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<title>very50 現地レポート</title>
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<description>東北・関東大震災について、被災地に入ったスタッフから被災地の現状と復興への思いを発信します。</description>
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<title>＜仙台市の状況②―日常の風景とライフラインの復旧―＞</title>
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<![CDATA[ <font size="3">東北地方の学生が抱える就活の悩みを共有するという主旨で東北大学の学生と会談。被災地の経済的格差を防ぐためにも、彼らの就活が不利にならないように日本全体で考える必要がある。ところが、もともと東北地方の学生の8割は東北地方内での就職を考えていて、都心や海外の企業で働くことをあまり想定していないという。震災の影響としては、東北内の多くの中小企業が震災の影響で経営の継続が厳しくなっている状況から、傾向として大企業や公務員志望の学生が増加しているという。被災後も稼働している東北内の企業だけで失業者や学生の全てを吸収することは難しく、東北の学生は他県の中小企業や海外へ飛び出すといった根本的な人生設計の転換を迫られている。<br><br>今回話を聞かせてもらった学生は震災後真っ先にボランティアへの参加を呼び掛け、各地のボランティアセンターの指示に従って行動したり自主的に人手を必要としている場所を探して駆けつけたりしていた。将来は起業して地元の雇用を増やしたいと意気込んでいる。<br></font><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110411/01/very50report/e0/b0/j/o0640047611159157215.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110411/01/very50report/e0/b0/j/o0640047611159157215.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br>
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<pubDate>Mon, 11 Apr 2011 01:52:56 +0900</pubDate>
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<title>＜仙台市の状況①―日常の風景とライフラインの復旧―＞</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110411/01/very50report/01/b8/j/o0448033511159157213.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110411/01/very50report/01/b8/j/t02200165_0448033511159157213.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><font size="3">グラウンド・ゼロの海岸線を歩いた余韻が消えないまま、南三陸町から直接仙台へ戻ることになった。東北自動車道は被災から2週間後には全面的に復旧している。仙台市に戻ると、ガス以外のほとんどのライフラインが復旧していて、日常の生活が戻りつつあった。駅周辺の町並みも27日まで営業停止しているところが多かったが、人通りの多いアーケードでは「私たちは負けない」「がんばろう東北がんばろう日本」といった横断幕を掲げて商店街を盛り上げていた。早くから24時間営業を再開していたインターネットカフェでは震災の影響でネットやテレビにアクセスできない人たちが情報収集する場としても機能していた。28日から駅前のダイエーも食料品や日用品を中心に再開し、入り口前には絶えず行列ができていた。ガスは全国から職員を集めて急ピッチで復旧作業に取り組んでいる。4月に入っても復旧には至っていないが、市内の銭湯は毎日午後の3時間限定で営業している。しばらく全ての鉄道を運休していた仙台駅でも、仙台～山形間を繋ぐ鉄道ルートが4月3日に復旧を果たした。</font><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110411/01/very50report/4a/74/j/o0640047811159157214.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110411/01/very50report/4a/74/j/t02200164_0640047811159157214.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br>
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<link>https://ameblo.jp/very50report/entry-10858113307.html</link>
<pubDate>Mon, 11 Apr 2011 01:44:25 +0900</pubDate>
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<title>＜南三陸町の状況②―最大被害の町の避難所生活―＞</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/18/5f/j/o0448033611149039875.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/18/5f/j/t02200165_0448033611149039875.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><font size="3">その後車で10～15分ほど離れた志津川中学校や10km近く内陸にある入谷小学校にも訪問。こちらは日没後には消灯状態になる。生活に必要な物資はベイサイドアリーナからではなく、他県からの支援物資が直接ここに十分届いているらしい。入浴はグループごとにベイサイドアリーナまでバスで行く流れになっている。意外だったのは、ベイサイドアリーナに移りたいという人よりも、むしろベイサイドアリーナの人でこちらに移動したいという人ならいるかもしれない、という避難者たちの認識だ。