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<title>東方の珠</title>
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<description>勉強できるコーナーになりたい。世の中の成功者の言行を学んで、自分自身も成功になりたい。</description>
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<title>家業が企業になるには「家出」から 　（星野佳路氏の経営者ブログ） 引用</title>
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<![CDATA[ 電子版のブログは掲載されてからすぐに、読者の皆さんからの反響が分かっていいですね。時には皆さんのコメントに返事をしたくなります。直接議論できれば、もっと発展的な話になるかと思いますが、それは難しいのでこれからもたくさんの意見をお待ちしています。<br>さて今回は星野リゾートがいかに家業から企業に脱皮したのかを書きます。家業の良さは目先の利益だけを追うのではなく、長期的な視点に立てることです。跡継ぎに任せるまで会社を存続することが最重要ですから、本業重視で余計なことはしなくなる。<br>家業で起こりやすいネガティブな面は公私混同でしょう。どこからどこまでが会社のお金なのか分からなくなるし、親族間で株式の持ち合いをしていると、正しい評価ができません。一族の社員は一般社員から見ると、不公平な存在と見なされます。ですから企業になるには家業の悪い部分を克服しなければなりません。<br>私はコーネル大学院の卒業後、1989年に実家を継いだのですが、一度辞めています。当時は自分がいても会社を改革できないと思ったからです。そして1991年に再び戻ったときは会社の株式の過半数を取り、企業化を目指しました。<br>旅館を経営していた当社の場合、敷地内に親族が住んでいました。これでは水道や電気などのインフラ利用も公私の区別がはっきりつきません。これを分けるために、まず私が敷地内から「家出」をしたのです。住宅ローンを組んで、軽井沢の旅館から車で20分かかる長野県御代田町に新居を構えたのです。「ラディカルなことをするね」と周囲から言われましたが、自ら出て行かないと、親族は動きません。同時に複数の改革を始めました。まずは人事制度。一族社員の評価も能力と報酬に見合うように刷新しました。そして優秀な社員のリクルーティング、業績の改善です。業績も上げないと、一族は納得しませんからね。結局、企業への脱皮に10年かかりましたね。親族が敷地内を出たのは旅館を今の「星のや　軽井沢」に改築した2003年です。もちろん生活できるように家も用意しました。<br>企業化に拍車をかけたのは2001年、八ケ岳にあるリゾート施設の再生を頼まれたときです。いわゆる不良債権の処理です。早期に黒字化しなければならない。まさに家業から企業への移行期で、軽井沢での課題も多く大変な時期でした。成功したことでその後の信用アップにつながりましたが、これは結果です。下手したら、どれもうまくいかないリスクもありました。<br>そして、企業への脱皮に欠かせないことは「税金を支払うこと」ですね。それは決算上、利益を出す会社にならなければならないということです。そうしないと、金融機関から借り入れもできないし、設備投資もできません。優秀な社員も集められない。当社は上場していないので、決算は公開していませんが、大学生向けのリクルートブックには掲載し、収益率が高いことをアピールしています。<br>私も会社の利益が出始めた頃、節税について考えたことがあります。ただ、そのために不要なモノを買っても、会社の競争力にはつながらない。もちろん税率は低い方がいいですが小細工しても仕方ない。やはり企業になるには小さなお金の使い方ではなくて、何を目指すかが大事だと思います。<br>
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<link>https://ameblo.jp/wflcl2008/entry-11857560119.html</link>
<pubDate>Thu, 22 May 2014 09:10:02 +0900</pubDate>
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<title>「架空」の快適国家で 　（鈴木幸一氏の経営者ブログ） 引用</title>
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<![CDATA[ いつか、日本人の生活感覚や皮膚感覚というか、長い歴史の経験に根ざした日本語でインターネットについて書いてみたいと思うのだが、今のところ全く歯が立たず、翻訳の単語を並べるか、英語をそのままカタカナにして、理解の過程を省略しながらお互いに理解をしている気になって済ましている。技術的な話については、一定の約束事（ルールでいいのかなあ）に従って、論理的なコミュニケーションをとることで齟齬（そご）はないのだが、一歩、技術的な議論だけでは収まらないセキュリティーといった社会的な広がりを持つ問題を考えだすと、本質的なところの認識で根っこの違いを感じることがよくある。幕末以降、欧米の言葉を、西周をはじめとする深い漢文の素養を持った人々が、驚くべき才能に物を言わせて日本語に翻訳してきた。その恩恵を被りながら、労力と時間を省きつつ物事の理解をしてきたつもりなのだが、それは翻訳語の上の理解にすぎないと取り返しのつかない年齢になった今ごろ、なんだかおぼつかない気持ちになる。<br>　どこかで、なぜサーバー（機器）をサーバー（ｓｅｒｖｅｒ）という言葉で表現をするのかといった話をしたことがある。サーバーという機器の定義を見ると、＜コンピューター・ネットワーク上で、他のコンピューターに対し、自身の持っている機能やサービス、データ等を提供するコンピューター＞。そんなことが書かれている。お客様になにかを提供する機器である。英語で育った人間と日本語で育った人間では、サーバーという機器について、その役割の理解の仕方は、たぶん違ったもののはずである。言葉によって、モノを考えるわけだが、その言葉の背後にあることの認識を違えたまま、何とか理解をしている気になって生きてきたと考えると、事は深刻になるので、中途半端なまま忘れることにしてはいるのだが。<br>　ソサエティー（ｓｏｃｉｅｔｙ）の訳語が「社会」ではなくて、「世間」という昔からある日本の言葉に翻訳されていたり、リーズン（ｒｅａｓｏｎ）が「理性」でなく「分別」という言葉を当てはめていたりしたら、日本人の理解の仕方も違っていたのではないか。シンガポールまでの飛行機で、柳田国男を論じた本を読んでいたら、そんな文章があった。「世間に顔向けができない」とか「いい年をして分別がないのだから」など、子供の頃からなじんできたそんな言葉を思い出しては考え込まされた。「世間」を「社会」に、「分別」を「理性」に置き換えてみると、それは母親の言葉とはならない。そんなことに思いを致していると、せめてインターネットのことは、母親が話していた言葉のレベルで語れないだろうかと、昔から考えていたことを思い出したのである。仕事を引退したら、時間をかけてそんな本を書いてみたいと、その能力もないくせに夢見ることがある。机の上は、いつも本が山積みされ、オーディオの前は、聴いたＣＤが床に散らばっている。気にはなっていても、片付ける気力がないのは、忙しすぎるからだと、言い訳をしながら生活をしている私の部屋に友人が来ると、「高級学生下宿」と冷やかされる。若いころ、「初めに整理・整頓ありき」だと、工場の現場に行っては、恥じらいもなく、柄にもないことを言っていたのだから、いい加減なものである。<br>世界でも稀（まれ）というか、世界の都市でもっとも汚れがなく、あらゆる空間が、清潔にピカピカに磨かれた都市空間の模型のなかにいるようなシンガポールに２～３日もいると、感性がサクサクしてくるような感じになる。強烈な太陽が照りつけているかと思うと、にわかに黒い雲が広がり、雷が鳴り、激しいスコールとなる。気候だけは、かつてそうであったろう熱帯のジャングルを思い起こさせるのだが、バケツをひっくり返したようなスコールの雨脚ですら整然とした都市空間に負けてしまい、皮膚に伝わらない。そのシンガポールが性に合って二十数年も住み着いてしまったという社員は、「１年中、同じ服でいいし、ゴミひとつないけれど、いつも発展途上の熱気があって、日本に戻る気が起きない」という。ひと、それぞれである。<br>　シンガポールで、ＩＩＪのクラウドサービスを始めるセレモニーに出席したのだが、150人を優に超す方々がパーティーに足を運んで下さった。