<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>yamanekoのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/we-love-cat/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/we-love-cat/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>高校無償化問題で、朝鮮学校を除外？？？</title>
<description>
<![CDATA[ <p class="news-textc01" style="MARGIN: auto 0mm"><font size="3">　ここ数日、鳩山首相の発言から、朝鮮学校を高校無償化法案の対象として除外するかどうかについて問題になっています。まだ先行きはみえず、最終的に文科省が決めることなのでしょうが、この話題に関連しての話題として拉致問題を考慮してとか、外国人の参政権の問題とかが、「関係ある」「関係ない」とか、いろいろ取りざたにされてます。</font></p><p class="news-textc01" style="MARGIN: auto 0mm"><font size="3">　高校無償化については、以前にも書きましたが、私は基本的には賛成です。こども手当という現金のバラマキよりは、（異論はあるでしょうが）、すべての子どもが親の経済状況に関わらず教育を受ける権利を得られることを望んでます。公立学校はもちろん、家計をより圧迫しがちな私立学校の場合に（経済的に苦しい家庭で、公立高に入ることが出来なくても、学びたい意思がある子どもが私立高に進学して勉強できるように）手厚くフォローして欲しいと思ってます。</font></p><p class="news-textc01" style="MARGIN: auto 0mm"><font size="3">　政治や外交について、詳しいわけでもないので、今回の件は様々な考え方があり、こうすべきと決め付けるわけにはいかない難しい問題かもしれまん。それでも、敢えて素朴？な子どもっぽい考えかもしれませんが、日本に住む子ども達への教育支援についてはもっと広い心をもってほしいと思います。その理由として、日本に住む外国人は、日本国民同様、所得があれば税金を払っています。そして、法律を守る義務があり、法律を破れば日本国民同様に罰されます。外国人だからといって、日本の法律を守らなくてよいとはされません。法の遵守や納税義務を課すなら権利も与えるべきではないでしょうか。</font></p><p class="news-textc01" style="MARGIN: auto 0mm"><font size="3">　税金によって、政治経済は成り立っている以上、居住している人間に対して、税金の見返りとしての恩恵（＝手当）が受けられるのは、道理だと思います。もちろん、税金を払うほどの所得のない外国人もいるでしょう。また、日本国民（反射的利益として外国人も）所得や資産がない人には生活保護というセーフティーネットで守られてますが、これもまた税金が支えているのです。国籍がちがっていても、納税の義務を果たしているのであれば、そのこどもたちにも「教育を受ける権利」の保障はそれ相応にされるべきです。</font></p><p class="news-textc01" style="MARGIN: auto 0mm"><font size="3">　拉致問題に絡んだ複雑な国民感情というのもあるのでしょうが、少なくとも、現在、朝鮮学校に通っている１０代の子ども達に何の罪があるというのでしょう？北朝鮮の政府に対しての抗議は国として正当性があっても、民族に対する否定的な態度への正当性などないでしょう。もし、私達日本人が、海外に居住してその地で税金をきちんと払っているのに、大昔に植民地支配したときの日本軍の横暴、例えば７０年近く前の戦争における「南京大虐殺（数の誤差はあっても虐殺はありましたので）」をやった国民ということを理由に、現地の学校に通っている子ども達が「日本人は過去に卑劣なことした民族だから、教育支援する値打ちがない」などと、その国の政府や国民に批判されたりしたら、それを「もっともだ」と受け入れる気持ちにはなれないはずです。</font></p><p class="news-textc01" style="MARGIN: auto 0mm"><font size="3">今回、朝鮮学校を無償化の対象から除外するかどうかで、鳩山氏は「日本の学習指導要領に沿ってないから」みたいな理由もいってました。しかし、学校教育法でいう大第１条でいう「学校」ではなく、「各種学校」とされていても、今や朝鮮学校卒業資格を、ほとんどの大学が大学受験資格として認めているのです！朝鮮学校側が「日本の学習指導要領」に従っているという主張をしていており、その内容をチェックし検討する権利はあるでしょうが、それでは日本の高校は全てきちんと「学習指導要領」を守っているというのでしょうか？朝鮮学校だけをチェックするのではなく、日本の高校も、もっと抜き打ちででも指導要領遵守されているか、同じようにチェックしてみないと、公平ではないでしょう。タテマエはともかく、日本の学校も結構いい加減なのが現状ではないでしょか？進学校とかいわれている高校の多くさえ、２年ほど前に受験科目以外の授業時間をごまかして英数国とか受験科目に平気で振り替えるいいかげんさで、発覚して補習で帳尻合わせてして話題になりました。補習は、生徒たちへの教育保障をするためのものであり、既に卒業した者に対しては、本来なら単位不足が発覚で、当該科目は未履修ということで、もしこれが国家資格だったら不正受験で資格剥奪ものなのに、「教育的配慮」で、卒業生たちはロクに世界史の授業を受けてなくても、高校卒業資格を厳密には満たしてなくても、遡って大学入学を取り消されることもなかったのは、生徒への配慮が最優先だからです。コドモが悪いのでなく、授業を実施している学校に責任があるのなら、ペナルティや不利益を教育受ける子どもにシワ寄せがくることはすべきではないのです。日本にある学校なのだから、（朝鮮民族としての教育である朝鮮語や朝鮮史等の科目を尊重しつつも）文科省が日本で暮らす上で必要とされる教育をも実施するように求めることはいいのですが、税金とっておいて、大学受験資格有ると認めておいて、教育支援はしてやらないなんて、コドモにとばっちりいくような政策は、私には理不尽にみえます。</font></p><p class="news-textc01" style="MARGIN: auto 0mm"><font size="3">　国籍を問わず、（前提として納税者の）子ども達ができるだけ本人の望む教育を十分に受けられることを保障することで、朝鮮学校の子ども達や親は、日本という国に対して良いイメージをもつ可能性が高くなるのではないでしょうか。反対に、もともと他の外国人学校の多くが含まれる「各種学校」をも無償化の対象にするなどと、謳っていたのに、ここにきて各種学校の１つである朝鮮学校だけを、「国交ない国だから」という理由で除外といわれれば、差別された、攻撃されたという負の感情のみが残るばかりです。</font></p><p class="news-textc01" style="MARGIN: auto 0mm"><font size="3">　そんなに「日本の学習指導要領」や「国交があるかどうか（ちなみに、朝鮮学校には日本人国籍者も入学してますし、韓国籍の人も結構います）」にこだわることは、国家としての偏狭さを感じます。確かに北朝鮮の政府に対して、あまり良い感情をもたない国民は多いでしょうが、今回の援助は北朝鮮政府対して、ではなく、日本に住む子ども達が教育を受けるためのものです。朝鮮学校在籍というだけの理由で教育支援の差別をして、将来この学校の生徒たちが親日的外国人社会人になる芽を潰すようにしかみえません。</font></p><p class="news-textc01" style="MARGIN: auto 0mm"><font size="3">　コドモは親も民族の種類や国籍も選べません。でも、社会の一員としての役割を立派に担える人間になる準備段階では、教育は大切な要素です。大切にされると感じれば相手に心を開くけど、排斥されればその相手を憎むのは自然なことではないでしょうか。</font></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/we-love-cat/entry-10469765830.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Feb 2010 02:54:50 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>オリンピック出場の某選手</title>
<description>
<![CDATA[ <p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-bidi-font-size: 10.5pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">いよいよ始まったバンクーバーオリンピックですが、競技そのものではなくて、スノーボードのオリンビック選手の話題がスポーツ紙の第一面を飾っているのは、なんだかなあと思ってしまいます。</span><span lang="EN-US" style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-bidi-font-size: 10.5pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">バンクーバー空港に降り立ったときの「服装の乱れ」が原因で、選手村入村式の出席を自粛させた、というのがコトのはじまりです。ＴＶでその選手の服装が移ってましたが、<span style="COLOR: black">確かに国の税金も使っての「日本代表選手」としては、もっときちんとした服装にすべきと個人的には感じました。しかし、</span>「<span style="COLOR: black">公式ブレザー姿でネクタイを緩め、ズボンはずり下げてはき、シャツのすそを出していた姿」は、イマドキの２１歳の大学生では時々みかけますし、典型的なスノーボーダーのファッションにみえました。彼にとってはむしろいつもの「オシャレ」（高校生がわざと制服をラフに着こなし、自己主張している姿ともとれますが）だったのだと思いました。