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<title>私の足跡</title>
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<description>日々の暮らしや、趣味の旅行を通して感じたことを書きます。誰かに読ませるような着飾った文章ではなく、もっぱら自分のための備忘録です。</description>
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<title>我が街のこと(1)</title>
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<![CDATA[ <p>わけあって転居が決まり、今の住まいを引き払うことになった。</p><p>季節を間違えたような陽気の下、久しぶりに近所を散歩していたら、あと２ヶ月もしないうちに自分がこの街の住民ではなくなってしまうことが何とも寂しく思えてきた。</p><p>転居は自分から望んだ結果だし、その判断につき一点の曇りも後悔もないけれども、この街を離れがたいというのもまた嘘偽らざる今の心持ちである。</p><p>そこで、この心持ちが熱をたたえているうちに、私はどうしてこの街を選び、どんな暮らしを享受し得たのか、雑駁にでも振り返っておきたいと思って記事にすることにした。</p><p>&nbsp;</p><p>私が住んでいるのは東京のど真ん中（と表現して差しさわりないだろう）、新宿区は牛込地域の某所である。住所こそ違うが、いわゆる「神楽坂エリア」とくくられる地域に属している。</p><p>江戸時代には寺町や武家地だったところで、寺町については今も「横寺町」にいくつかの寺院があるなど、往時の雰囲気を濃厚に残している。</p><p>神楽坂は花街が発達し、関東大震災で大きな被害を受けなかったこともあって、壊滅した下町の商業機能の受け皿として繁栄を極めたという。その後、商業機能は新宿などのターミナル駅に奪われ、花街も戦後になって衰退したものの、近年人気ドラマの舞台になったことなども後押しして、今も多くの来街者を集めている。</p><p>&nbsp;</p><p>では、そんな神楽坂エリアに、おのぼりの私がどうして住まうに至ったのか。</p><p>ここに越してくる前、私は多摩地域の東にある調布市に住んでいた。ひと口に調布といっても結構広く、私が住んでいたのは、昭和合併前でいうと「北多摩郡神代町」という自治体に属していたエリアである。</p><p>23区に隣接しているにもかかわらず、駅前に広い畑が広がり、農家の軒先で野菜や果物が直売されている牧歌的な雰囲気がとても気に入っていた。</p><p>かつての私は、おのぼりの身でありながら、都会というものをどこか厭っていた。というより、食わず嫌いしていた、と表現した方が正確なのかもしれない。</p><p>都会を厭うようになったのは、上京したばかりの頃に池袋や新宿を歩き、駅まわりのゴミゴミした雑踏の雰囲気が身体になじまなかったのと、その経験が私の中で「東京23区＝ゴミゴミした雑踏」という等式を三段跳び式に（？）作り上げてしまったことが原因である。</p><p>だから、たとえ通学先や通勤先が都会の真ん中であろうとも、住まいだけは絶対に郊外にしようと頑なに決めていた。調布市に越してくる前に住んでいたのは埼玉県、しかも大宮以北だった。調布に引っ越して、通勤に「大手私鉄の」京王線を使うというただそれだけで、「すっかり都会の人になっちゃったなァ」などと思ったものである。</p><p>&nbsp;</p><p>その食わず嫌いを直してくれたのは、空襲を逃れた戦前の風景が残る神田須田町の街並みや、最近重要文化財に指定された日本橋三越本館の大吹き抜けである。</p><p>東京とて、ゴミゴミした場所ばかではなく、あちこちに見るべき風景が息づいている。そう認識を改めた私は、ターミナル駅の風景だけではない東京を、日ごと夜ごとにつぶさに歩き回るようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな日々が続くうち、そんな大都会の風景の中に、今度は一人の住民として身を置いてみたいと考えるようになった。でも、のんびりした郊外できれいな空気を吸う今の暮らしが決して嫌いなわけじゃない。引越に伴う負担も馬鹿にならない。私は躊躇した。</p><p>でも、そこでまた考えた。自分の給料では、賃貸で都心に住むことはできても、家を買って住むことはきっと叶わないだろう。だったら、家庭を持っては一生住むことのできない街に、独身の今のうちに住んでみることは貴重な人生の経験になるのではないか。本来は学生のときに謳歌しておけばよかった、気ままで愉快な大都会の暮らし。いまからでも遅くはない。</p><p>ここに私の腹は決まったのである。</p><p>&nbsp;</p><p>では、具体的に大都会のどこに住まうのか。</p><p>絞り込むにあたり、私が設定したのは次の条件である。</p><p>・山手線の内側であること。</p><p>・地形的には台地上にあること。</p><p>・複数の鉄道路線を使えて、都内の各ターミナル駅や繁華街へアクセス至便であること。</p><p>・近所に商店街があること。</p><p>・飲食店がたくさんあること。横丁があること。</p><p>・映画館（シネコンではなく、街の映画館）があること。</p><p>・徒歩圏内に銭湯があること。</p><p>都内の地理に明るい方ならおわかりいただけることと思うが、山手線の内側どころか、23区全域、いや都内全域にスコープを広げたとしても、これらの条件を全て満たす街というのはそう多くない。