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<title>うさぎ谷の韓国雑記</title>
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<title>大人の問題で子供を動員するのはやはり慎重になるべき</title>
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<![CDATA[ <p>下條正男氏をご存じだろうか。下條氏といえば、日韓で領有権が問題となっている竹島（韓国では独島）問題に関して、積極的に発言しているかたである。そんな彼が、どうしてこの問題に取り組むようになったか、下條氏が、「現代コリア　（９６年５月）」に綴った文章の抜粋を引用する。</p><p>貼りつけ、はじめ。</p><p>&nbsp;</p><p>韓国のテレビ各局が、<wbr>連日のように竹島関連のニュースで賑わっていた頃、<wbr>ソウルの日本人学校に通う子供達が、<wbr>一通の学校だよりを持ち帰ってきた。<wbr>その冒頭の挨拶には平素とは違う調子で、<wbr>外出の際にはあまり日本語を使わないように、<wbr>と注意書きが添えられていた。それはちょうど日章旗が焼かれ、<wbr>池田外相の人形が韓国の人々によって焼き捨てられていた頃であっ<wbr>た。確かに一九九六年二月のソウルには、<wbr>小学校二年の娘がそっと私に「<wbr>お父さん日本が何か悪いことをしたの」聞かずにはいられない程、<wbr>子供心を不安にさせる空気が漂っていた。<wbr>この学校から届いた手紙には、<wbr>そういった子供達の心を気遣う先生方の思いが籠っていた。</p><p>一方、<wbr>韓国のニュースでは竹島問題を学ぶ韓国の子供達が紹介され、『<wbr>世宗実録』地理志や『東国與地勝覧』<wbr>の名をスラスラ挙げる小学生の姿が映し出されていた。<wbr>状況がつかめずただ不安げに過ごす日本の子供達。<wbr>それとは対照的に「独島（竹島）は我が領土」<wbr>を溌剌たる表情で口にする韓国の子供達。<wbr>同じ子供が何故こうも違った姿を見せるのか。<wbr>これは大人の責任である。何も知らぬ子供達が、<wbr>大人達の争いの大人達の知恵によって、<wbr>自己の問題とせねばならないからだ。<wbr>子供達の将来を考えるとこれ程精神的負担はない。</p><p>ここはどうしても竹島問題の実相を明らかにし、<wbr>子供達の心に子供らしさを取り戻してやらねばならない。</p><p>だがその前に一つだけ確認させていただきたい事がある。<wbr>それは竹島問題を日本人、<wbr>韓国人という立場でだけは問題にしてほしくない、ということだ。</p><p>今、<wbr>家の前では韓国の子と家の子が一緒になってヒヨコを遊ばせている<wbr>。ヒヨコに夢中の彼らには韓国人も日本人もない。<wbr>だから無心に遊べるのだ。<wbr>このことはすでに歴史の対象となった竹島問題を考える時も同じで<wbr>ある。日本や韓国という枠組みで歴史を見ていると、<wbr>事実はますます見え難くなるからだ。だが問題の性格上、<wbr>どうしても文中に韓国政府、<wbr>日本側といった表現をせねばならぬ場所がある。<wbr>その時には歴史の事実として、<wbr>読み進めていただくようご協力願いたい。</p><p>&nbsp;</p><p>貼りつけ、おわり。</p>
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<link>https://ameblo.jp/usagidani23/entry-12410871621.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Oct 2018 09:24:08 +0900</pubDate>
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<title>田中明の古びない物言い</title>
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<![CDATA[ <p>韓国は今現在も日本に精神的に寄りかかっている。日本を介在させないと自分たちを語れない。田中明と言っても、ご存知の方は少なく、今では完全に忘れられた存在だろう。しかし、当時朝日新聞の記者だった田中明は、日韓国交正常化が成り、まだ間もないソウルを一月かけて取材したのを皮切りに、韓国や朝鮮に関心を深めていき、７２年にはソウルに留学している。そんな田中明の古びない言説を紹介する。</p><p>以下、貼りつけ。</p><p>&nbsp;</p><p>「（韓国人は）余りに長く他者の意によって抑圧されてきたために『自制力』と『自律』の訓<br>練期を持ち得ず、突然開放された『植民地人』は文明以前の『自然人』のように、国家や社会<br>の維持に必要不可欠な最小限の訓練と統制さえ拒否する『野生馬』変身してしまった」と説明<br>しているが（『日韓関係の再構築とアジア』九州大学出版会）<br>梨花女子大　金龍端教授の著書から田中明氏が引用</p><p><br>抵抗という行為にはワナがある。