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<title>新生日本のビジョン　～新ミレニアムの国家百年の大計～</title>
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<description>皮相な議論が様々に溢れている現代の日本において、新時代の日本のあるべきビジョンを、日本の根本の哲学、根本の理念、根本の精神の源にまで遡って論じ、提示した思想評論演説集をお届け致します。今こそ共に、「新生日本」及び「新生地球」を建設してゆきましょう！</description>
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<title>「新生日本建設の時代」～戦後見失ってきた三つの柱の再興～　第５節（３）　　　天川貴之</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　　　　　　第５節　新生日本建設の時代（３）</span><br><br><br>　一人一人が聖なる情熱に目覚めることなくして、真に国家的偉業を成し遂げることは出来ない。いくら崇高なる理念があったとしても、それを実現化する原動力は、一人一人の聖なる情熱に裏打ちされた剛き信念なのである。</p><p><br>　同時代のすべての方々が、今という時代に生き、新生日本建設の使命を聖なる自己の大志とし、大いなる夢として生きてゆくことが出来たならば、これより後の日本の未来はどんなにか光輝き、大いなる光明を放つことが出来ることか。</p><p><br>　　今の時代は、無関心な時代、無気力な時代だと云われている。一人一人が、自分という、現在という小さな殻に閉じこもり、政治や経済や日本の未来に関して、関心を示さない時代だと云われている。</p><p><br>　しかし、これは何と不毛なる人生を招く生き方であることか。一度、心奥なる理念の眼を開いて今の時代を観てみれば、これ程に大いなる希望に光輝いている時代が他にあるであろうか。</p><p><br>　今という時代をつまらなく見せているものは、自分自身の精神の眼であり、それは一種の錯覚なのである。本来の姿ではないのである。</p><p><br>　人間は、本来、自己の精神、自己の理念を、大いなる志の下に完全燃焼させてゆく時期に、最高の幸福を感じ取ることが出来るものなのである。その秘訣は、永遠普遍なる理念に目覚めること、理念を照らし出す精神の眼に目覚めること、そして、大いなる夢を描いてゆくことである。</p><p><br>　かつて、クラーク博士は、「青年よ、大志を抱け」という言霊をもって、新時代の日本を創る柱となる青年達を育てられたということは有名な史実であり、また、かの吉田松陰であっても、何よりも、志を抱くことの大切さを訴えかけられ、明治維新の原動力となる幾多の青年を育てられた。</p><p><br>　いつの時代においても、大志を抱く所から歴史は始まり、回天してゆくものなのである。大いなる志こそが、天をも動かし、地をも動かし、歴史をも動かしてゆくのである。</p><p><br>　だから、人々よ、共に「理念の革命」の大志を抱こう。共に「精神的ジャパニーズドリーム」の大志を抱こう。共に「新生日本精神」の大志を抱こう。そして、積極的に新生日本の運命を一致団結して開拓してゆこうではないか。</p><p><br>　一人一人の内なる可能性は無限である。湧き出でても、湧き出でても、未だ尽きぬ無限なる力の泉が実在するのである。</p><p><br>　故に、新生日本建設の可能性もまさしく無限である。無限なる理想郷が、我々の精神の内には、そして、未来には開けているのである。</p><p><br>　かつて、ケネディが、「ニューフロンティア」の理想を掲げられたことがあったが、まさしく戦後五十年のこの時期、新生日本の前には、無限のフロンティアが開けているのである。</p><p><br>　無限への挑戦こそ、現代を生きる我々日本人の合言葉にしなくてはならない。まさしく、人類史上最高最大の理想郷を、新生日本建設の内に実現してゆくことは可能である。</p><p><br>　かつて、プラトンが最高の理想とされた理念の国、かつて、キリストが最高の理想とされた神の国、かつて、神武天皇が最高の理想とされた大調和という意味での八紘一宇の大和の国が、新生日本建設において実現することを心より願い、天への祈りとしたい。</p><p>&nbsp;</p><p>（おわり）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　ｂｙ　天川貴之</p><p>（ＪＤＲ総合研空所・代表）<br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/vision-jdr/entry-12785299966.html</link>
<pubDate>Sat, 21 Jan 2023 02:46:12 +0900</pubDate>