（「地形的には台地上に」の時点で、東京の東側はことごとく選択肢から外れてしまう。東京の東側が全て災害に弱いと考えるのは視野狭窄も甚だしいが、住まおうとする場所について得られる情報が完全なものとはなり得ない以上、相対的にリスクの低い選択肢を採用したかったのである。でも、この条件に「山手線の内側」を加えてしまうと、そもそもほとんど選択肢が・・・いやもうやめておこう）</p><p>果たして、物件探しの舞台が神楽坂エリアに絞り込まれるまでにそう時間はかからなかったのである。そして今に至る。</p><p>&nbsp;</p><p>「私はどうしてこの街を選び」の時点で、2,000字を超えてしまった。長くなるので、いったん筆を擱きたいと思う。続きは後日。必ず書きますとも。私の足跡を私が振り返るために。</p><p>&nbsp;</p><p>※神楽坂の歴史についての記述は、一部「神楽坂をよく知る教科書」（2019　ＮＰＯ法人粋なまちづくり倶楽部）を参考にさせていただいた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/w-branch/entry-12656728954.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Feb 2021 22:29:49 +0900</pubDate>
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<title>年の瀬に</title>
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<![CDATA[ <p>針の穴に糸が通らなくなった。</p><p>&nbsp;</p><p>針の穴といっても、直径でいえば・・・まあ５ミリは下らないはずだ。</p><p>つまり、この穴に糸を通すことは難しくもないどころか、いい大人であれば器用と不器用とによらずできて当たり前の話である。</p><p>&nbsp;</p><p>けれども、針の穴に糸が通らなくなった。</p><p>糸の先端が、どうしても周縁の金属部分にひっかかってしまう。無理に通そうと力がこもり、ほつれてグシャグシャになる。</p><p>仕方がないのでハサミで先端を切り、またトライする。ひっかかる。ほつれる。先端を切る。以下繰り返し。</p><p>通せて当たり前の大きな穴に、なぜだか糸を通すことができない。それが何故なのか認識できず、ただただもどかしさが高まる。</p><p>&nbsp;</p><p>・・・もちろん、裁縫の話をしているのではない。</p><p>昨日のオンライン飲み会での出来事である。</p><p>&nbsp;</p><p>私はとにかく酒が大好きだが、残念ながらあまり強くない。というより、下戸に分類されたら甘んじて受け入れざるを得ない。</p><p>一定の酒量に達すれば、いわゆる酩酊の状態に至ることなく、身体の方からギブアップを宣言してくる。このギブアップ宣言を聞いたら時すでに遅しで、翌朝以降は心の中で呻きながら辛い時間を過ごす運命が待っている。</p><p>もっと飲めたら楽しいと思う反面、この体質が幸いして、酒が原因で不覚に陥ったり、世間様にご迷惑をかけるような経験はこれまでしてこなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>今回、コールともイッキとも無縁な（後者はやっちゃいけないよ）、友人二人とのオンライン飲み会の席において、興の高まりが私を新たな酔いの境地へと至らしめてしまった。</p><p>そのため、来年への自戒も込めて、この文章を書き留めておくことにした次第である。</p><p>&nbsp;</p><p>何事かを熱く語りたいと思い、現に語っているのに、話の論理がどうしてもつながらない。</p><p>それも、個々の文節単位では間違っていないはずなのに、それらを適切に連係させるディスコースマーカーがどうしても出てこない。</p><p>いうなれば、土手が決壊して収拾がつかなくなったもんじゃ焼きとか、ドライバーで釘を打とうとしているとか、そんな状態である（？）</p><p>それでも、この場は自分のターンだし、やはり熱く語っている以上キリのいいところまで行きたいから、支離滅裂に自覚的であるまま、無理矢理言葉を継ぐ。</p><p>そして、内容はともかく、どうにか語り終えるのだが、酔いが醒めた今になって「変なこと言ってなかっただろうか・・・」と不安を覚える。</p><p>&nbsp;</p><p>この「変なこと言ってなかっただろうか・・・」以降は酒量に関係なくいつものことなので特段問題ない（？）のだが、酒に起因して人間の論理性が一時的にいちじるしく損なわれるプロセスを、これほど鮮明に実感するような酔い方は初めてのことだった。だから、ちょっと当惑している。</p><p>聞き手側がどのように感じたかはまた別の問題だが、少なくとも私はこのとき、アタマを指数関数的に支配していく恐ろしい何かと闘い、眠りへの撤退戦を強いられていたのである。</p><p>&nbsp;</p><p>年の瀬だし、飲み会を企画した人間としては、色々としゃべった内容をいい感じで総括した上で「来年もよろしくねッ！！」と爽やかに終わらせたかったのだが、画面外に沈んでいくちょっと恥ずかしい姿をお目にかけてしまった。</p><p>やはり、いつもと違う飲み方をする際にはよくよく注意しなければならないことを思い知った。今回の敗因は、ここのところ毎晩日本酒を飲んでいて身体に負担がかかっている自覚があったので、じゃあ蒸留酒にしようと乙類焼酎をロックで水のように飲んでしまったことである。</p><p>&nbsp;</p><p>冷静に考えれば、身体を労ろうとしているにもかかわらず、（醸造酒と蒸留酒の違いがあるとはいえ）アルコール度数が倍の酒類に切り替えて飲むという発想自体が支離滅裂もいいところである。やはり、私は針の穴に糸を通せない人間なのかもしれない。</p><p>でも、飲み会でのエピソードをこんな文章にできること自体、何はともあれいい酒を飲むことができたことの証左に他ならない。来年もたくさんいい酒を飲んでいきたいと願うものである。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに来年というが、今日も別件のオンライン飲み会である。</p><p>今日はノンアルコールにしようかな・・・。</p>
