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<title>冬のカマキリ</title>
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<description>46歳からの司法試験勉強奮闘記です。</description>
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<title>制限行為能力者制度6</title>
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<![CDATA[ ここまで、<strong>後見</strong>、<strong>保佐</strong>、<strong>補助</strong>に関する民法の条文を読んで、何度も繰り返し出てくる文言に疑問を抱き、そしてハタと気付いたことがあります。具体的には<strong>7条</strong>、<strong>11条</strong>、<strong>15条</strong>の「<strong>審判をすることができる</strong>」、<strong>9条</strong>、<strong>13条4項</strong>、<strong>17条4項</strong>の「<strong>取消すことができる</strong>」、<strong>849条</strong>、<strong>849条の2</strong>、<strong>876条の3第1項</strong>、<strong>876条の8第1項</strong>の「<strong>選任することができる</strong>」、<strong>876条の4第1項</strong>、<strong>876条の9第1項</strong>の「<strong>審判をすることができる</strong>」です。何故、「開始の審判をしなければならない」、「法律行為は無効とする」、「監督人を選任しなければならない」、「代理権を付与する旨の審判をしなければならない」となっていないのか、違和感を覚えました。「することができる」というのは「する必要がなければしなくていい」ことになります。障がい者の大切な財産を守るための家庭裁判所の行為を定めたこれらの条文が、こんないい加減な表現でいいのかと思ったからです。そこで私は基本書とサブノートをひっくり返して制限行為能力者制度の冒頭のページを読み直したら、疑問が氷解しました。民法の制定者は意思能力、行為能力が問題なく備わっている社会人を前提として法律行為つまり契約は互いの意思表示のみで自由にできると規定しました。ということは、子どもやお年寄り、精神に障がいのある人は意思能力、行為能力に欠陥があるので、保護すべき必要性が反射的にでてきます。しかし、権利能力はどんな人でも持っています。国家権力といえども、これを制限することは許されません。当然ながら制限行為能力者であっても「ひと」ですから権利能力は制限されません。「ひと」であるがゆえに尊重するのを第一にして、必要に応じて国家権力が介入して保護をする。制限行為能力者にできるだけ任せる意味で「することができる」という表現になっているんだなと気付き、そう解釈しました。でなければ、これから説明しようとしている<strong>任意後見制度</strong>が理解できません。<br><br><strong>任意後見制度</strong>は民法とは別に、特別法として「<strong>任意後見契約に関する法律</strong>」、「<strong>後見登記等に関する法律</strong>」に規定されていますが、今は深入りせずに制度の概観にとどめておきます。<br><br>後見、保佐、補助の三本柱からなる<strong>法定後見制度</strong>は本人が事理を弁識する能力が欠けるか、著しく不十分か、もしくは不十分になったときに、本人又は利害関係者の家庭裁判所への請求によって、はじめて機能するものでした。これに対して<strong>任意後見制度</strong>は本人の意思能力、行為能力がしっかりしているうちに、将来それらの能力に欠陥が生じて一人で社会生活を営めなくなったときを見越して生活、健康、財産を守る人（任意後見人）を本人があらかじめ指定しておき、本人と任意後見人が契約しておくというものです。これは後の<strong>債権編</strong>にでてくる概念なのであとで説明しますが、本人の意思能力、行為能力の欠陥発生を停止条件とする<strong>委任契約</strong>になります。この契約、つまり任意後見契約は<strong>公正証書の作成が要件とされ、契約内容が登記されます</strong>。法定後見制度との最大の違いは<strong>任意後見監督人</strong>の選任が必須要件となっていることです。法定後見制度では「監督人を選任することができる」という条文の表現でわかるように、当事者の任意事項でしたが、任意後見制度では任意後見監督人の選任がされなければ、任意後見契約は効力を持ちません。すなわち、本人と任意後見人が停止条件付委任契約を締結し、その旨を登記し、停止条件が成就したときに本人又は当事者が任意後見監督人の選任を家庭裁判所に請求し、それを受けて家庭裁判所が職権で選任して初めて契約が効力を持ちます。法定後見制度では代理人や後見人の権限濫用や越権行為といった不適切な行為を担保する手段が不十分なため、社会の要請に応じて現行民法の法定後見制度を補充する意味で特別法が制定され、任意後見監督人が任意後見人と国との間に立って本人の利益のために重要な役割を担っているのです。概して、任意後見制度は国家の介入は必要最小限に抑えられ、本人の意思がより尊重された制度といえます。<br><br><br>さて、いま私は、民法の森の中のどこにいるのでしょうか。<br>迷子にならないように、場所を確認します。<br><strong>第1編「総則」</strong>の<strong>第2章「人」</strong>の<strong>第1節「権利能力」</strong>と<strong>第2節「行為能力」</strong>という所にいます。また、深く関連する<strong>第4編「親族」</strong>の<strong>第5章「後見」</strong>を見にでかけ、さらに寄り道して民法の森の外にある任意後見制度を覗いて帰ってきたところです。<br><br>次回からはいよいよ<strong>第1編「総則」</strong>の白眉たる<strong>第5章「法律行為」</strong>にわけ入ります。健常な人の意思表示は常に正しいとは限りません。また、代理とは..........。
