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<title>和光住建のブログ</title>
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<title>～和光住建森博和社長と春と恨めしいコロナウイルスと～</title>
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<![CDATA[ <table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" width="465"><tbody><tr height="465"><td height="465" width="465">新型コロナの影響で仕事の時以外ずっと家にいるから、パソコンで色々検索していると昔のblogが出てきた。<br>それがこれ。<br>久しぶりに読んで凄く懐かしい気分になった。2017年っていうともう3年前かー。<br>3年前の俺はこんな文章を書いていたのかと恥ずかしくなったけど、今も文章力上がってないな。笑<br>もう28歳になるのに。<br><br>2020年の俺はというと、相変わらず実家で親父と一緒に農家をやってる。<br>ワンシーズンの休み以外は毎日早起きしなければならないし、台風や豪雨に見舞われてしまうともうてんやわんやでどうしようもないけど、これがなかなか楽しい。<br>1日1日、少しずつでも大きくなっている野菜。我が子の成長を見守っているような気分になる。笑<br>わざわざ、和光住建みたいな良い会社に行ってたのに実家に戻って、モチベーション何？と聞かれることも多々ある。けど俺の場合もう跡継ぎって決まってたし25歳までは好きな事した！その先にあったのがこの農家をやるということ。<br>モチベーションは常に高いわけじゃないけど低いわけでもない。<br>さっきも言ったように、日々育っていくのを見て、満員電車も関係なく、多少の寝坊も許される、昼から遊びに行きたいときには休みが自由にとれる。病欠も堂々と休める。ストレスフリー！お金もまぁ困ることはない。<br>仕事なんてこのくらい好きなところがあれば充分、だと思ってる。<br><br>でもたまに和光住建時代の事を思い出す。<br>というかこのblogを読み返してからまた思い出した。5年間、親元を離れてから大阪で必死に働いた。<br>社長の森博和がまた社長っぽくなくて、大阪の親父みたいだったな。森博和社長のことは結構頻繁に思い出してて、元気してるかなー？とか。朝、消毒しながら考えてみたりする。<br>そう、3日前くらいにも驚きだけど夢に出てきた！そういえば。森博和社長と何故かUFJに遊びに行って「お前農家頑張ってるのか？」「俺も家庭菜園始めようかな」って言ってた。笑<br>こんなこと言うと怒られるかな？まぁ夢だから良いか。<br><br>今の俺の上司っていうか社長は実の親父にはなるんだけどとにかく厳しいうちの親父。<br><br>普段はかなり温厚で、俺の子どもが生まれた時なんか号泣してて俺の嫁にも甘いし孫見ると目尻下がってニコニコで声も2トーンくらい上がってるんじゃないか？ってくらい。<br><br>森博和社長もなかなか厳しくはあったけど、きっとプライベートはどんな厳しい社長や上司でもこういう一面があるんだよな～なんてしみじみ思ったりして。<br>あ、ちなみに森博和っていうアナウンサーがいるらしいね。同姓同名。笑<br><br>とまぁ、仕事上の付き合いだったとはいえ、俺のことを本当によく面倒みてくれた同僚に上司、そして森博和社長。今も忘れないけど俺の送別会の日は大人数で参加してくれて本当に嬉しかったんだよね。<br>同僚とはSNSで繋がってるし、昨年は「子ども生まれたぜ」って報告をしたらヨダレかけとかガーゼのタオルを贈ってくれたりして。この2人はまだ子どもはおろか、結婚もしてないから俺がお返しする場を与えてもらえないんだよね。笑<br>たまに野菜送ったりしてたけど、とにかく今はコロナウイルスの影響で心配でならないなー。<br>大阪も福岡もすごい大変なときだし、世界恐慌になるかも？とか言われているみたいだよね。どうなるんだろうか？俺は全く政治のこととか詳しくないけど、俺や俺の家族、そして知り合った人達みんなが安心して暮らしていける世の中になれば良いなと願っている。