というのも、中学校では教室に分かれてそれなりの生活空間が与えられているが、ベイサイドアリーナでは多くの機関と物資の本拠地という役割があるため避難者は基本的に廊下に段ボールを敷いて生活している。人口が密集しているだけにプライバシーの問題の他、テレビやトイレといった公共物の占有度も低く、特別に住環境が良いというわけではないようだ。<br><br>生死を分ける物資の支援が十分に行き届いた避難所では、下着類や掃除のためのゴム手袋といったあまりすぐ思いつくものではない日用品の需要が意識され始めている。とはいえ衣類や毛布といった物資は十分といえる一方で、日々消費していく消耗品については当面の必要量を確保したとしても今後いつまで支援による供給体制が続くのか、皆不安を抱えている。<br></font><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/80/c3/j/o0336044811149039874.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/80/c3/j/t02200293_0336044811149039874.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br>
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<pubDate>Sat, 09 Apr 2011 12:16:11 +0900</pubDate>
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<title>＜南三陸町の状況―最大被害の町の避難所生活―＞</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/8a/7a/j/o0448033611149039868.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/8a/7a/j/o0448033611149039868.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><font size="3">29日午後6時。最も被害が大きいとされる南三陸町志津川周辺に到着。宮古や石巻のように自宅や商店の瓦礫・泥を除去することで現地の方が従来の生活を再開することを前提にしている被災地と異なり、この町の被害は個人の意志でどうにかなる次元ではない。住民の半分以上の方が亡くなったか今も行方不明で、助かった方も家と職を失い移住を迫られている。被害を免れ経済活動を継続できるはずの農家や商店の方も震災に伴う諸条件の変化を受けて今後重大な経営判断を迫られるかもしれない。つまり町としての存続も難しい状態になっている。もちろん現段階では町の再建か移住かといった問いに答えは出ていない。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/75/81/j/o0640048011149039870.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/75/81/j/t02200165_0640048011149039870.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a></div><br><br>この周辺で最大の1500名が避難生活を続けているベイサイドアリーナへ。ベイサイドアリーナは、この震災がなければいわゆる税金の無駄遣いとして大いに叩かれていたであろう地域振興のための比較的新しい大規模な運動施設。ここには町役場、自衛隊、警察、消防、病院、マスコミ、海外部隊がそれぞれ本部を設置していて、アリーナの中には体育館の敷地を埋める物資量、さらに電気・暖房・トイレ・入浴・医療施設の全てが揃っている。トラックの荷台に乗せられた移動式のナイターのような照明が日没後も出入り口周辺の広い空間を強く照らしていて、文明社会が急きょ仮設されたかのようなステーションになっていた。現代社会の技術力、行政サービスのきめ細やかさ、全国からの支援、海外からの友好感情、避難者一人ひとりの誠実な気質、その全てがうまく機能してはじめて成り立つ空間だった。8時になると、班長の集合を呼び掛ける放送が施設中に響いた。避難者は各グループに分けられグループごとに班長を決めて、班員の状況確認と入浴や物資配給をスムーズに行うために適時簡単なミーティングが行われている。</font><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110408/07/very50report/9e/7a/j/o0640044411152870532.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110408/07/very50report/9e/7a/j/t02200153_0640044411152870532.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a>
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<pubDate>Fri, 08 Apr 2011 06:56:26 +0900</pubDate>
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<title>＜女川町の状況―被災地の病院の役割―②＞</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/74/9d/j/o0448033611149038245.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/74/9d/j/t02200165_0448033611149038245.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><font size="3">人手不足については非常に深刻で、病院の救命・治療活動を運営と支援物資の管理に追われる傍らで、浸水してしまった一階の整理に大きな労働力を必要としていた。特に救急の際担架で2階まで患者を運ぶ時や泥まみれになった電子機器や机椅子を外へ運び出すといった作業には男手が必要だった。この病院の受付があった一階では重要なデータ管理のこともあり、濡れた書類に慎重に目を通して捨てていいものとそうでないものを確認しなければならず、作業が進むのを遅らせていた。そんな中でも患者さんが見える度に、職員の方は絶えず笑顔で接して安心感を与えていた。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/92/d4/j/o0640048011149038246.