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<title>胡蝶の夢とシニアの時間</title>
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<description>シニアの方と関わることの多い毎日。８０代、９０代、この年代の方々とのやりとりに、まるで玉手箱を開けるような時空を超えた感覚がある。懐かしくももの寂しい、胡蝶の夢の時間。私だけが聞いては勿体無い、忘れないよう一人一人のお話をいま、書き留めていこうと思う。</description>
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<title>蟹料理</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201020/18/wabisuke-2020/0e/2b/j/o0250032114837903778.jpg"><img alt="" height="321" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201020/18/wabisuke-2020/0e/2b/j/o0250032114837903778.jpg" width="250"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　９０代&nbsp;Sさんの話が続きますが。。。とてもキュートな発想力のお話。</p><p>&nbsp;</p><p>主人の仕事で、香港に住んでいた時期があってね、その時、料理教室に 2 年ぐらいかな、 通ってたの。中国の先生にいろんな料理を教えてもらってね。ある日、蟹を料理する日があっ て、先生と一緒に市場まで買いに行ったの。あっちでは生きたまま買ってきて、調理するギリギ リまで生きてるのが新鮮だからって。その買って来た蟹を私は、お風呂場に入れておいたの。 なんか、餌をあげたほうがいいかなと思って、「さるかに合戦」の話があるでしょう?だから飯粒 をあげておいて。しばらくして、調理をすることになって、先生が蟹を持って来て頂戴とおっしゃ るからお風呂場に行ったら、蟹がいないの。逃げちゃったみたいなの。探したら隣の家にいって たの(笑)。</p>
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<pubDate>Tue, 20 Oct 2020 18:24:01 +0900</pubDate>
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<title>胃腸炎と美智子様</title>
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<![CDATA[ <p>􏱎􏰙􏱏􏰂􏱐􏰉􏰍</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201019/06/wabisuke-2020/32/b2/j/o0620041314837085938.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201019/06/wabisuke-2020/32/b2/j/o0620041314837085938.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>90代　Sさんの話。</p><p>&nbsp;</p><p>􏱎􏰙􏱏􏰂􏱐􏰉􏰍􏰋私が20代の頃。その頃胃腸炎になる人が多かったのかな。 私も胃腸炎になってしまって、近くの病院で入院にすることにな ったの。もう満室で病室が空いてないからって、院⻑先生の床 の間のお部屋で入院していたの。ある日、看護婦さん達が 「先日、退院した美智子さんが、美智子様になった!」って 騒いでいて。美智子さんも胃腸炎だったみたい。直接会った 事はないけど近くに住んでいたからね。同じ時期に同じ病院で 同じ胃腸炎だった(笑)。</p><p>􏱑􏱒􏰠􏱓􏱔􏰕􏱕􏰦􏰴􏰐􏰵􏰶􏰌􏰉􏰍􏰉􏱓􏱔􏰳􏰬􏱖􏱗􏱘􏱙􏱚􏱛􏰺􏰛􏰬􏰐􏰺 􏰝􏰹􏰳􏰚􏰶􏰺􏰋􏱜􏱝􏰚􏰞􏰕􏱞􏰨􏱟􏱠􏰜􏰟􏰬􏰺􏰞􏰾􏱡􏱢􏱣􏱢􏰾􏰬􏰬􏱤 􏱞􏰨􏱥􏰛􏰬􏰏􏰐􏱦􏱧􏰛􏱨􏰟􏰦􏰉􏰋􏰌􏰟􏰠􏰐􏱩􏱪􏰜􏰝􏰙􏱉􏱤􏱞􏰠􏱧􏱫􏰞 􏰯􏱦􏱊􏰳􏰬􏰞􏰽􏰴􏰐􏱬􏰉􏱭􏰚􏰡􏰙􏰏􏰐􏱝􏰝􏰺􏱓􏱔􏰶􏰿􏱮􏱯􏰦􏰉􏰋􏱁􏰽􏰾 􏰚􏰉􏰶􏰺􏰻􏰳􏰬􏱋􏰳􏰚􏰿􏰐􏱰􏱱􏰶􏰿􏱝􏰝􏰺􏰙􏱓􏱔􏰭􏱲􏰾􏰬􏰦􏰉 􏰁􏱳􏰀􏰋</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Mon, 19 Oct 2020 07:00:35 +0900</pubDate>