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<title>「新生日本建設の時代」～戦後見失ってきた三つの柱の再興～　第５節（２）　　　天川貴之</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　　　　　　　　第５節　新生日本建設の時代（２）</span><br><br><br>　一人一人の精神的ジャパニーズドリームとは、まず、自己の内なる個性的理念を発見する所から始まる。個性的理念とは、個性的なる精神的ジャパニーズドリームの種子のことである。</p><p><br>　これを限りなく成長させてゆけば、それが真なる自己実現となり、真なる「理念の革命」の一つとなるのである。そして、一人一人の夢の実現の総合的な姿こそが、新生日本建設の姿なのである。</p><p><br>　新生日本とは、いわば、大きな花園のようなものである。そして、天より、この戦後七十年の日本の土壌に、数多くの夢の種子が蒔かれているのである。</p><p><br>　その夢の種子の一つ一つには、固有の理念がこもっている。そして、その華の種子がその芽を伸ばし、華を開かせる時期が、新生日本建設の時期であると言えるのである。</p><p><br>　戦前七十年と戦後七十年の歴史を序曲として、我々は、今、新しい百年の歴史を新たに始めんとしているのである。</p><p><br>　新生日本ルネサンスの序曲は、それ自体が未来の日本の姿をうっすらと予感させるものであった。我々は、確かにその序曲を受け、これより本格的な新生日本建設の時代の幕を開けてゆくのである。</p><p><br>　百年後の大いなる歴史の成果を期して、我々は、一日一日を黄金の時間にするべく、過去にも未来にも深く感謝しながら、「永遠の今」を生きてゆかなくてはならない。</p><p><br>　新しい古事記創造の序曲は既に奏でられている。これより、数多くの知恵と愛と芸術の宝石をその中に散りばめた一大物語を創造してゆかなくてはならない。</p><p><br>　そのためには、過去の百年と未来の百年を見透かす透徹した時代認識を持ち、心の奥の奥なる自己を常に掘り下げながら、より普遍的なる自己に新生し、心の奥の奥よりの聖なる情熱を常に湧き出させておかなくてはならない。</p><p><br>（つづく）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　ｂｙ　天川貴之</p><p>（ＪＤＲ総合研究所・代表）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　ｂｙ　天川貴之</p><p>（ＪＤＲ総合研究所・代表）<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/vision-jdr/entry-12782940897.html</link>
<pubDate>Fri, 06 Jan 2023 15:21:39 +0900</pubDate>
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<title>「新生日本建設の時代」～戦後見失ってきた三つの柱の再興～　第５節（１）　　　天川貴之</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　　　　　　　第５節　新生日本建設の時代（１）</span><br><br><br>　戦後七十年の時期を、大いなる大転換のターニングポイントとして、これより後、日本は新生日本建設の時代に入ってゆく。</p><p><br>　新生とは、新たに生まれ変わるということである。永遠普遍なる理念とは、季節が春夏秋冬というように輪廻するように、輪廻してゆくものである。そして、その時代、その時代の理念を、「時代精神」という名で呼ぶのである。</p><p><br>　新生日本の時代精神とは、三本の柱を持つ。第一の柱は「理念の革命」であり、第二の柱は「精神的ジャパニーズドリーム」であり、第三の柱は「新生日本精神」である。</p><p><br>　これらは、戦後七十年においては見失われてきたものであって、今の時代に最も欠けていて、また、最も必要とされている理念的支柱である。</p><p><br>　家を建てる際にも、大きな柱が必要であるように、新しい日本を建設してゆくためにも、大きな太い理念的支柱が必要なのである。この柱は、永遠なる柱であり、崇高なる柱であり、金剛石の如き柱でなくてはならない。</p><p><br>　そして、こうした柱を打ち立ててゆくものは、今の時代を生きる国民一人一人なのである。個人の心は、深い所で全体の心とつながり、民族の心、世界の心とつながっている。そして、時代精神が、すべての人の心の内奥には、確実にあのマグマの如く脈打っているものなのである。</p><p><br>　体全体の遺伝子の情報が一つ一つの細胞の中に組み込まれているように、また、オーケストラの演奏の楽譜が一人一人の楽団員の手元にあるように、新生日本建設の縮図は、一人一人の心の中に必ず発見しうるものなのである。</p><p><br>　故に、「理念の革命」は、まず何よりも自分自身の心の内にこそ起こらなければならないし、「精神的ジャパニーズドリーム」のうねりも、まず自分自身の心の内奥なる夢として思い出されなくてはならない。また、「新生日本精神」にしても、一人一人の日本人の心の奥底に眠っている永遠の日本的精神性に一人一人が目覚めてゆくことが大切なのである。</p><p><br>　そして、また、「理念の革命」も、「精神的ジャパニーズドリーム」も、「新生日本精神」も、個々別々に成してゆくものではなくて、トータルな意味で、一つの仕事、一つの使命であると言えるのである。</p><p>&nbsp;</p><p>（つづく）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　ｂｙ　天川貴之</p><p>（ＪＤＲ総合研究所・代表）<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/vision-jdr/entry-12780602193.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Dec 2022 01:16:22 +0900</pubDate>