「国の代表なんだから、恥ずかしくないきちっとした服装と振る舞いを」を望む人が多いことに頷きつつも、イキナリ「入団式出席自粛」というのは、私には違和感がありました。入村式とか開会式というフォーマルな場での服装なら「ふさわしくないから、すぐに服装を改めるか、そうでないなら出ないで」というのはあるかもしれませんが、よほど厳格な内規があるならともかく、空港に降り立ったときの服装なのですから、引率者や指導者がその場（本当は飛行機に乗る前）で注意し、指導すればよいことであったと思います。ある意味、この時点ではマスコミの騒ぎすぎの方が問題でした。</span></span><span lang="EN-US" style="COLOR: black; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="COLOR: black; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-bidi-font-size: 10.5pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">自分のいつものファッションの延長のバリエーションとして公式ブレザーやパンツの着こなしを問題にされ、いきなり入村式に出席自粛の処分は、おそらく彼にとっては不本意というか、納得いかなかったのだと思います。せいぜい、高校生が校則守れとがんじがらめにうるさく注意されているのと同じ気分だったのでしょう。そして、入団式の自粛要請の時点で「反省」などしてなかったのです。だからこそ、ウエの人々がこの騒ぎを沈静化するためにセッティングした「反省シテマース」会見で、茶番だとしか思わず、「ちっ、うるせーな」とか「反省シテマース」というような、自分の気持ちに正直すぎるパフォーマンスをとってしまったのだと思います。わざわざ「会見」というマスコミが取材にくる公の場に出すなら、指導者たちは。本当に反省していると確認できてからにすべきでした。本当に反省などしていない上に、マスコミの恐ろしさを理解してない無防備な若者をああいう会見に出すこと自体がウエの人たちの判断ミスだったと思います。あ、彼もＫＹだっとと思いますが。</span><span lang="EN-US" style="COLOR: black; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span lang="EN-US" style="COLOR: black; mso-bidi-font-size: 10.5pt"></span></p><p><font face="Century" size="3"> </font></p><p></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="COLOR: black; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-bidi-font-size: 10.5pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">日本国民の多くは、最初は「服装の乱れ」にブーイングしてたものの、あの記者会見（本人も日本でここまでニュースとして大きく取り上げられるとは思ってなかったでしょうが）を観て、火に油を注ぐというか、今や「服装の乱れ」（ファッション）よりも「反省しない不遜な態度」への批判が１００倍以上になってます。そして、より一層、マスコミの餌食になってしまいました。彼が軽率で脇が甘かったは間違いありませんが、犯罪を犯したわけではないのに、スポーツ紙によっては、その一面にデカデカ取り上げられ、犯罪者みたいな扱いをされるのは、ちょっと異様な気がしました。表向きは彼への批判で社会的制裁（みせしめ）ということなのでしょうが、あんなマスコミの書かれようやネット批判によって血祭りになったのは、むしろ彼の家族や大学、ＪＯＣ，</span><span lang="EN-US" style="COLOR: black; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><font face="Century">SAJ,</font></span><span style="COLOR: black; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-bidi-font-size: 10.5pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">選手団であったようにみえます。ＪＯＣはともかくとして、お気の毒な気がしました。親や学校の躾が悪い、選手育成の指導がなってない・・・確かに、そういう部分がゼロではなかったでしょう。ですが、｢日本代表｣となったのにＴＰＯをわきまえず、自分流のファッションで自己主張（もしかしたら、彼にとっては自然なファッションで無意識だったかも）し、オトナに怒られて嫌々謝罪の言葉を言ったものの、メンドクセーナーの心情をペロリと出すような、コチャマ」態度とる若者は、日本中いたるところに生息します。ごく一般家庭においても、親や先生をはじめとして、マナーややんちゃすぎる言動を注意するオトナに対して、素直にすぐ反省する若者ばかりではありません。無視したり口答えしたり悪態ついたりおちゃらけた態度とる若者は特異な存在ではなく、彼らの多くは年をとれば、様々な経験から成長し、社会の常識をある程度わきまえた人間になるのです。２１歳にもなって・・・とはいえ、今の大学生の精神年齢は、３０年くらい前の中学生か高校生みたいなのが結構多いのです。確かにオリンピックに出るほどの才能に恵まれ（きっと熱心に練習して努力する人でもあったはず）、マスコミに注目される２１歳はほんの一握りです。選ばれし者として、どこにでても恥ずかしくない態度をとってほしいというのが、応援している国民の心情でしょうし、実力があるからといって、何をしても許されるとは思いません。今回の件のみならず、近年はスポーツ選手の育成において、スポーツマンシップ以上に、強くなること、勝つことに偏重した教育が優先されてきた気運は否めません。</span><span lang="EN-US" style="COLOR: black; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span lang="EN-US" style="COLOR: black; mso-bidi-font-size: 10.5pt"></span></p><p><font face="Century" size="3"> </font></p><p></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="COLOR: black; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-bidi-font-size: 10.5pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">今回の件は、引率者や指導者、ＪＯＣが彼に徹底的に厳しく指導（まあ、個人的には、あのファッションのことでなくて、むしろ会見でのふざけた態度は周囲の人を不快にさせるガキの態度という点をですけど）する必要はあったと思います。世間が騒ぐから「謝れ」ではなく、自分達のミッションを自覚し、常識ある人間としての振る舞いをしろと。しかし、マスコミが指名手配の凶悪犯扱いにし、全人格を否定するのはやりすぎです。開会式出席の自粛も？でした。むしろ、公の場で公式の服装で出席させるべきでした。一時はＳＡＪが彼の出場資格停止要請がでたり、ＳＡＪの笠谷常任理事（往年のオリンピックメダリスト）が辞任まで申し出る騒ぎにまで発展してしまいましたが、そういうみせしめで、選手が本心から反省するのに一番効果があるとは、どうしても思えません。</span><span lang="EN-US" style="COLOR: black; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span lang="EN-US" style="COLOR: black; mso-bidi-font-size: 10.5pt"></span></p><p><font face="Century" size="3"> </font></p><p></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="COLOR: black; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-bidi-font-size: 10.5pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">１つだけ確かなのは、スノーボードの競技がきっと４年前より注目され、勝っても負けても、その選手についてマスコミがとやかく騒ぐことです。正直なところ、「勝てば官軍」で、「強ければ何をやっても許される」みたいになるのは抵抗感あります。彼のみならず、スポーツ選手は今回のことで、注目されるということが、自分だけでなくて周囲にどれほどの影響を与えるのか、もっと自覚してもらいたいなと思いました。</font></span><span lang="EN-US" style="COLOR: black; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/we-love-cat/entry-10458628651.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Feb 2010 12:49:59 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>なんだか・・・</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　野田財務副大臣が2011年度からの「子ども手当」の満額支給について、「難しい。ハードルは高く、これからの作業になる」と述べ、財政状況が厳しい中では政権公約通りに実現するのは困難との見通しを示したと報道されました。</p><br><p>　確かに、財源がなきゃ、支給できないのはごもっともなんですが、財源確保のしっかりしたメドがたたないで、「こども手当」支給しますよ、というアドバルーンを大々的にあげて、こういう展開は政府を信用できなくなります。