アジアにインターネットのバックボーン網をつくり、欧州・米国・アジアという３つの地域がイコール・パートナーとなるようにしようとアジア各国の通信会社を駆け巡っては、その構想の実現に向けて口説き続けていた頃に、シンガポール政府で対応をしてくれていた知人や思いもかけない旧知の方々がパーティーに駆けつけてくれ、旧交を温めたのである。<br>　そのプロジェクトはＡＩＨ(アジア・インターネット・ホールディング)という会社となって、ＩＩＪ、シンガポール、香港を中核として、今でいうＡＳＥＡＮ諸国のほとんどのナショナル・キャリアというか、当時の電話会社が参加し、そのバックボーンを利用するようになったのだが、インターネットが加速度的に利用されるようになると、各国とも国益という観点から通信政策を掲げるようになって、結局は、あまりうまくいかなくなってしまった。なによりも、シンガポール政府が「ハブ」という概念を明確に打ち出すようになって、私の構想がインターネットのトラフィックにおいて「東京ハブ」を目指しているのではないかという事になり、「ハブ」という概念を知り尽くしていたシンガポールとの協力が難しくなったことも、そのプロジェクトが成功に至らなかった要因の一つにあった。<br>夜、ＡＳＥＡＮのナショナル・キャリアの方々と酒を飲みながら食事をしていると、「鈴木さんはミスター大東亜共栄圏だ」といった冗談を言われたりした。当時のインターネットの状況から、将来はアジア諸国をメッシュタイプのバックボーン網でつなぐという事になっていたのだが、当初はトラフィック量の多かった東京とアジア各国とのバックボーンを構築することから始まった結果、東京と各国の間をスター状にトラフィックが流れるようになってしまったのである。採算性から考えれば、妥当な設計ではあったのだが、私の進め方が拙劣だったと言えばその通りである。なによりも、ＩＩＪの体力では、採算を度外視してもということが難しく、日本の政府にもインターネットにおける「ハブ」の概念が、極めて重要なことだという認識が浅く、国の政策として取り上げようという事もなかったのである。<br>建国から、たかだか50年足らずの歴史である都市国家のシンガポールが、現在の繁栄に至る基本的なコンセプトが、「ハブ」という概念であると言っても過言ではない。マラッカ海峡をもつシンガポールの中心となる産業が、海運であり、金融センターであり、観光であることは言うまでもない。巨大なチャンギ空港の建設をいち早く始めたのも「ハブ」というコンセプトからすれば当然のことである。諸々の事情があったにせよ、成田空港の建設で遅れに遅れた日本の政策と比較してみると、その違いは明確である。<br>　　ハブという言葉、言うまでもなく、ネットワークの中心である。機械でいえば、車輪の中心部にあって、車輪の外周と車軸をつなぐスポークが集中する部分であり、ネットワークで言えばネットワークの中心に位置する集線装置として、複数のネットワーク機器を接続する場所である。交通機関については、よく知られているように、海運や航路が集中する場である。日本語に一言で「ハブ」を表現する言葉があるのだろうか。英語では「ＨＵＢ」という一言ですべての具体的なイメージが浮かぶが、日本語にそういう言葉がないために、わが国のハブ化政策が遅れてしまったという事ではないとは思うけれど、日本の長い歴史にあっては、ＨＵＢ機能を構築することによって産業・経済の基盤とする政策はなかったのかもしれない<br>パーティーの夜、今は大きなファンドを運営している旧知の方、香港、シンガポールのそれぞれ私から見れば大富豪と言ってもいいお金持ちの方々と食事をする。タバコ好きの私に配慮していただき、高層ビルが林立する金融センターに隣接する、海というか運河沿いというか、河岸沿いで海風に吹かれながら話し込む。たくさんのテーブルを埋めた人々の明るい表情、元気な話し声が飛びかって、シンガポールの繁栄を象徴するような熱気が漂う。格差があると言っても平均所得も高い。50年に満たない歴史で、ここまで繁栄した国は例がないのではないか。しかも埋め立てによって国土も広がり続け、人口も増え続けている。2030年には、現在の人口540万人（シンガポール人・永住者は384万人）を690万人にするという計画を発表している。ある意味で現代の実験途上の国家という気もする。もちろん問題がないわけでもない。なにより、人口を増加させる計画とは裏腹に、シンガポーリアンの出生率は日本を下回っているわけで、計画を実現するとすれば移民政策に頼らざるを得ない。それも、中国、インド、マレーといった現在の人口構成比（中華系76,7％、マレー系14％、インド系7.9％）を守りながらの移民政策だという。減少するのは、シンガポーリアンだけといった構成比になるという。所得が豊かになると、出生率が減るというのは逃れようのない現代の定理かもしれない。<br>　「日本や中国と違って歴史がない。小さな国である。立地が周知のような場所にある。リー・クアンユーのような傑出した建国者が、優秀な官僚を率いてここまで来たけれど、リーさんも90歳前後になって、奥様を亡くされてからは表には出なくなった。リーさんのご子息である首相も間もなく引退するようだし、ご子息は政治に関わらないようなので変わってはいくと思いますね。インドネシアもタイも、変わり目の時期ですよ。シンガポールは、子供の頃から徹底した競争社会で、その競争に打ち勝ったもっとも優秀な人間が官僚になって、これからもその官僚がこの国を引っ張っていく。官僚になることで、豊かな暮らしは約束されるわけだし、子供の頃にエリートの道から排除された人間も、国が豊かということで、まあまあ納得した生活ができる。今のところだけかもしれないが、豊かさが保証されていることで、それがこの国のエンジンになっている」<br>不動産、金融、ハブのインフラ、観光を経済の源泉とし、エリート官僚がかじ取りをする都市国家のシンガポールにいると、私には架空の実験国家で、あらゆる余分な匂いを消した都市にいるようで落ち着かない気分になるのだが、快適で居心地の良い環境に慣れれば、日々、余計なことを脳裏に浮かべては、酒を飲み、タバコを吸い続けてしまう東京にいるより長生きできるのかもしれない。すごい食欲の富豪さん達とのおしゃべりが尽きることはなかった。
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<link>https://ameblo.jp/wflcl2008/entry-11843605116.html</link>
<pubDate>Wed, 07 May 2014 09:54:54 +0900</pubDate>
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<title>ＧＤＰの５割　目覚めよ、家業 　（星野佳路氏の経営者ブログ） 引用</title>
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<![CDATA[ 今回は日本経済の潜在力を引き出すための「秘策」について考えてみたいと思います。一般的に日本経済と言えば、株式を上場した大企業の動きをもって語られることが多いと思いますが、実態としては上場もしていなくて、売上高や利益などの経営指標が公表されていない中小のファミリービジネス、いわゆる「同族会社」を無視することができません。日本の法人企業数約250万社のうち、実に97％は同族会社とされています。<br>中小企業基本法で定める中小企業の定義（製造業で従業員数300人以下または資本金3億円以下）でとらえ直すと、国内企業数の99.7％、従業員数の66％が中小企業。さらに製造業の出荷額では49％、小売業の商業販売額では71％を中小企業が占めています。<br>こうした数値から推測してみますと、国内総生産（ＧＤＰ）のおよそ５割をファミリービジネスが握っていると考えられます。すなわち、ファミリービジネスが10％成長するだけでも、日本経済は格段の飛躍が可能になるわけです。とはいうものの、大企業より成長は限られています。これは世界が共通して抱えている問題のようです。米国ではハーバード大学やノースウエスタン大学のビジネススクールなどがファミリービジネス活性化のための専門プログラムを手掛けているほどです。<br>では、ファミリービジネスを成長させるにはどんな手立てが考えられるのか。そんなに難しく考える必要はないと思います。ひとつは、大企業がやり尽くした様々なビジネスの定石を実行することです。たとえばマーケティング。神奈川県藤沢市に「みやじ豚」という会社があります。社長の宮治勇輔さんは実家の養豚業を継ぎ、企業として発展させています。豚を育てるのは父親と弟に任せ、宮治社長が豚をブランド化することで付加価値を高め、単価を上げた形で販売するようになったのです。<br>ご本人は当初、家業を継ぐつもりはなかったようですが、次第に実家の豚のおいしさ、父親が築き上げてきた地盤・看板の魅力に気づいたようです。農業経営者の多くは、これまで生産だけを担当し、販売は農協任せでした。実家に素材があるわけですから、そこに付加価値をつけることでビジネスに変身するわけです。<br>実家が商売や農業をやっていても、継がせるほうも継ぐほうも「先がないから」と廃業に向かってしまうケースが多いようです。そして、跡継ぎはだいたい大企業志向になります。大企業の社会的役割は大きいことは確かですが、ある意味、その人がいなくても別の誰かが代わってくれます。人材の代替がいくらでも可能なわけです。これに対して、家業は跡継ぎであるその人にしかできないというケースが多々あります。<br>大企業のように経営資源が豊富なわけではありませんから、成長させる最大のリソースは本人。跡継ぎの力量次第で、家業をビジネスへと大きく飛躍させることもできるのです。大企業で働くよりも、家業を発展させたほうが、日本経済への貢献度も大きいのではないでしょうか。「家業を継ぐか否か」――。こう悩んでいる方はぜひ前向きに継承を考えてほしいと思います。目覚めよ、ＧＤＰの５割です。<br>