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<title>「新生日本建設の時代」～戦後見失ってきた三つの柱の再興～　第４節（５）　　　天川貴之</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　　　　　第４節　日本的精神の不在について（５）</span><br><br><br><span style="font-size:1.4em;">　第五には、聖徳太子の「十七条の憲法」である。その中で「和を以って尊しと為す」という日本的伝統が述べられているが、特に、日本神道と仏教と儒教とキリスト教のそれぞれを敬い、尊重し、学んでゆく大調和の態度は、日本的精神の最高の強みであり、また、今も脈々と息づいていると言えるであろう。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　戦後七十年の現代においては、戦前七十年の最も日本的（東洋的）であろうとした精神と、戦後七十年の最も西洋的であろうとした精神が止揚され、大いなる大調和の中で統合される時期が来ている。その時期に大切な日本的精神態度が、この聖徳太子の「和」の態度であると思う。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　現代において、我々は、日本的なる精神を再興し、さらに西洋的なる精神と融合止揚させてゆくことによって、独自の日本的スタイルを創造してゆかなくてはならない。それが時代的使命である。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　明治維新と敗戦に続いて、現在は、第三の開国の時期にあたっていると云われるが、こうした地球時代の日本に求められる姿とは、全世界的なる精神を基盤にしながら、日本独自の個性の華を咲かせてゆくということである。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　大いなる世界精神を共通項に持ち、共に地球人としての愛の自覚を持ちながら、同時に、限りなく個性的になってゆかなくてはならない。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　個人においても、人類愛を基盤に持ちながら、各自が独立自尊の独自の理念的アイデンティティを持って生きることが国際人に求められているように、日本もまた、独立自尊の独自の「新生日本精神」の理念をしっかりと把持しながら、国際協調国家への道を歩んでゆかなければならない。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　一なるものが多となり、多なる個性が一なる愛としてまとまった理想的地球時代において、「新生日本精神」の華が美しく華咲くことを何よりも念願する。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">（つづく）</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　ｂｙ　天川貴之</p><p>（ＪＤＲ総合研究所・代表）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/vision-jdr/entry-12778754715.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Dec 2022 02:37:29 +0900</pubDate>
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<title>「新生日本建設の時代」～戦後見失ってきた三つの柱の再興～　第４節（４）　　　天川貴之</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　　　　　第４節　日本的精神の不在について（４）<br><br><br>　第四には、「武士道」である。かつて戦前の学生は、カント哲学と共に、「武士道」を座右の銘にしていたというが、戦後においては、武士道について語られることが少なくなった。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　確かに、武士的要素の薄くなった現代社会においては、それは不要の長物と一見みえるかもしれないが、その背後にある精神的理念については、今もなお、現代に生かせる永遠の日本的精神があるように思う。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　たとえば、個人主義や平等主義の行き過ぎに対しては、師や両親への礼節や忠孝の精神が、かえって見直されなくてはならないのではないだろうか。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　また、自我我欲やエゴイズムの横行する世界においては、大いなる志の下に、無我になる心の必要性が見直されなくてはならないのではないだろうか。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　また、家庭の崩壊が、現代アメリカにおいても、現代日本においても社会問題になっているが、これに対しては、「家」の大切さ、先祖への敬いの心が見直されなくてはならないのではないだろうか。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　特に、大志を抱く精神態度は、現代にも、新しい志士道精神として再興されるべきではないかと思う。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">（つづく）</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　ｂｙ　天川貴之</p><p>（ＪＤＲ総合研究所・代表）<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/vision-jdr/entry-12776494477.html</link>