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<pubDate>Tue, 29 Dec 2020 09:37:55 +0900</pubDate>
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<title>02/10/26</title>
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<![CDATA[ ここのところ、目も回らんばかりの忙しさが続いていた仕事に、いっときの凪が訪れた(来週あたりからまた忙しくなるのだが)。<div>久し振りの定時。そこで、コロナ禍で久しく足を運んでいなかった行きつけの喫茶店に足を延ばして、ゆっくり本でも読むことにした。</div><div><br></div><div>この喫茶店、コーヒーが美味しい、きびきびとした店員さんの接客が好印象、広い、明るい、無料Wi-Fiの通信品質も良好…と、仕事帰りのひとときを有意義に過ごすにはこの上なく相応しい空間である。</div><div>その反面、お値段は決して安くない上に、滞在が３時間を超えるごとに追加のオーダーを求められる。</div><div>自粛生活の副産物として、お金が貯まる嬉しさをはからずも最近ようやく理解し始めた私は、きっかり３時間で切り上げて気持ちよく家路を急ぐ…はずであった。</div><div><br></div><div>………はずであった。</div><div>果たして私は、飲み切れない２杯目のアイスコーヒーのグラスをぼんやりと眺めながら、４時間の滞在に至らんとしている。</div><div>「追加の注文どうしますか」と打診されたとき、持ってきた本をあと20ページほどで読み終えるところだったから、これはやむを得ない。もう少し私に読書力があれば、一食ぶんのお金が浮いたことだろう。</div><div><br></div><div>これで終電近くまで粘れてしまうけど、スマホのバッテリーも少なくなってきた。読書したらいささか頭も疲れたし、さて何をして過ごそうか。</div><div>この後の過ごし方がどうであれ、今宵は、濃いコーヒーのカフェインが効きすぎてきっと眠れないことだろう。はからずも、秋の夜長。</div>
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<pubDate>Mon, 26 Oct 2020 21:23:46 +0900</pubDate>
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<title>02/10/21</title>
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<![CDATA[ 実は睡眠時間短い方が元気なんじゃないか、説がますます有力視される今日この頃。<div>7時起床だけど、2時半頃に寝ようと思う。</div><div><br></div><div>さて、昨夜見た夢について。</div><div>とある地方空港。開港当初は路線も徐々に増えて賑わったものの、交通アクセスの不便さが災いして搭乗率は伸び悩み、じり貧に。</div><div>近年はインバウンドの増加を契機として国際線の誘致に注力していたが、コロナウイルスの影響で外国人の姿ははたと消えてしまった。欠航続きの果てに、航空会社の撤退。</div><div>残されたのは、がら空きの広大なロビー。放置していては、維持管理費が嵩むばかり。</div><div>紆余曲折の結果、フロアの一部について、航空需要が回復するまでの間、著名な建築家が手掛けた独特な建築の意匠を活かす形で、現代アートを展示する空間として暫定利用されることになった。</div><div><br></div><div>…という、あり得そうであり得なさそうな、妙にリアルなお話。</div><div>今宵も、夢枕から話の種が生まれますように。</div>
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<link>https://ameblo.jp/w-branch/entry-12632844775.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Oct 2020 00:59:56 +0900</pubDate>
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<title>02/10/18</title>