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<link>https://ameblo.jp/wflcl2008/entry-11840973374.html</link>
<pubDate>Sun, 04 May 2014 11:13:55 +0900</pubDate>
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<title>小さくても勝てます 　（高原豪久氏の経営者ブログ） 引用</title>
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<![CDATA[ Ｐ＆Ｇなどのグローバル企業に比べて圧倒的に小さい我が社にとって「早い(速い)ものが遅いものに勝つ」時代になったことは、むしろ有利であると思います。ただし、その早さや速さを磨くということは「どれだけ長い時間仕事をしたか」でも「どれだけきちんと全てを調べて分析したか」など、仕事をしている時間やそれによる習熟度からくるスピード、そして処理の正確性の向上などは本質ではありません。<p>　重要なのは「正しい答えを短期間で出して、それを速やかに実行に移す」能力をどれだけ高めることができるか、にあります。それが「早い(速い)ものが遅いものに勝つ」という本質的な意味だと思っています。</p><p>　社内のどんな職種でも「常に時間とのプレッシャーの中で答えを出すという状況に置かれ続けること」で、早さや速さがしっかり磨かれる場合があります。その早さ・速さの背景にはメンバーや組織の「仮説立案～検証力」の高さがあります。的確な仮説の構築とその検証能力です。</p><p>　一般的に「日本人はあらかじめ問題がはっきりしているときにはそれを解くのは得意である一方、『自ら問題を作りだす能力、あるいは問題を発見する能力』はとても低い、これが日本のビジネスパーソンの弱み」であると言われています。だからこそ「どれだけ正しい答えを短期間で出して、それを速やかに実行に移せるか」という「早さと速さ」を磨くにはどうすればよいかが問題です。<br>そこには「先見性と決断力」というポイントがあります。天才棋士の羽生善治さんは「経験に裏打ちされた直感の7割は正しい」と言っています。そして大事なのはその「直感に支えられた決断力」そして「あとはなるようになれ」という気持ちで指すのだそうです。これが『決断力』です。</p><p>　あらゆる可能性を考えるよりも「最初に焦点を絞って」仮説を立てることが重要です。一般的に言って、顧客調査や製品開発において、まずは数多くの分析や実験を試み、その結果をいろいろな方向から分析して答えを導き出すという網羅的アプローチを採るのが普通でしょうが、これでは「速さ」は磨かれません。「正しい答えをどれだけ短期間で出して、それを速やかに実行に移せるか」という命題に対して、あきらかに「仮説検証アプローチ」の方が「網羅的なアプローチ」よりも速いのです。</p><p>　まず先に仮説を構築して強い問題意識を持ち、その解決に必要な分析を選択して、その情報だけを拾い上げていくのです。そして「良い仮説は経験に裏打ちされた直感から生まれる」と言われるように、自分の過去の経験をじっくりと見つめなおすことも大切です。少ない情報で正しい仮説を立てられるようになるには経験を積むしかありません。でも時間や回数より「仮説検証力」を磨くという目的意志をしっかりもってあらゆるケースを無駄にしないで繰り返し訓練することです。まさに「素振り千回」です！</p><p>　また「なぜをくり返す」こともその訓練のひとつです。トヨタ生産方式を発案した大野耐一さんは、「なぜと５回問え、そうすれば原因ではなく真因が見えてくる」と言いながら現場をまわっていたそうです。自分がそれまでとは違う分野やレベルへ成長するために、それまでと違ったことに挑戦したり、さらに上のレベルを目指して努力したりするときには失敗がつきものだと、そして「勝ち星は逃しても、教訓は手に入れろ」とは元ロッテ監督バレンタイン氏の言葉です。負けたときほど学ぶことが多いのだからそれを逃してはならない、仮説が良くなかったときほど、なぜうまくいかなかったのかと考えるチャンスです。<br>「失敗は成功の母」というくらいですから「創造的な仮説を立てれば立てるほど失敗はつきもの」なのです。はじめは仮説が当たる確率は相当低いと思います。それでもくり返し仮説検証をしつづける決意と執念があれば必ず仮説立案力が上がり、成功確率が上がってきます。そして「分析は仮説を証明するためにするもの」くらいの割り切りが必要です。乱暴に聞こえるかもしれませんが「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」です。コツは「とにかく少ない情報で考えること」です。情報は多ければ多いほど良い意思決定ができる、と信じているうちは仮説検証力は磨かれません。一般的な網羅発想を繰り返しても作業が速くなるだけで、答えにたどり着くスピードが格段に速くなるわけではないのです！</p><p>　網羅発想から抜けるためには「自分が欲しい答え、証明したいものは何なのか」を徹底的にはっきりさせることです。また、仮説検証のプロセスも、かなり時間がたってから誤りに気付くよりは、初期の段階で「皆で協力して仮説の検証を手伝う、議論する」ことも効率が高まり、また組織全体の能力も高まります。仕事を指示されてもすぐに始めるのではなく、目的の確認やその仕事を含む全体像をまずしっかり考えてみること、そうすれば仕事の手順も見直して、不必要な業務や資料も発見できることも少なくないはずです。</p><p>　ひとりひとりが仮説検証力を徹底的に磨くことによって、すばやくやるべきことを整理して、目的や目標に向けて意識と行動と時間を集中させることができます。まさにそれが「共振の経営」を実践する型である「ＳＡＰＳ経営モデル」の要諦です！</p>
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<link>https://ameblo.jp/wflcl2008/entry-11839472641.html</link>
<pubDate>Fri, 02 May 2014 16:54:43 +0900</pubDate>
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<title>過保護と熾烈な競争と 　（鈴木幸一氏の経営者ブログ）引用</title>
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<![CDATA[ <p>例えば、子供の教育の話を聞くと、それがいいことなのか悪いことなのか、にわかに判断をしなくなったのは年齢のせいかもしれない。それぞれの国が、その時々に置かれた状況によって教育の方針が決まるわけで、その時々の教育を受けた人間はいや応なく、その時代の国の状況から生まれた方針の枠のなかで、子供時代を過ごす羽目になる。その善悪を云々（うんぬん）しても、ある時代に過ごした子供時代は、二度と帰ってこないのは当たり前であって、その時代の教育政策があまりにひどいものであれば、その時代に子供時代を過ごした人間は、それは不運だったと諦めるほかない。<br>　敗戦から廃虚になった都会で生まれた私の子供時代は、子供の教育よりなにより、その日の暮らしを維持するために、親が子供の教育まで目が届かなかった時代だった。国が仕組みごと崩壊していたわけで、その後、競争が特徴となった時代とは違って、運動会の徒競走とか主に体育の授業で、競争を感じたくらいである。もちろん、試験の点数とか、差はあったわけだが、それが子供の競争に結びついていたほどの事でもなかった気がする。補習も記憶にない。そんな時代に育ったことが良かったのか悪かったのか、どうなのだろう。大学に進学する人間は20％くらいだったのかもしれない。<br>　今や、世界中、資本主義という大きな枠組みの上で、国も企業も利潤の追求、そのための競争という目的があるわけで、その基本的な原理を逃れるわけにはいかない。資本主義の面白いところは、いささか原理的に過ぎるけれど、資本家と賃金労働者の間には人格的な権力関係は存在しない。