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<title>日付のない航海日誌　VOYAGER</title>
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<description>日々の読書の回顧録と思考の記録を行います。</description>
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<title>連載第四回　もう一度、「情報文化としての学校」を見直す。</title>
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<![CDATA[ &lt;strong&gt;さて、すっかり秋になり、少し肌寒さを感じながらも<br>あれもこれもと手を出したくなる今日この頃。<br><br>イチローが記録を出したり、オリンピックを見ても<br>近年の日本のスポーツレベルは国際的にもかなり高くなっている。<br><br>最近の野球を見ていると、<br>筋肉の付き方やスイングも昔の映像と比べると<br>かなり強靱になっているし、かつ安定するようになっている。<br><br>前回の話とは随分、毛色が変わるのだけれど<br>これも日本のスポーツ文化の高いレベルにあると思う。<br><br>日本にはレベルの高い技術者やスポーツ選手など文化がある。<br>小学校でもリトルリーグ等で見込みがある選手には早めに目をつけるし<br>数学の国際的なレベルも高く維持し続けてきた。<br>（近年では数学のレベルは下がってきているらしい。）<br><br>反面、机に向かって勉強する者には<br>「ガリ勉」等と揶揄されてきた歴史がある。<br><br>これも全くを持って日本の文化である。<br><br>最近、僕が通っている大学でも<br>新入生の雰囲気が変わってきていて世代交代を感じる。<br>その学年には明文化されていない文化があり、<br>それを外部から見ると不思議な感じがする。<br>うちの大学はどうやら「人間性」を重視する傾向があるなぁ・・・と<br>思って調べてみたら、「ヒューマニズム」が大学の方針だった・・・。<br><br>それもまた大学の文化だ。<br><br>さて、そういう日本、そういう大学で学んだ文化は<br>自分自身の「情報」を集める、発信する軸に必ず生りうる。<br><br>文化が生み出す「情報」はそれそのものが「学校」になる。<br>お寺だって学校になるし、コンビニだって学校になる。<br><br>日本で大学の位置づけがそこまで高く評価されていないのは<br>「学校」としての機能が果たされてないからかも知れない。<br><br>教育なんて受け身でなく能動的に進めれば<br>自分の家だって「学校」になる。<br><br>前回の話と混ぜると<br>&lt;strong&gt;自分にとってのトキワ荘のような<br>「学校」を見つけた人間はかなり幸運である。&lt;/strong&gt;<br><br>僕自身はそろそろ次のステージ行くべき時が来たのではないかと<br>最近、よく考えるようになった。<br><br>続く。&lt;/strong&gt;
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<pubDate>Mon, 04 Oct 2004 19:23:59 +0900</pubDate>
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