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<title>ウサオ88のブログ</title>
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<description>刹那の積み重ね気合と充実のブログタイム</description>
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<title>”東京プリズン”　読書かんそうぶん～ネタバレあり～</title>
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<![CDATA[ 久々にすんごい小説に出会ってしまった。。赤坂真理著、東京プリズン<br><br>”読んで下さる人はネタバレありますので注意してくださいね”<br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=30352524" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">東京プリズン (河出文庫)/河出書房新社<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51bUvqSoTCL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥994<br>Amazon.co.jp<br><br><br>人は誰しも能力・考え方・環境全てが異なる。本当の意味で人間の間に絶対的な関係はない。<br><font color="#0000FF">それが”自然”なのだ</font>。<br><br>でもそんな答えのない環境の中で生きていくのはとてもストレスフルだ。<br><br>だからこそ、人は争う。そして<font color="#0000FF">戦争は強弱、勝ち負け、正義と悪ということへの答えを出すのにある意味もっとも単純明快な解決手段</font>といえる。<br><br>まさに戦争裁判はその結論の場である。<br><br>一方で、結論を出すことは“不自然”である。<br><br>そんな“不自然”な状態に永遠性はなく、またいつかは繰り返す。<br><br>なぜならば人間には絶対的な関係性はないからだ。それが“自然”だからだ。<br><br>しかし、戦争はいったん始まってしまえば結論を出すまで終われない。<br><br>そんな“不自然”な状態が続くためには<font color="#0000FF">〝不自然”な結論にたどりついた上での“自然”状態が保たれる</font>必要があるのだ。<br><br>まさに戦後の日米の関係がそうである。<br><br>この“不自然”と“自然”のギャップに主人公（作者？）は自然な状態で不自然な環境におかれることで気づいていく。<br><br>天皇のとった責任とはそういう意味があるのだと。<br><br><font color="#FF0000"><strong>しかしその意図は表にでられるものではないのだ。</strong></font><br><br><font color="#FF0000">だまるしかない</font><br><br>あくまで“不自然”と“自然”とが共存しなくてはならないのだから。<br><br>そしてそれが日本における”天皇”という特殊な存在の意義なのだ。<br><br>マリがディベートで負けながら勝ったというのはまさにそういう意味で東京裁判の再演なのだと思う。<br><br>でもこれは、実は人間である限り、どこにでも起こり得る関係性なのだと思う。<br><br>最近の社会はこの”自然”状態の回避をしたがる傾向にある。<br><br>つまり、形に見える絶対的な関係性でないと納得できない、”自然”のストレスに耐えきれない社会になってきている。<br><br>そんな我々が進む未来に永遠の”自然”はあるのか？<br><br>作者が警鐘を鳴らすのはまさにそのことなのだと思った。<br>
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<link>https://ameblo.jp/usao88/entry-12061510865.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Aug 2015 23:55:27 +0900</pubDate>
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<title>マンガをよむ</title>
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<![CDATA[ 今日は仕事でも色々と疲れたので、ツタヤでマンガを借りてひたすら読むことにしました<br><br><font color="#800080">ダイの大冒険</font>　と　<font color="#996633">ヒミズ</font><br><br>結構いい感じの対照性<br><br>意外と同じことを言ってたりもする<br><br>でもやっぱりヒミズは子供には読んで欲しくない<br><br>ダイの大冒険は久しぶりに読むけれども、意外によい<br><br>20年たっても、きちんとメッセージ性が色あせていないのは名作なのだろうな<br><br><font color="#800080">ヒミズは人間の絶望をメタファー的に描いていて、まぁここまで気分の悪いことばかり味わうのかと思うけど、まさにダイの世界だけで世に出てしまった大人子供にとっては読むことで、底辺を味わった（底辺かはわからないけれども）気分にはなれて、相対的な自分の今生きているのが希望に思えるのかもしれない</font><br><br><font color="#0000FF">子供に読んで欲しくないというのは、この表現がメタファーではなく、限りなくリアルに印象づけられてしまうため、自己が確立していないと、その世界に自分の本体までおいてしまうから</font><br><br>自己が確立してしまえば、置きたくてもおけなくなるのだから（ネバーランドには戻れない）どうせならダイのようなきれいな世界に自己を置いて味わっていて欲しいな　と思うのです<br><br>まぁここの数少ない読者にとっては自明ですねm(__)m<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/usao88/entry-12006856169.