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<link>https://ameblo.jp/wmka46/entry-11101041498.html</link>
<pubDate>Thu, 08 Dec 2011 12:09:02 +0900</pubDate>
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<title>制限行為能力者制度5</title>
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<![CDATA[ 後見、保佐、補助のおおまかな違いは<br><strong>7条</strong>後見は「<strong>能力を欠く</strong>」<br><strong>11条</strong>保佐は「<strong>能力が著しく不十分</strong>」<br><strong>15条</strong>補助は「<strong>能力が不十分</strong>」<br>という、条文の微妙な言い回しの違いに着目すれば、能力を欠く、つまり無能力であれば後見、その他は保佐か補助になりますが、保佐は一定の判断能力があるものの、<strong>13条1項各号</strong>に列挙されている重要な法律行為について自分一人では適切に行うことができず、常に他人の援助を必要とする場合で、日常生活や買い物等は一人でできるが精神障がいで重要な法律行為を行うのに不安がある、という程度であれば補助、ということになります。<br>もっと端的に言うと、完全な植物状態にある重篤な患者はもちろん、日常生活を一人で営むことができなければ後見で、保佐と補助の境界は<strong>13条1項各号</strong>に列挙されている重要な法律行為を一人で行うことができるか否かで判断されます。<br><br>今まで、制限行為能力者本人の保護規定、それを支える人たちの役割と必要な事務手続きについて概観してきました。制限行為能力者の財産を守るため、制限行為能力者の法律行為は本人又はその代理人によって取消すことができますが、これを取引の相手側の立場で考えれば、この契約がいつ取消されるのかわからず不安定な状況になるため、相手側から制限行為能力者側に対して、契約を追認してくれるかどうかの判断を催促できる規定がありますが、その規定の説明の前に、「取消し」と「追認」という言葉について説明をしておきます。<br>取消された行為は、初めから無効であったものとみなします（<strong>121条本文</strong>）。これを取消しの遡及効といいます。つまり、一旦契約してしまっても取り消されれば契約前にさかのぼって、初めから無かったものとなります。これに対して追認は、取消しうる契約がそのまま有効に作用し、通常通り効果として義務と権利が発生しますが、取消しうる法律行為を一旦追認すれば、以後、取消すことはできません（<strong>122条本文</strong>）。<br>では、本題にもどります。<br>この規定は<strong>20条（制限行為能力者の相手方の催告権）</strong>にうたわれています。<br><br><strong>20条1項</strong><br>制限行為能力者の相手方は、その<u>制限行為能力者が能力者となった</u>後、1カ月以上の期間を定めて、その期間内に確答を発しなければ<u>追認したものとみなす</u>。<br><strong>20条2項</strong><br>制限行為能力者の相手方が、制限行為能力者が行為能力者とならない間に、その<u>法定代理人、保佐人又は補助人に対して</u>前項と同様の催告をした場合において、その者が期間内に確答を発しなければ<u>追認したものとみなす</u>。<br><strong>20条4項</strong><br>制限行為能力者の相手方は、<u>被保佐人又は</u><strong>13条1項</strong>に列挙される特定の法律行為の一部について補助人の同意を必要とする旨の審判を受けた<u>被補助人に対して</u>1カ月以上の期間内に追認をするかどうかの催告をすることができ、その者が期間内にその追認を得た旨の通知を発しなければ<u>取消したものとみなす</u>。<br><br>この条文の理解のポイントは<strong>相手方が誰に対して催告しているのか</strong>を把握することです。<strong>20条1項</strong>は能力者であり、<strong>20条2項</strong>は制限行為能力者の法定代理人、保佐人又は補助人です。これらの者はいずれも単独で回答できる立場にあるので取引の相手方を保護する規定になっています。つまり契約は有効です。それに対して<strong>20条4項</strong>は制限行為能力者本人です（成年被後見人は除く。成年被後見人は単独で単独では回答をなしえないから）。制限行為能力者は単独で回答できる立場にはなく、相手方に比べて弱い立場にあるため、制限行為能力者側を保護する規定になっています。つまり契約は遡及して無効となります。<br><br>では、次のようなケースはどうでしょうか。<br>18歳の高校生が、20歳だと偽って親に内緒でバイクの購入契約をしてしまったとしましょう。バイク屋が年齢確認をきちんとしなかったという過失を差し引いたとしても親や学校に隠れて嘘をついてバイク屋をだまし、購入契約を結んだ高校生を、未成年者だからといって保護の対象になるのでしょうか。つまり、取消すことができるのでしょうか。<br>否、この点、民法は抜け目なく厳しい態度を示しています。すなわち<strong>21条</strong>に、制限行為能力者が、能力者であると相手方を信じさせるために詐術を用いた時は、その行為を取消すことができない。と、あるからです。これは、制限行為能力者といえども背信的な行為をした以上は、取消しによって相手方に不利益を負わせるのは適当でないので、取引の安全を優先して契約を成立させる、という解釈です。<br>
