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<title>日本の心に学ぶのブログ</title>
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<description>「日本をこよなく愛する二人のおっさんが、様々な日本の伝統、文化を共に探り、紹介・記録するブログです。本文担当は民俗学者の佐伯仁です。」</description>
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<title>違いを知る若き国際人へ贈る日本文化ガイド～鐘が響く～</title>
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<![CDATA[ <span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">一</span></b>年の総仕舞をする十二月。各寺院では大晦日の十二時から除夜の鐘を撞き出す。</span><br><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">大</span></b>晦日も午前零時になると、寺々で撞きだす鐘が百八つの煩悩を一つ一つ打ち破っていきます。 寺院の鐘は元来、朝夕に撞くのが習わしだ。朝、撞く鐘は暁鐘といい、眠りを覚まさせるためで、夕方の晩鐘は迷い易い心を戒めるもの…。</span><br><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">鐘</span></b>には梵鐘（大鐘・釣鐘）と喚鐘（小鐘）があります。喚鐘はおもに人々を呼び集めるのに使い、除夜に撞くのは梵鐘（ぼんしょう）。なぜ鐘をつくのか？それは古くから鐘の音や鈴の音に不浄を淨める働きを先祖は意識してきたからだ。つまり除夜の鐘は一年の不浄を淨めるために撞く。</span><br><span style="color:#000000;"><span class="img right"><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fhosei2_ob%2F_src%2Fsc1443%2F12.png" alt="12.png" height="132" width="155"></span></span><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">そ</span></b>の除夜とは除目（じょもく・旧年を取り去る日）の夜をさし、大晦日の夜を意味する。この夜、人々は鐘の響きに耳を傾け、越し方、行く末に思いを馳せる。師走の空の下、星々は霜夜の闇に光り、鐘の音は凍てつく風にのり余韻を残す…。</span><br><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">そ</span></b>の師走の語源はどこからきたか？それは古くは十二月に亡き祖霊（先祖の霊）を祀る行事があり、僧侶が駆け足で檀家廻りをした。そこからシハセ（師馳せ）に由来という説が有力…だが「年果つる月」「物事をしはつる月」という説もある。</span><br><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">忙</span></b>しいだけでなく十二月は早く春を呼びたいと願う月でもある。歳時記には春待ち月、梅初（うめはつ）月があり、新しい年に人の心を浮き立つ。そんななかで一年を振り返ると、希因が詠んだ句－「行く年や同じことして水車（みずぐるま）」が一層、悔恨の情が胸に迫る。</span><br><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">い</span></b>ずれにしても大晦日は独り静かに「年越しの湯」に身を沈め立ちのぼる湯気に想いを馳せてみては如何？そして洗い場ではまず足の裏から洗ってほしい…足の裏は目立つ事なくこの一年、支え通してくれた…丁度、人生において誰もが誰かに支えられて生きていると語るかのような足の裏に心からの感謝を込めて“有り難う”と声を掛けながら…。</span><br><div class="kakomi"><p class="kakomi"><strong><span style="color:#000000;">　国際人とは自国の文化という鏡で異文化を映し“違い”を理解する事が第一条件だ。</span></strong><br><strong><span style="color:#000000;">　各民族が互いに違いを認め合ってこそ国際化といえよう。誇りをもって自己への認識を深め、相手国を理解するためにも、若人よ！確かな鏡をもとう！</span></strong></p></div>
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<link>https://ameblo.jp/wanokotodama/entry-12103386226.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Dec 2015 17:57:41 +0900</pubDate>
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<title>違いを知る若き国際人へ贈る日本文化ガイド～七五三を祝う～</title>
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<![CDATA[ <p><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">銀</span></b>杏が色づき枯葉が舞い散る…空気まで黄金色にそまる十一月…初冬の澄み切った空の下、「七五三」の宮参りへ向かう親子の晴姿が見られる季節になりました。</span><br><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">秋</span></b>から冬へ季節が替わる時期に行われるのが「七五三」のお祝いです。数え年で三歳と五歳の男の子、三歳と七歳の女の子を祝い健康と成長を願う伝統の行事です。もともとは徳川三代将軍・家光の四男徳松（後の五代将軍綱吉）の身体が虚弱のため、五歳の祝いを慶安三（一六五〇）年の十一月十五日に行ったのが始まりのようです。</span><br><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">な</span></b>ぜ十一月十五日なのでしょう。理由は昔の暦によれば丁度、この日が「鬼宿日(きしゅくにち)」にあたり、婚礼以外は万事に「大吉」、いわば大安吉日の元祖といえる、誠にめでたい祝い日だったからです。こうした吉日にさらに将軍の権威が重なり、この日が決められたのでしょう。従って「七五三」は子供が災禍に負けぬ抵抗力をつける節目(ふしめ) の歳祝いです。そのため、めでたいから祝うのではなく、祝うことでめでたくするという信仰に由来しています。