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<title>nyaokのブログ</title>
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<title>私を構成する成分は・・・</title>
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<![CDATA[ <div>&nbsp;正確な結果（笑）<br><br>&nbsp;</div><div style="text-align: center;"><div>▼私を構成する成分は・・・</div>&nbsp;<div><a href="http://content.ameba.jp/ingredient_checker/"><img alt="" src="https://stat100.ameba.jp/blog/img/stamp/cpn/ingredient_checker/9.png" width="400"></a></div>&nbsp;<div>＼あなたはなにでできている!？／</div><div><a href="http://content.ameba.jp/ingredient_checker/">成分チェッカーで分析する</a></div></div><div>&nbsp;</div>
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<pubDate>Sat, 18 Feb 2017 16:13:08 +0900</pubDate>
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<title>よく分かる『君の名は。』（感想と解説）</title>
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<![CDATA[ <p>※ネタバレがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>　ちまたでうわさの映画『君の名は。』を観てきました。</p><p>　新海誠監督の作品の鑑賞は初めてだったのですが、チョークの字の表現や、爆ぜる炎、雲を突き抜ける隕石など、映像にこだわりがあって大変楽しめました。SNSを通して遠くにいる他人の人生を我がことのように垣間見ているとか、遠くにいる人と親密なやりとりができる（遠距恋愛）とか、そういった2010年代の世相を生かした世界観も満喫できました。いい映画です。</p><p>　さて、ストーリーがSF風味で好みだったのですが、あまりにも説明されていないこと、隠されていることが多すぎて、『エヴァンゲリオン』や『うみねこの鳴く頃に』のように、推理して、想像で埋めて楽しむための作り、という印象でした（※フォロワーさんによると、サイドストーリーの小説があるらしいけど）。極限まで情報が削ぎ落とされているので、きっと何度も繰り返して観ても新しい発見のある作品です。</p><p>　新海誠監督の制作秘話とかインタビューも見たことがないし、過去作品も観たことはありませんが、気づいたことをまとめてみます。</p><p>&nbsp;</p><p>　推理し、想像するべきなのは、例えば『奥寺先輩の気持ち』です。</p><p>ぱっと見て、奥寺先輩の瀧に対する感情はこのように流れたように見えませんでしたか。</p><p>&nbsp;</p><p>　瀧のことは可愛い後輩くらいに思っていた。</p><p>→瀧と入れ替わった三葉に惹かれて瀧のことが好きになった。</p><p>→しかし本物の瀧とデートしたら（中身が三葉のときと違うので）がっかりした。</p><p>→なぜだか岐阜までついてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>　勿論、実際は違います。こうですね。</p><p>&nbsp;</p><p>　「ケンカっぱやい」瀧が少し気になっていたが、心理的に距離が遠かった。</p><p>→瀧と入れ替わった積極的な三葉のおかげで、距離が縮まったことで瀧への想いを自覚した。</p><p>→しかし本物の瀧とデートしたときに、彼が既に別の女の子を好きになっていることに気づいてしまった。遅かったのだ……。</p><p>→それでも、その女の子がどんな子なのか会ってみたくて、わざわざ岐阜旅行まで付いていった。</p><p>&nbsp;</p><p>　なぜ奥寺先輩のこの心の動きが分かりにくいか、感情移入できないかというと、明らかにある情報がすぽっと一ヶ所抜けているからです。</p><p>&nbsp;</p><p>『（時間的に）物語が始まる前のバイトで、瀧が奥寺先輩のためにケンカしそうになって、客に殴られたこと』</p><p>&nbsp;</p><p>　おそらく瀧（中身は三葉）が爪楊枝で悪質な客に絡まれたのは、この前日談に関係しており、悪質な客が瀧が近づいてくるまで待っていたり、わざわざカッターナイフを持ってきていたのもそういうことなんでしょう。前日談として、何があったのでしょう？</p><p>&nbsp;</p><p>「ねーちゃん、バイトいつ終わるの？」</p><p>「あの、お客様困ります……」</p><p>「先輩に何のようですか？なんなら俺が相手しますよ」</p><p>「あーなんだてめぇは？！」</p><p>「ダメ、瀧君！」</p><p>（殴られる瀧）</p><p>　「瀧君、大丈夫！？」</p><p>「平気っす……」</p><p>「ちっ、白けるな。もう帰ろうぜ」</p><p>&nbsp;</p><p>　みたいな感じだったんでしょうね。</p><p>　ところが次にその客と会った瀧は三葉だったので、三葉には何がなんだか分からなかった、というわけです。その前日談のシーンを完全に省きながら、新海誠監督は“頬のガーゼ”と、奥寺先輩の「ケンカっ早い」という一言、瀧君が三葉の身体に入っているときに美術の時間に机を蹴り倒したあのシーンだけで視聴者に気づけと要求しているわけです。そら難しいですわ。</p><p>　今、省略されていることの代表例として挙げたこれに関しては本筋とあまり関係がないのでまだ良いのですが、それよりも下記の５つの省略が問題でした。