抵抗というのは、しょせん現状の防衛であって、さらなる発<br>展のためには、どうしても自己の「検討」と、それに基づく強化鍛錬作業が必要だが、そのこ<br>とはとかく見逃されがちである。とくに日本を批判・否定するという作業には快感を伴うため<br>か、そのこと自体が自己の発展を保障しているような錯覚をもたらすらしい。「反日には危険<br>なわながある。そもそも反日に限らず『反××』には『××なくしては成立しない』という他<br>律的属性がビルト・インされている。」と私は力説したが、相手にされなかった。<br>自己の全面肯定という作風が恐いのは、それが「誇り」と勘違いされることである。真の誇り<br>とは自己を鍛錬した末に出てくるものだが、 自己の全面肯定の方は、自分にメスを加える勇気のなさと表裏をなしているものだ。その場合、 全面肯定された自己は、改革の要がない十全な存在として、そのまま放置されるのである。<br>一七世紀の丙子胡乱で清に敗れたとき、当時の朝鮮のインテリ（両班）は、相手を満州の蛮族であると決め付け、それを鮮視軽蔑することで屈辱感を補償するという心理的便法を用いた。<br>そういう観念の世界で敗戦処理ができるなら、敗北も深刻なことにならない。現状はこのまま<br>でよいことになり、少数の実学者の訴えにもかかわらず、改革のバネは働かなかった。そのた<br>め朝鮮は清という蛮族にやられただけでなく、もう一つの蛮族・日本にまでやられることにな<br>った。</p><p>&nbsp;</p><p>以上、はりつけおわり。</p>
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<link>https://ameblo.jp/usagidani23/entry-12406707565.html</link>
<pubDate>Sat, 22 Sep 2018 09:41:25 +0900</pubDate>
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<title>深入りしてはならぬ</title>
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<![CDATA[ <p>黒田勝弘氏、古田博司氏、<wbr>重村智計氏のような古株のコリアウォッチャーや識者が、<wbr>程度の差こそあれ、半島に深入りしてはならないと書いている。<wbr>黒田勝弘氏は、『韓国はどこへ？』（２０１６年）のなかで、<wbr>百済支援のために日本が派兵した「白村江の戦い」<wbr>やと豊臣秀吉による「文禄・慶長の役」<wbr>そして近代に入っての朝鮮統治から大陸に出た行ったことを教訓に<wbr>あげつつ、次のように記している。</p><p>&nbsp;</p><p>日本にとって大陸との海峡はきわめて重要である。<wbr>これまで大陸と切り離されていることが日本の「国のかたち」<wbr>の背景となってきた。日本文化は大陸・<wbr>半島の影響を受けはしたが、<wbr>基本的には海を挟んだ海峡のこちらで独自にかつ独特に形成された<wbr>。決して大陸文化ではない。これが日本の“分”である。<wbr>日本は分を知らなければならない。<wbr>だから海洋国家の日本は海峡を簡単に渡ってはならないのだ。<wbr>渡る時は慎重にも慎重を期さなければならない。<wbr>特に半島は危うい。<wbr>三方を海に囲まれているためこちら側と錯覚しがちだが、半島はあくまでも大陸の一角なのだから。<wbr>朝鮮半島は日本にとっていわば“ブラックホール”なのである。<wbr>引き込まれてはならないし、深入りしてはならない。<wbr>これが歴史の教訓である。</p><p>&nbsp;</p><p>また黒田勝弘氏は、『隣国への足跡』（２０１７年）のなかで、「<wbr>半島に深入りしてはならない」ということを、<wbr>ソウルでの韓国語研修を経て、<wbr>共同通信ソウル特派員として赴任して、<wbr>ソウル駐在の日本大使に挨拶に行ったときに、<wbr>当時の須之部量三大使からかけられたアドバイスを記しており、<wbr>その個所を『隣国への足跡』よりひく。</p><p>&nbsp;</p><p>筆者は１９７８年から１年間、ソウルに語学留学した。<wbr>帰国した後、<wbr>１９８０年秋に正式にソウル特派員として派遣されたが、<wbr>赴任直後に当時の須之部量三ソウル駐在大使にあいさつにいった。<wbr>彼は戦前入省のベテラン外交官で、<wbr>それまで駐インドネシア大使などを歴任し、<wbr>駐韓大使の後は外務次官も勤めている。その時、<wbr>須之部大使が語ってくれた話が実に含蓄のあるものだった。</p><p>彼はこういった。</p><p>「<wbr>あなたは韓国に語学留学もしているのでこれから朝鮮半島専門家と<wbr>してやっていくに違いない。