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<title>ネズミと豆腐</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;"></p><p>&nbsp;</p><p>Sさんの戦前の話。</p><p>その頃はね、家や学校にはネズミがたくさんいたの。</p><p>それでネズミたちが屋根裏で走るその音も聞こえてくるの。</p><p>その頃ネズミを捕まえて警察に持っていくと確か５銭だったかな？貰えるの。</p><p>そうして５銭もらうと、５銭でちょうど豆腐が買えるのよ。</p><p>だから、ネズミを見つけると「豆腐」って思うのよね。</p><p>&nbsp;</p><p>警視庁史大正編によると、 一九一三(大正二)年のペスト菌の流行時には、 日本橋の下水にいたネズミがペスト菌を持っていたことが分かり、 警視庁が「捕鼠隊」を組織。 一日に八千匹のネズミを捕らえたと記されている。<br>(2020 年 4 月9日東京新聞 TOKYO WEB より一部抜粋)</p>
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<pubDate>Sun, 18 Oct 2020 06:56:46 +0900</pubDate>
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<title>忘れた葡萄酒（２）</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201017/05/wabisuke-2020/4d/3d/j/o0333051214836000014.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="512" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201017/05/wabisuke-2020/4d/3d/j/o0333051214836000014.jpg" width="333"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>それで戦争が終わってね、その人が戦争から帰ってきたの。 それでまた前のように兄に会いに来るようにうちに遊びにきてね。 そのうちにまた、正式にご挨拶に来たんだけど、 私どうしても気が進まなくてね。どうしてもピンとこなくてね。 困ってしまって。プレゼントもなんだったか3つぐらいくれたんだけど、 全部ね、なんだろう?っていうようなものをくださるの(笑)。 男の人が使うようなベルトとか。それも困っちゃってね。 もうほんとうに困ってしまって。母にも早くお返事しなさいって言われて、 それで断ったんだとおもう。</p><p>それから随分経ってから、兄のお葬式があったときにね、玄関先でその人の声がしたの。 私、その声を覚えてたのね。それで、その時は主人も一緒にいたし、私、その人と顔を合わさ ないように、ってずっと別の部屋にいたの(笑)。</p>
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<link>https://ameblo.jp/wabisuke-2020/entry-12632007305.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Oct 2020 05:24:50 +0900</pubDate>
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<title>忘れた葡萄酒（１）</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201016/13/wabisuke-2020/df/3e/j/o0630040414835659597.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="269" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201016/13/wabisuke-2020/df/3e/j/o0630040414835659597.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>　　96歳おかっぱスタイルSさんのお話。</p><p>私が 20 代の頃。私の兄の友達がいつもうちに遊びに来るの。 あとでわかったんだけど、その人は兄のところに遊びにくるのを口実に、私に会いに来たくて 良くウチに来てたらしいのね。でも私は男性に疎くてね、とってものんびりしてたから。あの人良 くウチに遊びにくるなあって思ってたの。全然話をしたこともないしね。</p><p>そのうち、その人が両親に挨拶に来たみたいなの。でも私はどうしてもピンとこなくて、 話がその時は進まなかったんだけど、いよいよ戦争が近くなって来て、その人がとうとう出征す るって日に母が私に「これをもって、お見送りに行きなさい」ってその頃珍しいぶどう酒を渡す の。あんまり気が進まないけど、お見送りに行かないと悪いかなあ、、、と思って、ぶどう酒持っ て汽車に乗ってその駅に向かったの。</p><p>で、降りてから気がついたの。私、汽車の中にぶどう酒を忘れて来ちゃって(笑)。駅でぶど う酒の忘れ物のことを聞いてもらったら、もう無かった。仕方ないからそのままその人をお見送り に行ったの。ぶどう酒も持ってないし、お見送りに行っても特に話すこともないしなあ、、、って 思いながら。</p><p>駅について、その人を見つけてお見送りをしたんだけど、その時その人が、汽車の中から私に プロポーズして来たの。でも、私困っちゃって。本当にピンとこないから。もう汽車が出ます〜っ て汽笛が鳴って、その人が「早く、早く(返事をください)」って言うし、でも本当に私、困っち ゃって。お断りしたら悪いかなあ、、、って思って私、つい「ハイ」って言ったの。</p><p>それで汽車が出たの。（続く）</p>