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<![CDATA[ 甲斐路のプチ旅。<div>知る人ぞ知るラドン温泉で湯治の1日をすごしている。</div><div>建屋は鉄筋コンクリ造で築50年、といったところだろうか。マッチ箱を思わせる質実剛健な昭和建築だが、甲府盆地らしいシュワシュワしたぬる湯を活かしたラドン浴の気持ちよさといったら何物にも替えがたい。</div><div><br></div><div>行きの道中、運賃をケチって乗った京王線(準特急高尾山口ゆき)の車内で中島みゆきの「杏村から」を聴いていたら、不意に涙があふれてきてしまった。</div><div>夢を追って出てきた都会でもがいて暮らす主人公のもとへ、故郷の村から誕生日を祝う手紙が届く、という歌。</div><div>一人の部屋には電話機もなかったのだろう。スマホひとつでどこへでも気軽に連絡できてしまう今日からすれば隔世の歌詞である。しかしそれでも、日本人の心根に淡々と、しかし切々と訴えるこの歌の素晴らしさはいささかも揺らがないと思う。</div><div><br></div><div>…やはり、短い文章なら程々に酒が回っていた方が書けるらしい。湯上がりのビールを飲みながら。</div>
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<pubDate>Sun, 18 Oct 2020 08:36:06 +0900</pubDate>
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<title>地方の時代</title>
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<![CDATA[ <p>地方都市の衰退が叫ばれて久しい。</p><p>国が地方創生を高らかに唱えたところで、東京へ東京へと集まる人の流れは一向に変わることなく、むしろ加速していった。</p><p>その歯車を、コロナが一気に逆回転させつつある。ここのところ、東京の人口に転出超過が生じ始めているという。働き方改革が今度こそ「地方の時代」の嚆矢となるのか、淡い期待とともに趨勢を注視したいと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、そんな地方都市のお話。</p><p>私は全国津々浦々、地方都市を歩くのがとにかく好きだ。</p><p>事前に収集した基礎情報をもとに、主に商店街や歓楽街をつぶさに歩く。百貨店があれば、デパ地下を物色して地の飲料や調味料を買い求める。その上で、いわゆる名所や観光地も最低限は押さえる。夜はなるべくカウンターの居酒屋で飲み、居合わせた客や店主と他愛のない会話を交わす（コロナの今はちょっと難しいが）。</p><p>公共交通もレンタサイクルもあまり使わず、道から道へと気の向くままにとにかく歩く。この高揚感は、何物にも替えることができない。</p><p>&nbsp;</p><p>フィールドワークとまで書いてしまうといささか大仰だが、こうした消費行動を伴う一連の街歩き（と言っておこう）を通して、その地方都市にどのような特色があるのか、あれこれ思い巡らすのがとても楽しい。また大仰にいえば、非常に知的好奇心を惹起されるものである。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな街歩きを繰り返していると、心から魅力的だと思える地方都市に出会う機会が年に数回ある。直近だと、兵庫県の豊岡や佐賀県の唐津がそうだった。</p><p>一体私は、地方都市のどんな側面を捉えて魅力的だと感じているのか。その思考の一端を書き留めておきたかったので、この記事を書き始めた。</p><p>&nbsp;</p><p>ごく端的にいえば、私にとっての魅力的な地方都市とは、東京で享受できないものを提供してくれる都市である。都市の規模は必ずしも重要ではない。</p><p>当然のことだが、ここで書いた「もの」とは財の一般だけを指すものではない。財であれば「相応の対価があれば」東京で手に入らないことなど皆無だし、eコマースがこれだけ発達している昨今、どんな過疎地でも大抵の買い物はできてしまう。</p><p>昨今は、財の消費と対比的にいわゆる「コト消費」がさかんに喧伝され、もはや物的な豊かさだけを希求する時代ではないとされて久しい。地方都市に感じる魅力は、まさにこの「コト」の範疇に属するものが少なくない。</p><p>※物的な豊かさ自体についての性急な不要論には懐疑的でありたい。物的充足は必要条件であって、十分条件ではないというだけの話だと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>話を戻す。「コト」という言葉は極めて多義的だ。だから、地方都市の魅力を「コト」という観点で語ろうとすると、この文脈に即して過不足のない定義を「コト」に与えなければならない。しかし私の語彙力と文章力と、退勤後の体力とを考えると若干難儀である。</p><p>したがって、「こんな地方都市は魅力的だ！！」と感じる具体例を以下に列挙しようと思う。言葉をこねくり回すより、共感してもらうには絶対にその方が早い。</p><p>他にもあるはずだが、思い出せないだけかもしれないのであくまで一例である。</p><p>&nbsp;</p><p>・地物の生鮮食品や加工食品が「安価で」手に入ること。</p><p>&nbsp;（たとえば、直売所でミカン1袋200円とか…）</p><p>&nbsp;</p><p>・市街地または近隣にかけ流しの温泉があること。</p><p>&nbsp;（東京にかけ流し温泉は極めて少ない。