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<title>ken2-shimamotoのブログ</title>
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<title>須磨離宮公園の梅見で温めた友情</title>
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<![CDATA[ <p>神戸市内有数の梅見どころ、須磨離宮公園の梅園はいま満開です。２０種、約２００本の梅の木の下には水仙が可憐な花をつけ、園の縁には椿が咲き誇っています。正門の園路を抜けると一変して開けるヨーロッパ風の噴水公園を横切り、深く入り込むことになる梅園は、案内がなければ見過ごすほど奥まっていますが、さすが西本願寺月見山別邸の歴史をもつ武庫離宮にふさわしい風情です。入園料は大人４００円、小中学生２００円で、障がい者や県内在住の高齢者の方々は無料です。木曜日は休園ですが、いま梅の季節は休まず開いているのは大変嬉しいことです。</p><br><p>恒例になった梅見にこの梅園を選び、今年は５人で連れ立ちました。若いころからお世話といえばＫさん、今回も一人ひとりへの声掛けをしてくれました。この日の段取りやコースはＹさんが計画したものです。Ｏｇさんはいまでも多くの活動に加わり若々しい限りです。Ｏｓさんは２年ぶりの参加で変わらない元気な姿を見せてくれました。一時須磨に住んだことがあるわたくしもこの梅園は初めてで、山電月見山駅近くでの昼食もしきりに昔のあのこと、このことが思い出され、この早春の散策の機会を与えてくれた友人たちへの感謝の気持ちに心満たされた時間でした。</p><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130312/10/vision-2/91/24/j/o0240032012454052311.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-P2010_1105_130812.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130312/10/vision-2/91/24/j/t02200293_0240032012454052311.jpg" width="220" height="293"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130312/10/vision-2/0b/68/j/o0240032012454062195.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-P2013_0228_113321.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130312/10/vision-2/0b/68/j/t02200293_0240032012454062195.jpg" width="220" height="293"></a>
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<pubDate>Tue, 12 Mar 2013 09:16:27 +0900</pubDate>
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<title>疎開先・和歌山の青空－その５＜いまも続く友情の絆＞</title>
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<![CDATA[ <p>Ｓさんは、社会人になって大阪・心斎橋の大きな宝飾店に勤めました。それはパリッとした姿になって、こどものころ連れ立って、川へ降りては泳ぎ、魚を捕まえた時のイメージは全然ありませんでした。運動能力が乏しく、小さな川なのに丸太の橋から飛び込むのも苦手、泳ぎも十分にはできない、魚を捕まえるなどとても、というわたしに、Ｓさんは、教えるというのではなくいつもそばについていてくれました。おかげで、橋からそのままズボンと飛び降りたり、何泳ぎと言えない泳ぎをしたりできるようになりました。それでも魚はやはり手に負えず、いつも帰りに分けてくれました。大阪に出てきたＳさんとよく出会っていましたが、案内はあちこちを知りつくしたＳさんでした。熊本に移られてもう長くなったＳさん、年賀状でお互いの健康を確かめ合ってはいますが、会いたいですね。このブログを見てくださいね。</p><br><p>わたしの持っている疎開先でのたった１枚の写真は、セピアになった小学３年生のときのクラス写真です。Ｉさんは、ひときわ目立つ姿で受持ちの先生のすぐ右に座っています。この写真を見るたびに、はきはきした態度とこどもばなれした達筆とともに、キラキラ輝いていたＩさんの笑顔が思い出されます。しかし、わたしが疎開先から大阪へ戻って以来、会ったこともなければ便りのやり取りもしていませんので、どこでどのようにされていたのかまったく知りませんでした。それが驚くべきことに、わたしの住まいの最寄駅から二つ先の桜の美しい駅の近くに住んでおられたのです。その間、一口では言えないようなことが次々と起こり、わたしが大切にしている１枚の写真もなくなってしまったとのことでした。長い年月を超えて、木造校舎の前で一緒に写真を撮ったＩさんが今、呼べば答えるほどの距離にいるとは－。</p><br><p>Ｋさんはよく知られた俳人です。同人誌の編集や文学の講義に忙しく、ご自分の俳諧集も出しておられますが、こどものころは柿をもいだ間柄でした。和歌山といえばミカンが有名ですが、海から深く入り込んだ海草郡では柿です。野山を駆け回って、たわわに実る柿をもぎ、野イチゴを摘み、いたどりをしゃぶり、麦畑に潜り込み、牛車に乗り、馬に見ほれる、そんな日々を一緒に過ごしたＫさんが、阪神・淡路大震災の直後、突然わたしの家を訪ねてくださいました。親しくしていただいたお母様が神戸で被災されたとのことでした。ＩさんのことはＫさんから教えられたのです。それを機に、疎開先に案内していただいて、お伽の国の建物のように移築された小学校を見ることができました。いま、和歌山とはＫさんのおかげで太いつながりが戻り、その分、豪雨のニュースなどには居ても立ってもおられなくなりました。</p><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130223/09/vision-2/1a/a7/j/o0240018012430901901.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0016.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130223/09/vision-2/1a/a7/j/t02200165_0240018012430901901.jpg" width="220" height="165"></a> <br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130223/10/vision-2/73/59/j/o0240032012430908873.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0002.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130223/10/vision-2/73/59/j/t02200293_0240032012430908873.jpg" width="220" height="293"></a>