<pubDate>Sat, 26 Nov 2022 23:42:17 +0900</pubDate>
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<title>「新生日本建設の時代」～戦後見失ってきた三つの柱の再興～　第４節（３）　　　天川貴之</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　　　　　　第４節　日本的精神の不在について（３）</span><br><br><br>　第二には、「古事記」である。古事記は、現代においては、数多くのフィクションを伴う古典的歴史書として認識しておられる方が多いと思うが、フィクション的であるということは、象徴的であるということであって、事実以上に日本的理念をより一層鮮やかに映し出すことも出来るのである。</p><p><br>　その意味においては、過去においても、古事記は不滅の日本的理念の宝庫でありつづけたように、現代においても、未来においても、日本的なる精神を考えるにおいて、欠くことの出来ない理念的宝庫であると言える。</p><p><br>　現代の歴史書は、実証的事実のみを記すことをもって客観的価値ありと考える見方が多いが、文化的価値という視点から観ると、より象徴的に、より直観的に描かれたものの方が、深い確かな理念的価値を描き出していることが多いのである。</p><p>&nbsp;</p><p><br>　第三には、「万葉集」である。日本は、古来より大自然と共に芸術的に生きてきた民族であり、国民がすべて詩人であるような文化的伝統があったのであり、これは、世界に誇るべきものであると言えよう。</p><p><br>　天皇から庶民に到るまで、詩によって一つに結ばれ、国家全体として、妙なる音楽の調べを奏でている歴史を持つ国が他にあるであろうか。</p><p><br>　しかも、その言葉は「言霊」と呼ばれ、限りなく神秘的なるものとして尊重されてきた。言語の中に神秘性を感じ取るという伝統は、西洋においても、「ロゴス」としてあったが、日本においては、より一層、感性的であり、独自の鋭い直観力を持っていたと言えるのである。</p><p><br>　現代においては、あまり言葉の持つ深い意味と神秘性について考えられることが少なくなったが、これは、ある面においては、言語的退化現象であるとも言えるのである。</p><p><br>　日本的精神について考えをめぐらす時には、必ず、この言霊の伝統に着眼し、未来に向けても、より精錬された伝統として、再興し、伝えてゆくべきものではないだろうか。</p><p><br>　また、国家が詩において一つになるという優雅な伝統に、忙しさの中で精神的余裕を失いつつある日本人は、もう一度、回帰するべきではないかと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>（つづく）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　ｂｙ　天川貴之</p><p>（ＪＤＲ総合研究所・代表）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/vision-jdr/entry-12773904137.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Nov 2022 03:11:23 +0900</pubDate>
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<title>「新生日本建設の時代」～戦後見失ってきた三つの柱の再興～　第４節（２）　　　天川貴之</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　　　　　　第４節　日本的精神の不在について（２）</span><br><br><br>　戦後七十年を迎える今の時期は、日本人が徐々に日本らしさや日本的ライフスタイルや日本的なる商品開発に目覚めつつある潮流が出てきているように思われる。</p><p><br>　また、海外においても、日本に注目が集まっていて、海外の方々の関心と興味は、日本の中にある西洋的なるものではなくて、日本の中にある、より一層、日本的なるものに集中しているように感じられる。</p><p><br>　まさしく、日本的なるものが、二十一世紀において、世界の流行となる時代が到来しているのである。こうした時代においては、まず、日本人自身が自らを問い直さなければならない。</p><p><br>　日本人の個性とは一体何なのか、数千年の歴史を経て、様々な個性ある表情を見せてきた日本の歴史の中で、変わらない普遍的なる精神とは一体何なのか、ということを、よくよく反省してみることが、今の時代の要請なのであり、未来の時代への戦略なのである。</p><p><br>　私は、日本的精神の特徴を最もよく表わしているものとして、以下の五つの柱を挙げてみたい。</p><p><br>　第一には、「天皇制」である。天皇制は、敗戦によって、確かに象徴天皇制になったものの、国民の精神的統合の象徴として、今もなお残っており、国民の大部分が自然な感情を持って敬意を表している。</p><p><br>　外国の歴史を調べてみても、数千年続いた王朝というのは存在しない。何故、日本の天皇制のみが、かくも永続的な生命を保ちつづけていたのであろうか。その意味を探求してゆくことが、日本的なるのの真実を探求してゆく時の一つの鍵となると思う。</p><p><br>　私は、天皇制が日本人の心の中に生きつづけてきたのは、その精神の日本的神聖性にこそ求められるのではないかと思う。