</p><p>&nbsp;</p><p>１．『宮水家の女子が代々、何かしら特殊能力をもっていること』</p><p>　（しかし、なんとかさん（名前忘れました；）のせいで起こった火事で、地元の歴史的にその能力の意義が忘れ去られている）</p><p>２．『なぜ１のような能力があるのかを一族が不思議に思っていること』</p><p>３．『１の能力は隕石の被害を避けるためにあったのだということ！』</p><p>４．『宮水家と婿（三葉の父）の軋轢』（一見、迷信と思えるものVS現実）</p><p>５．『クライマックスで三葉がぎくしゃくしていた父子関係を乗り越えて父親から理解を得ることで、父親が町長として町民を非難させるシーン』</p><p>&nbsp;</p><p>　どれも瞬間的には語られていますが、あまり印象に残りません。１～４を省かなければもっと完成度の高いストーリーになっていたと思いますが、見てもらえれば分かるとおり、どれも三葉サイドに偏りすぎています。先述の瀧がバイトでケンカをしそうになった件にしても、三葉とは直接関係ありません。おそらく両サイドのバランスに考慮しながら、尺の関係でこれらを省いたのでしょう。</p><p>　５に関しては、未来の新聞か雑誌かの記事で、町長が町民を非難させたと書かれているのが数秒取り上げられていますが、本来は三葉のかなりの見せ場になったでしょうし、三つ葉を信じて動き出す町長としての父親の格好良さも描かれたであろうシーンでした。しかしこれを最後までやってしまうと三葉たちが助かったことが明確になってしまい、瀧と三葉の再開の感動が薄れてしまいます。</p><p>　他にも三葉が髪を切った理由とか色々ありますが、キリがないのでこの辺で。</p><p>&nbsp;</p><p>　ここで逆に、個人的には省略しても良かったのではないかと思うところがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>『入れ替わり後に記憶を失う』</p><p>&nbsp;</p><p>　これです。多分、脚本を書いた人（監督？）が『君の名は。』というタイトルと、ラストシーンにこだわったことと、３年という時間のずれがあることに瀧と三葉が入れ替わり生活で気づかない理由付けのためにも残したのでしょうけど、これのせいで全体的にストーリーが混乱しています。</p><p>　勿論、大切な人の記憶が消えていく、出逢ったことがなかったことになる切なさと、そこを乗り越えていくというのは本作の大きな魅力ですから、削るわけにはいかなかったでしょう。しかし、削らないなら記憶を失う理由も説明しなければならなかったはずなのです。</p><p>　これはタイムパラドックスものにはおなじみの、いわゆる『時間の矯正力（過去を変えようとしても本来の時間の流れに戻される）』という概念なので、慣れている人はすっと理解できるのですが、どういったときに強制力が働くのか、働いたどうなるのかをきちんと示さないといけません。ちょっと古いですが、映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』では過去世界で若き日の両親が疎遠になって結婚する可能性が下がると、未来から持ってきた写真に映った息子である主人公が消えていく（両親が結婚しなければ自分が生まれない！）というのがありましたが、あのくらいやらなければならないんでしょうね。</p><p><br>　本作は十代も対象にしているでしょうから、観た人に作品の魅力を十分に伝えるには少し不親切だと思います。２時間じゃなくて２時間半くらいにして、前述の省略部分を丁寧に描いてほしかったなと思いました。良い作品だけど。</p>
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<link>https://ameblo.jp/willowcat/entry-12207890131.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Oct 2016 23:18:36 +0900</pubDate>
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<title>はじめての文学フリマ in 大阪　その３</title>
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<![CDATA[ 　即売会に二回出店して、本が売れる要因は大きく分けて５つあるなと考えました。<br><br>　まず１つ目は、身も蓋もありませんが『知り合いだから（または自分の本を買ってくれたからお返しに）』。義理で買ってもらっても意味がないじゃないかと思われるかもしれませんが、読んでもらわないと始まりませんからとても大切です。きっかけなんてなんでもいいんです。<br><br>　次に、２つ目は『口コミ』。店頭に並んでいる市販の本ではなくても、TwitterなどのSNSで宣伝されるのは大きいんでしょうね。うちはそんなクラスではありませんが、大手サークルの宣伝がTwitterのＲＴなんかで回ってくるのをよく見かけます。<br><br>　３つ目は『前に同じサークルで買った本が面白かったから（または作家○○さんの作品だから）』。これが理想的かつ最強の購買理由です。本が継続的に売れるためには固定ファンがいなければなりません。 <br><br>　さてここまでの３つは友人知人が多い人、イベント参加の常連に限っての話。僕のような無名の新参者にとっての肝要は４つ目の理由『見た目』でした。目立たないと、見栄えがしないとどうにもなりません。手にとって試し読みすらしてもらえません。実際、うちの斜向かいのブースの女性が一色刷りの（おそらく）中綴じ本を一種類だけ、長机の上に並べていましたが、ほとんど売れていないようでした。女性は溜息をついたり宙に視線を送ったり、結局途中で帰ってしまいました。<br>　僕自身もなんとなく雰囲気でそちらのブースには伺いませんでしたが、もしかしたらあの本はとても面白かったかもしれない。僕の趣味にぴったり合っていたかもしれない。でも買いませんでした。<br>　考えるに、ブースの外見は基本的に「遠くから見える≒高さ、彩り」と「品揃え」の両翼が揃っていれば、後は料金設定と、お客さんの好みの問題ではないでしょうか。