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<title>unterlindenのブログ</title>
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<description>心に残る言葉―読んだ本などから</description>
<language>ja</language>
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<title>「宗教って</title>
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<![CDATA[ <p>「（前略）宗教って、人生にいいことがなかった人の</p><p>　　ためのものでしょう？」</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　</p><p>　　　　　　　　　　　　平野啓一郎著『本心』より</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/unterlinden/entry-12810817763.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Jul 2023 16:50:56 +0900</pubDate>
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<title>信念は</title>
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<![CDATA[ <p>「信念は、真実にとって、嘘よりも危険な敵である」</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　ニーチェ『人間的な、あまりにも人間的な』より</p>
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<link>https://ameblo.jp/unterlinden/entry-12775785728.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Nov 2022 16:56:02 +0900</pubDate>
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<title>「親になるって</title>
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<![CDATA[ <p>「親になるって不思議なものですね」</p><p>　こちらに向かって手を振る小春に、細君もまた手を振り返した。</p><p>「子供はただ無事に生まれてくれればいいって最初はそれだけを思っていたのに、</p><p>生まれたとたん健康でいてほしいと思い、健康であれば賢くあってほしいと思い、</p><p>どんどん求めるものが増えていきます。そして、少しでも完璧でない結果が出てくると、</p><p>とてつもなく理不尽な目にあっているような気持になる」</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　夏川草介『新章　神様のカルテ』より</p>
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<pubDate>Fri, 20 Nov 2020 15:37:59 +0900</pubDate>
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<title>「人の後姿を見るのが、</title>
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<![CDATA[ <p>「人の後姿を見るのが、ぼくはきらいになりました。病気になるまでは、</p><p>気がつきませんでした。発見です。病気というのは、取り残されるということだと」</p><p>やはりうなずきながら末子は、全く、取り残されるというのはかなしいことだと思った。</p><p>「だから、去っていく後姿を、見ないようにしようと思うのですが、目が、</p><p>どうしてもあとを追ってしまうのです」</p><p>見える姿のあとを追うのならまだいいような気がする。見えなくなってしまった</p><p>もののあとは、どうやったら追えるのか。</p><p>「死ぬというのも、似ているような気がします。みんなが、たのしそうに話をしているのに、</p><p>一人だけ抜けて寝なければならなかった子供のころ。それがとても淋しかったです」</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　多田尋子『仮の約束』より</p>
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<pubDate>Fri, 06 Nov 2020 16:34:09 +0900</pubDate>
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<title>人の生の</title>
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<![CDATA[ <p>　人の生の「あ」から「ん」までの時間には、さまざまな出来事が</p><p>並んでいる。私の生におけるこのような些事も、それぞれ前後に</p><p>何の脈絡もない各項目の一つ一つに過ぎないが、併しまた、</p><p>それはそうではあっても、そういう不意の些事の連鎖を、不可避の</p><p>因果の糸として、私は己れの生の「ん」に向って生きて行くほかに、</p><p>その日その日の息をひそめた時間はないのだった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　車谷長吉『漂流物』のうち「めっきり」より</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/unterlinden/entry-12538343963.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Oct 2019 18:15:38 +0900</pubDate>
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<title>母親という立場を</title>
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<![CDATA[ <p>（前略）</p><p>母親という立場を選ぶのは、きわめて実存的な</p><p>選択です。そして母親であるということは、</p><p>運命を相手どって、よろこびはあるにしろ</p><p>心配の連続に耐えることを意味しています。</p><p>自分の子でありながら「子ども」という他者を</p><p>相手にしての葛藤劇が延々と続きます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　</p><p>　　　ハンス・クリスチャン・アンデルセン原作　　長島要一訳</p><p>　　　　　　　　　『あなたの知らないアンデルセン（3）母親』</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　訳者あとがき　　より</p>