ただしこの地（朝鮮半島）<wbr>と付き合う際には用心しなければならないことがある。<wbr>何かというと、<wbr>この地には足を２本とも入れてはいけないということです。<wbr>入れるのは１本だけにして、<wbr>もう１本は必ず外に出しておきなさい。そうしないと、<wbr>いざという時に足が抜けなくなり、<wbr>身動きができなくなるからです」</p><p>これは何の話かというと、後で考えてみたことだが、「この地（<wbr>朝鮮半島）には深入りするな」ということである。</p><p>&nbsp;</p><p>黒田勝弘氏が「後で考えてみた」と記している、<wbr>後は、いつのことなのだろうか。しかし、<wbr>黒田勝弘氏をはじめとして、半島に関わってながい人たちの「深入りしてはならぬ」というアドバイスを、かるく考えるべきではない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/usagidani23/entry-12405083634.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Sep 2018 11:10:29 +0900</pubDate>
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<title>市民、市民、交流、交流というけれど</title>
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<![CDATA[ <p>９８年に「日韓共同宣言」が出された後の動きについて、鄭大均『韓国ナショナリズムの不幸』（２００２年）より引く。</p><p>以下、はりつけはじめ。</p><p>&nbsp;</p><p>その後に日本政府がとってきたのは、加害・<wbr>被害者関係を基本的には維持しながらも、<wbr>韓国側の温情や自己抑制に期待するという態度であり、<wbr>メディアやアカデミズムの世界には共同宣言体制を批判するのがは<wbr>ばかられるという雰囲気もあった。木宮正史氏（東京大学助教授）<wbr>の次の文には、<wbr>政治的に正しいとされる側にいる人間の尊大さが感じられる。</p><p>&nbsp;</p><p>〈日韓関係には、歴史認識の相違という「壁」がある。問題は、<wbr>こうした歴史認識の相違が、<wbr>日韓関係を離間させる遠心力として働いてきたことだ。<wbr>そうした悪循環を断ち切ろうとしたのが、九八年の「<wbr>日韓共同宣言」だった。</p><p>（略）</p><p>それにもかかわらず、<wbr>過去の歴史を自国中心に美化する教科書を作る動きや永住外国人の<wbr>地方参政権を認めない動きは、こういた戦略転換に逆行する。</p><p>異なる国家や民族が異なる歴史認識を持つのは、<wbr>ある意味で当然だ。問題は、<wbr>これをいかに求心力として働かせる戦略を構築するかである。<wbr>そのためには、両国の自国中心主義者たちを孤立させ、<wbr>包囲するような多数派を、<wbr>両国を横断する市民社会の中に形成することが必要だ。〉（「『<wbr>日韓連携』軸に外交の幅広げる時」『朝日新聞』二〇〇〇<wbr>年十二月二十一日付）</p><p>以上、はりつけおわり。</p><p>&nbsp;</p><p>こういった動きを著者の鄭大均氏は、懐疑的且つ批判的にみている。そして、おなじように木宮正史氏の意見を批判的にみている古田博司氏の意見を、鄭大均『韓国ナショナリズムの不幸』より引く。</p><p>以下、はりつけはじめ。</p><p>&nbsp;</p><p>木宮正史氏の「極端な自国中心主義者」批判に、（略）<wbr>批判を加えていたのは古田博司氏（筑波大学教授）<wbr>の次の文である。</p><p>〈しからば、この戦闘的グローバル派の言説によって、<wbr>誰が包囲され、誰が連帯し拡張されるべきだと、宣伝・<wbr>扇動されているのであろうか。私が包囲されるのだろうか。<wbr>あなたは誰かと連帯するのだろうか。<wbr>誰かと連帯するのは向こう側にこちらと似た人々がいなくてはなら<wbr>ない。しかるに、管見によれば、<wbr>海の向こうにいるのは相変わらずの韓国ナショナリストばかりなの<wbr>である。そうでない者は、たとえいたとしても、<wbr>実は少数派なのだと言わねばならない。</p><p>韓国のナショナリズムは病であり、<wbr>おそらくその病は癒えることがない。</p><p>なぜか。</p><p>国家がその成り立ちにおいて正統性を欠いているからである。<wbr>いうまでもなく韓国の国是は反日と自ら勝ち取った日本植民地から<wbr>の独立である。<wbr>しかるに韓国にはこの闘争を勝ち取った者の姿が当初より存在しな<wbr>い。武器を持って戦った者は皆北に渡った。<wbr>南の政府の直系の祖たちは上海にのがれて臨時政府を形成したがセ<wbr>クト対立と内部の暗殺を繰り返して堕落したことは歴史上の事実で<wbr>ある。〉