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Mar 2015 19:29:24 +0900</pubDate>
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<title>思いやりのない自分。。。反省</title>
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<![CDATA[ 家族が珍しく音楽の話をしてきた<br><br>ピアノの音よりきれいな音の組み合わせで奏でる音楽があるとのこと<br><br>ふむふむ、エンヤとかそうらしい<br><br>そこで・・・<br><br><font size="1">ふむふむ、それはつまりピアノの平均律のことをいっているのかな？つまり、耳に美しく聞こえるのは音の周波数に基づいて並べられた純正律だけど、調によって変わってくる。ピアノは固定された音しかだせないわけで、五線譜が出現した時点でピアノは純正律をあきらめざるを得ない宿命だった。。。。。。でも、それでおわりでなくて、ピアニストにも音程の良い人悪い人がいる。耳は不思議なもので単純な周波数の組み合わせだけでなく音色や音の大きさの比率を調節することで極限まで和音が純正律に近い音として聞こえてくる。弦楽器や管楽器奏者も一見無段階だからただ周波数を合わせるように弾くことがうまくきこえるのかというと、そうでもなくて、和音、重音を弾くときにはそこに音色、音の大きさのバランス、さらにビブラートとかで波長をずらしたりしながら音の深みをつくっていく。そして、単に美しいだけでなくそこに、ちょっとした敢えてのズレを生ませながら弾くんだよ。それが味であり個性であり。。。そういう味をだしていく過程って音楽だけでなく芸術、スポーツ、いやいや社会の営みすべてにとってそういうことが行われている。間違ってはいけないのはただくずせばいいというものではないということ。。。。。。。。。。。。。。。。</font><br><br>などと観念奔逸的にべらべらしゃべってしまい、気付いた時には家族がフリーズしていた<br><br>うむうむ<br><br>思いやりが足りなかったと反省<br><br>そういえば自分のブログはいつも思いやりが足りないか。。。<br><br>反省しつつ、恐らく今後も繰り返していくのだろうなぁ<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/usao88/entry-12006155446.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Mar 2015 00:27:20 +0900</pubDate>
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<title>若返る現代人～白鵬・羽生～2</title>
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<![CDATA[ さて、遅くなりました<br><br>2つ目の番組は<br><br>将棋の羽生さんとチェスの元？世界王者カスパロフ氏の対談（ETV）<br><br>興味深かったのは、各界の王者の年齢と指し方の変化についての話<br><br>将棋界においてあるとき以降明らかに若手棋士が台頭し、棋風にも多くの流儀が出現したらしい<br><br>結局、どの世界でも生じているわけで区別はないのだが、世の中が20世紀になってから急速に発展した、特に“情報”の扱いについて急激に記録・保存・利用技術が発達したことが背景にあるということ<br><br>つまり、全ては口頭伝承に頼ってきた時代は、律速段階が伝承情報であるから、その限られた情報に一つ先のことを思いついたものがトップに立てる時代。またそういうところではゆっくり時間が流れるため、経験がものをいう<br><br>徐々にその伝承内容は書物などに蓄積されて、量が増える。そうなると、いかに書物にであえるか、いかに量の増えた内容を身に着けるかが勝負になってくる<br><br>さらにはその伝承内容は（要点をまとめた）書物に限らず、要点だけでなく全データを瞬時にしかもだれでも環境を問わず手に入る時代となる<br><br>すると、データをただ身に着けるのではなく“うまく”取捨選択しながら利用し、データはみんなが保有している状況の中で一歩先にいく能力が必要になる時代になった<br><br>そうすると、年齢は自然と若年化する　処理能力の早い若者が勝つ訳だ<br><br>しかし面白いのはそこに羽生さんは疑問をなげかける<br><br>ホントウに上手く処理するだけがすべてなのだろうか！