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<title>terumimoaのブログ</title>
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<title>日本語とビジネス</title>
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<![CDATA[ 仕事での大きなストレス要因は上司との関係だ。 <br>上司の指示方法が誤りだったために、仕事で失敗することはよくある話で、 <br>誰でも経験することである。 <br>「俺はそんなことを指示した覚えはないぞ」と責任逃れする上司も珍しくない。 <br>その場合、結局部下が責任を取る羽目になってしまうのである。 <br><br>現代は何でも電子メールを使うため <br>コミュニケーション不足が起きている、といわれている。 <br>だが仕事でのコミュニケーションは記録に残しておいた方がいいだろう。 <br>電子メールは上司の指示が妥当だったのかどうかの大きな判断材料になる。 <br>全ての指示を電子メールで行うことはできないが、 <br>重要な案件は電子メールで指示するべきだ。 <br>事後、上司が責任逃れすることを防ぐのが目的だ。 <br><br>日本語の下手な人が口頭で説明すると誤解を招く。 <br>上司の下手な日本語のせいで失敗する例はとても多いのだ。 <br>かつて自分が分からなかったことをすっかり忘れてしまい <br>部下が分からないと「お前こんなことも分からないのか?」と叱る上司もいるが、 <br>そういう記憶力の低い上司に限って日本語が下手でろくな説明もできないのだ。 <br>自分の説明に間違いがあったのに <br>理解できない方が悪いと責任転嫁する上司のせいで部下は大きなストレスを抱えるのである。 <br><br>新しい仕事を覚える時も <br>口頭で説明を受けるより電子メールを読む方がより理解しやすい。 <br>日本語が下手な上司が説明すると誤解を与えるのだ。 <br>日本語というのはコミュニケーションを阻害する要素がある。 <br>海外の日系企業が日本語を話す現地社員を雇う場合でも <br>日本語の他に英語が話せると大変有用である。 <br>なぜならその社員に指示を与える場合に英語の方が理解しやすいからで <br>日本語での指示は誤解を招きやいのだ。 <br>日本人同士でも日本語でのやり取りが難しいのだから当然である。 <br><br>日本人は非常に難解で曖昧な言葉を使って仕事をしているせいで <br>ストレスが倍増するのである。 <br>日本語は本来ビジネスに都合の悪い言語であることを忘れてはいけない。 <br>つまり仕事を指示する能力を評価する前に <br>日本語を話す能力を評価するべきなのである。 <br>
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<link>https://ameblo.jp/valaxan/entry-11767673451.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Feb 2014 15:57:06 +0900</pubDate>
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<title>ステップ・バイ・ステップ</title>
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<![CDATA[ 英語の発音は日本人にとっては難解かも知れないが、それは意外と大雑把である。 <br>他の言語と比較して訛りの許容範囲が広いのだ。 <br>イギリス連邦に所属する国々の人たちの英語の発音を比べてみるとかなり違うが <br>それでも通じてしまうものだ。 <br>だから日本人の下手な英語でも全く通じないことはない。 <br>日本人は見栄っ張りだから <br>下手な英語を話すくらいなら話さない方がましだと考えている。 <br><br>しかし下手な英語でも堂々と話す外国人は多い。 <br>相手が理解できない場合、相手のせいだと考えるのが普通だ。 <br>自分の英語が下手だとは考えないようだ。 <br>だがそのくらいの自信がないと英語は話せないだろう。 <br><br>私はいろんな国に行き、 <br>そこでいろんな英語を聞いた。 <br>当然その国の訛りがある。 <br>最も理解が難しいのは子音を発音しない言語を話す人たちの英語である。 <br>ベトナム人に「ドヨアンダタン？」と訊かれたことがある。 <br>「分かったか?（ドゥ　ユー　アンダースタンド？）」という意味だと分かったのは10分後だ。 <br>分かったどうかを訊くその質問自体が分からないのだから <br>私たち二人の会話を他人が聞いたらまるで喜劇だろう。 <br><br>だがベトナム人の姿勢には見習うべき点がある。 <br>たとえ笑われようとも必死になって英語を話そうとする姿勢は立派である。 <br>英語は話すことから始めないと次のステップはない。 <br>「ステップ・バイ・ステップ」の意味を理解することが第一歩だ。 <br>