あっても料金が高かったり、時間帯をよく吟味しないと芋洗いだったり、とにかく気軽に使えない）</p><p>&nbsp;</p><p>・山や海など、自然の風物に囲まれていること。</p><p>&nbsp;（旅行の効用でいうところの転地効果）</p><p>&nbsp;</p><p>・市街地または近隣に醸造所や蒸留所が立地すること。</p><p>&nbsp;（酒に限らず醤油や味噌も。地産地消な暮らしへの憧憬）</p><p>&nbsp;</p><p>・商店街や歓楽街がチェーン店に侵食されておらず、かつ一定の集積を維持していること。</p><p>&nbsp;（東京は、元気な商店街ほどチェーン店ばかりだったりする）</p><p>&nbsp;</p><p>・古い建物や町割りが残っていること。</p><p>&nbsp;（重伝建のように小綺麗な保存地区も悪くないが、市街地でごく自然に供用されているレトロ建築こそ魅力的）</p><p>&nbsp;</p><p>・地元住民のお国訛りが聞こえてくること。</p><p>&nbsp;（飲食店における常連客と店主との会話とか）</p><p>&nbsp;</p><p>ざっとこんなところか。</p><p>街歩きに先立っては、日々グーグルマップを穴が開くまで見つめるなどして情報収集に努めているが、残念ながらこれらを全て満たす地方都市は少ない。</p><p>&nbsp;</p><p>とはいえ、少なくともこの思考からこんな着想が生じる。</p><p>肩で風を切って暮らす我が街東京（地方出身者が東京を我が街などと書くのは大変な思い上がりかもしれないが、あえてこう書く）は、あらゆる機会に満ち溢れた自由な大都会の顔をしつつも、実は手に入らないものばかりなんじゃないだろうか？</p><p>コロナ以降、この着想は特に膨らんできている。</p><p>&nbsp;</p><p>私は大学も都内だったし、職場もずっと都内だから、少なからずこの東京に育ててもらった自覚がある。好きか嫌いかと問われたら迷わず好きだと答えたい。いま住んでいる家もこの街も、離れがたいほど気に入っている。</p><p>しかし、半ばライフワークたる地方都市の街歩きを繰り返し、その魅力を垣間見るにつけ、何度も自問してしまう。</p><p>高い生活コストと引き換えの東京暮らしは、果たしてそのコストに見合うだけの価値をもたらし得ているのだろうか？</p><p>在宅勤務がFace to faceに劣らない円滑なものへと進化する未来を仮に念頭に置いたとき、自分のライフステージに即して、暮らしのあり方をどう構想すべきなのか？</p><p>&nbsp;</p><p>私にも、「地方の時代」が近づいているのかもしれない。</p><p>そんなことをぼんやり考える、秋の夜長。</p>
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<link>https://ameblo.jp/w-branch/entry-12627093014.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Sep 2020 23:48:49 +0900</pubDate>
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<title>今宵ほろ酔い</title>
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<![CDATA[ <div>吉田拓郎のオールナイトニッポンを聴きながら、この記事を書いた。</div><div>あまり筆が乗らなくて、文字数の割に時間がかかってしまったことを猛省したい。</div><div>古希を過ぎた拓郎の思いはあるにしろ、やっぱりライブやってほしいなあ。結局一度も見に行ってないし。</div><div><br></div>さて、アストラゼネカのワクチン臨床試験が一時中断したりと、相変わらず先行き不透明な情勢ではあるが、遠出が許されそうな雰囲気が何となく漂ってきたので、ともかくも旅に出ようと考えた。<div>いま、ウキウキしながら具体的な旅程を詰めているところだ。</div><div>もちろん、感染対策の徹底が大前提であるから、マスク着用の窮屈さから逃れることはできないが、それでも旅をするというだけで心が踊り出さんばかりにただただ嬉しい。</div><div><br></div><div>東海道・山陽新幹線で、西へ西へ。</div><div>実家が東北なので、私にとって新幹線といえば「やまびこ」や「つばさ」のことだった。</div><div>全ての都道府県を踏破して久しくもなお、西へ向かう新幹線は、「のぞみ」や「ひかり」はもちろん、「こだま」でさえ、異郷の地へと向かう旅の高揚感を象徴する列車であり続けている。</div><div><br></div><div>始発の下り「のぞみ」に乗り、夜も明けやらぬまどろみの中、東京の町並みをぼんやりと眺めながら車内放送のチャイムが聞こえたとき、えもいわれぬ多幸感に満たされる。<br></div><div>チャイムはＪＲ東海車両の「AMBITIOUS JAPAN!」も悪くないが、やはりＪＲ西日本車両の「いい日旅立ち」をぜひ聞きたいところだ。</div><div>東海道区間において後者が少数派なのは残念だが、あの哀愁を帯びたメロディーラインは日本人のＤＮＡを本源的にくすぐるものだし、旅のバックミュージックとしてこれ以上に相応しい音楽もそうそう見当たらないと思う。</div><div><br></div><div>とはいえ、チャイムとそれに続く車内放送はすぐに終わってしまう。だから、旅の高揚感をますます高揚感たらしめるためにも、間髪入れずにイヤホンで次のバックミュージックを流したいところだ。</div><div>同じ谷村新司で、旅に似つかわしい他の曲といえばやはり「三都物語」だろうか。私と同い年のこの曲も、ＪＲ西日本のキャンペーンソングだったそうだ。</div><div>「胸騒ぎの旅」の始まりが、今は何より待ち遠しい。</div><div><br></div><div>暑さもようやく盛りを過ぎ、夜風に揺られて歩くのが心地よい季節が到来しつつある。</div><div>出発の日まで首を長くして、明日も町中華でキリンビールと洒落込みたい今宵ほろ酔いこの頃である。</div><div><br></div><div>…よくわからない文章を書いてしまった。</div>
