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<title>20051017さんのﾌﾞﾛｸﾞ</title>
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<title>今を生き抜く</title>
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<![CDATA[ 自然界の動物達は、日々を生き抜くために生存競争を繰り返している。<br>それは摂理であり、法則であり、あるべき姿である。<br>人は文明を築き、歴史を創りながら生きてはいる。しかし、生存競争は存在するし、日々を生きることには何も変わらない。ここにも、「自然界の一員」であることの証明がある。<br><br>我々に与えられているのは「今」でしかない。過去は記憶の中に、未来は想像の中にある。今を生きることができない人は、人生を生きているとは言えない。<br><br>今には何もない
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<link>https://ameblo.jp/void2009/entry-10427077702.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Jan 2010 20:45:03 +0900</pubDate>
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<title>神と人</title>
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<![CDATA[ 人が「人として」その人の人生を生きるのは、「自分が設定した課題をクリアーしながら、成長する為」である。<br>なぜそれが必要なのだろうか？<br><br>「神」とは一般的な解釈でほぼ間違いない。つまり「森羅万象全て」である。ただ、一般的には「神は人とは別の存在」として解釈されている。だからこそ、神頼みをするのだ。神社仏閣に行き、祈りを捧げるのだ。<br>しかし実は「神は人の中に在り、そのすべてを担っている」生命を維持し、思考をさせ、行動させている存在こそ、神である。我々の中に神はいるのだ。<br><br>文字通り、神は全てである。我々とて、その「全て」の中に入る。ところが、人は自らの神に対する認識に過ちがあることに気づかない。そればかりか、「神と人は別である」という認識に立ち、神と人を別離させているのだ。<br><br>それでも神は人を愛し、生き抜く力を与えてくれている。誤った認識を基に、互いに傷つけあい、時には自らの命を断ってしまう過ちを犯し続ける我々に、なお力を与え、見捨てることはしないのだ。<br>何故か？<br><br>我々を見捨てることは「自らを見捨てること」だからである。
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<pubDate>Mon, 04 Jan 2010 18:43:00 +0900</pubDate>
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<title>成長への道</title>
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<![CDATA[ 主文、被告人○○を懲役一年六月、執行猶予三月に処する」<br>私の刑期が確定した。<br>私物を確認した後、お世話になった刑務官に挨拶をした。<br>「お前さんは、もう戻ってくるなよ。ま、来ないだろうけどな」<br>送別の言葉を噛み締めて、私は決意していた。<br>「人のために生きよう」と。<br><br>久々に吸う外の空気は、キンと澄んでいて、ちらつく粉雪がダイアモンドのようだった。<br><br>待っていてくれたのは、彼女。そして愛娘だった。<br>どんなに待ちわびているかも知っていた。娘や妻の霊と対話もしていたから。<br>娘の笑顔が眩しかった「体だけは大人、心は子供」この弊害は計り知れない。<br>私は「光の存在との対話」を通じて「自立すること」を当面の目標として行動することに決めていた。<br>「経済的自立」「精神的独立」<br>この二つは、「支えてくれた人への愛」と「期待してくれた人への懺悔」が動機になっている。<br>これまでの私は「常に誰かに依存していた寄生虫」だった。<br>親に依存し、妻に依存した。<br>その二つを失って初めて、「自立」を意識できたのだ。<br>彼女と帰る途中の車の中で私は「計画」を話していた。<br>私の成長を具に見てきた彼女は賛成してくれ、私が「独りで歩けるようになるまで」一人になることを認めてくれた。
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<link>https://ameblo.jp/void2009/entry-10422778251.html</link>
<pubDate>Wed, 30 Dec 2009 15:54:49 +0900</pubDate>
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<title>光の中へ</title>