<br><br>彼の大局観や直観力といったキーワードはそこにあるのだと思う<br><br>様々な経験や時間を経ることでしか得られないもやもやした実体のないものを扱う感覚なのだろう<br><br>きちんと計算したり身構えることなく、手練れが無意識にひょいとさせば針孔を通してしまうようなそんなものだろう<br><br>それはいわゆる“強い”というものとは異なる概念<br><br>それを大切にする、求めていけることこそが真の達人といえる<br><br>そんな風に聞こえた<br><br>そして、こういう一朝一夕では手に入らず、みにつかず、見えないものをなんとなく大切に扱えること、これは昨今にぎわしている倫理・道徳などというものなのだろう・・・・<br><br>さて、<br><br>白鵬の話だが、結局、現代という環境・時代が若年化を進ませて若くて“強い”力士が出現した。その極みが白鵬なのだとすると、この見えないものの体得とにギャップが出てきてしまうのは当然のことではないのかと思う<br><br>やはり、そういうギャップを生きるのは並大抵のことではなく、世の中で生きていく上で最もストレスフル、大変なことの一つなのだと思う<br><br>だとすると、白鵬の発言「色々あったけど～」というのは素直にそのギャップを生きる苦しみを、うまく表現すらできないくらいの大きなギャップの中で歩んできた時間であったことの表れとはとれないだろうか。そして日本の国技として敬う我々の姿勢がそのギャップを奥ゆかしく包み込むのでなければ、ギャップは私達にもあることを示しているわけで、たとえ本来横綱はそのギャップもない（いわゆる心身ともに）充実した人格を求められるものであったとしても、私達にそれを求める資格はないように思うのだ
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<link>https://ameblo.jp/usao88/entry-12005752918.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Mar 2015 10:00:00 +0900</pubDate>
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<title>若返る現代人～白鵬・羽生～</title>
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<![CDATA[ ちょっと大げさなタイトルだけれど、この週末の二つの番組で思ったことあり<br><br>（読み返してみると当たり前のことなのですが。。。）<br><br>1つ目の番組；<br><br>昨日白鵬が優勝した<br><br>相撲は詳しいわけではないが、この実績・結果は立派であるのは間違いない<br><br>問題は優勝インタビューである<br><br>言葉少なに語る；<br>色々あったが、自分の満足のいく相撲でよい相撲がとれて、すなわち優勝だったと。<br><br>この言葉が難しい<br><br>つまり、色々あった→自分の今までの発言・言動が騒がれていることを自覚している<br><br>その上で、自画自賛したというわけである<br><br>恐らくこの自画自賛の表現、これもまた多くの憶測を呼ぶ表現であった・・・と思う↓<br><br>1つには、やはり自分の行動の正当性を相撲で示してやったという“傲慢さ”<br><br>一方では、色々と雑念はあったが、相撲だけに自分を置いてこの初場所を過ごしたという、“覚悟”への賞賛、慰安<br><br>また、そもそも自分の正当性を誇示すること、あるいは成果をアピールすることが純粋な“美徳”であるとする、非日本的精神に基づくもの（ここでいう日本的精神：奥ゆかし、能あるタカは爪を隠す）<br><br>などなど<br><br>さて、以前どこかである政治家の言葉として、「政治家たる者、発言にはその“場”、“人”、“時”によってその解釈のされ方は変わってくる、そしてそれはその発言したものに責任がある」<br>ということを耳にしたことがある<br><br>ここに、もう一度発言する者、受け入れる者のお互いが反省する場面があるのだと思う<br><br>確かにそういう意味では白鵬はその立場、発言の対象となる相手、そしてその発現のタイミングいずれもが、適切ではなかったようには思う<br><br>しかし、逆にいえば、本人の言葉を聞く側の心にもこの相撲界の偉業に対する勝手な期待を押し付けてその規範となる行動を求めてはいなかったか！まさに適切かどうかは受け止める側にあるのだから<br><br>もちろん相撲は国技でありまさに国民のスポーツマンシップの象徴となることが期待されている<br><br>そのことは白鵬にも学んでいただきたい（しかしこの言葉にも、決して一方的なものではないことが、この後に述べる二つ目の番組の話でわかってくるだろう）<br><br>一方で、もし、今回の件で白鵬が批判されているというのであれば、憂うべきはむしろその白鵬を支えるべき周囲や白鵬という力士を受け入れる我々の精神の度量にあるのだと今一度心に刻みたい<br><br>この発言する側と、受け入れる側の摩擦はなぜ生じているのか！<br><br>最近よく考えていたことが、次に紹介する番組にヒントを得て少しまとまった。。。。<br><br>（興奮交じりに、また明日）<br>
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<pubDate>Mon, 23 Mar 2015 22:57:19 +0900</pubDate>
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<title>いまさらですが・・・ふと</title>