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<link>https://ameblo.jp/w-branch/entry-12624280207.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Sep 2020 22:53:20 +0900</pubDate>
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<title>週末に向けて</title>
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<![CDATA[ 最近、「家と職場の往復」というよく聞く言葉を体現したような生活を送っている。<div>夜遅くまで仕事をして最寄り駅に着いても、時短要請のさなかで営業している飲食店は限られており、街にはうら寂しい雰囲気が漂う。</div><div>こんな状況でしたたか飲んで帰るのは世間体がとがめるから、コンビニ飯を肴に缶のレモンサワーあたりを呷って、さっさと寝てしまう。そして、同じような朝が来る。その繰り返しである。</div><div><br></div><div>ここ数年、繁閑の波はあれど、少しでも時間の取れるときには、資格のための勉強をしてみたり、本を買って読んだり、趣味の講座に申し込んだり…と、大それたことは何もないのだが、少しでも新しいことに手を出して、日々少しでも新しい自分であろうと心がけてきたつもりだ。</div><div>しかしここ数週間、たまに早く仕事を終えてみてもそうした意欲が湧いてこないのである。何か面白い話題はないものかと一応思考を巡らせてみるものの、気がつけば長い惰眠を貪ってしまっている。</div><div><br></div><div>こう書くと、いわゆる鬱の類の症状なのでは…と思われそうだが、特に気が沈んでいるという訳ではないから、おそらく違う。</div><div>人間が前向きに行動しようとする意欲は、前向きな時代観に裏打ちされてこそ成り立つものであり、ここ数ヶ月でその時代観が見るも無惨に崩壊してしまったに他ならない。</div><div><br></div><div>という抽象的な言い回しではわかりにくいので、換言しよう。</div><div>昭和の時代が肯定的な文脈を伴って顧みられるとき、「あの時代は今ほど豊かではなかったけど、高度成長の中、明日は今日より豊かになるという希望に満ちていた」などとよく言われる。</div><div>私たちはその文脈に追従するとき、いやおうなく現代と対比し、人口減少と成長の鈍化に直面する我が国の将来を憂えるのである。</div><div>しかし、少なくとも私自身に関しては、コロナ禍がここまで広がるまで、将来について曲がりなりにもポジティブな展望を持っていた(ということに気付いた)。</div><div>それはすなわち、「人口は減るが、オリンピックや万博で短期～中期的には堅調な経済状況が続くし、インバウンドもこれだけ増えているのだから、必ずしも未来は暗いばかりではない」という展望である。</div><div>このような展望があれば、その中で自分も、たとえ無名でも何らかの社会的役割を果たしてうまいこと楽しく生きていこう、その為になしうることは若いうちにどんどん手を出そう、という思考回路の好循環が成立する。</div><div><br></div><div>コロナ禍は、この好循環の前提条件をことごとく奪い去ってしまった。</div><div>結果として今の私を包み込んでいるのは「もういいや」という類の深い閉塞感である。閉塞感ゆえに行動意欲が衰え、また閉塞感をもたらすという悪循環が生じる。</div><div><br></div><div>どうしたものかと沸き起こる焦燥と、文鎮のように居座る諦念が、不思議な心の均衡をもたらしたまま、私は今宵もレモンサワーをただ呷っている。<br></div><div>しかし、自分を騙してでも、少しでも明るい展望を植え付けなければ、若い日々が無為なままにただ過ぎ去るだけだ。<br></div><div>よく晴れるであろう晩夏の週末の過ごし方が、この均衡を打破する契機となることを願わずにいられない。</div><div><br></div><div>その過ごし方はまだ決まっていないが、ひとまず中島みゆきの「時代」をこれから聴こうと思う。</div>
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<pubDate>Fri, 28 Aug 2020 23:52:57 +0900</pubDate>
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<title>明るい山村</title>