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<link>https://ameblo.jp/wabisuke-2020/entry-12631824008.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Oct 2020 09:01:12 +0900</pubDate>
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<title>女学生叫ぶ</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>　現在94歳Kさんの女学生時代の戦時中の話。沖縄が近いこともあって、Kさんの故郷の鹿児島にも米軍がドンドン爆撃を落としてくるようになってきた時期の衝撃的な話。当時18歳の女学生だったKさん。英語科を選択していた（この時代に英語を選択して勉強していたという話も、改めて聞きたい）Kさんは、自分の暮らす地域周辺にも爆撃が落とされている状況時、爆撃を避けるために近くの防空壕に走り辿り着くと、そこにはすでにどこかのおばあちゃんが陣取っていたらしく、他に行ってくれと言われ、Kさんは他の防空壕へと走り回っていたそうだ。その時女学生だったKさんは、おばあちゃんって嫌だな、、と思ったらしい、、、笑。　そして他の防空壕を探し走り回るうちに心の中で何かがブワーっと膨らんだKさんは、瞬時に「自分の命をさらけ出してでも言おう、だって私は英語が少しわかるから。」と覚悟して、どういう状況だったのか詳しくはわからないが、爆撃と爆撃の間に、敵の兵士に向かって</p><p>「あなたたちも子供がいるでしょう！こんな馬鹿なことはやめなさい！」というようなことを英語で叫んだという。</p><p>その女学生のKさんが、叫んでいる時間だけ爆撃が止まっていたという。それがKさんの記憶。その後すぐにKさんはどこかに無事に逃げたから今があるのだろうが、まるで映画の一コマを彷彿とさせる話。いつも遠慮してテレビの前に静かにウトウトと車椅子でずっといるのだが、ツンとつつくと、こういう話がドンドン溢れ出てくる方。記憶はどこまでが現実でどこから創造が入っているのか、入っていないのかも実際は定かではない。でもこんなにやすやすと作れる話でもないと思う。今、よくよく調べてみる。大正14年生まれというのは西暦で1925年生まれ。敗戦の１９４５年には20歳だったということだ。鹿児島大空襲は太平洋戦争のクライマックス1945年の３月から８月にかけてだったらしいから、Kさんは当時20歳だったことになる。娘時代に戦前、戦中、戦後をひたすら全身で駆け抜けたこの年代の方々の話を傾聴するしか今の私には出来ないが、彼女たちの胸に秘めた物語の一つ一つの断片をたぐり寄せ、人間の記憶の記録としてできる限り聞き集めていきたい。</p>
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<pubDate>Thu, 15 Oct 2020 04:27:47 +0900</pubDate>
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<title>GHQ御用達テーラー</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201016/13/wabisuke-2020/98/3d/p/o0535053514835651577.png"><img alt="" height="420" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201016/13/wabisuke-2020/98/3d/p/o0535053514835651577.png" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>　　Gさんは98歳。頭もシャキッとして、いつも腕時計を左手首につけている。背が高く清潔感ある花柄のシャツとシャキッと着て、その上に軽い紺色のニットを着て、ストレッチ素材のパンツをスラリとした足でピタッと履いている。そのキリギリスのような細い足がエネルギーに溢れていて、車椅子に乗っても、長い足で床を蹴って助走をつけて下さるような事もする。98年間もこんなに身体と頭もしっかりされている（耳は若干遠い）のには、何か訳があるんじゃないかと私は常々不思議に思っている。折を見てその秘訣を聞き出したい。</p><p>戦後GHQが都内６００か所の建物を接収していた時期があり、銀座では服部時計店、次いで松屋がPXとして接収されたとのこと。