資本主義における資本家の追求すべきことは、際限なく利得を追求することであって、資本家個人の富を増やすことではない。結果的に「際限のない利潤追求」によって資本家を潤すことはあって、それが目的ではなく、資本の価値を増殖することにある。「際限のない利潤追求」は、資本家が他の資本家と競争して生き残るための前提条件なのである。これはあくまでも原理であって、なにを今更と思うのだが、子供の教育の前提として、何はともあれ第一に厳しい競争がテーマになるのは、一般論として避けられないことである。<br>　「中国の子供について言えば、過保護と競争というふたつの言葉で、子供たちの日々の過ごし方は説明がつくような気がする。北京や上海の共働きの家庭は、大方はどちらかの両親、子供からいえば祖父母が同居していて、そのお祖父ちゃんかお祖母ちゃんが小学校まで送り迎えをするのですが、校門までの道のりでは、お祖父ちゃんかお祖母ちゃんが小学生のランドセルを手にしていて、子供は校門まで手ぶらで歩いて行く姿を見ると、なんだか変な感じです。子供がランドセルを持たず、年老いた人に持たせることが当たり前。日本人から見ると過保護もいいところです。ただし、子供の補習はすごい。小学生は平日毎夜、９時ごろまで、土曜日は朝の９時から夕方６時まで補習です。なにせ、大学ですべてが決まってしまいますから。子供の受験に備えた競争といえば、都会より農村の方が熾烈（しれつ）かもしれない。中国の場合、戸籍が都会と農村の２つに分かれていて、北京や上海といった大都会でちゃんとした企業に就職ができれば、戸籍が都会になるという、まさに将来の生活がかかっているわけです」</p><div style="width: 49px; height: 11px;" class="cmn-photo_style2 cmn-position_right"><div>&nbsp;</div></div><p>中国を知る人にとっては、当たり前の話のようだが、子供の教育など、とうに忘れてしまっている私には、その必死な競争社会が支え、歴史上、もっとも広大な地域を治めている今の中国について、ふと考え込まされた。3世代の同居によって、女性も出産をしても３、４カ月後には職場に復帰して通常の働き方をしているという。その点、核家族が前提の日本とは違うようだ。職場の競争が厳しいのは言うまでもない。<br>　頼まれごとがあって、久しぶりに岩波文庫を何冊か読む羽目になった。帰宅して、積み重ねられた段ボールに詰め込まれたまま何年も眠っていた文庫本を取り出してみると、本文が茶色っぽく変色している本もある。頼まれごとというのは、３冊ほど記憶に残る文庫本を紹介してほしいという依頼だったのだが、そもそも膨大な岩波文庫から３冊を選択するということ自体、無理な話である。昔は、★の印ひとつが50円で、星の数によって価格が決まっていたのだが、いつの間にかそんな表示がなくなっている。老眼の眼には、文字が小さく、なんとも読み辛いのだが、手に取ってパラパラとめくり始めると、ついつい引き込まれて、選択をするという目的を忘れて朝方まで読みふけってしまい、日ごろから蓄積している寝不足の負荷を増しただけだった。選択した本はなにかといえば、昔、読みふけって、記憶がいまだに鮮明な文庫本で、改めて段ボールを開くまでもなかったのである。そもそも、膨大な数の文庫本の背表紙を見て、選ぶことなどできるはずもない。良かったことといえば、本の装丁等々はいかにも、長年にわたって放って置かれたままで、埃（ほこり）っぽくなってはいたのだが、読み始めると、ついつい吸い寄せられてしまい、眠気が飛んでいくほど惹きつける力がある。インターネットが普及して、若い人がコンテンツ・ビジネスに血道をあげて、瞬時に大きな事業になったりしているのだが、岩波文庫が営々と築きあげた「知の宝庫」の影が薄くなっているのは、寂しい限りである。インターネット上でのコンテンツ・ビジネスの多くが、刹那的な楽しみ方をターゲットにして、次々に刺激の強さと、瞬時に目を引くアイデアの競争に終始しているのを見るにつけ、残してほしいものが残れる仕組みができるといいと、ビジネスマンとは思えない発想をしてしまう。<br>「このコーラスは、当時は職業的な合唱団のために作曲された作品ではなく、教会に集まって歌う普通の人が、祈るために作曲された曲ですから、そんなに大きな音で歌われると、祈りという本来の姿がなくなってしまいます。祈りの気持ちを込めて歌おうとすると、そんなにダイナミックに大きな音にならないですよね」<br>　「主よ人の望みの喜びを」というバッハの有名なコラールのリハーサルの折、指揮者はそんな指示を出していた。精いっぱいの音量を出して祈る人は居ない。心を込めた祈りの声の音の量という指示はおのずと理解されて、プロの方々はすぐに祈りのモードの音になっていった。今の時代、メディアに載ると、祈りも悲しみも叫び続けるようになってしまったのだが、そんなことを考えると、面白い指摘だった。そういえば、昨今は笑いを取るにも、絶叫を続けるようだ。昔の落語など、含み笑いというか、品のいい笑いが多かった気もする。<br>岩波文庫にしても音楽にしても、子供たちの必死の競争には、なんの役に立ちそうもないけれど、せっかく、埃まみれになったので、明治の初年、大デレゲーション（使節団）を組んで当時の指導者が、米欧を回った折の実記から一節を抜いてみる。欧米信仰に近かった、当時の政治家と一緒に回り、回覧実記を詳細に記述した久米邦武の実記である。<br>――欧州一般、ミナ利欲ノ競争ニ生活シタルコト、（略）政俗ノ精神ヲ論スレハ、意必固我ノ四ニ帰ス、此ヲ固執シテ、所謂自主ノ理トハ、私利ヲ追求スル一意ニテ、此意ヲ立テ生業ニ勉励シ、十分ニ遂ゲンコトヲ必ス、此ヲ固執シテ、敢テ渝薄セサルモノホト、高等ノ人物ナリ、故ニ議会ヲ立ルモ、会社ヲ協定スルモ、国ヲナシ政ヲ協定スルモ、只四ヲ成就スル所ニシテ、亦東洋ノ風習トハ反対ナリ（「米欧回覧実記」（五）89巻160ページ）――<br>「只四ヲ成就スル所ニシテ」という鋭い指摘には、感心させられると同時に、その後の日本の歴史がふと浮かんでしまう。架空の都市空間のようなシンガポールも夕暮れが近い。</p>
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<pubDate>Wed, 23 Apr 2014 11:12:16 +0900</pubDate>
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<title>負けから学び、強くなる 　（高原豪久氏の経営者ブログ） 引用</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">「人は他人の才能や幸運をねたむが、他人の努力は素直に認める」といわれます。ユニ・チャームも53年前の創業時は、「人」以外の経営資源は何もない中から立ち上がり、塗炭の苦しみの中で努力を続け今日に至っています。 　私は「人」以外にまともに資源のないユニ・チャームがどのような挑戦と失敗をくり返し、競合の品質を凌駕（りょうが）する差別化製品やサービスを作り上げてきたのか、その過程で何を考え、何を学んできたのか、その経験をもう一度振り返って学び直し、継承したいと思いました。それが「共振の経営」を実践する上で最も大切な「ものの見方・考え方」を記した「Ｔｈｅ　Ｕｎｉｃｈａｒｍ　Ｗａｙ」や、週次でＰ（計画）－Ｄ（実行）－Ｃ（チェック）－ＮＡ（次の行動）を回し、業績達成と人材育成を同時実現する「ＳＡＰＳ経営モデル」を作り、これらを愚直に運用し続けている理由です。今回は「共振の経営」や「ＳＡＰＳ経営モデル」を策定した際に重視した私の人間観、仕事観をご紹介します。 　ＳＡＰＳ経営モデルは「誰でも実行できる」かどうかを判断基準にして仕組み化や成功事例の横展開を推進しています。学校の勉強では、基本問題は簡単で、応用問題がむずかしいということになっていますが、ビジネスの現場では逆です。「応用はむしろ易しい」のです。なぜならば、いわゆる横展開だからです。もし横展開が難しい成功事例であるならば、それはもともと基本パターンとして持つべき要件の熟成が足りないのでしょう。このように原理原則や定石といった「基本を身につけること」がビジネスの現場では最も難しいと感じます。 　基本とは、訓練して、訓練して、何度も訓練をくり返してやっと身につくものだからです。故に、基本ができている人は予想外の困難や環境変化に遭遇しても業績や成果の振れが少ないのでしょう。 　そもそも最初は「人」しかない。そして最後も結局「人」で決まる。それでは「人」を育成する際の「基本」とはどのようなことでしょうか？ </font></p><p><font size="3">まず管理職になると、実際に自ら行動して成果を出す仕事から、自分の代わりに「部下が行動して成果を出す」という仕事になります。つまり、「人にがんばって働いてもらって結果を出してもらう」。これが「自分の成果」となる立場です。モノづくりの現場でも、自分ではなく人にモノを作ってもらい、品質や出来栄えを管理していくわけです。