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<link>https://ameblo.jp/wmka46/entry-11098315266.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Dec 2011 12:34:22 +0900</pubDate>
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<title>制限行為能力者制度4</title>
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<![CDATA[ <strong>補助</strong>は、後見や保佐されるには至らないものの、なお判断能力が残存している軽度な精神障がい者（知的障がいや自閉症など）を家庭裁判所の審判を経て被補助人となし、この被補助人を保護するための制度です。この被補助人にも被補助人本人や補助監督人の家庭裁判所への請求によって特定の法律行為についての代理権又は同意権・取消権を付与することができます。<br><br>精神上の障がいにより事理を弁識する能力が不十分である者については、当事者の家庭裁判所への請求により補助開始の審判を受けた者を被補助人といい補助人が付きます（<strong>15条、16条</strong>）。この補助人は家庭裁判所が職権で選任します（<strong>876条の7第1項</strong>）。また、法人の選任も可能であり（<strong>843条4項</strong>）、数人の補助人を選任することもできます（<strong>876条の7第2項</strong>）。この補助人にも、当事者が申立てにより選択した特定の法律行為について、審判により同意権、取消権、代理権を与えることができます。<br>まず、<u>補助人の同意権</u>は、<strong>13条1項</strong>に定められた法律行為の<u>一部</u>について家庭裁判所は、被補助人本人等の請求により補助人の同意を得なければならない旨の審判をすることができます（<strong>17条1項</strong>）。なお、補助人の同意を得なければならない行為について、補助人が被補助人の利益を害するおそれがないにもかかわらず同意しないときは、家庭裁判所は、被補助人の請求により、補助人の同意に代わる許可を与えることができます（<strong>17条3項</strong>）。<br><u>補助人の取消権</u>については、補助人の同意を得なければならない行為であって、その同意又はそれに代わる許可を得ないでしたものは取消すことができます（<strong>17条4項</strong>）が、取消すことができる人を取消権者といい、制限行為能力者本人、その代理人等です（<strong>120条1項</strong>）。<br><u>補助人の代理権</u>について、家庭裁判所は、被補助人本人、補助人等の請求によって被補助人のなす特定の法律行為について、補助人に代理権を与える旨の審判をすることができます（<strong>876条の9第1項</strong>）。ただし、本人以外の者の請求によって代理権を付与するには本人の同意が必要で（<strong>876条の9第2項</strong>）、この代理権付与の審判は補助開始の審判とともになす必要があります（<strong>15条3項</strong>）。<br><br><br><strong>未成年者の保護</strong>について、民法は法定代理人である親（親権者。親権者がいない場合は後見人）の同意がなければ契約などの法律行為はできないとするのを基本とし（<strong>5条1項</strong>）、同意なしにした場合は本人や親がそれを取消せます（<strong>5条2項</strong>）。ただし、単に未成年者が権利を得、又は義務を免れる法律行為や、目的を定めて処分を許した財産と目的を定めずに処分を許した財産の処分行為は、親の同意を要しません（<strong>5条1項但書、5条3項</strong>）。これらの行為は未成年者が債務を負うおそれがないからです。小学生にお菓子を買ってもいいよと言って100円をあげたり、高校生に1000円の小遣いをくれてやるケースが一般的なたとえでしょうか。<br>未成年者は婚姻によって、成年に達したものとみなされます。これを成年擬制といいます（<strong>753条</strong>）。さらに未成年者が一種又は数種の営業を許された場合は、成年者と同一の能力を有するとみなされます（<strong>6条</strong>）。<br>
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<link>https://ameblo.jp/wmka46/entry-11097499896.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Dec 2011 15:18:49 +0900</pubDate>
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<title>制限行為能力者制度3</title>
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<![CDATA[ <strong>保佐</strong>は、精神上の障がいにより事理を弁識する能力が著しく欠けている人について、家庭裁判所の審判を経て、被保佐人として保護するための制度です。その職務を行う人を保佐人といい、<strong>13条1項</strong>に列挙されている特定の法律行為について保佐人の同意を必要とし、同意なしに行った場合には保佐人は取り消し権を行使でき、被保佐人本人も取り消せます（<strong>120条1項</strong>）。また、当事者（本人又は本人の同意に基づく一定の者）が選択した特定の法律行為について保佐人に代理権を与えることもできます（<strong>876条の4</strong>）。このように、代理権の行使には本人又は本人の同意に基づく一定の者に限定することによって本人の自己決定権が尊重されています。