</span><br><span style="color:#000000;"><span class="img right"><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fhosei2_ob%2F_src%2Fsc1442%2F11.png" alt="11.png" height="162" width="150"></span></span><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">七</span></b>歳、五歳、三歳の奇数に整えられたのは中国の名数(めいすう)信仰によります。これは陰陽五行説（万物は陰と陽で生じるという哲学）に発します。数字も陰（偶数）陽（奇数）に分け、陽数（奇数）は縁起のいい数字とみなし、なかでも七歳は子供の成長過程でもっとも大きな関門でした。</span><br><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">か</span></b>つて「七つ前は神のうち」といわれたように、七歳までは罪も咎められず、社会の一員とも認められませんでした。そこで氏子(うじこ) 入りと称し氏神(うじがみ)へ参って、初めて神からも社会からも承認され、祝福される七歳の式が必要だったのです。七歳になると共同体の一員として認められ、受け入れられるという村づきあいの掟が昔、日本の各地の村落にあったのです。</span><br><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">こ</span></b>の取り決めにより共同体一人一人の権利と義務が生じてきますが、村を支える新しい構成員として村の大人たちからも守護を得、氏神の加護を祈ったのが「七五三」の本来の姿だったのです。</span><br><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">江</span></b>戸中期には長寿を願う「千歳飴」も売りだされ、衣装も華美を競うようになり、川柳も、「帯と袴で呉服屋へ十二両」と「七五三」の七と五を足して詠んでいます。また祝福と愛情をユーモアをこめた川柳もあります。「礼服で乳を飲んでる十五日」「神前へ車で参る七五三」は父親が幼な子を肩車にのせ、お参りする姿は庶民の温かい親ごころを伝えています。</span><br><br><strong><span style="color:#000000;"><span style="font-size: 24px;">─酉(とり)の市─</span></span></strong><br><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">十</span></b>一月の酉の日に各地の鷲(おおとり)神社で行われる祭礼で、東京下谷の鷲(おおとり)神社が江戸期から有名です。十一月の最初の酉の日を「一の酉」と言い、順次、「二の酉」「三の酉」と呼びます。年によって「三の酉」まである年は火事が多いと俗に言われています。</span><br><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">本</span></b>来は武運を祈る神として武士に信仰されていましたが、後に客商売の者が縁起をかついで多く参拝しました。その結果、現在では、開運・商売繁盛の神として信仰され、祭りの期間、参道には「福」を掻きこむ熊手・おかめの面・宝船・大判・小判などの縁起物が売られ、多数の参詣人で賑わいます。</span><br><br><span style="color:#000000;"><b><span style="font-size: 24px;">不</span></b>景気になると人はだれでも「神頼み」に縋るようになるのは今も昔も変わらなかった点は興味深いといえましょう。</span><br><br></p><div class="kakomi"><p class="kakomi"><strong><span style="color:#000000;">　国際人とは自国の文化という鏡で異文化を映し“違い”を理解する事が第一条件だ。</span></strong><br><strong><span style="color:#000000;">　各民族が互いに違いを認め合ってこそ国際化といえよう。誇りをもって自己への認識を深め、相手国を理解するためにも、若人よ！確かな鏡をもとう！</span></strong></p></div>
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<pubDate>Sun, 06 Dec 2015 17:47:27 +0900</pubDate>
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<title>筆で書く</title>
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<![CDATA[ <b><span style="font-size: 24px;">　今</span></b>年も残りわずか…年賀状や書初めの支度に忙しい季節…来年も筆と墨を楽しみたいものです。◆「書く」と「掻く」は&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 同じ意味？<br><b><span style="font-size: 24px;">　漢</span></b>字の「筆」には竹冠があります。これは筆の素材を示す竹をさします。　つまり筆は竹と筆を手に持った形との組み合わせによる文字です（『角川字源辞典』加藤常賢他）　このことから筆と竹との係わりが分かりますが竹は単なる筆の軸だったのでしょうか…。<br><b><span style="font-size: 24px;">　こ</span></b>の疑問は間違いだったことが分かりました。それは「書く」と「掻く」とはもとは一つの言葉だったようです（『筆』田淵実夫・法政大学出版局）。　つまり「書く」は「引っ掻く」と同じ行為で“刻みしるす”のが“書く”ことだったのです。<br><b><span style="font-size: 24px;">　と</span></b>なると竹そのものが原初的な筆記具だったことが分かります。<br><b><span style="font-size: 24px;">　た</span></b>しかに契約書の「契」にも「刀」の字があるように、約束を交わすのに“引っ掻く傷”をつけることが「書きしるし」の始まりとは驚きです。<br>◆毛筆の誕生は<br>&nbsp;&nbsp;&nbsp; いつ頃だったのか…<br><b><span style="font-size: 24px;">　毛</span></b>筆は中国・秦の時代（前二二一～前二Ｏ六）に始まります（『日本大日百科全書』小学館）。　毛筆にはハサミを入れてない野性動物の毛がいいとか…（『書道にかかわる仕事』ほるぷ出版）。　従って筆のポイントは穂先、しかも毛の量が多く、鋭いもの、墨含みのいいものが最高…。<br><b><span style="font-size: 24px;">&nbsp; 柔</span></b>らかな字を書くには羊の毛、力強い文字には馬の毛がいい。<br><b><span style="font-size: 24px;">　墨</span></b>含みをよくするため職人は毛の脂肪分を抜くために「手揉み」をくり返すといいます。