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<link>https://ameblo.jp/valaxan/entry-11767671284.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Feb 2014 15:55:22 +0900</pubDate>
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<title>中傷論</title>
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<![CDATA[ 恋人に対しての言動で後悔することは多く <br>取り返しのつかない問題に発展する場合も少なくないが <br>相手の親を侮辱することが最も大きなダメージを与えるだろう。 <br>本人の悪口よりも大きく傷つけることになるはずだ。 <br>昔、おばさんは近所の子供を叱った後で <br>「全く親の顔が見てみたいもんだ」と放言したものだ。 <br>何か問題が起きるとすぐに親と結び付けて考えるのは日本人の悪い癖である。 <br><br>恋人の親への中傷ならそれで恋愛は終了だ。 <br>そして結婚後の場合は離婚に発展する可能性がある。 <br>日本人は儒教に影響を受けているために <br>「親を非難するということは自分の根幹を否定することと同じだ」と考えてしまうのだ。 <br>一番言ってはいけないのは <br>「親の躾けが悪いからお前みたいな大人になったんだ」とか <br>「蛙の子は蛙」などと親の人格と結びつけて子の人格を無視する言動だ。 <br>親の人格と子の人格は全く別である。 <br>性格が似る場合もあるし似ない場合もある。 <br>しかも似るといっても一部であり全部ではない。 <br><br>だが切っても切れない関係にあるのが親子関係である。 <br>親を否定したいくらいなのに、 <br>他人から親を否定されるとひどく傷つく。 <br>複雑な親子関係であるからこそ微妙な問題だ。 <br>人の人格を否定することはできない。 <br>ましてや親子関係を持ち出すことは言語道断である。 <br>人を中傷する場合、その時の言動だけに限定するべきだろう。
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<link>https://ameblo.jp/valaxan/entry-11767670279.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Feb 2014 15:54:07 +0900</pubDate>
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<title>一流の民主国家になれない理由</title>
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<![CDATA[ 天皇誕生日は「西暦」の12月23日である。 <br>しかし日本の皇室の歴史は長く、キリストが誕生する前から存在する。 <br>元来の暦は「西暦」とは異なる。 <br>本来なら本日は12月23日ではなく、 <br>今年は2013年ではなくて2673年のはずである。 <br><br>何故「西暦」で天皇の誕生日を祝うのか？ <br>それは現在の天皇制が明治天皇即位の時に発足したたもので、 <br>江戸時代までの天皇制とはまるで違うものだからだ。 <br>伝統を継承するのなら、江戸時代までの天皇制に戻さないといけないだろう。 <br>もちろん側室制度も含めてのことだ。 <br><br>では何故制度が変わったかといえば <br>長州藩が徳川幕府を打倒し、新政権を樹立したからで、 <br>皇室を西洋の王室に倣うために改造してしまったのである。 <br>そして政治体制の基礎も長州藩が作った。 <br>今の政治腐敗、政治家の世襲制の根源は長州藩にあるといえるだろう。 <br>作家の司馬遼太郎のおかげで長州藩の藩士たちは英雄扱いされているが <br>果たしてそうだろうか？ <br><br>今の政治家たちのルーツを辿っていくと長州藩に行き着く。 <br>長州出身の政治家が「勝者の歴史」を作ったため <br>国民は皆あたかも長州藩が正義であったかのような錯覚を持っているが、それは正しくない。 <br>もし長州藩がそんなに立派だったら <br>日本は一流の民主国家になっているはずだ。 <br>政治家は国民を「仕事が生きがいだ」と洗脳して <br>休みもろくに与えず働かせるだけ働かせている。 <br>経済では一流国家でも政治では二流国家のままだ。 <br>そして安倍首相の祖父・岸信介は満州国でのアヘン生産によって戦費を捻出している。 <br>日本が連合国相手に戦争を遂行できる根拠がアヘン政策だったのだ。 <br>国民は長州出身の政治家に翻弄され続けてきたのである。 <br><br>日本人は真実を知り、 <br>天皇制について深く考えてみるべきだろう。 <br>