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<![CDATA[ いまさらですが、ふと思いました<br><br>最近はすごく生きていて閉塞感があります<br><br>息がつまりそう<br><br>仕事・家庭、確かに今忙しくて、あっというまに時間は過ぎていくし、いくら時間かけても足りない<br><br>他の世界をみてないとつまりそうではないか！と思ってネットサーフィンしてみる自分です<br><br>確かに色んな人の色んな情報、思いを観てきました<br><br>自分とこんなにも違うこと考えたり、行動したり、違う世界で過ごしている人がいる<br><br>でも、こうやって知ることができすぎるのって広がっているようで、逆になんだか無限に広がっているはずの空間に無秩序に柱や壁、ポスター貼っちゃっているようなそんな気分になっているんじゃないかって。。。<br><br>この漠然とした逆説観について<br><br><br>“知ること”ができているというのが間違っているのかも、って今考えています<br><br><br>色んな人の情報、思い、見てきているけど、“知れ”ているわけではないんじゃないか<br><br>本当に“知る”ってたぶんその人と直接あって、交流して、その人の生活界に入って過ごして、そうやって時間をかけて、体の芯にその世界が染み渡ってくる、そんな過程が必要なんじゃないか<br><br>今やっていることは、地図も観ずに通りにもいっていないのに、その町のこの通りにはAさん、Bさん、C屋さんがあって、こっちにはDさんっていう表札のかかった建物があるらしい。。。<br><br>みたいなどんだけあいまいなもの、何もわかっていないものをあいまいにわかった気分にしちゃっているのという状況<br><br>そうすると、何もわかっていないあいまいな漠然としたもので自分の周りの世界が埋め尽くされていく、そう、例えていえば今広い部屋でPCしているはずなのに、部屋に色んな単語だけ羅列されたメモやら吊り下げて、自分の周りメモだらけで埋もれているような<br><br>すごく閉塞感<br><br>一期一会とか、そういうのを大切に、アナログでもいいから自分の周りの無限の空間を、穴だらけでもいいけど、<br><br>置いた家具は原料から製法までしみ1つまで知り尽くして毎日毎日使い込んで自分だけの匂いや癖がついたものだけにする<br><br>そんな自分の生きる道を歩まねばこの閉塞感からは抜け出せそうにない<br>
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<pubDate>Thu, 05 Mar 2015 01:10:14 +0900</pubDate>
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<title>良い時間を過ごせる映画～”幕が上がる～</title>
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<![CDATA[ 昨日2／28公開の映画、幕が上がるを観てきました<br><br>一言でいうと、<font color="#0000FF">“良い時間”</font>を過ごせた、に尽きると思います<br><br>そうそう、もののふというものではなく、原作の平田オリザ氏に興味があって、出会いました。<br><br>でも、最近テレビでもよく番宣？がてらかももクロメンバーが出ていたし、5人の活動はものすごくうわべだけ知識として取り入れてからいきました（未だ百田さん以外の5人の名前はわかりませんが。。。）<br><br>原作もそうですが、映画はとてもよい映画でした<br><br>前半はどうしても原作のストーリーが同時並行に頭の中で進んでしまって、すごく客観的に、入り込めずに眺めてしまいました<br><br>それは、例えば物語は高校生の演劇部での成長物語ですが、演劇していないとき（ほとんどがそうですが）の演出が既にオリザ氏の舞台だなぁと感じながら見てしまったり、、、<br><br>それはもちろんももクロの初女優としてのぎこちなさも相まってなのですが、<br><br>でも、徐々に映画の世界に入り込んで、何か一体感を味わいながら、彼女たちの成長（もちろん精神的な意味で、、、まさに青春！てやつです）に共感しながら見ることができました（もう一度自分も青春の日々を送っているような、）<br><br>そういう意味でマトリョーシカ的、つまり入れ子人形的な感覚を味わえる不思議な映画でした<br><br><strong>ももクロの映画の中での女優としての成長<br>＞<br>それぞれの配役の成長<br>＞<br>配役が演劇俳優（1人は演出家）としての成長<br>＞<br>自分の過去の青春時代の成長</strong><br><br>・・・みたいな<br><br>そして、（青春なので清く潔くもろく切なくでも熱くて応援したくなるような）成長は気持ちのよいもので、話として派手なものもないし、女優もうっとりするような美女たちではないし（ごめんなさいm(__)m）、超感動やったーっていう充実・満足でもないのだけれども、<br><br><font color="#0000FF">良い時間を送れた</font>　と思うのです<br><br>そしてそういう映画にできたのは、ももクロさんだったからかもしれません（合掌）<br><br>お台場で夕方みたのですが、公開日だというのに残念ながら、観客は自分たち以外には5－6組しかいなくて、映画館の人たちも、耳慣れなかったのか、題名いう度に、一瞬固まられるという感じがあり、ももクロという話題性を考えると、少し残念でした<br><br>でも、たぶん、今後もそんなには増えないんじゃないかなぁ<br><br>「ちょーたのしかったー！」とかいうのとも違うし、どちらかというと自分も、静かな日本のヒューマンドラマ的扱いして、たまたまこんな精神状態にある人たちが、この映画に出会えて心にポッと灯りがともるような、そんな一期一会的な映画になってくれたらなぁって思って<br><br>数少ない（本当に）このブログの読者は観てくれたらうれしいなぁ<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=29314737" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">幕が上がる (講談社文庫)/講談社<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51TrDTlZcFL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥745<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<pubDate>Sun, 01 Mar 2015 22:48:48 +0900</pubDate>