<br><b><span style="font-size: 24px;">　い</span></b>い作品を書くため書道家にとって職人は宝物です（『匠の技と形』＝東日本編＝講談社）。<br><b>◆「文房四宝」を<br>&nbsp;&nbsp;&nbsp; ご存じでしょうか？</b><br><b><span style="font-size: 24px;">　職</span></b>人同様、字を書く人の宝物が「文房四宝」。&nbsp; 「文房」とは古い中国の「書斎」をさし、その書斎で使う道具が筆・墨・硯・紙の「四宝」です。　なかでも墨は昔、中国では天然の石墨（黒鉛）の粉末に漆を混ぜて作りました。<br><b><span style="font-size: 24px;">　日</span></b>本語の「すみ」は「染み」の訛ったものですが、わが国へは飛鳥期、推古天皇の頃、朝鮮半島からの渡来人が献上、製作したと『日本書紀』にあります（『日本大百科全書』小学館）。<br><b><span style="font-size: 24px;">　わ</span></b>が国での墨は松を燃やした煤煙を膠で練り、型へ入れて仕上げました。　墨で書いた古い書類は正倉院に今も残り、文字は消えずに解読でき、その墨は水墨画にも絵具として使われてきました。　また硯や紙も夫々の産地の味わいが珍重され貴重視されてきました。<br><b><span style="font-size: 24px;">　い</span></b>ずれにしても「四宝」とは、字を書く人の宝物だったからです（『茶道・華道・書道の絵事典』ＰＨＰ研究所）。<br><b>◆字の上手な人を<br>「三筆」「三蹟」と称賛</b><br><b><span style="font-size: 24px;">　わ</span></b>が国では筆を“文手”と呼びました（『古語辞典』旺文社）。つまり文（ふみ）を書く人の道具こそ、筆（ふで）です。　筆で上手に文字を書く名人が、平安初期に三人も登場しました。<br><b><span style="font-size: 24px;">　弘</span></b>法大師、嵯峨天皇、橘逸勢が「三筆」と讃えられました。<br><b><span style="font-size: 24px;">　さ</span></b>らに平安中期には小野道風、藤原佐理、藤原行成が「三蹟」と呼ばれました。<br><b><span style="font-size: 24px;">　小</span></b>野道風は「行書」＝曲線の多い文字が美しく上手でした（『前掲書』）　こうした名人を生んだ背景には、書いた文字がもつ豊かな個性を評価した心が窺えます。<br><b><span style="font-size: 24px;">　名</span></b>人を讃えることわざに「弘法、筆を選ばす」があります。これは「名人は粗末な筆でも上手に書く」という意味を伝えています。<br><b><span style="font-size: 24px;">　わ</span></b>が国では筆で字を書く伝統があり、墨の芸術として「書道」を受け継いできています。<br><b><span style="font-size: 24px;">　今</span></b>もその伝統は年の初めのご挨拶＝年賀状や書初めに生きています。<br><b><span style="font-size: 24px;">　筆</span></b>書きの文字には書く人の個性があらわれます。　来年も「筆で書く」習慣を受け継ぎ、味わいある表現をしてこそ、<b><span style="color: rgb(255, 20, 147);">日本人の心といえましょう。<br></span></b><br>
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<pubDate>Fri, 06 Nov 2015 00:57:41 +0900</pubDate>
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<title>葱を味わう</title>
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<![CDATA[ <b><span style="font-size: 24px;">　木</span></b>枯らしの季節…冷えたからだを暖めるのは鍋物に限ります。その脇役は葱でしょう。<br><b>◆中央アジアから<br>　わが国へ伝来…</b><br><b><span style="font-size: 24px;">　葱</span></b>には特有の香気があり、利用法が広く、薬味にもなります。<br><b><span style="font-size: 24px;">　旨</span></b>さのヒミツは香りにあります。茎と葉に独特な香りがあるのは、ユリ科の多年草だからです。　原産地はシベリヤ、アルタイ地方（『日本大百科全書』小学館）とされています。<br><b><span style="font-size: 24px;">　ま</span></b>た中国西部に葱嶺という山脈があり、中央アジアのパミール高原が中国ネギの原産地（『たべもの語源辞典』清水桂一・東京堂出版）かともいわれています。<br><b><span style="font-size: 24px;">　こ</span></b>の葱嶺という山で釈迦が行をされ、そこに野性のネギが自生していたため、この名があるといいます（『前掲書』）。　日本へは中国・朝鮮半島をへて伝来したと推定されます。<br><b><span style="font-size: 24px;">　『日</span></b>本書記』の仁賢天皇（四八八～四九八年）六年九月の条に「秋葱」と記されています。<br>　という事から当時、天皇家でも食べられていた事がわかります。<br><b><span style="font-size: 24px;">　平</span></b>安初期の百科全書『倭名類聚鈔』（『和名抄』）には「和名は“紀”と呼ぶ」とあります。<br><b><span style="font-size: 24px;">　背</span></b>景には葱は「臭気＝き」が強いため「紀」としたのではないかとの説もあります（『たべもの歳時記』平野雅章・文秋文庫）。<br><b><span style="font-size: 24px;">　ま</span></b>た葱は「紀」という一文字のため、平安期、宮廷に使えた女性の女房言葉では葱は「ひともじ」ともいわれました。<br><b><span style="font-size: 24px;">　そ</span></b>のため葱を商う商人は「一文字売り」とか…　それは鎌倉期の『職人尽歌合わせ』にも「一文字売り」の歌の掲載からもわかります。<br><b>◆臭気が強いため<br>　禅宗では禁止の野菜…</b><br><b><span style="font-size: 24px;">　修</span></b>行を積む僧侶の寺院では、山門にはかならず「不許葷酒入山門」と彫った碑が立っています。<br><b><span style="font-size: 24px;">　臭</span></b>気の強い野菜や心を乱す酒は、この山門を潜ってはいけない、と諭す注意書きです。<br><b><span style="font-size: 24px;">　つ</span></b>まり「葷」とはニンニクやニラ、タマネギなどの野菜をさし、食べると精力がつきます。