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<link>https://ameblo.jp/valaxan/entry-11767668187.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Feb 2014 15:50:09 +0900</pubDate>
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<title>決定的事実</title>
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<![CDATA[ 男は基本的にハンターとしての特性を持つ。 <br>女は男にとって狩の獲物なのである。 <br>一人の女を所有すれば、別の獲物を求める習性がある。 <br>つまり浮気されない女とは男の所有物にならない女をいう。 <br><br>男は女に従順であることを欲する。 <br>女が従順になれば所有が完了したということだ。 <br>所有が完了出来れば次の獲物を探す。 <br>それが基本的な男の習性である。 <br>人間は動物の一種だからだ。 <br>もし男に浮気されたくなければ <br>「所有物になってはいない」と常に訴える必要があるだろう。 <br><br>一夫多妻は日本の伝統であった。 <br>いうまでもないが日本だけではなく他の多くの国でもそうだ。 <br>何故、日本の伝統が滅びたかといえば <br>欧米のキリスト教文化によって駆逐されたからである。 <br>日本の憲法はアメリカ人が作ったといわれているが <br>キリスト教の思想を基に法を作ったのだから政教分離とはとてもいい難い。 <br>一夫一妻はキリスト教世界の考えだ。 <br>政教分離を完璧に実行すると、一夫一妻は憲法違反に該当する。 <br><br><br>キリスト教には「人間は動物ではない」という考え方があるけれども、 <br>それが人間を傲慢にしているのだ。 <br>そして人間に対する理解を難しくしているといえる。 <br>「人間の行動には必ず合理的な理由が必要である」というキリスト教の世界観に支配されると、 <br>世の中で起きることの本質を見誤るのだ。 <br>心理学の根底にはキリスト教の思想があるため、心理学に依存し過ぎると、 <br>人間が動物の一種であるという決定的事実を見落としてしまうのである。 <br><br>人間はシンプルに生きることが自然である。 <br>人間の能力は人間が考えているよりも小さい。 <br>24時間で出来ることはたかが知れている。 <br>古代人が1年間でやっていたことを、たった24時間でやろうとしているのが現代人だ。 <br>プロテスタンティズムの倫理を妄信すると人間の能力を過大評価してしまう。 <br>人間は身の程を知らないといけない。 <br>そして人間が動物の一種である事実を受け入れなければならないだろう。 <br>男と女は別種だ。 <br>日本人の男は日本人の女とは別種で <br>日本人の男は外国人の男と同種なのだ。 <br>それは決定的事実である。
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<link>https://ameblo.jp/valaxan/entry-11767666566.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Feb 2014 15:48:17 +0900</pubDate>
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<title>長くて短いリニア時計</title>
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<![CDATA[ 人間の一生は始まりがあり,、そして終わりがある。 <br>永遠ではないのだ。 <br>つまり人生の時計は円形ではない。 <br>「輪廻転生」を信じている人は、生まれ変わるつもりだから <br>彼らの人生の時計は円形で時間は永遠に続くだろう。 <br>だが生まれ変わりを信じない人に対して、 <br>時間は永遠ではなく、いつか時計の針は止まる。 <br>彼らの人生の時計は線状なのだ。 <br>「時間には限りがある」という意識があれば <br>円形でない人生の時計の存在を知るはずだ。 <br>ビートルズの「恋を抱きしめよう We can work it out」という曲の歌詞を見るとこう書いてある。 <br>「Life is very short　and there is no time」 <br>そう、ジョン・レノンは死んだのだ。 <br>突然、彼の時計の針は止まった。 <br>彼は輪廻転生を信じていなかったはずだ。 <br><br>何年か前、あるNHKディレクターの闘病生活を追った番組を見た。 <br>申し訳ないが、私は彼を見て違和感を覚えた。 <br>何だかとてもカッコつけているように見えてしまったからだ。 <br>死ぬまで「いい人」を演じていたい、という彼の欲望を見てしまったのだ。 <br>常に前向きで、他人を気遣う余裕を持ち続け、放置した仕事のことを非常に気にして、 <br>「もう一度仕事をするためには死ぬことはできない」という。 <br>立派過ぎて私の様ないい加減な人間には共感できないのだ。 <br>もしかするとテレビカメラの前だから建前を話しただけで、本音は別だったかも知れないが。 <br>残された時間は少ないのだ。 <br>わがままを言ってもいいではないか？ <br>人のことばかり考えてないで <br>自分のことを第一に考えてもいいではないか？ <br>そして、もし寿命が延びたら、 <br>仕事なんか忘れて遊べるだけ遊べばいいではないか？ <br>私は彼を見てそう思った。 <br><br>ジョン・レノンは死ぬまでの数年間、育児に専念している。 <br>小野洋子が仕事をしていたからだ。 <br>彼らしい自然で正直な生き方をしていたそうだ。 <br>もし仕事だけの生活をしていたら、 <br>彼の子どもは父との思い出は少なかったはずだ。 <br>本来、人間はわがままな生き物だ。 <br>自然に、そして正直に生きることができたら悔いはないだろう。 <br>人間らしく生きて人間らしく死ぬことができたら、自分に対する評価など無用だ。 <br>自分自身にとって自分が「いい人」なら、それ以上に望むものはないはずだ。 <br>
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<link>https://ameblo.jp/valaxan/entry-11767665129.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Feb 2014 15:44:12 +0900</pubDate>
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<title>常識を覆せない理由</title>
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<![CDATA[ 反捕鯨は世界的な潮流である。 <br>捕鯨禁止は常識になっているのだ。 <br>先ずそれを理解するべきだろう。 <br>冷静になって考えてみればいい。 <br><br>日本政府の主張は <br>「近年保護を続けたおかげで生息数は増えて保護の対象にはならないし、 <br>鯨が魚を食べてしまい今度は魚の数が減ってしまっている」というものである。 <br>きちんとした調査結果であるのなら日本政府の主張は理解されるべきだ。 <br>しかし国際社会はそうとは認めない。 <br><br>石川好の本には <br>「鯨の脳から抽出される油が <br>ある兵器を作るためには欠かせないもので、 <br>その権益を巡って各国の思惑が絡んでいる」と書かれている。 <br>本当かどうか分からないが、鯨でこんなに目くじら立てるということは <br>何か裏があるに違いない。 <br>そして反捕鯨団体に資金援助をする人は何か怪しい臭いがする。 <br>だが反捕鯨の流れは強固で日本やがいくら頑張っても <br>その流れに逆らうことはできないだろう。 <br>負け戦をしても意味がないのだ。 <br><br>捕鯨支持をする人で鯨の肉の味を知っている人がどれほどいるのだろうか？ <br>鯨の肉がないと生きていけない人が果たして何人いるのか？ <br>日本人は何でもかんでも食べたがる。 <br>特にオーストラリア人みたいに味音痴で <br>「エバラ・焼き肉のたれ」を付けないでそのまま肉を食べる人から見たら <br>なぜ日本人はそんなに食べるものにこだわるのか、理解できないに違いない。 <br>つまり鯨が食べられないからといって騒ぐこと自体がバカげている。 <br>私はなぜか「フリーチベット」を叫んだ人を思い出してしまった。 <br>日頃チベットの事なんか全く頭の中になかったのに <br>ある日突然にチベットの味方をする人のことだ。 <br>鯨の味も知らず「捕鯨禁止に反対」と叫ぶのと同じではないか？ <br><br>他にもたくさん安くておいしいものがあるというのに鯨の肉に執着する有様は見苦しい。 <br>食べることになると日本人は冷静さを失ってしまうようだ。 <br>よく考えてみた方がいい。 <br>捕鯨禁止に反対することは国益に適うのかどうか？ <br>そして負け戦をする覚悟があるのかどうか？ <br>勿論、調査捕鯨を妨害するための違法行為に対して <br>裁判に訴えなければならないのはいうまでもない。 <br><br>常識というものは厄介だ。 <br>常識を覆すことは至難の業である。 <br>人間は思い込みで人生を生きるからだ。 <br>捕鯨禁止は世界の常識になっていることに早く気付くべきだろう。 <br>
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<link>https://ameblo.jp/valaxan/entry-11767570946.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Feb 2014 13:28:57 +0900</pubDate>
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<title>人間集団の法則</title>