品揃えに関しては、手にとって、ぱらぱらめくってもらう段階までくれば、よほどお客さんの想像を裏切らない限り、買ってもらえるはずです。ただ、作品が２つ以上あることは大切だと思います。１種類しかないと、作者の目の前で「買うか？買わないか？」という重い選択になりますが、複数あれば「どれを買うか」という比較的軽い選択にシフトし得ます。<br>　ブースレイアウトにしても本の表紙や装丁にしても、会場で『なんかちょっと気になる』から『あ、面白そう』まで連れて行くための仕掛けも、作品の一部のようなものなんでしょう。だから目立たなくて売れない作品は、ある面では中身に関係なく「面白くない」んだと思います。逆に、売れたからと言って中身が面白いとは限らないわけですが、面白くなければ次は買わないと言うだけですね(´･ω･`)<br>　外見と内面ですから、なんかちょっと恋愛に似ているかもしれません。外見に関しては、人間以上に持って生まれたものの他が大切です。笑顔を見せる人に魅力があるように、オシャレな人につい振り返るように、本の売り方にも作者の精神性や設営の努力が如実に表れるからです。<br><br>　ちなみに見た目という意味では、表紙が可愛いからか、ネコ関係だからか、僕の個人本はほぼ女子にしか売れません。今回も義理買いなどを除くと、男性は閉店５分前駆け込みの１名だけが買ってくれました（ありがとう！）。女性に売れればそれはそれで嬉しいのですが、次の２巻は男性にも興味を持ってもらえそうな作りにしたいところです。〆(^_^;)<br><br>　最後、５つ目の理由には悩みました。『ジャンル』です。<br>　これはある種、最強の購入動機です。他の条件なんてぶっ飛ばして、「ミステリーだから」とか「俳句だから」とか、好きなジャンルだというだけで買う理由になり得ます。僕の個人制作の本は掌編小説集なのですが、『ショートショート』かというとそうでもなくて、本当に『掌編小説』です。しかもＳＦコメディー、純文学風、時代ものなどなんでもあり。一体どのジャンルで売ったら良いのか(@_@)<br>　悩んでも結論は出ませんが、掌編小説集以外で恋愛ものなどとジャンルを明示できるような中編小説の本なんかも出してみたいと企んでおります。<br>　<br>　今後の活動の舞台は年に１～２回の出店で、大阪・京都・東京の文学フリマになりそうです。時々休むにせよ、固定ファンを獲得できるくらい末永くやっていきたいものです。<br>　（おわり）<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/willowcat/entry-12203275449.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Sep 2016 01:01:27 +0900</pubDate>
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<title>はじめての文学フリマ in 大阪　その２</title>
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<![CDATA[ <br>　今回のイベント参加では、売り手としての手ごたえがありました。販売冊数は26冊（13×2種類）で、しかもほぼ初見のお客さん。他のサークルさんはもっと売れるのかもしれませんが、春の関西コミティアで10冊も売れなかった身としては小さな感動体験と言えます。<br>　前回の反省が生かせたと思うのがポップで、Ａ４アクリル板のスタンドを置いていたのですが、そこには<br>『――Ｎ氏の飼い猫は、地球外生命体だったのだ！』<br>　というキャッチを書いておきました。少なくとも通りがかった方が２人はこのポップを見て真っ直ぐ足を伸ばしてくれたんです。僕の本は一貫性がなくて、コメディーから純文学風のお話に時代劇まで様々な掌編の詰め合わせなため、たいへん人に説明しにくいです。そこで前回はポップに本のタイトルとか、７つの掌編が入っているとかつらつら書いていたのですが、大切なのはやはり具体的な本の内容です。要するにあらすじなわけですが、７つ分のあらすじは書ききれないので、１つだけ表題作を選んでこんな風に一言で表すのが効果的だと確信しました。人の興味を引くのはとにかく具体的な情報なんですよね。<br>　例えば「優しくて動物好きな人」と言うよりは、「猫の里親になって３匹も飼っている人」と言った方が伝わる。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160924/20/willowcat/e6/b8/p/o0595084213756548336.png"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160924/20/willowcat/e6/b8/p/t02200311_0595084213756548336.png"></a><br>【Ａ４サイズのポップ】<br><br>　上記の自分の本に加えて、僕の所属する『ショートショート研究会』の本も同じくらい売れました。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160924/20/willowcat/e6/b8/p/o0595084213756548336.png">&nbsp;</a><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160924/20/willowcat/82/54/p/o0595084213756548335.png"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160924/20/willowcat/82/54/p/t02200311_0595084213756548335.png"></a><br>【ブースの机に３枚も吊していた『ネコ氏の遊園地』ポップ】<br><br>　関西コミティアのときは元々マンガやイラスト集を買いに来ているお客さんばかりで、新参サークルの小説に興味を抱いてもらうのが難しく、ほとんどお客さんと会話することができなかったのですが、今回はたっぷり話ができました。