<a href="http://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryinsertinput.do#"><img title="ネギを味わう" ratio="1.4035087719298245" id="1446738841393" thum_style="width:220px; height:157px;" thum_src="http://stat.ameba.jp/user_images/20151103/15/wanokotodama/ec/e4/j/t02200157_0496035413473199099.jpg" orig_style="width:496px; height:354px;" orig_src="http://stat.ameba.jp/user_images/20151103/15/wanokotodama/ec/e4/j/o0496035413473199099.jpg" style="width: 170px; height: 146px; padding-top: 11.4545px;" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151103/15/wanokotodama/ec/e4/j/t02200157_0496035413473199099.jpg" alt="ネギを味わう"></a><br><b><span style="font-size: 24px;">「酒」</span></b>も“浄心”の精進には邪魔になるため、寺院ではどちらも禁じていたのです。<br><b><span style="font-size: 24px;">　で</span></b>も酒は「般若湯」とか「唐茶」とかと隠語で呼びひそかに飲んでいたとか（『酒雑学百科』永山久夫・河出文庫）。<br><b><span style="font-size: 24px;">　寺</span></b>院でタブーの葱は江戸後期には猪、鹿、鴨などの調理に葱を使う習慣が生まれていました。<br><b><span style="font-size: 24px;">　そ</span></b>れぞれ野性肉の野性臭（血臭）を隠蔽・除去するためには葱が一番…　まだ煮熟しない半生の状態で、強い臭気と辛味の残る葱で押さえた知恵は日本人ならではの味覚冴えです（日本人の生活文化史『味と香』渡辺正・毎日新聞）。<br><b><span style="font-size: 24px;">　そ</span></b>の伝統は現代へも受け継がれ「葱雑炊」「葱汁」に生きています。<br><b><span style="font-size: 24px;">　さ</span></b>らに「葱鮪」は鮪と一緒に煮て、魚臭さも抜き、鮪の旨味も楽しむ贅沢な冬の鍋料理です。<br><b><span style="font-size: 24px;">　葱</span></b>は古くから強壮、利尿、発汗、去痰などの薬効もあります（『薬草歳時記』鈴木詠・青蛙房）。<br>◆葱は各地で<br><b><span style="font-size: 24px;">　独</span></b>自の味を生む…　葱は江戸期に各地で品種が改良され独特な味が生まれました。<br><b><span style="font-size: 24px;">　江</span></b>戸の千住葱は深葱といい、根の部分が白色…埼玉の深谷葱、下仁田葱も茎が太いのが特長です。　逆に関西方面では京都・九条葱です。葉が細く、濃緑色で白根が短いのが好まれています。<br><b><span style="font-size: 24px;">　関</span></b>東では白い根、関西では緑の葉の部分が食べるのと対照的です（『日本大百科全書』小学館）。　一方、葱を詠んだ句は　　葱買うて枯木の<br>　　中を帰りけり　<br>（『芭蕉・蕪村・一茶の旅』文秋文庫ビジュアル）　ぶら下げた葱と帰る後ろ姿は寒々しく、冬の情景を巧みに捉えています。　また浅葱色は浅黄ではなく、緑色を帯びた薄い青…ここにも私たち日本人が葱に寄せた細やかな心遣いを忘れてはならないでしょう。
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<pubDate>Thu, 05 Nov 2015 23:53:07 +0900</pubDate>
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<title>ひよっとこが踊る</title>
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<![CDATA[ <b><span style="font-size: 24px;">秋</span></b>。実りの季節…収穫への感謝が秋の祭りです。神楽の舞台では火吹男もオカメも踊ります。<br><b>◆神を招いて<br>　神楽を奉納する季節…</b><br><b><span style="font-size: 24px;">人</span></b>が集い神を中心に生活が営まれると、信仰も生まれます。<br>　秋はその神との結びつきを深め、宴が催され神楽が舞われます。<br>　篝火が焚かれ、しめ縄を張った舞台へ多くの神が舞い降ります。<br>　祭囃子も賑やかに神人一体の舞いこそ神楽です。　この「舞い」と「囃子」を合わせて「神楽」と呼んで来ました。<br>　では「神楽」とは何か、なぜ「かぐら」と呼び、「神楽」と書くのか？　　つまり「かぐら」とは語源的には「かみくら」に由来するとか…<br>　「かみくら」の「かみ」＝神、「くら」＝座・鞍を意味します。<br>　これにより「かぐら」とは神を招き入れる「座」であり、神が乗る「鞍」である事がわかります。　さらに「神楽」になぜ「楽」の字を書くのか…　それは神の「座る場」ではなく「神が楽しむ場」を意味したからでょう（『別冊太陽・お神楽』平凡社）。<br><b>◆里神楽の囃子が<br>&nbsp;&nbsp;&nbsp; 祭りを盛り上げる…</b><br><b><span style="font-size: 24px;">山</span></b>車や神輿が町を練り歩き、神社の境内ではお神楽が賑やかです。<br>　神楽は大きく分けて二種類…一つは朝廷にかかわる「太神楽」です。<br>　伊勢神宮や熱田神宮での神事で行われる舞いをさします（『里神楽ハンドブック』三田村佳子・おうふう）<br><b><span style="font-size: 24px;">典</span></b>型は天岩戸や天安河原など神話にちなむ場所も多い宮崎の「高千穂の夜神楽」でしょう。<br>　厳粛な雰囲気で今へ受け継がれ、重要無形文化財に指定されています。　二つめは「里神楽」で神事にちなむ神楽舞を獅子に代行させ、全国を廻ったのが始まりといいます。　後世には余興の曲芸も取り入れ、大道芸として発展したとか（前掲書）。　秋、私たちが親しむのが「里神楽」です。庶民的で滑稽な踊りが心を和ませます。<br>&nbsp; ただコミカルだけでなく収穫感謝も祈ります。　その際、登場するのが「ひょっとこ・オカメ」です。