<br><br>保佐人の職務は本人の特定の法律行為についての同意権と取消権および代理権が主ですが、まず、保佐人の同意を要する法律行為は<strong>13条1項</strong>で、次のように定められています。<br><strong>1号　元本を領収し、又は利用すること</strong>     <br><strong>2号　借財又は保証をすること</strong><br><strong>3号　不動産その他重要な財産に関する権利の得喪を目的とする法律行為をすること</strong><br><strong>4号　訴訟行為をすること</strong><br><strong>5号　贈与、和解又は仲裁合意をすること</strong><br><strong>6号　相続の承認若しくは放棄又は遺産の分割をすること</strong><br><strong>7号　贈与の申込を拒絶し、遺贈を放棄し、負担付贈与の申込を承諾し、負担付遺贈を承認すること</strong><br><strong>8号　新築、改築、増築又は大修繕をすること</strong><br><strong>9号　第602条に定める期間を超える賃貸借</strong>（3年を超える建物の賃貸借等）<strong>をすること</strong><br>いずれも本人が大きな債務を負担するか、その可能性が大きい法律行為であることがわかります。ただし、日用品の購入その他日常生活に関する行為については、保佐人の同意を要せず本人が自由に行うことができます（<strong>9条但書</strong>）。<br><br>重複して書きますが、被保佐人となると、一部の行為は自分自身でできますが、財産的に重要な行為は単独ではなしえず、保佐人の同意が必要です（<strong>13条1項</strong>）。その同意なしに、あるいは同意に代わる裁判所の許可なしにそれらの行為をした場合には取り消しができます（<strong>13条4項</strong>）。しかし、保佐人の同意を得なければならない行為について、明らかに保佐人が被保佐人の利益、財産を害するおそれがないにもかかわらず同意しないときは、家庭裁判所は、被保佐人の請求により、保佐人の同意に代わる許可を与えることができます（<strong>13条3項</strong>）。でも、私が思うに、「事理を弁識する能力が著しく不十分」な精神障がい者が家庭裁判所に請求できるのか、この条項については疑問を持ちました。<br><br>このように、<strong>保佐</strong>の理解は<strong>13条</strong>がポイントになっています。<br><br><br>閑話休題-------------------------------------------------------------------------------------<br><br><br>このブログは、ＰＲして多くの人に見てもらいたいとか、他人と交流したいとか、特定物を広告して金銭的に利益を得ようなどという意図は全くありません。また、にぎやかにページをカラーリングしたり、デザインに凝ったり、絵文字顔文字、画像動画とは全く無縁です。自分が司法試験の勉強をし、それをブログ上でアウトップとすることによって知識学力をより確かなものにしたいという、いわば自己満足に過ぎません。<br>私の机の上には、常に六法、参考書、サブノートが並んでいます。まず参考書の記述を基準にして条文と照らし合わせ、他の書籍の同じ箇所の記述をよく読んで、「この条文はこういう理解なんだ、この制度は要するにこういう事か」と、納得してからサブノートに文章を書きます。区切りがつく毎に更に推敲してブログに書くことの繰り返しです。私からすれば、大学の法学部の学生や法科大学院生、塾や予備校で法律を勉強できる人が羨ましいです。お金や高学歴とは無縁ですから。頼りは既存の出版物ですが、司法試験対策の参考書は「基本書」と呼ばれていて、結構な値段がします。特に民法は大部な法典なので、総則、物権法、債権総論、債権各論、家族法といった具合に編ごとに独立した基本書が一般的で、物権法は更に担保物権法、債権法の分野は更に契約法、不法行為法、債権譲渡法などの基本書が出版されています。<br>民法に限らず、司法試験の勉強にあたっては、重要性の順に<br><br>1.条文<br>2.判例<br>3.学説<br><br>まず条文ありきですが、私のような素寒貧がいきなり六法全書を読んでも理解できるわけがありません。枕にして昼寝をするのが関の山でしょう。その理解を助けるのが基本書であり、基本書の記述が難しく感じれば初学者向けの入門書から、ということになります。<br>判例とは最高裁判所の判断つまり判決文のことで、下級審裁判所の裁判例よりも重要視されており、司法試験の受験生は必ず熟読しなければなりません。何故かというに、法、法律は抽象的であるがゆえに解釈の余地が大きく、日本は諸外国と比べて裁判官の裁量権が大きいといわれています。ということは法、法律の不足を補うのが判例であり、条文についで、いや、条文と同等に扱わなければならないのです。よく、インターネットの書評サイトに「百選を読め」などど書かれているので書店に出掛け、手にとってパラッとめくった途端、立ちくらみしそうになりました。専門用語をふんだんに使った難しい文章が小さな活字でびっちり隙間なく書かれており、こりゃだめだ、と感じてしまったからです。ああ、老眼鏡をかけてこれを読んで理解しなければいけないなんて、と、溜息まじりに。<br>法、法律は抽象的である、ということは、その人の考え方によって解釈が違ってくることになります。憲法76条は「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と、うたっています。私の解釈は裁判官に限らず、すべての人が「その良心に従い独立して」つまり、個人的な感情やうわさに流されることなく、その人独自の考え方で解釈し、理解するのが自然だと思うのです。この解釈の違いが「学説」です。基本書を書く先生によって解釈が違うので、最初は「通説」と呼ばれる、大勢から支持され確立された説をきっちり学ぼうと考えています。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/wmka46/entry-11096441128.html</link>