<br><br>そのために俺ができることは「美味しい野菜を育てること」。<br>これしかないと思ってるんだよね。ホント、毎日毎日、ビニールハウスと家との行ったり来たり、たまに妻と子どもと一緒に3人でマスク付けて食料品の買いだし。これくらいしか外出できないから最近では任天堂スイッチを買って子どもが寝たら二人でマリオパーティとかマリオカートやって遊んでる。<br>こうやってどうにかしてストレス発散というか、気分を楽しい方に持っていかないと、やってらんないよね。<br><br>でも俺は新型コロナウイルスは悪いことばっかりじゃないと思っている。<br>&lt;&lt;困難を乗り越えた時、また強くなれる。同じ困難がやってきても、簡単に乗り越えられる&gt;&gt;<br><br>まぁ結局はきれいごとだけどそうやって考えておかないとね。<br>うしろ向いててもしょうがないんだから。<br><br>折角の桜の時期、俺の一番好きな季節「春」なのに全く楽しめない。<br>いつものお気に入りの公園に咲いている桜。毎年花見をしているから本当に悔しいけど、車で横切った時やっぱり綺麗だった！<br>人間にとっては大変な時期だけどこの桜からしたらそんなの全く関係ないし、むしろ人間が外出してなくてむしろ地球にとっては嬉しいんじゃないか？とも思ったり・・・。<br><br>とにかく、福岡も大変、大阪も大変。どこもかしこも休まる場所がないけどここを乗り越えてまた強くなりましょう！<br>森博和社長もそろそろ良い歳だろうから、コロナウイルスにかからない様に気を付けてほしいな。喫煙者だったろうし。<br><br><br>というわけで何かまとまってないblogだけど、気が向いたらまた更新します。</td></tr></tbody></table>
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<link>https://ameblo.jp/wakoujuken/entry-12588059352.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Apr 2020 13:53:28 +0900</pubDate>
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<title>～和光住建で働いていた俺の思い出語り～</title>
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<![CDATA[ <p>俺の人生のいい思い出は和光住建で働いていた5年間の間につまっています。<br>現在は、家業の野菜農家を継いで、厳しい親の下で働く見習いです。そんな中で、昔働いていた和光住建の思い出話をしようと思ってブログを書いてみました。慣れない文章なのでちぐはぐなところも多いと思うけど読んでみてください。<br><br>九州の田舎のほうで農家の長男として生まれた俺は、夢など考える暇もなく、親父の農家を継ぐという道しかありませんでした。<br>お袋いわく、幼稚園～小学校までは、「ぼくね、将来はお巡りさんになる！」と言っていたらしいですが、そう言うたびに親父は「おまえは立派な農家の後継ぎになるんだ」と言っていたそう。<br><br>それは小学校高学年～現在に至るまでその考えは変わらず、進路決めのときになると親父の厳しい顔と「おまえは跡継ぎだ！」という言葉が頭から離れずやさぐれた時期もありました。<br>妹がいるんですが、好きなように「看護婦さんになりたい」と昔から言っていた通り学校にも通わせてもらって立派に夢をかなえています。<br>俺はそれが羨ましくて仕方なかった。<br><br>今でこそだいぶ作業にも慣れたし、お金も多く入ってくるし、農家いいかも。と思い直してきましたが、昔は本当に農家なんてかっこ悪くてやってられない！という反発心がすごくて、妹にもにも"おまえは自由でいいよな。"という気持ちで当たり散らしていました。<br>親父もお袋も代々続いている家業をこんな俺に任せていいのか、と不安に思っていたことでしょう。<br><br>高校生の頃、進路決めのときに友人が大学どこにする？と決めている中・・・ひらめきました。<br><br><br>&lt;&lt;そうだ、すぐ継がなくてもいいんじゃないか？