</p><p>　先日の「給食費未納者にはこども手当支給を減額」も、フリーライダーとか給食費支払えるのにわざと未納する悪徳な人への制裁措置の案も、社会正義とか公正さをというより、予算足りなそうだからどこから削るかで思いついたって印象受けます。</p><br><p>　政権交代して半年弱で、何もかもすぐに公約どおり実行するのは難しいでしょうが、高校の無償化、長寿医療制度の廃案と新制度の件、障害者自立支援法の廃案と新制度の件、年金制度の改正の件、既存のものを変革してもっと良くしていこうという方向性は評価できますが、こんな状態で実現できるのか不安です。</p><br><p>　サービスの現金給付だろうが現物給付だろうが、財源あっての話です。打ち出の小槌は存在しません、公共施策の財源は、とどのつまり、税金なわけですから、消費税の大幅アップとか所得税や固定資産税や法人税とかの税金を重税化すれば解決するのでしょうが、現状では日本国民の合意がそう簡単には得られないでしょう。一一概に国民といっても、置かれている立場はそれぞれで、こどものいる世帯のみ対象のこの政策は、最初から賛否両論でしたが、今、プライオリティとして何が一番優先すべき施策かの合意って難しいです。</p><br><p>　敢えて「子育て支援」の趣旨に特化すれば、予算なくてすべての子育て中（中３まで）家庭への支給が無理なら、もっと少ない財源ですむこととして、現状で経済的困窮で<font size="2">都道府県立高校の授業料滞納の累積総額が08年度、全国で計７億9,000万円にのぼり、滞納を理由に出席停止処分を受けた高校生が６県で約170人いますので、せめて彼ら（高校生）の学業継続希望しているかどうかの意志を確認した上での援助をしてもらった方が良いのではないかと思います。彼らに職業選択の幅を広げる教育を継続してもらうことで、わずか数年後には、より確かな納税者を多く生み出せる可能性が広がります。学びたくない高校生まで支援する必要はないでしょうが、学びたいのに学べない、スキル身につけたいのに機会すらない若者たちは、それを親の経済力（や躾も込みかな）や社会のせいだと恨み、投げやりになったり、反社会的な感情をもってしまわないようにと。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/we-love-cat/entry-10447929715.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Feb 2010 12:55:27 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>こども手当減額？</title>
<description>
<![CDATA[ <p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">今日は、首相が給食費未納者に「こども手当」を減額を検討する方向であるという考えを示したという報道をみて、びっくりしました。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">あまりにも安易な考え方ではないかと思います。何故、給食費が未納になっているのか、の原因をもっと精査するのが先ではないでしょうか。確かに、悪質な未納者が存在することは確かです。払える経済力がありながら、払ってない人々はいます。給食費に限らず、国民皆年金制度といいながら、保険料の未納者が３割以上という現状、医療保険や介護保険の保険料や税金の未納者も存在します。しかし、この不況下、完全失業率は６％に迫る勢いであることや、自営業でみかけは収入はあっても運転資金が足りなくて借金に追われて苦しい想いをしている世帯が多いのは、政府もわかっているはずです。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">こども手当は、子供の健やかな成長を経済支援するためのものです。そう考えれば、本当に経済的に苦しくて給食費も十分に払えない家庭こそ、十分な経済支援が必要だと思わないのでしょうか？少数のフリーライダーを罰するために、一番苦しい思いをしている人々に制裁まがいのことを実施することは、納得がいきません。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">以前、このブログにも書きましたが、私は「こども手当」の現金支給には反対です。「現金」のばらまきは、支給される人たちに使う用途の自由を与えます。ですが、「こどものため」と支給しても、お金が振り込まれるのは親の通帳であり、使う権限は親が実質的に握ってます。親の遊興費や贅沢のために使われる可能性もゼロではないし、こどもから搾取するつもりがなくても、病人を抱えていたり、失業や商売がうまくいってなくて救貧状態にある場合、現実的なプライオリティとして、その「こども手当」が借金返済や医療費支払い、家賃支払いに使われることだってあるでしょう。これが「こども手当」でなくて、「国民生活支援手当」というならともかく、政府が「こどものために」を特化して税金を使うのなら、給食費や医療費の無償化、そしてこちらは部分的には実施される高校の学費の無償化（低所得世帯の私立高校進学者に対してもっと手厚くすべきだと思いますが）、といったカタチで税金を使うことが、「すべての子供の健康と教育権を守る」有効な手段だと思います。給食費未納者がいても、義務教育で人道的配慮から、未納者の子供自身には罪がないので、給食を食べさせない、なんてことはなくても、給食費の収入が少ないと、メニューの質が落ちて他の子供たちも劣悪な環境に置かれてます。そして、子供には罪がなくても、人の口には戸がたてられませんので、結局は自分の家が未納世帯ということを子供は知ることになり、つらい辛い想いをさせてしまうのです。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">所得制限つけずに毎月２万６千円（来年度は経過措置で１万３千円）あまねくバラマキ、その一方で給食費を払えない家庭には減額して経済的制裁するって、なんだか変です。もっというと、払えないのか（払えても）払わないのか、個別にすべての世帯を正確に調査することが不可能なら、最も苦しい想いをしている人々への救済を最優先に考える政策がなぜつくれないのでしょうか？もちろん、生活保護という政策での救済はありますが、それは最後のセーフティネットです。所得制限つけずに高所得世帯に「こども手当」支給するのは「平等」にという考え方でしょうが、「親」を選べないこどもたちが、「親」の事情でより経済格差ついた状態に陥るリスクが大きくなる政策は反対です。</font></span></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/we-love-cat/entry-10446551663.html</link>
<pubDate>Sat, 30 Jan 2010 20:48:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>電話得意？（ブログネタ）</title>
<description>
<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dwe-love-cat%26ENTRY_ID%3D10436814180%26ENTRY_END_DATE%3D2010%2F01%2F20"><div>電話は子供時代から苦手です。</div><div><br></div><div><br></div><div>＜子供時代＞・・固定電話</div><div><br></div><div>携帯電話が普及する前でしたから、</div><div>電話といえば固定電話で家族共有が大半の時代でした。</div><div>電話に誰がでるかがわからないので、</div><div>電話をかけるときはドキドキして、緊張しました。</div><div>ナンバーディスプレイの契約してませんでしたから、</div><div>自宅の電話が鳴っても誰からかわからないので、</div><div>イキナリの電話の呼び出し音も嫌いでしたし、</div><div>率先して受話器をとることはありませんでした。</div><div>電話でよい知らせってのもあまりありませんでしたし。</div><div>例外は、予め何時ごろかに電話もらえることがわかっていたときのみ。</div><div><br></div><div>それでも、なんだかんだで長電話はたまにしましたが、</div><div>当然、家族に大顰蹙でしたので、</div><div>気を遣ってしまい、</div><div>のびのびとは話せませんでした。</div><div><br></div><div>＜働くようになって＞・・携帯電話</div><div><br></div><div>携帯電話が普及するようになって、だいぶ経ってからですが、</div><div>仕事上必要になこともあり、所持するようになりました。</div><div>便利だし、登録している場合は、</div><div>かかってくる人の氏名がディスプレイにでるので、</div><div>安心して電話にでられるようになりました。</div><div>留守録も直接伝言できるのも便利です。</div><div>でも、登録してない非通知や公衆電話からの電話は、</div><div>無言電話とか何回か経験してから、</div><div>なんだか気味が悪くて、でるのをためらうようになりました。</div><div>初めて電話くれる知り合いとか仕事上の関係者かもしれなくても。</div><div>私は、基本的に他人に積極的に電話番号は教えません。</div><div>でも、電話をかけるのはやっぱり苦手です。</div><div>相手が忙しいかもとか都合が悪いかもという気がしたり、</div><div>電話は声だけのコミュニケーションなので、</div><div>声のトーンに敏感になってしまいます。</div><div><br></div><div>むしろ、電話をかけるなら</div><div>仕事上の電話だと、そのへんは割り切れるので、</div><div>さほど苦痛ではありませんが、</div><div>プライベートだと、相手の声のトーン次第で、</div><div>迷惑かしらと、あれこれ考えて、時にはかなり苦痛です。</div><div>家族にいたっては、用事があってかけているのに、</div><div>忙しいときには（好きなテレビみている最中とかでも）、</div><div>たまに一方的に切られることもあるので尚更です。</div><div>そういうわけで、日頃の交友関係が狭くて少ないこともあり、</div><div>たいした用事なく、</div><div>「元気？今日ヒマー？」って電話はまだかけたことありません。</div><div><br></div><div>もっとも、現実には、</div><div>かかってくる電話が夜中であることも結構あります。</div><div>長電話になることもありますし、</div><div>自分が気にするほどは他人は気にしてないということでしょうか。</div><div>いまや携帯電話は必需品生活です。</div><div>それでも、電話に対しては苦手意識強いです。</div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/we-love-cat/entry-10436814180.html</link>