（『大航海』二〇〇一年四月号）</p><p>以上、はりつけおわり。</p><p>&nbsp;</p><p>鄭大均氏や古田博司氏、それに木宮正史氏の意見はそれぞれ２０００年前後に発表されたものだった。ではその状況はどう変化したのか。黒田勝弘氏の意見を『日韓関係の争点』（２０１４年）より引く。</p><p>以下、はりつけはじめ。</p><p>&nbsp;</p><p>いやあ、市民、<wbr>市民とおっしゃるんだけど、<wbr>日本でいわゆる新大久保のコリアンタウンでは反韓デモをやってヘ<wbr>イトスピーチが出れば、それはやっぱりおかしいと言って市民が、<wbr>親韓デモじゃないけども、バランスをとるデモがあるでしょう。<wbr>反韓的なヘイトスピーチは法的に取り締まれという声さえ出ますね<wbr>。しかし韓国では例えば、（中略）<wbr>日本大使館前のあの慰安婦少女像についてですね、<wbr>あれはやっぱり失礼だとか、国際関係としてもおかしいとか、<wbr>そういう自己批判が韓国では一切出ない。韓国の市民と言うのは、<wbr>果たして当てにできるのかということがあるじゃないですか。<wbr>厳しい言い方だけど、<wbr>彼らが反日愛国主義をいつ脱皮できるかですよ。</p><p>以上、はりつけおわり。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/usagidani23/entry-12404656220.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Sep 2018 14:59:39 +0900</pubDate>
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<title>日本統治時代の朝鮮人テクノクラートは、解放後帰国した独立運動家をどうみていたのか</title>
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<![CDATA[ <p>任文桓は、旧韓末に生れ、若くして日本に渡る。苦学しながらも、同志社中学から岡山の第六高等学校を経て、東京帝国大学を卒業。高等文官試験に合格し朝鮮総督府に勤務した。日本統治が終わり、大韓民国建国以後、李承晩大統領の時代に農林部長官を歴任した朝鮮人テクノクラートだ。彼が海外から帰国した独立運動家をどうみていたのか、鄭大均『日本（イルボン）のイメージ』より、引く。</p><p>以下、貼りつけはじめ。</p><p>&nbsp;</p><p>やがて外国に亡命していた独立志士達が、<wbr>老齢の身を以って故国に帰り政権を掌握するに及んで、<wbr>この老人達と国民の間の激しい断絶が、<wbr>国の政治を限りなく悪化させるに及んで、バウトク（著者の幼名・<wbr>引用者注）は新しい戦いを開始せざるを得なかった。<wbr>このときの韓国民は、この老人達が国から亡命した三〇<wbr>年前の民衆とは質が変わっているのに、老人達には、<wbr>これを評価するだけの能力がなかった。<wbr>日本体制のさむらいとしての日本人は、<wbr>理のみに走って無性に冷酷であり且つ陰凶であったか、<wbr>私人としての日本人は情にも流されることのある、<wbr>勤勉で節約を信じ、団結を尊ぶ良き手本であった。<wbr>これを三六年間の日本統治を通じて、日本体制からではなく、<wbr>日本人から学び取った韓国民の価値観は、<wbr>旧韓末の黒い霧におおわれた世の中で、<wbr>遊泳と策略のみに価値を認めていた時代に比べると、<wbr>はるかに民族の充実に希望の持てるものに昇華していた。<wbr>このすばらしい変化を見抜く能力を欠いた老人たちの政治策略は、<wbr>国民の価値観を後退低下させる危険性を含むものであった。<wbr>例えば李承晩博士は大統領就任演説の中で、<wbr>財務部長官が国務総理よりも重要な地位であると明言して、<wbr>国民の失笑を買ったのであるが、<wbr>笑ってのみ済ませることではなかった。<wbr>金を握っている者が最も大事であるという半世紀前の政治感覚で統<wbr>治されるであろう国民は、<wbr>その断絶に抵抗して初めのうちは戦うであろうが、疲れてくると、<wbr>それに巻かれる可能性は十分にある。バウトクは、団結・勤勉・<wbr>節約という日本統治三六年間に培養された国民の価値観を守るため<wbr>に、戦いを展開せざるを得なかった。<wbr>人生とは皮肉に充ちたものである。<wbr>彼は日本体制の吏僚あった間じゅう、その体制の退却を願い、<wbr>日本的なものを憎しみ通した。それが、<wbr>日本が退却した今日になってからは、<wbr>日本人から学んだ日本的な価値観を守り立てるために戦わなければ<wbr>ならないのである。</p><p>&nbsp;</p><p>以上、はりつけおわり。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/usagidani23/entry-12404651740.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Sep 2018 14:33:57 +0900</pubDate>