</font></p><p><font size="3">　それを行うためには、第一に人と組織のマネジメントができなければなりません。つまり「自分が先」ではなくて、「部下と組織が先」にくるというのが管理職としての「基本」です。よってＳＡＰＳ経営モデルでも「自分ができるのではなく、誰でもできる」ことを重視します。なぜならば、これが管理職と一般社員との一番大きな違いだからです。</font></p><p><font size="3">　そして管理職は、組織が持つべき三つの要件である「共通の目標を作る。協働の意欲を醸成する。コミュニケーションの場を作る」を実践することができる人と組織を管理する能力をまず持たなければなりません。</font></p><p><font size="3">　その上で現場は現場で「この課題はこういうやり方の方が現実的である」とか「こういうお取引先様にはこういう提案の仕方が成功しやすい」というような、メンバー全員のこれまでの経験や知識を持ち寄り、それを課やグループといった最も小さな組織単位で実施する「週次小集団ＳＡＰＳミーティング」の場で共有する習慣を身につけ、業績向上と自身の能力向上に努めることが大切です。</font></p><p><font size="3">　時折「この事業では、これ以上の売り上げ増や収益性改善は期待できない」、「この製品はこの業態では売りにくい」「このカテゴリーでこの価格は難しい」などと、できない理由ばかりを口にする人もいますが、同じ状況でもしっかり成功する人は必ずいます。その成功した人のノウハウをできるだけ多くの人と分かち合う、与え合う、そして「誰でもできる」内容に因数分解し、構造化・単純化することが重要です。それが週次で実施している「ＳＡＰＳ小集団ミーティング」の本来の姿です。この「ＳＡＰＳ小集団ミーティング」の場が「知識と経験を知恵＝価値」に変えているのです。</font></p><p><font size="3">　しかしながら実際には、SAPS小集団ミーティングで現状抱えている課題を解決しても、また次の週には新たな問題が発生して、またどうしたものかと悩みます。でもそれは、我々の究極の目標である「社是の実現」に向けて昨日よりも今日、そして明日の理想の自分へと「成長しようとする限り、新たな課題や悩みがでてくる」という自然な営みなのです。</font></p><p><font size="3">そもそも、課題や悩みとは理想と現実のギャップです。ですから、理想が低ければ、課題を課題だと感じることもできず、逆に理想が高ければ高いほど、どんどん問題点や課題に悩むことになります。もしユニ・チャームが過去の成功に縛られて、自由な発想やチャレンジができずにいるとすれば、それはユニ・チャームの「理想や夢」が低く小さくなっていると私は考えています。</font></p><p><font size="3">　同時に全社員が常に社是を本気で実現するつもりがあるかどうか、そのために最も大切な「人材」(自分自身を含めた)の成長を最優先に考えて行動しているかについて、自問自答するように指導しています。このように「人」の成長を何よりも重視している我が社では、自ら主体的に高い目標を設定し、数多くの失敗を経験することを奨励しています。</font></p><p><font size="3">　白鵬関はもともとモンゴル相撲の選手でした。大横綱となった今日ではイメージしにくいことですが、当時はなかなか勝てずに悩まれたそうです。そんな時に白鵬関のお父様は「人は負けて強くなる」という言葉をかけたそうです。勝って強くなるのではなく、負けて強くなるのです。もちろん負けばかりでは会社は潰れますが、勝ってばかりでも会社も強くなりません。重要なのは「負けからしっかり学ぶ」ことです。この「負けからしっかり学ぶ」ことは、これからの強い会社や強い組織の「基本」だと思います。もちろん、実行するのは大変難しいですが。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/wflcl2008/entry-11825391389.html</link>
<pubDate>Thu, 17 Apr 2014 13:59:42 +0900</pubDate>
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<title>蛇の道は蛇 　（鈴木幸一氏の経営者ブログ）引用</title>
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<![CDATA[ <font size="3">桜も散り、葉桜になって樹木が芽吹き、春爛漫（らんまん）である。ひと月ほど続いた「東京・春・音楽祭」もフィナーレを迎えて終わった。日ごろから時間に追われているのに、この時期は早朝から深夜まで、やすらぐ時間がまったくなかった。2足のわらじどころか、3足も4足も履いている日々だった。音楽は人を癒やし、やすらぎや忘れていた感動を与えてくれるのだが、本業で時間に追われ、音楽祭は裏方、という日々を送っていると、ただただ時間が切り刻まれるばかりの生活になる。できる限り演奏会に顔を出すのだが、音の世界に浸っているのは演奏時間だけで、コンサートが終われば演奏家と食事に行ったり、急病でキャンセルとなった演奏家の代役を決めたり、気が休まることはない。</font><br><p><font size="3">　クラシック音楽は西欧で生まれ、発展した芸術である。音楽祭を主宰していると、当たり前の事かもしれないが、つくづく日本はファー・イースト（極東）に位置する国だと、改めて感じさせられる。ヨーロッパであれば、演奏予定の歌手が、急に具合が悪くなって、キャンセルという事態が生じても、フライトで１、2時間も飛べば駆けつけられるどこかの都市の劇場で演奏をしている歌手がいる。あるいは、休養を取っている歌手に急な代役をお願いすることが可能なのだが、日本という場所だと、それが一大事となる。欧州や米国から日本に演奏家を呼ぶとなると、長旅ゆえに日程が長くなり、その調整が大変である。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　情報のやり取りについては、インターネットの普及とともに、どこの空間にあってもリアルタイムで時間を共有することはできるのだが、具体的に人を呼ぶとなると、空間の距離という壁を埋めることができない。ロンドン―パリなら小1時間、ロンドン～ニューヨークとなると6時間。一方、ウィーンやパリ、ニューヨークから1、2時間で東京に来るというのは絶対的に不可能である。ネットだと、光の速さでロンドン―東京となると、ミリセック（msec＝1000分の1秒）単位の遅れにすぎないが、人や物の行き交いとなると欧米に行くには10時間を超えてしまう。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　インターネットを始めた頃、ネットの利用によって、付き合う人が想像もできないほど広がった。しかし、物事を決める、あるいは交渉事が必要になると、結局はフェース・ツー・フェースで話さざるを得なくなり、海外出張ばかりが増えて、人間を疲弊させるばかりだと愕然としていた時期がある。ネット上だけのバーチャルな付き合いは、あくまでバーチャルにとどまるのは、致し方のないことである。深い話は、昔ながらのフェース・ツー・フェースということになる。</font></p><p><font size="3">60歳を超えると、大方のサラリーマンは転職をするか、肩書はあっても暇ができるか、貧富の差はあってもそれなりに時間が自由になる生活をするのだが、私の周りには年齢を忘れ、性懲りもなく新しいことに挑戦する人間がいる。定年まで働いたのだから、好きなことをやるということなのだが、「いい年をして、今さら、なにやっているの」としか思えない行動を実践してしまう友人もいる。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　金融機関に勤め、長いことロンドンを中心として海外で働き、60歳近くになってサラリーマンを引退した友人がいる。日本に戻ってゆったりした生活を始めるのかと思っていたら、旧知に頼まれたからと香港で仕事を見つけ、2年ほどして一段落ついたら、今度は中東に面白そうな仕事を見つけたと、昼は50度を超す場所で働いていた。そんな友人が日本に戻ってきた。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　ロンドン時代に親しくしていたアラブの王族に頼まれたから、行ってみたというのだが、2年ほど働いてさすがに疲れたのか、砂漠の気候に体力の限界を感じたのか、「何年もいるところではない」と帰国の挨拶に来た。昼は50度近い酷暑、砂漠特有の微細塵（じん）が飛び、アルコール禁止（飲める場所はあるけれど）。日々の暮らしには過酷な場所である。