25歳までは好きなことをさせてもらおう。&gt;&gt;<br><br><br>どうせ、親父は俺しかあてはないんだ、ちょっとくらい自由にしてもいいだろ。<br>と、嫌がっていた跡継ぎを引き受けるのと交換条件に"25歳までは好きな事をさせてもらう"ことを約束しました。<br>20歳まで遊びまくってフリーターを満喫しているときに"会社勤めしてみたいな！"と思い立ち、貯めたバイト代を頼りに大阪へ飛びました！<br>なぜ大阪かというと、芸人が好きだったから。逆に言えばそれ以外興味がなかったから。大阪にいけば楽しい出会いが待ってそうだ。きっと面白い人でいっぱいなんだろうな。<br>と、人生最後の自由を楽しんでやろうと期待で胸がふくらみました。<br><br>まずは家を決め、次に職探しをしました。そこで出会ったのが和光住建という不動産関係の会社。なんとなくビビッときたので決めました。ビビビ婚ならぬビビビ就職でした。(笑)<br>面接受けるまでは、「こんな田舎者相手にしてもらえるかな？」と不安でしたが、和光住建のみんな優しくてすぐに就職が決まりました。決まった日はすぐにお袋に電話して報告したのを覚えています。<br><br>家もあり、職も決まり、念願の一人暮らし。厳しい親父もいない。なんて最高なんだ、とハイテンションだったのもつかの間。<br>友達がいないことに大層寂しくなりました。<br>和光住建に勤務し始めて、3か月は仕事を覚えるのに必死だったし、なんとか認めてもらいたい！ととにかく毎日がむしゃらで余裕もありませんでした。<br>しばらく経って慣れてきた頃、和光住建でお世話になっている上司に飲みに連れて行ってもらいました。その際、「おまえは本当によく頑張ってるな。頼もしいよ。」と褒めてもらいました。大阪にきて初めて涙が出た日でした。<br><br>寂しかった、辛かった、親元で暮らすのがどんなに楽なのか、恵まれていたかがこの数か月で痛いほどわかっていたからです。<br><br>認めてもらったことが嬉しくて、上司も尊敬していたので、もっと役に立ちたいという一心で一生懸命に働きました。同僚で信頼できる仲良しの友人が2人もできました。<br>学生の友人ではなく、社会人としてできた、アツく仕事の話ができる友人。<br>この存在はとても大きかったですし、2人とは今でもたまにLINEしたりして近況報告をし合います。和光住建での仕事の話をするときは必ずボロくて客の少ない居酒屋と決まっているんですが、懐かしいなぁ。<br>毎回のように「将来はどうなりたい？」という話をするんですが2人は、独立して会社をつくる。とプランを話してくれるんですが「お前は？」と聞かれたときに自由に夢がある2人が羨ましかったのもあり「そんなものないよ、和光住建で昇進したい。」と目先の目標だけ言って誤魔化していました。<br><br>そんなこんなで数年経ち、25歳になり、辞表を提出しました。和光住建の大人数でも送別会をしてくれたんですが、その後二次会で仲良しの2人と、3人で飲むことに。<br><br>「帰ったらどうするの？」そう聞かれて、・・・「家業を継ぐんだ。農家。うち、なかなか大きいんだぜ。」きっと真っ直ぐな瞳で言えたと思います。<br>羨ましくて、羨ましくて自分のことなんか言う気にもなれなかった俺が、腹を据えた。”そうだ俺には、帰るべき家がある。”もう十分満喫した。<br>賑やかな大阪、優しい大家さん、和光住建、頼もしい上司、そして同僚。<br><br>この大阪の5年間でかけがえのないものを手にしました。たくさんのことを学びました。<br>きっと、すぐに家を継いでいては学べなかったこともあると思います。<br><br>過去を振り返るのはかっこ悪いという人もいますが、俺はそうは思わない。<br>このキラキラした思い出を胸に、俺は俺なりのやり方で、これから立派な野菜を育てる、そう決心しました。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/wakoujuken/entry-12290109194.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Jul 2017 11:03:26 +0900</pubDate>
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