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<title>忘年会</title>
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<![CDATA[ 今年は自分の周りに色々な形のない嵐が吹き荒れていたため、自分、自分と他者、自分と社会、社会の中の自分、について考える年になりました<br><br>3人の作家の意見に支えられました<br><br>まず自分については、自己・自分とは何かという哲学的な問題もそうですが、どのように管理できるのかという実務的な面で<br><br>平野啓一郎　私とは何か（夏に一度紹介しました）<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=28839491" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)/講談社<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F31-gfEbWQtL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥799<br>Amazon.co.jp<br><br>様々な外的ストレスや環境の中で自分を曝していると、必ず“自分”をその他者・社会・環境の中で位置づけておきたくなります<br>仕事や関係がうまくいっていない中だと自分を否定的に置いてしまうこともしばしばある<br><br>この自分は常に他者・外部との接点の中で相対的に生み出される“自分”であり、“自分”という言葉の中に存在する全ての“自分”ではない<br><br>そう考えることで、行き詰った“自分”を“そのうまくいっていない外界と接する自分”として客観的な場所に置き、無限に生じ得て、救いのある“自分”を見つけていく猶予をつくることができる<br><br>そんな自己管理の危機に際しての“あそび”をつくってくれるような、そんな概念を見出せました。<br><br>他者との関係について<br><br>平田オリザ　わかりあえないことから<br>　　　　　　DVD　御前会議、ヤルタ会談<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=28839490" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)/講談社<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F31uHZqV%252BV3L._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥799<br>Amazon.co.jp<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=28839489" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">平田オリザの現場 18 御前会議 [DVD]/紀伊國屋書店<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F21CK27H1W9L._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥5,184javascript:void(0);<br>Amazon.co.jp<br><br>人間らしさとは何かを追究する平田オリザの他者とのコミュニケーションの成り立ちについての本。<br>演劇という実際的な“実験”から見えてきた他者との関係、そしてその関係性から成り立つ社会が、“介入”を通してどのように向かっていくのか<br>御前会議・ヤルタ会談はまさに戦争という究極の“介入”の中で反応がどう進んでいくのか、リアルタイムで観察できる<br><br>コミュニケーションという反応の過程を理解することで、今の現状の中で自分がどういう位置付けにいるかを判断できるようになる気がしてきました<br><br>最後に、さて、その自分の周りの不可解な環境、ストレスとはそもそも一体どういう病理なのかを考える参考になったのが、<br><br>内田樹　邪悪なものの鎮め方<br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=28839488" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">邪悪なものの鎮め方 (文春文庫)/文藝春秋<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F410xsIug8zL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥734<br>Amazon.co.jp<br><br>最も怖いもの。<br>分からないこと。形が見たこともないわからないお化けでもよいが、それは時として形のないものであったりする<br><br>他者との関わりの中で、その“わからない”＝自分の常識・価値観では理解しがたいものが自分に介入してくることがある。<br><br>その“わからない”ものがどうして“わからない”ものであるのか、“わからない”ものはこわいもので居続けるしかないのか<br><br>そこの判断に気付く“敏感さ”が重要だと説きます<br><br>そこを磨くことで例え自分にとって不都合な影響を与える“もの”であっても、こわいものにはならなくなりえる<br><br>そんな社会を生き抜く上での強力な応援のメッセージを感じ取りました<br><br>さて、結局、今の自分の周囲を吹き荒れる嵐に自分は立ち向かえるのか、乗り越えられるか、これは結局自分の内面次第であるということに行きつく<br><br>でもその考え方、置き方を少し整理できた気がします