うちのサークルには現在、僕の個人本とショートショート研究会のネコをテーマにしたアンソロジー本の２種類があるので、大体どちらを買おうかなとお客さんが迷います。そこで僕は「こちらがネコ度100％の方で、こちらがネコ度30％です」と冗談交じりにするのですが、「じゃあ100％の方にします」と個人本じゃない方を買って行かれるパターンが多かったです……どっちが売れてもいいんだけどね（・ワ・）<br>　海のものとも山のものとも知れぬ僕の本ですが、”ネコ”というたった一つの属性を頼りに皆さん買ってくれたのかもしれませんね。ネコは偉大です。<br><br>　２種類の本の装丁は、どちらも基本的なコンセプトとして、『個性的な本』よりも『市販の文庫本』を目指しました（表紙絵の個性は滲み出てますが）。その甲斐あってか、学生のサークルの応援に来ていたらしき、どこかの大学の先生が手にとって、ぱらぱら捲ったときに「うちの学生の本と違う……！」と目を丸くしていらっしゃいました。「岩波文庫みたい」とも。嬉しいですね、一頁の行数文字数、字送り行送り、ノンブルなど、満足のいく体裁に整えるまで幾晩かかったことか(^_^;) 苦労が報われました。<br><br>（つづく）<br><br>
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<pubDate>Sun, 25 Sep 2016 00:01:48 +0900</pubDate>
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<title>はじめての文学フリマ in 大阪　その１</title>
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<![CDATA[ <br><br>　大阪で開催された『文学フリマ』というイベントに参加して、自分の作った小説の本を売ってきました。大きなイベントはどれも東京開催のイメージがあって、僕の住んでいる地域からでは交通費も数万円かかりますから、めったなことでは行けない距離だと半ば諦めていたものですが、大阪となれば新幹線で１時間です。<br>　『関西コミティア』や『文学フリマ大阪』の存在を知ってから地方の自分にもぱっと光が差し込んだような救われた気分。参加して肌で感じたのは、会場も充分に大きくて、ネットで交流のあるTwitterのフォロワーさんも大勢参加されており、知らない世界に一人ぼっちで飛び込んだ気がしないということ。知っているけど知らなかった世界で、逢うべきみんなに出逢った、そんな感じ。<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160923/02/willowcat/43/26/j/o1200067513755217660.jpg"><img alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160923/02/willowcat/43/26/j/t02200124_1200067513755217660.jpg" border="0"></a><br>【にゃおっくのブースを売り手側から見たところ】<br><br>　文学フリマはその名の通り、オリジナルの文芸作品をメインに扱ったイベントで、小説は元より、エッセイ、詩歌、批評などとりどりのジャンルの本を並べたブースがひしめいています。売り手側（作り手側）でなくたって、買い物客として楽しめること請け合い。<br>　ところがうちのサークル『Ｎ氏のネコは』は一人サークルなものですから、ブースを空けて買い物に行ってしまうと、知らぬ間に貴重なお客さんがきていても本を売る機会を逸してしまいます。もう売る側に専念するしかないかなと腹をくくっていたところ、今回お隣に出店されていたサークル『アイスコーヒー』の「マツ」さんと奥様が、初対面にもかかわらずお心を砕いてくださり、僕の留守中の売り子を引き受けてくださいました。<br>　そして、ぼっちで侘しい僕のブースに足を運んでくれた３人の神様。本の可能性を極限まで高めすぎちゃう「らし」さん、ふぉとば作家の沙耶さん。挨拶に来てくださったショートパンツが似合う小説家の寒竹泉美さん。皆さんに感謝ですm(u_u*)m<br><br>　いつかイベントの常連になり、右も左も見渡す限り友人知人で、おまけに本は飛ぶように売れる……そんな日があっても、皆さんだけはずっと特別です。……そんなときが来るかどうかはまだ分かりませんがそれはそれとして（笑）<br><br>　本を売りに行くと言ってもイベントは、究極的には人や作品との出逢いの場です。二次創作のイベントだと好きなマンガやアニメ、ゲームなどの既存作品が参加者たちをつなぐわけですが、オリジナル作品限定のイベントであれば、より人と人とが向き合って対話せざるを得ません。だから良いのです。そこに魅力を感じるんです。（つづく）<br>　<br>　<br>
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<link>https://ameblo.jp/willowcat/entry-12202666353.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Sep 2016 11:04:28 +0900</pubDate>
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<title>中国人「マイヒト払いますか？」　僕「(@_@)……？」</title>