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<pubDate>Fri, 22 Feb 2013 15:48:16 +0900</pubDate>
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<title>疎開先・和歌山の青空－その４＜二人の先生からの贈り物＞</title>
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<![CDATA[ <p>終戦の翌年に学校へあがることになりましたが、名前は国民学校のままでした。入学の日、「おうちの人に本にしていただきなさい」と字が印刷された大きな紙が配られ、また、銀色にキラキラ光る立派な板が渡されました。持って帰ると母はびっくりしながらも、紙を数枚に切り離して糸で綴じ、教科書に仕上げてくれました。金属板は戦闘機に使うはずのジュラルミンでできた下敷きでした。忘れようようとして忘れられないのがＤＤＴ散布で、白い粉を頭から振り掛けれられ、襟首から吹き込まれて体中粉だらけになってしまうという、消毒のためとはいえ何とも気持ちの悪いことでした。<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130106/19/vision-2/e2/f0/j/o0240017012365745037.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0008.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130106/19/vision-2/e2/f0/j/t02200156_0240017012365745037.jpg" width="220" height="156"></a> <br></p><br><p><br>ようやく学校にもなれてきた翌年の年明け、受持ちの女の先生が、「＋日は都合で自習になりますから、そのおつもりでいてくださいね」と前置きして、事細かにその日の要領を指示されます。これまで有無を言わせずわたしたちを率いてこられた先生のどこを押せばこのような優しげな心遣いがでてくるのだろうと思いました。ところが周到に準備された「＋日」の自習は、なぜか不要になりました。「＋日」の授業は平常どおり行われたのです。かなりの年月ののち、わたしの奥底に眠っていたこの記憶が、戦後史の一大事件二・一ゼネストの現場を先生からこの目で見せられたものとわかりました。</p><p><br></p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130106/20/vision-2/97/fa/j/o0240017312365823652.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0015.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130106/20/vision-2/97/fa/j/t02200159_0240017312365823652.jpg" width="220" height="159"></a> </p><br><br><p>３年生に進級しますと担任の先生は、わたしには昼間であれ、夜であれ、学校へ行きさえすればそこにいる頼りになる父親であり、兄貴分になります。さわやかな顔立ちと光輝くまなざしをもったこの若い先生は、木造の粗末な校舎の宿直室で夜のふけるまで、外地の前線で戦ってきた想像もしなかったきびしい戦争の体験を話されるのです。いつしかそれが人間として心掛けるべき教えへと発展します。そして最後を、当時流行していた「かえり船」、”波の背の背に・・・”　でしめくくられました。わたしは自然に覚えてしまい、夜の宿直室での先生からの贈り物としてこの歌をいまでも大切にしています。 </p><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130106/21/vision-2/54/e2/j/o0240029912365909810.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0013.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130106/21/vision-2/54/e2/j/t02200274_0240029912365909810.jpg" width="220" height="274"></a>
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<pubDate>Sat, 05 Jan 2013 20:39:12 +0900</pubDate>
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<title>疎開先・和歌山の青空－その３＜母とジャガイモと御所車＞</title>
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<![CDATA[ <p>疎開先でわたしたちこどもにつらい思いをさせまいと、母はいつも忙しく立ち働いていました。食卓の準備や片づけ、衣類の洗濯や繕いはもちろんのこと、稲わらをなって草履をつくっていた姿も記憶しています。まれに行商に来る人から塩サバを買い、近所でうさぎがつぶされるとその肉をわけてもらったりするのを見たこともありました。母が一番苦労したのはもちろん毎日の食べ物のことだったでしょう。わたしたちこどもはそれを感じていましたので、乏しいなりにこんなものと割り切って明るく日々を過ごしていました。</p><p><br></p><p>わたしたちこどももわらびやイナゴ、たにしなどを持ち帰ったりして食卓の手助けをしていましたが、時期になると母がジャガイモの植え付けをしていたのをわたしはよく覚えています。ジャガイモをいくつかに切ってそれに灰をまぶして植えるのです。なぜ灰をかけるのかいつも不思議に思っていました。農作業に縁のなかった母がこれに力を入れていたのは、大阪にいたとき、腸炎を起こしたり、ジフテリヤに感染したわたしの命を支えたのがジャガイモだったことがその理由だと、わたしはいまでも思っています。</p><p><br></p><p>学校から帰るとまれに家の中がぱっと明るくなったような日がありました。母が娘時代に習い覚えた日本刺繍を近所の女の人に教える日です。刺繍台には黒繻子の帯が張られ、絹糸や金糸・銀糸でおたいこにあでやかな御所車が縫い上げられてゆきます。その日のお昼には、今なら何ということもありませんが当時は口にすることのないごちそうをお相伴し、それは御殿にも登ったような気分でした。母はいざという時のために刺繍台や針や糸、型紙などをわざわざ大阪からもってきていたのでした。<br></p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130102/18/vision-2/1e/59/j/o0240018012359602406.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0017.