<pubDate>Sat, 03 Dec 2011 12:51:59 +0900</pubDate>
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<title>制限行為能力者制度2</title>
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<![CDATA[ 「後見人」は「未成年後見人」と「成年後見人」の総称です（<strong>10条</strong>）。<br><br>後見とは、未成年者と成年被後見人（旧法の禁治産者）を保護するために設けられている制度であり、それ自体は民法の<strong>第4編　親族</strong>に規定があります。<br><br>まず、未成年者とは20歳未満の人を指し（<strong>4条</strong>）、20歳未満の人は能力の有無にかかわらず、一律に未成年者として保護の対象となっています。未成年者には親権者が法定代理人（普通は親。代理人とは本人に代わって本人のために法律行為をおこなう者のことですが、詳しくは後述。）として付き、親権者がいないか、その親権者に管理権がなければ利害人の指定で未成年後見人が付きます（<strong>839条</strong>）。<br>未成年後見人も法定代理人です。また、後見人を監督する後見監督人というものを置くことができます（<strong>848条以下</strong>）。後見は、未成年者に対して親権を行う者がいないとき、もしくは親権を行う者が財産管理権を有しないときに、または成年被後見人について後見開始の審判が家庭裁判所からなされたときに開始します（<strong>838条</strong>）。<br>未成年後見人は、親権を最後に行う者が遺言（世間一般では「ゆいごん」ですが法律家は「いごん」と言うことが多いようです。）で指定することができます。また、親権を行う父母の一方が管理権を有しないときは、他の一方が未成年後見人を指定することができます（<strong>839条</strong>）。<br>しかし未成年後見人となるべき者がいないときは、家庭裁判所が未成年被後見人又はその親族等の請求によって選任します（<strong>840条</strong>）。<br>未成年後見人は一人でなければなりません（<strong>842条</strong>）。<br><br>成年後見人については、家庭裁判所が後見開始の審判をしたとき、職権で選任します。成年後見人が欠けたときは成年被後見人又はその親族等の請求によって職権で選任します。ただし、成年後見人が選任されている場合でも家庭裁判所が必要と認めれば成年被後見人本人又は職権で更に選任することができます。つまり、未成年後見人は一人でなければならないのに対して、成年後見人は数人又は法人でもなることができます（<strong>843条</strong>）。<br>未成年後見監督人については、未成年後見監督人は成年後見人を指定できる者の指定又は家庭裁判所の選任によります。成年後見監督人は成年被後見人本人、その親族等の請求によって、または家庭裁判所の選任によります（<strong>848条、849条、849条の2</strong>）。<br><br>後見人の職務として、未成年後見人については親権者とほぼ同一の権利義務を有しますが、親権を行う者が定めた教育方針や居所の変更、未成年者の営業の可否と制限には、未成年後見監督人があるときはその同意を得なければなりません（<strong>857条</strong>）。成年後見人の職務については、成年後見人が成年被後見人の生活、療養看護及び財産の管理事務、その財産の法律行為について成年被後見人を代表しますが、成年被後見人の意思を尊重し、かつその心身の状態及び生活状況に配慮しなければなりません（<strong>858条、859条</strong>）。後見監督人の職務は後見人の事務の監督と後見人が欠けた場合の家庭裁判所への請求等ですが（<strong>851条</strong>）、お年寄りの後見を任された家族や近親者が財産を勝手に使い込むといった事件が過去何度かありましたが、こういった事態を未然に防ぐのが、まさしく、後見監督人が置かれる重要な意味になります。
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<link>https://ameblo.jp/wmka46/entry-11095285689.html</link>
<pubDate>Fri, 02 Dec 2011 08:29:37 +0900</pubDate>
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<title>制限行為能力者制度1</title>
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<![CDATA[ 制限行為能力者制度を理解するには、民法は人の法律上の能力をどう見極めているのかを知る必要があります。そのポイントは<br><strong>「権利能力」、「意思能力」、「行為能力」</strong>の3つの言葉です。<br><br><strong>権利能力</strong>　人は出生した時から当然に、一人の人間として、法律上の権利義務の主体となる資格をもつ。これを権利能力といいます。<br>これを規定した条文は<br><strong>民法第3条1項（権利能力）「私権の享有は、出生に始まる。」</strong><br>このことは、出生以前、つまり母親の子宮の中の胎児には権利能力が認められないことを意味しますが、交通事故で父親が死亡し、その直後に母親が出産した場合、民法はこの子に交通事故の加害者に対して損害賠償の請求権を認めています。具体的には<strong>721条（損害賠償請求権に関する胎児の権利能力）</strong>において、胎児は損害が発生した時にさかのぼって、既に生まれたものとみなす、と規定しています。<br><br><strong>意思能力</strong>　自由に形成された自分の意思を他人に伝達して法律的な関係を作るためには、自分自身で意思決定できる能力が必要で、これを意思能力といいます。<br>また、不幸にして精神の病で正常な判断ができない人、つまり意思能力がないか、著しく欠ける人のことを民法では意思無能力者といい、意思無能力者と契約しても原則、効力は発生しません。