<br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20151001/17/wanokotodama/2e/28/j/o0482034413441213636.jpg"><img ratio="1.4012738853503184" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151001/17/wanokotodama/2e/28/j/t02200157_0482034413441213636.jpg" style="width:220px; height:157px; border:none;"></a></p><b>◆笑いを招く<br>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; おどけた道化面…</b><br><b><span style="font-size: 24px;">尖</span></b>った口を斜めに突き出した顔のお面が「ひよっとこ」です。<br>　お面をあまり使わない狂言に「ひよっとこ」のお面が見られます。<br>　それは『蚊相撲』という演目で、お面をかぶった蚊の精が大名と相撲をとります。<br>　尖った口に長い棒を蚊の針のようにくわえて演技します（『狂言をたのしむ』小林責・平凡社カラー新書）。<br>　語源は東北地方の竈を守る竈神に由来するといわれます（『日本大百科全書』小学館）。<br><b><span style="font-size: 24px;">こ</span></b>の神は竈の火をおこし、火を管理する神として崇められています。<br>　そのため火を吹き易くするため、口は小さくとがらせています。<br>　「ひよっとこ」の原像は竈の神そのものではなく、竈の神に奉仕する祭祀者だったのではないかと推理する学者もいます（『神々の誕生』吉野裕子・岩波書店）。<br>　一方、「オカメ」は鼻が低く額やアゴが平らで頬は丸くて、顔は下ぶくれ…（『日本百科全書』小学館）。<br>　とくに両頬の張り出した形がカメ（瓶）に似ているため，名が付いたといいます（『日本語源大辞典』前田富棋・小学館）　「オカメ」は目が細く色白で愛想のいい福々しい顔立ちです。<br>　別名「お多福」とも呼ばれ、年末の「酉の市」などの縁起物の「熊手」に飾られます。<br><b><span style="font-size: 24px;">い</span></b>ずれにしても「ひよっとこ」と「オカメ」は二人揃ってユーモラスな道化役を演じます。<br>　時には夫婦のように抱き合い、卑猥な仕種で観衆の笑いを誘い、豊作祈願、家内安全を祈ります。　神楽は単なるパフォーマンスではなく庶民の祈りと心が息づく日本の大切な芸能といえましょう。
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<link>https://ameblo.jp/wanokotodama/entry-12079370283.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Oct 2015 17:25:20 +0900</pubDate>
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<title>髪を梳く</title>
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<![CDATA[ <b><span style="font-size: 24px;">来</span></b>月十一月は七五三…親子が着飾りお宮参りする姿がみられます。無事の成長を祝うためです。<br><b>◆昔、子供は<br>　　　地域の財産でした</b><br>　十一月十五日、三歳と五歳の男の子、七歳の女の子を祝います。<br>　この年頃の子は成長期の重要な段階のため、神に加護を願いました。<br>　かつては七歳までの幼児の死亡率が高かったのも一因でしょう。<br>　古くは七歳前後に氏神へ詣でて、氏子入りを果たしました（『日本大歳時記・冬』講談社）。<br><b><span style="font-size: 24px;">こ</span></b>れにより地域から一人前と認められました。　ここには親子関係を越え、子を地域で守り&nbsp; 育てた姿勢が窺えます。<br>　七歳に拘ったのは昔、日本では「七つ前は神の子」という諺が影響していたのでしょう（『民俗の事典』岩崎美術社）。　とくに七・五・三という奇数は、縁起のいい数字…それに合わせた儀式なのです。<br>　縁起の良さにあやかり、子の成長を祈る大切な節目だからこそ、今も受け継がれているのです。<br><b>◆男女ともに<br>　　　三才で髪を整える</b><br><b><span style="font-size: 24px;">三</span></b>歳の子の祝いは「髪置き」といい、髪をきちんと整えます。　<br>　これは生後、三日目にボンノクボ（後首筋）の毛を残し、産毛を剃った習慣へ溯ります。<br><b><span style="font-size: 24px;">も</span></b>し子が火や水へ落ちそうになったら、荒神様＝家の守り神がこれを掴んで助けてくれるという俗信がありました（『民俗の事典』岩崎美術社）。　その後、三歳まで結髪をせず、はじめて十一月の十五日の「髪置き祝い」で赤飯を炊き祝宴をひらき、その後、髪を伸ばしたとか…（『日本民俗語大辞典』石上堅・桜楓社）　儀式には髪を円形、または輪形にして白粉を塗り綿帽子を被せ、白髪にみせかけ、長寿の縁起を担ぎました（『日本年中行事辞典』角川書店）。　こうした様子を描写した川柳をご紹介すると…　<br><b>髪置きの祝儀<br>&nbsp; 　　小判を置き初め</b><br><b><span style="font-size: 24px;">こ</span></b>の小判は頭の真ん中に置く楕円形の月代をさしています。<br>　その楕円形から小判を連想し小判だから祝儀…と見立てた江戸っ子の洒落っ気は粋です（『江戸川柳夜話』田辺貞之助・潮文社新書）。<br><p style="text-align: left;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20151001/15/wanokotodama/a3/04/j/o0482034413441106638.jpg"><img id="1443680697798" ratio="1.4012738853503184" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151001/15/wanokotodama/a3/04/j/t02200157_0482034413441106638.jpg" style="width:220px; height:157px; border:none;"></a><b><br>◆髪を尊び、畏れつつ<br>　　髪で美しさを追求…</b><b></b><br></p><b><span style="font-size: 24px;">三</span></b>歳という節目に「髪置き」の儀式をするのは汚れやすい髪を清め、子の厄年を無事に過ごさせたいという親心に違いありません。<br>　髪には厄を祓う霊力があるのでしょうか。<br><b><span style="font-size: 24px;">そ</span></b>の一端は海で働く人々の習慣からわかります。　それは船を新造する際、女性の髪を帆柱の下に嵌め込み守護神としました。　これを船乗りや漁師は「船霊様」と呼び、信仰しました（『日本人の原風景・蒼海訪神うみ・旺文社』）。<br>　これに対し『万葉集』の恋歌の一つに、想う男性を呼び寄せるため「黒髪を敷く」という呪術が詠まれています（『古代の恋愛生活』古橋信孝・ＮＨＫブックス）。