<pubDate>Sun, 17 Jan 2010 23:50:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>派遣村のニュースをみて</title>
<description>
<![CDATA[ <p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">昨日、住まいのない求職者を支援するための派遣村の入所者</span><span lang="EN-US"><font face="Century">201</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">人が、求職活動費の現金（１人２万円）を支給された後に所在不明になったことが報道されました。都知事が例によって国の政策と入所者のモラルを批判していました。知事のいうことは、今回については「本当に困っている人はたくさんいる」という部分についてのみ同感しましたが、入所者のモラルについての発言は、ルール守っている他の入所者まで肩身狭くなるので、表現に気をつけて欲しいと感じました。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">派遣村にせよ求職活動費にせよ、税金をつかっての救済策については、緊急性と効果が大きな問題になるのは当然です。緊急性については、２年続けての派遣村の開村は、それだけ景気が悪く、雇用環境が厳しい結果、止むに止まれずの判断だったはずです。もともと、派遣斬りで職と住まいを失った人たちのための年末年始の応急的・緊急対応としての設置でした。寒い冬、寝るところの確保と食事が最優先なのは納得です。とはいえ、就職相談のコーナーはあまり取り上げられてなかったのが気になりました。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3"><br></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">今回、利用条件が都内の求職活動者に制限されたのは、県外からやホームレスの人が殺到しての混乱を避けるためとかと聞きましたが、職と住まい、そして食べるものにさえ困っている人は、日本中山ほどいて、都内の求職者だけではありません。名簿上はともかく、５００人収容施設だったのに、実質利用者としては結果的には定員に満たない人しか集まりませんでした。失業求職者は東京都だけじゃなくて、各県あるいは各エリアでの派遣村のような対応は必要だったはずですが、国は都だけに命じたのは違和感ありました。年末年始は仕事さがそうにも採用試験自体やってないので、経済的に困窮した求職者が困るから、の理由でしょうが、面接や試験を受けてその日に結果がでる会社ばかりではありません。派遣村利用者は、おそらく実家や友人を頼って身を寄せることができない人ばかりでしょうから、コネで仕事を紹介してもらうチャンスも少ない人でしょう。まして住まいをなくして住所不定ということですから、履歴書の住所欄が書けず、就職に著しく不利です。年末年始の短い期間のみの入所制限で、食事と寝床確保、就職相談を受けられるだけでは対応として、どう考えても不十分です。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3"><br></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">税金を投入しての施策なら、求職者だけでなくて、（就職したくても病気などで就職活動できない状態の）路上生活者も含めた、この年末年始に寒空の下で苦難の生活を送らざる得ない人すべてを対象とする支援策があって欲しかったです。もちろん、仕事さえみつかれば住み込みその他で自立できる人もいるでしょうが、状況から判断して、心身の状況が思わしくなくてリストラをまっさきにされた人など、生活保護を受給してもらう方が望ましい方もいるでしょう。雇用（失業）の問題なのか生活全般の福祉の問題なのか、この２つは決して無関係ではものの、今回の派遣村の施策のあり方はなんとなくちぐはぐしてみえます。どちらに特化した支援が必要かの見極めが曖昧です。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3"><br></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">今回、２万円だけ受取って姿を消した人々の行動は、モラルがないと批難されても仕方ないでしょう。受取るときのルールの説明をどれだけしっかりされたかはわかりませんが。以前、こども手当についての現金給付についての批判を書きましたが、生活に困窮している人への現金の「直接給付」は、今回の「求職活動費」についても同様で、あまり好ましいと思いません。行政としては、「これだけ出した」実績づくりつもりでしょうが、税金つかったのですから、その効果が示せないといけません。派遣村に来るのは、ネットカフエに滞在するだけのお金すらなくなってきた人ですから、確実に就職につながるルートが見えない限り、目の前のことだけ考えてのお金を使う可能性があることは予想できたはずです。直接給付の方がお金の遣いかたに自由裁量があって良いようにみえますが、その用途を生活保護費の生活扶助部分のように広い範囲で考えるものはないのに、明日の生活費すらない状態の人に求職活動費のみにつかえといっても、２万円＝仕事みつかる、という発想よりは「数日生活できるお金」ととらえてしまうものです。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3"><br></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">　派遣村のような食住の一時提供と就職相談支援は、年末年始のみならず、ある程度長い期間実施しないと効果でないのではないかと思います。住所がないと、履歴書上不利です。よくて短期バイトの繰り返しで、その日暮らしからなかなか脱出できません。履歴書の職歴に空白期間が長ければ長いほど、就職は不利になりますし。派遣村においては、まず入村時、本人の心身の健康状態から生活保護へ移行すべき事情の方なのか就労支援すべき方なのかの適正な判断を面談等で実施するシステムは重要でしょう。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3"><br></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">　税金にたかっているとか、働く気がないくせにお金持ち逃げとか言われてますが、住み込みでもできなければ、住所不定者の就職が至難の業であるのも事実です。もちろん、日雇いでの仕事はあるでしょう。職業ジャンルを一切問わないなら。しかし、日雇いの仕事はハードです。健康で体力ある人であれば、働いてお金をため、居住地確保して合間に就職活動しながら、正規採用を勝ち取ることもできると思います。でも、すべての求職者にそれをすぐに求めるのは酷かと思います。仕事なんか選ぶな！自立せよ！というけれど、何年か何十年か先の見通しも考えて仕事を選びに迷っているのを、すべて「選り好みの贅沢」と切り捨てるのは、乱暴すぎると。もちろん、あれも嫌、これも嫌というわがままな人は存在するでしょうが、多くはこれまでは派遣業でまがりなりにも「働き続けてきた人々」です。雇用情勢の被害者であるという視点は大切だと思います。とはいえ、職を失って、何度も採用試験に落ち、自暴自棄になってくる人もいるでしょう。メンタル面でのフォローも大切です。荒んだ気持ちをもつ人も増え、派遣村での待遇等、一部の入所者は「ごね得」みたいなことになっているのも事実です。入所前、サービスの利用前に、ルール、マナー等について、きっちり「誓約書」書いてもらい、事前面接もかなりしっかりやる必要はあります。マナーの悪い人たちのみばかりクローズアップされると、マスコミが悪印象を世間に与えるばかりでしょう。でも、派遣村入所者イコール求職者の印象が悪くなればなるほど、彼らはより就職難になるので、悪循環です。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3"><br></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">　今、高校生・大学生も就職難です。新卒は既卒よりずっと有利なのに。派遣村のニュースをみて「税金の無駄遣いだ、日雇いでもどんな仕事でもまずつけよ！」と嘯く人に限って、自分の息子や娘が、就職活動に苦しんでいるのをみたら（住む家があって、年が若くて就職により有利で恵まれているのですから）、「仕事なんかえり好みするな！贅沢だ！どんな仕事でもいいからみつけろ！みつからなきゃ、４月１日から日雇いでもなんでもやれ！」と、教育指導されていることは滅多にない気がします。それどころか「就職浪人するよりは、専門学校に行って資格とるといいよ」とか「とりあえず大学院に行ったら」などと、健康で元々卒業後にすぐしっかり「働く気」だった学生に、年単位のモラトリアム期間を与える提言をする親が続出なのが、現実ではないでしょうか？この対応は、仕事したくても思うような仕事につけないつらさを知っているからこそだと思うのですが・・・。ましてや、頼るべき家族や親戚・知人があまりいないからこそ、住む場所も失っていて、社会的ネットワークもあまりない、孤立した状態の人々でもあるわけです。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><br></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">　税金を使って、住所不定の求職者を本気で救済する気があるなら、もっと徹底した就職支援のための相談システム（ハローワークの就職相談以上に懇切丁寧に）をつくり、行政がとりあえず居住地確保あるいは保証人になって、履歴書面での不利をカバーしてあげるのが先決です。もちろん、就職できたら、「家賃」として給料の１０％ずつでもそれまでの居住費を返還する義務を課すなど、「与えっぱなし」はしないことが大切です。今回の派遣斬りじゃなくても、会社の業績悪化でリストラされた人、病気が長引いて退職せざる得なかった人、諸事情で「責任とらされて」職場を追われた人・・・いろんな事情で仕事を失い、生活に困窮することは誰にでもあることです。大事なのは、様々な悪循環を断ち切り、再スタートしたい人たちに対して、「その場しのぎ」でないバックアップ体制を組むことでしょう。</font></span></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/we-love-cat/entry-10430943632.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Jan 2010 11:29:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>謹賀新年　去年放映された「小公女セイラ」を観ての雑感</title>