<br><br><strong>行為能力</strong>　法律効果を発生させるべく、自分自身で意思決定してそれを実行できる能力を行為能力といいます。<br>この行為能力がない人を民法では<strong>制限行為能力者</strong>と呼び、制限行為能力者の保護として<strong>4条～19条</strong>に、また制限行為能力者と取引した相手方を、場合によっては保護しなければならないケースもあるため、それが<strong>20条、21条</strong>に、それぞれ規定されています。<br><br>なお、制限行為能力者は意思能力が無いか著しく欠けるがゆえに行為能力が制限されているのであって、決して権利能力が制限されているのではありません。重要ですから、勘違いは禁物です。心身の病人、乳幼児、高齢者、いわんや健常者も、みな等しく「ひと」であることに変わりはありません。<strong>「ひと」は「ひと」であるがゆえに権利能力を有する</strong>のです。<br><br>制限行為能力者制度の沿革について簡単に触れておきます。<br>民法制定から平成12（2000）年4月まで<br>　　　　行為無能力者（未成年、禁治産者、準禁治産者）<br>平成12（2000）年4月施行<br>　　　　制限能力者（未成年、成年被後見人、被保佐人、被補助人）<br>平成16（2004）年　民法現代語化改正<br>　　　　制限能力者が制限行為能力者に呼称変更<br>旧法の禁治産差者、準禁治産者の呼び名は差別的とも受け取られかねない強い表現で適切さを欠き、また宣告を受けたことが公示方法として戸籍に記載されるなど、制度としてそれらの対象となる人々への配慮に欠けるという非難から、呼称が改められています。<br><br>制限行為能力者制度は<strong>後見、保佐、補助</strong>の三本の柱で成り立っています。<br>このそれぞれを概観します。<br><br>精神上の障がいによって物事の判断能力（条文では「事理を弁識する能力」）が無い人について、家庭裁判所が本人、配偶者、その他の近親者や検察官の請求により後見開始の審判をした場合、その審判を受けた人を<strong>成年被後見人</strong>といい、成年後見人が付けられて、成年後見人は成年被後見人のした法律行為を取り消すことができます（<strong>7条～9条</strong>）。<br>また、成年被後見人ほどではありませんが、事理を弁識できる能力が著しく欠ける人については、家庭裁判所が本人、配偶者、その他の近親者や検察官の請求により保佐開始の審判をした場合、その審判を受けた人を<strong>被保佐人</strong>といい（<strong>11条</strong>）、保佐人が付けられて（<strong>12条</strong>）、特定の法律行為（<strong>13条</strong>に列挙）をするには保佐人の同意を要し、同意なしにした法律行為は取り消すことができます。<br>さらに軽度に事理を弁識できる能力が欠ける人について、家庭裁判所が本人、配偶者、その他の近親者や検察官の請求により補助開始の審判をした場合、その審判を受けた人を<strong>被補助人</strong>といい、補助人が付けられて（<strong>15条、16条</strong>）、家庭裁判所は当事者が選択した法律行為について補助人の同意を必要とする旨の審判をすることができます（<strong>17条</strong>）。<br><br>では次に、後見、保佐、補助の制度をもう少しだけ詳しく見てまいります。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/wmka46/entry-11086905402.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Nov 2011 13:16:39 +0900</pubDate>
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<title>意思表示は、はっきりと。</title>
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<![CDATA[ 前回、ご紹介した条文中に「法律行為」という用語が出てきましたが、文脈上から判断すれば<br>契約を指していることがわかるでしょうか。この法律行為というのは、もっと一般的にいうと<br><br><strong>意思表示を必須の構成要素とする法律要件である。</strong><br><br>と、説明されます。これだと抽象的なので、売買契約を例にすれば、売ります買います、という<br>反対向きの意思表示が構成要素で、その意思表示どうりに所有権が移動し、代金を支払うという<br>法律上の結果を発生させようとする行為になります。法律要件というのは、何かの制度や概念を<br>適用するために必要な材料のことで、売買契約でいえば意思表示になります。<br><br>この、意思表示についてもう少し掘り下げて考えます。<br>意思表示さえあれば法律効果が発生します。つまり契約が成立し、権利と義務が発生します。<br>この考え方の根拠は<strong>物権編</strong>に出てきます。<br><br><strong>民法第176条（物権の設定及び移転）<br>「物権の設定及び移転は、当事者の意思表示のみによって、その効力を生ずる。」</strong><br><br>これは、<strong>物権変動の意思主義</strong>とよばれるもので、数ある物権の中で一番身近で<br>代表的な所有権を例にとれば、当事者の意思表示、つまり売ります買いますという反対向きの<br>意思表示があれば法律効果、つまり所有権が移転し、権利と義務が発生します。<br><br>では、なぜ民法は意思表示だけで法律行為ができると規定しているのでしょうか。<br>それは、民法制定者が、常識的な判断力のある一人前の市民なら、意思による自治、つまり自ら<br>決定し、その結果に自ら責任を持って当然だという考えを前提としたからです。<br>これは、裏を返せば、判断力の不十分な子どもや不幸にして精神に障がいのある人は、<br>その意思表示によって予期せぬ不利益をこうむるおそれがあり、このような人たちを保護しなければ<br>なりません。<br>この保護規定が<strong>制限行為能力者制度</strong>であり、これについても、民法は細かく<br>条文を設けて規定しています。<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/wmka46/entry-11085853601.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Nov 2011 12:22:22 +0900</pubDate>
