんな作品の感想をつらつらと気ままに書いていこうと思います。</p><p>特に文学、特に山本周五郎の作品が多くなるかなと思っています。</p><p>アメブロは確か文字制限があったので、同じ作品を何度も取り上げることが出てくるかなと思います。</p><p>宜しくお願いします。</p><br><p>今回取り上げるのは、</p><p>『おごそかな渇き』（作：山本周五郎　出版：新潮文庫）から「あだこ」という作品です。</p><p>山本周五郎作品は内容わかっていても何度も読んでしまうので、ネタバレありでやっていきますよ。</p><p>あだこというのは津軽の方言で下女という意味です。</p><p>主人公の侍屋敷にあだこがやってきて、物語が展開していきます。</p><p>山本周五郎は売れなかった時代、貧民街で暮らしていたこともあり、</p><p>表と裏をわかって、そして愛情の表現が深い。</p><p>さて本題、主人公の小林半三郎は婚約者に逃げられて、</p><p>そのショックで何もしない、精気が抜け、食事もろくにとらず、ただ朽ちていくことを思っていた。</p><p>そこにあだこが強引に働きに入ってきて、彼女との生活する中で、</p><p>活力が出てくる、という単純な物語である。</p><p>物語の大部分は屋敷の中だけの話である。</p><p>ドラマや映画にするなら、楽な部分も多いだろうと思う。</p><p>だからといって淡泊なものではなく、作品は活き活きとして、色彩があり、表情がある。特に人間の内面の部分は文章に表さない部分が秀逸で、登場人物がどのように行動しているのか想像をする。心理学の説で人がなぜキスするときに目を瞑るのか説明で現実世界から二人だけの想像の世界に浸りたいからという説を読んだことがある。そういうものに近いような感覚で山本周五郎作品を読むことが多い。</p><p>さて、本題に戻って、なぜこの作品を取り上げるかというと、</p><p>小生も歳をとることでいろんなことを知っていく。特に貧しく惨めに生きているので、この駄目なニートのような侍に歳をとったことで新たに共感できることがある。</p><br><p>「他の千万人にとって些細なことでも、或る一人にとっては一生を左右するような場合がある」</p><br><p>この台詞なんかも若くしてそういう経験をする人もいるだろうが、なかなか経験することができない感覚だと思う。</p><p>また婚約者（名：みすず）のことを話す台詞</p><br><p>「みすずが仕合せでいるのはいいことなんだ」</p><br><p>自分を捨てた恋人を責めない愛情。その位の恋愛感情というのを自分も持ちたいものだ。</p><p>そしてその主人公の自己破滅的な愛情から救ったのが、あだこの愛情であった。</p><p>あだこの愛情は恋愛でもない。ただ生きるために、その時にできることを生きるために彼女の方法でやっただけだ。</p><p>あだこのように生きてみたいものだと思います。</p><br><p>お読みいただきありがとうございました。</p><p>どこまで書けばいいかわからないですね。もっと書くべきかネタばらしをしないようにすべきかそこらへんのさじ加減がわからない。</p><br><p>また次回。</p><br><p>『おごそかな渇き』（作：山本周五郎　出版：新潮文庫）</p>
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<link>https://ameblo.jp/uma4kame/entry-11974822229.html</link>
<pubDate>Thu, 08 Jan 2015 21:06:43 +0900</pubDate>
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