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/92/d4/j/o0640048011149038246.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><br>29日午後、その日中には南三陸町へ向かうことになっていたので、街灯もなく危険ということで、日没前には病院を発つことになった。被災者の皆さんに食事は行き届いているということだったので、御礼といって渡してくれた野菜が入った手作りのおにぎりを素直に受け取り、時間をかけて味わいながら女川町を後にした。</font><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110407/14/very50report/29/17/j/o0539040111151346220.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110407/14/very50report/29/17/j/t02200164_0539040111151346220.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br>
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<pubDate>Thu, 07 Apr 2011 14:01:25 +0900</pubDate>
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<title>＜女川町の状況―被災地の病院の役割―＞</title>
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<![CDATA[ <font size="3">石巻市から女川町までは車で約20～30分。石巻市街地に比べて被害がより深刻だったのかそれともまだ復興作業の手がまわっていないのか、通り道の女川街道ではまだ多くの瓦礫が道路沿いに高く積み上がっていた。女川町に着くと、新聞やテレビで映し出されている被災地の中でも最も深刻な場所情景が目の前に広がった。ただテレビと違うのは、カメラの枠外にも視界360度にわたって廃墟が続いていること。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/94/bf/j/o0640048011149039869.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/94/bf/j/o0640048011149039869.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><br>この町を襲った津波の高さは約30m。鉄筋コンクリートの4階建てビルまで横転して少し離れたところまで流されていた。これまで活動してきた場所と異なり、瓦礫が山積みになっているという状況ではなく、建物の土台以外の部分が全て流されてしまっている。地盤沈下で水没してしまった区域もある。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/3e/c0/j/o0448033611149038249.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/3e/c0/j/t02200165_0448033611149038249.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><br>被災地を見渡せる高台の丘にある病院へ行くと、そこの一階も1m以上浸水していた。この病院では震災後も自家発電で2階以上が病院としての機能を継続しており、2週間以上一日も休まず負傷者の治療や病院の運営に従事し続けている人もいる。公共施設であり多くの被災者が通院または入院するということもあり、災害対策本部や避難所と並んで支援物資が直接届けられる場所でもあり、多くの食料や衣類といった物資が連日運びこまれている。届けられた物資の運搬仕分けに苦労しているといった、ネット上で溢れる現地の混乱ぶりが現在も進行中。<br><br>運搬や仕分けの人手の他にも、置き場所の問題や空になった段ボールの処理にも困っていた。段ボールはある程度たまったらまとめて焼却しているが、この作業にも労働力と時間がかかる。人手が足りず、医師や看護師がこれら全ての作業も担っていた。この段ボールの中身たちが被災者の手に辿り着くまでに、大阪の寄付者、東京のNPO団体、埼玉の運送会社、宮城の自衛隊、女川町の自治体、そしてこの病院の職員が関わっていると思うと、つい日本社会の深みに思いを馳せてしまう。と同時に、バランスの悪い物資の流れに多くの課題が生じていることも否めなかった。</font><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/11/67/j/o0448033611149038244.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110406/11/very50report/11/67/j/t02200165_0448033611149038244.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a>
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<link>https://ameblo.jp/very50report/entry-10853108616.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Apr 2011 11:44:21 +0900</pubDate>