<br>　長い髪を靡かせ寝た万葉の女性の姿は、妖しい魅力を感じさせます。<br>　また髪の霊力は夫と死別した妻が納棺の時、あの世でも夫婦…の印として髪の一部を入れる行為もありました（『日本大百科全書・小学館）。<br>　さらに神仏への誓約にも「髪」を切って、供えました（前掲書）。<br>　その理由は切っても切っても伸びてくる…髪の不思議な力に命の鼓動を聴いたからでしょう。<br><b><span style="font-size: 24px;">一</span></b>方、女性は未婚・既婚の区別はあっても美しく結あげた姿は、当時の浮世絵師たちが艶やかに描き残してきました。<br>　とくに江戸期、士農工商という身分制度が厳しかった中で髪型は身分がわかる程、細かく規制されました。<br>　それでも女性は「髪の長きは七難隠す」（『大辞林』三省堂）と言って美しさを長い髪で表現してきました。<br><b><span style="font-size: 24px;">こ</span></b>うした髪への拘りこそ、私たち<b>日本人のこころ</b>といえましょう。
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<pubDate>Thu, 01 Oct 2015 15:17:42 +0900</pubDate>
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<title>椎茸を採る</title>
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<![CDATA[ 　十月。木々は色づき、キノコの季節…夏の間から待っていた椎茸…味覚の秋の恵みです。<br><b>◆湿潤なわが国は<br>　　　キノコが豊富…</b><br>　わが国は春夏秋冬と季節が入れ替わり、雨量も多くキノコが成長するには好適な風土です。<br>　キノコは酵母菌のように菌で繁殖する植物です。そのために漢字では「菌」と書いてキノコと読んでいます（『図説江戸時代食生活事典』日本風俗史学会編・雄山閣）。<br>　わが国では「茸」をキノコと読み、松茸、初茸椎茸があります（『大辞林』三省堂）。<br>　とくに椎茸は栗、しい、くぬぎの枯木に生える食用茸の一種です。<br>　種類は傘が平らに開いた香信、傘が開かず内側へ巻き込んだ肉厚の冬茹、またこれらの中間に香茹があります（『生活ごよみ・秋』千登三子　講談社）。<br>　いずれの椎茸も「旨味」成分を豊富に含むのに、エネルギー源にならないため、ノンカロリー食といわれています。<br>　その上、食物繊維が多いとなれば、肥満、糖尿病、大腸ガンの予防にも効くとか…<br>　古くから椎茸をは不老長寿の食材として先人の智恵は、現代の栄養学でも明らかになっているようです（『前掲書』）。<br><b>◆椎茸栽培は<br>　　　日本生まれの技…</b><br>　その歴史は江戸中期に発し、豊後（大分）伊豆で始められ、一七九六年（寛政治八）には農学者が椎茸栽培の専門書を著しています。<br>　さらにこの頃、すでに菌の発生を促す技も整い「菌師」と呼ばれる指導者も出現していたとか…（『日本大百科全書』小学館）。<br><b>◆中国で知った<br>　　　　椎茸の薬効…</b><br>　中国は医食同源の国です。日常の食が即、薬と考え、日々の食生活を大切にしてきました。とくに寺院では典座（料理方）が僧侶の食事づくりに専任していました。<br>　そうした中国・宋へ鎌倉期、わが国は椎茸を輸出していました。<br>　その椎茸船に曹洞宗を開いた道元禅師も乗船し船に訪ねてきた典座の僧から食＝薬の考え方を学び、椎茸の薬効も知り、その後の仏道修行にも食の重視に励んだといいます（『味覚三昧』辻嘉一中公文庫）。<br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20151001/00/wanokotodama/56/ce/j/o0482035413440645403.jpg"><img id="1443627220145" ratio="1.3580246913580247" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151001/00/wanokotodama/56/ce/j/t02200162_0482035413440645403.jpg" style="width: 262px; height: 193px; border: medium none;"></a></p><b>◆椎茸栽培にも<br>　　　独創性を発揮…</b><br>　寺院の食事担当の僧侶が椎茸船をわざわざ訪ね椎茸を求めたのは、それだけ椎茸が美味で薬効があったからでしょう。<br>　だからこそ、今も精進料理や中華料理には欠かせない食材です。<br>　自然発生する椎茸だけでは需要に追いつけず、江戸期以来、栽培法の工夫を重ねてきました。<br>　その後、明治に入り、桐生市の農学者・森喜作が独自に「種駒」を考案しました。<br>　「種駒」とは椎茸を発芽させる種菌、これを原木の榾木に植えつけます。　長さ二センチ程の丸棒形、または楔形の小木片に菌を繁殖させたものです（『日本大百科全書』小学館）。<br>　椎茸産業の父と仰がれる研究者の誕生は、わが国に椎茸の伝統があったからでしょう。<br><b>◆「食」以外にも<br>&nbsp;&nbsp;&nbsp; 椎茸は注目のマト…</b><br>　食膳の人気食材・椎茸は女性の関心を引きました。その一つが髪型…椎茸髱です。<br>この髪型は奥女中の髪型のことです。椎茸の傘のように髱が張り出しているためのネーミングのようです。<br>　そして江戸期にはお座敷女中、奥女中の呼び名にもなったとか…（『江戸語の辞典』講談社学術文庫）。<br>　椎茸が女性の髪型に影響したとは意外ですが、子供たちは「椎の実」を拾い集め、ささやかなオヤツにしました。<br>　書道家は太書き用の筆を「椎の実筆」と名づけています（『大辞林』三省堂）。<br>　秋は食がすすむシーズンです。椎茸の旨味に感謝することこそ、私たちの心といえましょう。
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<pubDate>Thu, 01 Oct 2015 00:30:38 +0900</pubDate>
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<title>笛を吹く</title>