<description>
<![CDATA[ <p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">２０１０年、あけましておめでとうございます。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3"><br></font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">　ここ数年、ズボラでお正月になってから年賀状書いてます。ふとＰＣのメールチェックしてみたら、ずっと放置してしまってたこのブログに読者さんがついたことを知り、びっくり！忙しいとはいえ、今年は週１回以上はブログを書こうと思いました。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span lang="EN-US"></span></p><p><font face="Century" size="3"> </font></p><p></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">新年ではありますが、少し前のことを思い出しながら書きます。視聴率はイマイチだったようですが、「小公女セイラ」というドラマが</span><span lang="EN-US"><font face="Century">10</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">月～</span><span lang="EN-US"><font face="Century">12</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">月に放送されました。原作は有名なバーネットの名作である「小公女」です。私が子供の頃は児童向けの翻訳で小学生にとってのベストセラーであり、そうでなくても</span><span lang="EN-US"><font face="Century">25</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">年位前に放映されたフジテレビの世界名作劇場？というテレビアニメが何度も再放送になっていて、それでご存知の方も多いと思います。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><br></span></font><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">（原作・ドラマ･アニメを読まれてない方は以後、露骨なネタバレがありますのでご注意ください）</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">原作のストーリーは</span><span lang="EN-US"><font face="Century">19</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">世紀のロンドンでのお話で、簡単にいうと、セーラは幼少時に母をなくし、インドで彼女を溺愛している大富豪の父と暮らしていましたが、父の仕事の関係で、ロンドンの寄宿学校に入ります。成績優秀で正義感あふれ、しかも年下の子たちにやさしいセーラは学院の人気者となります。また、学院の院長も多額な寄付金をあてにしてセーラを特別扱いしいていました。しかし父はインドで事業の失敗（ダイアモンド鉱山はなく、その上友人に騙された？ということで）のあとに事故死してしまい、ある日、セーラは大富豪の娘から孤児へと、奈落の底へ突き落されてしまいます。元々セーラのことを快く思ってなかった院長や一部の生徒（セーラが入学するまで代表生徒だったプライドの高い女生徒）、使用人夫婦からひどいイジメを受け、学院の下働きとしてコキ使われ、食事も満足に与えられず屋根裏部屋で生活します。しかし、そんなつらい日々の中でも、セーラはプリンセスの気品と優しさを失うことはなく、貧乏になっても以前と変わることなくセーラを慕う友人や使用人との交流をももち、懸命に生きていきます。そして、実は父の共同経営者によってダイアモンド鉱山はみつかり、セーラには莫大な財産が残されていて、最後に父の共同経営者はセーラを探していて、再会し、セーラは見事プリンセスにもどり、いじめてた院長らは大慌て、で、めでたしめでたしのストーリーです。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span lang="EN-US"></span></p><p><font face="Century" size="3"> </font></p><p></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">原作とアニメの違いは、年齢設定とか、新キャラ登場とかもありましたが、それ以上に主人公のセーラの性格が心優しさと気品があることは共通ですけど、原作だと洞察力すぐれて風変わりな一面をもち、正義感が強く、使用人になってからも院長に反論する結構強気で辛らつな面をもってますが、アニメだと芯は強いもののひたすら心やさしい善良な人格者になってました。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span lang="EN-US"></span></p><p><font face="Century" size="3"> </font></p><p></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">前置きは長くなりましたが、原作は</span><span lang="EN-US"><font face="Century">19</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">世紀を舞台にしているこの話を、なんと現代の日本に置き換えての設定でテレビドラマ化されたのです。放映前、この話を聞いて「まさか」と思いました。原作やアニメのイメージの強すぎる私にとって、日本人で現代設定で、まともなものができるわけないと。主演が志田未来さんという、女王の教室とか</span><span lang="EN-US"><font face="Century">14</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">歳の母というドラマを主演した名子役出身の女優さんであっても、当初はあまりにもイメージ違いすぎ・・と危惧してました。それで、恐る恐る観てみたら・・・「今時こんな少人数で</span><span lang="EN-US"><font face="Century">1</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">学年しかない学院なんて存在するわけない！」とか、「こんな虐待は児童虐待防止法に抵触するじゃないか！」とか、「児童福祉法によって児童養護施設に入れるじゃないか！」とか、「財産凍結されたにしても未成年の子供がいることは明らかなのだから弁護士か役所の人か誰か会いにくるのが普通じゃないか！」とか、「あまりにもあり得ない、不自然すぎる設定」と、突っ込みどころ満載でした。しかも屋根裏部屋で一緒の使用人は原作、アニメでの女の子から男になってて、主人公セイラが恋愛感情までもつというオマケつきです。ここまでくると、普通、バカバカしいとか、コメディーのつもり？とか、原作への冒涜とか感じるものなのですが、どういうわけか、ひとひねりされてて、この大胆すぎる演出が斬新と感じました。いえいえ、「ありえない無理ある設定でのやりとり」において、もしかしたら、原作やアニメ以上に人間の本質をついているのではないかと思われるシーンがいくつもあって、はっとさせられました。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span lang="EN-US"></span></p><p><font face="Century" size="3"> </font></p><p></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">いつもプリンセスのようにありたい（立派な人でありたい）、人として正しくありたいと願うセイラは、意地悪や理不尽なことをしたり強要する院長や代表生徒のマリア（原作ではラビニアという名）に対して、生徒のときも使用人になっても毅然として反論し、正論を主張します。しかし、彼女の正論はいつも受け入れられないばかりでなく、相手をより一層不快にさせ、依怙地な態度をとらせることになってしまいます。しかも、意地悪されてひどい目に合わされているのはセイラなのに、意地悪した院長やマリアがこのセイラの正論によってプライドを傷つけられ、より憎しみを増幅させていくという負のスパイラルが展開されます。