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130102/18/vision-2/1e/59/j/t02200165_0240018012359602406.jpg" width="220" height="165"></a> <br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130102/18/vision-2/b3/4f/j/o0240018012359616843.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0012.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130102/18/vision-2/b3/4f/j/t02200165_0240018012359616843.jpg" width="220" height="165"></a> <br></p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130102/18/vision-2/18/89/j/o0240032012359624207.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0014.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130102/18/vision-2/18/89/j/t02200293_0240032012359624207.jpg" width="220" height="293"></a> </p>
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<pubDate>Thu, 27 Dec 2012 19:56:12 +0900</pubDate>
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<title>疎開先・和歌山の青空－その２＜父がやってくる日は＞</title>
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<![CDATA[ <p>疎開先での入浴はすぐ近くの家のもらい湯でした。屋外に据えられた五右衛門風呂です。小学校へあがる前のわたしでもいつも遠慮しながら入っていましたが、暑さもようやく終わろうとするその日はひと月ぶりにやってきた父と一緒だというので、とても心丈夫でした。西に傾いた太陽に照らされた美しい青空を見上げると別世界にいる気分です。そのとき、それまで黙っていた父がわたしの顔をまっすぐに見て、「日本は戦争に負けた」と声をかけてきました。わたしは温かいお湯の中から、「またやりかえしたら」とあっさり答えたのでした。疎開先での父との会話についての記憶はただそれだけです。<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121225/22/vision-2/3d/af/j/o0232032012346974223.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0003.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121225/22/vision-2/3d/af/j/t02200303_0232032012346974223.jpg" width="220" height="303"></a> <br><br><br>ずっとあとになって、鉄工所の経営悪化と交通機関の混乱で父の和歌山通いもままならなかった、と聞きました。学校から帰ってくると家の中に父がすわっている、次の日に友達と下の川で泳いで戻ってくるともう大阪へ戻ってしまっていたという具合で、バス乗り場で出迎え、見送ることはまれだったとのことでした。<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121223/20/vision-2/b9/a6/j/o0240032012342952114.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0006.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121223/20/vision-2/b9/a6/j/t02200293_0240032012342952114.jpg" width="220" height="293"></a> <br><br><br>父との会話をそのまま思い出すことができるのはそれ一度限りだとしても、疎開先で父がわたしに残してしてくれたものが色褪せることはありません。父はいつも「少年クラブ」の最新号を手にしてやってきました。渡されるのももどかしく開いては、小松崎茂のペン画にどれほど心動かされ、透明人間の物語にどれほど胸躍らされたことでしょう。付録についていたプロ野球選手の姿絵、船や幻燈の組立てなどは大切な宝物でした。それらを友達に見せるのもわたしの楽しみだったのは、もちろんです。</p><br><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121223/20/vision-2/f8/f9/j/o0230032012342962746.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0004.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121223/20/vision-2/f8/f9/j/t02200306_0230032012342962746.jpg" width="220" height="306"></a> <br><br><br></p>
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<pubDate>Tue, 25 Dec 2012 22:26:01 +0900</pubDate>
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<title>疎開先・和歌山の青空－その１＜真夜中の防空壕から＞</title>
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<![CDATA[ <p>ぐっすり眠っていたので日付も変わっていたに違いありません。母に激しく揺り起こされ、寝ぼけまなこで周囲を見わたすと、父やこの家に寝泊りしていた職人さんたちがあわただしく立ち回っています。わたしは引っ張られるように、家のすぐ外側に掘られた防空壕の中へ入れられました。何が起こっているかもわからないまま、母がそばにいる安心感から、わたしは再び眠ってしまったようです。</p><p><br></p><p>その夜、大阪の空を真っ赤に染めて米軍のＢ２９が焼夷弾をあたり一面に降らせたと、両親からあとで聞きました。住んでいたのは町工場が集まっている大阪市西淀川区姫島で、父が営んでいた工場がわたしたちの家でした。夜中にたたき起こされて防空壕に避難させられた記憶は、それひとつだけです。</p><br><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121221/21/vision-2/12/e2/j/o0240017012340130185.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0005.