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<title>＜石巻市の状況②―被災地の中の格差―＞</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110404/05/very50report/3a/8d/j/o0448031311144366423.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110404/05/very50report/3a/8d/j/t02200154_0448031311144366423.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><font size="3">津波の被害が甚大な海岸沿いの地域の中では町の規模としては特に大きい方のはずの石巻では、自衛隊やNGOだけでなく海外の救援部隊も含め多くの支援が集まっている。数百メートル離れた別の学校では電気が復旧していて避難者のために提供された灯油ストーブとテレビが各教室に一台ずつ置いてある。そこから徒歩数分の公民館は学校と違い教室のように何部屋もあるわけではなく一つのホールに多くの人が詰めて暮らしていて、衛生環境に問題がありそうな空気を感じた。4月以降は学校が再開されるに伴い、学校にいる避難者はこの狭い公民館に移ることになっているらしい。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110404/05/very50report/8b/1d/j/o0448033611144366426.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110404/05/very50report/8b/1d/j/t02200165_0448033611144366426.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><br>どういう基準で誰がどの避難所で生活することが決定されるのか、その答えは意外とシンプルだ。自宅から最も近いあるいは偶然被災した日にその避難所に辿り着いたといった理由で、それ以上でもそれ以下でもない。数分歩いた先の避難所の方が、明らかに生活条件が良いにもかかわらず、そうした避難所に移ることができないのは何故なのか。この答えもまたシンプルで、基本的に「生活活条件の良い避難所を選んで移動する」という行動原理が最初から選択肢にないようだった。もちろん皆がそうした行動原理で動いてしまうと大きな混乱が生じていただろうし、慣れた生活空間から飛び出して改めて人間関係や生活のリズムを整えるのは大きなエネルギーを消費するということもあるだろう。東京で買い占めが問題になっている時には東北にいてあまりその実態を知らないが、生活水準の低下を受け入れらない人がもしこの街にもたくさんいたのなら、避難所の運営はもっと混乱していたかもしれない。<br></font><br>
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<link>https://ameblo.jp/very50report/entry-10850794909.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Apr 2011 05:27:24 +0900</pubDate>
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<title>＜石巻市の状況①―被災地の中の格差―＞</title>
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<![CDATA[ <font size="3">盛岡からJRで一ノ関まで行き、そこから高速バスで約80分、仙台に到着。仙台から塩釜、松島を通って石巻市へ向かう。報道でもよく知られている通り、石巻市は最も被害が大きい街の一つ。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110404/05/very50report/0b/aa/j/o0448033611144366424.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110404/05/very50report/0b/aa/j/t02200165_0448033611144366424.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><br>避難所になっている小学校を訪問。電気ガス水道が復旧していないことは想定内だったものの、被災から2週間以上たった後も暖房がなく非常に寒く真っ暗な環境の中で生活していることには驚いた。これまで訪ねてきたどの避難所よりも過酷な環境だった。日没からは、個人的な懐中電灯のみの明かりで生活。日を増すごとに風邪やインフルエンザが広がっていて、体力の弱っている高齢者の方が病院へ運ばれていくという。それでも避難者の方はとても満足そうに食糧が無事届いており本当に多くの方の支援に感謝しているとしきりに伝えてくれた。が、どこかの体育館では一箱の段ボールも入らないくらい支援用の衣類が集積されているというのに、ここでは2週間前の被災当時に着ていた服を今も着続けているという。ここ石巻市では、被災者一人ひとりの境遇にだいぶ差がある。</font><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110404/05/very50report/26/df/j/o0448033611144366425.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110404/05/very50report/26/df/j/t02200165_0448033611144366425.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br>
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<pubDate>Mon, 04 Apr 2011 05:22:28 +0900</pubDate>
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<title>＜宮古の状況③－現地の取り組み－＞</title>
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<![CDATA[ <font size="3"></font><font size="3">ほぼ全ての商店は営業停止状態の地域を歩いていると、フリーマーケット的なサービスが組織的に行われているのを見つけた。いらなくなった服や靴を市内の人から集めて、若干泥が付いたままのものも含めてクリーニングせずに、それぞれ100円で販売している。様々な作業で泥まみれになるのだから、きれいである必要はない替えの服や靴を必要としている人は多い。供給側も、瓦礫となった家から掘り出したものがゴミになるよりはよほどいい。無償の支援物資と異なり経済活動としての側面もあるため、運営主体となっているスーパーマーケットの営業再開にも貢献している。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/b8/f6/j/o0448033611129710200.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/b8/f6/j/t02200165_0448033611129710200.