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<![CDATA[ 次の瞬間に、私の体は柔らかい何かで包まれて、周りが光輝きはじめました。<br>そして、声がしたのです。<br>「自分を責めるのはやめなさい。もう十分だ。私は今も、これからもお前を見捨てはしない」<br><br>神？<br>直感的に神を意識しました。何故かはわかりません。ただ、私はこれだけで、救われました。<br>頬をつたう涙は、いつの間にか感涙に変わっていました。<br>「こんな私を、見捨てないで下さる存在がある」<br>そう確信しただけで、私の苦しみ、悲しみは癒されました。ありがたくて、ありがたくて、感謝以外にはなにもありません。<br><br>そして、これをきっかけとして、自己探求が始まろうとしていたのです。<br><br>救われたと同時に私はある決意を固めていました。<br>「神と共に歩く」と。その存在との対話は、連日続きました。<br>その中で私のそれまでの価値観は崩壊し、新たな視点が芽を出しはじめていました。<br>彼は名乗りません。正体を明かすこともありません。強制もしません。<br>ただ、必要なアドバイスをくれ、待っているようでした。<br>対話が始まって直ぐに私は警察から検察に身柄を移されました。<br>地震から一ヶ月半。当初の判決予定から大幅に期間が遅れていました。<br>ただ、それも「自覚」をさせるための期間だったのでしょう。<br>何かが大きく動きはじめていました。
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<link>https://ameblo.jp/void2009/entry-10422200423.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Dec 2009 19:37:08 +0900</pubDate>
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<title>目覚めの序曲</title>
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<![CDATA[ 真っ暗の中で、駐車場のワゴン車の中から見える景色には、路頭に迷う人たちが見えていた。<br><br>毛布にくるまり、脅えながら近くの体育館に非難してゆく人々。<br>行き交う車もなく、遠くでサイレンがなり響いていた。<br>「どうなるのかな…」<br><br>何時間たっても、待機の状態は変わらないし、情報も入らない。疲れもピークになろうとしていた。<br><br>「あんた達には安全な場所に移ってもらう」<br>副署長から言われたとき、違和感を感じた。<br><br>「周りの人は苦しんでいる。なのに、犯罪者である私は移管されようとしている。これは理不尽ではないのか？不公平ではないのか？」<br><br>そんな私の抱いた疑問は、時間ともに大きくなっていった。<br><br>「なぜなんだ？なぜ守られる？なぜ生かされる？」<br>それがなぜ起きたかもしらないまま、私は葛藤していた。<br><br>深夜、裁判所からの移管命令が出て、私は安全な警察署へ移管された。<br>この時、これが大いなる気づきのきっかけになろうとは、思いもよらなかった。<br><br>深夜に移管され、次の日に目覚めた私は、抱いた思いと葛藤していた。<br><br>「私には守られる資格はない。私は落伍者なんだ」<br>そんな思いが支配していました。<br><br>毎日回覧されてくる新聞には、昨晩の地震の規模が記されていて、ラジオでもその情報一色だった。<br>被害の大きさを知るにつけ、私の自責の念は次第に強くなっていった。<br><br>「助けられない、手を貸せない」状況と、「守られた」という自責の念が、私の中で交差して、ただ、ひたすら詫びていた。<br><br>「苦しむのは、私でいい。死ぬのは私でいいじゃないか。なのに、なぜ他の人の命を奪う？」<br>そんな思いで、号泣する毎日。<br>「生き残ってしまった事」への後悔で、私は「自分」を責め続けていた。<br><br>そして…<br><br>「生きる意味がないなら、今すぐ私の命を奪えば良い！価値がないなら、殺してくれ！！」そう叫んでいた。
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<link>https://ameblo.jp/void2009/entry-10421966940.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Dec 2009 12:34:37 +0900</pubDate>
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<title>運命の日</title>