中国の大気汚染とは違うのだが、ラクダをはじめとするさまざまな動物の死骸が時間を経て、砂漠の微細塵（じん）となって飛んでいるわけで、温暖な気候に育った日本人の身体には過酷な環境であることは間違いない。ひどい環境にもかかわらず、何故、たくさんの欧米人がアラブで働くのかといえば、短期間に結構なお金を得るためである。その割り切り方が、日本人と比べすっきりしているらしい。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　労働とその対価について日本人は甘いと言う。日本人の場合、危険な地域に長く駐在する人もいるけれど、サラリーマンだから仕方がないと言えば仕方がないのだが、危険があり過酷な環境で働く割にはその対価が恵まれていないというか、対価に対して厳しい要求をしない。欧米人のように、若くて体力のあるうちにがっぽり報酬を得る機会を探して、将来を考えるという基本的な行動様式が日本人にはないのだと言う。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　お金という抽象的な世界に対するこだわり方について、日本人は別な感覚を持っている気がする。もちろん、日本人はお金に対する執着がないという意味ではない。お金をめぐる話が、暮らしを立てていく上でもっとも重要なことの一つには違いない。節税のために、海外に移住するお金持ちも多くなってきた現象もあるわけで、同じといえば同じかもしれないのだが、「そうまでして」という恥じらいの方が大きい気もする。</font></p><p><font size="3">ある年齢までに十分な私財をため込んだら、さっさと引退し、好きな生活をして、人生を楽しむ。その代わり、貯める時期は徹底して働く。ネット関連の私の知人など、ある段階まで会社を育て、目標としていた私財ができたと判断したら、さっさと「会社を売却する」という換金の出口を見つける。牧場を買って好きに暮らすとか、海岸のリゾート地に広壮な邸宅を構えて資産を運用しながら暮らす－－。そんな人生設計を立てて、実際にさっさと苦労してつくった自分の会社を売却し、若くして目標とした人生設計通りに、暮らしている友人もいる。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　ただ、世の中、そうそう物事がうまくいくわけもないわけで、投資の回収ができず、相変わらず苦労をしている知人の方が圧倒的に多いのは言うまでもない。それにしても、これからは家族と過ごすためにとか、好きなことをするために、といったことで、50歳を前にさっさと引退してしまう知人を見るたびに、家族や悠々自適もいいけれど、そんな生活は退屈極まりないのではないかと疑問を持つのは、私が根っからの貧乏性で働くことが好きなのか、それとも、働かなくなることで、社会とのつながりがなくなるのではないかと不安を感じる典型的な日本人の発想なのか、よくわからない。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　夕方になって、中東から帰国したその友人と飲み始める。どこまで本当なのか、長いこと海外で過ごした彼の話は面白い。特に、長く暮らしたロンドンからマカオ、シンガポールなどカジノについての薀蓄（うんちく）は面白かった。ロンドンのカジノを支えたほどの散財をしているアラブの王族との深い付き合いもある彼の話が本当なら、お金という抽象的なやり取りについては、想像もできない世界が世の中にはあって、カジノで流れる巨額で不明なお金のやり取りは国を超えた流れが続いていて、それは一般的な意味では、不透明なお金のやり取りのことなのだから、ミステリーのようなものである。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　「中国の金持ちはすごい。最近は想像もできない程の資産を持つアラブの王族が言うのだから、今や中国人が世界でもっとも私財を持っている。マカオのカジノで流れるお金がラスベガスを抜いて世界で最大規模になっているのは、中国の富豪の資産のスケールがケタ違いであること、カジノという勝ち負けの正確な申告がない場が、ある意味でマネー・ロンダリングや役人への賄賂提供、税金逃れに格好な場であるために、中国から溢（あふ）れる巨大なお金がマカオでやり取りされているわけ。シンガポールのカジノは、華僑や普通の人々、小金持ち、中金持ちが遊ぶところで、マカオのように巨額のお金が流れるカジノではない。日本でもカジノをつくるということがアジアの人たちの関心となっているけれど、うまくいくわけがない。せいぜいが、新しい娯楽の場となるくらい。マカオのカジノの何層もあるVIPルームでやり取りされている賭け金なんて天文学的な額で、単位が億を超して10億、100億単位のお金が動く。いちばんの理由はカジノという場はある意味で、勝っても負けても正確な明細が出ないというか、出入りのお金が不透明なまま、やり取りできる仕組みがあるからですよ」</font></p><p><font size="3">延々と講釈が続いたのだが、飲み屋の与太話であること、彼自身にお金がないこと、アラブの王族をはじめとする金持ちたちからの又聞きを話のタネにしていることで、どこまで本当の話かわからないのだが、その分、勝手な尾鰭（ひれ）がついていて、ひと晩の飲み話としては面白い。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　「だいぶ前の話になるけれど、どこかの企業の創業者一族の人がラスベガスで100億円くらい負けて会社の金を不正使用したとかいう話があったでしょ。私なんかまず思ったのは、ホントに負けたのかなあと疑いましたよ。あの件は、たぶんホントに負けたのだろうけれど、負けた100億円がどこの誰の手元に行ったのか必ずしも明快ではない。バカラのように何人かがやり取りするゲームだと、いろいろ考えられるし、ルーレットだって賭けている人、個々の出入りは正確には把握できない仕組みなのだから。蛇の道は蛇って言うでしょう。カジノでの巨額のお金のやり取りを傍（はた）から眺めていると、他人事にしても、訳の分からないというか、想像もできない仕組みがあるような気がするなあ」</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　いっとき、競馬で儲けたお金について課税をするとかしないとか、そんな話があって、それなら負けた時の損は経費になるのかと議論がされていたのだが、同じ類の話でも話のスケールがあまりに違うと同じ次元では括（くく）れないことになるようだ。「蛇の道は蛇」－－。古い諺（ことわざ）はどこまでも意味を持ち続けるようだ。知人の税理士さんがよく口にするのは「いちばんの相続税対策は浪費ですね。使ってしまえば、相続税は要らなくなる」と、実に明快なことを言っていたのが、「使ってしまったはずのお金が、実は……」ということが、もしかしてあるのかもしれないと思わせてくれるところが、巨大なカジノという特殊な場にまつわる話の面白さかもしれない。</font></p><p><font size="3"><br></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/wflcl2008/entry-11823332980.html</link>
<pubDate>Tue, 15 Apr 2014 12:46:52 +0900</pubDate>
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<title>笑顔に関する記述</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#009900" size="3">元手がいらない。しかも、利益は莫大。<br>与えても減らず、与えられたものは豊かになる。<br>一瞬の間に見せれば、その記憶は永久につづく。<br>どんな金持ちもこれなしでは暮らせない。<br>どんな貧乏人もこれによって豊かになる。<br>家庭に幸福を、商売に善意をもたらす。<br>友情の愛言葉。<br>つかれたものにとっては休養。<br>失意の人にとっては光明。<br>悲しむものにとっては太陽。<br>悩めるものにとっては、自然の解毒剤となる。<br>買うことも、強要することも、借りることも、盗むこともできない。<br>無償で与えてはじめて値打ちが出る。</font></p><p><font size="3"><font color="#00cc00"><strong>　<br></strong><br></font></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/wflcl2008/entry-11822272000.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Apr 2014 11:26:49 +0900</pubDate>