PX&nbsp;というのは”Post Exchange”の略で、米軍基地内の売店のことで、日本人客は立ち入れない、アメリカの軍人とその家族のための店鋪だったらしい。PXは約7年間続いたとのことだが、その松屋の中のテーラーで生地の裁断をしていた当時20代のGさん。まだ日本では見たこともないナイロンやポリエステル生地を進駐軍は自国から持ち込んで来て、その生地で自分や家族の洋服の仕立て注文をしていた当時。Gさんやその同僚は初めて触る未知の生地の取り扱いを知らず、うっかりアイロンで生地の一部を溶かしてしまった事もあったと。その場面を今でもありありと鮮明に覚えていると言う。Gさんの同僚が「まあ！どうしましょう！」とアタフタしている顔、その時のお客が紳士な方で、ひどく怒る事もなくいい人で良かった、という時の居合わせた時のご自分の表情も、多分その当時のその場面でGさんはまさに今と同じ表情をしていたんだろうな。顔は歳とともに変わっていっても、表情ってあまり変わらないのかな、、と話を聞きながら私は妙なことを考えていた。「あちらの方は、パーティーも多いでしょ、だからよくパーティードレスなんかも仕立てたの」「ほら、着物に日本刺繍の入った柄をうまく利用してドレスの上に羽織るドレープなんかも作ったんだけど、着物の生地にハサミを入れてチョキチョキやるなんてことを知って、うちの母親がまあ！着物をハサミで切るなんて！とビックリしてたの」。Gさんの２０代の娘盛り、洋服はまだ全てお仕立てだった頃の話。</p>
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<pubDate>Wed, 14 Oct 2020 07:48:16 +0900</pubDate>
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<title>師の激怒</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201016/13/wabisuke-2020/42/4f/p/o0895040414835653805.png"><img alt="" height="190" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201016/13/wabisuke-2020/42/4f/p/o0895040414835653805.png" width="420"></a></p><p>　</p><p>&nbsp;</p><p>　Tさんは大正14年生まれの９５歳。生まれは横浜だが、お父様が海軍兵だったことでその後は横須賀、広島、徳島に点々と移り住む。東京にも暮らしていたが、戦時中は疎開で徳島へ。疎開したのに徳島でも散々な目にあって食べ物も欠いた事など、戦争は嫌だね、つくづくヤダね、と吐き捨てるように言う。そのTさんの女学生時代に書道に励んでいた時の話。上條信山（しんざん）という師に付く。その師は文化功労者で、その名誉ある賞をいただいた時に、先生がその記念品に何をもらったのか生徒達はとても興味があった。弟子の一人が先生に聞くと、天皇陛下からタバコをもらったという。予想外の品物に、ふーん、タバコを貰ったんだ、、、と白ける一同。気になって調べてみたら、名誉ある陛下からの賞の記念品として「恩賜の煙草（おんしのたばこ）」というものを頂く習わしが２００６年まで続いていたらしい。菊の紋章が入った葉巻。もともと大正天皇が煙草愛好家だったことからも発したようにも書かれているが、起源は不確か。古くは、１８７７年（明治１０年）の西南戦争時に皇后から傷病兵士に贈られたと「明治天皇紀」に記されているらしいが、味は「非常に辛口」「きつい」とのこと。それにしても、名誉ある記念品とは言え、家族も子供も何とも一緒に楽しめないフーンという記念品である。その信山先生についたTさんは、書に励み、のちに自分の教室を持つまでになる。しかし先生はいつもおっかな恐い存在で、ある時信山先生がTさんに指導をされたとき、Tさんは咄嗟に「ああ、そうですか」と返事したと言う。その返事に対して、師は「ああ、そうですか、とは何だ！！」と烈火の如く剣幕でTさんを叱った。Tさんは、固まった。。。。あの時私はなんて返事をしたらよかったんだろうか、と今だに分からないままでいる。そして2020年の今、たまたま居合わせているこの私にさえ聞いてきた。「ねえ、私あの時なんていえばよかったんだろうねえ。わかりました、とか、はい、と言えばよかったのかしら、、。」終戦後のGHQ指導下での教育改革時、戦前まで必修教育だった書道が小学校の自由研究へと格下げに位置付けられた。これに対し、書道は必修科目であるべきだと主張する当時の書壇の猛反発を背負い、書道教育委員に任命され、その後も書道教育の啓蒙活動に尽くされた方。写真を拝見すると、確かに武道の祖のような気骨溢れる風貌で、この方に凄まじい剣幕で怒られたら、誰でも全身瞬間氷！と化するだろうな、、、、と察する。忘れられない記憶、、、、、９５歳のTさんは今だに鮮明に当時を思い出し、苦虫を潰したような表情で身体をブルっと震わした。</p>