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<![CDATA[ <br>　国語力というのは記憶力だとか計算力だとかに比べて、随分と曖昧な能力だと思う。漢字の読み書き以外は、テストでもしなければ評価ができない。一度見出された数学の定理は宇宙が終わるまで変わらないかもしれない（新しい定理がそれまでよりエレガントに示してくれるようになることはあるだろう）けど、語彙や文法は時代と共に明日にも変化していくから、ますます怪しいものに思えてくる。それでも学生時代の国語のテストを思い出すと、たまに納得はいかないものはあっても、概ね正解は一つに限られていて、考え尽くすと必ずそこに行き着いたような記憶がある。<br>　所詮、テストの話ではある。実生活はどうか。<br><br>　昨日、職場で日本語初級の中国人女子大生たちから、料金の支払いについて「マイヒト払いますか？」と聞かれた。３秒かかって理解した。「マイヒト＝毎人＝everyone」。「全員でその料金なのか、個別なのか？」と尋ねたかったのだろう。「毎人」が彼女の造語なのか、それとも中国語を無理やり日本語にしたのか気になって後で調べたところ、意味として通じないことはないが造語だった。中国人らしい発想ではある。<br>　毎日、毎週、毎月、毎年、毎回……毎○は時間の経過を伴う表現なので、毎人は成立しない。こういう規則性を肌で分かっていると、歴史の話をしながら「毎世紀」なんてちょっと面白い言い方もできる。日本語だとマイヒトは「各人」（または人毎）が当たるけれど、各地、各自、各社……各○は時間の経過を伴わず格差のない並列的、平面的な表現で、その中で各月だけが特殊に感じる。<br><br>　月なんだから時間の表現じゃないかと日本語学習者の外国人には言われそうだけど、「このカレンダーの各月の写真は世界遺産だ」のように、やはり時間の経過を伴わない。ここで、もしカレンダーの写真が四季折々のものだったとしたら、日本語に堪能な人は「各月」という言葉を使わず、「毎月」を使うかもしれない。たとえば、これが国語力というものなのだと思う。
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<link>https://ameblo.jp/willowcat/entry-12189301108.html</link>
<pubDate>Thu, 11 Aug 2016 11:15:44 +0900</pubDate>
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<title>ショートショートコンテストと文学賞</title>
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<![CDATA[ 　毎月行われる文芸誌『小説現代』のショートショートコンテストに２回に１回くらい応募していたのですが、2016年8月号で入選しました！ 浅田次郎や夢枕獏と同じ雑誌に自分の書いた話が掲載されて全国の書店に並ぶなんて、本屋で実物を買ってきた今でも信じられません。<br><br>【ショートショートコンテストとは】<br>　このコンテスト、とても夢があります。応募規定は原稿用紙５枚という極めて短い分量（だから難しいんですけど！）で、素人をちょっとやってみようという気にさせてくれます。<br>　公式の情報はありませんが、噂によると大体毎月300くらいの応募があるようで、そのうち5編が掲載されますから、60倍くらいのほどよい倍率です。掲載されればもれなく直木賞作家の阿刀田高先生から短いながら選評があり、謝礼２万円がもらえ、『ショートショートの花束』という文庫本に掲載されます。<br>　このくらいの倍率なら、掌編小説の書き方を心得ている人ならばいつかは載りそうだし、落選が続いても、毎月やっているので気持ちを切り替えて挑むことができるでしょう。実際僕も１年間かけて、今回の６回目の応募で入選しました。<br>　選者の阿刀田先生が仰っているように、このコンテストは「あくまでも優雅な遊びである」です。入選したからと言ってプロ作家への道が開けるわけではありません（有名なプロ作家がアマチュア時代に入選していますが、腕試しに過ぎなかったのだと思います）。作家志望の方はこのコンテストをあくまで練習として使うべきでしょう。ゴルフに喩えると、打ちっ放しに千回行っても、コースに出なければ上達しないのと同じです。出版社にとっても、原稿用紙5枚の作品だけで本を出版するのは現実的ではありません（仮にショートショートだけで小説の本を出版するとしても、少なくとも1作あたり原稿用紙10～20枚の分量は必要です）。5枚で本が出るとしたら、前述の入選作を集めた『ショートショートの花束』と、その前身で星新一先生が選者だった頃の『ショートショートの広場』だけが例外と言えるでしょう。<br>　しかし幸いなことに2016年からキノブックスの『ショートショート大賞』という文学賞が立ち上げられたので、長らく難民となっていたショートショート作家志望に活路が開かれました。書くものが短編や長編でなくても作家になれるのです。<br><br>【書くべき小説】<br>　小説を書いているというと、ほとんどの人は長編小説の執筆だと考えるでしょう。でも僕にはそこまでの構成力や文章力がありません。ショートショートにその２つが不要かと言えば全くそんなことはありませんが、短い話なので、完成させるために使う労力はそれほどではありません。ショートショート、短編、長編はそれぞれ求められるものが微妙に違うし、やはり長ければ長いほど飽きさせないキャラクターの魅力や、舞台設定、起承転結や伏線など物語自体の構成力がものを言います。<br><br>　文学賞について詳しくない知人が善意で「君もそろそろ次のステップに進んだら？」と言ってくれたのですが、このステップを踏むのにどれだけ苦心惨憺したことか。知人はおそらくこういったコンテストではなく文学賞に応募したらどうかという意味で言ってくれたのだと思いますが、僕にとっての次のステップはショートショートコンテストでもう一回掲載されることです。<br>　しかしながら、もっと長い話が書いてみたいという気持ちが以前からあり、この１年で原稿用紙10～20枚の話を十数作書きました。僕はプロ作家志望ではありませんが、原稿用紙20枚以下のショートショート（掌編）でプロ作家になるのは至難の業です。阿刀田高先生のような神がかった文章力と重厚な経験値、博覧強記、更に出版業全盛という時代の後押しをもってしてようやく作家としてやっていけるのですから。今は小説を読む人が減り、需要が減って完全に作家があぶれる供給過多の時代です。<br><br>【文学賞と倍率】<br>　さて、ここで世の文学賞の倍率はどのくらいでしょうか。有名な直木賞や芥川賞はちょっと特別なものなので除きますが、ミステリーやホラーなどのジャンル限定で300倍以上、フリージャンルだと1000倍近い数字です。