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<![CDATA[ <font color="#003366"><br>日本では一般的に「仕事で忙しい人=金持ち」とされているが <br>おかれている状況は様々だ。 <br>自営業や自由業の人、歩合給の会社員と固定給の会社員とでは全く環境は異なる。 <br>忙しいことが高収入に直結するなら <br>忙しいことに大きな不満はないだろう。 <br>私は歩合給で仕事した経験があり <br>月に50万円稼いだこともあるが <br>忙しいことが苦痛とは感じなかった。 <br>歩合給だから必死に働いたのであり <br>固定給なら給料分しか働かなかったはずだ。 <br><br>固定給で働いている人は、ただ仕事をやらされているだけであって <br>具体的な目的がなければ <br>日々の業務を淡々とやり過ごしているだけだろう。 <br>その忙しさは苦痛でしかないはずだ。 <br>「忙しい人は短時間でたくさんのことをこなす能力を身につけることができる」という人がいるけれども <br>それではどんどん他の仕事が舞い込んできて更に忙しさが増すことになるだろう。 <br>テキパキ仕事をこなす人は重宝されるが、必ず見返りがあるとは限らない。 <br>上司がそのことに関心を持ち、賞与として報酬があればいいが、 <br>上司がそれを無視すれば何の意味もない。 <br>「骨折り損のくたびれ儲け」でしかないのだ。 <br><br>最も重要なポイントは健康問題だろう。 <br>忙しい人は健康を害する可能性が高い。 <br>健康は金で買うことはできない。 <br>いくら月収が50万円あったとしても、病気になってしまったら、かえってバカを見る。 <br>重病になるくらいなら、収入0円のニートの方がマシだ。 <br>家族としても過労死してしまうくらいなら <br>ニートでいてくれる方が遥かにいいだろう。 <br><br>そして忙しい人が経済的に豊かであるとは限らない。 <br>借金があれば決して生活は楽ではない。 <br>家のローンの支払いがあれば給料がよくても生活は大変で、 <br>子供が二人以上いれば余程の高収入でなければゆとりはないはずだ。 <br>しかも忙しいと家族との関係にヒビが入りやすい。 <br>心にゆとりを持たないと、いつも緊張状態にあり、 <br>些細なことにも神経質になって精神をコントロールするのが困難になる。 <br>社内での顔と家庭内での顔がまるで正反対、という人もいる。 <br>だから会社ではまじめに働いていた人が家族を殺したりすると、 <br>会社の同僚は驚くが、それだけ会社では我慢を強いられていたということだろう。 <br><br>人間の集団とは上手くできているもので <br>怠ける人がいると必ず一生懸命働く人が出てくる。 <br>そうやってバランスが維持されるのである。 <br>忙しい人というのは左右のバランスの一方に過ぎないのだ。 </font>
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<link>https://ameblo.jp/valaxan/entry-11767567567.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Feb 2014 13:22:07 +0900</pubDate>
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<title>記憶変化と願望固執</title>
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<![CDATA[ 私の知人Mは記憶違いが甚だしい。 <br>主語と動詞が記憶装置の中で乖離し <br>別の主語と入れ替わってしまうため <br>私が彼に話したことを彼は私に話す。 <br>例えば私がヴィザと在留資格との違いについて彼に話したとする。 <br>暫くして彼に会うとこう言うのだ。 <br>「ヴィザと在留資格が違うって知ってた？ <br>ヴィザというのは外務省が発給するもので <br>在留資格というものは法務省が発給するものだよ」 <br>それは数週間前に私が彼に教えたことなのだ。 <br>彼と初めて会った場所についても彼は記憶違いをしていて <br>私はその誤りについて彼に正したことがある。 <br>その時は納得するみたいなのだが <br>数週間するとまた最初に話したことを言う。 <br>一度記憶装置に入力されたデータは <br>それが間違っていても修正することが困難なのだ。 <br><br>そんな記憶装置の障害を持つ人をベトナムでたくさん見た。 <br>一度「AはBである」というデータが記憶装置に入力されると修正が効かない。 <br>「1年間前に日本に行きました」と日本語を学ぶベトナム人が言ったとする。 <br>「1年間前ではなくて1年前ですよ」と教え、 <br>その時は納得するらしく <br>「ああ、そうですか？それは知りませんでした」と言うのだが <br>数週間するとまた <br>「1年間前に日本に行きました」と言うのである。 <br>一度入力されたデータを修正することは相当難しいようだ。 <br><br>彼らの特徴は思い込みが激しいことである。 <br>人の話を最後まで聞かずに最初に聞いたキーワードから勝手に推察してしまうのだ。 <br>そして一度入力されたデータを修正するのが困難である。 <br>彼らにとって人の話が合理的かどうかは問題ではない。 <br>話し手に対して愛情もしくは同情があるかないか、それが大きな問題だ。 <br>好意を寄せる人の話は無条件に信じ <br>そうでない人の話は信じないのである。 <br>それはMについてもいえる。 <br>彼はとても思い込みが激しい。 <br>アメリカの大学で勉強したのだが <br>その時、アメリカ人の教授にバカにされたことがきっかけで <br>大のアメリカ嫌いになってしまった。 <br>それから「世界中で起きる諸問題の元凶はアメリカにあり <br>全てアメリカの陰謀である」と定義するようになった。 <br>だから都合のいい情報しか抽出しない。 <br>TV、新聞とは縁がなく全てネットで情報収集するため、 <br>抽出する情報は常に偏っていて <br>自分が求める情報しか頭の中に入れない。 <br>不要と判断する情報には拒絶反応を示す。 <br>一見、全く普通の人なのだが、 <br>よく話してみるとかなり変わった人だということが分かるので、彼の友人も変人ばかりだ。 <br>彼は自分を常人と思っているようで <br>友人たちについて「ちょっと普通じゃないからねぇ」というのだが <br>私から見ると彼が一番変わっている。 <br><br>だが人間は基本的に記憶を塗り替えるのが好きな生き物だ。 <br>誰でも主観を持っているのだから <br>物事を客観的に見ることなどできはしない。 <br>何が正しいのか？ <br>それはそれぞれの主観で判断するものだ。 <br>主観でしか物事を見ることができないのであれば <br>記憶装置に入力されるデータも主観によって変質するのが自然だろう。 <br>頭の中にもう一人の自分を創り、 <br>「このデータは間違っていないか？」といつも疑う必要がある。 <br>自分を過信すると、常にデータは正しいことになり <br>修正する必要がなくなってしまう。 <br>Mは自信家で自分は頭が良いと思い込んでいる。 <br>だから人に対して常に自分が先生役を演じる。 <br>教える人でなければ満足しなくて <br>教えられるのをとても嫌う。 <br><br>「人間の頭は良い」と信じられるとは、本当に信じられない。 <br>そして「人間は客観的に物事を見ることができる」と <br>信じている人がいることも私には信じられないことだ。
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<link>https://ameblo.jp/valaxan/entry-11767564496.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Feb 2014 13:19:35 +0900</pubDate>
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<title>チョコレートとラーメン　無意味比較論</title>
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<![CDATA[ 数十年前までの日本人は結婚相手を複数の中から選択することはしなかったし、 <br>以前交際した恋人と比較することもしなかった。 <br>見合いで結婚するまで恋愛経験がなくて比較しようがなかったし、 <br>情報も少なく自分が相対的に幸福なのかどうか知る由もなかった。 <br>自由恋愛のシステムはなく、親が決めた相手と添い遂げるしかなかった。 <br><br>今では初めての恋愛相手が結婚相手になることはない。 <br>個人差はあるが数人以上の恋人と交際した後、 <br>本人の自由意志によって結婚する相手を選択するが、 <br>人間はそれぞれ別々の個性を持つので比較することは <br>「チョコレートとラーメンはどちらがおいしいか？」と比べるようなものだ。 <br>チョコレートとラーメンを同時に食べてみて <br>「さて、どちらがおいしいだろうか？」と考えるのだ。 <br>そんな意味のないことをするのが人間である。 <br><br>結婚後、尚比べ続ける子供のような人もいる。 <br>過去の恋人と現在の配偶者とを比較するのである。 <br>それはあまりにバカバカしいことだ。 <br>そしてそれを口にする人さえいる。 <br>そうなったら夫婦生活は成り立たないだろう。 <br>破局するより他にないはずだ。 <br><br>人間はそれぞれ別々の個性を持つ。 <br>それを比べることは「商品」としての価値しか見ていない、ということだ。 <br>人間を「商品」として扱う者は <br>人生を生きる意味を知ることなく <br>人生を台無しにしてしまうだろう。 <br>
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<link>https://ameblo.jp/valaxan/entry-11767562895.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Feb 2014 13:17:48 +0900</pubDate>
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