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<pubDate>Tue, 13 Oct 2020 06:30:42 +0900</pubDate>
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<title>櫻井の別れ　　　</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201016/13/wabisuke-2020/5b/67/p/o0231034714835655244.png"><img alt="" height="347" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201016/13/wabisuke-2020/5b/67/p/o0231034714835655244.png" width="231"></a>&nbsp;&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　 Kさんは1926年（大正15年）生まれの９４歳。鹿児島出身の６人生まれの末っ子という、それは遠慮深く奥ゆかしい女性。ホームの自室のトイレはKさんしかもちろん使わないのに、トイレ使用後には必ず紙を三角に時間をかけて折り、手を洗えば手拭きタオルの角っこをきちんと揃え、テレビの前の定位置に戻ると、テレビの左横の木箱入り派手な金色阿弥陀如来さまとその横に居る干支ネズミにもソッと触れる。Kさん流ご挨拶。決まって「何から何までやっていただいて本当にすいませんね〜」と仰り、自分の部屋の一番隅のテレビの前でお邪魔にならないように、とワイドショーや昼ドラマを眺めて居る。見ているというよりは眺めて居る。ワイドショーを眺めながら、私に話しかけてくださった。天皇陛下がKさんの地元の鹿児島にいらっしゃった時に、町あげての提灯行列をしてお迎えしたそうで、当時Kさんは５歳だったと。そして今の上皇が生まれるまで、天皇家は女の子ばかりだったから、男の子が生まれた時に、大砲が鳴ったという。Kさんは、確実に良家の出だろうと思わせるエピソードも加えて話す。上皇のお姉さまの一人が学生時代の休暇で鹿児島に遊びにいらっしゃった時に、同じ年頃の女の子が遊びのお相手をするように、ということで知事が探し回り、そのお役目にKさんとKさんの友人に白羽の矢が立ったそう。一体その時どんな遊びをしたのか、またおいおい詳しく聞くつもりだが、その話の後に、「櫻井の別れ」という唄を口ずさまれ、「知ってますか？」と聞いてこられました。私は残念ながら知らないです、と答えると、意外なように「そうなの」と懐かしげに唄を続けて、このかなり長いうたを訥々と歌われるのでした。私はワイドショーの音が気になりつつも、なんとか歌詞の一部と、聞いた歌の題名を頭にメモリ、早速家に帰ってから調べた。笠智衆の出ている映画で、５、６人の男衆が旅館で浴衣姿で軽い宴会をしながら雑談をしている。と、笠智衆が詩吟をおもむろにうたい出し、その後、皆がなんとなく「櫻井の別れ」を歌い始め、静かに合唱になるシーンがあった。なんとも味わい深い場面。戦前の教育ではこの歌は修身の教科書に必ずある定番の逸話であったそうで、そこにメロディーがついて歌になっている。９４歳のKさんがテレビの前でワイドショーを眺めながらも、「櫻井の別れ」の歌詞をいまでもよどみなく覚えていて歌っていた。その時代の日本人の精神修練の歌が、目の前のワイドショーのカラ騒ぎの中でボソボソと聞こえてくるのが、なんとも言えず切なかった。私はもっとじっくりとそのKさんの唄を聞きたかった。この唄を調べて歌えるようにしておこうとおもう。今度はKさんに合わせて一緒に歌いたい。</p>
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<pubDate>Mon, 12 Oct 2020 19:55:03 +0900</pubDate>
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<title>多摩川</title>
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<![CDATA[ <p>ここ１ヶ月</p><p>ほぼ毎日散歩に出かけている</p><p>こういう日常に身体と心を慣らしていくために</p><p>散歩時間をあえて作り、歩いている</p><p>&nbsp;</p><p>そして朝夕の多摩川と空に救われている</p><p>空と川は毎日眺めていても飽きない</p><p>多摩川は海の潮のエネルギーを感じる</p><p>風と鳥が季節を運ぶ</p><p>そして多摩川の石は魅力的</p><p>美しい文鎮として　机の上にいつも置いている</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/wabisuke-2020/entry-12594692168.html</link>
<pubDate>Tue, 05 May 2020 00:43:18 +0900</pubDate>
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