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<![CDATA[ 　空気が澄み渡る秋…絵画展や音楽会が盛んですが、心にしみるのは笛の響きでしょう。<br><b>◆笛の語源は<br>　フキエ、フキイネル…</b><br>　笛というと誰もが連想するのは口笛であり、指笛ではないでしょうか。　笛の語源は「吹柄」や「吹気入音」に由来するようです（『日本大百科全書』・小学館）。　<br>　息を吹いて音を出すため、それが語源になるのは当然でしょう。<br>　では笛はいつ頃から日本にあったのでしょう。　約千五百年前の古墳＝天理市星塚一号からは横笛が出土（昭和六十年五月三十一日）しています。　この笛は松の生木を素材にし、しかも管のほぼ中央に穴が開けられているユニークな笛です。<br>　正倉院に納められている御物の笛より二百年も前のものだそうです。<br>　そもそも漢字の「笛」には「竹冠」があります。　ですから竹の素材が多いはず…なのになぜ松の生木を加工したのか？<br>&nbsp; 理由は渡来人系の葬送のための一回限りの笛だったと推定されています（『笛ものがたり』・赤井逸・音楽之友社）。<br><b>◆笛は貴族の<br>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 高尚な嗜み…</b><br>&nbsp; 根拠は発掘された墳墓は渡来人系のものと推測しています。<br>　その背景の一つはわが国には琴を弾く埴輪はあっても笛を吹く姿の埴輪はありません。<br>　従って笛で死者を送る習俗は渡来系の習俗と推理しています（前掲書）。　ただし『日本書紀』（七二０年）の継体天皇の項には「輔曳吹き上る」との記述がみられます。　この事から笛の存在はわかりますが、『万葉集』では笛はそう多く詠まれていません。<br>　それでも柿本人磨の長歌には、戦いに臨む軍の太鼓や笛が敵を恐れさせた、とあります（巻一・一九九）。<br>　この歌から笛の形態はわかりませんが、『源氏物語絵巻（鈴虫）』には横笛を吹く公達が描かれています。<br>　このように平安期には楽器の演奏が出来る事が貴族の資格だったため、王朝期の物語や随筆には音楽の描写が多彩です。　音楽小説といえる『宇津保物語』や『源氏物語』では光源氏が笛や箏（琴）を演奏しています。<br>　『枕草子』（『新編日本古典文学全集』小学館）にも「笛は」（二百五段）の項目があります。<br>　また壇の浦の戦いで敗死した平家の若武者を慕った女性の歌集にも笛の歌がみられるのは、笛が貴族の嗜みだったからです。<br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20151001/00/wanokotodama/6e/05/j/o0800054913440640481.jpg"><img id="1443626879013" ratio="1.4569536423841059" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151001/00/wanokotodama/6e/05/j/t02200151_0800054913440640481.jpg" style="width: 245px; height: 168px; border: medium none;"></a><b></b><br></p><b>◆不思議な力が<br>　&nbsp; 笛を通じて音になる…</b><br>　横笛は日本を始め東アジア音楽の特徴の一つ…&nbsp; 横笛は雅楽でも神楽笛、竜笛、高麗笛の三種が演奏されます（『管弦楽』小峰書店）。<br>　雅楽で有名なのは十七本の長さの違う竹管を円形に並べた「笙」です。　呼気と吸気を交互に使い、雅楽独特の音を響びかせるのが特徴です。<br>　やがて室町期に入ると能楽の興隆と共に竜笛を改作した能管が登場…<br>　その後、庶民の間には竹笛＝篠笛が普及したのも素材の竹が身近だったからでしょう。<br>　現在は各地の祭り囃子や歌舞伎のお囃子に用いられています。<br>　逆に自分を知る道具として虚無僧が吹いた音の禅＝尺八…これは「主観的」で西欧の「客観的」な記譜法と対照的です。　いずれにしても先祖は豊作を願い、笛を吹き神の加護を祈ってきました。　ここには自然界の神秘な力が笛を通じ、音になり、言葉になると信じてきた姿勢が窺えます。<br>　一方、「夜、口笛を吹くと蛇が来る」には音への畏れが顕著です。<br>　音を敬う態度と裏腹ですが、どちらも音を重視しての証しです。<br>　日頃、私たちは特別な日の祈願やお礼のため神社へ参拝します。<br>　神前で柏手を打ち、勢よく大きな鈴を鳴らして神と心を通わせます。<br>　笛の響き一つにも心を託してきたのが、私たち日本人といえるのではないでしょうか。
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<pubDate>Thu, 01 Oct 2015 00:19:53 +0900</pubDate>
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<title>水が渦巻く</title>
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<![CDATA[ 　九月。台風の季節…怖いのは予期せぬ被害です。とくに水が渦巻き流れる姿は恐怖です。<br><b>◆漢字の「渦」は<br>　　水が回転する姿…</b><br>　『漢和大字典』（藤堂明保・学研）には「渦」の「咼」は「まるい穴にはまる関節骨」とあり、「咼」は「まるい」を意味するとあります。<br>　つまり円を描いてくるくる回る姿を文字にした事がわかります。<br>　「渦」同様に「蝸牛」にも「鍋」にも「咼」の字があります。<br>　「蝸牛」は「渦状の殻」をもち、「鍋」も「まるい形」だからでしょう。　実に理屈にあった字ですが、銅鐸に渦巻の文様化（『銅鐸の美』・朝日新聞）をみると、人々の渦巻重視がわかります。　渦巻は水が回り続けるため永遠の神秘を感じ、文様化されたのでしょう。<br><b>◆「巴」にみる　　　　　　　　<br>　　　渦巻の文様化…</b><br>　巴は黒丸に英語のＣをつけた、ヒトダマのような図形です。<br>　漢字の巴は元来、古代中国では蛇がとぐろを巻く形から生まれています（『卍の魔力、巴の呪力』・泡坂妻夫・新潮選書）。　わが国では巴は渦巻く水とされ、神社の建物の軒先を飾る瓦に図案化され巴瓦と呼ばれています（前掲書）。<br>　この背景には古くからの竜神信仰が顕著です（『日本の家紋入門』楠戸義昭・幻冬舎）。<br>　竜は水神のため、火災の際、水の渦巻に由来する巴が水を呼び、鎮火すると信じたからです。　　巴が神社の紋所に多い理由は「神」という字が、日・月・雨・風・雷など自然界の霊力を意味するという点から理解できます（『漢和大字典』・藤堂明保・学研）。<br>　たしかに雷神は水の神である事を思うと、巴は「神」の象徴の一つといえましょう。<br>　巴は神社の他に「右二つ巴」「左三つ巴」などが、公家や武家の家紋にみられます。<br>　とくに『忠臣蔵』で有名な吉良邸討ち入りの太鼓には大石家の家紋＝巴が二つ描かれています。<br><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20151001/00/wanokotodama/47/20/j/o0482034413440629843.jpg"><img id="1443626277549" ratio="1.4012738853503184" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151001/00/wanokotodama/47/20/j/t02200157_0482034413440629843.jpg" style="width:220px; height:157px; border:none;"></a></p><p><b>◆なぜ巴を<br>　　家紋にしたのか…</b><br>　古代中国で生まれた渦の文様が、わが国では巴紋になりました。<br></p>　巴形は胎児や勾玉を連想させ、二つ、三つが組み合わされ、交じり、千変化万化します。<br>　つまり揺れ動く姿に永続する生命力のシンボルが窺えます（『かたち誕生』・杉浦康平・日本放送出版協会）。<br>&nbsp; だからこそ人々は家の末永い繁栄を祈念して家紋にしたのでしょう。