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<![CDATA[ 先日、平日に休みが取れたときの話。<div>こんな時節ではあるが、いやこんな時節だからこそ、不安に満ちた日々の雑念から解き放たれて自然の中を歩きたいとふと思い立った。</div><div>とはいえ、こんな時節だから不用な遠出との謗りをむやみには受けたくない。(遠出自体を十把一絡げに問題視するのは個人的に疑問だが、その話は別の機会に)</div><div><br></div><div>そこで地図を見ながらあれこれ思い巡らしていたところ、檜原村の最奥に「都民の森」なる自然探勝施設(？)が整備されているのを発見した。</div><div>(自分が生まれる前からそこに施設はあるのだから、「発見」などという言い回しは少々冒険家気取りで思い上がってるんじゃないかと打ち込みながら一瞬考えたが、その話は別の機会に)</div><div><br></div><div>檜原村といえば、伊豆諸島や小笠原諸島を除く本土東京で唯一の「村」として名高い(？)。東京に住んで10年近くになるが、そういえば訪れたことがない。</div><div>都内で山のレジャーといえば青梅市の御嶽や奥多摩町、すなわち多摩川べりの町々をイメージする人が多いかもしれない。しかし秋川の上流に位置するこの村も、段々と標高を上げる狭い谷筋にぽつぽつと集落が立地しているようだ。シチュエーションとしては、申し分ない山奥である。(申し分ない山奥ってなんだ)&nbsp;</div><div><br></div><div>都内から出ることもなく、過密状態を避けて散策できそうだ。きっと山並みが素敵で川も清流なんだろう。多分。というわけで、行ってみることにした。</div><div>で、行ってみた感想は、一言でまとめるとこの記事のタイトルのとおりである。以下、なぜそのように考えたか簡単に記す。(←この着想の備忘録とすることがブログの目的)</div><div><br></div><div>・整備状況が素晴らしい「都民の森」</div><div>素晴らしすぎて大いに感動した、というお話。</div><div>「都民の森」までは、武蔵五日市駅から急行バスで１時間の旅路である。入口には駐車場やバス停に加えてトイレや土産物屋があり、その傍らから散策路が山中へと続いている。</div><div>案内板に、地図に沿ったモデルルートがいくつか書かれている。都内とはいえ1,000メートル級の山地だから、本格的な山歩きを楽しむこともできるのだが、私のように山歩きの識見がない多くのレジャー客は、南秋川で最大という滝を見下ろすために架けられた鉄橋までの１キロ弱を歩き、折り返して戻ることになる。</div><div>その鉄橋までは、入口から階段を上りきるとほぼ一本道の遊歩道になっているのだが(鉄橋から先は知らない)、この遊歩道の整備状況がとにかく素晴らしい。</div><div>なんと、地面が全面ウッドチップ敷きなのである。柔らかく、しかし歩行者の自重を絶妙に跳ね返す質感のおかげで、歩いても全く疲れることなく心地よい。</div><div>そして、最近付け替えられたのだろうか、谷側の路傍の柵には老朽化や損壊の影も形もなく、ピカピカな状態で設えられている。</div><div>さらに大事なこととして、山側の崖がちょっとでも遊歩道にせり出している箇所があれば、その全てに落石対策フェンスが隙間なく施されている。</div><div>こんな至れり尽くせりの遊歩道が終始続くから、私たちは森と水辺の空気を安心して胸一杯吸い込めるというわけだ。標高1,000メートルを超えるだけあって気温は都心より7度ほど低い計算だから、涼しげな風が頬をなでてまさに別天地である。豪快で優美な滝もさることながら、途中の展望スペースから眺めた山並みと青空が何より素晴らしかった。</div><div>さて、ここは何を隠そう「都民の森」である。気軽な自然探勝の機会を提供することで都民の厚生向上を図り、かつ誘客や地場産品の販売を通して山村を振興するために整備された(んだろう、きっと、ちゃんと調べてないけど)。</div><div>森が開設されたのはバブル華やかなりし平成２年のこと。恐らく滝を見るためだけに架けられた鉄橋といい、整備にはけっこうな費用を投じたはずである。</div><div>それがいいとか悪いとかいった議論をここでするつもりは一切ない。ただただ、この規模の施設を30年間この素晴らしい状態に維持してきているという事実から滲み出る、東京の豊かさにぼんやりと思いを馳せずにはいられない。</div><div><br></div><div>・充実の公共交通</div><div>檜原村に鉄道は通っておらず、武蔵五日市駅から京王グループの西東京バスを利用することになる。</div><div>定量的に分析したことがないので一概には言えず、単なる経験則の範疇だが、地方圏でこの規模の谷あい山村であれば最寄り駅からのバスは一日に数便、それも主要道を通る基幹系統だけで枝葉の路線はとっくに廃止かデマンド交通で代替…なんてのが関の山である。</div><div>しかし檜原村は違う。秋川はちょうど村役場のところで二股に別れ(北秋川と南秋川)、それぞれの川べりに集落が展開していくのだが、西東京バスはちゃんと両方の谷筋に路線を走らせており、しかもそれなりの本数(日中おおむね90分おき)が確保されている。そして、それなりに客が乗っている。</div><div>都内各地からのレジャー客に支えられている面が大きいのだろうが、結果として村の住民も一定の都市的利便を享受できていることになる。武蔵五日市駅まで出てしまいさえすれば、都心まではそう遠くない道程である。