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<title>韓国の反日主義とそれを助ける日本の知識人</title>
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<![CDATA[ <p>鄭大均『日本（イルボン）のイメージ』で、韓国の反日主義とそれを助ける日本の進歩的知識人に関して、以下のように指摘している。９８年に出た本だが、この図式は現在でも有効ではないだろうか。</p><p>以下、貼りつけはじめ。</p><p>&nbsp;</p><p>反日主義とは韓国人の日本や日本人に対する敵意や憎悪や懐疑の思考様式態度を指すもので、これはある種の偏見である。反日主義に内部からの批判がないわけではない。韓国人の中には少数ではあるが、反日主義の非合理を指摘し、またその弊害を指摘する者がいる。図式的にいえば、今日の韓国には反日主義を自明なものと見なす多数派とそれに懐疑的な少数派がおり、両者の間には今のところ顕在化しているとはいえないが、論争があり、その帰趨はこの国の運命というだけでなく、東アジアの国際関係のゆくえにも少なからぬ影響を与えるものであろう。</p><p>ところが、この反日主義は相互交流や相互浸透という新しい日韓関係の展開にともなって、むしろ活性化している。日本人による侵略史や犯罪史の発掘・暴露作業が韓国側の反日主義を活性化するという状況がそれで、ここにはあるタイプの日本の知識人が反日主義を積極的に支持し、韓国の反日主義者からその道徳性と韓国理解の深さを賞賛され、友好のかけ橋とおだてられているがゆえに、自分が友好や理解と考えているものが、実は韓国人の日本や日本人に対する偏見やステレオタイプを支持しているに過ぎないのだということに気がつかないという状況がある。</p><p>あるタイプの日本の知識人とは、かつて韓国人の独裁政権の打倒を叫びながらも、北朝鮮の本物の独裁政権にはむしろ同調的な態度をとった進歩的知識人やその後裔たちで、その多くは今日では人権論者や多文化主義者の衣装をまとう人々である。第二期（六五年～八二年、うさぎ谷註）の日韓関係が両国の保守派の連帯によって規定されるものであったとしたら、第三期（八二年～現在なお本書の発刊は九八年）の日韓関係を規定するのはこれら両国の進歩派であり、今日の道徳・心理劇的日韓関係の立役者は彼らである。</p><p>この新しい国際連帯にはいくつかの特徴があるが、最も重要なのは、これが自己否定派と自己肯定派の連帯であるという点であろう。つまり、日本側の進歩的知識人が自己（自国）否定的な傾向をもつ人々であるとしたら、韓国側の進歩的知識人に見てとれるのは自己肯定的な性格であり、前者が自国のナショナリズムに批判的な人々であるとしたら、後者はむしろそれに肯定的な人々である。韓国においては、進歩的であるということとナショナリストであることは矛盾しないのである。</p><p>&nbsp;</p><p>はりつけおわり。</p>
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<link>https://ameblo.jp/usagidani23/entry-12404149422.html</link>
<pubDate>Tue, 11 Sep 2018 10:57:36 +0900</pubDate>
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<title>日本はいいことしたは通じない</title>
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<![CDATA[ <p>朝鮮半島を日本が統治したことに関して、日本は酷いこともした一方で、インフラを整備したなどと、つまりいいこともしたと韓国に反論をしたりする。しかし、『日韓関係の争点』（２０１４年）のなかの小倉紀蔵先生の発言を読むと、日韓でそれぞれ立脚点が異なっているので、「いいこともした」という話自体が何ら反論になっていないように思われる。</p><p>以下貼りつけはじめ。</p><p>&nbsp;</p><p>歴史学で植民地収奪論というのが一つありますよね。<wbr>それからもう一つ、<wbr>ニューライトの植民地近代化論がありますよね。<wbr>しかし１９９０年代から盛んになってきたのは、<wbr>これはポストモダンの歴史学者、あるいは人文学者の中で、<wbr>今はほとんどそれが席巻してしまっているんですけど、<wbr>植民地近代化性論という考え方がある。<wbr>植民地近代性論は植民地収奪論と違って、<wbr>確かに植民地時代に朝鮮は近代化したと、そこは認めるんです。<wbr>しかし、<wbr>植民地近代化論は植民地時代に近代化したのはよかったという認識<wbr>なんだけど、<wbr>植民地近代性論というのは植民地に近代化したのは悪かったという<wbr>、そういう話ですね。