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<title>努力できる才能こそ 　（鈴木幸一氏の経営者ブログ） 引用</title>
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<![CDATA[ <font size="2">若い頃に、ケタの違った才能に恵まれた人に出会うと、その才能に触れることが自らの努力を誘発することにならず、「そもそも才能が違い過ぎる。とても真似ができない」と諦めという怠惰な誘惑に負けてしまうようだ。私の語学勉強など、その典型的な例である。チョムスキー等の新しい言語学に興味をもち、チョムスキーを日本に紹介した教授と親しくさせていただいたのだが、教授と食事をしていた折の話に、すぐに私の意欲が萎えたというか、元々の怠け癖に戻る格好の理由を見つけたのである。</font><p><font size="2">　「僕の時代はフランスに留学といっても船旅ですから、ずいぶんと時間をかけて行ったものだった。横浜からマルセイユへの船旅は時間が静止するような長さだった。船の生活は一日が長く単調なので、得難い機会だと思って横浜の港を出てからフランスの港に着くまでの時間を利用して、せめて２つ、３つの言語を習得しようと。その時は、ひと月ほどの船旅で２カ国語をなんとかマスターすることができた。マスターといっても浅い理解ではあったけれど、なんとか辞書を使えば読める程度にはなった。なにもすることがない時間に恵まれるほど素晴らしいことはない。まったく自由になる長い船旅の時間を持てたことは、本当に恵まれていた。今どき船旅をする人などいなくて、同じ距離を飛行機だと10時間かそこらで着いてしまう。時間に追われているビジネスマンには、移動時間が短縮できてすごいことでしょうが、私のような職業の人間にとっては、時間が止まったような船旅を経験できたことは貴重だった。特に、語学を習得するにはいちばんいい」</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　そんな話をさらっとされて、「そんな短期間に２カ国語の基礎を習得するなど、それは才能の問題ですね」と答えたら、「才能なんてそうそう違うものではないですよ。集中力と努力に尽きますよ」と話す。とび抜けた才能を持つ人は、才能のない人間を見ると、単に努力、忍耐、集中力等々が足りないだけだと思うらしい。中学校以来、長々と英語やフランス語と付き合ってきたはずが、一向に物にならない自らを振り返ると、確かに、努力、集中力、持続力等々、すべてが欠けていたことは間違いない。それにしても、ひと月もあれば２カ国語くらいはなんとかなるものだという話を聞かされると、さっさと「私には才能が欠如している」と、怠惰につながる諦めという気持ちに安住してしまったのである。若い社員に、「努力する才能こそいちばん大切である」と、自らのことなど棚に上げて臆面もなく話す。年を取るに従い、若い頃のことを忘れてしまい、ずうずうしくなる。恥ずかしい限りである。</font></p><p><font size="2">仕事以外の過ごし方としては、本を読むか、音楽を聴く、酒を飲む、そんな時間の費やし方をしているのだが、読書にしても音楽にしても、せめて独・仏・伊・ロといった言語くらいは理解ができたら、たのしみ方の深さはまったく違ったものになったはずだと、今さらながら残念でならない。私の脳の許容量、才能を考えると、努力をしたからといって、ものになったとは思えないのだが、なにより「努力をする才能」については、ある程度、自らを律することで得られたかもしれないだけに、残念でならない。若い時分に、あまりに才能のある人に触れる機会があったからという理由で片付けるのは、その責任をどこかに転嫁してしまうことにほかならない。結局は、怠惰な生活に堕したまま時間を浪費していて、今さら取り返しがつかず、悔いだけが残る。そんな悔いを残さないようにと、若い社員には、「努力を続けていると、努力をするというもっとも大切な才能を得ることができるのだ」と、話したりする。自らは身につかなかったことを言うのだから、説得力に欠けるのは言うまでもない。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　日頃、自らの年齢を忘れているのだが、同世代の友人の訃報を受け取るたびに、もの思うことが多い。年を取るということは、将来に対する自らの可能性が狭まり、その限界がどんどん明確になってくることである。それは余計な悩みを減らすことでもあるけれど、寂しい話でもある。若いうちは将来に対し、努力次第でさまざまな可能性があって、選択の幅が広いことで将来について思い悩むことにつながるのである。長寿の時代、長い老後に備えるには、ささやかでも努力をすれば可能になるという思いをもつことで悩むようにした方が、老け込まない気もする。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　私の場合、毎日、夜明け前に起床しているので、ぼうっと長湯をしている時間を削って、次の４、５年は、まず机に向かう習慣に変える。毎朝、１時間でも、２時間でも語学に取り組めば、いくつかの語学を習得できるかもしれない。英語以外は、すべて翻訳で済ますほかないというのでは、日本酒とウイスキーのほか、多様なアルコールを嗜む楽しみ方を捨てるようなものである。もちろん言語の学習と違って、ワインからウオツカに至るまで、努力を要求されないアルコール類については、およそ、あらゆるアルコール類を飲むのだが、年々、日本酒ばかりが好きになってくる。日本人で、日本の気候に生活しているわけで、それは致し方のないことなのだろう。古くから馴染んだものに執着するようになるのは、それも老化ということかもしれない。</font></p><p><font size="2">音楽祭が始まって、休日はコンサート漬けになってしまうのだが、わずかな合間を縫って，お彼岸の墓参りに行く。今年は彼岸が過ぎても風が冷たく、桜の蕾（つぼみ）も閉じたままである。墓に手を合わせた後、改めて周りの墓を回って古びた墓石に刻まれた文字を読むと、いまだに軍人としての肩書が書かれている墓が多い。戦後70年近く、戦死者のない平和な日本にいると、軍人の仰々しい肩書のついた戦死者の墓は相対的にはわずかな数になってくるはずだが、代々、墓石ごと変わるわけでもないわけで、墓石に刻まれた戦死者の記憶というのは、墓に関する限り、相当に長い時間を経ないと消えていかないのだろう。それにしても、戦後70年近くにわたって、ひとりの戦死者もいない国家というのは、ほんとうに稀としか言いようのない国である。およそ世界がグローバル化して、経済から軍事に至るまで、世界の動向に国の活動もビルト・インされざるを得ず、日本の行動もグローバルという枠組みのなかに組み入れられているはずが、戦死者という視点で見ると、実に特異な存在になっている。戦死者がいないということは、まさに平和を享受しているということで、何事にも変え難い幸せなのだが、ふとエアポケットに入っているような気にもなる。戦火を交えた経験者が一人もいない国の軍事力というのは、どんなものなのだろう。日本の戦後体制の鍵は、この特異で長きにわたり平和な時間を持てたことから考えないといけない。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　ウクライナ情勢は、クリミアのロシアへの編入に対し、米欧のロシアに対するさまざまな経済制裁が報道されている。軍事的な衝突は絶対に避けるという前提がある以上、経済制裁しか策がないということである。子供の頃から、ロシア文学を読みふけっていた私は、別段、ロシアについて深く学んだわけでもないのだが、ロシアについては特別な思いがある。ロシア民族の歴史が９世紀に始まるとして、18世紀に至って、ピョートル大帝の西欧化の啓蒙政策が始まるまで、まさに暗黒と言われる時代が続いたロシア。19世紀の初め、ナポレオンのロシア侵攻の時代に、プーシキンという大天才がでて、こつぜんとロシア文学が生まれる。極論をすれば、プーシキンという天才ひとりが、ロシアルネサンスをもたらしたとも言われている。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　「ピョートル大帝の出現まで露西亜人は、理性の光というものをかつて経験したことがなかった。理性的に自分で物を考えていくこと、それはピョートルが啓蒙主義的に西ヨーロッパか持ち込んだ輸入品であった」（井筒俊彦「プーシキン」）。ピョートル大帝、プーシキン、レーニンからスターリンへと、ロシアは世界に衝撃を与え続けた国である。グルジアで起こったこと、今度はウクライナの一地域であったクリミアの編入、ロシアはいまだにロシアである。プーチンの攻撃的な政策を考えようとしても、私はロシアの謎に惹きつけられてしまい、現実に起こっていることからつい目が逸れて、ロシアの特異な自然や現在に至るロシアの精神に触れる本を読みふけってしまう。