ただ単に現世的な権力構造だけでは、数千年の歴史を持つことは不可能である。</p><p><br>　天皇制の背後には、確たる「実在」としての日本的理念があり、不動の天意があるのだろう。だから、どんなに現象の歴史が移り変わろうとも、不朽なる永遠の生命を持ちつづけてきたのだと思う。</p><p><br>　特に、日本人であるならば、やはり、内面において、日本を司る神々への深い敬虔な気持ちを抱き、常に敬意を持ちつづけてゆくことが、日本のよき伝統を守り育ててゆくことにもなるであろう。<br>&nbsp;</p><p>　（つづく）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　ｂｙ　天川貴之</p><p>（ＪＤＲ総合研究所・代表）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/vision-jdr/entry-12771343150.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Oct 2022 18:30:48 +0900</pubDate>
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<title>「新生日本建設の時代」～戦後見失ってきた三つの柱の再興～　第４節（１）　　　天川貴之</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　　　　　第４節　日本的精神の不在について（１）</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　第三に、戦後日本に見失われてきたものとして「日本的精神」を挙げたい。日本国が失ったものが、「日本そのもの」であるとすれば、これは、戦後の悲劇の最たるものであると言えよう。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　敗戦によって、あまりにも日本的なるものに対して過敏に否定的になりすぎ、心の奥に何かしらの劣等感と罪悪感を抱くということは、日本人としては、本来の姿を見失っていると言えよう。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　日本人である限りは、自然な感情として、日本の国を愛し、そして、歴史と文化に誇りを持ち、さらに自国をよい国にしてゆくことを以って、全世界に貢献してゆくことが、普通の日本人の志であってよいはずである。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　それは、ある家に生まれたら、まず、その家族を愛し、家風を誇りにしながら、地域社会に貢献してゆく、ということと同じであり、まず、自己の立脚点を固め、純粋に愛してゆくということは、大切なことであるのである。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　ウェイン・ダイアーは「自分自身を真に愛することが出来る者が、真に他者を愛することが出来る。」と述べておられるが、日本人として、日本国を愛し、日本文化を愛し、日本的精神を愛することが出来る者が、真に他国の文化や精神を愛することが出来るのである。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　戦後七十年の歩みの中では、ともすれば、日本的になることは、排他的になることであり、好戦的になることであり、独善的になることであるという見解が持たれがちであったが、これは、過去の強烈なコンプレックス故の、幾分、歪曲した見方であると言えよう。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　日本を愛し、益してゆくことが、同時に他国を愛し、益してゆくことになるということ、利自の精神が、同時に利他の精神になるということが、本来の天の道である。</span></p><p>&nbsp;</p><p>（つづく）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　ｂｙ　天川貴之</p><p>（ＪＤＲ総合研究所・代表）<br>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/vision-jdr/entry-12769764012.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Oct 2022 23:35:40 +0900</pubDate>
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<title>「新生日本建設の時代」～戦後見失ってきた三つの柱の再興～　第３節（５）　　　天川貴之</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　　　　　第３節　経済的精神の不在について（５）</span><br><br><br><br>　私は、今の大不況を克服する一つの鍵は、新たなるジャパニーズドリームの経済的精神態度を国民的に確立してゆくことではないかと思う。</p><p><br>　こうした大不況の大波が日本を襲っている時期だからこそ、大志をもって船出し、この大不況を克服して日本を繁栄に導く原動力となろうと決意する信念の起業家達が大いに望まれるのである。</p><p><br>　今の経済的逆境の大波と戯れ、己が信念と経営能力と商品開発力を鍛えに鍛え、成長させることの出来た起業家達が、新しき日本を建設してゆくのであると私は信じている。