</div><div>(ちなみに買い物となると、わざわざ都心に出なくても、車なら日の出町のイオンモールまでそう遠くないはずだ)</div><div><br></div><div>以上の点から私は檜原村を「明るい山村」とした。就業構造など含めた住民の生活実相について具体的に調べたわけではないし、一つの施設の整備状況と交通事情を少々見ただけでこのように書くのはちょっと短絡的かもしれない。</div><div>でも、旅先で得る着想において直感というのはとても大事な要素だと考えている。直感を出発点にして、色々な思索がより具体的に枝分かれしていけばいいのだ。</div><div>で、今回、その直感というのは直接話法で言い換えればこうだ。「やっぱり、どこまで行っても東京は東京なんだなあ…」</div><div><br></div><div>次回は、兜造り(養蚕農家の建築様式で、檜原村に多く残る)の民宿にでも滞在してもう少しゆっくり、この「明るい山村」を楽しんでみたいと考えている。</div>
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<link>https://ameblo.jp/w-branch/entry-12616604676.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Aug 2020 06:15:32 +0900</pubDate>
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<title>経世済民</title>
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<![CDATA[ 何のハッシュタグも付けずに投稿したのに、記事に初めてのいいね！が付いていた。<div>自分ではたわいないと思っている文章も、誰かに楽しく読んでいただけたとなれば少なからず嬉しいものだ。その昔、初めて作ったホームページで、初めてゲストブックにコメントが付いた日のウキウキした心持ちを思い出した。</div><div><br></div><div>さて、コロナ禍の勢いが止まらない。</div><div>いくら検査数が増えているとはいえ、感染の再拡大は誰の目にも明らかである。</div><div>あの春先の辛い暮らしぶりに戻ることを、薄々覚悟している人もいることだろう。しかし、こんな状況でも、政府は自粛へと舵を切ることに及び腰だ。それは、自粛による需要の蒸発が経済に及ぼす影響があまりに大きいからである。</div><div>(と、断定的に書いてしまっているけど、あくまで私見です。)</div><div><br></div><div>しかし、ひとたび感染爆発が起これば、経済が云々という議論を飛び越えて自粛生活へと至らざるを得ないだろう。経済優先のあまり、感染拡大局面における事業者救済のスキームが十分検討されず、何の後ろ楯もないままなし崩し的にロックダウン…なんてことになったら最悪だ。</div><div>菅さんが休業補償の制度化に意欲を示しているのは、そんな問題意識があってのことだ(と理解しているけど、違ったらすみません)。</div><div><br></div><div>こんな状況下で、一般消費者たる我々はどう振る舞えばいいのか。消費行動を通して困っているこの店、あの店、かの街を助けたいと思っている人はきっと多いだろう。でも「行って応援」「買って応援」といった行動にさえ感染リスクが足枷になるのだから、何とも歯がゆいところである。</div><div>ｅコマースがあるだろうと言われるかもしれないが、恐らく傾向的には、コロナが直撃して困っている売り手ほど、ネット社会の販売チャネルから縁遠かったりするんじゃないだろうか。</div><div><br></div><div>だからこの問いに対する正解はないし、行政が針路をはっきりと示さないこの状況下では、一人一人が感染リスクと自身の行動とを天秤にかけて判断するしかないだろう。</div><div>私は商店街が好きだ。そして、自分の住んでいる街にも商店街がある。だから、コロナ禍を原因としてシャッターを閉めてしまう店が一つでも少なく済んでくれることを願わずにいられない。</div><div>そのためにも、ネット通販ばかりで済ませずになるべく近所の個人店で(なるべく閑散時間帯に)買い物をするとか、テイクアウトに軸足を移して頑張っている飲食店で意識的にお昼ご飯を買うとか、月並みなことしか言えないけど、自分の身辺で回っている経済に気を配る努力を欠かさずに過ごしたいものである。</div><div><br></div><div>などと言っておきながら、この時間まで残業のやむなきに至ると、飲食店はバーぐらいしか開いていない。ゆえに、コンビニ飯と缶ハイボールで遅い夕飯を済ませることになる。</div><div>…でも、コンビニも元を辿れば街の酒屋さんだったりするわけだから、自宅近所の店舗ってだけで良いことにしようと思う。自己弁護も大事な処世術だ。</div><div><br></div><div>備忘録なのに、なんだか説教臭い文章になっちゃったな。</div>
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<link>https://ameblo.jp/w-branch/entry-12614301977.html</link>
<pubDate>Wed, 29 Jul 2020 22:24:27 +0900</pubDate>
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