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121221/21/vision-2/12/e2/j/t02200156_0240017012340130185.jpg" width="220" height="156"></a> <br></p><p><br>なぜここにいるのでしょうか、次の記憶はうってかわった山あいのおだやかな景色です。海南から野上電鉄が生石山に向かって登山口まで通じており、そこからさらに貴志川沿いにほぼ１里ほど奥へ入った和歌山県海草郡下神野村へ、母につれられて疎開してきていました。兄と妹も一緒です。しかし父は、この空襲のさなかにも工場を動かすために大阪に居残ったままでした。</p><br><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121221/21/vision-2/1a/6d/j/o0240018012340143049.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0011.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121221/21/vision-2/1a/6d/j/t02200165_0240018012340143049.jpg" width="220" height="165"></a> <br><br></p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121221/21/vision-2/ae/19/j/o0240032012340146026.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0007.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121221/21/vision-2/ae/19/j/t02200293_0240032012340146026.jpg" width="220" height="293"></a> </p>
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<pubDate>Fri, 21 Dec 2012 19:49:29 +0900</pubDate>
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<title>＜淡路大磯アート山＞という不思議な世界－その３</title>
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<![CDATA[ <p>ライブラリー・カフェに「海抜６４メートルの楽園」という冊子があり、小学校で絵を教えた大石可久也画伯の言葉がありました。「ヘタに描こう！ウソを描いてもよろしい。間違ってもええ。…ひとの描かんような、は～っとびっくりするようなものを描いたらいい点あげる」。子どもたちの描く絵がどんどんいきいきしてきたということです。</p><br><p>ご夫人の鉦子さんの話も。「今は私の作品を飾っていますが、…イーストギャラリーは方角からいうとウェストなんですが、イーストギャラリーという名前をつけました」。いただいたアンティークなドアにあった「イーストギャラリー」をそのまま残したのだそうです。</p><br><p>船のかたちをした岩盤に基礎を乗せたため船のかたちになったというメインギャラリーの建設が終わりに近づいたころ、海岸に船の古木が流れ着き、２階の中心に据えるとぴったりの長さだったというミステリーも載っていました。この船は、人の世の荒れた海に浮かべ、ここに遁れてきなさいと招いている現代の＜箱舟＞ともいえる不思議な世界です。</p><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121206/20/vision-2/d2/5b/j/o0240032012318756709.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121206/20/vision-2/d2/5b/j/t02200293_0240032012318756709.jpg" alt="ken2-shimamotoのブログ-P2012_1201_140647.JPG" width="220" height="293"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121206/20/vision-2/25/1d/j/o0320024012318760224.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121206/20/vision-2/25/1d/j/t02200165_0320024012318760224.jpg" alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0006.JPG" width="220" height="165"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121206/20/vision-2/d3/b8/j/o0240032012318777652.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121206/20/vision-2/d3/b8/j/t02200293_0240032012318777652.jpg" alt="ken2-shimamotoのブログ-P2012_1201_135736.JPG" width="220" height="293"></a>
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<pubDate>Thu, 06 Dec 2012 20:35:43 +0900</pubDate>
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<title>＜淡路大磯アート山＞という不思議な世界－その２</title>
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<![CDATA[ <p>山肌に生い茂る木々の薄闇を抜け、地面に置かれた、こどもの背丈ほどもある褐色の握りこぶしや黒い鉄板を打ち抜いた小振りの走る人などが立ち並ぶ間を縫って、赤や青の浮きをつけた無数の釣糸が垂れ下がる白壁のメインギャラリーの入り口に立つと、この建物は舟形で舳先から艫へまわったことがわかりました。</p><br><p>すぐ左に設けられた狭い階段から２階へ。画集で親しんでいた大石画伯の大小の絵画が、開け放たれた出窓から差し込む光と風の中でわたしに語りかけてきます。一家のなりわいのためにきびしい漁に出ようとする男たちは太い声で、網にかかった魚や海藻や雑多な異物をひとつひとつ取り除く＜はずしこ＞の娘さんたちは物静かに。すぐ下の浜で拾われた漂流物が鳥や人、花瓶や虫に姿を変えて棚に並べられたオブジェらも、何か誇らしげです。</p><br><p>ようやく降りてきた１階のライブラリー・カフェで、薪がパチパチと爆ぜる鉄製のストーブに迎えられたとき、わたしは、一体今どこにいるのだろうと考えていました。</p><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121204/18/vision-2/10/22/j/o0320024012315889677.