（もちろん最終回はそれなりのハッピーエンドのお約束どおりですが）もっとも興味深いというか、原作やアニメと違って、虐める側にいる院長やマリアはそれぞれ強いコンプレックスをもって苦しんでいるために、時々セイラではなくて彼女らに感情移入してしまいそうになるほど、彼女らの気持ちが描かれている点です。更に、セイラの母が学院の卒業生で院長とクラスメートだったというオリジナル設定で、毎回、セイラの母と院長のやりとりが回想シーンで登場します。このセイラの亡くなった母が学院の生徒だったころから可愛くて成績良くて人気者の善良なる正論の人で、善意で屈託なく千恵子（院長の名前で、原作ではミンチン、ドラマでは三村千恵子という名）に意見するのですが、そのことで千恵子（院長）はより一層惨めな気持ちになったり、苦しむ結果となります。院長にとっては、憧れであるのと同時に自分のコンプレックスや弱さをを刺激するセイラの母（薫子という名）の娘であるセイラに対して、最初からかなり複雑な感情をもっていていました。そして母同様に、正論をぶつけてくるセイラに、徐々に憎しみをぶつけていく心情がよく描かれ、理不尽でやりすぎながら「なんだかわかる」といった気持ちにさせられます。セイラは母の生前の口癖である「女の子は誰でもプリンセス」という考え方と正しいことをしようとする生き方をしっかり受け継ぎ、そのオーラを撒き散らしていたわけですが、それが曲がりなりにもみんなが支持していたのは、彼女が「お金持ちの娘」だったからであり、貧乏になったとたん、これらの正論は、一部の人以外には、ことごとく受け付けられなくなってしまいます。そんなセイラを心配して、フランス語の先生がセイラに「君は正しいと思う。でもね、時としてあまりにもまっすぐな正しさは、人を不安にさせ、落ち込ませ、イラつかせる。人はみんな自分が正しいという自信を持って、なかなか生きられないからね。でも、僕は君にそれを理解して欲しいような、このままでいて欲しいような複雑な気持なんだよ」と忠告？します。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span lang="EN-US"></span></p><p><font face="Century" size="3"> </font></p><p></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">実は、このセリフを聞いたとき、以前書いた「差別と偏見」の記事のことをふと思い出しました。差別も偏見もイケナイことだ、差別なんかしちゃいけない・・・これは正論です。なのに、なぜ「正しいこと（正論）」であることをアタマで理解しても、気持ちが受け入れないか・・の現実につながっているような気がします。「差別は許せない」、「偏見の目でみないで！」それを何故受け入れられないか・・・一つには、確かに「よくわからないから、得体がしれないことは不安」という気持ちが大きいです。でも、知識としては相手が正論いっていると理解できても、気持ちが受け入れられないのは、正しいことをきちんと主張できる人は一見少数派で世間的には「弱者」にみえても本当は「強い人」なのかもしれません。一方、偏ったものの見かたをしてしまったり、無意識でも自分を守るために他者を批難したり差別したりする人は、大声を張り上げて威圧してくる「強者」にみえても、精神的に弱くて傷つくことを人一倍怖れている「臆病で弱い人」なのかもしれません。だからこそ、「正しさ（正論）」を信じ、それを楯にとって堂々と向かってくる人に対して、何か自分の大切なものが脅かされたような気持ちになってしまい、過剰に反応して攻撃的になったり、威圧的になって迫害しようとするのでしょう。ドラマでのオリジナルな場面で印象に残った場面はその他にもいくつかありますが、その中で、院長が一時的に預かることになった少女（原作では寄宿舎での最年少の少女ロッティ、ドラマでは母を亡くしていて父親の仕事の関係で一時預かりしている幼女の路美）の父親が、少女を迎えにくる気かどうかわからないと皮肉めいた心無い発言を、セイラが聞きとがめ、「貴女は間違ってます」といってしまいます。院長はカッとして「黙りなさい！」と怒鳴り、セイラに手を上げるのですが、セイラは毅然として「殴っていただいて結構です。でも、傷つくのは私ではありません。間違っているあなたです。」とキッパリ言い切ります。院長はセイラを殴り、セイラは涙を流すものの、自室にもどった院長は一人になると泣き崩れてしまう・・といった場面がありました。ひどい仕打ちをしているのは明らかに院長なのに、セイラ以上に傷つき追い詰められているのは院長といった構図でした。偏見とコンプレックスにまみれている院長は、「正しさ」の刃の前に、反省するのでもなく理解するのでもなく和解するのでもなく、屈辱的な想いを抱き、確執から逃れられず、セイラに憎しみを募らせ涙する姿は、妙にリアリティがありました。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span lang="EN-US"></span></p><p><font face="Century" size="3"> </font></p><p></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">ドラマの中で、終盤これもオリジナルな展開で、セイラは自分の父親に屈折した態度をとった代表生徒の少女を諭そうとしたときに、親友の少女（原作ではアーメンガード、ドラマではまさみ）から、「あなたは正しいわ・・・・でも、世の中、人の数だけ正しさの数があると思うの。それを認めないセイラさんは心の狭い人だと思った・・・正しいのはあなただけじゃないのよ」と諭されます。そこで初めてセイラはいつも正しくあろうとして、「正しいこと」を主張する自分が、他人を不快にさせてしまうことがあること、それでは自分はどうしたらよいのか？迷い苦しむことになります。このあたりは原作では決して描かれてないのですけど。「正しいこと」って何だろう？何故「正論」が受け入れられないで、迫害されるのだろう？ということについていろいろ考えさせられました。自分が「正しい」と思っていることをわかって欲しいとき、相手が「間違っていることを指摘してあげる」よりも、むしろ相手にとってしがみつきたいほど大切なこと（これを相手にとっての「そのときの正しさ」というふうにもとられるかもしれません）を、まずは認め、受け入れるプロセスを経ないと、お互いの関係も理解も決して深まらず、自分も相手も依怙地になって不幸になります。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span lang="EN-US"></span></p><p><font face="Century" size="3"> </font></p><p></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">演技とか設定とかを脇に置いておいて、このドラマが原作と違うベクトルでとても巧いと思えた仕掛けは、１つは不幸な境遇になった正義の人？セイラと、傲慢で陰険にみえる院長が、「自分の考えを曲げない」という点では似たもの同士である（仲良しの使用人の少年が指摘するシーンがあります）という演出と、もう一つは、実は波乱万丈のこの物語のキーパーソンは、セイラではなく、彼女の母親の存在であることが示唆されている点です。セイラの母である薫子（原作では名前不明）は、学院の生徒であった頃から、いつもプリンセスのように気品があり、正しいと思うことをはっきりという女性でした。その彼女の無邪気で正論的な言動により、クラスメートの三村千恵子（院長）がコンプレックスや弱さを強く意識させ苦しめてたわけです。そして、母である黒田薫子は娘のセイラに「プリンセスのようにあること、正しいことを行うこと」を幼少時に教えていました。千恵子（院長）は薫子のようになれない自分に対してこだわり卑屈になり彼女を憎み、セイラに薫子を重ねてしまってました。しかし、セイラも刷り込まれた母薫子流の「正義と気品」を纏い、知らずうちに院長や代表生徒のマリアを傷つけてしまっていて、ある意味、</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">人とも薫子に囚われ続けた結果の行動だと解釈できます。最後の方で、再び大富豪になったセイラは「あなたももう、黒田薫子（セイラの母）から解きはなたれませんか？</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">人で一緒に母から卒業しませんか？」と、院長に語りかけたとき、はじめて呪縛がとけたように院長はセイラの前で涙するのです。そして、院長は「私は黒田セイラという生徒のことが好きになれない、むしろ嫌いなのですが、それでもよろしいですか？」と伝えます。それに対してセイラは「望むところです。おかげさまで、並大抵のことではくじけない人間になりましたので」と返し、</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">人は微笑みあいます。セイラはここでは「正論」は振りかざしません。自分と院長が良くも悪くも母親の呪縛を受けている点で</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">人とも同じであるということを認め、院長に改心を促すのではなくて、一緒に卒業しましょう、私を嫌ってくれても良いのですよ・・と院長の気持ちを察して歩み寄ってます。だからこそ、はじめて院長はセイラの前で素直に涙し、かつ正直に「あなたのことは好きになれない」となかなか変えられない自分をさらけ出し、セイラと向き合います。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span lang="EN-US"></span></p><p><font face="Century" size="3"> </font></p><p></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">実は、院長は最後まで「ごめんなさい」はいいません。つまり、自分が悪かったとは、はっきりと認めません。では、彼女の最後のセリフは何だったのかというと、「元気で。ありがとう。」で、相手の存在を認めた、セイラも「ありがとうございました」というところで終りました。私は、実はこのラストが気に入りました。