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<title>まずは民法</title>
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<![CDATA[ 司法試験を意識して最初に六法を手にした時、まずびっくりしたのは民法の条文の多さ。<br>1044条もあります。平成16年に文語体から口語体つまり現代語化されたとはいえ、抽象的で<br>わかりにくい。そこで直感しました。試験勉強を本格的に始め、受験を考える頃になれば、<br>このままでは民法に苦手意識を持ってしまう、と。<br><br>いちど苦手意識を持ってしまうと、大関が下位の力士に簡単に負けてしまうように、私は<br>民法に克てない。まっさきに民法を攻略してわがものにし、いっそ得意分野にしてしまおう。<br>そこで取り組んだのは情報収集です。<br><br>ただし、私には資金がありませんから、著名な塾や予備校の先生の講義をうけることは<br>できません。スタートは本で独学して基礎を固め、貯蓄ができたら受講することにし、<br>インターネットの書評サイトや出版社のWebページ、おおきな書店の法律書コーナーに何度も<br>出掛けて、私の頭がついていけるような民法の入門書を探しました。<br><br>そこで落ち着いたのが、<br><strong>池田真朗「スタートライン民法総論」<br>池田真朗「スタートライン債権法」<br>山野目章夫「初歩からはじめる物権法」<br>道垣内弘人「ゼミナール民法入門」</strong><br>でした。<br><br>とくに池田先生には助けられました。ほとんど抵抗なく読め、債権分野の基礎の基礎<br>の習得には満足しています。今は本にアンダーラインを引いてサブノートを書きながら<br>丹念に読み返しています。<br>山野目先生の物権法は、難しい用語が何の説明もなく出てきたりして、若干敷居が高いと<br>感じましたが、ゆっくり読めば、なるほどそういうことかと、納得できる部分が多く、<br>理論的で難しいといわれる物権法分野の突破口になりそうです。<br>道垣内先生の民法入門は分量が多く、小さめの字で文章がびっしり書かれている本ですが、<br>内容はいたって平易で、興味を引くようなコラムや実例が多く紹介され、専門用語も<br>きちんと説明されているので、入門の仕上げに最適だと思います。<br><br>民法は条文数が多いのですが、私法、つまり社会人たる個人の日常生活の当たり前な、<br>かつ重要な事柄が明文化されています。まずは、全体を把握することから始めました。<br><br><strong>第1編　総則<br>第2編　物権<br>第3編　債権<br>第4編　親族<br>第5編　相続</strong><br><br>この中でいちばんとっつきやすいのが契約を定めた第3編債権。<br>たとえば<br><strong>民法第555条（売買）「売買は当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを<br>約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。」</strong><br>売買契約に書面は必要ありません。売り手と買い手が、売ります買います、という意思が合致<br>していれば、それで成立するのです。当事者同士の意思が合致していさえすれば原則、契約は<br>自由ですが<br><strong>民法第90条（公序良俗）「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする<br>法律行為は、無効とする。」</strong><br>という制限がつきます。人身売買とか殺人の代償に報酬としてお金をもらう契約などは無効、<br>つまり最初から無かったのと同じことになります。<br>社会通念上、当たり前のことですが、これが民法なのです。<br><br>このように、わかりやすいところを突破口にしてどんどん間口と奥行きをひろげてゆく。<br>そして、広大な民法の森の中の、今どこにいるのかを意識する。<br><br>この考え方で、今後すすめてまいります。<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/wmka46/entry-11085281600.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Nov 2011 18:20:52 +0900</pubDate>
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<title>文章を書くということ</title>