300倍以下の文学賞も沢山ありますが、これは受賞しても本が出ない（＝プロにはなれない）ものがほとんどです。<br><br>【小説を書く理由】<br>　今、初めて短編小説を書いています。原稿用紙100枚くらいの予定で、短い中編とも言える長さです。そもそもの自分が小説を書く理由について考えてみたのですが、僕はプロの小説家になりたいわけではないです。<br>　良い作品が作りたい。自分にできることを極めたい。叶うなら自分にしか書けないものを書きたい、という想いです。そこで自分の作品の良し悪しが知りたければ他人に読んで評価してもらうのが一番ですが、評価する人間には絶対に能力が必要です。そうなれば、大量に読んで、大量に書いて、他の誰よりも小説について考えてきたベテラン作家の先生方が最適。そのベテラン作家に読んでもらえるのが文学賞なのです。<br><br>　他の応募者と動機を少し異にするかもしれませんが、今回の短編を友人が勧めてくれた『第11回小説宝石新人賞』に応募してみようと考えています。倍率は約1000倍です。受賞出来るだなどと夢にも思っていませんが、一次選考で残るのが40作程度だそうで、25倍の壁というのは良い目標になりそうです。<br>　名のある文学賞の一次選考を通過出来たとしたら、自信を持って周りの人に読んでもらうことが出来そうです。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/willowcat/entry-12184313462.html</link>
<pubDate>Tue, 26 Jul 2016 13:05:58 +0900</pubDate>
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<title>『聖闘士星矢 黄金魂-soul of gold-』 が良かった理由。</title>
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<![CDATA[ <br><br>　聖闘士星矢を知らない方もいるかもしれませんが、同じジャンプ漫画の『BLEACH』や『テニスの王子様』の源流に当たる作品です（テニプリ関係ないじゃんと思われるかもしれませんが、話の作りやキャラの立て方がまるっきり同じなんですよ）。<br><br>　今回は25年も前のマンガをスピンオフで完全新作アニメにするという暴挙。全員壮絶な死を遂げている黄金聖闘士（ゴールドセイント）を一気に蘇らせるという暴挙。聖闘士星矢だからできたことですね。<br>　原作では黄金聖闘士が全員揃ったのは嘆きの壁の前の一瞬でしたし、なんせ物語が始まった時点で既に亡くなっている人がいたりしますから（笑）、あれだけすれ違いやらわだかまりやら因縁やらあっても原作ではほとんど解消されることなく、脇から主人公の聖矢が突き進んでいくための物語を昇華させながらもどこか読者の胸の内にもやもやを残していたわけですが、今回は見事にそれが霧消。無理のある設定で始まったアニメだったので最初はどうかなと思って見ていましたが、最終的にはよくぞやってくれた！という気持ちで万感の内に終幕しました。脚本家の方は本当に大変だったと思います。<br><br>　このアニメ、原作では不遇だったキャラの魅力を引き立ててくれました。蟹座のデスマスクの小物ながらの茶目っぷりや、魚座のアフロディーテの美への信念、牡牛座のアルデバランの教育者っぷりが全開だったりと、いいところが沢山あったのですが、僕は昭和漫画の良いところで、聖闘士星矢も大人がちゃんと大人していますが、原作では既に亡くなっていて活躍する機会がなかった射手座のアイオロスが復活したのは大きかったなと思います。<br>　裏切り者のサガを赦して彼の艱難辛苦を察し、弟の獅子座のアイオリアと再会を果たしてその成長を激賞し、そして黄金聖闘士全員を一矢に導く。<br><br>　これに感激しない射手座男子がいようか（笑）<br>胸がすく思いでした。<br>アニメスタッフに敬意を表します。<br><br><br>　さてここから少し話が変わって少年漫画全般の話になります。<br>黄金聖闘士という究極の脇役が主人公だった特殊なアニメを見た後で、<br>脇役というものについて少し考えを述べてみたいと思います。<br><br>　黄金聖闘士たちがいかに主人公たちを圧倒する人気を博しているとはいえ、原作の中では今回のスピンオフみたいなことは決してできなかったでしょう。<br>　それには理由があって、脇役を立てすぎたり、脇役の事情を説明しすぎると物語が膨れ上がって破たんするするからです（良くも悪くもワンピースがその代表）。<br><br>　昔の漫画はジャンルを問わず、主人公が一番！というのが徹底されています。普段いかに無力で情けなかろうが（例：ドラえもんののび太）、いつも頼りになるのに不在がちだろうが（ドラゴンボールの悟空）、とにかく主人公を一本通して話が完結する。<br>　ジョジョは目立ちませんが、実は常に主人公と準主人公がいて、準の方が主人公に希望を託して終盤で絶命するという巧みな構成です（承太郎とジョセフ、ジョルノとブチャラティなど）。<br><br>　その脇役の中に必ず主人公より上位のキャラクターがいて、大昔は敵か第三者ポジションにしかいなかったのですが（例：手塚マンガ全般）、平成に入って師匠だったり元勇者的な父親だったりすることが多くなってきました。<br>　聖闘士星矢はキャラの大半を占める聖闘士（セイント）が全員孤児という設定ですから親はいません。親を絡めないから上位脇役が作りやすく、黄金聖闘士が12人もいても成り立つという特殊な構造をしており、基本的には全員最強みたいな扱いなので、１人いるだけでも存在感がありすぎて、同時に複数出すことが難しい。ましてや12人揃えたら主人公たちのことを読者が忘れてしまう。<br><br>　というところで、『聖闘士星矢 黄金魂-soul of gold-』では開き直って原作の主人公たちを一人も出さなかったわけですね。心のどこかで青銅聖闘士あっての黄金聖闘士かなと思っていましたが、青銅聖闘士がいなくても、他のキャラがその役割を引き受けてくれたのでやはり聖闘士星矢は黄金聖闘士彼らの物語なのだと実感しました。<br><br><br><br><br>