最後まで自分のプライドを捨てきれず、過ちであるとわかっていても譲れない相手に、責める「正義の力」や「お金の力」で謝罪を求めるのではなく、（もっとも、お金の力で最後の逆転劇があったという点では現実的なんですが、立場の優劣が逆転しただけで、反省の気持ちがお金で生まれたわけではありません）「２人で一緒に母から卒業しましょう」というスタンスだったことであることが、象徴的でした。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span lang="EN-US"></span></p><p><font face="Century" size="3"> </font></p><p></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">　どこまで演出の狙いだったかはわかりませんが、いろいろ感じるところがあり、妙に印象に残るドラマでした。もちろん、ドラマ終了後、久々に「小公女」の原作を読み返して楽しみました。時代背景でも「正義の在り方」は違うものですね。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><font size="3">　</font></span></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/we-love-cat/entry-10426813693.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Jan 2010 21:46:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>差別と偏見について思うこと・･･偏見</title>
<description>
<![CDATA[ <p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">今回は、偏見について思うことを書きます。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"><br></span></font><font size="3"><span style="COLOR: #3c3c64; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">偏</span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">見は差別の前提となる態度ですが、客観的な根拠や裏づけなしに抱かれる（非好意的な）先入観や判断を意味します。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span><span lang="EN-US" style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">　差別同様、偏見も多くの人から、「よくないこと」として考えられています。そして「偏見をなくそう！」というスローガンの下、人権教育も近年熱心に行われつつあるにもかかわらず、「偏見」はなくならないのが現状です。というより、全く偏見を持たない人間は、ほとんど存在しないと思います。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span><span lang="EN-US" style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">　以前、本能として人の心に潜む「利害関係」が絡んだ、自分あるいは自分の愛する存在の優位性を好む部分や仲間意識の裏返しの排他的感情によって自分達の凝集性を高める機能があるために、客観的な正当性がない「差別」がなかなかなくならないと書きました。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span><span lang="EN-US" style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">偏見についても、理屈では「根拠なく判断するのはよいことではない」ということはわかっていても、私達は偏見（特に非好意的な先入観）を抱いてしまうのは自己防衛本能ともいえます。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span><span lang="EN-US" style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">現実的には、未知なるものに、全く無防備でなんの偏見（先入観）も持たずに近寄っていくことは、危険であることが多いのです。人に対してもモノに対しても、事前に知識を得たり、自分の目でよくよく確かめてから「根拠ある判断」に基づいて行動できるのが理想です。しかし、それが十分にできない状況や初期の段階においては、自分の所属する社会の集団（家族、地域、学校、職場等）で共有されたり教え込まれた、「客観的根拠のない」個人の経験則に基づく先入観や価値観によって、自分にふりかかるリスク回避をしようとします。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">挙動不審な動きをする人間が突然話しかけてきた場合など、どんな人かいろいろ本人に聞いて確かめるより前に、怖くてすっと席を外したりするのも、得体の知れない人間に危害を加えられるかもしれないというリスクからの回避です。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">最近は幼い子供達に、「外で知らない人に話しかけられても、口をきいてはいけません。道を尋ねられても、案内したりしてはいけません。関わらないこと！」「変な人に話しかけられたら無視しなさい」なんて教育している親が（幼稚園や小学校でも知らない人イコール不審者扱いで似たりよたりの指導が実施されているところもあるとか）結構いるようです。これは、「顔見知りでもないのに話しかける人間」イコール「誘拐犯とか変質者」という偏見に基づいての「教育」です。しかし、その反面、確かに、誘拐犯や変質者が増加傾向にある今、「道を聞くふり」をして犯罪を犯す手口は実際にあるので、リスク回避のためにやむ得ない教育として認められるているのが現状です。知らない人にも目があったらちゃんと挨拶をしなさい、困っている人をみかけたら、声をかけて差し上げなさい、なんて教育を受けてきた時代の人間からみると、「顔見知りでない（＝ヨソ者）」、「変わった行動をする（＝挙動不審者）」は犯罪者か変態という前提のような先入観を植え付けかねない「行き過ぎ」の感はありますが。とはいえ、防犯パトロールを強化している地域では、実害を避けるためには合理的な判断とみなされています。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">但し、こういう偏見（先入観）が身を守るための有効作用として働く側面があったとしても、出会いが「知らない人で」第一印象は「挙動不審」にみえても、つきあってみれば善良な人であったり、信頼できる人だったりすることも多々あります。最初に多少警戒したとしても、「こういう人だ」と決めつけないで、ちゃんと相手をみつめ、最初の判断が誤りだと感じたら、それ相応の対応をする柔軟さが大事です。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span><span lang="EN-US" style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">偏見は「客観的な根拠や裏づけなしに抱かれる（非好意的な）先入観や判断」といっても、実はそれが偏見かどうかの判断も微妙なところも随分あります。判断している人間が、相手（モノや人）に対してというよりは一般論とごっちゃにして「客観的根拠がある」と思い込んでいる場合などです。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">例えば、麻薬犯罪や性犯罪を犯した人の再犯率は高いというのは、データで裏付けられていますので、そのこと自体は事実です。でも、だからといって、過去に麻薬犯罪や性犯罪した人は絶対に更生できない、殺人犯はもってのほか、過去に犯罪を犯した人間とは絶対に関わりたくないし、そういう人間は危険だから野放しにしてはいけない、一生前科者とわかるように判別し、社会的に抹殺すべきだ・・などという考え方は偏見でしょう。確かに一般論としてリスクは高いし、本能として不安を除去したい心情には共感できますが、罪を犯した人間は絶対に更生できないし、信用できないなんて信念は、まさに偏見です。</span><span lang="EN-US" style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><font face="Century">1</font></span><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">度犯罪を犯した人は必ず再犯するなんてデータはどこにもありません。</span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><font size="3"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt">最初、警戒心をもつのは必要悪としての偏見ですが、それはある程度やむ得ないでしょう。しかし、問題なのは、その後です。ちゃんと相手を見て接して、更生しようと努力しているかどうかを見極めて評価する姿勢なくして、いつまでも「危険人物」レッテル貼るのは差別です。偏見を捨ててもらうのに最も有効な方法は、説得ではなくて、やはり直接相手と接していく中でちゃんと向き合うことでしょう。そして、多少時間がかかっても、最初の判断が誤りかもしれないと思ったら、評価を修正しえる柔軟性が備わっていることが大切です。</span><span lang="EN-US" style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></font></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-INDENT: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0"><span style="FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ 明朝&quot;; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century; mso-bidi-font-size: 10.5pt"><font size="3">このように、偏見（先入観）は、人でもモノでも「出会い」の時期には、リスク回避の判断として有効性はある程度あると思いますが、相手と向き合って接しないで、最初の判断を決して変えることのできない頑なさは、差別主義者を作り出す怖い態度です。</font></span><span lang="EN-US" style="mso-bidi-font-size: 10.5pt"><br></span></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/we-love-cat/entry-10400201158.html</link>