</font></p><p><font size="2">そういえば19世紀まで、ロシアは農奴の国であり、米国は奴隷制に支えられていた国であった。米ロという世界の軍事大国が、二つとも科学技術や地球という概念を生んだ西欧の精神とは異なった国であるという当たり前なことに思いが及ぶ。そして中国も、まったく異なった長い歴史と文化を担う国である。まったく異なった歴史をもつ３つの大国に共通しているのは、領土の拡張に関する地政学的な関心と、強大な軍事力に対する信仰である。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　ロシアは普通の秤では量れない、</font></p><p><font size="2">　ロシアは一種独特な国！　（チュチェフ）</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　月の初め、ニューヨークに行ったのだが、ＴＶの報道はウクライナ問題に対するロシアの政策についての話題が、トップ・ニュースとして続いていた。金融関係者の方に話を聞くと、３月５日からの１週間で、米連邦準備理事会（ＦＲＢ）が海外の中央銀行や国際機関から管理を委託されている米国債の残高（カストディ残高）が1045億ドルも減少したことが話題となっていた。１週間の減少幅としては、過去最大で、過去の記録を３倍も上回るほどの量である。米国の長期金利が急上昇しているわけでもないことから、国債を大量売却したわけではなく、ＦＲＢに預けていた国債をサードパーティーのカストディアンに移動したのだろうと言う。予知された経済制裁に対するロシアの施策なのかどうかは、知る由もないのだが、無関係ということもないのだろう。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　長い時間、インターネットという新しいグローバルな空間をつくりつつある技術革新の場にいるだけに、国際間の緊張等々については新しい形の情報が蓄積するのだが、私の関心は仕事と離れた関心になっている。怠惰のツケが回って、肝心の各国の言語を理解しないままであり、底が浅い知識で右往左往しているだけである。若い人には、くれぐれも「努力できる才能」を身につけてほしいと願うばかりである。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/wflcl2008/entry-11821469845.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Apr 2014 12:38:31 +0900</pubDate>
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<title>変化を嫌う「心」を変えよう 　（高原豪久氏の経営者ブログ）引用</title>
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<![CDATA[ <font size="3">わが社では、社員一人ひとりが考え、行動する組織を目指して、「ＳＡＰＳ経営モデル」という活動を実践しています。ＳＡＰＳとは、Ｓ（スケジュール：計画を立てること）、Ａ（アクション：計画通りに実行すること）、Ｐ（パフォーマンス：効果を測定し、反省点・改善点を抽出すること）。Ｓ（スケジュール：反省をいかして次の計画を立てること）の意味です。</font><p><font size="3">　運用主体の最も小さな組織単位は課やグループといった集団です。モデルの定石に則（のっと）った小集団活動を徹底することによって、まさに「凡事徹底が非凡を生む」実例が社内には数多くあります。これらは、スター選手による偉業ではなく、メンバー間あるいは部門の壁を越えた相互理解とチームワークがもたらした模範的事例です。</font></p><p><font size="3">　もちろんモデルは熟成された完成形ではありません。基準やものさしといった「型」を重視しますが、単に型にはめるのではなく、「常に型を磨き、そしてより最高の型を追い求める」という変革を持続させるところがビジネスマネジメントモデルとして優れたところだと自負しています。</font></p><p><font size="3">　このＳＡＰＳ経営モデルを日々実践していて感じることは、会社も組織も個人も、それぞれの夢や目的の実現に向かって、自らを奮いたたせて「自分の成長は自分で責任を持つ、そして自分の責任は自分で果たすという『自分が自分を助ける自助の精神』」と、「顧客を最優先しつつ、周囲や他部門に迷惑をかけないよう『自分が自分を律する自律の精神』」、この「自助と自律」の精神をもって行動することが、どのような状況にあっても大切だということです。</font></p><p><font size="3">また同時に、どうしても自分や所属する課・グループの力だけでは対処できないことに対して、どうやってお互いが理解しあい、そして助け合うのか、あるいは部門長やトップマネジメント層が支援の手をタイミングよく差しのべるのか、これも大事なことだと思います。</font></p><p><font size="3">　しかしながら実際はＳＡＰＳ経営モデルに真面目に取り組み、一生懸命努力をしてもうまく成果につながらず十分な達成感を味わえていない社員も少なくありません。ただ常に『失敗は成功の母』と考え、自らの可能性を信じ、同時にモデルの正しさを信じ、前向きに挑戦しつづけるようにしていける工夫が更に必要だと思っています。</font></p><p><font size="3">　そもそも人間は変化を嫌います。私はどのようにして、人間の性質と戦い、厳しく辛いけれども、より「美しくより高い山」に登ろうという活力を沸き立たせられることができる会社にしていくのかについて何時も考えています。そして、この問題を解決する鍵は、わが社でＳＡＰＳ経営モデルを導入する際に重視した「ＳＡＰＳ経営モデル６つの要諦」（人間尊重、達成感重視、タイムベースマネジメント、ナレッジマネジメント、好奇心・起業家精神重視、意識改革）にかえりつくと考えています。</font></p><p><font size="3">　なぜならばＳＡＰＳ経営モデルとは、時間という資源のより有効な活用によって全員が人生をもっと幸せに過ごせるようになることを目的としているからです。</font></p><p><font size="3">　ＳＡＰＳ経営モデルに限らず、組織開発では組織を創るだけではなく、組織を破壊し組織を超えて全社の英知を集中し、目標達成に向かう事が大切です。組織は「共同体」という考え方が重要であり、最も強固な共同体は「家庭」です。会社も家庭のような強い共同体を目指していかなければなりません。「感化の力は家庭にあり」という言葉もありますが、家庭のような強い共同体が大きな変革を起こした実例が歴史上にあります。</font></p><p><font size="3">　江戸時代後期、逼迫していた米沢藩の財政を行政の刷新、産業奨励、荒地開墾などで立て直した上杉鷹山は、九州の高鍋藩から米沢の上杉家に入りました。このときに、自分の志を理解してくれる人を何人か選んで連れて行ったそうです。その何人かがここで言う「家庭のような強い共同体」意識で結ばれていたのでしょう。彼らは鷹山の志を共有し、理解してくれる人であり、そして新たな目的やより高い目標も理解してくれる人です。</font></p><p><font size="3">彼らは米沢へ乗り込んでいって、そこで鷹山の志を横に広げていきました。当然相当の抵抗があったのでしょうが、彼ら一人ひとりの小さな志が変革の火種となり、その小さな火種がやがて風をおこし、米沢全域へと変革の炎を燃え広がらせていったのです。</font></p><p><font size="3">　わが社におけるＳＡＰＳ経営モデルの小集団リーダーである課長やグループ・マネージャーも同様です。これまでのイメージの管理職とは全く違うのです。そのようなリーダー同士が志を共にし、会社の土台を支え動かすことが小集団リーダーの仕事でありＳＡＰＳ経営モデルの真骨頂であり、「共振の経営」です！</font></p><p><font size="3">　人間は「人と人との間」に生きています。お互いに思いやりをもって相手を認めてこそ、人間関係がよくなって重要な課題が解決へと進みます。全社の「夢＝Ｗｈａｔ」とは社是の実現であり、そのための「Ｈｏｗ　ｔｏ」としてＳＡＰＳ経営モデルがあります。今後も「自助と自律と相互尊重の精神」をもったＳＡＰＳ小集団の活動を通じてユニ・チャームを「家庭のような共同体」にしていきます。</font></p>
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<pubDate>Sat, 12 Apr 2014 10:52:01 +0900</pubDate>
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