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<![CDATA[ 拘留期間は、既に二ヶ月を過ぎようとしていた。<br>１０月も末が近づき、風も晩夏から秋の深まりを告げていた。<br><br>房は、基本的には独房だ。だが、時に「部屋不足の為」に二人部屋になることがある。無論、そうなっても、殆ど話すことは許されてはいないが。<br><br>ある時、1日だけ二人部屋になった時がある。その人は「窃盗」で逮捕された、私より１０歳も若い人だった。<br>「なんでバレるんですかね？」<br>その言葉を聞いたとき、「あぁ、またこの人は繰り返すんだな」となんとなくわかった気がした。<br><br>私はこの二ヶ月を学びながら過ごした。少なくとも知識は蓄えられ、私の中に芽生えた「新しい価値観」を通して、物事を見ることができるようになってきていた。<br>「確実に変わりはじめている」そんな実感があった。<br>そして…あの日を迎えた。<br><br>１０月２３日。<br><br><br>警察署の裏にある銀杏の木に、当時は毎日物凄い数のムクドリがとまり、煩い程の鳴き声をいつもなら聞くはずだが、その日は鳴き声は全く聞こえず、不気味な静けさが広がっていた。<br><br>時間だけか過ぎていき、普通に一日が終わると思われたが、突然の轟音と共に静寂は破られた。<br><br>「ゴ…ゴゴゴゴ…」<br><br>地響きと共に、体が浮き上がる程の地面の突き上げを体験した。<br><br>「ドーン！！！」<br><br><br>爆音と共に体が揺れた。地震だ。それも今まで体験したことのない規模の。<br><br>強烈な縦揺れは、一瞬で夕食の弁当の容器を簡単に吹き飛ばし、湯飲みをひっくり返した。<br>そして、激しい縦揺れの後、今度は横揺れが襲ってきた。<br>何かにつかまらなければ、立っていられない。丁度、電車が発車するときに体が揺れる感じ。<br><br>一瞬で停電となり、暗黒となった留置場は、警官達の怒号だけが、聞こえていた。<br>どれくらい続いただろう？ようやく揺れがおさまったとき、ロッカーはメチャメチャ。机は本来の位置からかなり動いていた。<br><br>留置場に通じる廊下は、左右からのロッカー、棚の倒壊により通れない。<br>警察所長が非常口から入ってきた。<br><br>「無事か？」<br>「ここは危険だから、駐車場に出てもらう」<br><br>手錠を覆いで隠し、腰紐を結ばれた私を含む三人は、前後を警官に挟まれながら、正面の駐車場に移動した。<br>ワゴン車に乗り込んですぐ、第二波を体験した。
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<link>https://ameblo.jp/void2009/entry-10421755673.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Dec 2009 07:10:00 +0900</pubDate>
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<title>捨てる神あれば</title>
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<![CDATA[ 望んでいた離婚をした私は、未だ反省を出来ずにいた。<br>どちらかというと、「諦め」の状態に近かった。<br><br>「ここを出ても行くところはない」<br><br>当時、妻子がある身でありながら、付き合っていた女性とも終ったと思っていた。そりゃあ、そうだろう。誰が好き好んで犯罪者と付き合いたいと思うだろうか？<br><br>「私の一度しかない人生も終わった…」<br>そう考えていた。<br><br>ある日、「〇〇、面会だ」と言われ、行くとなんとそこには気丈に振る舞う彼女がいた。<br><br>姿をみた途端、人目も憚らず、互いに号泣していた。<br>彼女は見捨てなかったのだ。後に聞いた話では、「私が支えなければ」そう思ったという。<br><br>初めて自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしていた。それからというもの、彼女は献身的で、一週間に一度のペースで面会にきてくれた。特に嬉しかったのは、本の差し入れと、煙草だった。それと、生活を切り詰めながら、確保してくれた現金。留置場では、まだ、煙草が吸えた。房の外にでられる「毎日15分の運動間」に吸うことができた。それが楽しみだった。<br><br>束縛される中でも、唯一の存在した自由だった。<br><br>警官ともいろんな話をした。「あなたはここに来るべき人じゃない」散々言われた。<br><br>房ではすることがない、というより「やるな」と言われている状況で、できることと言えば「トレーニング」「読書」しかなかった。<br>読んだ本は、小説と、飯田史彦先生の「生きがいシリーズ」<br>これは、私が営業マンだった時、「親を説得するため」の手段に使うため、部長が紹介してくれた「スピリチュアル」の入門編とも言える本で、彼女から差し入れてもらったものだった。<br>反省の薄かった私が、「今こそ読まなければ」と義務感にかられた本だった。<br>皮肉にも、これが私の運命を左右することになることになるとは、思いもよらなかった。
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<link>https://ameblo.jp/void2009/entry-10421699818.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Dec 2009 00:23:10 +0900</pubDate>
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<title>崩壊</title>