<pubDate>Mon, 30 Nov 2009 12:34:24 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>おでんの具、何が好き？</title>
<description>
<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dwe-love-cat%26ENTRY_ID%3D10393329251%26ENTRY_END_DATE%3D2009%2F12%2F02"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img alt="おでんの具、何が好き？" src="https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=4976">おでんの具、何が好き？</a> 参加中<br><div>おでんの具で好きなのは、</div><div><br></div><div>第１位　たまご</div><div>　但し、だしの味がよーく滲み込んでいる状態でのたまごです。</div><div>　作った当日より、２日目あたりが美味しいです。</div><div>　コンビニでも、だしの色がしみこんでいるのを選びます。</div><div>　おでんで一番最初に食べるのは、</div><div>　たまごかこんにゃくです。</div><div>　</div><div><br></div><div>第２位　白滝＆こんにゃく</div><div>　何より、歯ざわりというか、食感が好きです。</div><div>　なかなかだしの味が滲みこまないこともあるので、</div><div>　だしと一緒に食べます。</div><div>　たまごの黄身と一緒だとモアベターでした。</div><div><br></div><div><br></div><div>第３位　大根</div><div>　かなり柔らかくなるまで煮込んであり、</div><div>　だしの滲み込んでいる状態での大根です。</div><div>　これに「からし」をつけて食べるのが美味しいです。</div><div><br></div><div>　</div><div>もちろん、他の具も好きですが、</div><div>第１位～第３位は、</div><div>必ず入れます。</div><div>これが入ってないとおでんじゃなーい！という必需品目です。</div><div><br></div><div>あと、おでんの具としては邪道かもしれませんが、</div><div>じゃがいもも、よーく煮込んであるのもいいですね。</div><div><br></div><div><br></div><div>学生時代に、</div><div>学園祭でクラスでおでんを売ることになり、</div><div>私は裏方スタッフとして</div><div>下ごしらえ班？で、</div><div>ゆでたまごをつくって殻を剥いてました。</div><div>人生で一番たくさんたまごの殻を剥き続けた日でした。</div><div>朝からとりかかったものの、</div><div>たまごに味が滲みこむには時間かかるから、</div><div>本当に美味しくなるのは午後からだろうなあ・・などと、</div><div>秘かに思いました。</div><div>おでんは好評で、完売、確かたまごにはありつけませんでした。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>　</div><div><br></div><div><br></div><div>　<br><br><br><br></div><a href="http://allabout.co.jp/gourmet/sake/closeup/CU20080924A/" target="_blank">All About「日本酒・焼酎」おでんによく合う日本酒、タネ別ベスト５！</a><br><a href="http://allabout.co.jp/gs/caloriecontrol/closeup/CU20081115A/" target="_blank">All About「カロリーコントロールダイエット」コンビニおでんカロリー比較＆食べ方のコツ</a><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/we-love-cat/entry-10393329251.html</link>
<pubDate>Sat, 21 Nov 2009 11:47:03 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>メールの返信、早い？遅い？</title>
<description>
<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dwe-love-cat%26ENTRY_ID%3D10388688197%26ENTRY_END_DATE%3D2009%2F11%2F25"><p><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img alt="メールの返信、早い？遅い？" src="https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=4951">メールの返信、早い？遅い？</a> 参加中<br></p><div>ケースバイケースです。</div><div>緊急性の有無、仕事かプラオベートか、</div><div>相手によって,あるいは用件によって</div><div>簡潔でいいか丁寧に書くべきかによります。</div><div>できる限り早く返信しようとは思ってますが・・・。</div><div><br></div><div>まず、基本的にはＰＣでのメールの送受信なため、</div><div>ＰＣをつけてないときには、</div><div>返信以前に受信してません。</div><div>といっても今のところ、</div><div>ＰＣを全く開かない日はほとんどありませんが。</div><div><br></div><div>ＰＣの前で仕事しているときは、</div><div>仕事関係については、</div><div>簡単な内容であれば即時に返信します。</div><div>いろいろ調整が必要なときは、</div><div>多少時間時間かかるので、遅くなることもあります。</div><div>何日もかかりそうなときには、</div><div>一言、その旨を伝える返信を書きます。</div><div>プライベートなメールは</div><div>相手が急ぎのときは、</div><div>とるにとりあえずで気付き次第、即メールします。</div><div>でも、目上の人からのメールや</div><div>入り組んだ内容のメールに対しては、</div><div>いろいろ内容や表現の仕方を考えてから返信するので、</div><div>翌日に返信のことも多々あります。</div><div><br></div><div><br></div><div>携帯メールのアドレスは、</div><div>ごく限られた大切な人にしか教えてませんので、</div><div>携帯メールでの問い合わせは、</div><div>メールチェックできる環境であれば、</div><div>できるだけすぐに返信します。</div><div>電車の中では電話の代わりに</div><div>チャットみたいにリアルタイム？でやりとりします。</div><div><br></div><div>もっとも、ＰＣでも敬愛でも、</div><div>明確な問い合わせのメールなら、</div><div>1度返信して終わり、なんですけど、</div><div>返信後、またメールが来て、</div><div>用件というより、</div><div>他愛無い内容だった場合、</div><div>そのメールに返信書くべきか迷うことはあります。</div><div>相手はこちらの返信への社交辞令として、</div><div>メール受取ったよ！の意味で書いてくれているのか、</div><div>あるいは、このメールのやりとりをもっとしたいと望んでいるのか、</div><div>判断つかないことがあるからです。</div><div><br></div><div>こちらの返信に対する社交辞令での返信の場合、</div><div>再度返信メールをすぐに書くと、</div><div>相手にもっと気を遣わせてしまう気もしますし、</div><div>しつこい奴と思われるかもしれません。</div><div>また、やりとりを望んでくれている相手だとしたら、</div><div>返信を待ってくれているかもしれないので、</div><div>早く返信したいものですが、</div><div>相手のメールの意図がわかりにくいときには、</div><div>いろいろ悩んで、返信が遅れます。</div><div><br></div><div><br><br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/we-love-cat/entry-10388688197.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Nov 2009 23:49:33 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