<br>　一方、巴のほかに永続・永遠をイメージさせる文様＝「唐草の渦」は見逃せません。<br>　別名「唐草文様」と呼ばれ、奈良・平安期に日本へ渡来しました。<br>　今も庶民に風呂敷の図柄として親しまれ、祭りの際、唐草文様で身を包んだ獅子舞いの姿をみる事ができます。<br>　この文様は恐らくギリシア・ローマ・西アジア・中国をへて渡来したと思われます。<br>　唐草とは植物の蔓草が絡み合う様子を図案化した装飾模様です。<br>　繁殖力が強く、どこまでも伸びるため、繁栄の象徴としたのでしょう。　この文様は仏教の伝来とともに移入された当時、永遠なるものへの願望を込め、宗教的ものに用いられてきました。<br>　正倉院御物には漆絵の意匠をこらした華麗な箱が伝えられています。<br>　高級な調度品とは別に陶器の古伊万里の文様に「蛸唐草」があります（前掲書）。<br>　この文様を大鉢や徳利に移した意図はどこにあったのでしょう。<br>　恐らくこの陶器で飲食すれば、使った人に活力が漲ると信じたからではないでしょうか。<br>　文様の美しさとともに唐草の旺盛なエネルギーは多くの人を魅きつけてきたといえましょう。<br>　渦や唐草模様は永遠の生命力を秘めた文様です。　水と緑に恵まれた先祖の自然を生かした生き方こそ、私たち日本人の心といえましょう。
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<pubDate>Thu, 01 Oct 2015 00:09:08 +0900</pubDate>
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<title>熊が眠る</title>
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<![CDATA[ 　熊は童話や寓話でなじみ深い存在…決して身近ではない熊も冬眠のシーズンに入ります。<br><b>◆熊の名前は大きくて<br>　「穴にもぐる」に由来…</b><br>　熊は単独生活をし大きな体を維持するため、大量の食料を求め、山野を広く歩き回ります。<br>　名前の由来を調べてみると説はいろいろ…一つは暗がりに住むというところからクマ（隅）、また夜空を照らす月のクレーター（隈）からクマへ。　また神を意味する古語クマに、熊をさす朝鮮半島・百済の方言クマの字をそのまま借りたという説もあります（『日本国語大辞典』小学館）。<br>　さらに「大きい」の意味から転じたとか…熊笹、熊蜂、熊蝉などと同じ…　一方、ク（穴にくぐもっている）ナマ（動物）、つまり熊は穴ごもりする習性からの名づけ方は正論でしょう（『日本語源広辞典』増井金典・ミネルバ書房）。<br><b>◆万葉人も知っていた<br>　　熊の荒々しい怖さ…</b><br>　『万葉集』に作者不詳の歌があります。<br>　～荒熊の住むという山の　師歯迫山　責めて問ふ　とも汝が名は告らじ～<br>　（巻十一・二六九六）　歌の意味は「師歯迫山には気性の荒い熊がいる。その熊のように母に責められても、決してあなたの名は口にしない」<br><div style="text-align: left;">　いつの時代も母親は娘が心配なもの…それにしても熊の怖さを母に重ねるとは…（『万葉集歳時記・吉野正美・偕成社）。　恐ろしさとは別に熊の毛皮は古くから朝鮮との交易品として扱われていたことが、斉明天皇紀、天武天皇紀にも記されています（『前掲書』）。　とくに月の輪熊の胆の薬効は有名…切り傷火傷は直接、患部につけ、乾燥させたものは胃腸病、下痢止めに効くといわれます（『動物民俗・㈵』長沢武・法政大学出版局）。<br><a href="http://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryinsertinput.do#" class="thum"><img ratio="1.3559322033898304" id="1443625571047" thum_style="width:220px; height:162px;" thum_src="http://stat.ameba.jp/user_images/20151001/00/wanokotodama/1f/db/j/t02200162_0482035413440618518.jpg" orig_style="width:482px; height:354px;" orig_src="http://stat.ameba.jp/user_images/20151001/00/wanokotodama/1f/db/j/o0482035413440618518.jpg" style="padding-top: 10.5455px; width: 246px; height: 224px;" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20151001/00/wanokotodama/1f/db/j/t02200162_0482035413440618518.jpg" alt="穴熊"></a><br></div><b>◆熊の顎の骨や腸は<br>&nbsp; 　魔除けのまじない…</b><br>　人の体に魔が憑かぬように強い動物として知られるカモシカや熊の顎の骨や牙を魔除けにしたといいます。<br>　神棚や屋根裏に祀る家もあり、また印籠や巾着のように紐をつけ、帯に挟む細工物「根付け」にして魔を払いました。<br>　また身に付ける「まじない」も使われました。　それは妊婦が安産のお守りとして使ったのは熊の腸の一部（乾燥させたもの）を帯に入れ、熊のように強い子の誕生を願いました（『前掲書』）。　私たちが「翼」をもつ鳥や「牙」のある獣を崇めたのは人にない能力に憧れたからでしょう。<br>　昔話の「金太郎」も熊と相撲をとった話も幼児からの怪力ぶりを強調するためだったのでしょう。<br><b>◆熊は神の使い<br>　　胆は貴重な万能薬…</b><br>　熊は強いため一般に山の神にし、アイヌにとってはカムイ（神）といえば熊をさしました。<br>　熊の肉は神からの贈り物、殺された熊の霊魂は役目を果たし熊の世界へ帰るといいます。<br>　とくに子熊は神からの預かりものとし、三歳頃まで育て狩猟期前に儀礼的に殺害します（『日本大百科全書』小学館）。　この儀礼が「熊祭り」です。長老が祈りを捧げ花飾りのついた矢を熊に射かけ、最後に矢で仕留めます（『日本大歳時記・秋』講談社）。<br>　儀式ではなく熊の捕獲は命掛け…冬眠の穴から熊が前足を出し、体を三分の一出した瞬間、槍で「月の輪」を一突き…。　これが危険でも確率の高い方法で、捕らえた熊の胆一匁は金一匁と同額だったとか…肉も一家五人が一ヶ月、暮らせたといいます（『動物民俗・㈵』長沢武・法政大学出版局）　月の輪熊の冬眠は十一月二十日前後、冬眠に先立ち穴から五百メートル程、はなれた木立ちを噛む習性、これを「寝噛み」といいます（『前掲書』）　今、自然の象徴＝月の輪熊が絶滅の危機にあります（『熊と向き合う』栗栖浩司・創林社）。<br>　被害を訴える人、保護を叫ぶ人…熊と人との付き合いは長く古いため共存を願っているのが私たちでしょう。
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<pubDate>Wed, 30 Sep 2015 23:59:02 +0900</pubDate>
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