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<pubDate>Sun, 04 Oct 2015 06:24:57 +0900</pubDate>
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<title>文学賞とアマチュア小説家（藤本義一賞を具体例に）</title>
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<![CDATA[ <br>　プロの小説家を志しているわけではないのですが、最近は文学賞に興味津々です。文学賞と一口に言っても、芥川賞とか直木賞のような名誉ある大きなものでなくとも、庶民が気軽に参加できるような手頃なものもあると知ったからです。私企業がスポンサーになって、2000文字までの掌編を対象に、賞金5,000円で半月ごとに次々とテーマを変えて開催している『時空モノガタリ』や、文芸誌で毎月やっている原稿用紙5枚制限のショートショートコンテストなどがあるのです。勿論、これらは受賞してもプロ作家にデビューする足掛かりになるほどのものではありません。<br><br>　人間、なかなか明確な目標がないと第一歩を踏み出せないもので、いきなり十数万文字の長編を書き始めるというのは、誰にでもできるものではありません。それだけ巨大な構成には、豊富な経験が必要です。その点、テーマの決まった小さな賞に自分のペースで挑戦してみるというのは、僕のような社会人のアマチュア作家にはちょうどよい刺激になるものです。より長い小説を書くにあたって、良い練習となるでしょう。<br>　しかし文学賞はアマチュアとプロの世界の懸け橋、そこを渡ろうとすると今までにない風が吹きます。<br><br>　人にお金を払って読んでもらうプロの文筆家になると、自分の書きたいものばかりを書いて食っていくことはできないでしょう。きっとその時代の読者の求めるものを見抜いて提供し、ときには新しい需要を生んでいかなければなりません。<br>　どうやら文学賞にも似たような性質があるようです。僕も最初は、好きなように書いてそれを認めてもらえれば、賞金がもらえてデビューのきっかけにもなるのかな、と安易に考えていました。しかし少し調べてみると、出版社などが文学賞を開催するには明確な目的があることに気づきます。野に埋もれた新しい才能を掘り起こして新しい本を書かせ、出版社の売り上げに寄与させるためなのです。賞金を渡して、「はい、おめでとうございました」で終わるわけにはいかない。そうなると、その賞の性質、つまりどういった作品に授賞するかというのがある一定の基準に則っているのです。<br>　これにはどの賞にも共通しているものもあれば、出版社の意向（例えば新人女優を主演させるためにＴＶドラマ化できる作品など）や審査員の志向（例えばミステリーが好きとか、複数の視点から書かれるものを評価しない）など独自のものもあるでしょう。ちなみに共通の基準と言えば、主催する出版社が受賞者に新人作家としてのデビューを期待する以上は、それは今までにない新しいセンスのようです。<br><br>　作家を養成している関係で、多くの文学賞を分析している若桜木虔（わかさきけん）氏によれば、ある賞を取った氏の弟子の作品が、別の賞では一次選考にも通らなかったことがあるし、その逆もあるそうです。ということは、文章力や発想は勿論のこと、その文学賞における選考の傾向に対しての分析と対策、それに少なからぬ運が要る。運も実力のうちとは言いますが、文学賞をとってやろうと作品を応募するならば、必ずこの傾向を分析し、対策を練ることも実力の一つとして必要になってくるようです。その力はおそらく、デビューした後でも、相手が審査員から潜在する読者数千万人という、より難しいものに取って代わるだけで、やはりプロ作家としてなくてはならぬものになるのでしょう。<br><br>　僕は基本的に読むのも書くのも掌編や短編が好きなのですが、いつか長編も書いてみたいなあという夢を抱いています。自分の中から生まれてくるアイデアを自分自身の手で満足のいく作品に書き上げるというのは、経験したことがなければ想像もつかないような一入の感慨です。掌編でも胸のすくような思いを味わえることがありますから、きっと長編を書き上げたらもっともっと大きな感動が待っているでしょう。何か一つ成し遂げたという、自分自身に誇れる足跡を人生に残せる。<br>　小説の長編というのは書くだけなら正直そんなに難しくはない（僕も完全な一次創作でなければ文庫本一冊分くらいの話は書いたことがあります）と思いますが、自分のオリジナリティを発揮した傑作を書こうとすると本当に難しいです。小屋も立てたことのない大工見習いがいきなり一軒家を建てられるわけもありませんから、物語もそれと同じで少しずつ長いものを編んでいけるようにしなければなりません。同じ起承転結のある物語でも、131文字のTwitter小説、原稿用紙5枚（大体1500～1800文字）の掌編、原稿用紙20枚程度（5000～7000文字）の短編、中編（文庫本の1/3～1/2程度）、長編（文庫本1冊程度）などなど色々なサイズがある。<br>　今、原稿用紙５枚程度で起承転結のあるショートショートなどを書いて公募に応じていますが、もう少し長いものに挑戦したい。そこで目を付けたのが第１回『藤本義一賞』です。このブログを書いている時点で〆切までは３週間くらいしかないので、第１回は見送るかもしれません。いずれにしても、傾向の分析が必要なので試みたのですが、そこから分かったものには執筆で感じるものとはまた異なる面白味がありました。それをこれから簡単にご説明します。<br><br><br>　藤本義一賞は400字詰め原稿用紙15～30枚、文字数にすると１万字弱かという手頃なものです（ちなみにこのブログの記事でもその３分の１はあります）。第１回のテーマは「帽子」。最初はエッセイを少し膨らませたようなちょっといい話を書けばいいのかなと考えました。しかし文学賞であるからには応募するには先に述べたように「主催者」「開催の目的」「授賞の基準」を知らなければなりません。<br>　<br>　「主催者」は実質的に故藤本義一氏の奥様の統紀子さんで、「開催の目的」は生前の藤本氏が望んでいた若い世代の発掘だそう（死後に奥さんの枕元に立ったとか）です。それにおそらく藤本氏が亡くなってからも氏の存在が薄れないようにというも、多分にあるのではないかと。