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<![CDATA[ まず、本や新聞でもいいので読むことによって語彙を<br>蓄え、表現を学び、生活においては自身とその周りの<br>出来事に対して、それを頭への刺激とし感じ、考える<br>感受性と思考力、想像力を培っておくのが前提となります。<br><br>たとえば、初冬の晴れた休日、近所の公園へ散歩に<br>出掛けたとします。子どもたちがサッカーや鬼ごっこ<br>に興じて賑やかに走り回っていますが、紅葉した落葉樹の<br>梢から一枚の枯葉が宙を舞い、足元に落ちてきた情景を<br>想像しましょう。これを日記に、<br>落ち葉がふわふわ積もっているから、来るべき冬に備え<br>よう。と書くか、<br>子どもたちの歓声と足元に落ちた一枚の枯葉のかすかな<br>音を対比させて書くか、<br>そんなことお構いなしに、歩いて腹減った、今日の酒の<br>つまみは何にしようか、翌日の仕事の段取りを書くか、<br>の違いです。<br><br>そして語彙と表現力があれば、画数が多い漢字や特殊な<br>漢字は、日常生活においては書けなくてよいと思います。<br>頭に浮かんだ語彙を漢和辞典、国語辞典で調べれば済む<br>からです。<br><br>面倒くさがらずに辞典を引く習慣が身についていれば、<br>「ある程度」の漢字は正しく理解し、読み書きできるよう<br>になるはずです。<br><br>「ある程度」というのは、無理して難読漢字や画数の多い<br>漢字、旧字、当て字を多用しないことです。多用すると<br>自己満足に陥ってしまい、読み手を萎縮させ嫌悪感さえ<br>生じさせかねません。日常生活においてはいわゆる<br>「常用漢字」を正しく理解し、読み書きできれば十分です。<br><br>小学生でも携帯を持っている時代なので、辞典を引いたことが<br>ないという方もおられる「かも」しれません。<br>ＰＣや携帯があれば、かなを入力して変換キーひとつで漢字に<br>なってしまいます。大変便利ですが、文章として表現が<br>貧弱な上に、大事な書類の文章を誤変換するリスクが<br>付きまといます。<br><br>私はＰＣや携帯に頼ることを否定しません。<br>が、司法試験合格を目指す人間にとって、これは「ノー」<br>です。<br><br>司法試験は、与えられた案件に対して状況を把握、理解し、<br>結果を判断してそれに法と法律を当てはめ、制限時間内に<br>それを文章にして紙に記述します。<br>ある事件、事故に対して法と法律を適用するのではなく、<br>その事件、事故の加害者、被害者について、たとえば加害者は<br>一方的無差別に被害をもたらしたのか、怨恨がからんで被害者<br>に過失はないのかなどを確認したうえで、「私はこう考えるから<br>こうあるべきだ」という判断をして、それに対して民法なり<br>刑法なりの条文を適用して、自分の言葉、自分の手で文章を<br>構成、記述しなければならないからです。<br><br>厄介なのは私のような初心者にとって、法や法律の条文や<br>判例にでてくる「常用漢字」以外の漢字や、文語調の表現、<br>旧字を理解しなければならないのが負担です。<br>瑕疵担保責任、婚姻、心裡留保、尤も、雖も、縦令など、<br>法律用語辞典なるものがあるくらいなので、挙げればきりがありません。<br>これから先、私の学習の進捗にあわせて、少しずつご紹介<br>してまいります。<br><br>46歳、早くも老眼ぎみで辞典や判例集の小さな字が見えない！<br>この歳まで眼鏡をしたことがなかったのに。<br><br>すいません、蛇足でした。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/wmka46/entry-11083993418.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Nov 2011 12:57:13 +0900</pubDate>
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<title>おおざっぱ..というか適当？..なアウトプットです。</title>
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<![CDATA[ 初心者なりに、インプットした知識を自分の言葉でアウトプットしてみます。<br><br><br><font size="5">民法の三大原則</font><br><br><strong>1.契約自由</strong><br><strong>2.所有権絶対</strong><br><strong>3.過失責任</strong><br><br>民法は条文数が膨大、内容が複雑多岐にわたっていますが、その構成はおおまかに、<br><u>総則、物権、債権、家族、相続</u><br>から成っていて、三大原則は民法の中核をなす物権と債権について主にあてはまります。<br>三大原則はおおざっぱにいえば、「公序良俗」に反しない範囲で自由に契約ができ、物に対する<br>私的な権利は誰もおかすことはできず、まちがって他人に損害を与えてしまったらそのひとの<br>責任で弁償しなさい、ということです。<br><br><br><br>憲法はいうまでもなく国の最高法規であり、銀行でいえば日銀のような存在です。<br>さらに、憲法はただ単に「法」といい、法律と区別しています。<br>なぜ？<br><br><font size="5">憲法は国民が国を縛るものであり、法律は国が国民を縛るものである。</font><br><br>が、その根拠です。ようするに、憲法は国民が公権力を監視、抑制または要求するためにあります。<br>なんとか権、という権のつく用語が沢山出てくるのはそのためなんです。<br>かたや法律は、国が国民にたいして、あれをしなさい、これをしちゃいけないよ、といった具合に<br>権力を行使します。<br>法と法律は力のベクトルが正反対なので、はっきりと区別しなければいけないのです。<br><br><br><br>民法は私法の王様と呼ばれたりします。私法は個人と個人の関係を規律したもので、商法、会社法も<br>この仲間です。<br>公法は国と個人の関係を規律したもので、トップは憲法、ついで刑法があります。<br><br>が、刑法は、なんとか説とよばれる学説がたくさんあって、解釈が十人十色、同じ条文でもその本を<br>書いた著者や講義する先生によって違う説明になるので、わたしの頭の整理がついていません。<br><br><br>まだまだ、勉強不足です！<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/wmka46/entry-11082794953.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Nov 2011 08:24:19 +0900</pubDate>
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