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<![CDATA[ それは突然だった。<br>予想してなかったわけじゃない。ただ、覚悟はなかった。<br>「回覧板です」<br>その朝はいつもと違っていた。出勤準備をしていた私は、耳慣れないインターホン越しの声に、玄関を開けた。<br>同時にドアの開けた隙間に靴の爪先がネジ込まれ、「○○だな？警察だ！」<br>何が起こっているかわからなかった。<br>その場で正座させられ、「○○時○○分、ガサ開始」<br>逮捕状を読みあげられ、手錠をかけられた。<br>押収品の目録にサインさせられ、拇印を捺印した。<br>状況が飲み込めたのは、このときだ。<br>私は前科者となったのだ。<br>同時に社会的な地位、信用、家族を失った。<br>破滅へのカウントダウンは既に始まっていたのだ。<br><br>連日続く取り調べ。同じことを何度も聞かれた。<br>当初はすぐに解放されると踏んでいた。だから、「言い分を封印」した。<br>ところが、拘留期間が延長され、再延長され、「逃走の恐れあり」と言われた時、唖然とした。<br><br>「警察は人を見ているのではない」<br><br>彼等にはそんな能力はない。彼らは「罪人」と「被害者」の区分けを彼らの視点において、判断しているだけだ。その証拠に作成された調書は一方的で、私の意思など何も反映されてはいない。しかし、それを呑まなければ早くに釈放はされない。だから、私は理不尽さを呑み込んだのだ。<br><br>これがきっかけとなって、難航していた離婚協議は進展することになる。<br>逮捕されたことで、私の妻は離婚を決意したようだ。<br>思い返せば、我儘な夫だったし、ダメダメの子ども達の父親だった。<br><br>「長男は、警官になりたいんだそうです。その父親が逮捕されて、どうするんですか？」<br>下の娘は「パパはなんで帰ってこないの？嫌いになったの？」<br>母親からの手紙で知った。身に詰まされる言葉だった。<br>ただ、、私は庭や妻を愛せなかった。離婚を意識したのは結婚して僅か二週間後の話だ。それでも、子供がそれを思い止まらせていた。だが、七年で限界だった。家庭内別居の末に、離婚協議は難航し、互いの主張は平行線だった。<br>このため、私の逮捕は決定打となったのだろう。
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<link>https://ameblo.jp/void2009/entry-10418261343.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Dec 2009 00:17:37 +0900</pubDate>
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<title>被害者意識 2</title>
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<![CDATA[ 実は「人のせいにしていいことは何もありません」<br><br>だだこれは、「責任」がないということではありません。<br><br>「学び」という観点でいうならば、「何も悪いということはないし、何をしてもよい」のは事実なのですが、それは「善悪のの観点が学びにはない」からです。<br>我々は物質世界に生きる以上、その制約を受けるのは当たり前で、それを否定して「世捨て人」になる必要はどこにもありません。<br><br>普段の生活の中にこそ、学びがあるのです。<br><br>いかに学び、いかに成長するか。問われるのは「誰かとの比較ではなく、自分自身の人生を通じてどう成長するか？」だけなのです。
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<link>https://ameblo.jp/void2009/entry-10414594509.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Dec 2009 11:02:37 +0900</pubDate>
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<title>被害者意識 1</title>
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<![CDATA[ 誰かに何かを言われて、例えばその通りに行動して、それが自分にとって都合の悪いものであったり、望んだ結果でなかったりすると、人はその結果を「自分の選択とは認めずに」他人に責任を転嫁しがちになります。<br>これが「被害者意識」と言われるものです。<br><br>見落としてはいけないのが、「他人は無責任である」という事実と、「全ては自己責任」であるということです。<br>あなたの人生の選択権はあなたにあり、行動するのもあなたです。如何なる意見に耳を傾けるかも、あなた次第。意見を信じるか信じないかも、あなたが決めています。
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<link>https://ameblo.jp/void2009/entry-10414472025.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Dec 2009 05:27:44 +0900</pubDate>
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