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br>駅から海岸側の一体ではほとんどライフラインが復旧していない。主要な交差点では警察官が数人がかりで手信号を続けている。昼間の明るい時間帯に避難所から自宅付近に戻り、瓦礫の除去作業に励む方が多い。一体どこからやってきた何の物体なのかもわからないやたら重い鉄くずを移動させるのに一苦労。お年寄りの方だけで家の瓦礫の整理に取り掛かっている姿がよく見られる。まだ市外からのボランティアを受け付けていないが、人手の需要は非常に大きい。入江から内陸に伸びる川まで行ってみると、高さ３ｍはある堤防が、強大な津波の跡もヒビ一つ入ることなく川沿いにそびえている。強度も高さも、この町の津波被害に備えた管理が特別不十分とはとても思えない。<br></font><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/cd/69/j/o0448033611129710419.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/cd/69/j/o0448033611129710419.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a></div><br><br><font size="3">3月21日から宮古市の被災者向けに災害情報の臨時放送、みやこさいがいエフエムがスタート。宮古市街地から宮古湾岸部までの地域で周波数を７７・４メガヘルツに合わせると聴くことができる。この放送のチラシがバスの待合所や再開している商店など市内の人の目につきやすい場所に置いてある。内容は給水炊き出しの具体情報だけでなく、全国からの応援メッセージや、物資の入荷状況など。<br>盛岡に帰るバスを待っていると、それぞれ初体面の人が自分たちの状況を語り合っている。僕の番になって、正直に東京から来たことを告げると、<br>「また少し落ち着いたらゆっくり遊びにおいで。」といろんな意味で想定外の反応。<br>「何か困ったことがあったら連絡下さい。」と使い古された反応しかできなかったのが、少し悔しかった。</font><br>
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<pubDate>Fri, 01 Apr 2011 21:22:06 +0900</pubDate>
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<title>＜宮古の状況②＞</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/b7/3e/j/o0448033611129710195.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/b7/3e/j/o0448033611129710195.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><font size="3">駅から海岸方面に数10メートル歩くと、さっそく八戸で最も被害の大きかった場所と同等の景色に変わった。泥や瓦礫の量からするとそれ以上にも思える。もちろんまだ回収の目途は立っていない。100メートルくらい歩いたところで、被害の大きさを改めて理解した。<br><div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/0a/f7/j/o0448033611129710418.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/0a/f7/j/o0448033611129710418.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a></div><br><br>だいぶ重量のあるはずの漁船が住宅地に突っ込んでいる。沖合にあるはずのブイが電線に引っ掛かっている。電柱や信号が折れて倒れている。ほとんどの建物が倒壊した一画もある。倒壊しないまでも、ことごとく窓が割れている。どの商店も営業再開までに何週間もかかるように見受けられた。八戸と比較すると、瓦礫の積み上がっている区域やライフラインが復旧していない区域の範囲が圧倒的に広い。地震で怪我した人を運んでいる救急車まで波にのまれたという。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/b8/f6/j/o0448033611129710200.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/b8/f6/j/t02200165_0448033611129710200.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><br>駅前から海岸とは反対方向の地域でも、営業を停止している町並がだいぶ内陸まで続いている。数件の飲食店では在庫のある限り営業を続けるとしており、ファストフード店スーパーの食品売り場では一人の購買数量を限定している。とはいえ、建物の倒壊といった被害に関して言えば、海岸とは反対方向の地域ではほとんど日常の風景に近く、信号もつき、瓦礫が集められているような光景はない。市役所の方の話しでも、地震の揺れによる倒壊よりも津波の水圧による被害の方が大きく、内陸と沿岸で大きな被害の差があるという。</font><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/7b/a2/j/o0448033611129710917.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/7b/a2/j/t02200165_0448033611129710917.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/06/1d/j/o0448033611129710424.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110328/03/very50report/06/1d/j/t02200165_0448033611129710424.jpg" alt="$very50 現地レポート" border="0"></a><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/very50report/entry-10848334094.html</link>
<pubDate>Fri, 01 Apr 2011 20:26:09 +0900</pubDate>
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