<br>　一番分析が難しい「授賞の基準」に関しては、１回なのでまだ受賞作もなくて傾向がありませんが、公式Webサイトには下記のようにあります。<br><br>-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*<br>第1回は「帽子」。 キーワードは必ずしもテーマ(主題)とは限りません。<br><br>自由な発想と解釈で個性豊かな作品を お寄せ下さい。<br>ジャンルは現代小説・SF。未発表の自作に限る。<br>-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*<br><br>　応募者に任せるから自由にやってくれという感じですね。主催に関しては奥様の想いが先行しているので、内容が良ければ流儀は問わないといったところでしょう。多分、かなり珍しいタイプの文学賞です。<br><br>　授賞の基準を決める最も大切な審査員に関しては、藤本氏の知己といった顔触れのもよう。小説以外にも舞台やラジオドラマ、テレビドラマの脚本に、テレビ番組『11PM』の司会に、幅広い活躍をされた藤本氏ですが、テレビ関係者だけあって審査員も放送作家が多い。後は娘でアーティストのフジモト芽子さんに、落語家の桂文枝さん。<br>　審査員の名前を眺めていると、僕が何気なく書こうとしていた先述の、日常のちょっといい話というのはまるで通用しそうにありません。放送作家という職業のことを全く知らなかったので調べてみたのですが、テレビ番組にジャンルは様々あるものの、台本を書いて出演者に演じてもらい、それを大衆に向けて放映するわけですから、あまり偏ったマニアックな内容であったり、小難しく分かりにくい内容を避けられそうです。しかしそれでいて、テレビ番組には常に新しいものが求められ、時代を読む感性がなければいけない。<br>　もし藤本義一さんの奥様が審査員長なら、昭和の高度成長期を舞台に藤本義一さんみたいな男性が活躍する、またはその回顧の話を書けば、ある程度受け入れてもらえるんでしょうけどね。<br>　作家としては素人のフジモト芽子さんや、それに落語家の桂文枝さんがいること、平均年齢がかなり高いこと、ネットで調べた程度ですが藤本義一氏の人柄も考慮すると、藤本義一文学賞のキーワードは「大衆」「懐かしい時代の空気」「義勇」あたりになるのかなと考えて、応募作の構想を練っているところです。<br>　おそらくテーマの「帽子」はカンカン帽あたりのイメージで、昭和を舞台にした懐かしい感じの作品を書いてくる応募者が多いと思うので、あえて21世紀も15年過ぎたこの時代を舞台にして、その中で懐かしい空気を出しながらも新しい時代のために邁進していく人物を描いた方がいいんじゃないかと感じています。「ジャンルは現代小説・SF」って応募要項に書いてあるけど、ＳＦは通りそうにない。<br><br>　こうやって文学賞を見ていくと、提示されたテーマ以外にも実に様々な課題が浮き彫りになってくるのでした。<br><br>　さて、肝心の応募作ですが、そもそも藤本氏の著作を一編も読んだことがないので今からAmazonで注文してるような有様です。応募間に合うかな(^_^;)<br><br><br>（長文にお付き合いいただきありがとうございました）<br><br><br><br><br>
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<pubDate>Wed, 08 Jul 2015 00:29:35 +0900</pubDate>
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<title>漢方薬と花の味</title>
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<![CDATA[ 　漢方薬と新薬、皆さんどちらを使われているでしょうか。<br>例えば風邪を引いたかな…と思ったとき、<br>パブロンやベンザブロックを飲みますか？<br>それとも葛根湯を飲みますか？<br><br>　僕は漢方薬が好きです。<br>体力の程度、病気の段階、治したい症状に<br>合わせて細やかで選びやすいなどの理由もありますが、<br><br>一番目の理由は名前が面白い、<br>二番目の理由は味がするから、です（笑）<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150106/01/willowcat/6c/30/j/o0800142213181416939.jpg"><img border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150106/01/willowcat/6c/30/j/t02200391_0800142213181416939.jpg" alt="漢方薬"></a><br><br>　昨日、風邪でのどが痛くなって写真右の銀翹散（ギンギョウサン）<br>という漢方薬を初めて飲んだのですが、<br>びっくりしました。<br><br>　美味しい…（*'o'*）<br><br>　葛根湯は葛の味が嫌いではないのですが、<br>苦みが後を引くし、<br>小青竜湯の主成分の麻黄（マオウ）は不味い。<br><br>　でも、銀翹散はさわやかな風味でほのかに甘い。<br>箱を裏返してみると、成分に<br>薄荷（ミント）や甘草などが入っています。<br>なるほど通りで。<br>　銀翹という名前が示す通り、<br>金銀花（スイカズラ）と連翹（レンギョウ）、<br>他にも桔梗（キキョウ）などの花々も入っていて<br>なんだかフローラルな組成(*^-^)<br><br>　医食同源とはよく言ったもので、<br>薬に使う生薬と料理に使うスパイスは<br>名前が違うだけで同じものですから、<br>風味がある方が自然に感ぜられて快いです。<br><br><br>
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<pubDate>Tue, 06 Jan 2015 20:43:37 +0900</pubDate>
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