要するに軍隊式の日本の統治で、<wbr>全部規律化して近代化してしまったという、そういう話です。<wbr>規律化したから産業化、近代化できた、<wbr>しかしそれが朝鮮民族の本質と相容れないものであったと。<wbr>そうすると、この人たちが帰るべきところは、<wbr>朝鮮王朝しかないんです。</p><p>それとはまた別個に、朴正煕政権に反対した民主化の勢力がある。<wbr>この民主化の勢力と言うのは、<wbr>私は田中明さんと同じで儒教勢力だと思っているわけです。<wbr>儒教の正統性を大切にする。<wbr>彼らが大切にするのは正当性と道徳性、これだけなんですね。<wbr>国家がどれだけ豊かだとか、ちゃんと統治できているとか、<wbr>そんなことはあまり関心がない。<wbr>道徳性と正当性にだけ関心を持つ人たちの、<wbr>民主化の流れがあった。<wbr>そのながれと近代化性論というのが１９９０年代の終わりぐらいに<wbr>合体して、今の韓国の大学で人文学をやっている人たち、歴史学、<wbr>思想、文学、哲学、社会学、そういうのをやっている人たちは、<wbr>ほとんど朝鮮王朝時代に対して肯定的になっているでしょう。<wbr>特に英祖、正祖の時代ですね。英祖、<wbr>正祖の時代というのはもう完全に朱子学の固まった時代で、<wbr>あれを打倒しなければ近代化ができなかったはずなんだけれども、<wbr>英祖、<wbr>正祖の時代が朝鮮民族の最高潮の時代だと言っていますから、<wbr>これはもう取りつく島もない朝鮮王朝正当論なんですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>以上、貼りつけ終り。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/usagidani23/entry-12404043537.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Sep 2018 21:29:04 +0900</pubDate>
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<title>『日韓関係の争点』（１４年）での小倉先生の注目発言</title>
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<![CDATA[ <p>２０１４年と言えば、韓国は朴槿恵政権だった。その後、朴槿恵大統領は大統領自身のスキャンダルから大統領の人気が大きく凋落しはじめ、最後には大規模なキャンドルデモに発展、弾劾裁判の結果、大統領解職となった。この一連の動きをみると、『日韓関係の争点』のなかで小倉紀藏先生の発言がやけに気にかかったのだ。</p><p>以下貼りつけ。</p><p>&nbsp;</p><p>韓国のNGOというのは、<wbr>朝鮮王朝時代の士大夫の役割をしている人たちなんですねえ。<wbr>つまり王は悪いこともするし、揺れてしまう存在であると。<wbr>天理つまり正義とくっついているのは自分たち士大夫である。<wbr>だから士大夫が王をコントロールすべききだ、<wbr>というのが朱子学の考えです。<wbr>そういう勢力が今やNGOになっている。<wbr>昔の士大夫が今のNGOです。ですからNGOのひとたちは、<wbr>正当性と正統性と道徳性にしか関心がないんです。</p><p>ということは、ふつうの韓国人もそういう意識を持っている。<wbr>つまり韓国で言う「市民」という意識ですよね。<wbr>そういうものを持っているから、<wbr>政府はいつもNGOを恐怖するし、<wbr>NGOにコントロールされてしまうという、<wbr>そういう構造になっているのは確かなんですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>以上、貼りつけ終り。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/usagidani23/entry-12404041191.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Sep 2018 21:19:39 +0900</pubDate>