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<link>https://ameblo.jp/unterlinden/entry-12456801254.html</link>
<pubDate>Thu, 25 Apr 2019 18:27:28 +0900</pubDate>
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<title>テレビドラマなどで</title>
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<![CDATA[ <p>　テレビドラマなどで、この病気になってよかったという</p><p>セリフがでて、それらしく終わってしまうことがあるが、</p><p>わたしはそんな綺麗ごとは言わない。病気になっていいことなんて</p><p>何ひとつなかった。すこしは、心身を病むひとたちの身に添って、</p><p>しみじみと思いやりを持つことができるようになったけれども。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　河野裕子・永田和宏　著『たとへば君　四十年の恋歌』</p>
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<link>https://ameblo.jp/unterlinden/entry-12455184176.html</link>
<pubDate>Thu, 18 Apr 2019 16:25:53 +0900</pubDate>
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<title>だが、ほんとうは</title>
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<![CDATA[ <p>　だが、ほんとうは、電話しなかった理由はもっと単純なことだった。</p><p>じつをいうと、午前のなかごろになると、ひょっとすると、すべてが</p><p>そのまま収まるかもしれないという、少しも筋の通らない希望が</p><p>湧いてきたからなのだ。その希望にはなんの根拠もなかった。</p><p>そんな希望を抱くなんて、人間は破滅に直面すると希望をつくりだす</p><p>機械にすぎないのかもしれないとさえ思った。すぐそばで爆弾が</p><p>炸裂しているときですら、人間は平和への希望を抱く。癌が</p><p>進行しないかもしれないという希望をもったり、自分たちの祈りが</p><p>空っぽの空間に吸いこまれて消えるわけではないだろうと期待</p><p>したりする。愛がいつまでも消えることなく、こどもたちが問題なく</p><p>育っていくだろうという希望を抱く。花崗岩の崖から車が落ちても、</p><p>落下しながら、もしかすると下にクッションがあって助かるかも</p><p>しれないという希望を抱き、しまいには、苦痛のない死と栄えある</p><p>復活を願って、最後のかすかな希望を脈打たせさえするのである。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　トマス・Ｈ．クック著　　村松潔訳　『緋色の迷宮』より</p>
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<link>https://ameblo.jp/unterlinden/entry-12383905157.html</link>
<pubDate>Fri, 15 Jun 2018 15:44:14 +0900</pubDate>
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<title>そんな期待には</title>
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<![CDATA[ <p>　（前略）そんな期待にはなんの根拠もなく、すぐに</p><p>消えていくに決まっていることは当時からよくわかっていた。</p><p>人生の半分は否認であり、たとえ愛する相手でも、</p><p>相手のなかに何を見るかではなく、何に目をつぶるかが</p><p>わたしたちの関係を支えているのだということを、</p><p>その後、わたしは学ぶことになるのだが。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　</p><p>　　トマス・Ｈ．クック著　村松潔訳　『緋色の迷宮』より</p>
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<link>https://ameblo.jp/unterlinden/entry-12383212802.html</link>
<pubDate>Tue, 12 Jun 2018 17:38:19 +0900</pubDate>
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<title>だが、考えていくうちに</title>
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<![CDATA[ <p>　だが、考えていくうちに、果たして遺族の側だけが被害者なのだろうか、</p><p>ということに気付く。犯罪者の身内も、運命を狂わされることに変わりないのだ。</p><p>一人の人が一人の人を殺す。それだけのことが生み出す余波というものは、</p><p>実ははかりしれないものがあるのではないか、当事者と何らかの関わりを持ち、</p><p>それによって多少なりとも影響を受ける人は、即ち事件そのものの被害者と</p><p>言えるのではないか、ということである。被害者学という学問があるが、そこでは</p><p>「被害にあった」と思った人は、相手が天災であろうと事故であろうと、または</p><p>瑣末な人間関係であろうと、被害者になりうると解釈している。特に犯罪被害者に</p><p>限定して言えば、事件の加害者となった人間以外は全て、被害者になってしまう</p><p>のではないかと、私はそんなふうに考えている。そして、その爆風とも言える影響が、</p><p>果たしてどこまで広がるものか、どのように人の人生を狂わすものかを考えたかった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　乃南アサ『風紋』　著者あとがきより</p>
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<link>https://ameblo.jp/unterlinden/entry-12382233291.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Jun 2018 16:12:39 +0900</pubDate>
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