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<pubDate>Tue, 23 Dec 2014 17:34:12 +0900</pubDate>
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<title>震災を越えた私達の倫理・行動規範はどこにむかっていくのか</title>
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<![CDATA[ 最近、自分の利益のために相手に迷惑をかけたり、傷つけたりしていることに慣れてしまっている、なんとかなると思っている、あるいは気づかないヒトに多く遭遇するようになりました<br><br>生きていくのにこういう利己的な面はやはり必要なのだろうか<br><br>利己的であっても相手や周囲の人への思いやりを両立させることはできるんじゃないだろうか<br><br>こういう疑問を抱くことがあまりにも多いのです<br><br>震災以後、絆、助け合いに対する美意識が芽生えた日本<br><br>絆とか助け合いって相手に良い影響を及ぼす行為といえますが、そこには自己犠牲や自己への影響・利益といった自分へ向けての作用にはゆとりがあります<br><br>しかし思いやりというのは相手の立場に立ってみてそのとき相手になった“自分”が受けた作用について、良いのか悪いのか判断し、その上で相手へ影響を与える、こんなやや面倒くさい過程を経ねばならないわけで、そういう意味で絆や助け合いよりも一歩ハードルは高いことなのかもしれません<br><br>そもそも思いやりが通念としてまかり通っている国なんてありません<br><br>でも実は日本はあったんだと思います。<br><br>これが“おもてなし”でしょう<br><br>オリンピック招致ではこの一歩高いハードルを世界の中で掲げました<br><br>しかし一方、民の意識が2020年までに成長できるのかはやや疑問を感じる、そんな私の最近です<br><br><a target="_blank" href="http://mental.blogmura.com/ranking.html"><img border="0" width="88" height="31" alt="" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fmental.blogmura.com%2Fimg%2Fmental88_31.gif"></a><br><a target="_blank" href="http://mental.blogmura.com/ranking.html">にほんブログ村</a>
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<pubDate>Sun, 07 Dec 2014 16:21:34 +0900</pubDate>
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<title>後になって気付くこと</title>
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<![CDATA[ 久々です<br><br>最近引っ越しをしました<br><br>片づけをしていて、恩師の若かりし頃の仕事（をまとめた書物）をみつけました<br><br>実はこれ恩師が昔職場を辞められる際、別刷りしてあったその書物を職場のゴミ捨て場に積んであったのをもったいないと思って一冊くすねていたものだ<br><br>その書物に記載されているのは今から20年以上も前に恩師が中心となってされた仕事。つまり自分がまだ小学生でこの世でこんなことが考えられているとはよもや考えつかない頃の話。<br><br>そういう仕事に携わるようになって、くすねたのは3年前。しかしその書物の内容は当時よくわからなかったし、直接自分が関わってくるとは思っていなかった。<br><br>当時はその先生の仕事とその後の自分が同じ目的を追い求めることになるなんて全く思いもしなかった<br><br>今、自分は大きな壁を前に、日々苦悩している　もちろん自分にとっての大きな壁なのだが<br><br>そんな中の書物の発見である<br><br>恩師の功績の意味が今になって少しわかってきた　<br><br>いや、わかってきたなどとまだいえない<br><br>内容の片鱗に触れるようになってきた自分の立ち位置に気付き始めた<br><br>そんなところだと思う<br><br>今心から恩師から指導をいただきたいと思う<br><br>若くしてこの世を去った恩師の死は無念でならない<br><br>改めてご冥福を祈る
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<pubDate>Sat, 06 Dec 2014 23:05:07 +0900</pubDate>
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