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<title>自画自賛的ではない朴正煕の李朝時代への視線</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;田中明氏は、朴正煕政権を「例外の時代」と評した。その根拠はいくつかあるだが、彼が李朝時代を否定的視線でみていたこともあげられるだろう。鄭大均氏の『日本の（イルボン）のイメージ』より、朴正煕がいかに李朝時代を否定的にみていたのかその様子を窺い知ることができる。</p><p>以下、鄭大均氏の著書から貼りつけ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>朴正煕の自民族や自文化対する眺めがいかに否定的なものであった<wbr>かは『韓民族の進むべき道』（六二年）<wbr>という著書に明らかである。<wbr>彼がそこで韓国人の特徴としてあげたのは「利己主義」「<wbr>傍観主義」「虚勢」「党派意識」「特権意識」「自主精神の欠如」<wbr>「民族愛の欠如」「開拓精神の欠如」「企業心の不足」「<wbr>アイデアの不足」「退廃した国民道義」「怠惰と不労所得観念」「<wbr>奴隷的な屈従の固まり」といった一連の否定性属性であり、<wbr>韓国社会の特徴としてあげたのも「<wbr>法よりも腕力の強い者が勝つ世の中」「<wbr>弱く金もコネもない者は生きていけない不平等社会」「姑息、<wbr>怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会」「<wbr>情実人事、猟官運動、<font color="#545454" face="arial, sans-serif">貪官汚吏、<wbr>不正蓄財が当然と考えられる価値が転倒した社会」<wbr>といった否定的性格である。彼は、だからこの国には「革命」や「<wbr>改造」「再建」「更生」「手術」「反省」が必要だと考え、<wbr>それを実践したのである。</font></p><p>&nbsp;</p><p><font color="#545454" face="arial, sans-serif">はりつけ、おわり。</font></p><p><font color="#545454" face="arial, sans-serif">このように韓国では一般的ともいえる自画自賛的な視線は微塵もない。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/usagidani23/entry-12403948750.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Sep 2018 13:30:58 +0900</pubDate>
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<title>鄭大均『日本（イルボン）のイメージ』</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1em;">鄭大均氏が、自著『日本（イルボン）のイメージ』の中で、解放後の軍政期の時代に行われた植民地文化追放の動きで、「もし」と断ったうえで、書いている内容が、黒田勝弘氏が書いているようなこときれいに重なっているのみならず、その内容が韓国知識人のそれとは異なっていることにも言及していて、興味深いので、その個所を貼りつける。</span></p><p><span style="font-size:1em;">貼りつけ、はじめ。</span></p><p>&nbsp;</p><p>歴史に「もし」は禁物であるのかもしれないが、もしこの時期の「<wbr>親日派」（植民地協力者）<wbr>や植民地文化に対する態度がより徹底したものであれば、<wbr>ーーということは北朝鮮のように、<wbr>より徹底した浄化運動を展開すればの意になるが――<wbr>日本の資金や技術を導入し、近代化に取りくむという六〇<wbr>年代半ば以後の韓国の変貌はありえなかったかもしれない。逆に、<wbr>もし 「親日派」（植民地協力者）<wbr>や植民地文化に対する態度がより寛大なものであれば、<wbr>この国の芸術や文化の世界はより多様で多元的なものになっていた<wbr>かもしれません。</p><p>だが現実に語られる「もし」はこれとはかなり異質のものである。<wbr>知識人などが口にするそれは、<wbr>もし軍政期に植民地文化を徹底的に清算し、<wbr>また親日派をより徹底的に粛清していたら、<wbr>今日の韓国はより民主的で矛盾のない国でありえたろうというもの<wbr>である。</p><p>しかし、、誰が「親日派」であるかの問題は、<wbr>共産主義政権崩壊後の東欧圏において、<wbr>誰が秘密警察の協力者であったのかを同定する作業と同じように、<wbr>微妙な問題であり、それは度を超すと魔女狩りにつながる。「<wbr>親日派」<wbr>は誇り高き韓国人の歴史に汚点を残した張本人であるとしても、<wbr>彼らは基本的には植民地時代のエリートであり、<wbr>彼らは新生国家がその建設に最も必要とした人材であった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/usagidani23/entry-12403919072.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Sep 2018 10:52:35 +0900</pubDate>
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