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0005.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121204/18/vision-2/10/22/j/t02200165_0320024012315889677.jpg" width="220" height="165"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121204/18/vision-2/4c/07/j/o0320024012315896980.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0007.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121204/18/vision-2/4c/07/j/t02200165_0320024012315896980.jpg" width="220" height="165"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121204/18/vision-2/46/c1/j/o0320024012315901821.jpg"><img alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0003.JPG" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121204/18/vision-2/46/c1/j/t02200165_0320024012315901821.jpg" width="220" height="165"></a>
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<pubDate>Tue, 04 Dec 2012 18:34:22 +0900</pubDate>
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<title>＜淡路大磯アート山＞という不思議な世界－その１</title>
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<![CDATA[ <p>一枚の葉書が先月末に届きました。石積みのモニュメントが鉛筆で描かれ、「創ることは生きる喜び。『いやし』のスポット」とペン書きのコピー。添えられた活字には「愉快な仲間たち展 in 淡路夢舞台」とあり、絵画、彫刻・立体、工芸、写真の展示の案内でした。</p><br><p>主催者である淡路大磯アート山を創る会の１０周年記念イベント、会期は１２月１日から１０日までというので、さっそく出かけてみることにしました。</p><br><p>明石海峡大橋を渡って少し南へくだると淡路花博会場・淡路夢舞台が姿をあらわし、国際会議場２階回廊ギャラリーで、その展覧会は開かれていました。アート山を主宰する大石可久也画伯をはじめ一流の芸術家とその仲間たちの力作は見事なものでした。</p><br><p>もちろんその足でアート山を訪ねることにしました。国際会議場の裏手から谷沿いの遊歩道を歩くと、視界が開けて大阪湾が眼下にひろがり、不思議な世界があらわれました。</p><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121202/17/vision-2/f8/5f/j/o0240032012312893087.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121202/17/vision-2/f8/5f/j/t02200293_0240032012312893087.jpg" alt="ken2-shimamotoのブログ-P2012_1201_133150.JPG" width="220" height="293"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121202/17/vision-2/08/dc/j/o0320024012312901545.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121202/17/vision-2/08/dc/j/t02200165_0320024012312901545.jpg" alt="ken2-shimamotoのブログ-Image0002.JPG" width="220" height="165"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121202/17/vision-2/d7/4c/j/o0240032012312905513.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121202/17/vision-2/d7/4c/j/t02200293_0240032012312905513.jpg" alt="ken2-shimamotoのブログ-P2012_1201_135051.JPG" width="220" height="293"></a>
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<link>https://ameblo.jp/vision-2/entry-11418428146.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Dec 2012 22:15:07 +0900</pubDate>
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<title>プロフィール画像への思い（つづき）</title>
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<![CDATA[ <p>人との出会いは本当に不思議です。</p><p>わたしはこどものころに両親に連れられて、大阪から尼崎市に移り住みました。淡路島には何の縁もありません。阪神・淡路大震災がわたしを淡路島につれてきたのです。</p><p>あの年の４月、仕事の場所が淡路島に移りました。洲本市に住居を定め、土日のない無我夢中の日々を過ごしながら、ようやくまわりがほんのりと見えてきた秋の日曜日、住まいの庭先に彼岸花のかたまりが燃えるような花をつけていました。</p><p>こどものころから絵を描くことが好きだったわたしは、あわただしい単身赴任にも絵の道具だけは持ってきていましたが、バッグに仕舞い込んだままでした。急いでそれを取り出して一気に彼岸花を描きあげたのが、淡路島で絵筆を握った最初でした。</p><p>それでも絵筆を持って出歩くゆとりを失っていたわたしを、地元の絵画グループの方々が誘ってくださっていなければ、悠然とそびえるユーカリの巨木を絵にする勇気をもつことはできなかったでしょう。</p><p>震災の傷跡に立ち尽くしていたわたしには、このユーカリは＜いのちの営み＞そのものでした。</p>
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<pubDate>Thu, 29 Nov 2012 21:32:31 +0900</pubDate>
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