</p><p><br>　　しかし、同じジャパニーズドリームであっても、今後の日本に求められているのは、先程から論点にしている高度な精神性を土台にした「精神的ジャパニーズドリーム」であると言えよう。</p><p><br>　経済的精神を確固として内に秘め、心ある経営、理念ある経営をしてゆく大志ある創造的起業家こそが、今後出現してゆかなくてはならない時代に来ているのである。</p><p><br>　そして、特に、精神文化を高めるような方向にこそ新しいビジネスを開拓してゆくことによって、経済的ＧＮＰを高めると同時に、大いなる文化的ＧＮＰを高めてゆくような起業家が重要である。</p><p><br>　　また、「精神的ジャパニーズドリーム」の風潮を創出してゆくことは、日本資本主義に経済的精神を与えるのみならず、大きな有効需要をもたらすことになる。</p><p><br>　日本国民には、まだまだ一千兆円以上の金融資産があり、企業にも官庁にもそれぞれ数百億円以上の金融資産がある。これらの資金が、精神的ジャパニーズドリームに向けて、国民的国家規模で投資され始めれば、今の大不況など一気に吹き飛んでしまい、日本は前代未聞の大好景気の時代を迎えることになるであろう。しかも、大好景気の中から、文化大国日本が建設されてゆくことになるのである。</p><p><br>　このように、今の日本の資本主義を救い、真なる繁栄へと導く鍵は、これより後の新しき経済的精神の興隆であり、「精神的ジャパニーズドリーム」の興隆なのである。</p><p><br>　こうした国家目標に向かって、個人一人一人が、企業一つ一つが、そして、政府も心を一つにして挑戦してゆく時期、そこから日本に新しい時代が始まる。</p><p><br>　危機の時代の意味を看守し、その奥にある成功の種子を洞察し、さらに、逆境を転じて、最高の光明世界、理想世界を、日本に、世界に実現してゆくことこそ、戦後七十年を迎えるにあたって、日本国民一人一人が志すべき聖なる使命なのである。</p><p>&nbsp;</p><p>　（つづく）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　ｂｙ　天川貴之</p><p>（ＪＤＲ総合研究所・代表）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 07 Oct 2022 08:50:25 +0900</pubDate>
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<title>「新生日本建設の時代」～戦後見失ってきた三つの柱の再興～　第３節（４）　　　天川貴之</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　　　　　第３節　経済的精神の不在について（４）</span><br><br><br><br><span style="font-size:1.4em;">　さて、先程は、主としてプロテスタンティズムの倫理を挙げたが、アメリカを例にとってみれば、経済的国民的エトスとして、「アメリカンドリーム」の成功哲学に基づく「積極的精神態度」をも考慮に入れてゆくべきであろう。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　かつて、アメリカで大恐慌が生じた時に、それからアメリカ経済を救済した原動力となったものは、一つは、確かにケインズ経済学の政策であったと言えようが、一つは、ナポレオン＝ヒルを始めとする、エマソン以来の「成功哲学」であると言えるのである。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　大恐慌当時、ナポレオン＝ヒルはルーズベルト大統領の顧問官を勤め、数多くの成功哲学的政策を実施されているし、その後の世界の五十％のＧＮＰを占めるに到るまでの経済的大発展の原動力となった起業家達の多くが、「私は、この成功哲学によって成功と繁栄を勝ち取った」と法廷で証言されていることからも、その真実が明らかであると言えよう。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　成功哲学の根幹とは、「念いは実現する」ということであって、積極的で明確なビジョンとして、夢を描き続ければ、光明信念は実現するという心の法則にある。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　このように、プロテスタンティズムの愛の原理に加えて、積極的に夢を描いてゆく希望の原理が、アメリカの大繁栄の源となっていたのである。</span></p><p><br><span style="font-size:1.4em;">　こうした視点から戦後七十年の日本経済の発展を見てみると、数多くの起業家がジャパニーズドリームを実現してきたと言えるが、まだまだ充分に、大いなる夢を描き、実現してゆくことを良しとする風潮が少ないと言える。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;">　（つづく）</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　ｂｙ　天川貴之</p><p>（ＪＤＲ総合研究所・代表）</p><p>&nbsp;</p><p><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/vision-jdr/entry-12766240349.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Sep 2022 01:35:09 +0900</pubDate>
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